127 消えかけた命を救うために
積んであった本の中から、『滅亡の書』を見つけたルーファスは、その内容に慌てて家を飛び出すと、レインフォルスの手を借り、使えないはずの転移魔法でパスラ峠と思しき場所に移動しました。そこで空から落ちて来た『ミーリャ』と言う女性を助けましたが…?
【 第百二十七話 消えかけた命を救うために 】
その亜麻色髪の女性は、涙を流しながら縋るような瞳で俺を見ていた。
「お腹に子供…?妊娠しているのか、父親はどうしたんだ?」
口が利けないらしい女性の唇の動きから、どうにかその言葉を読み取った俺は、あまりにも驚いて先ず初めにそれを尋ねる。
すると女性は大きく首を横に振って、悲し気に俯いた。
――なにか理由があって傍にいないのか、もしくは既にこの世にいない?…そのどちらなのかはわからないが、とにかくこの女性とお腹の子を守ってくれる人間はいないんだな。
「…そうか。さっきも言ったが、俺はSランク級守護者のルーファスだ。あなたの名前を教えてくれるか?」
顔を上げた女性は、またその唇をゆっくり動かして『ミーリャ』と名乗った。
「わかった、ミーリャと呼ばせて貰うよ。ミーリャ、あなたはお腹の子が殺されると言ったが、あなた自身も誰かに襲われたのか?崖の上から落ちて来たところを見るに、突き落とされるかなにかされたんじゃないかと思ったんだが…」
ミーリャはこくりと小さく頷く。
「…やっぱりか、理由はわからないが、あなたもそのお腹の子も誰かに命を狙われているんだな。それなら安全なところに辿り着くまで、俺があなた達を守るよ。行く当てはあるのか?」
俺の問いに対してミーリャは声が出ないことを忘れたかのように、一度パクパクと口を動かしてから、ハッと喉を押さえて視線を落とす。
その様子に違和感を感じた俺は、彼女は生まれつき口が利けないというわけじゃなさそうだと言うことに気づいた。
喉元に傷があるわけでもない…病気かなにかで声が出なくなったのか?それなら俺の治癒魔法で治せるかもしれないな。
「声が出ないせいで喋れないのなら、不自由だよな。良かったら俺が喉を見てあげるよ。俺は治癒魔法が使えるから、もしかしたら治してあげられるかもしれない。」
彼女は俺を見て一瞬戸惑ったような表情をしたが、重ねた両手を胸元に当てて申し訳なさそうに顔を傾ける。
俺は安心させるために、大丈夫だから、と一声かけると、ミーリャに治癒魔法を施そうとした。すると――
俺がいつも通り治癒魔法を放った瞬間に、ミーリャの喉元から複雑な立方形の魔法陣が輝き、魔法吸引と効果消去、呪文反射に霊力攻撃の多重紋が発動した。
「な…」
俺はすぐさま治癒魔法をかけていたその手を止める。
――これは…呪詛!?呪詛による声帯封印か…!!…しかもこれは…
「ミーリャ…あなたの声が出ない原因は、病気とかではなく『呪詛』によるものだ。誰かに呪いをかけられたような覚えはあるか?」
「――。」
ミーリャは否定も肯定もせず、ただ視線を落とした。その態度を見るに、声が出なくなった原因については心当たりがあるようだ。
「申し訳ないが、この呪詛は俺でも解除が不可能だ。術式が複雑すぎて無理に弄ればあなたの身にどんな危険が及ぶかわからない。お腹の子のこともあるし、できれば治してあげたかったんだけど…すまない。」
彼女は横に首を振って俺に微笑む。それはまるで、初めから治せないことがわかっていたかのようだった。
「――とにかくずっとここにいるのは、あなたとお腹の子には良くないな。雨に濡れたままでは身体が冷え切ってしまう。…どこか近くに安全に休めるような場所があれば良いんだけど…」
俺は立ち上がって再度広域探査をしてみたが、やっぱり頭にいつもの地図は出て来なかった。…魔力を封じられているわけでもないのに、こんなことは初めてだ。
ここがパスラ峠なら、すぐ傍には小規模の集落と商業地があるはずだ。だけど彼女達の命を狙っている人間も同時にそこで待ち伏せているかもしれない。
――どうする?慌てていて転移魔法石は持って来なかったから、もう一度俺の転移魔法が使えるか試してみるか?バセオラ村に戻ればウェンリー達がいるし、みんなの手を借りることも出来るだろう。
それにルフィルディルに一度帰ってから、マリーウェザーに彼女を見ていて貰えれば、今後匿うことも出来るかもしれない。
強く打ち付ける雨に、急いだ方が良いなと、ミーリャの方を振り返った時だ。
「…!?」
目を離したのは僅かな時間だったのに、いつの間にか彼女は両腕でお腹を抱えて蹲り、その場で酷く苦しんでいた。ミーリャは声が出せないために、俺は余所見をしていてすぐに気付かなかったのだ。
「ミーリャ!?」
俺は慌てて駆け寄ると、すぐに彼女の状態を見た。
「どうしたんだ、お腹が痛むのか!?」
ミーリャの額からは脂汗が幾筋も流れており、血の気が引いて真っ青だ。苦悶の表情を浮かべながら歯を食いしばり、お腹を抱えているところを見るに、子供になにか異変が起きたのかもしれないと思った。
――母親の胎内にいる子供に、外から施す治癒魔法は効くのか…!?わからないが、やってみるしかない…!!
俺は急いでミーリャのお腹に手を当てて、直接治癒魔法をかけてみる。すると問題なく赤子に効果は届きそうだったが、そこに宿る小さな命の持つ生命力が、極端に弱いことに気付いた。
随分と命の光が弱々しい…心臓は動いているが、まだちゃんとした人の形にすらなっていないのに、この子の持つ霊力が少なすぎるのか。…これじゃこの先、いつ母胎から流れてしまってもおかしくない。
滅亡の書に記されていた『最後の希望』とは、母親であるミーリャのことなのか、お腹の子供のことなのか…どっちなのだろう。それとも、その両方とか…?
どちらにせよここでお腹の子を死なせるわけには行かない。…一時凌ぎにしかならないだろうが、この場は古代魔法『リザレクション』を使って、俺の霊力を子に分け与えるしかないか…!
俺は降りしきる雨の中、治癒魔法をかけ続けながら、それと同時に古代魔法『リザレクション』の詠唱に入った。
「『我が唱えし生命の詩は、我が命の灯を去りゆく汝に分くるものなり。天命尽くは今この時に非ず、我が祝福が汝の魂に再び輝きを与えん。蘇れ死の淵に立つ者よ、至高天位聖呪リザレクション』…!!」
――古代魔法が発動したその瞬間、俺の中からごっそりと大量の霊力がお腹の子に移動して行き、俺は気を失う寸前になるほどの強烈な眩暈を引き起こす。
以前獣人族の女性獣人を蘇生した時よりも、遙かに多くの生命力が奪われたような感じがした。
…不味いな、これだけ一度に俺の霊力が奪われるほどだと、ミーリャのお腹の子は、フェリューテラのこの霊力が減りつつある環境では、無事に生まれてくることさえ出来ないかもしれない。
常に俺が傍にいて、異常を感知する度にリザレクションを使い、霊力を分け与えてやれれば良いが…それでは俺はミーリャから一切離れることが出来なくなってしまう。
俺は古代魔法によって、この場は落ち着いた様子のミーリャを見ながら、今後どうするべきかを必死に考えた。
ミーリャの子が無事に育つには、大量の霊力が必要だ。通常の環境でも母親であるミーリャがその呼吸から、十分な量のそれを補充可能になるような…
フェリューテラにも探せばどこかに、魔物が少なく霊力が満ちているような場所はあるだろう。ただそう言った場所は恐らく、人間が住めるような環境じゃない。
例えば活火山のマグマ溜まりとか、なにもかもが凍り付いた極寒冷地とかだったりするからだ。
人が普通に暮らせる環境で霊力が豊富な場所となると、俺が知る限りでは精霊界グリューネレイアぐらいしか思いつかない。
――でも…そうか、ルイン・リベルにあった『フェリューテラの誰にも決して見つからない場所』と言うのは、もしかしたら…そう言うことなのかもしれない。
ただどんな事情があったとしても、俺がマルティルに頼んで、精霊族は人族の女性を受け入れてくれるだろうか…?多分過去にも前例のない話だと思うんだよな。
「…悩むよりマルティルに相談した方が早いな。」
俺は意を決して無限収納から『精霊の鏡』を取り出すと、再び気を失ってしまったミーリャの横でマルティルに連絡を取ることにした。
すると意外なことにマルティルは、すぐにミーリャをグリューネレイアに連れて来るように、と快諾してくれる。
おまけに近くには精霊の泉がないため、迎えまで寄越すと言ってくれたのだ。
正直に言って、気を失っている上にお腹の子の容態が心配なままのミーリャを連れて、この近辺にはどこにあるのかわからない精霊の泉まで移動するのはかなり危険だと思っていた。…なのでマルティルのその気遣いはとても嬉しく、心底安堵したのは言うまでもない。
それから程なくして俺の前に現れてくれたのは、守護七聖<セプテム・ガーディアン>ネビュラ・ルターシュの母であり、闇精霊の領地『オプスキュリタス』を治める闇の大精霊『テネブラエ』だった。
『――お久しゅうございまする、守護七聖主様。僭越ながらこのテネブラエがグリューネレイアのマルティル様の御元までお連れ致しましょうぞ。』
降り続ける雨の中、防水布と毛布に包んだミーリャを抱きかかえる俺に、テネブラエはそんな挨拶をする。
闇の大精霊『テネブラエ』はこちらの世界で、天鵞絨のような漆黒の毛並みに、鼻の辺りから胸元にかけてが灰色をした、しなやかな躯体の豹に似た姿をしている。
ネビュラと同じ金色に光る鋭い瞳を持ち、長く伸びた尻尾は二股に分かれ、その先には紫色の炎が二つ燃えていた。
そしてネビュラと大きく違うのは、その背中に大きな闇色の二枚羽根が生えているところだ。
「あなたは…もしかしてネビュラの?…いや、代替わりしているから違うか。」
『いいえ、ネビュラ・ルターシュは我が息子の一人でする。もしやお忘れか?我は黒水晶ある限り、望まぬ死を迎えることはありませぬ。』
「…そうだったのか、覚えていなくてすまない。」
闇の大精霊テネブラエは、その金色の瞳を細めて俺に気にするなと言ってくれる。
その後会話もそこそこにして、俺はミーリャを抱いたまま、テネブラエの力である『スキア・ヒュポノモス』という名の精霊魔法(闇の隧道という意味らしい)で、無事にマルティルの元まで連れて行って貰った。
マルティルはミーリャを連れた俺を、世界樹ユグドラシルが良く見える場所に建つ、深い緑に囲まれた小さな庵まで案内してくれた。
そこには既にミーリャが暮らしていけるだけの設備が用意されていて、ミーリャの世話をしてくれる妖精族まで付けてくれるという。
俺はマルティルに心からの礼を言うと、ミーリャを用意されていた寝台に横たわらせ、スキル『真眼』と解析魔法『アナライズ』を使って、お腹の子の様子を具に調べた。
「――良かった、思った通りだ。グリューネレイアに満ちた霊力の中でなら、この子はちゃんと育って、きっと無事に生まれてくることが出来るだろう。母親の胎内から生まれ出ることさえ出来れば、後は多少生命力が弱くても、成長するにつれて強く生きていくことも可能になるはずだ。」
俺は解析魔法アナライズで、ミーリャの呼吸から取り込まれた霊力がお腹の子にきちんと届いているのを確認し、状態が安定したのを見てほっと胸を撫で下ろした。
「ありがとう、マルティル。通常では考えられないような急な頼みだったのに、受け入れてくれて本当に助かったよ。でなければミーリャの子はいずれ流れてしまったかもしれない。」
俺は横に並び立つマルティルにもう一度礼を言って微笑みかけた。マルティルはいつものように穏やかな笑顔を見せると、不思議なことを口にする。
「いいえ、あなたからお話を聞いてもしや、と思い、事前に準備をしておいて良かったわ。」
「…?」
事前に準備?
マルティルの言葉に小さな違和感を感じて、俺は首を捻った。
「ところでこの方は、なにか呪詛のようなものを受けていらっしゃるようですが、大丈夫なのですか?」
精霊族は不浄なるものや、呪いの類いを嫌うため、それらの気配にはとても敏感で、その痕跡や施されている魔法紋をも目敏く察知する。
当然だがマルティルもそんな呪いの気配に気づいたようで、普段は穏やかなその顔にも不快感を示す皺を寄せていた。
「ああ、マルティルにもわかるか…うん、とりあえず声帯を封じられていて声が出せないこと以外は、特に問題ないみたいだ。母子ともに誰かに命を狙われていたようだし、もしかしたらなにかの口封じのために、声が出せなくなるような呪詛を施されたのかもしれない。」
「…まあ…それは可哀相に。言葉も話せないとなると子を宿していたのに、お一人でさぞ心細かったでしょうね。」
「…うん。」
マルティルは優しい。俺がフェリューテラから、精霊族が嫌う呪詛の類いを持ち込んだような形になったのに、それでもミーリャを気遣ってくれる。
それから俺はマルティルに、滅亡の書のことは知らせず、ミーリャとお腹の子が今後世界の滅亡を防ぐための、『最後の希望』となる存在であることを掻い摘まんで話した。
「彼女達にどんな役割があるのかはまだわからないけれど、失われれば取り返しの付かないことになるかもしれない。だから無事に子供が生まれるまでは、このままグリューネレイアで匿って欲しいんだ。もちろん、俺も時々様子を見に来るし、なにか問題が起きたりしたらすぐに駆け付ける。勝手なお願いなんだけど、頼めるかな?」
「ええ、もちろんです、ルーファス。他でもないあなたの頼みですもの。…けれど彼女の方はどうかしら?ここがフェリューテラではないと知ったら、怖がるのではなくて?」
マルティルの懸念も俺自身考えたが、なにより子を守ろうとする母親というのは強いものだ。
ミーリャは初対面の俺に助けを求めた時点で、お腹の子の命が守られるのならそれだけで良いと考えていたに違いない。ならばここがどこであっても、きちんと説明すれば逆に安心するのではないかと思う。
「どうかな…とりあえず目を覚ますのを待って話してみるよ。」
マルティルにはミーリャが目を覚まし、ここが精霊界グリューネレアであることを話した後でまた、改めて顔合わせをすることにして一度庵を後にして貰った。
俺は傍にいた二人の妖精族に、ミーリャの濡れた衣服を着替えさせてくれるように頼むと、席を外して外へ出た。
この庵がある場所は、木精霊の森に囲まれているようで、草地に様々な花の咲き乱れる庭を進むと、すぐ傍に立っていた巨大な『トレント』が遥か上から俺を見下ろして挨拶をしてきた。
トレントは樹木に宿る木精霊で、グリューネレイアでも大樹そのものの姿をしている。木の洞のような目と口に枝の鼻を持ち、地面の下に埋まっている根が足で、幹から左右に伸びる葉の生い茂った二本の太い枝が両腕だ。
非常にゆっくりとした速度ではあるが自力歩行が可能で、今は殆ど残っていないそうだが、フェリューテラでもより定住しやすい地を求めて移動することがあるらしい。
精霊族の中でも、外敵から特定の地域を守る守護壁役として非常に優秀な番人で、彼らがこの庵を守ってくれるのなら、一部の精霊族に人族であるミーリャへの不満が向いたとしても、危害を加えられる恐れは皆無だ。
因みにミーリャが『識者』ではなかったとしても、このグリューネレイアでは実体のある精霊族と普通に対面することも可能だ。
種族によっては人語を話せない精霊もいるが、大半は会話も普通に出来る。ただ声が出ないのはミーリャの方なので、意思の疎通を図るにはなにか別の手段を考えなければならない。
「俺や獣人族みたいに思念伝達が使えれば楽だけど…彼女は魔力が使える人かな?」
そんな独り言を呟く。
暫くして俺が庵に戻ると、寝台で目を覚ましたミーリャは妖精族に怖がらないようにと優しく声をかけられていた。
「ああ、ありがとう、代わるよ。妖精族の…ええと――」
「私はフィアリィの娘『フルール』と…こちらは同じく妹の『アントス』と申します、ルーファス様。」
フィアリィ…確か妖精族の女王様だったよな。マルティルはミーリャの世話をしてくれる精霊選びにも相当気を使ってくれたみたいだ。
妖精族は人族に悪戯をすることも多いが知性が高く、マルティルには特に深い忠誠を捧げているという種族だ。その女王の娘達なら、親身になってミーリャを見てくれることだろう。
「そうか、フルールにアントス、これから暫くの間、ミーリャのことをよろしく頼むよ。すまないが彼女と話をするから、暫く席を外して貰えるかな。」
「…はい、かしこまりました。」
ほんの一瞬だけ極短い間があったように感じたが、そう返事をすると妖精族の二人は俺に頭を下げてすぐに別室へと下がって行った。
…?今の間はなんだったのかな。…まあいいか。
俺はそれ以上気にせずに、寝台で上半身を起こし、大きなふかふかの枕を背当てにして楽な態勢を取っていたミーリャの横に、傍にあった草木の椅子を引っ張ってくると腰を下ろした。
「少し落ち着いたかな?これからこの場所についてと、今後のあなたについて話をするから、あまり驚かずに聞いて欲しい。とりあえずまず最初にこれだけは言っておくよ。さっきは危なかったが、ここにいる限りお腹の子はもう大丈夫だから安心していい。」
俺がそう言うと、ミーリャは感極まったかのように、両手で顔を覆って泣き出した。…余程怖い思いをし、気を張っていたのだろう。
それから俺はここがフェリューテラではなく、精霊族の世界『グリューネレイア』と呼ばれる場所であることや、ここにミーリャを連れてきた理由についてもゆっくり説明した。
ミーリャは真剣に俺の話を聞いて、時折伝え難そうにしながらも、どうしてもわからないことなどを俺に質問してきた。
その結果は俺が予想していた通りで、お腹の子が無事に生まれるまで精霊族の世話になることを承諾し、心から安堵の笑顔を浮かべると俺に頭を下げて感謝を表して来た。
俺はミーリャをマルティルに会わせるため、彼女の手を引いてマルティルの玉座を訪れると、もう一度精霊族に改めてミーリャのことを頼む。
なにかあればマルティルとはいつでも連絡が取れるし、定期的に様子を見に来ることを再度約束すると、後はマルティルとフルール達にミーリャを任せてフェリューテラに帰ることにした。
「えーと…どこからバセオラに帰るかな。」
ああ、でもグリューネレイアからなら、水精霊の泉に直接出られるかもしれないな。…うん、そうしよう。
「となると誰かに道案内を頼まないとならないか。」
そう思い近くに立っていた衛兵に声をかけようとした。すると…
「ルーファス様。」
俺を呼ぶ声が聞こえ、そちらに顔を向けると妖精族のリーフが足早に駆けてくる。
「シェナハーン王国のバセオラ村に帰られるのですよね?精霊門までご案内致します。」
「リーフ…ありがとう、今誰かにお願いしようかと思っていたんだ。」
『精霊門』というのは、そこを通って次元の狭間に入ることで、フェリューテラ側にある各地の『精霊の泉』や、接触地点を選択してそこから出られる特殊な出入り口のことだ。
グリューネレイアからフェリューテラ側に戻る際にだけ使用が可能で、精霊の導きがなければ普段は通ることも出来ない。
俺はリーフの横に並んで彼と歩き出すと、他愛のない雑談をしながら精霊門を目指した。
「ルーファス様は我々妖精族の女王、フィアリィ様を覚えておられますか?」
「…え?」
唐突にリーフから振られたそれは意外な問いだった。
「フィアリィ様と言うと、フルール達の母君だよな?…まさか過去の俺には面識があったのか?」
「はい。守護七聖<セプテム・ガーディアン>の方々については少しずつ記憶を取り戻されているとお聞きしたので、もしやと思いましたが、やはりまだ思い出されてはおられないのですね。フルールとアントスがとてもがっかりしていたので、そうではないかと思いました。」
――守護七聖?俺が七聖のことを思い出すのと、妖精族の女王を思い出すことになんの関係が…?
俺はその意味がわからず、困惑する。
「申し訳ありません、ルーファス様を混乱させるつもりはなかったのです。マルティル様から神魂の宝珠には、ルーファス様の記憶も一緒に封じられているのだと伺いました。ですからいずれ他の七聖の方々がお戻りになれば、女王様のことも思い出していただけると信じています。」
その時は是非妖精族の領地を訪れ、女王に会って欲しい、とリーフは言う。
…つまりは七聖の誰かと妖精族の女王には、なんらかの関わりがあった、ということなのかな?だから七聖の記憶が戻ると同時に、女王のことも思い出せるはずだと、そう言いたかったのかもしれない。
俺はそう考え、この場ではリーフにその時にはそうさせて貰うよ、と返事をするだけに留めたのだった。
そして俺はリーフの導きで精霊門をくぐると、アクエフルフィウスと繋がっているウンディーネの泉から、数時間ぶりにバセオラ村へと帰り着いた。
「ふう…あちこち移動して歩いてちょっと疲れたな。そう言えば昼飯もまだ食べてなかったんだっけ。」
そう呑気なことを思いながら、草を刈って整えた泉から村へと通じる小径を歩いて行くと、村では俺が黙っていなくなったことで大騒ぎになっていた。
そんなこととは露知らず、建築用の木材を肩に担いで運んでいた、黒鳥族の男性と目が合うと、俺は普段通りに「お疲れ様。」と声をかけて手を上げる。
黒鳥族の男性は酷く驚いた顔をしてその場に木材を降ろすと、かなり慌てた様子でなにかを叫びながら、あっという間にどこかへ走って行ってしまう。
「…え?」
俺は上げた右手をそのままに、呆然として彼が走って行った方向を見ていた。するとすぐに近くの建物の中から、ウェンリーとシルヴァンに、リヴやフェルナンド達までもが血相を変えて飛び出して来る。
「ルーファス!!」
彼らはバタバタと駆け寄って来て、あれよあれよという間に俺を取り囲むと、口々に今まで一人でいったいどこに行っていたんだ、と詰め寄った。
「えーと…なんか心配かけちゃったみたいなのかな?今はウンディーネの泉を通ってグリューネレイアから戻って来たところなんだけど…」
時間がなくて慌てていたために、黙って消えたのは悪かったと思ったけれども、俺はウェンリーやシルヴァン達の表情に、そこまで心配をかけるとは思わなかったな、と戸惑う。
「グリューネレイアだと?精霊界に行っていたのか…道理でどこを探しても見つからぬわけだ…!」
シルヴァンは半分怒ったような顔をして首を振る。
「予の君…予がどれほどお探ししたとお思いか?シルは匂いの痕跡が村の中から出ていないと言うし、ウェンリーもフェルナンドも、直前まで普通にギルドの建築を見ていただけなのに、なぜ忽然といなくなるんだと顔色を変えるわで、誠に肝が冷えましたぞ…!!」
リヴは額に手を当てて、心配するあまりに倒れそうになった、というような演技をしてまでその胸の内を表して来る。
「…や、ちょっと大袈裟じゃないか?確かに黙っていなくなったのは俺が悪かったけど、まだ日暮れ前なんだし、たかが三時間ほど出ていただけでそこまで言わなくたって――」
「「「三時間!?」」」
俺の周囲にいたその全員が、一斉に口を揃えて復唱する。
「なに言ってんだよルーファス!!三時間じゃねえ、おまえ三日もいなくなってたんだぜ!?」
「――…三日…!?」
ウェンリーが俺の肩を掴んで言ったその言葉に、俺は驚愕したのだった。
♦ ♦ ♦
「――イーヴの妹が城に来ている?」
昼前の近衛の執務室で、午前中に済ませてしまいたかった書類仕事を前にして、俺は顔を上げた。
隣国の国葬に出席し帰国して以降、以前ほどではないにせよ、俺とイーヴ、トゥレンの間はずっとギクシャクしている。
それと言うのも俺がイーヴ達に対して一度軟化させていた態度を、再び硬化させたせいだ。
…腹を立てていたわけではない。ただイーヴとトゥレンはやはり今現在も俺の臣下なのではなく、あの男の忠臣なのだと思い知っただけだ。
もし二人の内どちらかが、事前に一言でもいい、あの男が企んでいたペルラ王女との縁談について俺の意思を問うてくれたなら、俺はイーヴとトゥレンを信頼しリーマがいることを打ち明けて、俺には王位を継ぐ意志など微塵もないことを話して聞かせたことだろう。
だが実際はそうはならなかった。
イーヴもトゥレンも縁談話を俺に隠し、トゥレンに至ってはサヴァン王家のシグルド陛下と示し合わせて、俺とペルラ王女を対面させたのだ。
それは俺の意思がどうであっても、あの男の言い付けに俺を従わせるという事実に他ならない。
あの男が俺をどう思っているかと言うことと、イーヴとトゥレンの俺に対する思惑が同じだとは思わないが、それでも最終的に俺になにをさせようとしているのか、俺をどうしたいのかということについて、望んでいることは合致しているのだろう。
そして今後もそこに、俺の心と意志が微塵も考慮されないと言うだけの話だ。
――俺は他人の思惑通りに動く操り人形じゃない。
失望、と言えばその通りなのかもしれん。貴族という家庭では、家のために生きるのはごく普通のことらしいし、俺とは生まれも育ちも違うイーヴ達には、どうしたって理解出来るはずがないのだ。
俺も王族として幼い頃からこの城で生きていたのなら、それを当たり前として受け入れられたのかもしれないが、俺はそう言う育ち方をしてこなかったのだから、仕方がないだろう。
そうして俺はイーヴとトゥレンの二人との間に、一線を引くことに決めたのだった。
二人なら俺がエヴァンニュから逃げ出そうとしても、理解してついて来てくれるのではないかと期待したこともあったが…そんな考えはもう捨てる。
俺はあの男が心底恐ろしい。命を狙われて殺される方がどんなにかマシだと思えるほどに、精神的に追い詰められ、本当の意味で人形にされる前に…俺はここから逃げ出すのだ。
そう決めて下手な情など持たないように、二人に対する態度も意識してわざと変えたのに、どうしてこいつはそんな個人的な内容の話を俺に持って来るんだ。
――そんなうんざりしたくなる思いを顔には出さずに、俺は今の台詞を口にして聞き返した。
「はい。ライ様と王都立病院で別れた後に、裏通りの道端に座り込んでいる貴族の女性を見つけたのですが、その様子が気になって声をかけてみると、それがなんとウェルゼン家のご令嬢だったのです。」
「………。」
俺は書類に目を通しながら署名を書き込んでいた手を休め、その場で両手足を組むと、椅子の背もたれに体重をかけてギシリと軋ませた。
俺のその行動を話を聞く体勢だと判断したらしきトゥレンは、俺の顔色を窺うようにしながら話を続ける。
「イーヴの妹はまだ十八なのですが、ご両親が用意した良家の男性との縁談が嫌でプロバビリテから逃げて来たそうで、一度はイーヴに冷たく追い返されたものの、二日前からは俺がイーヴを説得し、イーヴの自室に滞在させていました。ですが…」
――十八?イーヴにはそんなに年の離れた妹がいたのか…そんな風には見えんな。しかも縁談が嫌で逃げ出して来ただと?…俺には結婚の意思を問おうともしないくせに、イーヴの妹には随分と親切なことだ。
「イーヴの方はヨシュアに休みを取らせていたこともあって、普通に仕事に出ていたな。…それで?おまえが言いたいのは、イーヴに休暇を取らせろと言うことか?」
「!はい!一日で良いのです、イーヴと妹のアリアンナティア嬢にゆっくり話の出来る時間を与えてやりたいと思いまして――」
トゥレンが最後まで話をする前に、なにが言いたいのかを俺が察すると、トゥレンはパアッと明るい表情になり、嬉しそうな声を出して俺を見た。
だが俺はそのトゥレンの言葉を途中で遮り、さっさと話を終わらせるために冷たく言い放つ。
「わかった、好きにしろ。午後はヨシュアが出て来てくれる、おまえもイーヴもいなくても問題はないから、もう下がっていいぞ。」
俺はわざとそんな言い方をしてトゥレンをさっさと行け、と言うように手で追い払った。
我ながら狭量だとは思うが、これは俺のトゥレンに対する細やかな嫌がらせだ。
そもそもおまえがペルラ王女と俺を引き合わせさえしなければ、俺が婚約を了承することもなかったんだ。
そんな思いがふと湧いてきたこともあり、嬉しそうな顔をしたのがなんだか許せなくなったのだ。
トゥレンは少し傷ついたような顔をして「失礼します。」と一言言って頭を下げると、執務室の扉に手をかけた。
俺はすぐに出て行くのだろうと思い、また休めていた手を動かし始めたが、なぜかいつまで経っても扉の開く音がして来ない。
「…?」
顔を上げてそこを見ると、トゥレンは俺に背を向けたまま扉の前で立ち止まっていた。
「なんだ、まだなにか用があるのか?」
そう声をかけると、トゥレンは振り返ってツカツカと俺の前に戻って来た。
「――ライ様、ペルラ王女殿下とのご婚約を受け入れられたのは、ご本心からなのですか?」
「…!」
――こいつ…!!
「…誰から話を聞いた?まだそのことは正式に発表されていないはずだぞ。なぜおまえが知っている…!!」
「ではやはり事実なのですね?ペルラ王女殿下がお気に召したのですか?それなら俺はなにも言うことはありませんが、もしそうでないのなら――」
俺はトゥレンの言葉に心底カッとなって手元にあった書類挟みを掴むと、トゥレンの顔を目掛けて投げつけた。
バンッ
「…!!」
トゥレンは一瞬ぎゅっと目を閉じると、それから顔を右手で庇う。
俺が投げつけた書類挟みは音を立てて床に落ち、挟んであった紙は衝撃でバラバラになって散乱した。
――どの口がそれを言う?おまえは俺の意思を無視して、俺と王女を結婚させようと企んだ。なのに今さら、それを聞いてどうしようと言うんだ…!!
「…出て行け。おまえも明日は休んで構わん、午後ももうここには来るな。」
俺は怒鳴る気にもなれなかった。
〝すみません、失礼しました。〟トゥレンはあの身体に似合わない小さな声でそれだけ言うと、今度はすぐに執務室を出て行く。
床に散らばった書類を屈んで拾い集めながら、俺はあの日、俺の前で凍り付いたリーマの顔を思い出す。
――俺がペルラ王女との婚約を決めたと告げた日、リーマは怒りも泣きもしなかった。
ほんの一時、ただその顔を酷く強張らせただけで、なぜ、とも、どうして、とも尋ねず、胸が痛くなるような悲しげな笑顔を見せて「わかったわ。」とだけ俺に返した。
リーマのその返事は、なにに対して〝わかった〟と言ったのか、俺は彼女に尋ねることが出来なかった。
あれから三日ほどになる。
リーマの心が読めず、もしかしたら俺に会いたくないと思う可能性を考えて間を空けることにしたが、今日は彼女の部屋を訪ねるつもりで、士官学校にいるジャンにリーマへの伝言を頼んでおいた。
いつものように昼には行くと伝えて貰ったが、リーマはこれまでと同じように笑顔で俺を出迎えてくれるだろうか。
そんな不安を抱えながら、俺は床に散らばった書類を全て集め、元通りに書類挟みに挟み直すと、それを片付けてから、机の上にヨシュア宛ての書き置きを残して執務室を後にする。
トゥレンのあの言葉のせいでとても仕事を続ける気分ではなくなってしまい、少し早いが昼の休憩を取ることにしたからだ。
城から出て表門から城門前広場に出ると、俺は外套を着てフードを目深に被り、黒髪と顔を隠しつつ下町へ急いだ。
俺はリーマを愛している。その気持ちに嘘偽りはなく、もし今回のことでリーマが俺を信じてくれないのなら、俺は何度でも彼女に俺の気持ちを伝えて、信じてくれるまで言い続けようと思っていた。
リーマが普段通りに俺を迎えてくれることを願って、リーマの部屋がある集合住宅の階段を駆け上がると、ほんの少しだけ息を切らせながら、リーマの部屋の扉を叩いた。
ガチャッ
「はい!」
そうしてすぐに扉が開き、俺はリーマの顔を見たくて待ちきれずに扉に手をかける。だが――
「リー…マ…?」
――最初に俺の目に飛び込んで来たのは、その目に突き刺さるような鮮やかな葡萄酒色の髪だった。
次にリーマのものとは異なる、強い香りの香水が鼻を突き、見覚えのない紫の瞳が俺を見上げる。
そうしてやけに胸元を強調した上質な布の衣服に、その首には俺がリーマに贈ったはずの、ラカルティナン細工のペンダントが光っていた。
「いらっしゃい!待ってたわ、ライ・ラムサスさん!!」
そこに立って俺を出迎えたのは、リーマとは似ても似つかない、派手な印象の女だった。
次回、仕上がり次第アップします。いつも読んでいただき、ありがとうございます!!