129 ログニック・キエス魔法闘士
突然バセオラ村を訪れた守護騎士で魔法闘士のログニック・キエスと名乗る男性は、ルーファスが守護七聖主であることに確信を得てそう見抜きました。ですがルーファス達は一言も自分達が〝そう〟であることを口にしてはいません。ログニック・キエス魔法闘士が何の目的で来たのかを探りながら、信用出来る人物なのか様子を窺うルーファスでしたが…?
【 第百二十九話 ログニック・キエス魔法闘士 】
「落ち着け、シルヴァン、リヴ。」
俺はハア、と溜息を吐いて首を振った。
シルヴァンとリヴが『守護七聖<セプテム・ガーディアン>』という言葉に反応し、俺を守るようにして両脇に立った。それだけで二人にとって俺が最重要人物であることは相手に伝わってしまう。
俺がそうであることの確信を得たように、俺のことを守護七聖主だと言ったログニック・キエス魔法闘士は、恐らくだが事前に知るはずのない情報を俺達に話して警戒心を煽っておき、探りを入れようとした俺の話をウェンリーが横でぶち壊したことを利用して核心に触れ、その機に俺達の反応を見ようとしたのだ。
なぜなのかその理由はまだわからないが、そのことから、この未だ俺ににこにこと笑顔を向け続ける相手は、少なくとも俺達について相当詳しく知っていたことになる。
――だからパーティーに『太陽の希望』と名付けるのは反対だったんだよな。仲間内に分かり易いと言うことは、逆に知る人には容易にばれてしまうと言うことでもあるだろう。
それを渋々でも受け入れた俺の失態だな。と、自分に反省を促す。
「驚かせてしまい申し訳ありませんでしたが、ご安心ください、私は敵ではありません。」
彼はシルヴァンとリヴの警戒を解こうとしてそんなことを口にする。
「信用できぬな。他意のある者ほどそう言って退ける。貴様、なにが目的でここへ来た?」
…が、シルヴァンにそれは逆効果だ。
「止せシルヴァン。落ち着けと言っているだろう?…とにかく俺とこの人に話をさせてくれ。」
「…むう。」
「リヴも頼むよ。」
「…承知致した。」
二人は渋面をしながら椅子に戻ると、ウェンリーに後で話がある、と言ってその肩をポン、と叩きながら顔を引き攣らせた。あれは後でお説教をするつもりだな。
「――ログニックさん…すみませんが、あなたが俺達にとってどう言う相手なのかを判断するのは俺達です。敵ではないと言うあなたを信じたいのは山々ですが、国の上層部にいるような方の言葉を、そのまま受け取るほど俺は脳天気じゃない。」
「…なるほど。」
俺は至って冷静にシルヴァンと同じ質問をする。本当にこの人はなにが目的でここに来たのだろう?
すると彼は、俺にわざと疑念を抱かせるような含み笑いをして答えた。
「ふふ、守護騎士に街道の調査を行わせるのはもちろんでしたが、お察しの通り私が同行しているのはあなた方に会いに来たからです。こちらからある有益な情報をお持ちするのと同時に、ルーファス様には伺いたいこともありまして、質問に答えていただけると幸いなのですが。」
有益な情報、ね…それと俺達のことに詳しいのは関係があるのかもしれないが、質問に答えなければならない義務はないかな。
ログニックさんは俺の考えを見透かしたように、俺がなにか言う前にさらに続けた。
「なに、左程難しいことではありません。なぜ貴方様を含めたここにいる方々は、その全員がエヴァンニュ王国籍なのかをお教え頂きたいだけですから。」
――ああ、そう言うことか…
その問いを聞いた時点で、俺は彼がなにを言いたいのかを察した。そしてこの後に来るであろう俺達に対する要求についても、だ。
「フェリューテラの救世主として活動をしていた『太陽の希望』は、常に中立の立場にあり、相応の理由がない限りどこの国にも属さない。そう認識していたのですが、現代では異なると仰るのでしたら、籍を置くのは我が国でも問題ないはずです。」
「――つまりなにか?我らにエヴァンニュからシェナハーンへ国籍を移せと言いたいのか?」
踏ん反り返って足を組み、椅子が後ろに傾くほど背もたれに重心をかけていたシルヴァンが、不機嫌な声を出して口を挟んだ。
「あくまでも提案として申し上げておりますが、現国王シグルド陛下は、あなた方を全面的に支援したいと仰せです。悪い話ではないと思いますが、いかがでしょう?」
「………。」
俺は黙ってそうシルヴァンと話す相手の様子を窺っていた。
「聞いたか?ルーファス。だから信用できぬと言うのだ。敵ではないと言っても、結局はこうやって国の思惑が絡んでくる。我らを己らの利になるよう利用しようという考えが透けて見えるわ。」
「…そうだな。だけどその前に、ログニックさんはなにか大きな勘違いをしているようだ。」
「――勘違い?」
憤慨するシルヴァンは腹を立てているように見せているが、その実感情的になっているわけじゃない。その証拠に、俺が認めていないことはまだ一言も口にしていなかった。
「俺達は確かに『太陽の希望』という名前のパーティーだが、救世主として活動していたとか、どこの国にも属さない、とかいったいなんの話なのか俺にはさっぱりだ。」
「は…?」
ログニックさんは面食らったように目を丸くする。
「俺達がエヴァンニュ王国籍なのは、元々エヴァンニュ王国の住人だからだし、守護者として魔物を駆除した成り行きからバセオラ村の復興支援を申請したのに、シェナハーン王国の国王陛下が、俺達を全面的に支援すると言うのはおかしな話だ。支援するべきなのはこのバセオラ村であって、俺達じゃないだろう。」
違いますか?と、俺はログニックさんに聞き返す。
そもそも俺達は国の支援など必要としない。守護者の資格を得てエヴァンニュ国籍を取得したのは、余計な揉め事を起こさないように正当な手段で国境を越え、各国で行動するために必要だったからであって、それによって俺達の行動がなにか左右されるというわけでもない。
第一彼は俺のことを勝手に『太陽の希望』と呼ばれた『守護七聖主』だと決めつけたようだが、俺はまだそうだと口に出して認めてはいなかった。
シルヴァンとリヴは元より、ウェンリーでさえ『守護七聖主』と『守護七聖』に関しては一切なにも言っていないのに、それでいて支援するから国籍を移せとか言われても、理解出来ないのが普通だろう?
要するに俺は、彼の情報源がなんであるのかわからない以上、それが判明するまでは白を切ることにしたのだ。
俺は嘘を吐くのは苦手だが、嘘を吐かなくても誤魔化すことは可能で、言い訳などどうとでもなる。
俺達が守護七聖主と七聖であることを前提に、『有益な情報』を持って来たと言ったのは気になるが、それがなんであれ、駆け引きの材料にはならないことを相手にわからせる必要がある。
「あなたが国籍を移すとかなぜそんなことを仰るのかわからないが、俺達パーティーにエヴァンニュ王国は元より、シェナハーン王国からの支援も必要ありません。」
そう言った話が用件なら、どうぞお引き取りください。俺はなにかの本で読んだどこぞの執事かなにかのように、莞爾してそう言い放った。
「お待ちください、私は今、あなた方に有益な情報をお持ちしたと言ったはずですが――」
「前提が間違っているのに、なぜ俺達に有益だと言えるのかな?それに本当に必要な情報なら自力で収集も可能だ。多少時間がかかったとしても、わざわざあなたの口から聞く必要はない。」
…食い下がるように訴えているが、まだなにか他意を持っていそうだな。シルヴァンとリヴはかなり警戒しているが、俺は悪意があるようには感じない。この人の真意はなんだ?
「では伺いますが、貴方様は『守護七聖主』ではないと?」
「――質問の意図がわからないな。俺は『太陽の希望』のリーダーで、Sランク級守護者のルーファスです。それ以外の何者でもありません。」
千年前は『太陽の希望』や『守護七聖主』という象徴名をそのまま使用していたが、俺自身は最初から最後まで変わらず『守護者のルーファス』だ。だから否定も肯定もしない。
ログニックさんの問いにそうキッパリと答えると、直後に彼は、突然あはははは、と声を上げて笑い出した。
俺達は一瞬ギョッとするも、程なくして笑うのをやめた彼は、苦虫を噛みつぶしたような顔をして息を吐く。
「はあ…参りました。否定も肯定もせず、私の質問をはぐらかそうとするでもない。最初からなにを言っても慌てもせず、こちらを訝りながらも完全には疑わない。私の真意を測りかねておられたのでしょうに、貴方様には付け入る隙がありませんね。」
そう言いながら、カタン、と音を立てて立ち上がると、ログニックさんはそのまま俺の傍に歩いて来て、床に片膝を付き胸元に右手を当てながら、頭を垂れた。
「――大変失礼を致しました、ルーファス様。国籍の話はどうかお忘れください。フェリューテラに現存する国々の運命をも左右される力をお持ちだと聞き、それがエヴァンニュ王国のみに偏るのではないかとの懸念から、お考えを試させていただきました。心よりご無礼をお詫び致します。」
…なるほど、そう言うことだったのか。だが…
「…どうしてあなたは俺に頭を下げるのかな?俺は一介の守護者に過ぎません。魔法闘士というこの国の重要職にあるような方に、跪かれるような人間ではないんだけど。」
この人が『情報源』を明かさない限り、俺は白を切り続ける。まだ信用に足るだけの根拠を俺が見い出せていないからだ。
「これは手強い。どうやら跪くぐらいでは信じていただけないようだ。私の情報元をお知りになりたいのですね?…でしたらこう申し上げましょう。」
我がシェナハーン王国には、眼鏡をかけた〝生き字引〟と呼ばれる美しい守り神がいる。
彼はそう言って俺を見上げ、また莞爾したのだった。
――ログニック・キエス魔法闘士とのその会話の後、彼は一緒に来た守護騎士に指示を与えるため、一旦俺達から離れて外へ出て行った。
必要以上に多くは話さず、あの言葉でウェンリー以外の俺達を納得させ、俺の気が変わるまでバセオラに滞在すると告げると、俺達だけで話をする時間を設けたのだ。
俺達は場所を移し、宿泊所として使っている家に行くと、居間に集まって話し合いを始めた。もちろん、彼の言葉とその意味についてだ。
「『眼鏡をかけた生き字引』、か…まさか現地の人間からそんな情報が齎されるとは思わなかったな。またはっきりと名前を出さないところが強かだ。」
テーブルも椅子もない部屋の床に座り、右膝を立てて左足を投げ出すと、俺は壁に背中を預けて楽な恰好をした。
俺の周囲に集まるように、ウェンリーとシルヴァンにリヴも適当に腰を下ろす。大体こういう時は俺の右隣にウェンリーが、左隣にシルヴァンが座って、リヴはシルヴァンの横に着く。
「その言葉だけでこちらが理解し、納得するとわかっていたところを見るに、予らの推測は間違っておらぬのだろうな。」
「ああ、多分だけどな。」
床に胡座をかいて座っているリヴは、俺を見て信用するのか、と問いかける。リヴのその一言には、ログニックさんのことを含め、その背後にいるはずのこの国の国王や、果てはこのシェナハーンという国自体のことなど色んな意味が込められている。
俺はすぐには答えず、うーん、と唸るようにして目を閉じた。
そんな風に俺とリヴは至って真面目な話をしているのに、俺が黙った隙にシルヴァンが私情を挟んだ不満をさらりと口に出し、真剣な話し合いを雑談に変える。
「だが〝美しい守り神〟とは少々誇大表現のような気がするぞ、人違いではないのか?…まあ我らの話も彼奴から聞いていたのだとすれば、神魂の宝珠について知っていたのも頷けるが…まだそうとは限らな――」
「待て、シル。今さりげなく彼女への褒め言葉を否定したな?そんなだから普段から睨まれて厳しく当たられるのだぞ。」
「ななな、なにを言う!我は正直な感想を――」
「こらこら、話を脱線させるなよ、俺は真面目に話しているんだぞ。」
シルヴァンの『正直な感想』とやらにリヴが突っ込みを入れ、それに慌てたシルヴァンが狼狽える。俺とシルヴァンとリヴは誰の話をしているのか互いに良くわかっているが、それにたった一人ついて行けない者がいた。
「なあ、俺だけなんか理解不能なんだけど、どゆこと?」
さっぱり意味がわからないらしいウェンリーが、痺れを切らして俺の身体を掴むとゆさゆさ揺すった。
「揺するなよ、今説明するから。…と言うか、守護七聖についてはシルヴァンがウェンリーに説明してくれたんじゃなかったのか?」
俺は左にいるシルヴァンを睨んだ。守護七聖のことは俺自身、まだ思い出せないことが多く、正確な情報を伝えるために、ウェンリーにはシルヴァンからそれぞれについて話してくれるよう、随分前に頼んでおいたはずだった。
当然、その中には『眼鏡をかけた生き字引』という表現そのものの、ある女性についても知らされていなければおかしい。
シルヴァンは俺と目が合うと、サッと視線を逸らした。
シルヴァン、おまえ…〝彼女〟について、ウェンリーにどう話したんだ?
「ウェンリー、シルヴァンから話を聞いたはずだとは思うが、わからないようだからもう一度俺から説明する。守護七聖の中には、ログニックさんが表現した『眼鏡をかけた生き字引』と呼ばれていた女性がいるんだよ。」
もちろんその彼女は現在俺達が探している、残りの神魂の宝珠に封じられていて、どこにそれがあるのかもわかっていない状態だ。
「彼女は無の神魂の宝珠に封じられている、守護七聖の〝透〟で、『イスマイル・ガラティア』という。そのイスマイルを表すような言葉を、ログニックさんは俺達に『情報源』として告げたんだ。」
そこで俺達が推測したのは、あのログニック・キエス魔法闘士は、少なくともイスマイルとなんらかの形で面識があるのだろうと言うことだ。
当然だがそれは彼が、無の神魂の宝珠の在処を知っていると言うことでもある。
そのことをようやく理解したウェンリーは素直に、だったら俺が守護七聖主であることを明かして、ログニックさんに協力を頼めばいいと言った。
ウェンリーは彼のことを信用しているようで、俺達が考えているような懸念は微塵も抱いていないらしい。
まあそう言うところはウェンリーらしいと言えばらしいのだが。
「――シルヴァン、リヴ。実際のところ、イスマイルの神魂の宝珠がシェナハーン王国の手中にある可能性はどのぐらいだと思う?」
俺のこの言葉を聞いて、ようやくウェンリーは俺達が、ログニックさんに対してなにを心配しているのかわかってくれた様子だった。
「なんとも言えぬな。神魂の宝珠の安置場所は記憶を失う前のルーファスにしかわからぬ。イシリ・レコアや海底に沈んだオルディス城のように、容易に他者が踏み込めぬ場所であればともかく、どこかの遺跡内にあったとしても、それ自体を抑えられていれば手にされたも同然だ。」
「予もシルの意見に同意だ。」
「…そうか、だったらやっぱり――」
――結論から言うと、俺はログニックさんやシェナハーン王国を信用するかどうかについては、一旦保留とすることにした。
齎された情報がイスマイルのことであるのはほぼ間違いないだろうが、神魂の宝珠が今どういう状態にあるのかわからないことと、相手を信用して俺達のことを打ち明けるには判断基準となる情報があまりにも少なすぎるからだ。
「なんでだよ?ログニックさん、いい人だぜ!?」
納得出来ないウェンリーはそう訴えたが、譬え彼が本当に〝いい人〟であったとしても、呼称が違うだけで立場はエヴァンニュの王国軍人と同じだ。
国に属する職にあると言うだけで、上から命令されればそれに逆らうことは出来ず、いつでも簡単に裏切られる危険はあるのだ。
それになにより、ウェンリーは忘れているんじゃないか?俺がその〝軍人〟という部類に入る人種を、元は嫌っていると言うことを――
――そうして彼には申し訳ないが、用が済み次第一旦はお引き取りいただくことになった。
ウェンリーは拗ね、俺にかなり文句を言ったが、シルヴァンとリヴに諭されて渋々俺達の意見を黙認する。
ログニック・キエス魔法闘士は、あくまでも俺達と一緒に道案内がてらイスマイルの神魂の宝珠がある場所へ向かいたかったらしく、納得出来ないと大分食い下がっていたが、真実イスマイルから話を聞いていたのなら、俺が一度下した決定を覆さないことはすぐにわかることだ。
最終的に彼はがっかりした表情を浮かべると諦め、翌日一人で王都シニスフォーラへ帰って行った。
一週間後。
復興に最低限必要な設備が全て整い、運営を開始したギルドが問題なく回っていることを確認すると、後はガーターさんとフェルナンド達に村を任せても大丈夫だと俺は判断した。
ここからはバセオラ村に移住してくれる住人を探すのが主目的となるが、外部からやって来る人々が一時的に滞在出来るよう宿屋もきちんと用意したので、今後は行商人や流れのハンターなども訪れるようになるだろう。
その中には移住を希望する人間も出てくるだろうが、それを許可する判断基準はガーターさんとフェルナンド達に任せてある。
俺が俺の中で『ここまでは』と定めていた復興目標に達したことで、俺は心置きなくバセオラ村を出られるようになった。
なにかあればいつでもフェルナンドとは連絡が取れるし、普段は大精霊ウンディーネが見守ってくれているから安心だ。
黒鳥族の建築士達もノクス=アステールに引き上げ、これからは新たな建物を建てるのに商業ギルドを通して大工や建築士を雇うか、移住してくれるその職にある住人を探すことになるが、ここまで復興の舵を取ってきた俺達も遂に明日には村を出発することになった。
俺達が宿泊所代わりに使っていた家にもきちんと家具が置かれ、最終日の今夜だけだが、久しぶりに寝台で寝られそうだ。
俺が散らかしていた荷物も全て無限収納に片付け、代わりに寝台や衣装箱が置かれた部屋で、床に座ってエアスピナーの手入れをしていたウェンリーに話しかける。
「ウェンリー、これから一時間ほどグリューネレイアに行って来たいんだ。シルヴァンとリヴが戻って来たらそう伝えてくれるか?」
「いいけど…また行くのか?まさか一時間っつってこの前みたく、三日後に帰ってくるなんてこたねえだろうな?」
「大丈夫だよ。…多分。」
「多分なのかよ!?」
そんな冗談を言いながら「ちゃんと帰って来いよ」と言うウェンリーに送り出され、俺はウンディーネの泉に向かう。
それと言うのもマルティルの元にミーリャを預けたまま、あれからまだ一度も様子を見に行っていないからだ。
なにかあればマルティルが連絡してくれただろうし、それがないと言うことはミーリャも精霊界に慣れてそろそろ落ち着いた頃だろう。
明日からはイスマイルの神魂の宝珠を探しに向かうことになるから、そうなるとまたしばらくはグリューネレイアに顔を出す時間もないだろうしな。
今の内に彼女とお腹の子の状態を見に行っておこう。
泉に行くと俺はその場でウンディーネに来て貰い、マルティルの元へと道を繋いで貰う。
グリューネレイアはこうやって大精霊の力を借りないと、領地ごとに分かれた地域からは別の地域へは直接行くことが出来ないのだ。
そうしてマルティルの城へ行くと、彼女はとても嬉しそうに笑顔で俺を迎えてくれる。
「まあルーファス…!お久しぶりね、会いに来てくれて嬉しいわ。ウンディーネから精霊剣シュテルクストを受け取ったそうだけれど、あなたの手に馴染んだかしら?」
「やあ、マルティル。うん、問題ないよ。とても使い心地が良くて重宝している。」
――久しぶり?…今マルティルはそう言ったか?
シュテルクストのことを聞かれてそう答えながら、俺はマルティルの最初の言葉に変だな、と首を捻る。
普通『久しぶり』というのは、それなりの期間顔を合わせていなかった場合などに使われる言葉だ。
俺がここを訪れたのは最近のことで、そんな挨拶をされるほど日は経っていないはずだった。
「先日は俺の急な頼みを聞いてくれてありがとう。あれからミーリャの様子はどうかな?彼女とお腹の子は問題なさそうかい?」
不思議に思いながらもミーリャの様子を尋ねた俺に、マルティルは予想外の反応を示した。
「ルーファス?…その急な頼みというのはなにかしら?…ごめんなさい、お礼を言われても、あなたの言っていることが私にはわからないのだけれど…」
「…え…?」
そう言って頬に手を当て、首を傾げるマルティルに俺は吃驚した。
精霊であるマルティルが、理由もないのに嘘を吐くはずがない。それに彼女は本当に覚えがないという戸惑った表情をしている。
慌てた俺は、掻い摘まんでマルティルに事情を話し、俺がパスラ峠でミーリャを助けたことと、ミーリャのお腹には子供がいて、その子供の霊力が極端に低いためにフェリューテラでは流れてしまう可能性が高く、マルティルに頼んでここへ連れてきたことを伝えた。
それでもマルティルは首を振り、全く覚えがないという。
俺はマルティルから木精霊の森へ入る許可を得て、ミーリャがいるはずのあの庵を探した。
だがそれがあったはずの場所には、なにもない草地に色とりどりの花々が咲き乱れているだけで、ミーリャの姿どころかあの庵さえどこにも存在していなかった。
俺はその庵があったはずの場所に立ち、一人呆然として遠くに見える『世界樹ユグドラシル』を見つめた。
――どういうことだ?『滅亡の書』に記されていた、『最後の希望』が消えてしまった。
空から降って来たところを俺が受け止めて救ったミーリャも、俺の霊力を分け与えて一命を取り留めた、彼女のお腹で消えかけていた小さな命も、ここに建っていた庵ごと完全に、俺の前から跡形もなくどこかに消えてしまったのだった。
♦ ♦ ♦
――その時、王宮近衛副指揮官の『イーヴ・ウェルゼン』は、実家のあるプロバビリテに帰れと昨日追い返したはずの妹と、ついさっき一緒に国境街レカンから戻ったばかりのトゥレンが、なぜ共にいて自分の前に立っているのか、すぐには理解出来なかった。
「…トゥレン、貴殿はヨシュアが運ばれた王都立病院に、護衛のためライ様を追って行ったのではなかったか?」
〝それがなぜ、ライ様ではなく私の妹を連れて城に戻ってくる?〟
イーヴは混乱する頭を必死に整理し、どうしたらこんな状況になるのかを推測しようとした。だがなにも出て来ない。
時はライとトゥレンが、シェナハーン王国から城に帰ったその日にまで遡る。
「それは後で説明するが、城への届け出は既に済ませた。今夜から暫くはイーヴ、おまえの部屋にアリアンナを泊めてやれ。」
「な…!?」
仕事を理由に碌に話も聞かず追い返すなど、兄として妹に対する思いやりのある態度とは到底思えん。いくら何でもおまえは冷たすぎる。
トゥレンは何度もイーヴの胸をその右手の人差し指で突きながら、ここぞとばかりにイーヴを責めた。
「紅翼の宮殿の使用人達に、客間へ寝台を入れるようもう手配したからな。」
「なにを勝手に――!!」
トゥレンのあまりにも強引な行動に、さすがに半ば腹を立てたイーヴは反論しようと身を乗り出した。だがほんの一瞬向けられた、トゥレンの冷ややかな瞳に口をつぐむ。
「見損なったぞ、イーヴ。おまえはたった一人の妹がこんなに悩んで助けを求めているのに、その手を振り払うのか?家族を大切にしていた以前のおまえはどこに行ったのだ。」
「それとこれとは話が別だ!!両親がアリアンナのためにと用意した縁談に、俺が口出し出来るはずはないだろう!!」
「それはなぜだ?兄として妹が結婚を嫌がっていると、両親に伝えるぐらいはしてやれるだろう。」
「それは…っ」
トゥレンの言葉は正論で、イーヴは言い返せずに押し黙る。
二人が言い争っているのは近衛の詰め所にもほど近い、謁見殿の通路だ。脇を通り過ぎる警備兵や城の使用人、近衛隊士の数人が『鬼神の双壁』が珍しく言い争いをしている、と一驚して去って行く。
それを横目で見送ったトゥレンは、傍らに立つイーヴの妹『アリアンナティア』の背中を、イーヴが蹌踉けた彼女を受け止めざるを得ないように強く押しやった。
「!…トゥレン!!」
少し乱暴な扱いになったことに、イーヴはキッとトゥレンを睨む。
「俺は国王陛下へのご報告をライ様から仰せつかっている。アリアンナのことは兄としてきちんとおまえが最善を尽くしてやれ。いいな?イーヴ。」
「おい待て、トゥレン!!」
そう言ってトゥレンはアリアンナを託し、イーヴの呼び声を無視してさっさとその場を立ち去って行った。
――そのトゥレンは、アリアンナの口から聞いた自分の知らないイーヴの事情に衝撃を受け、イーヴのことはなんでも知っていると自負していた自分に半分は落胆し、半分は腹を立てていた。
落胆しているのはイーヴは自分にだけはなんでも話し、その胸の内や悩みなども隠さず打ち明けてくれていると信じていたのを、裏切られた気分だったからだ。
そして腹を立てていたのは、イーヴがウェルゼン家の本当の息子ではないのに、いつも遠慮がちにしていたその心中を察してやれず、無理に両親と会わせたり、今もこうして血の繋がりのない妹を、知らぬ振りをして押しつけていることに罪悪感を抱いているためだ。
それでもトゥレンは、イーヴを問い詰めるつもりはなかった。これまでと同じように接し、イーヴの方から話してくれるのを待つつもりなのだ。
≪ アリアンナにも俺が知っていることは、イーヴに決して言わないように念を押した。イーヴが俺を信じてくれているのなら、いつか自分から俺に話してくれるだろう。≫
トゥレンはそう思いつつも、その反面、これまでその機会はいくらでもあったのに、イーヴは打ち明けてくれなかった。なのにそんな日が来るのか?…そんな疑念も同時に抱く。
イーヴは俺にそのことを知られたくなかったのかもしれない。それは単に幼馴染みである俺に、心配をかけたくないなどの理由からなのか、それとも…?
トゥレンはイーヴを信じたいと思いながら、自分の知らない部分をイーヴが持っていることに、いつのまにか自分は長年親友だと思ってきたイーヴを、完全には信じられなくなっているのだと自覚してしまうのだった。
トゥレンの強引な行動でアリアンナを自室に泊めることになったイーヴは、仕方なく彼女を連れて一旦部屋に戻ると、普段はなにも置いておらず、がらんとしていた客室に、使用人が用意した寝台とサイドテーブルなどの家具が整えられていることを確かめた。
――トゥレンは知らないのだから無理もないが…参った。
痛くなる頭に手を当てて首を振ると、イーヴは気を取り直し、居間に待たせてあった妹を呼ぶ。
「こっちだ、アリアンナ。」
「イーヴ兄さま。」
イーヴは淡々とアリアンナにここの客室を使うように言うと、普段は鍵をかけている書斎には絶対に入らないよう言い聞かせ、自分は仕事があるから相手を出来ないが、家に帰りたくなったらいつでも好きに帰るといい。そんな風に素っ気なく話した。
トゥレンに間を取り成して貰っても、冷たい態度に変わりのない兄を見て、アリアンナは傷つき悲嘆に暮れる。
「――イーヴ兄さま…冷たい。そんなに私が嫌い?やはりまだ怒ってらっしゃるのね。」
「感情の問題ではない、おまえが私を困らせるからだろう。昨日のことなら気にしなくていい。いつ、どこで知ったのかと驚きはしたが、おまえが言ったのは本当のことで、私が家督を継がないのは確かにウェルゼン家の実子ではないからだからな。」
「それでも父さまと母さまは、イーヴ兄さまに家を継いで欲しいと思ってらっしゃるわ!私だって…っ」
「……。」
イーヴはアリアンナに目を向けず、短く溜息を吐くと、その話はもう終わったことだ、と踵を返す。
「待ってイーヴ兄さま!お願い…私を見て!!」
「…アリアンナ。」
振り返るイーヴにアリアンナは詰め寄る。
「どうして私ではだめなの?父さまと母さまは、私と兄さまが結婚すればなにも問題はないと仰ったでしょう!?私はイーヴ兄さまが好き…!!幼い頃から優しい兄さまに恋をしていたわ…!血の繋がりがないと知ってどれほど嬉しかったか…兄さまさえ了承してくだされば、すぐにこの縁談も断ることが出来るのよ…!」
イーヴに縋るようにして訴えるアリアンナからイーヴは目を逸らし、黙って一度目を伏せると静かに答える。
「――おまえは私の妹だ。父上と母上に妻として受け入れられないかと問われたが、妹としての情は抱けても、一人の女性として見ることは出来ない。…頼むからもう諦めてくれ。」
「いやよ兄さま…!!」
「少しこの部屋で頭を冷やすといい。」
イーヴはアリアンナの手を振り払い、客室から出ると扉を閉めてまた自室を後にする。
――四年ほど前…それはイーヴがライをファーディアに迎えに行く、少し前のことだった。
イーヴがトゥレンと一緒に休暇を利用してプロバビリテに帰省した際、珍しく両親二人揃って大切な話があると言って呼び出された。
そこでイーヴは、将来アリアンナと結婚し、ウェルゼン家を継いで欲しいと両親に言われたのだった。
「…申し訳ありません、父上と母上にはここまで育てて頂いたご恩がありますが、まだ十四になったばかりのアリアンナを、そういう対象として見ることは出来ません。私にとってアリアンナは妹なのです。」
「今すぐでなくてもいいのよ?イーヴ。後六年もすればアリアンナも大人になるわ。その時にはまた違った目であの娘を見られるのではなくて?母はあなたに本当の意味で家族になって欲しいのです。」
「君になら安心してアリアンナを任せることが出来る。君もあの娘を大切に思ってくれていると私達は思っていたのだが、どうしても無理かね?」
「――申し訳ありません。」
両親の願いを断ったイーヴは、自ら家を継がないことを申告し、それ以来両親との仲もギクシャクするようになってしまった。
ただそう感じているのはイーヴの方だけで、両親の方はイーヴがアリアンナと結婚は出来ないと断っても、イーヴに対する愛情に一切の変化はなかったのだが。
イーヴは紅翼の宮殿の廊下でふと窓の外を見て立ち止まる。
中庭にはいつぞやの時と同じように、ロバム王とイサベナ王妃が東屋で呑気にお茶を楽しんでいた。
二人を見下ろすイーヴの目には憎悪の念が浮かんでおり、湧き上がるその感情を抑えながらイーヴは思う。
――アリアンナが、本当にただの妹であったなら良かったのに、と。
いつも読んでいただきありがとうございます。ブックマーク、とても嬉しいです!次回、仕上がり次第アップします。