128 兆し
仕事の合間を縫ってリーマの部屋を訪れたライは、リーマではない女性が出て来たことに驚きました。派手な印象の女性を好まないライは、やけに馴れ馴れしいカレンという女性に嫌悪を抱きますが…?
【 第百二十八話 兆し 】
「――誰だ…?」
その派手な印象の女を見て、あまりにも驚いた俺は、その一言を口にするのが精一杯だった。
それも当然だろう。ここはリーマの部屋で、夜間に踊り子として働くリーマは、普段ならまだ部屋でゆっくりと身体を休めているはずの時間なのだ。
「誰って…酷いわ、覚えていないの?カレン・ビクスウェルトよ。前にアフローネの近くで話しかけたことがあるでしょう?」
「…?」
女はがっかりしたような顔をしてそう名乗ったが、それはいつの話だと記憶を辿ってみても終ぞ思い出せない。
用もないのにただ話しかけて来ただけなら、そんな風に街中で声をかけられることなど、日常的にいくらでもあるからだ。
俺は勝ち気で派手な印象を受ける女は苦手で、軍服と顔を隠さず城下に出ると、そういう人間に限って知り合いでもないのに馴れ馴れしくされることが多かった。
確かに一般的な男にはある程度容姿が整っており、良く言えば華のある女は好まれるのかもしれないが、俺には初対面ですぐにベタベタ触って来る〝気色の悪い異性〟という嫌悪しかなく、そういう型の女は皆同じ顔にしか見えなかった。
当然この目の前の女も俺にとってはその部類に入り、誰かに紹介されたわけでもないのなら記憶に残っているはずがない。
その自信に満ちあふれた表情から見ても、余程高い自尊心を持っているのだろうが、なぜたった一度声をかけただけで俺が覚えているはずだと思い込めるのかが理解出来なかった。
「すまない、記憶にないな。」
――慎ましさとは縁遠そうな女だ。下町に住んでいるのだろうが、それにしては随分と上等な衣服を身に着けている。どうして俺がリーマにやったはずのそのペンダントを首にかけているのか…リーマはどうしたんだ?
俺は言葉とは裏腹に微塵も悪いとは思わず、素っ気なく〝おまえのことなど知るか〟という思いを込めて返した。
瞬間、女は自尊心を傷つけられカチンと来たのか、一瞬だけ不機嫌な顔をした。
「それより俺はリーマに会いに来たんだが、彼女は中にいるのか?」
構わず俺がそう尋ねると、女は気を取り直したように取り繕って答える。
「リーマは急用ができて出かけているの。あなたが来たら部屋に通して〝お相手をして〟と頼まれているわ。さ、どうぞ中に入って。」
笑顔でそう言うなり女は扉を大きく開いて中に入るよう促すと、俺に断りもなくいきなり俺の右手を掴んだ。
俺はリーマではない女に触れられたことにゾッとし、鳥肌を立ててすぐにそれを振り払う。
こういう時イーヴやトゥレンのような貴族然とした男なら、先に手を放せと優しく警告してから相手の意志で放させるのだろうが、生憎俺は育ちが悪い。
女は掴んだ手を俺に振り払われ、短く悲鳴を上げて吃驚する。俺は普段そうしているように、馴れ馴れしい女に対して嫌悪感を顕わにした。
――やはりこの女もそういう類いの女か、見た目通りだな。もし自分が見知らぬ男に許可なく身体を触られたらどう思うんだ?
きっと悲鳴を上げて逃げ出すだろうに、逆の立場になるとどうして相手の意思も確かめず手を掴んだりできるんだ。
大きく開いた扉から中を見たが、室内にリーマの姿はない。俺が来ることは予めジャンに伝えて貰っているのだから、譬え俺に会いたくなかったとしても、リーマがなにも言わずに部屋を留守にするはずはなかった。
「おまえがリーマとどういう関係なのかは知らないが、リーマが本当にそう頼んだのだとしても、俺は家主の留守に…況してや女性の部屋に勝手に入り込んだりはしない。」
リーマがいないのなら出直す。俺はそう言って踵を返した。
「待って!私はリーマの友達よ!?アフローネの踊り子仲間で一番人気の――」
女の言葉に足を止めて振り返る。
「友達?リーマの口からおまえの名を聞いた覚えはない。それにそれが事実だとしても、友人が留守の間にその恋人と友人の部屋で二人きりになろうとするような女は虫唾が走る。」
「な…」
軽蔑の意味を込めそう言い放つと、俺は集合住宅を後にする。女が最後に口にした言葉で、あることを思い出したからだ。
――アフローネの踊り子『カレン』…思い出した、護印柱探索の件でヴァレッタと打ち合わせをした日、帰り際に道で声をかけられ、話をする前に迎えに来たヨシュアに〝あの女には気をつけろ〟と忠告された相手だ。
…リーマはどこだ?リーマになにかあったのかもしれん。
そんな思いに囚われた俺は酷く心配になり、そのままリーマを探すことにした。
あのカレンという女が、俺がリーマの部屋を訪れると知っていたと言うことは、俺とリーマの関係もあの女には既にばれているのだろう。そう思い、俺は自らのことをリーマの『恋人』と表した。
周囲に俺との関係がばれれば、リーマに危害が及ぶかもしれない。ヨシュアにそう諭され気をつけて来たが、俺がここに通っている以上いつかは知られるとも思っていた。
もしもそうなった時は、俺一人の力ではリーマを守り切れん。ならば――
幸いにしてばれたのはイーヴやトゥレンにではなかった。もし二人からあの男にばれれば俺はリーマと強制的に引き裂かれるかもしれないが、リーマの周囲であればまだ打つ手はある。
リーマの自宅がある路地裏から繁華街へ続く通りに出ると、その足で何度か入ったことのあるリーマの職場、『アフローネ』を訪ねた。
俺はリーマのいるいないに関わらず、先ずは最初にどうしてもここを訪れておきたかった。
下町の大衆酒場でもあるアフローネは、今の時間はまだ準備中で、入口の鍵は開いていたものの店内は薄暗く、数多くあるテーブルの上には椅子が逆さまにして上げられたままになっていた。
客用のホールには誰の姿もなかったが、奥に人の気配があることに気付くと、すぐに給仕用の入口から男性が出て来た。
「悪いがまだ準備中だよ。表に札がかけてあっただろう?困るな。」
見覚えのある顔だ。そうか、いつも会計場を担当しているウェイターだ。
俺は被っていたフードを脱ぐと、ウェイターの男性に顔を晒して話しかけた。
「札がかけてあったのはわかっていたがすまない、急用なんだ。ここにリーマは来ているか?」
吃驚したウェイターの男性は俺の顔を見るなり「く、黒髪の鬼神!?」と綽名を叫んだ。
「い、いえ、出勤は夕方からなのでまだ来ていません。え、ええと…うちの踊り子にどのようなご用件で…?」
男性はおろおろと狼狽えた様子で敬語になる。
「なにか問題があるとかではないんだ、ではここの支配人か店の主人はおられるか?個人的な用件で急ぎ話をしたいのだが。」
「は、はい、少々お待ちください…!ま、マロームさん!!ミセス・マム!!た、大変です…、お客人が…っっ」
男性がそう叫ぶと奥からすぐに恰幅の良い年配の、如何にも『女主人』といった雰囲気を持つ中年女性が顔を見せた。
「なんだい?そんなに慌てて――黒髪の鬼神っ!?」
やはりその女性も俺の顔を見るなり吃驚し、男性と同じように声を上げた。
「貴女がここのご主人か、俺の顔を御存知のようだが、改めて俺は王宮近衛指揮官のライ・ラムサスという。ここに務めている踊り子のリーマ・テレノア嬢について話があるのだが、少々御時間を頂けないだろうか?」
そうして俺は、ミセス・マムと呼ばれたこの女性にあるお願いをすることにした。
「――リ、リーマとあんた…いえ、あなた様が恋人同士!?」
無理もないが、女主人は卒倒しそうなほどに驚き、目を白黒させていた。その様子から見ても、リーマは真実俺とのことを誰にも話さず周囲に隠していたのだと改めて認識する。
「ああ、そうだ。彼女とは国際商業市の日に知り合い、以降周囲に関係を隠しながら影で付き合いを続けて来た。」
この下町で女だてらに酒場を切り盛りし、時には破落戸や柄の悪い客をもその迫力で追い返すという女主人は、リーマから話に聞いていた通りの人物のようで、俺がリーマとのことを打ち明けると、真っ先にこんな質問をしてきた。
「ちょ、ちょっと待っとくれよ、あんたが民間人寄りの人間で、下町でも評判が良いのは知ってるさね、けど王宮近衛指揮官と下町の踊り子なんて身分差がありすぎるだろう!?リーマは身持ちの堅いしっかりした娘なんだ、あんたあの娘を玩んでるんじゃないだろうね!?本気かい!?」
リーマからこのマロームという女性が母親のような存在で、普段彼女にどれほど良くしてくれているかという話は聞いていた。
自分の元で働く人間は自分にとっての家族なのだという信条を元に、身寄りのない若い娘達を身売りなどから守りつつ、踊り子として優先的に雇用しているらしい。
「身分差か…俺の今の立場が懸念材料だというのなら心配要らない。俺はそう遠くないうちに王宮近衛指揮官の職を辞する。」
そしてその後はエヴァンニュ王国を出てリーマを娶り、守護者として生きていくつもりでいることを女主人に話す。
俺がこんな話をするのはこの女性が初めてだ。だが誠意を持って正直に話さなければ、この女性は俺を信用してはくれないだろう。
逆に俺はこの女性を端から信用している。リーマを身持ちの堅い娘だと言い、俺が彼女を玩んでいるんじゃないのかと、真っ先に心配する人間だ。リーマを娘のように思ってくれているのは間違いないだろう。
俺はそれから、今後俺のことで国から予想外の公式発表や、様々な情報が出てくるだろうが、リーマに話せることは既に話してあることと、俺が彼女をどれほど大切に思っているかを伝え、女主人にはある頼み事をした。
その上で俺は、今日リーマに渡そうと思っていた物をリーマにではなく、このマロームという女主人に託すことにした。
「リーマになにかあった際はこれを城の警備兵に見せればいい。すぐに俺に知らせてくれる手筈になっている。」
それは俺が考えた、俺の知人が城にいる俺との連絡を取り易くするための手段で、特注で作った俺にしかわからない『紋章』を刻んだミスリル製の標板だ。
「そこに刻まれているのは俺が子供の頃にいた孤児院の紋章だ。今はこの世界のどこにも存在しない特別な紋章だから、間違われることもない。貴女にこれを託しておく。どうかこれからもリーマをよろしく頼む。」
俺が頭を下げると、女主人は戸惑いながら最後に問う。
「そりゃリーマはあたしにとっても娘同然だから言われるまでもないけど、あんた、初対面のあたしをそこまで信用していいのかい?」
俺は女主人に向けて微苦笑する。
「他意のある人間はそう言ったことを口にしないものだ。それにリーマは貴女のことを母親のように思い信用している。だから俺も貴女のことは信じる。」
「…そうかい、黒髪の鬼神と呼ばれるあんたにそこまで言われちゃあ、絶対裏切るわけには行かないね。」
任せておきな。マロームという名のこの女性は、そう言ってドン、と胸を叩くと、頼もしい笑顔を見せて俺の頼みを快く引き受けてくれた。
それから俺はアフローネを出ると、再びフードを被って顔を隠し、リーマを探しにとある場所へ向かった。
ウェイターのジョインという名のさっきの男性から、リーマは最近なにか悩んでいる事がある様子で失敗が増え、良く王都立公園の中部にある『ヴァンヌオーク』という木が植えられている林に一人でいることが多いと聞いたからだ。
王都立公園の中部にある林と言えば、俺がリーマと初めて出会った場所だ。
俺は公園に着くとリーマの姿を探して、俺があの日、寝そべってマイオス爺さんのことを考えていた、丸太のベンチがあった辺りへ急いだ。
執務室でトゥレンにペルラ王女との婚約は俺の本心からか、と聞かれて腹が立ち、イーヴやトゥレンは疑問を持ったとしても、俺の事情をなにも知らないリーマは、それが俺の本心だと信じてしまうのではないかと不安になった。
だがそれでも、リーマは俺を捨てたりしないだろう。彼女からはいつだって俺に対する包み込むような温かさと、無償の愛しか感じたことがない。リーマは出会った最初から全身でただ俺への深い愛情を訴えていた。
俺がそんな彼女を忘れて生きては行けないように、彼女も俺がいなければ生きて行けないはずだ。そんな確信があった。
そして俺は、俺がリーマと出会った場所にほど近い木陰のベンチで、俯き泣いているリーマをようやく見つける。
「リーマ!」
俺の声に顔を上げたリーマは、俺を見て立ち上がると、走って腕の中に飛び込んで来た。
「ライ…!」
俺はリーマを抱きしめ、涙に濡れたその頬を右手の指先で拭う。
「どうした、なぜ泣いている?あの派手な女になにをされた?」
「ごめんなさい…ごめんなさい、ライ…私…私っ…」
なにがあったのかと尋ねても、リーマはただ泣くばかりで、あのカレンという女について一切なにも話そうとはしなかった。
「一つだけ聞かせてくれ、アフローネの踊り子だというあのカレンという女は、俺がおまえに贈ったラカルティナン細工のペンダントを、我が物顔で首に提げていた。あれはリーマ、おまえがあの女にくれてやったのか?」
「…っ…」
リーマは否定も肯定もせず、普段は宝石の様に輝かせている水色の瞳に、零れんばかりの涙を滲ませるだけだった。
それだけでわかる。あの女はなんらかの形で、リーマから緑紅石のペンダントを奪ったのだ。
リーマは普段から他人を悪く言ったり、誰かを恨むような言葉を口にしない。貧しくても慎ましく生き、俺に対してもただ会えるだけでいいと、なにかを望むようなこともなかった。
そんなリーマに、俺が幼い頃から大好きだったラカルティナン細工を持たせ、唯一彼女が着飾れる高価な物としても、俺のこの自分が嫌いな瞳と同じ緑紅石を俺の代わりに傍に置かせてやりたかった。
もちろんリーマが、あの稀少なペンダントを大切にしてくれるだろうと思ったのもあったが、リーマと出会った日に偶然手に入れたのもなにかの縁だと感じていたこともあったのだ。
それをあの派手な女は奪ったのだ。
許せん。そうは思うが、証拠も無しに盗人呼ばわりするわけにも行かない。ここは一つヨシュアに相談してみるか。
ペンダントを奪い返すのは簡単だ。それこそ俺があの女を怒鳴りつけて首に手を伸ばし、鎖を引き千切ってでも取り返せばいいのだ。だがそれでは恐らく後々問題になるだろう。
俺はリーマを優しく抱きしめ、その髪を撫でながら言い聞かせる。
「もう泣くな、リーマ。ペンダントのことは俺がなんとかする。それとおまえが言いたくないのならなにも聞かないが、今度から俺のことでなにか困った時は、アフローネの女主人であるマローム殿を頼れ。」
「ミセス・マムを…?」
リーマは俺の腕の中で俺を見上げて目を見開く。リーマはこれまで俺の立場を考え、周囲には秘密にして来たのだろうが、近々城に花嫁修業の名目でペルラ王女がやって来る。
そうなれば俺は王女の手前、あまり自由な行動を取れなくなる可能性が高かった。
「ああ。俺は今後さらに忙しくなるだろう。それでもなるべくおまえに会う時間を作るつもりだが、会えない間におまえが一人で悩み苦しむようなことがないよう、おまえの傍にも俺達の味方が欲しかった。だから彼女には俺とおまえの関係を俺の方から打ち明けたんだ。」
「ライ…!私との関係が知られても良かったの…?どこから双壁のお二人の耳に入るかもわからないのに…!」
俺はいいんだ、と笑って返した。俺にとってはリーマの方が大事だ。イーヴやトゥレンにばれるのは困るが、そうなったらそうなったでその時はその時だ。
それに…少なくともあのアフローネの女主人は、細心の注意を払ってリーマを守ってくれることだろう。俺はそう信じた。
「もう一度言うリーマ。俺はおまえだけを愛している。この前は聞くことが出来なかったが、おまえは俺を信じてくれるか?」
俺の問いにリーマはいつものあの輝くような笑顔を見せる。
「信じるわ、ライ…あなたを愛してる。この先どんなことがあっても、私のこの気持ちは変わらないもの。」
そう言ってくれたリーマを、俺は再度強く抱きしめたのだった。
♢ ♢ ♢
「――本当に三日も経っていたのか…?」
転移魔法でパスラ峠に移動する前は、まだ三分の二ほどまでしか作られていなかったギルドの支店が、外観だけだが見ればすっかり出来上がっていた。
黒鳥族の建築技術は優秀で、魔法を使用しながら建てるため普通よりも早く出来上がるのは確かだが、さすがにあの状態からたったの三時間で出来上がるとは思えない。どうやら本当にそれほどの時間が経過しているみたいだった。
ならばどこでどう、時間が狂ったんだろう?
グリューネレイアとフェリューテラの時間軸はほぼ同じだから、向こうにいる間に三日も過ぎたとは考えられない。
…おかしい、幾ら考えても精々三時間ほどしか経っていないと思うんだが――
俺はいくら考えてもなぜそんなズレが生じたのかわけがわからず、首を捻った。
「そんで?なんでグリューネレイアに行ってたんだよ?」
「そうだ、我らに黙って消えた理由はなんだ?」
「予の君、予らにはそれを知る権利がありまするぞ。」
「いや、権利って…」
三者三様口々に俺がどうして黙っていなくなったのかを聞きたがる。
「別に悪気はなかったんだよ。単に急いでただけだし、傍に誰もいなかったから黙って行くことになっただけで、深い意味はないんだ。」
「は?深い意味もなくおまえは消えるのかよ。俺らすっげえ心配したんだぜ?」
言い方が悪かったのか、ウェンリーがムッとする。…参ったな。
うーん、どう説明しよう?『滅亡の書』については話していないんだよな。あの書は俺にしか読めないみたいだし、考えてみれば今まで俺一人の時(アテナを除いて)にしか出現していない。
まあどんなことでも俺が関係すると、納得して自然に受け入れてしまうのはウェンリーと七聖あるあるだけど、なんでかな…あの書物のことは、誰にも言わない方がいいような気がする。
ここは素直に謝るだけにしておくべきかな。
「三人とも心配をかけて悪かった。いなくなった理由についてはいずれ話すから、今は待ってくれないかな。」
「なんだよそれ…説明になってねえし。」
ウェンリーは納得出来ない様子だったが、シルヴァンとリヴは俺がこう言った以上、なにを聞いても無駄だと知っている。
二人はすぐに諦めて溜息を吐き、シルヴァンは「わかった、いずれだな。」とだけ口にすると、もうそれ以上は追求して来なかった。
そんなわけで『滅亡の書』が出現したことで、初めて転移魔法を使い(レインフォルスが協力してくれたみたいだが)パスラ峠に飛んだ俺は、『ミーリャ』という名の子供を宿した若い女性を助けることになった。
お腹の子はフェリューテラで普通に育てるだけの生命力を持っておらず、俺の目の前で流れかけたため、光属性古代魔法『リザレクション』を使用し、自分の霊力を分け与えたのだが…色々あってグリューネレイアから戻ってみればこんな状況で、俺はウェンリー、シルヴァン、リヴの三人に知らぬ間に随分と心配をかけてしまったようだ。
「予の君が留守の間に、ギルドの外観は出来上がってしまいましたぞ。ウルル殿の指示で既に内装と各設備の設置に入っておりまする。今日中には運営に漕ぎ着けそうですな。」
「そうか、なんというか…まあ、予定通りだな。ところでリヴ…何度も言うが、〝予の君〟はいい加減やめてくれって。ちゃんと名前を呼んでくれよ。」
「むう…善処致す。」
「――なんで不満げなんだ?」
こんな風に他愛のない会話をしていると、村の門番を頼んでいた豪胆者の『ホセ』という名の男性が、少し慌てた様子で俺を呼びに走って来た。
「ルーファス!ちょっと来てくれや、ガーター代表がピエールヴィから帰って来たんだが、守護者じゃなく守護騎士を連れて来たんだ!!」
「…え?」
俺達はホセと一緒に、その予期せぬ来訪者がいる場所へ走った。
ガーターさんはバセオラ村の臨時代表者として、ここから一番近い町に一週間ほど前から復興支援の協力要請をしに出かけていた。
一応この村の復興は俺が主体となって行っているが、俺と守護者になったばかりのリヴを含めた俺の仲間達は、全員がエヴァンニュ国籍の守護者だ。
この先も旅をする俺達は、当然だがここに移住するわけでもなく、シェナハーン国籍を得るわけでもないので、俺の名前でバセオラ村を運営していくわけにはいかない。
そこでガーターさんに直接出て貰うことになったのだが、行きは転移魔法石を渡して行って貰い、帰りはピエールヴィで守護者を雇って馬車で帰って来て貰う手筈になっていた。
――復興支援の申請が通ったのかどうかの返事もまだなのに、いきなり守護騎士が来るなんて妙だ。
シェナハーンとエヴァンニュは古くからの同盟国だし、隣国籍の俺達が勝手に動いても問題はないだろうと思っていたが、もしかしてなにか怪しまれたのか?
復興に携わる者として主な人員名簿を提出する必要があったから、馬鹿正直に自分達の名前を記入したけど、失敗したかな。
そんなことを考えながら先を急ぐ。
「フェルナンド!」
バセオラ村の門を入ってすぐにある村の広場で、フェルナンドとガーターさんを含めた複数の人が集まっていた。
近付くと見慣れない制服に身を包んだ五人ほどの男性陣と、その中心に立つ五人とは異なる衣服を着た男性がフェルナンドと話をしている。
「おう、来たかルーファス。なんかお偉いさんがいらしてんぞ。ウェンリーの知り合いなんだとよ。」
「え?」
守護騎士が来たと言うだけでも驚いたのに、フェルナンドから聞いたその台詞にさらに吃驚する。
「はあ?なんで俺――…って、ああっ!!」
「む…そなたはいつぞやの…!」
守護騎士の中でもかなりの長身で、動きやすそうな戦闘服に身を包んだその男性は、落ち着いた渋みのある褐色髪を三つ編みにして横に垂らし、錫杖を手に袈裟懸けにした小鞄を持っている。
そうしてその男性を見るなり、ウェンリーは指を差して吃驚した声を上げ、シルヴァンは少しだけ目を見開いてそう呟いた。
「やあ、ウェンリー君、その節はどうもありがとう。そちらの彼もご無沙汰している。」
「ログニックさん!?」
「知り合いか?シル。」
「…それほどではないが、一応な。」
俺を置き去りにしてそんな会話を交わすウェンリー達に、どうやら知り合いというのは本当らしいな、と思う。
そうこうしているとその男性は俺の前にスッと進み出て、愛想のいい穏やかな笑顔を見せると、俺に話しかけてきた。
「初めまして、王都シニスフォーラより参りました、魔法闘士のログニック・キエスと申します。貴方様がSランク級パーティー『太陽の希望』のリーダー、ルーファス・ラムザウアー様ですね?お会い出来る日を心よりお待ちしておりました。」
俺が名乗る前にそう言い当てて莞爾した彼は、次の瞬間、目の前に立って俺に深々と頭を下げた。
シェナハーン王国の『守護騎士』とは、エヴァンニュ王国で言うところの軍人に当たる。
近衛隊だ守備兵だと細かく分かれていない代わりに、それぞれの戦闘型や役割によって呼び名が決まっているそうだ。
中でも『魔法闘士』と呼ばれる要職には、魔法と武術に相当秀でた者しか就けず、主に国王の側近や親衛隊を担い、最も低い位でもエヴァンニュで言うところの近衛隊と同位にあるらしい。
――その守護騎士の中でも、かなりの高位にある『魔法闘士』を名乗る人物が今、案内した食堂の椅子に腰かけ、なぜだかにこにこしながら俺を見ている。
「…ええと…??」
この人、俺とは初対面なのに…なんでそんなに嬉しそうな顔をしているんだろう。
「先ずは改めて貴方様にはお礼を申し上げたい。ウェンリー君から話を伺っておられるかと思いますが、レイアーナ様を看取っていただいた上に、きちんと埋葬までしていただき心より感謝申し上げます。」
「ええっ?」
いきなりそんな風に言われてまた面食らう。なんの話だかさっぱりわけがわからなかったからだ。
「ご、ごめん!!ログニックさん、俺らあの後色々あって、ルーファスにまだなんも話してなかったんだよ…!!ホント、申し訳ねえ!!」
「おや…そうだったのか。」
両手を合わせてひたすら謝るウェンリーを見て、そうか、わけがわからないのはおまえのせいか、とウェンリーに残念感を抱く。
そうして詳しく話を聞くに、ログニックさんが言っているのは、あのヴァンヌ山で俺とウェンリーが埋葬した女性のことだと言うことを知る。おまけに、この話にはとんでもない真実が隠れていた。
「――あの女性が、シェナハーン王国の王妃陛下だったんですか…!?」
「うっそだろおぉ!?」
俺とウェンリーは、ログニックさんからそんな真実を聞かされて驚愕し、顔を見合わせた。
驚いたことにログニックさんは、国王陛下付きの守護騎士だったらしく、行方不明になった国王陛下と王妃陛下のことをずっと探していたそうだ。
「この話はここだけのものだとご承知いただきたいのですが、我が国の国王陛下と王妃陛下は、古代考古学に並々ならぬご興味を抱かれ、国内各地にある遺跡などの発掘にも積極的に携わっておられました。」
シェナハーン王国はエヴァンニュ王国と異なり、歴史を探究することに非常に熱心な国で、どこの国にも伝承としての話だけは存在しているのに、その一切が謎に包まれている『守護七聖主』と『守護七聖<セプテム・ガーディアン>』にもかなり詳しいのだと言う。
そうしてログニックさんからさらに話を聞くと、どうやら今は俺の手にある『キー・メダリオン』を、国内の古物商で最初に発見したのはその国王夫妻だったらしい。
「ガレオン様とレイアーナ様は、我が国にキー・メダリオンが存在していたことに愕然となさいました。なぜならあの古代遺物は守護七聖主の所有物で、『神魂の宝珠』と呼ばれる封印を解除するために、なくてはならない最重要遺物だったからです。」
ここまでログニックさんの話を黙って聞いていた俺達は、彼がなぜ守護七聖主や七聖に神魂の宝珠についてまで俺達に詳しく話し続けるのかと、疑問を抱いた。
――まさか、俺が守護七聖主だと知っているわけじゃないよな…?
言うまでもないが、俺達の存在と神魂の宝珠については、暗黒神やカオス、世界の滅亡にも関わるため、詳しい記録は殆ど残されていない。
それなのにこのログニックさんも含め、国王夫妻はいったいどこからそんな情報を得たのだろうか?
いくら古代考古学や歴史探求に熱心だったからと言って、俺達の情報をそこまで詳細に知ることはできないはずなのだ。
既にシルヴァンとリヴも俺と同じように訝り始め、眉間に皺を寄せている。そもそもこの人はなにをしにここへ来たのだろう?その目的もまだ聞いていない。
ログニックさんは尚も話し続け、最終的に国王夫妻は『キー・メダリオン』が本来ならば『イシリ・レコア』という獣人族の隠れ里に安置されているはずのものだと知り、ログニックさんの反対を押し切り、周囲に黙ってそれを戻しにエヴァンニュへ向かったのだと告げる。
――俺とウェンリーが埋葬した女性についてはわかったが、なぜそこまで俺達に事情を話して聞かせるんだろう?…これは俺の方からそう尋ねてみるべきなのだろうか。俺は悩む。
この人の行動は俺達に関わる話を聞かせ、その反応を見てなにか確かめようとでもしているようだ。
「えっと…ちょっといいかな?ログニックさん、シニスフォーラから来たって言ってたけど、前に俺に『アパト』って遺跡街に駐屯してるっつってなかった?レイアーナ様の家族もそこにいるとかって聞いたような気がすんだけど。」
ウェンリーがなにか気になったのか、俺が黙って考え込んでいる内に横からそんな質問をする。
「ええ、その通りです。ガレオン様とレイアーナ様の一人娘であるスザナ様は、現在もアパトに住んでいらっしゃいます。私は先日行われた夫妻の国葬以降、暫くの間シニスフォーラで現国王陛下シグルド様の補佐に就かせていただくことになりました。」
「…??えーと、いまいち良くわかんねえんだけど、今の国王陛下ってのは、前国王陛下の…??」
「弟君にあらせられます。さらにガレオン様にはもうお一方、妹君もおられるのですよ。」
「ああ、そゆこと!!」
これは余談だが、亡くなった国王夫妻は歴史探究にのめり込むあまり、生前から公務のその殆どを王太子殿下(現国王シグルド陛下)に任せていて、どうやら国王殿のある王都シニスフォーラには住んでいなかったらしい。
「ルーファス?」
「ああ、うん。」
俺が一人考え込んでいるのを見て、シルヴァンが声をかけてくる。ログニックさんの意図がなんであれ、ここで俺が選択を間違うと藪を突きかねない。
思いがけない縁で知り合うことにはなったが、俺はこれが初対面でこの人のことを全く知らず、感謝され礼を言われたからと言って、信用出来るかどうかはまた別の話だった。
悪い人には見えないが…少し探りを入れてみるか。そう思い、俺はログニックさんにこちらから質問をしてみることにした。
「ウェンリーが話の腰を折ってしまったみたいですみません。レイアーナ様のご事情については理解しましたが、ログニックさんは今日、なぜバセオラ村に?復興支援申請の事前調査かなにかでいらしたんですか?」
――もしそうだとしても多分それだけではないよな。そもそも俺とウェンリーがここにいることを知っていたようだし、どこで知ったのかを推測するなら申請書類しか考えられない。
だとすれば彼は、俺達が提出した書類にさえも目を通すことが可能な、国の仕事に関わるほどの重要人物なんだろうか?
となると、味方にすれば頼もしいが、敵に回すと非常に厄介な相手になる。
ログニックさんは俺の質問の意図を理解したのか、笑顔を崩さずすぐに答えを返してくる。
「いえ、既にここの代表者であるガーター殿にはお伝えしましたが、復興支援の申請は問題なく通させていただきました。私が連れて来た五名の守護騎士は本日よりバセオラ村に滞在し、街道復旧のための調査を行います。」
「…ああ、そうなんですね。」
それであの人数でここへ来たのか。…ありがたいとは思うが、随分と手回しがいいな。
「てかさ、ログニックさん、俺らがここにいるって知ってて来たんだよな?なんでんなこと知ってんの?俺らになんか用事?」
――人が藪を突かないようにと慎重に言葉を選んでいるのに、横でウェンリーがその全てをぶち壊すような口を挟んだ。
「ウェンリー…!」
「ん?なんだよ?」
なにも理解していないのか、端からこの人を疑ってもいないのか、ウェンリーはキョトンとして俺を見る。
はあ…勘弁して欲しい。なんでもすぐ疑問に思ったことを口に出せばいいというものじゃないだろう。
俺の表情から心情を察したのか、ログニックさんは同情するかのように微苦笑してウェンリーに答える。
だがその口から出た言葉に、直後この場の空気が一変した。
「ふふ、ヴァンヌ山で初めてあった時にも思ったが、ウェンリー君は正直だし真っ直ぐ過ぎて交渉や駆け引きには向かないね。…まあ君はルーファス様を守る守護七聖<セプテム・ガーディアン>ではないから、それも仕方がないのかな?」
「「「!!」」」
ガタガタンッ
ログニックさんの含み笑いとその台詞に、シルヴァンとリヴが瞬時に反応して椅子から立ち上がると、すぐさま俺の両脇に立って身構えた。
彼は尚もその笑顔を崩さず、オレンジピンクの瞳で真っ直ぐ俺を見据えると、「やはり貴方様が『太陽の希望』と呼ばれた『守護七聖主』なのですね。」と確信を得たように言ったのだった。
次回、仕上がり次第アップします。