122 白髪銀瞳の暗殺者<シカリウス> ③
シェナハーン王国の王都シニスフォーラに到着したライは、そこで守護騎士のログニック・キエス魔法闘士に迎えらます。ライにとって公務の堅苦しさは酷く疲れるものですが、これも一日だけだとグッと堪えます。ところがこの公務の裏にはライの知らないロバム王の企みがあるようで…?
【 第百二十二話 白髪銀瞳の暗殺者 ③ 】
夜九時近くになって、ようやく俺とトゥレンはシェナハーン王国の王都『シニスフォーラ』に到着した。
シニスフォーラの外壁は朱色の巨大柱に、筋交いのような斜めに渡した木組みの軸と、天然石やラプロビスを使った建材で作られている。
パスラ街道からその正面に向かい、高さが十メートル、幅が十五メートルもある黒鋼製の門扉が開かれると、かなり身分の高そうな守護騎士の一団が俺達を待っていた。
門をくぐる早々に俺は車両から降ろされ、トゥレンは守護騎士に誘導されて、駆動車両を厳重な管理整備場に停めに行く。
その間に一人残された俺に、その守護騎士は随分と丁寧な挨拶をして来た。
「ようこそおいで下さいました、エヴァンニュ王国王宮近衛指揮官、『ライ・ラムサス』様。私は魔法闘士のログニック・キエスと申します。」
国賓とは言えほぼ自分と立場の変わらぬ俺に対し、やけに丁寧だな、と思うも、これがシェナハーンという国の上層部が取る当たり前の対応なのだろうと納得する。
俺は国の代表として来ている以上、それに恥じないよう(本心ではどうでもいいのだが)猫を被って、イーヴに教えられた通りの言葉を口から吐く。
「丁寧な出迎え、痛み入ります。此度はサヴァン国王ご夫妻のご不幸に心よりお悔やみ申し上げます。」
――そんな形式通りの挨拶を交わし、予定よりも到着が遅くなったことを詫びると、キエス魔法闘士殿はトゥレンが合流するのを待って、王宮への専用車両に乗り込むよう俺達を案内してくれる。
エヴァンニュと違いその魔力に差はあれど、当たり前のように誰もが魔法を使うシェナハーンでは、駆動車両の作りそのものが異なる。
エヴァンニュでは魔石(魔法石)が必須で、それに内包されている魔力が切れれば動かすことも出来なくなるが、ここでは魔力所持量の多い専属の運転手がいて、運転手自身の魔力を使うことで自在に車両を操ることが出来るようだ。
そのせいか駆動機の音は殆どせず、車窓から見える街の喧騒も人の笑い声まで良く聞こえ、大きな声を出さずとも車内の会話も普通に通る。
「――やはり他国は我が国とは違いますね。王都シニスフォーラに来たのは初めてですが、建物が随分と色彩鮮やかだ。あれはラプロビスのような石材と、木材を合わせて建てられているのですか?」
夜間にも関わらず、煌々と明光石の明かりが灯る街並みは昼のように明るく、行き過ぎる建物はどれも様々な色に塗られた木材が柱や扉などに使われて、薄青い加工建材と組み合わせ独特の雰囲気を醸し出している。
それを見たトゥレンが少し観光気分で、キエス魔法闘士殿にそんな質問をした。
「その通りです。我が国は天然の色彩石が豊富に採れますので、それを塗料に加工して木材に塗布することで、建物自体の強度を上げることが出来るのです。シニスフォーラ以外では特定色以外の使用は禁じられておりますが、ピエールヴィやアパトなどではそれぞれ統一された色の建物を見ることが出来るのですよ。」
「ほう、それは素晴らしいですね!いつかゆっくりと観光に訪れてみたいものです。」
「ええ、是非とも。いつでも歓迎致しますよ。」
――トゥレンの人誑しはここでも健在か、と二人の会話を聞きながら俺は微苦笑した。魔法闘士殿は例に漏れず、トゥレンの人好きのする笑顔に釣られてにこにこと顔を綻ばせている。
社交が苦手な俺やイーヴではこうは行かないだろう。こいつを同行させて良かったと心から思う。
いくら友好国でも高位の守護騎士を不快にさせては、後々問題になるだろうからな。(俺だと上手く笑顔を見せられず、機嫌を損ねるかもしれんからだ)
このまま面倒な会話はトゥレンに任せて、俺は黙ってその相手を免れようと目論んだ。だが魔法闘士殿は気を回したのか、俺にもしっかりと話しかけて来る。
「ところでラムサス近衛指揮官殿は、この後城下へ出られますかな?繁華街には酒の美味い店や、それなりに楽しめる娯楽施設などもございますが。」
それは公務で訪れた俺に、街で遊んで行かれますか?と聞いているのも同然の台詞だった。
ふとなぜそんなことを聞くのかとも思ったが、他国の貴賓の中には遠方からせっかく来たのだからと、観光に出る者もいるのだろう。そう考えて俺は、その質問の裏にある魔法闘士殿の意図になど気付かず、あまり深くは気に止めなかった。
「いや、遠慮させていただく。パスカム補佐官も長時間、駆動車両の運転をし通しで疲れていると思うし、我々は亡くなられた国王夫妻のご冥福を友好国の代表として心からお祈り申し上げたい。それは観光目的で訪れた際のまたの機会にさせて頂きます。」
堅苦しい言葉は気疲れするが、精一杯礼を失しないように丁重にお断りする。そもそも国葬に列席するために来ているのに、遊びに興じる気になどなれるはずがない。
サヴァン国王夫妻が亡くなられたのは一月以上も前のことで、事情があって葬儀だけがこの時期に遅れたそうだが、王都でさえ普段と変わりがないようで、故人を悼む葬儀の雰囲気とはかけ離れている。
俺にしてみればそちらの方が変わっているな、と思うくらいだ。
「かしこまりました、では軽食を用意させましょう。ご依頼通りお二方は同室にさせて頂きましたので、そちらにお持ちする際に明日の式典に関する連絡事項もお渡し致します。本日はお疲れでしょうし、どうぞごゆっくりとお休み下さい。」
「ありがとうございます。」
――微塵も顔に出すわけにはいかないが、正直に言って本気で疲れる。…とっとと寝台で横になりたい。ここにイーヴがいれば魔法闘士殿の相手を全部押しつけて、俺は後ろで黙っていれば済むのに。
まあこれも今だけだ。列席する国賓は俺達だけではないし、身分の序列から言っても、キエス魔法闘士殿は忙しくなれば他の賓客相手をするだろう。
明日は国葬と戴冠後のシグルド陛下に謁見して昼に会食…それで予定された公務は終わりだ。
シニスフォーラの王城に滞在するのも今夜一晩だけのこと…暗殺者も警備の厳重な城の中まではさすがに入って来ないだろうから、この後は部屋でゆっくり休めそうだな。
俺がなにを考えているのかを見透かすように、トゥレンは横で俺を見て微苦笑している。俺はそんなトゥレンにイラッとして思わず睨んだ。
シェナハーンの国王殿は、外観からするとエヴァンニュのような『城』ではない。高さは二階建ての御殿が殆どで、その代わりにとても広大だ。
高さの低い御殿が中庭を囲む様に複雑な形で建てられており、幾つもの宮殿が黒鋼の扉とそこを守る守護騎士によって隔てられているようだ。
民間人が暮らす城下町とは、周囲をかなり水深がありそうな幅の広い堀によって分けられ、正門以外には裏口から出入り出来るように跳ね橋が架けられている。
俺達を乗せて運んでくれた専用車両はその正門に続く、最も長くて最も広い朱色の橋を渡って行くと、ここも黒鋼製の門扉が開けられて敷地内に入って行った。
ただシニスフォーラの王都門と違ったのは、国王殿の敷地内に入った瞬間、身体の中をなにかが擦り抜けて行ったような奇妙な感覚があったことぐらいだ。
これは魔物や侵入者を防ぐ結界障壁を通り抜けたためで、ここには各国の要人が滞在しており、現在厳重な警備態勢を敷いているらしかった。
国王殿に着くと車両から降り、魔法闘士殿の後について殿内に入って行く。若草色の階段を上り、屋根付きのエントランスから薄空色の壁が特徴的な建物内に入ると、深い紺色の太柱に桜色の花装飾を施した、吹き抜けの階段があるホールに迎えられる。
色彩石が豊富だと言う通り、様々な色に塗られた建材は自然豊かなシェナハーンの印象そのままの段階色で彩られていた。
譬えるならそれは、海と空と山と緑に花の咲いた草木を鏤めたような、このホール自体が美しい風景画のような感じだ。
「なんともはや…美しい色合いのホールですね、ライ様。」
「…ああ。」
「お誉めに与り光栄です。ここより先は守護騎士の剣士が貴賓室までご案内致します。」
キエス魔法闘士殿とはここで別れ、別の守護騎士に案内されて俺達は東側にあるという貴賓殿へと通された。
各部屋の扉前には護衛が立ち、この後は用がなければ明日の朝まで無闇に出歩くことは出来なくなる。
一通りそんな注意事項を説明されて案内してくれた守護騎士が去ると、今夜一晩を過ごすこの貴賓室に残された俺達はようやく一息を吐く。
「――やっと息が吐ける。」
俺は傍にあった柔らかそうなソファに、装備も外さずそのままドサンッと倒れ込んだ。
「お疲れでしょうが浴室が完備されているそうなので、湯浴みはなされた方がよろしいでしょう。」
トゥレンは腰に装備した中剣のミスリルソードに手をかけたままで、うつ伏せにソファへと飛び込んだ俺に微苦笑する。
「ああ…さすがにこのままでは寝られないか。」
「室内を点検した後にご用意致しますので、少々お待ちください。」
「…頼んだ。」
なぜかにこにこと嬉しそうにしながら、甲斐甲斐しく俺の世話を焼くトゥレンに、意外と忠実だな、と思う。名家の出なのだから、普段は自分が世話を焼かれる方なのだろうに。
起き上がってライトニング・ソードを外して手の届く位置に立てかけると、すぐに扉を叩く音がして、国王殿の侍女服を着た二人の女性が台車に乗せた食事を運んできた。
時間が遅いため『軽食』を、とは言っていたものの、消化には良さそうだがそれなりにきちんとした料理がテーブルに並べられていく。
室内の点検を終えたトゥレンが戻り、浴槽に湯が張られたことを告げると、俺と同じように装備を解除してから二人テーブルに着き、それをありがたく頂く。
程良い酔い加減になる程度の酒も付けられており、俺とトゥレンはそれを少しだけ口にした。
「うん、美味い酒ですね。シェナハーンでは果物から作る果実酒が一般的だと聞いていましたが、これは穀物酒でしょうか。」
「…ああ。」
口に含んだ瞬間はピリリと辛く、それでいて少しずつ甘味を感じ、喉を通ると香りが鼻に突き抜ける。
胃に入ると身体の中から仄かに暖まるような酒だ。確かに美味い。
――そう言えばトゥレンとこんな風に二人でゆっくりと食事をし、酒を飲むのはこれが初めてだ。
食事なら何度も一緒にしたことはあるが、仕事の合間に慌ただしく食べるだけでいつも忙しない。(それ以前は言わずもがなだ。)
俺は出された料理をゆっくりと味わい、シェナハーンの郷土料理を堪能する。どれも優しいほんのりとした味付けで、王族などが好みそうな上品なものばかりだ。
トゥレンは終始にこにこと笑顔を浮かべながら、一人で俺に喋り続ける。子供の頃の話から両親や年の離れた弟の話、士官学校に入った切っ掛けや父親の退役した理由など、尋ねもしないのにここぞとばかりに俺に聞かせる。
そのことからこいつは、俺に自分のことをもっと知って貰いたいと思っているのだろう。だがふと違和感を感じる。
子供の頃の話が出るのなら、イーヴのことは切っても切り離せないだろう。そう思うのに、トゥレンの口からはそのイーヴの話が殆ど出て来なかったからだ。
気になって俺からイーヴはどうだったんだと話を振ると、イーヴのことはイーヴが自分から話すべきだと言い、昔の話を暴露するときっと怒られる。そう言ってトゥレンは微苦笑した。
その表情にどこか不自然なものを感じたが、確かにイーヴなら自分の知らないところで自分の過去を話されるのは嫌いそうだと納得もする。
だが今後そんな機会があったとしても、果たしてあのイーヴと二人きりで、今のトゥレンのように寛いだ話が出来るのだろうか。……想像もつかん。
それから食事を済ませた後に交代で風呂に入ると、明日の予定を確認しようとしたトゥレンが、肝心な連絡事項の書類が来ていないと言って騒ぎ出した。
俺は既に休む体勢に入っていて、私服に着替え寛いでいたが、風呂に入ったというのにトゥレンはまた近衛服を着て勤務状態を続けていた。
聞けばイーヴに、『深夜二時までは寝入るな』と釘を刺されたらしく、室内を点検しても気を抜かないように、しっかり俺を守れと言われて来たようだ。
そう言い聞かせたイーヴも鬼だが、それを守るトゥレンもトゥレンだ。扉の外には守護騎士の護衛が立ち、不審者が殿内に入り込むこともないだろうに、疲れているはずなのだからもう休んでも構わないだろう。
そんなに気を張っていないでとっとと休め、と俺が告げると、連絡事項の書類を受け取りにだけ行き、それが済んだらちゃんと休むと言ってトゥレンは部屋から出て行った。
俺はそのままソファでトゥレンが戻ってくるのを暫くの間待っていたが、三十分が過ぎても戻らなかったため、明日の式典で貴賓席に座らされるのに、そこで俺が欠伸をするのはまずいと思い、先に休ませて貰うことにしたのだった。
――書類がないと言ってライを部屋に残して出て来たトゥレンは、守護騎士の案内で〝とある場所〟へ向かっていた。
時間はもう間もなく日付が変わる深夜だ。
上手くライ様に疑いを持たれず部屋を出ることには成功した。俺が中々戻らなければ、殿内は安全だと知るライ様は俺を待たず先に休まれるだろう。
トゥレンは国王殿内の長い廊下を、守護騎士の後について歩きながらそんなことを考える。
そうしてトゥレンは、事前にイーヴから自室で話を聞いた時のことを思い浮かべた。
――それは昨日の昼にまで遡る。
「縁談!?――ってライ様にか!?」
公務でのシェナハーン行きに向けイーヴの〝扱き〟を受けるため、近衛の詰め所から自室に移動してきたトゥレンは、部屋に入るなり打ち明けられた極秘話に、驚いて素っ頓狂な声を上げた。
「他に誰がいる。」
耳鳴りがするほどに近くで大きな声を出されたイーヴは、左耳を押さえながらそれをトゥレンに差し出した。
「私も目を通すように言われたが、陛下からおまえ宛の書簡だ。読み終わったらすぐに燃やせと仰せつかっている。」
「待て、いったい何時こんなものを受け取っていたのだ?」
「昨夜だ。トゥレンはライ様に付き添って遅くまで城下に出ていただろう。その間に呼び出された。」
トゥレンはイーヴから受け取った書簡に目を通すと、すぐに険しい顔をして眉を顰める。
「……これは…」
「――できるだけライ様とペルラ王女殿下を二人きりにする時間を設け、先方がこの婚姻に乗り気になるよう仕向けろ、そう書いてある。国とライ様の一生に関わる大事だというのに…今度も陛下はあの方のご意向など、完全に無視なさるおつもりのようだな。」
イーヴは右手を腰に当てて、憂いを含んだ短い溜息を吐いた。
トゥレンの目から見てイーヴの胸からは相変わらず『赤い光』が放たれていたが、それとは別に穿った見方をしなければ、イーヴの表情はただライを心配しているようにしか見えない。
いったいこの光はイーヴのなにを反映しているのだろう、とトゥレンは思う。
「…あれ以来ライ様は『残り香』を衣服につけて戻ることはなくなったし、お一人で出られてもきっちりと御自身が仰った時間までには戻って来られる。本当に誰か相手がいるのかどうかは確かめられていないが、確実にこれを知れば反発なさることだろうな。」
トゥレンにはもう目の前に、腹を立てるライの姿が見えるようだった。
――だとしてもイーヴは結婚するかしないかは別にして、ライが婚約者を定めておくに越したことはないと言う。
それには理由があり、新法対象者をバスティーユ監獄から解放して以来、『英雄』として市井で持て囃されるようになったライに、凄まじい数の縁談話が持ち込まれるようになったからだった。
ライはその経歴が "他国から来た" と言うこと以外殆ど公にされておらず、普通なら自宅の方に行く類いの話も、王城に(もちろんロバム王の元にだが)届くよう手筈が整えられていた。
間接的な手段では話が中々通らないと痺れを切らした者は、直接ライへの面談を求めたり、隙あらばなにかしらの手段で接点を持とうとしていたが、それをイーヴが近衛の権限を使って全て遮断していた。
その縁談話は平民から貴族、果ては王国軍上層部の身内や親類に至るまで、様々な方面から来ていて、中にはシャール王子殿下の婚約者候補までもが入っている始末だった。
ロバム王は自分の思惑通り、ライに民間人の支持と貴族や軍人からの人望が集まったことを喜ぶ反面、予想外に歴史ある名家などからも話が来ると、ライが王太子であることを隠したままでは断るにも限界があるとイーヴに告げた。
その上で角を立てるより、ライに相応しい相手を先に決めてしまえばいいと考えたのだ。イーヴはそうトゥレンにロバム王から聞いたことを話した。
トゥレンは読み終わって内容を頭に入れた後、手にした書簡に燭台のろうそくで火をつけると、灰皿(煙草用ではなく、燃やした書簡や書類の灰を入れるための受け皿のこと)の上で完全に灰になるのを確かめた。
そのトゥレンにイーヴは続ける。
「国王陛下は既に先方へ、ライ様について身分を明かす極秘の書簡を送ったそうだ。内容がどこから漏れるかわからないこともあり簡潔にしか記しておらず、必ずあちらからトゥレンに説明を求める意思表示があるだろうと仰った。その際――」
その際はライに気づかれないよう、『連絡事項を後ほど渡す』と言う合言葉を相手が使用し、『それを部屋に届け忘れる』と言う失態をわざと行う。
後はトゥレンが書類がないと騒ぎ、それを取りに行くと言って部屋を出てから、護衛に立つ守護騎士にどうすればいいかと尋ねればいい。
それで極秘の会談が行われる手筈になっている。トゥレンはそうイーヴに説明されていたのだった。
――その言葉通り守護騎士筆頭のキエス魔法闘士殿から、会話の最中に『合言葉』が出て、実際に連絡事項の書類は『届かなかった』。
トゥレンは指定された通りの行動を取って、ライに知られることなくこれからトゥレンを待つその人物の元を訪ねるのだ。
トゥレンをその場所へと案内した守護騎士が、扉を叩いて告げる。
「トゥレン・パスカム近衛補佐官殿をご案内致しました。」
すぐにその周囲の壁と同色に彩られた扉が開き、中からログニック・キエスが顔を出した。
「お待ちしておりました、どうぞお入りください。」
キエス魔法闘士は愛想良くそう言うと、すぐに守護騎士を下がらせる。
促されるまま一礼をしてそこへ足を踏み入れたトゥレンは、室内に待っていた見るからに身分の高そうな人物にギョッとし、その場で直ぐさま跪いた。
「こ、これは…シグルド・サヴァン王太子殿下。主より先に御尊顔を拝しますことをお詫び申し上げます。」
トゥレンは事前に王太子の顔を写画で見て知っており、一目見てその人であることに気が付いた。
トゥレンの言う〝主〟とはもちろんライのことで、てっきり話は臣下の誰かとするのだと思っており、まさか明日には国王になる御方が自分を待っているとは予想もせず吃驚したのだった。
シグルド王太子は非公式の極秘会談であることから、堅苦しい対応は要らないと言ってトゥレンに微笑むと、時間が惜しいと言わんばかりに挨拶もなにもかもを飛ばして、ロバム王の印章が押された書簡を取り出し、開口一番にここに書かれていることは真実か、と問いかけて来た。
事前に送られて来たその内容にかなり驚いたらしく、シグルド王太子は緊張に張り詰めた表情でトゥレンの返事を待った。
跪いたままの恰好でトゥレンは顔を上げて肯定し、即座に『王宮近衛指揮官』としてここに訪問しているライが、真実エヴァンニュ王国でもまだ未発表の『隠された第一王子』であることを告げたのだった。
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翌日朝、ここ最近の習慣でかなり早くに目が覚めたライは、トゥレンに促されて国王殿内の許された範囲に散歩に出る。
一晩中扉の外に立って護衛を務めてくれていた守護騎士に、フェリューテラの歴史に関する本が数多くあると言う図書室の場所を教えられ、エヴァンニュでは知ることの出来ない過去に興味を抱いたライは、朝食までの一時間ほどそこを訪れてみることにした。
一棟丸ごと図書室になっていたそこに入ると、王立図書館並みの蔵書量に感嘆する。
「これは凄い…民間の書物は別に図書館があるそうだが、国王殿の図書室で王立図書館並みの本があるとは――」
どこになんの本があるのか、その表示に従って歴史に関する本を探すと、ライがずっと知りたがっていたエヴァンニュ王国に纏わる古代史や、フェリューテラで過去にどんな災害があったのかなどの様々な本がずらりと並んでいるのを見つける。
早速それらを手に取って読書用のテーブルに移動すると、すぐに本を開いて耽読し始めた。
「あった、護印柱…エヴァンニュ王国を守護する巨大な結界障壁…!…魔物の変異化を抑制する魔力阻害効果…?――エヴァンニュ国民が生まれつき魔法を使えないのは、守護壁の副次的作用によるものと推測…凄いな、ここの本にはきちんと知りたいことが書かれている…!!」
ライは目を輝かせると夢中になって本の頁を捲って行く。そうして他に人が室内に入って来たことにも気付かないまま、一時間近くを過ごした。
暫くしてずっと俯いていた首に疲れを感じそれを動かした時、すぐ傍に人の気配があることにようやく気が付いたライは、ハッと顔を上げる。
「!」
見れば隣の長椅子に、いつの間にか若い女性が座っていて、声もかけずにライのことをただじっと見ていた。
驚いたライはガタンッと音を立てて椅子から立ち上がり、本をその場に置いて女性から距離を取る。
「――ごめんなさい、随分熱心に歴史書を読まれていたので、声をかけるのが躊躇われたの。こんなに朝早くここを訪れる男の方がいらっしゃるとは思わなくて…貴方も外国からいらしたの?」
その女性は艶のある狐色の長髪を腰の辺りまで垂らし、樅の木のような深緑の瞳で穏やかに微笑んだ。
淑やかで物静かな印象に、ライの緊張を解くかのように柔らかく話す声は威圧感がなく、戸惑いながらもライは無視出来ずに返事をした。
「あ、ああ…早くに目が覚めたので、ここのことを守護騎士に教えられて覗きに来た。以前から知りたかった内容の本を見つけてつい…」
「そうでしたの。あら…その本はエヴァンニュ王国の…?」
「いや、これは…!」
ライは机の上に開いたままにしていた本を閉じ、すぐにそれを本棚に戻しに行く。この女性がどこの誰かは知らないが、自分が興味を持つものを、本能的に見知らぬ女性に知られることを嫌ったライは、会話もそこそこにその場を離れようとする。
「以前私はエヴァンニュ王国に、半年ほど滞在していたことがあるのですが、王都はお変わりありませんか?」
引き止める言葉を使われたわけでもないのに、そう話しかけられてライは足を止める。
「…ああ、少なくともこの四年ほどは、そこまで大きな変化は起きていないな。」
「そうですか…良ければ少し話を聞かせて頂けませんでしょうか。他国の方に直接聞ける機会など滅多にありませんもの。」
その上品な物腰と口調に、ライは他国の貴賓だと無下にするのはまずいと感じ、少しだけなら、と了承して女性から離れた場所の椅子に腰を下ろした。
――これがトゥレンとシグルド王太子、守護騎士達によって誘導された、ライとシェナハーン王国の王女、『ナシュカ・ザクハーン・ペルラ・サヴァン』の初対面だった。
* *
『〝燕〟は戻ったか?』
朝靄に煙る景色と少し薄まった冷たい空気に、シニスフォーラの国王殿が遠く見渡せる小山の頂きから、白髪銀瞳の男はそれを見据えて傍にいた栗毛に無精髭の男ボッツに問いかけた。
『へい。報告書によると予定通り国王殿では、午前九時から国葬と簡略化された〝戴冠の儀〟が行われ、その後で謁見と会食、午後一時には標的はシニスフォーラを発つようでやす。』
昨日までの砕けて戯けた口調は消え失せ、今日は至って真面目に低い声でボッツは話す。
それに気を良くした銀瞳の男は、口の端を上げて珍しくボッツを褒めた。
『よく調べたじゃねえか。』
『……そりゃあ、お頭がどうしても〝殺る〟って聞かねえからですよ。頭が下手打つとは思いやせんが、それでもあの標的…俺はどうしても殺せるような気がしねえんですわ。』
〝勘〟ですがね、とボッツはフードで隠した頭を、ガリガリ布の上から掻いた。
『…ふん、てめえの勘は良く当たるからな。そんなおまえの報告書を見もせず破った俺が間違ってた。』
これまでの標的同様、命を狙われるなどどうせ碌な人間じゃねえ。そう思って馬鹿にし、侮った結果がこれだ、と内心銀瞳の男は悔やんでいた。
『うへ!頭がンなこと言うと、空から矢が降って来そうでおっかねえ…!!ぐえっ!!』
本気で青い顔をしたボッツは、銀瞳の男に腹への肘打ちを入れられる。
『お頭…国王殿には結界障壁が張られてるよ?専用車両以外で侵入したら弾かれるんじゃ…』
フードを脱いで櫟色の下げ髪を靡かせたのは、ライ達に町娘の衣装で助けを求めたビアという名の女だ。
ビアは不安気な顔をして銀瞳の男の身を案じている。仲間が五人、一度に返り討ちにされたのはこれが初めてのことで、普段とは異なる仕事内容に初めから疑問を抱いていたこともあったからだ。
『結界障壁のことは問題ねえよ。国王殿のあれは近い距離から通過する物体を弾くだけで、長距離転移や空からの魔物なんかにゃ反応しねえ笊なんだ。ここから転移すりゃばれることもねえから心配すんな。』
『…そっか。』
止めても無駄だと諦めたビアは、無理に笑顔を作って銀瞳の男に微笑む。
『――脱出の合図は普段通りだ。結界障壁に穴を開けて飛ぶから、タイミングを合わせて〝クレスケンス〟を呼べ。いいな?』
『『ヤー。』』
白髪銀瞳の男に、昨日までの激しい憎悪や強い殺気はなかった。不気味なほどに静かに、虚無の光がその銀色に輝く瞳に揺れているだけだ。
だがこの男は、こちらの方が恐ろしい。
『んじゃ、行って来る。…また後でな。』
『お気を付けて。』
『行ってらっしゃい、お頭。』
ボッツとビアに見送られ、銀瞳の男は転移魔法で姿を消した。
――この集団の名前は『オホス・マロス』と言って、頭である白髪男の銀瞳に因んで付けられたものだ。
その意味は無限界『インフィニティア』のある言語で、『魔眼』を表す。
昨夜シグルド王太子と極秘に会談をしたトゥレンは、ライがエヴァンニュの第一王子であることを伝えた後、パスラ街道で正体不明の集団に命を狙われたことをキエス魔法闘士に話した。その時意外な話を聞く。
「義賊、ですか?…暗殺団ではなく?」
強い殺気に無言で襲撃する統率の取れた行動。あれは間違いなく『暗殺団』だと思っていたトゥレンは、キエス魔法闘士に思わず再度問い返してしまう。
「聞いたことのない言語を話し、左手の甲に『羽根の生えた蛇』の入れ墨…短丈の外套に組紐の腰帯。特徴を聞くに盗賊団『オホス・マロス』に間違いないと思います。少なくとも我が国とファーディア王国、メル・ルーク国やアヴァリーザ民主国にエラキストン小国では、困苦に喘ぐ者や貧しい生活をしている民の味方であり、〝義賊〟としての彼らの方が良く知られています。ただ…」
言い難そうに一度言葉を切った後、キエス魔法闘士はシグルド王太子を見た。
「エヴァンニュ王国とゲラルド王国に対してだけは、『暗殺団オホス・マロス』と自ら名乗っているようだ。」
険しい顔をしてシグルド王太子はそう続ける。
「一部噂では白髪銀瞳の魔法に長けた若い頭領が、エヴァンニュ王国とゲラルド王国に対して深い恨みを持っているらしく、時々戦場に魔物を誘導して突っ込ませたり、最前線に紛れ込んでまで両国の兵士達を無差別に殺して回っていると言う話も聞く。」
「――つまり、ライ様はエヴァンニュ王国の重鎮であるが故に、狙われた可能性があると言うことですか…?」
「その可能性も十分あるだろうな。」
二人から話を聞いたトゥレンは、その場で暫し考える。
エヴァンニュ王国とゲラルド王国に対してだけ、暗殺団を名乗るその頭領は深い恨みを持っている――
ふとどこかで聞いたことがあるような話だ、と思った。
「失礼を承知で確認しますが、国王殿の侵入者対策は万全なのですね?御存知のように我が国は、魔法による結界障壁で城を守ると言う警備対策は行ったことがないので、護衛対象から離れることはありません。明日ライ様は貴賓席に座し、自分は式が全て終了するまでお側に付けません。心配なのは暗殺団の五名は討伐しましたが、その白髪銀瞳だという頭領は一度も姿を見せなかったことです。」
もしあの強い殺気の主がその頭領だとすれば、仲間が死んだくらいでは引き下がらずに、今後もライ様の命を狙うのではないか。トゥレンはそう懸念を抱く。
それに対しキエス魔法闘士は国王殿の結界障壁について、トゥレンに事細かく丁寧に説明すると、どんなに魔法に長けた存在でも、羽虫一匹がやっと通り抜けられるような穴を突いて敷地内に入るのは不可能だと自信を見せる。
それでもトゥレンはまだ心配だったが、それ以上は守護騎士やキエス魔法闘士の能力を疑うことになりかねず、シェナハーン王国側を不快にさせる可能性があったため、言葉を飲み込んだのだった。
「どうした?トゥレン。朝食が進んでいないぞ。おまえは午後まで立ちっ放しになるのだから、しっかり食べておけ。」
向かい合ってテーブルに着くライ様は、俺の手が止まっているのを見ると心配して下さったのか、首を傾げながらそんなことを仰る。
「ああ、はい、もちろんです。」
黙々と朝食を口に運ぶライ様を見て、その上品な所作に、イーヴが教え込んだテーブルマナーをしっかり身に着けていらっしゃるな、と微苦笑する。
朝食が運ばれてくるギリギリの時間まで図書室に行っていたライ様は、何事もなかったように戻って来られたが、計画通りにきちんとあの方の妹君にはお会い出来たのだろうか。
今回の縁談には、ペルラ王女殿下のお心がなによりも重要だと、シグルド王太子殿下は仰った。
キエス魔法闘士殿はあまり乗り気ではないようだったが、シグルド王太子殿下の方は他国でも評判の悪いシャール王子殿下ではなく、『黒髪の鬼神』として知られているライ様が王女殿下の相手だと知ると、殊の外喜ばれた。
式典後に謁見し、ライ様を見れば恐らくはさらに気に入られることだろう。これで王女殿下がライ様を気に入ってくだされば、この縁談は問題なく成立する。
ナシュカ・ザクハーン・ペルラ・サヴァン王女殿下――
あれは六年ほど前のことだったか。まだ十六才であられた殿下は、魔法を使えない我が国の民の暮らしと駆動機器などの勉学のために、半年ほどエヴァンニュに滞在されたことがあった。
俺とイーヴは国王陛下のご命令で王女殿下の護衛につくことになり、愛想のないイーヴに代わって機嫌を損ねないようにと酷く気を使ったものだった。
当時の殿下はまだ少女のようであられたが、淑やかで物静かなその立ち居振る舞いと言い、人を不快にさせない穏やかな話し方と柔らかな声に、女性というのは本来こうであるべきだと深く感銘を受けたものだ。
あれ以来俺の理想は、王女殿下のような非の打ち所のない慎みのある女性像になってしまったのだが…
ライ様がご結婚、か…ペルラ王女殿下なら、ライ様もお心を開かれるのではないだろうか。
堅苦しいのは嫌いそうだが、少なくとも下町の酒場で働くような踊り子よりはずっと――
「そろそろ時間だな、式典用の礼服に着替えるか。」
「お手伝いしますか?」
ライ様が断ると知っていて、俺はわざとそんな風に口に出してみる。
「要らん!!」
ほんの少しだけその表情を崩して、ライ様は下から見上げるように俺を睨む。
そんな素の表情を頻繁に見られるようになって、俺はライ様が益々好きになった。だからこそ、ライ様には本当の意味で心から幸せになって頂きたい。
この縁談がライ様にとって、どうか良きものとなりますように――
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