12 王都へ向かって
王宮の警備兵からライについての知らせを受けたイーヴとトゥレンは、急ぎ『紅翼の宮殿』へと駆け付けます。そこではライが酷く暴れていて…一方、ルーファスとウェンリーは王都を目指し、メクレンに辿り着いたようですが、そこではなにか問題が起きているようで…?
――王宮のあるこのエヴァンニュ王城の敷地は広大で、王都の四分の一ほどの広さがあり、大きく三つに分かれている。
一つは北から西側に広がる軍関連施設が集まる軍事地区で、ここにはアンドゥヴァリが停泊する船渠と主な整備場、車両保管庫などがあり、王国軍人の居住棟や訓練所、技術研究室が入った九階建ての軍事棟と、近衛隊、親衛隊などの独身寮など様々な建物がある。
次に二つ目、正面中央の王宮地区は、左右に二つの塔がある謁見殿と近衛隊の詰め所、主に城で働く使用人達の居住棟などがあり、ここと軍施設の一部地域は、許可さえあれば民間人が足を踏み入れることも可能だ。
最後に最も広大な王族が所有する地区だ。この地区は謁見殿から繋がる国王の居城『奥宮』と『紅翼の宮殿』、別棟の敷地内に建つ『山吹の宮殿』、王妃専用の『紫蘭の宮殿』の四つの建物があり、後は王家の墓地や森林が王都の外壁手前まで広がっている。
その中の『紅翼の宮殿』とは、謁見殿の東側に建つ渡り廊下で繋がった、三階建ての住居殿の呼び名だ。
この建物はある理由から五年ほど前に増築されたもので、完成してから現在まで宮殿内を整える使用人が通う以外、誰も住んでいなかった。
その宮殿の三階に、本人の断りなく移されたライの自室はあった。
イーヴとトゥレンが階段を駆け上がり、その三階の廊下に差し掛かった時、奥の方から硝子の割れるようなガシャーン、ガシャン、という音が繰り返し聞こえてきた。
二人が息を切らせてその部屋の前まで駆け付けると、扉を囲むように複数の使用人達が、ただオロオロとして遠巻きに室内を見ていた。
再びなにかを破壊する激しい音が廊下に響き渡る。
「この音は…!」
トゥレンが呟くと同時に、侍女の一人が二人に気づくと、慌てた様子で駆け寄って来た。
「イーヴ様、トゥレン様…!」
「アルマ、ライ様は…!?」
ベージュの布地に紅い線が一本、袖に入った制服を着たまだ若い侍女は、真っ青な顔色をして涙ぐみながらトゥレンの問いに答えた。
「な、中におられます…あ、あの、申し訳ございません!!私が余計なことを言ってしまいました…!!王宮近衛指揮官ご昇進についてお祝いを申し上げたらこのようなことに…ライ様が御存知ないとは思わず、本当に申し訳ありませんっ…!!」
そう言うと彼女はその場にわっと泣き崩れてしまう。
「イーヴ様、トゥレン様、私共ではとてもお止めできません。あのままではお怪我をなされてしまいます、どうかお早くライ様を…!!」
それなりに地位がありそうな中年男性の使用人が続けて深々と頭を下げる。
「わかりました、後は我々に任せなさい。暫くの間、誰もこの階には近付かないように。」
イーヴの指示を受けた使用人達は、各々返事をして頭を下げると、床に座り込んでいたアルマという名の侍女を立たせ、肩を抱くようにして一緒にこの場を去って行った。
イーヴとトゥレンは険しい顔をして、扉が開いたままの室内へと慎重に足を踏み入れる。
その部屋は、およそ一軍人に与えられるものとは思えぬ広さがあり、立派な調度品や家具が揃えられ、身分の高い人間が住むような環境に整えられていた。
だが内部は見るも無惨に荒らされて、鏡や陶器、硝子の破片が散らばっており、家具も引き倒されてめちゃくちゃになっていた。
その中で気でも狂ったように、元は室内灯の柄の部分だったと思われる金属の棒きれを振り回し、高価な壺だの飾り絵皿だのを叩き壊しているライがいた。
「ライ様!!」
「おやめください、なにをなさっておられるのです!?」
イーヴとトゥレンは臆することなく、すぐさま二人がかりで暴れるライを止めにかかった。
「うるさい、放せっ!!こんなもの…全部壊してやる…!!」
だがライは物凄い力で、掴まれた腕からイーヴとトゥレンの手を振り払うと瞬時に突き飛ばす。二人より身体が小さくとも、鍛えられた肉体から怒りと共に放たれる力には一切の遠慮がなく、対して傷付けまいとするイーヴ達は加減してライを完全には押さえ込めなかった。
「お静まり下さい!!ライ様!!」
結局この二人でも手がつけられず、ライの興奮は一向に静まる気配がない。
「だめだイーヴ、このままでは本当に御身を傷付けかねん、すぐに鎮静剤を――」
五分以上が過ぎ、もう薬に頼るしかないとトゥレンがそう言い出した時、背後から威厳のある声が室内に響いた。
「――これはいったいなんの騒ぎだ、ライ。」
怒鳴っているわけでもないのに、低く、凄味のあるその声は、ライが暴れる物音さえも遮り三人の耳に届くと、暴れていたライの動きをピタリと止めた。
振り返ったイーヴとトゥレンの目に飛び込んできたのは、ついさっき謁見の間で会ったばかりの国王ロバムの姿だった。
「こ…これは…国王陛下…!!」
イーヴとトゥレンは慌ててその場で跪くとすぐに頭を垂れる。
この紅翼の宮殿は厳重な警備体制の整った地区にあり、王族の出入りが想定されている宮殿だとは言え、国王その人がここまで一人で来るとは想像もしていなかった二人だった。
めちゃくちゃな部屋の状態に動じもせず、平然と近付いて来るロバム王のその手には、なにかの書簡が握られている。
「――貴様…なにをしにここへ来た…!!…出て行け!!!」
綽名としてそう呼ばれているのとは別の意味で、鬼神の如く激昂するライは、憎悪を込めた瞳でロバム王をギッと睨みつけると、いきなり側に置いてあった水差しをガッと掴んで投げつけた。
「陛下!!」
ガシャンッ
トゥレンは透かさず前に出て、飛んできた水差しを手で叩き落とす。その拍子に中の水が周囲に飛び散り、床に叩きつけられた水差しは音を立てて砕け散った。
ライの国王に対するこの行動は、普通であれば即座に斬り殺されてもおかしくない、決して許されない暴挙である。
しかしトゥレンに庇われたロバム王は、顔色一つ変えずに目の前のライを見て続けた。
「一年半ぶりに戻ったと言うのに、なぜ顔を見せぬ。この子供の癇癪ような部屋の状態はなんだ?物に当たり散らしたりなどせず、言いたいことがあるのならば、直接私に申せば良いであろう。」
「うるさい!!俺は貴様の顔など見たくない!!…出て行けと言ってるだろうが!!」
ライが今度は手の届く範囲にあった本を掴んで投げつける。だがロバム王は腹を立てる様子もなく、片手でそれを難なく防ぐと払い落とした。
「いけませんライ様!!」
いくらなにも言われずとも、王国に仕えるイーヴとトゥレンは、ただ黙って見ているわけにも行かずライを止めようとしたのだが、その二人をロバム王の方がすぐに手を上げて遮る。
それはロバム王がそんなライの行動を許容し、甘んじて受け止めている証だった。
「――大切な話があって来たのだ、少しは落ち着け。」
「は、俺にはない…!!勝手に部屋を移し、勝手に近衛に任命しておきながら、今さら大切な話?聞いたところでどうせ碌でもない命令をするだけだろう!!貴様は俺に人殺しをさせるだけでは飽き足らないのか!?」
尚も興奮し続け、一国の王を指さして罵り、ライは感情のままに怒りをぶつける。ところが…
「そうか、聞きたくはないか。ならばそれでも私は構わぬが、ファーディアのツェツハに住む『リグ・マイオス』という老人の話だ、と申してもその気は変わらぬのだな?」
「な…に…!?」
『リグ・マイオス』…そう聞いた途端に、ライは顔色を変えた。
それまでは囚われ檻に入れられた野生の狼のように、牙を剥いて唸り激しく吠え立てていたのに、今度は青ざめた顔をして手を伸ばすと、一転してロバム王に詰め寄る。
「…爺さんに……爺さんに、なにかあったのか…!?答えろ!!」
国王の衣服に手をかけようとしたライを、さすがにイーヴが間に入って止めると、距離を開けるようにそのまま強く押し返す。
その間もライの視線は国王に釘付けで、余程話の内容が気になるのか、イーヴ達の目にその顔は酷く動揺しているように見えた。
予想以上の反応をしたライに、ロバム王はほんの一瞬躊躇した顔をして、己が持って来た知らせを告げるべきか迷う。だが結局隠したところでいずれは知ることになるのだと思い直し、静かな落ち着いた声で口を開いた。
「――長い間難しい病を患っていると聞いていたが…つい先程訃報が届いたのだ。…残念ながら亡くなられたようだ。」
その左手に握られていた書簡を差し出されると、ライはそれをすぐさま奪い取り、食い入るように手紙を読んだ。
「…一月も前、に……?…なぜだ、薬で進行は止められていたはずだろう!!まだあれからたった四年しか経っていない…!!マイオス爺さんの年令なら、後十年は生きられたはずだぞ…!?」
〝どうして…〟と手紙を持ったまま、ライはガックリと膝を付き力なく項垂れた。
「その薬のことだが、担当していた医師の話ではもう…ずっと以前から投与を拒否し続けていたらしい。」
続くロバム王の言葉に、下を向いていたライの瞳が大きく見開かれる。
≪ 薬の投与を、拒否…?…聞いていない、そんな話はなに一つ…誰からも…!!≫
「誰の説得にも応じず、手の施しようがなかったと別筋から報告を受けている。」
俯いたまま悔しげに強く歯を食いしばると、ライは足脇に垂らしていた拳を、ギリリ、と掌に爪が食い込むほど強く握り締めた。
「その老人のことは…気の毒であったな。だがそなたにはもうここでの生活がある。ファーディアでのことはいい加減に忘れて、自分の立場というものを――」
――次の瞬間、ライは信じられない行動に出る。
シャッ
左腰に装備していた剣の柄に目にも止まらぬ速さで手をかけると、その残像のような刀身の光がライの右上まで鋭く走った。
「な…っ」
「ライ様!?」
そこから振り下ろされる閃光の一撃を、間に割って入ったイーヴの剣が寸前で受け止める。
ガギィンッ
それは、息も吐かせぬ一瞬の出来事だった。
突然立ち上がって動き、勤務中は常に装備している剣を引き抜くと、それを高く振り上げてライは無言でロバム王に斬りかかった。
普段からライの訓練相手をしていたイーヴだからこそ、咄嗟の行動がどうにか間に合ったのだった。
これにはロバム王も驚愕する。まさか自分がライにここまで憎まれているとは、思ってもいなかったからだった。
「ライ…!」
激しい憎悪から殺意を抱き、ただ一つの妄執に囚われた瞳で、ライは間にいるイーヴではなくその後ろに立つ国王を見る。
ギ…ギシッ
不気味な音を立て、ライの剣がイーヴの剣の刀身に食い込んで行った。
「そこをどけ、イーヴ。…俺の邪魔をするな…!!!」
「なりません、ライ様…!!剣をお引きください!!…あなたは…ご自分のお父上を斬られるおつもりですかっっ!!」
「黙れっっ!!!」
ガッ…ダアンッ
ライの力が勝り、吹っ飛ばされたイーヴは、すぐ脇の壁に強く背中から打ち付けられた。
「陛下!!」
バッ
すぐにトゥレンがロバム王とライの間に、両手を広げて立ちはだかる。それでもライの目は、ロバム王から微塵も動かなかった。
「――言うに事を欠いて〝気の毒〟だと…?俺が…俺があれほど頼んでも、ただの一度さえ会いに戻らせてくれなかったのは、誰だ…!!せめて薬を拒否していると知っていたなら…!俺の言葉でなら説得できたかもしれないものを…それを…っっ!!」
ライが再び振りかぶった剣を叩き下ろす。
「ライ、様…っ!!」
トゥレンが額から流れる汗を鼻先に滴らせ、斬られることを覚悟し悲痛な面持ちでライの顔を見た。
ガキインッ
次の瞬間、剣と剣がぶつかり合い、再度激しい音を立てる。
両手を広げたまま剣を抜こうとしなかったトゥレンではなく、またイーヴがライの攻撃を止めたのだ。
イーヴの手はその刀身から伝わる振動でビリビリと痺れていた。それほどライの憎悪は激しく、本気で国王に殺意を向けていた。
「どけと言っているイーヴ!!その男は、俺からなにもかもを奪う!!」
「お下がりください陛下!!」
トゥレンは急いで国王をさらに後ろに下がらせた。
「ロバム王!!俺の幸せだった平穏な日常を返せ!!」
「くっ…っ!!」
ガッギインッ…ガンッガカッ
凄まじい勢いでライがイーヴに襲いかかる。次々に振り下ろされる剣の重さに、ただひたすらイーヴはそれを受け止めることしか出来ずに、防戦一方になる。
「貴様のせいで俺は…俺は…っっ」
ガンッドガッ
「イーヴ!!」
猛攻を受け止めきれず、体勢を崩しそうになったイーヴを庇い、トゥレンが仕方なく剣を抜いてライの重たい最後の一撃をなんとか受け止めた。
それでもライの視線は尚もロバム王に向けられたままで、目の前のイーヴのこともトゥレンのことも、一切見ようとはしなかった。
「爺さんを…俺に残されていた、たった一人の家族を…返せえええええっ!!!!」
ドガッ
イーヴとトゥレンは叫びながら突っ込んで来たライに、二人同時の急所である腹部へ肘による強撃を叩き込み、ようやく止めることに成功した。
「ぐうっ…!!」
ガシャンッ
ライの手からその剣が音を立てて床に落ちる。
「…貴…様ら…」
この時になって二人にやっと目を向けたライは、そのまま気を失い、イーヴに向かって倒れ込んでしまった。
イーヴとトゥレンは全身にびっしょりと汗を掻き、はあはあと肩で激しく息をしながらも、ほっと安堵の息を吐く。
「へ…陛下、お怪我は…」
トゥレンは蹌踉めきながら国王に近付くと、すぐにその安否を確かめる。だがその手はガクガクと震えており、心の動揺が現れていた。
「…大丈夫だ。」
ライの叫びを聞き、さすがに平然とはしていられなかったロバム王は、気絶してイーヴに抱えられたライを、暫くの間その場でただ見つめていたのだった。
それから暫く後…ベッドで泥のように眠るライがいる寝室と、扉一枚隔てた隣のリビングルームでは、イーヴとトゥレンがめちゃくちゃになった室内の後片付けに追われていた。
床に散らばった硝子や陶器の破片を一つ一つ拾い上げ、箱の中に入れて行くと、大量の破片がその度にカチャンカチャンと音を立てている。
「――いったいこれはどういうことなのだ?」
ここで起きた出来事が信じられず、ブツブツとイーヴに聞こえるように話すのはトゥレンだ。
「いくら幼い頃に別れ、十七年間行方知れずだったと言っても、実の父親に剣で斬りかかるなど尋常ではないぞ…!すんでのところで大事には至らなかったから良かったものの、二人がかりでも防ぎきれなければどうなっていたことか…!!」
「――…。」
べらべらと愚痴と疑問を捲し立てるトゥレンに対し、イーヴはただ黙々と片付けを続けている。
「おいイーヴ!なんとか言ったらどうなのだ!?」
自分の父親を心から尊敬しており、大切に思っているトゥレンからしてみれば、ライの行動などどんな理由があっても理解できない、と思っていた。
正義感が強く真っ直ぐで実直なトゥレンは、自分を産み育ててくれた両親に感謝しこそすれ、憎むことなど微塵もあり得ないからだ。
それだけになにがなんだか理解できず、こんな大変なことが起きたのに、いつも通りのイーヴにイライラして、つい腹立ち紛れに言い放ったのだった。
そんなトゥレンの前でイーヴは、無言のままスッと立ち上がると、入口の扉近くに置いてあった掃除道具の中から麻袋を持ってくる。
「…ライ様の陛下に対する感情は、我々が思っていた以上に悪い状態にあったと言うことだろう。」
それに拾った破片を箱から移しながら、ぼそりと小さな声でイーヴはそう返した。
「そんなことはわかっている。だがその原因はなんだ?なぜライ様はああも陛下を…その、憎まれておられるのだ…!それがわからなければ、俺達としてもどうにも――」
そこまで口にしたところで、トゥレンははた、とあることを思い出す。
「そう言えばイーヴ、おまえはもしやなにか知っているのではないか?四年前、ファーディアに陛下のご命令でライ様を迎えに行ったのはおまえだ。先程のあの亡くなられたというご老人とは、ライ様とどのような関係が?〝残されたたった一人の家族〟とライ様は仰っておられたが…」
「――そのお言葉通りなのではないか。…確かにライ様をこの国へお連れしたのは私だが、得ている情報などたかが知れている。…ただ…マイオス老人のことは…ライ様にとってお身内も同然、実の祖父のように幼い頃から慕っておられたと聞いている。」
粉々になった細かい砂のような硝子を、小さめの箒で残らずちりとりに集めながらイーヴは続けた。
「ファーディアでは家族として同じ家に暮らし、病に倒れた後もライ様が働いてずっとお一人で面倒を見ておられたほどだ。ライ様にとっては…それこそ大切な御方だったのは間違いない。」
「な…それほどならばなぜご一緒にお連れしなかったのだ!?そうすれば少しはライ様だとて…!」
トゥレンを見てイーヴは大きく首を横に振った。
「当人の激しい拒絶は元より、ライ様とて…陛下の出された "取引" がなければ、恐らく今ここにはおられなかったのではないかと思う。」
「取引?その取引とはなんだ。」
「それは…」
イーヴがそのことについて話そうと口を開きかけた時、大きな物音がして隣室から扉を乱暴に開け放ちライが飛び込んで来た。
バンッ
「余計な話をするなイーヴ!!耳障りだ…!!」
「ライ様!」
トゥレンはまだふらついているライの姿を見るなり、駆け寄って支えようと手を伸ばした。だがライはトゥレンを睨み、その手を強烈に撥ね除ける。
「触るな!!俺の事情など知ってどうする、トゥレン。貴様らの役目は俺の監視だろう。」
不信と嫌悪の入り交じった憎しみの瞳を向け、ライは二人を見やる。
「おまえ達二人はずっとそうだ。俺がこの国へ来た日から、あの男の命令で俺が逃げ出さないよう…付き従う振りをして、常に監視している。なにかあれば逐一報告するあの男の忠実な飼い犬のくせに、俺自身の領域にまでズケズケと踏み込んでこようとするな…!!」
「な…ラ、ライ様…!!」
ライから突き刺さるような拒絶の言葉を浴びせられ、トゥレンは激しい衝撃を受けると、酷く傷付いた顔をした。
「――爺さんが死んだ今、もう俺にはこの国に留まらなければならない理由はなくなった。だからこそこの場で言っておく。俺はもう二度とあの男の思い通りにはならん…!この先どれだけ貴様らが邪魔をしようとも、俺は俺の好きにさせて貰う…!!わかったら、さっさとこの部屋から出て行け!!」
再び乱暴に扉を閉めると、寝室に戻って行ったライが、隣でなにかに八つ当たりをしている音が聞こえる。
「…今日はもうここから出ていった方が良さそうだ。でなければライ様も落ち着かれないだろう。行くぞ、トゥレン。」
「………。」
一通り片付け終わったものを纏めて廊下に出すと、イーヴとトゥレンは静かに扉を閉めてライの部屋を後にした。
シンと静まり返り、日の暮れかかった紅翼の宮殿の廊下を歩く二人は、夕焼けに染まる窓の外を見ながら暫くの間黙り込む。
「ライ様…陛下の飼い犬とはあんまりです。俺は…」
しょんぼりと項垂れるトゥレンに、イーヴは透かさず口を挟む。
「事実だろう。」
「イーヴ…!」
「違うのか?」
「…それは…っ…」
「今の我々はまだ陛下の臣下だ。あの方の信頼を得られず、必要とされない限りはそこから抜け出せない。」
反論出来ずにいるトゥレンから目を逸らさず、淡々とイーヴはそう言った。
トゥレンはこれまでの四年間、ライの傍に付き従って来た自分の行動を思い返す。
確かに過去、何度かライがファーディアに少しだけでもいいから戻りたい、と切実に訴えて来たのを覚えており、それを国王に報告しては却下され、監視を厳しくするように命じられて注意していたのだった。
それだけでなく、戦地でもライを決して一人にするなと言われ、ファーディアにほど近いミレトスラハから、いつもライがファーディアのある方向を見ていたのも知っていた。
確かに自分とイーヴは、ライが姿を消したりしないようにずっと傍で見て来たのだ、とトゥレンは胸を痛める。
「――確かに俺達はライ様のことを逐一細かく陛下にご報告している。だが俺は…少なくともライ様を監視しているとか、そのようなつもりでいたわけではない…!」
トゥレンの落ち込んだ顔にも動じず、イーヴは殆ど表情を変えなかった。
「俺はライ様にこの国を好きになって頂きたかった。そして行く行くは…」
トゥレンはその言葉を飲み込むと、隣を歩くイーヴを見て、おまえはなにも感じないのか?と尋ねる。イーヴだとて自分と同じ気持ちでいるはずだ、と信じて疑いもしないからだ。
「――我々がライ様のお心を開き、信頼を得るにはまだ時間がかかるのだろう。…いつかその時が来るまで、ただ待つ以外に方法はない。」
イーヴは静かにそう言って目を伏せる。遠ざかるライの部屋を振り返り、トゥレンはライの名を心の中でもう一度呟くのだった。
♢ ♢ ♢
ピュイーッ…ピロロロロ…
眩しいくらいに良く晴れた青空を、翼の大きな鳥が滑るように飛んで行く。
その気持ちの良さそうな鳴き声に空を見上げた俺は、目を細めて太陽の光に手を翳した。ヴァンヌ山は今日も普段通りだ。
夜明け前にヴァハを出た俺とウェンリーは、昼前、いつものように門で警備をしていたノクトと挨拶を交わし、メクレンの街中に入ると、その足で真っ直ぐ宿『REPOS』にリカルドを訪ねた。
これからウェンリーと二人で、数日間王都に出かけることを伝えておくためだった。
受付を素通りし、リカルドの部屋がある別棟の二階に上がって、廊下一番奥の部屋へ向かう。
コンコン、と二度扉を叩き、リカルドの名を呼んだのだが…室内から返事はなかった。
「――留守みたいだな。まあ急に来たし…仕方がないか。」
諦めて廊下を引き返すと、歩きながらウェンリーが俺に尋ねる。
「なあルーファス、あの野郎最高位守護者で高給取りのくせして、なんで宿屋暮らしなんだよ?」
へえ…なんだかんだ文句は言うくせに、リカルドのことが気にはなるのか。まあ興味を持ってくれるのなら、まるっきり無視して相手にしないよりはずっと良い。
ウェンリーからにせよリカルドからにせよ、あの険悪な状態から脱却出来る術が見つかるのなら、俺としても願ったりだ。そう思い、リカルドについて素直に知っていることを話すことにした。
「リカルドは元々この国の人間じゃないし、メクレンに長期滞在する気も最初はなかったんじゃないかな。ファーディアに自宅があるとか聞いたような気がする。そもそもあいつは忙しくて年中出かけてばかりなんだ、掃除だのなんだのしている暇なんてないんだろう。宿なら気を使わなくていいから楽なんだって言っていたよ。」
「…けっ、変な奴。」
こらこら、もしかしてただ難癖を付けて貶したかっただけなのか?
聞かれたから教えたのに、下唇を突き出して酷い顔をしているウェンリーを見ると、俺はリカルドがいなくても面白く無さそうな顔をするのは同じなのか、と苦笑した。
一階に降りてウェンリーには入口付近で待ってて貰い、俺は受付の帳場に向かうと、宿のご主人にリカルドへの伝言を頼むことにした。
――ルーファスがウェンリーから離れ、宿の主人と話している間、入口近くで待っていたウェンリーの耳に、宿泊客らしき人々の会話が聞こえて来る。
途切れ途切れの話の中に気になる単語を聞いたウェンリーは、耳を澄ませてそちらに意識を集中してみた。
すると、どうやらシャトル・バスがどうとか、魔物駆除協会がどうとか言っているようだ。ただ彼らの表情は困り果てていて、そのことからウェンリーは嫌な予感がすると、思い切ってその人達に声を掛けてみることにした。
「それじゃ、すみませんがリカルドが戻ったらよろしくお願いします。」
「はい、伝えておきますわ。また是非お越しくださいませ。」
俺が軽く頭を下げて、受付を離れようとしたその時、慌てた様子のウェンリーが走って来た。
「おいルーファス大変だ!今そこで聞いたんだけどさ、なんかシャトル・バスに問題が起きて全部止まっちまってるみたいなんだよ!!全便運休で復旧の見込みなしだって…!!」
「えっ…」
『シャトル・バス』とは、エヴァンニュ国内の主要な街同士を結ぶ箱形の乗り物のことで、長距離を移動するための主な民間交通手段だ。
メクレンからの出発便は一時間に二、三本の間隔で各地へ運行されていて、大体一度に三十人程度を運ぶことが可能な乗り物だ。
その動力源は魔法国カルバラーサ製の雷石<トールストーン>で、駆動音が比較的静かなため、魔物にも襲われにくい。また必ず決まった街道を通行しており、定期的にギルドが守護者を派遣して道中の安全を確保してもいるはずだった。
だからこそ滅多に運休…それも全便が停止することなどないのだが――
「えっそりゃ本当ですかい!?こりゃ大変だ、すぐに確認しねえと…おい、誰か!!」
ウェンリーの話を聞くと、宿のご主人は慌てて人を呼びにどこかへ行ってしまった。
「…俺達もシャトル・バスの発着所へ行ってみよう。なにが起きたのかわかるかもしれない。」
そのまま俺とウェンリーは宿を出て、足早にメクレンの交易地区に向かった。
ここの地区はメクレンの北側に位置する主に交通と流通関連の要所だ。最も大きい施設はシャトル・バスの運行発着所<通称:ターミナル>で、西はルクサール方面、北は王都方面、東はメソタニホブ方面へとそれぞれ行き先別の三箇所に分かれていた。
また周辺にはブリックストーンの大きな倉庫街があって、シャトル・バスの運営会社や整備工場、警備隊の北側詰め所や交易所などの他に、いくつかの商店も点在している。
俺達がそのターミナルに着いた時、そこは大勢の人で混乱していた。
各運行路の発着所に出発できない車両が五、六台停まっていたことから、確かめるまでもなく運休しているというのは事実のようだ。
人だかりから少し離れてその様子を窺うと、前方の人達はもう長い時間待たされているのか、対応に追われている運転手に怒号を浴びせていた。
「うわ、マジか…これじゃ親父んとこ行けねえじゃん。滅多に休みなんか取れねえのによ…!」
がっくりと肩を落としてウェンリーが俺の横で項垂れる。楽しみにしていたんだろうに、出鼻を挫かれて意気消沈するのは当然だ。
「――車両には特に問題なさそうだな。…ということは、運行路上に原因があるのか。」
俺はすぐ近くにいた年配の男性に話を聞いてみることにした。するとどうやら魔物が原因らしいと言うことがすぐにわかった。
それもかなり凶悪な類いに車両が襲われ、安全のために一切の運行を停止しているという。
「運営会社が急遽ギルドに緊急討伐の依頼を出したらしいが、討伐可能な守護者が見つからないんだろう、えらく手間取っている。」
男性は周囲の人々と同じように、困り果てた顔をしてそう教えてくれた。
魔物か…アラガト荒野に生息している類いなら、ここまで大事にはならないはずだ。守護者が見つからないことと言い、これは…少しまずいかもしれないな。
「その魔物の種類はわかりますか?大まかな情報でも良いんですが。」
ある程度の情報さえあれば、俺に単独での討伐が可能か判断が付く。
「おいルーファス、おまえまさか…!」
「話を聞くだけだよ、まだなにも言ってないだろう。」
俺の考えていることを早くも察知したウェンリーがすぐに反応した。ウェンリーは少し過剰に心配しすぎだと思うんだよな。俺の実力は認めてくれているようなのに、仕事となるとどうしてそんなに目くじらを立てるんだろう。
「うん?あんたもしかして守護者なのか?」
「はい。」
「おお、だったら頼むよ、腕が立ちそうだし是非なんとかしてくれないかな。見たとこあんたらも王都へ行くつもりだったんだろ?明日から六年ぶりの国際商業市だもんなあ…このままじゃいつまで経っても埒が明かなさそうだ。」
男性と近くで俺達の会話を聞いていた周囲の人達までもが同様に、期待の籠もった目で俺を見る。
「そうですね、出来ればそうしたいところですが…魔物の情報が得られないことにはなんとも…」
ジト目で俺を見ているウェンリーのことは一先ず置いておいて、どうしたものかと考える。言うまでもないが、事前に魔物の情報を知ることは俺達守護者にとって最重要だ。
対策を立てて準備を整えてから仕事にかからないと、当然失敗する可能性が高くなるからだ。大見得切って引き受けたはいいが、討伐できませんでした、じゃ話にならないだろう?それに信用問題にも関わる。
すると傍にいた年配の女性が、倉庫街の方向を指差して俺に話しかけてきた。
「だったらあそこに見える運営会社の本部に行ってみたらどうかしら?詳しい情報を教えてくれると思うわよ。」
運営会社の本部か…確かに情報は得られるだろうけど、行ったらそのまま仕事を引き受けることになりそうだな。…まあ、それはどうとでもなるか。
「わかりました、話だけでも聞きに行ってみます。」
ありがとう、と礼を言うと、こちらこそお願いね守護者さん!と笑顔で送り出され、そんなに期待されても困るなと思いつつ、微苦笑しながら俺はウェンリーと一緒にその場を離れた。
「こんな時に仕事するつもりなのかよ!?」と早速ウェンリーは顔を顰めて俺を責める。
「話を聞いてみて難しいようならやめておくさ。だけどおまえだって、せっかくなんだからラーンさんに会いたいだろう?」
「そ…、そりゃあ、まあ…」
素直に口には出さなくても、そうに決まっている。俺の記憶にある限り、ウェンリーはかれこれもう半年以上は父親と顔を合わせていないはずだ。
ウェンリーの親父さん…ラーンさんはかなり忙しい人で、俺も数えるほどしか会ったことはないのだが、温厚で包容力のある、譬えるなら大樹のような人で、俺のような得体の知れない人間にも分け隔てなく接してくれていた。
そのラーンさんが俺も一緒にと誘ってくれた王都行きだ。だからこそ俺自身も、なんとかして会いに行きたいという気持ちがあった。
数分で運営会社の看板が掲げられた本部前に辿り着くと、ここにもやっぱり人垣が出来ていて、口々に文句をがなり立てる人々の対応に、社員らしき男性も苦労している様子だった。
「魔物にシャトル・バスが襲われたと聞いたぞ!ギルドに依頼は出したんだろうな!?」
「いったいいつまで待たせるのよ!!守護者はまだ見つからないの!?」
「報酬金をケチっているんじゃないのか!?金額を上げてみたらどうだ!!」
「た、大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません!只今全力で対応に当たっておりますので、今暫くお待ちください!!」
…まるで運営会社が悪いような責め立て方だな。そもそも報酬金の額が問題なわけじゃない、守護者だって命がけになるんだと言うことを、この人達は忘れているんじゃないのか?聞こえてくる言葉から、やっぱり魔物が原因なのは間違いなさそうだけど…
――ここにいる人達は、少しぐらい落ち着いて解決されるまで待とうという気にはなれないのだろうか、と不快になる。
大声を上げて不満をぶつければなんとかなるというものでもないだろうに…怒ろうが騒ごうが結局自分たちにはなにも出来ないのだから、少しでも協力した方がもっと早く物事も動くと思う。
こういう自分本位な人達を見ていると、俺の中になにかモヤモヤした塊みたいなものが生まれてくるような気がする。そんな時は決まって酷く嫌な気分になり、目を逸らしてその場から逃げ出したくなるのだ。
…そう言えば、ずっと前にも似たようなことがあって、その時は…なにか起きたような…?……なんだったろう…思い出せないな。
――まあいいか、今は早く情報を得よう。
俺は短く溜息を吐いて脇の方から、運営会社の社員らしき男性に声を掛けた。
「――あの、すいません!俺は守護者です!!魔物の詳しい情報が知りたいんですが、誰かわかる人がいませんか!?」
出来るだけ大きな声でそう言うと、騒いでいた人達は波が引くように、ようやく静かになった。
そうして俺は対応に追われていた男性に案内されて、ウェンリーと建物内の応接室に通された。
先ずは魔物の情報を知りたいだけなのに、随分と丁寧に応対されて少し戸惑う。
「いや、あの…大まかなことだけ教えて貰えれば十分なんだ。仕事を引き受ける判断材料が欲しいだけだから――」
そう説明している最中に、上層の人間らしい中年男性がやって来た。キッチリとした運営会社の制服を着て、書類挟みを手に持った、如何にも『上司』といった感じの厳格そうな人物だ。
「――君達が守護者か?…随分と若いな。」
彼は俺を見るなりそう言って、〝こんな連中で大丈夫なのか?〟と考えていることが丸わかりの訝しんだ顔をした。
そう言われるのにも大分慣れたが、大抵の人間は人を見かけで判断する。腹を立てることはないが、若いと言われるのはちょっと複雑な気分だ。…まあ外見は二十そこそこにしか見えないみたいだから、それも仕方がないのかもしれない。
その中年男性は、ここの責任者で『サナイ・コドスタム』と名乗った。今はこの問題に頭を抱えているのか、かなり疲れていて少し苛立っているようだ。
俺は自分の名を名乗り、再度自分は守護者であることを告げて、初めにウェンリーが民間人であることを伝える。
これは至極重要なことで、仕事を引き受けるとなると、俺が単独ですることになる、ということを相手に予め認識して貰うための告知だ。
思った通りこの責任者の男性は、俺に話をする前に懸念を示した。
「なに…では君一人で?……ううむ…。」
困ってはいるのだろうが、こういうことの対応に慣れていないのか、元々気難しいのか…とにかく少し面倒そうな相手だ、と思う。
それならそれでこちらにも対応の定石がある。
「――俺はまだ仕事を引き受けるとは一言も言っていません。依頼票を見て来たわけでもありませんし、先ずはなにがあったのかの説明と、魔物が原因であるのならその討伐対象の情報を下さい。」
俺はこれ以上嘗められないように、少しきつめの口調でピシャリそう言うと、毅然とした態度で対応する方針に切り替えた。
守護者を見かけで判断するようなら、俺の報告次第ではシャトル・バスの運営会社に魔物駆除協会からの警告が行くことになる。
そして警告を受けた相手は、今後ギルドが定めた規定と通常の倍以上の報酬を一定期間提示しなければ、依頼を出すことさえ出来なくなるのだ。
俺が態度を変えたことで男性は、こちらの意図を理解したのか慌てた様子で謝罪してきた。
「申し訳ない!大変な失礼をしてしまったようだ、態度を改めさせて頂こう。」
すぐに謝って頭を下げてくれたところを見ると、思ったほど頭の硬い人物ではないらしい。
「いえ、続きをお願いします。」
これで本題に入れそうだな、と俺は少しホッとした。
サナイさんの話によると、辛うじて難を逃れたというシャトル・バスの運転手は、アラガト荒野のいつもの運行路上で、突然現れたハネグモの集団に襲いかかられたと言っていたそうだ。
『アラガト荒野』とは、王都周辺から広大な範囲に広がる、緩やかな丘陵地帯のことで、その辺り一帯には虫系の魔物が多く生息している。
特に危険なのは蟷螂型昆虫系魔物の『ブレード・マンティス』と蠍型節足系魔物『アラガト・スコーピオン』だ。前者は大型で二メートル級がざらだし、後者は長い尾の先端針に麻痺毒がある。
他にも魔物の種類は多いが、『ハネグモ』に関しては小型で左程危険度は高くない。名前の通り蜘蛛型節足系魔物で、頻繁に跳ね回る特徴的な動きをするが、毒があるわけでもないし、捕食時に飛びかかってくるだけで、後は口から吐き出される糸に気をつけてさえいれば、普通の守護者ならそう簡単に後れを取ることもないだろう。
だが、これが集団となれば…全く話は別だ。
「ハネグモが集団でシャトル・バスを襲った?」
「ああ、どうもそうらしい。報告してくれた運転手のシャトル・バスは無事に事なきを得たが、同時刻に王都を発った車両は一瞬で奴らに飲み込まれてしまったようだ。」
「…あの魔物にそんな習性はない。況してや動いているシャトル・バスを襲うなんて今までにはない行動だ。」
「よっぽど腹が減ってて飢えてた、とか?」
ウェンリーも色々と考えているんだな。…少し見当違いだけど。
俺は頭の中でいろんな可能性を考えた。棲み処をなにかに追われた可能性、シャトル・バスの車両に魔物を引き付けるものがあった可能性、天候による大量発生など…そして一つ一つ消去法で探って行く。そうして出るのは、やはりその答えしかなかった。
「目撃されたのは通常体のハネグモだけでしたか?」
「そう報告を受けている。」とサナイさんが頷く。
「…だとしたらやっぱり――」
「まさか、また変異体かよ!?」
察しの良くなったウェンリーが俺が言う前に答えを言った。
「ああ。ハネグモの生息地のどこかに、命令を出して率いている存在がいるんだろう。その可能性は高いと思う。」
瞬間、サナイさんが顔色を変えた。
「変異体だと?だとしたら一人や二人の並の守護者では、到底歯が立たない!なにか別の対策を練らねば駆除しきれないではないか…!!」
一人や二人の並の守護者では、か。…普通ならそうだけど、ハネグモなら生態を良く知っているし、変異体が原因だったとしても多分俺一人でもなんとかなる、かな。
「…そうなのか?けど、おまえは何度か変異体を倒してるよな?」
実情を良く知らないウェンリーは、不思議そうな顔をして俺を見る。変異体については一応この前説明したのだが、今一つまだ良くわかっていないのかもしれない。
「君は…変異体を何度も倒したことがあるのか…!?」
サナイさんが俺にそう問いかけたところで、事務員らしき女性が室内に駆け込んできた。
「コドスタム本部長、確認取れました!その方…あのSランク級守護者『リカルド・トライツィ』のパートナーさんですよ!!」
「なに!?」
その言葉に驚いた顔をしたサナイさんと、一瞬で不機嫌になったウェンリーだった。
「ちょっとあんたさ、こいつに失礼だと思わねえのか?リカルドの野郎は関係ねえだろうが…!!」
「あっ、す、すみません!!」
俺は別に気にしていないのだが、女性は慌てて頭を下げた。
「度々礼を失して申し訳ない、だがそう言うことなら申し分はない。ルーファス君、正式にこちらから仕事を依頼したいのだが、引き受けて貰えないだろうか?もちろん報酬は十分用意させて頂こう。」
うーん、リカルドの名前で一気に俺に対するこの人の信頼度が上がったな。おかげで仕事はやり易くなるだろうけど…
通常体を率いていながら、変異体の姿が見えなかったことが少し気になる。
「…リカルドに連絡がつけば確実だったんだけどな。」と俺は呟いた。
この騒ぎでもリカルドが姿を見せないことを考えると、おそらくメクレンには今いないんだろう。もし近くにいれば、確実にギルドから知らせが行っているはずだからだ。
「仕方ねえな、んじゃあ俺も手伝ってやるよ。」
ポン、と俺の肩を叩いてなにを勘違いしたのか、ウェンリーが鼻息を荒くする。
「馬鹿を言うな、冗談じゃない。」
俺を和ませる冗談にしては質が悪すぎるぞ、ウェンリー。
俺は即座にウェンリーの頭を拳骨で叩いた。そう、冗談を言っている場合じゃないのだ。
まず、今回は話を聞く限り、相手にする数が非常に多そうだと言うことが問題だ。精々俺一人で一度に相手に出来るのは、どんなに多くても十体程度が限界だろう。
属性術<エレメンタル・アーツ>を使えるリカルドと違って、集団を一気に殲滅できるほどの攻撃手段が俺にはない。かと言って分散させるにも一人ではかなり厳しくなる。
最低でもBランク級の守護者が一人は欲しいところだが…今から人員を確保するには時間がかかるし、下手な守護者だとこっちが危ない。…どうしたものかな。
そう考えているところへ、突然背後から誰かの声がする。
「――そのお話、私にも協力させていただけませんか。」
その声に俺とウェンリーは後ろを振り返ったのだった。
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