123 白髪銀瞳の暗殺者<シカリウス> ④
国葬に列席したライは、図書室で出会った女性が王妹のペルラ王女であることを知ります。彼女との会話を思い出しながら、自分には関係のないことと同情していたライですが、謁見式でその王女に不可解な行動を取られて…?
【 第百二十三話 白髪銀瞳の暗殺者 ④ 】
亡くなられたシェナハーン国王夫妻の国葬に列席し、貴賓席で式典を見ていた俺は、参列者に謝意を表し弔辞を述べる『イラオイフェ・ザクハーン・シグルド・サヴァン』国王陛下の傍らに、一歩下がって立っていた女性の姿に目を見開いた。
あの女性は図書室で話しかけて来た――
『ナシュカ・ザクハーン・ペルラ・サヴァン』王女殿下。つまりは…
シグルド国王陛下の妹君…この国の王女殿下だったのか。と思う。
エヴァンニュの王都に変わりはないかと尋ねるから、話を聞きたいと言われ、てっきり王都の話かと思えば、あの女性は静かな口調でいきなり、「政略結婚についてどう思いますか?」と、なんの脈絡もない問いかけを俺にして来た。
驚いた俺は絶句し、暫くの間声が出なかったほどだ。
なぜそんな質問を俺にするのかと尋ねると、高位軍人なら家のために政略的な婚姻を結ぶこともあるだろう、と男側の意見を聞いてみたいのだと答えた。
俺が読んでいた本を見ただけで、近衛服を着てもいないのに、俺がエヴァンニュ王国から来た軍人だと言うことに気が付いたのか。もしくは最初から俺のことを知っていた?…そう思い、外見の淑女然とした穏やかさとは異なり、侮れない相手だと見る目が変わった。
だがそんな俺の警戒心すらも見抜き、邪気のない婉然とした顔を見せると、彼女はまた予想外の言葉を口にした。
「そんなに警戒なさらないでください、他意はないのです。…実は私には心に思う殿方がおりまして、その方とはこれまでお近づきになれるご縁がなかったのですが、近々思いがけない好機に恵まれそうなのです。」
いきなり初対面の俺に、『思い人がいる』と打ち明けるその意図が全く理解出来ず、俺は益々混乱した。
だがこちらに構わず尚も続ける彼女の話を聞いて、俺は少しずつだがその事情を察した。どうやら彼女は家の都合で結婚を迫られているらしく、その相手が容易に断れるような家柄ではないらしいのだ。
俺はなぜこんなところで、見知らぬ女性の恋愛相談を受けているのかと自分に呆れながらも、一通りの話を聞いた後で誠意を持って意見を言わせて貰った。
俺は自分がごく一般的な民間人と同じ考えを持っていることを先に伝え、俺だったら好いた相手と添い遂げられないのなら、きっとなにもかもを捨てて家から逃げ出すだろうと答えた。
過去に孤独な環境にいたことを話し、どんなに金や地位があっても愛情や温もりのない家庭には耐えられないことを正直に言って、貧しくても家族がいれば幸せになれるが、その逆はあり得ないのだと、柄にもなく真面目に語ってしまった。
〝政略結婚についてどう思うか〟と問われた答えになっていたのかどうかはわからないが、それはあくまでも家族のいない俺の意見であって、親兄弟がいるのなら身内を大切にすることも忘れない方がいいとも伝えた。
俺としてはどんなにその結婚が嫌でも、俺の意見を聞いたからだと言われて家を飛び出されても責任は取れないからだ。
すると彼女は酷く安心したような表情を浮かべて俺に微笑み、話せて良かったと礼を言って去って行った。
その彼女が、まさかサヴァン王家の王女殿下だったとは驚きだ。
――なるほど、一国の王女であれば自分の意思で縁談を断ることで、場合によっては自国を窮地に陥れるような状況にもなりかねない。初対面の俺にあんな話を聞かせるほど悩んでいたのなら、相当追い詰められているのだろう。
『気の毒な話だ。』
俺は完全に他人事として同情し、大事にならずにその婚姻話が上手く破談になるといいと、ペルラ王女を見ながらそう思っていた。
国葬が終了し、式典はシグルド国王陛下の戴冠式に移る。そのしきたりは国によって様々だと思うが、シェナハーン王国の場合、予期せず国王が崩御された場合はその死を悼み、葬儀と同時に行われる戴冠式を簡略化して、暫くはあまり大きな祝い事にしない風習があるようだった。
昨日は普段と変わりない様子だったシニスフォーラの城下も、話を聞くに今日は前国王夫妻に弔意を表して、どの建物にも灰色布にシェナハーン王国の緑紋章の入った弔旗がかけられているのだそうだ。
新国王の即位を祝う行事は日を開けてまた別に行うそうだから、その時にはきっと国を上げて盛大に祝われるのだろう。
暫くしてその戴冠式も恙無く終わり、今度は各国の列席者がシグルド国王陛下との公式な最初の謁見を順々に行っていく。
そうしてエヴァンニュ王国の代表で来た俺にもその順番が回ってくる。
「エヴァンニュ王国代表として参りました、王宮近衛指揮官のライ・ラムサスと申します。ガレオン・ザクハーン・オルバルク・サヴァン国王陛下とレイアーナ・ザクハーン・ミネルヴァ・サヴァン王妃陛下に謹んで哀悼の意を表すと共に、イラオイフェ・ザクハーン・シグルド・サヴァン国王陛下のご即位を心よりお祝い申し上げます。」
――俺の母の名(ベルティナ・ラムサス・ネル・シェラノール・ミレトスラハ)もそうだが、王族の名前とはどうしてこうも長いのだろう。
取り澄ました顔でその場に跪き、儀礼通り胸に右手を当てながら、精一杯自分を繕って淀みなく話せはしたものの、内心では途中で舌を噛みやしないかと俺は冷や冷やものだった。
挨拶を終えシグルド国王陛下の顔を拝見したが、ペルラ王女殿下と同じ綺麗な狐色をした脇の下ぐらいまでの髪に、同じく深緑の瞳が優しげな印象で、あの男とは随分違うなと感じた。
年令は確かトゥレンよりも二つほど下だったか…まだ結婚はしておらず、若くても威厳があって堂々としていて、今日戴冠したばかりとはとても思えんな。
正に生まれながらの王族であり、国王となるべく教育を受けてきた者の風格だろう。エヴァンニュの悪評ばかりが高いシャール王子も、幼少の頃から同じような教育を受けて来たはずなのに、こうも違うとは笑える。
シグルド国王陛下から歓迎の御言葉を貰うと、玉座の隣に座っていたペルラ王女がスッと立ち上がって突然俺の前に進み出て来た。
後ろには他国の使者が既に控えており、このまま俺は下がって終わりのはずだったのだが、目の前に立たれて、こんな段取りはトゥレンから聞いていないぞ、と首を捻る。
こう言った多くの国から賓客が集まるような式典では、要人の警護や時間の都合上、事前になにをどう行うか決められているのが普通だ。
俺が不思議に思ったとおり、それは予定外の行動だったらしく、謁見中で立って賓客を迎えていた国王陛下も一瞬だけ驚いたようにその表情を変えると、隣に並んだペルラ王女を横目で見ていた。
すると王女は…
「ようこそおいで下さいました、ライ・ラムサス様。本日はお会いできてとても嬉しく思います。改めましてわたくしは王妹のナシュカ・ザクハーン・ペルラ・サヴァンと申します。どうぞ〝ナシュカ〟とお呼び下さい。後ほど会食後に、貴国について二人きりでお話を伺う御時間を頂けますか?」
婉然としてその右手を俺に差し出したペルラ王女は、他国の貴賓が見ている前でわざと俺にそう問いかけた。
予想外のその行動に面食らったのは俺だ。
サヴァン王家の王族は公式名(王女の場合はペルラ・サヴァンと名乗っているのだが)以外を公の呼称には用いないと聞いていた。
それなのに隣国の軍人でしかない俺に、親しい相手にしか呼ばせないはずの名前を呼べと告げたのだ。
暗にその手を取るようにと差し出されたのもそうだが、同時に会食後の個人会談の誘いまで受けてしまい、この場でそんなことを言われた俺に断ることは絶対に出来なかった。
フェリューテラ三大王国の一つである、この国の未婚の王女が、エヴァンニュ王国の使者とは言え一介の軍人に自ら誘いをかけたのだ。当然だが謁見の広間がザワついたのは言うまでもない。
――この女性は淑女の顔をした『びっくり箱』か?大人しそうに見えるのに、言うことやることの想像がまるでつかない。なぜ俺が絡まれるんだ。
そう思うがどうしようもなかった。俺に選択肢はなく、もう誘いを承諾するしかないのだから。
大勢いる他国の賓客の前で、シグルド国王陛下とペルラ王女殿下に恥をかかせるわけには行かず、ここでは不愉快な顔も見せられない。今は小さな溜息さえ吐くことも許されないのだ。
面倒なことになった。
「…かしこまりました。国王陛下のお許しを頂ければ、喜んでお相手させて頂きます。」
俺は諦めて彼女のその手を取り、そのまま口づける振りをした。――その瞬間、ペルラ王女の右手がピクリと反応する。
普通なら俺がしたその行為は、侮辱だと怒りを買ってもおかしくない。だがそれでも俺は、リーマ以外の女の手に口づける行為そのものを拒む。
俺がここに来たのは、あくまでも一度承諾した『条件』のためだ。俺自身の都合などこの国には関係がないこともわかっていた。
だからこそ俺なりに礼を尽くしてはいるが、それとここの王族が持つ権利に屈するのはまた話が別だ。
俺は顔を上げペルラ王女と視線を合わせる。
ペルラ王女はただ微笑み、俺も彼女に目を細めた。…端から見れば俺達のその姿は、互いに良い印象を抱く男女の姿にしか見えないことだろう。俺にしてみれば上出来な演技だったと思う。
俺は立ち上がって一礼をし、元の貴賓席に戻るために歩き出した。内心では彼女の不可解な行動に少し苛立ちながら、それを顔に出さずに取り澄ましたままで。
貴賓席に戻って行くライの後ろ姿を見送ると、椅子に戻る前にペルラ王女はシグルド国王にはっきりと告げた。
「――オイフェお兄様。あのお話、お受けして下さい。わたくしあの方が良いですわ。」
♦
憂鬱な気分で謁見の広間から移動し、次に大食堂での会食を問題なく済ませると、俺の様子を見に来たトゥレンを伴って中庭に出た。
本来ならこれで公務を終え、そのままエヴァンニュへの帰路につくはずだったのに、どうしてこうなった、と困惑していたからだ。
ペルラ王女のことで頭が一杯だった俺は、味もなにもわからなくなった豪華な料理をただ流し込みながら、そもそも俺を国の代表としてここへ寄越したのが誰だったのかを思い出した。
――裏になにかある。
そう思い至った瞬間に、まずそれを知らないはずのないトゥレンに対して腹が立った。
考えてみれば今朝、ここは安全だから一人でも大丈夫だと、俺に散歩に行くよう促したのもこいつだ。
普段なら追い払ってもついて来ようとするくせに、珍しいことを言うなと思えば…まさかあれは俺とペルラ王女を引き合わせるために、初めから仕組まれていたことだったのか?もしそうであるのなら、その狙いはなんだ。
事と次第によってはただではすまさんぞ…!
そう思いながら俺は、王女に会う約束の時間になる前に、人目につきにくい場所でトゥレンを問い詰めた。
「おい、あれはどういうことだ!?おまえなにか知っているだろう!!」
そう睨みつけた俺に対してトゥレンは、「仰る質問の意味がわかりかねます。」と、まるで問い詰められたらそう言えと言われていたかのように、イーヴの真似をしてしれっと返した。
「貴様…!!」
カチンと来て本気で怒りかけた俺に、隠すのは無理だと諦めたのか、トゥレンは小さく溜息を吐くと急に真剣な眼差しを向ける。
「このところ毎日のように城を訪れる、ライ様との面会を希望する貴族や民間人が増えていたのは御存知ですか?」
唐突にここ二週間ほどの間に起きていた城での変化を問われて、俺はなんの関係があるのかと、一旦その怒りを引っ込めた。
「ああ、知っていたが、それがどうした?」
それは知っていた。なんの用があるのか、ただ面会したいとだけ申し入れる人間があまりにも多く、余程でない限り通すなと警備兵に頼んだために、ジャンまで追い払われてしまい、俺に会えなかったと言っていたくらいだからな。
「ではそれだけではなく、バスティーユ監獄の一件以来、城へライ様宛てに膨大な量の書簡が届くようになったのは?」
「……書簡?なんの話だ?」
それは初耳だ。そもそも俺宛てに来る書簡などたかが知れているはずだが…
「そちらは御存知ないのですね。ではよくお聞き下さい。それらは全て――」
俺は直後続けられたその言葉に耳を疑った。
「――縁談?」
「はい。王宮近衛指揮官として将来を有望視された未婚のライ様に、娘や血縁関係にある若い女性を娶って貰おうという、多方面からの結婚話が殺到しているのです。それはもう、断るのが酷く大変なほどにです。」
…??…俺に縁談が殺到しているのと、シェナハーンに来てペルラ王女にあんな態度を取られたことが、どう関わる??
「待て、それとこれになんの関係があるんだ?そもそも俺がここに来ることになったのは、あの男が提示した条件を呑んだからだぞ。新法の一件が解決してからの話ではない。」
「そうですね、シェナハーンに来ることになった要因と、ペルラ王女殿下の件は無関係ではありませんが、少々別の理由からだとお思い下さい。」
「無関係ではないが、別…?」
トゥレンの説明がおかしい、と思った。それではまるで…
――まるで俺があの件を黙っていられずに動くことも、それを解決することで民間人に騒がれるようになることも、最初からあの男がわかっていたかのようではないか。
そのことに気づいた俺は、震撼して心の底からゾッとした。
いったいどこからどこまでを予測して、結果がどうなるかを考えていたのかはわからない。だがなにもかもを知っていたのではなかったとしても、少なくともあの男は俺の取った行動を逆手に取り、自分の思惑通りになるよう上手く利用することにしたのではないだろうか。
俺に縁談が殺到するようになることまで予想していたのかどうかはわからないが、バスティーユ監獄で三つの条件を出した時点で、俺が必ず受け入れるだろう内容のものを提示して来たのだ、その先になんの思惑もなかったはずがない。
――シェナハーン王国は、古くからエヴァンニュとの同盟関係が殆ど切れたことのない友好国だ。もしそこの王女と俺を会わせることに、最初からあの男の目的があったのだとしたら…?
今トゥレンから聞いた話と、今朝ペルラ王女から聞いた話を合わせて考えれば全て聞かなくてもわかる。
あの男は、俺とペルラ王女を結婚させるつもりなのだ。
バスティーユ監獄で条件を出した時点では、ただ国葬の件が重なって顔合わせをしておこうと思っただけなのかもしれないが、その後縁談が殺到し一々それを断るよりもどうせなら、俺の相手を先に決めてしまえば良いと考えたのか…?
そして俺が国葬に列席することを良い機会だと考え、俺の素性を勝手に明かして結婚話を書簡かなにかで申し込んだ。
つまりシグルド国王陛下も、ペルラ王女殿下も俺があの男の息子だと既に知っているのか。
やられた…!!
このままでは俺は、どうあってもあの男から逃げられない。俺の意思がどうであろうと、先方がその気になって持ち込まれた縁談を了承すれば、国同士の政略結婚は問答無用で成立してしまう。
それで俺が逃げ出しでもしようものなら、サヴァン王家の怒りを買って良くて賠償か国交断絶、最悪の場合は戦争だ。
俺は一瞬で目の前が真っ暗になった。
俺にはリーマがいるんだぞ。俺は彼女を愛していて、エヴァンニュを出る前日にいつものように彼女を腕に抱いて…ようやく思いを伝えたばかりなんだ。
リーマは俺が愛していると告げると泣いて喜び、あの輝くような誰よりも愛しい笑顔を俺に見せてくれた。
俺が腕に抱き、生涯の伴侶にと…ただ一人の相手として望むのは、彼女だけだ…!!
冗談ではない。
――絶対にこれだけはあの男の思い通りになるものか。誰がなんと言おうとも、俺の人生は俺だけのものだ、死に物狂いで抵抗してやる…!
贅沢な暮らしも、有り余るほどの金も、国も王位も望まない!!一生を共にする相手も、俺自身の未来も…俺は俺の望むように、自分で決める…!!
「…ライ様。」
話の途中で置かれている現在の状況を理解して俺が黙り込んだためか、トゥレンが戸惑い気味に手を伸ばす。
この件に関してこいつとイーヴはおそらく俺の味方にはならない。寧ろリーマのことを知れば俺達を引き裂こうとするだろう。
俺はその伸ばされた手を無言で押し退けると、トゥレンとはもう口を利かずに歩き出した。
――諦めるのはまだ早い。…今朝ペルラ王女から聞いた話が嘘ではなく、王女に真実思い人がいるのであれば、俺との結婚を望むはずはないからだ。
ならばサヴァン王家の方から、あの男が持ち込んだであろう話を断って貰えばいい。関係が悪化して困るのはエヴァンニュの方だ、強くは出ないだろう。
陸路はシェナハーン王国を介してしか他国に行けず、他国との国交や輸出入を続けるのなら、海路かアンドゥヴァリを回して空路を使うかしかなくなるのだからな。
エヴァンニュ王国に生きる民間人にはなんの恨みもなく、王都で幸せそうに暮らし笑っている姿を見て、せめて王宮近衛指揮官として出来ることだけは済ませてから、あの男とは決別しようと思っていた。俺は馬鹿だ、甘かった。
もう無理だ。最悪の場合はエヴァンニュに戻り次第、すぐにでもリーマを連れて逃げよう。
でなければ俺は一生、あの男からは逃げられなくなる…!!
俺はあの男を初めて本気で恐ろしいと思った。あの男にとって俺は、息子どころか意思のある人間ですらないのではないだろうか。
ただ自分の思い通りに動かすだけの人形で、そこに俺の感情は欠片も入らず、生きて利用出来さえすればそれで良い。そう思っているに違いない。
いつか俺は、あの男に俺自身の心を殺される。きっとそうだ。
そんな恐怖に駆られていた俺は、一刻も早く手を打たないとと慌てていて、物陰から音も立てずに襲って来たその凶悪な攻撃に、気づくのが完全に遅れてしまった。
シュッ…
「…フィオムエルト・アンフェール。」
――その言葉と共に突然俺の目の前に現れた人影は、俺の左胸に僅か十センチほどの長さの、針のような先端のついた武器を突き立てた。
その瞬間、至近距離から俺の顔を真っ直ぐ覗き込んだその男は、フードを目深に被っていたが、仄かな赤い光を放つ宝石の付いた首飾りを着けていて、春霞のような白髪に銀色の瞳をしていた。
ガキンッパキーンッ
…キン、カラン、コロン、キン、コロン…
直後、俺の左胸に小さな衝撃があり、そこから『イティ・エフティヒア』が流れ出す。
「「!?」」
――それはあり得ないほどに奇跡的な偶然だった。
その男が突き立てた武器は、俺が普段から胸に入れて必ず持ち歩いているオルゴール・ペンダントに弾かれ折れてしまい、俺の身体には刺さらなかったのだ。
『あり得ねえっ、嘘だろ…!?』
驚愕した白髪銀瞳の男は、俺にわからないなにかの言葉を口にすると、慌てた様子ですぐに飛び退き距離を取った。
「貴様ああーっ!!」
その叫び声と共にミスリルソードを引き抜いたトゥレンが、物凄い速さで駆け付けると、そのまま白髪銀瞳の男に突っ込んで行く。
俺に襲いかかってきた男は、手元にどこからかオリハルコンソードを出現させると、すぐさま応戦してトゥレンとの一騎討ちに入った。
驚いて硬直していた俺はすぐに動けず、服の中で音を奏でるオルゴール・ペンダントを上から押さえた。
俺のラカルティナン細工のオルゴール・ペンダントには、昔レインが施してくれたいくつかの魔法がかけられている。
それはこのオルゴール・ペンダントの稀少性が高く、この世に二つと存在しないものだったために、万が一俺の手元から盗まれたりして持ち去られたとしても、一定の距離を離れると俺の元に戻ってくるという『占有魔法』や、落としたりぶつけたりして強い衝撃を受けても壊れないように損傷を防ぐ『保護魔法』だったりするのだが、オルゴール本体は僅か五センチ四方の大きさだ。
あの銀瞳の男が使用した武器が通常の短剣や、手投げナイフのようなものであったなら、恐らく俺は心臓を突かれて即死だっただろう。
「侵入者だーっ!!!」
トゥレンが戦闘を開始したのを見て、守護騎士がバタバタと四方八方から駆け付けてくる。だがその直後、俺とトゥレン、白髪銀瞳の男三人を取り囲むようにして一定の範囲になにかの魔法が発動した。
キュイイイィ…キイイィンッ
『守護騎士に邪魔はさせねえよ、すっ込んでろ!!』
銀瞳の男の手元に魔法の残滓が瞬いて、俺達がいる空間だけが国王殿の中庭と外部の見えない障壁のようなもので隔てられてしまった。
「結界…!?パスラ街道で捕らわれたものと同じ類いの障壁か…!!」
俺は各国からの使者が列席していた式典と、大食堂での会食に出席していたため剣を装備しておらず、無限収納も貴重品を入れる貴賓室の金庫に入れてあり、全くの丸腰で男とトゥレンの戦いに加わることが出来なかった。
「トゥレン!!」
銀瞳の男とトゥレンが戦う剣戟が響く中、じっとしていられずになにか出来ないかとトゥレンの名を呼んだ。
「来てはなりません、この男…相当な手練れです!!」
トゥレンがそう口にした通り、戦場を生き抜いて対人戦闘には慣れているはずのトゥレンが、男の凄まじい剣技に押されて防戦一方になりつつあった。
あの男…強い…!まともにやり合えば、俺でも苦戦するかもしれない…!!
短丈の外套にフードを目深に被り、凄まじい剣の使い手なのに、俺を襲っておきながら殺気を放つでなし…白髪銀瞳の男は、まるでただ静かに獲物を狙う野生の虎のようだった。
「おい…俺の仲間を殺ったのはてめえだよな?あン時使ってた大剣はどうしたよ。」
「!?――貴様…喋れるのか!?」
剣を突き合わせていながら、平然とそう話しかけてきた男に、トゥレンは一驚する。
「たりめえだ。まあ、普段はこんな標的相手に口を利いたりはしねえけどな。」
「くっ…!」
右から、左から、その動きを目で追ったのでは間に合わないほどに、男の攻撃は速く、間合いを取ろうとしてもすぐに詰められ、トゥレンはミスリルソードでその攻撃を受け流すのが精一杯だった。
少しでも気を抜けば一瞬で殺られる。闇の主従契約があっても、もし首を飛ばされたり、腕を切り落とされたりした場合は、どうなるのだろうか。
汗も掻かずに剣を振り続ける男にそう思いながら、どこに攻撃を打ち込もうとしても軽く防がれては躱されるその動きに、ふと、なんだかまるでライ様と戦っているかのようだ、と息を呑む。
「あの場にいなかった貴様が、なぜそんなことを知っているのかはわからんが、戦場でもない場所であれを使うのは時と場合による。貴様らが俺が生涯の主君と定めた御方の命を狙いさえしなければ、殺したりはしなかった。」
「…ふうん、そうかよ?まあ、そいつに関しちゃ確かになにも言えねえな。仕事として殺しを引き受けたのはこっちだ。でもよ、てめえにとってどんなにご立派な御方かは知らねえが、継母の王妃と異母弟の王太子に命を狙われてるようじゃ先がねえよな?ははっ。」
「貴様…っ!!」
ライを嘲るように笑った男に、カッとなったトゥレンは、紫紺の闘気を放って銀瞳の男に猛攻をしかけた。それでも銀瞳の男には全く怯む様子がない。
ライを馬鹿にされた怒りにトゥレンは本気で殺そうとしているのに、それすら楽しそうに軽く往なされてしまう。
「おお、怒った怒った。やっと俺を本気で殺す気になったか?ハハハッ、そう来なくちゃな。」
ゴッ…
トゥレンの攻撃を飄々と躱しながら嘲笑すると、白髪銀瞳の男はその身に一筋の光さえも拒むような、漆黒の闘気を纏った。
「おまえさ、弱えんだよ。そんなんで良く今まで、後ろの主君って御方を守って来られたな?」
「なんだと…!?」
「魔法は使えねえし、剣は笊。手を抜いてやっても攻撃は掠りもしねえ。せめてあの大剣でかかってくりゃあ、弱い者いじめをするみてえな気がした俺の良心も、ちっとは痛まねえかなと思ったのに、時と場合による?…嘗めてんじゃねえのか。」
これまでは遊びだったと言わんばかりに、男は恐ろしいまでの殺気を放った。
「てめえみてえな奴は、命懸けても守りたかった物を守れなかった奴の後悔や苦しみってのを知らねえんだろうな。だからそんな甘っちょろい考えになるんだ。…ムカつくんだよ!!!」
――そこからの男の攻撃はさらに苛烈さを増し、トゥレンの攻撃は全く通らなくなった。
圧倒的な力の差が如実に表れ、トゥレン自身もこのままではこの男を倒すことが出来ない、と焦り始める。
≪シェナハーンの守護騎士と魔法闘士殿はなにをしているのだ!?警備は万全だと言っておきながら暗殺者の侵入を許した挙げ句、この男が施した結界障壁を破壊することも出来ないのか!!≫
集団戦でデスブリンガーがあればともかく、これほどの手練れを一対一で相手にするのは俺では実力不足だ。せめてライ様に武器があれば――
そう思い、トゥレンは気づく。そうだ、俺では敵わなくとも、ライ様ならこの男に負けはしないだろう、と。
この凄まじい剣技と同時に魔法を使われれば如何にライ様とて危険だが、結界障壁はこの男が恐らく今も維持し続けているのだろうし、通常、魔法は一度に幾つも発動することは出来ないと言う。
もしこの暗殺者が複数の魔法を使えるのなら、これだけ余裕があるのだから、疾うにライ様に向けて攻撃魔法を放っていてもおかしくはない。
なのにそれをしないと言うことは、魔力は結界障壁を維持することに使用していて、今攻撃には使用出来ないのでは…?
結界障壁が解除されない限り守護騎士の助けは期待出来ない。自力で丸腰のライ様を守るのに、俺では力が足りない。ならば――
――俺はライ様を守る為であれば、主従契約で死ぬことはない…!!!
そう考えたトゥレンは、未だ白髪銀瞳の男と剣を交えている最中だったにも関わらず、口元にニヤリと笑みを浮かべると、突然その手を止めて男の攻撃を身体に受け止めた。
ザンッ…ドスッ
「トゥレン――ッ!!!」
その瞬間、ライの叫び声が響き渡った。
男の奮ったオリハルコンソードは、正面からトゥレンの身体を袈裟斬りにし、続いて真っ直ぐにその心臓を貫いた。
ライの目の前でトゥレンの背中から、深々と突き刺さったその刀身が生え、すぐにズシュッ…と言う鈍い音を立てて引き抜かれた。
『……あんだ、こいつ…いきなり戦うのを諦めやがったのか?わけわからねえ。』
トゥレンの行動を訝しんだ男は、本能的になにかあるのではと危険を察知して、トゥレンから間合いを取り離れた。すると――
「お受け取り下さい、ライ様!!」
トゥレンは自分の身を案じたライが、背後から駆け寄って来るその気配を感じ取ると、蹲る振りをしたその態勢から、手に持っていたミスリルソードをライに向かって空へと放り投げた。
「!!」
パシッ
空中でくるくると回転しながらライの手元に落ちて来たその中剣を、言われるままにライは受け取った。
『な…んだ、そりゃあああっっ!?』
これに顎が外れそうになるほど驚愕したのは、白髪銀瞳の男の方だ。
今、確かに俺は護衛の男を切り裂いて心の臓を貫き、止めを刺した。…それなのに、目の前の大柄な男は、血の一滴も流さずに平然と立ち上がった。…どうなってんだ!?――そう混乱する。
「トゥレン…!」
闇の主従契約によって、トゥレンがライを守るために受ける傷では全く痛みを感じず、一瞬で治り死ぬこともない。
そうわかっていても、目の前でその身体を剣が貫けば、ライは平静ではいられなかった。
「俺は大丈夫です、ご心配なく。ですが…申し訳ありません、俺では力が及ばずあの男を倒すことが出来ません。結界障壁が解除されない限り、外に逃げることも叶わないでしょう。ですから――」
――ここからはライに剣を託し、自分は体術による補助に回る。トゥレンはライに申し訳なさそうな顔をしてそう言った。
「…信っじらんねえ…、確かに心臓を貫いたのに、てめえ化けモンだったのかよ…!?」
トゥレンが平然と俺の横に立って並んでいるのを見たその男は、俺達に理解出来る普通の言葉でそう言うと、目深に被っていたフードを脱いで、トゥレンの傷を確かめるようにその顔を顕わにした。
俺と同じぐらいの年令だろうか。長めの白髪を後頭部の高い位置で一つに結び、背は俺よりも少し高いぐらいだが、オリハルコンソードを握るその腕が、服の上からでもはっきりわかるほどの筋肉で盛り上がっている。
その身体の鍛え方と言い、あれほどトゥレンとやり合っても汗も掻かず息も乱さないとは、対人戦に関しても俺とかなり良い勝負だろう。
「化け物とは失敬な、これでもまだ一応は人間だ。」
「へ、へえ…(一応なのかよ)まあどうでもいいけどよ、なに?今度は御主君サマが出てくんだ?死にたくねえから護衛に戦わせて引っ込んでんのかと思ったのに。」
銀瞳の男は俺を挑発するかのように馬鹿にした。
「……イサベナ王妃とシャール王子は、どうしても俺を殺したいようだな。」
「ああ、さっきの話、聞こえてたんだ。」
今度は他国の人間を雇うとは…どこまでも救われない。
そう思う俺の表情を見て、銀瞳の男はほんの一瞬だけ、同情的な顔をした。
「あの二人に命を狙われるのはこれが初めてではないからな。――悪いが俺も死にたくはない、手加減はできんぞ。」
それでも、俺はまだ死ぬわけには行かない。あの男ときちんと決別し、リーマを連れて他国へ逃げ、守護者としてルーファスの元で一からやり直すんだ。
「ふん、言うじゃねえか!!」
男はなぜか楽しそうに笑みを浮かべて地面を蹴った。
使い慣れたライトニング・ソードではないが、俺が剣を手にしたことでトゥレンが体術で参戦し、これで白髪銀瞳の男とは二対一で戦うことになった。
トゥレンと戦っているのをずっと後ろで見ていたが、この男はかなり素早く、剣筋は俺と似たような印象だった。
だがこの男は右手でも左手でも同じように片手剣を操れ、その上どう言う仕組みなのかはわからないが、頻繁に剣を一瞬で移動させて持ち替えては、俺の攻撃とトゥレンの攻撃を同時に往なして行く。
こんな戦い方を見たのは初めてだ。
俺は冷静になって慌てずに男の動きと癖を覚えて行く。器用に両手で剣を使い熟しているが、右手で俺の相手をする時だけ、なぜか一定のタイミングで刀身が横にブレる癖を見つけた。
ふと俺はどこかで、こんな癖を持った相手と戦ったことがあるような気がした。もしや戦場かどこかで会ったことでもあるのだろうか?
それとちらちらと外套の首元から見える、首飾りの三色の組紐に付けられた赤い宝石が、俺が近付く度にぼんやりと光を放っているような気がして、やけに気になった。
あの首飾り…ただの宝石ではない?…もしや魔法石か?
魔法石の中には自動でその効果を発揮するものがあり、効果範囲に入るだけで状態異常を引き起こすものや、特定の条件で発動し、自爆して敵を殲滅させるよな物もあると聞く。
暗殺を仕事として請け負うような男なら、元々自分の命を惜しんでなどいないかもしれん。
もし身に着けているあれがその類いのものだとしたら、一定の範囲以上近付くのは危険だ。
俺は出来るだけ距離を取りながら、トゥレンと連携し少しずつ銀瞳の男を追い詰めて行った。
銀瞳の男は確かに強かったが、俺とトゥレン二人の相手をするのはさすがに辛くなって来たのか、暫くすると動きが鈍り出し、時折トゥレンの攻撃が身体に当たるようになってくる。
それでも減らず口を叩き、相変わらずヘラヘラと笑っていたが、やがてその変化が現れ始めたのは、俺達の周囲に張られていた結界の方にだった。
「――そうか、魔力切れか…!!」
これだけ長い時間、結界障壁を張り続け、しかも外からは恐らくキエス魔法闘士殿や守護騎士が障壁を破ろうと懸命に解除を試みていたはずだ。
それを破壊されないように戦いながらこの男は維持していたのだ、そういつまでも魔力が持つはずはない。
『ちっ、気づかれたか、仕方がねえ!!』
俺がそのことに気づくと、男はまた俺達にわからない言葉でなにかを呟き、潮時だと判断したのかこの場から逃げ出すような素振りをした。
「待て!逃がさん!!」
ここで取り逃がせば、今後も俺はこの男に命を狙われ続ける羽目になる。そう思い、男の間合いに深く踏み込もうとした。
「!?」
その刹那、男は滑るように俺からさらに距離を取る。
「なーんてな、この瞬間を待ってたんだよ!!…喰らえ!!『グラキエース・ヴォルテクス』!!」
ヒュオオオオォ…
銀瞳の男は結界障壁の方を突然解除し、代わりに俺達の足元と、障壁が消えたことでこちらに駆け付けようとした、複数の守護騎士を含めた広範囲に青色の巨大な魔法陣を出現させた。
この魔法は…見たことがある。ルーファスがバスティーユ監獄で使っていた、水属性の氷魔法…!!
中心に近い場所にいるほど、その威力が大きく、場合によっては即死するほどの攻撃力のある魔法だ。
幸いにしてルーファスの魔法と違って、男が使った氷魔法には発動までに幾分かの時間があった。
俺はそれが襲ってくる前に、銀瞳の男に向かって魔法陣の上を走り抜け、左手で首飾りの赤い宝石が揺れる男の首を掴むと、ミスリルソードで胸を貫こうとした。
だがその瞬間――
カッ…
「しまっ…――」
男の首にあった首飾りの宝石が、目も眩むような赤い光を放った。
それとほぼ同時に魔法が発動し、氷に足を貫かれた俺は、その場に膝を付いて剣を落とし、周囲にいた守護騎士達も魔法が直撃してバタバタと倒れ込んだ。
「ライ様っ!!」
唯一動けたトゥレンがすぐさま俺に駆け寄ると、俺が落としたミスリルソードを拾って銀瞳の男に横一文字の一太刀を浴びせる。
ズサッ
男はなにかに気を取られていたようだが、それでも瞬間的に身を引くと、トゥレンの攻撃は辛うじてその左手に僅かな傷を負わせただけだった。
白髪銀瞳の男は俺を一瞥すると、踵を返してまたなにかの魔法を唱え、空中に高く飛び上がって一気に国王殿の結界障壁を突き破る。
その直後に指笛を吹いてどこからか巨大な飛竜を呼び寄せると、その大きな脚に掴まってあっという間に彼方へと飛び去ってしまった。
――呆然として男が去って行った空を見上げた俺達は、結局この日エヴァンニュに帰ることが出来ず、もう一晩シェナハーン王国の国王殿に滞在することになったのだった。
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