120 白髪銀瞳の暗殺者<シカリウス> ①
隣国の国葬にエヴァンニュ王国の代表者として列席することになったライは、同行者にトゥレンだけを連れて国境街『レカン』に入りました。そこで昼食と短い休憩を取ってから国境を越えようと思っていましたが、トゥレンと少し揉めることになって…?
【 第百二十話 白髪銀瞳の暗殺者 ① 】
その日、アフローネの踊り子『カレン・ビクスウェルト』がそこを通りかかったのは偶然だった。
普段ならこの時間は自宅で寝ているか、誰かしら誘ってくれた男の元で微睡んでいるかのどちらかだ。
それが今日に限って公共地区に用があり、その帰り道として王国軍兵士官学校の前を通り自宅のある下町へと向かっていたのだった。
そこへその士官学校の入口からちょうど出て来た、王宮近衛指揮官の『黒神の鬼神』を見つけてしまう。
自分の女らしい肉体と美貌に絶対的な自信を持つカレンは、以前ライに声をかけて自らを売り込もうとしたのだが、そこに現れた近衛隊士の(今は第二補佐官)『ヨシュア・ルーベンス』に邪魔をされ、追い払われてしまった。
ライに近付くな、と警告を受けたにも関わらず、彼女は自分が声をかけた時、僅かにライが興味を示したことを勘違いし、寧ろもう一度機会があれば今度こそ親しくなれるに違いないとさえ思っていた。
その『好機』が、目の前を歩いて行く。カレンがそれに飛びつかないはずはなかった。
この時のライは、士官学校を出る前に着ていた近衛服をきちんと外套で隠し、黒髪が見えないようにフードも目深に被っていた。
それでもカレンがライに気づいたのは、『見る人が見ればわかってしまう』と言っていたヨシュアの忠告通りだったからだ。
カレンは顔を隠すようにして俯きながら歩くライに、すぐさま声をかけようとしたのだが、ライが歩いて行く方向が自分の向かう方と同じであることに気づき、ふとライ・ラムサスはどこへ向かっているのだろうと、伸ばしかけたその手を引っ込めた。
視察などの公務であるのなら、『双壁』のどちらかが必ず護衛に付いているはずだ。その姿が見えないと言うことは、今は休憩時間のような私用で出ているのだろう。それなのに、ライの足は下町へと向かっている。
その行き先にカレンは意図せず興味を持ってしまった。
――そうしてすぐに声はかけずに、ライの後をつけてみることにしたのだ。
人目を避けるように早足で歩くライは非常に勘が鋭く、余程警戒しているのか、一定の範囲に近付きすぎるとすぐに気配を察して後ろを振り返る。
その度にカレンはヒヤリとしながら、民家の壁などに隠れて間隔を開け、辛うじて見失わない距離を保ち、ゆっくり、慎重にその後をつけていった。
やがて下町に辿り着き、見慣れたアフローネのある繁華街の通りまで来ると、そこを慣れた様子で歩いて行くライに、通りのどこかにある商店に用でもあるのかもしれないと、カレンは尾行に飽き始める。
このままだとせっかくの機会を失いかねないことにも気付き、〝もうそろそろ良いわよね〟と、痺れを切らして声をかけようと身を乗り出した時だ。
「え…嘘、いない!?」
つい今の今まで先を歩いてたライの姿が忽然と消える。
慌てたカレンは最後にその姿を確認したところまで走って行き、きょろきょろと辺りを見回すと、そこに路地裏へと続く脇道があることに気づく。
自分の美貌に自信を持っていたカレンだが、過去に何度か破落戸に攫われそうになったことがあり、こう言った人気の少ない危険な場所には十分注意して、近付かないように気を付けていた。
« いけない、こっちは駄目だわ。»
身の危険を避けるため、その場から立ち去ろうとした時、微かに近くの建物から人の声が聞こえる。
「俺だ、リーマ。」
その男らしく低く耳に良く通る声に、カレンはハッとして顔を上げると、普段なら決して足を踏み入れない路地裏に急いだ。
〝この声…まさか――〟
――そこで彼女は見てしまう。
エヴァンニュ王国軍最高位軍人である王宮近衛指揮官のライが、その身分と地位に凡そ似つかわしくない場所に立ち、見覚えのある女に迎えられて粗末な集合住宅の一室に入って行くのを。
カレンは目にした光景に呆然とし、暫くの間その場から動けなくなる。
「……どういうこと?」
そうしてようやく口から出たのはその小さな呟きだけだった。
♦ ♦ ♦
王都から真っ直ぐ北に街道を進む、エヴァンニュ王国とシェナハーン王国の国境には、先日行われた(途中で中止になったが)国際商業市の規模を小さくしたような露店が常に並ぶ、交易の国境街『レカン』がある。
ここでは普段から世界各国の様々な商品が国内の商人達によって取引され、仕入れられた品物は王都や各市町村へと、『キャミオン』と呼ばれる積荷専用の運搬車両や守護者の護衛付き馬車に乗せられて運ばれて行く。
このレカンはエヴァンニュ王国が唯一接する他国、シェナハーン王国との国境街と言うこともあり、王都に次ぐ国内で二番目の大きさを持つ非常に大きな街だ。
当然ここを守る国境兵が常駐し、有事の際には王都の二重門並みに強固な扉を開閉するのだが、建国以来永きに渡り友好国であり続けたシェナハーン王国とは、魔物による街への侵入を防止する以外でここが閉ざされたことは過去にないと言う。
またエヴァンニュ王国の国民は、必ずシェナハーン王国を通らなければ他国に行くことが出来ないため、ここで必ず身分証明となるものを提示し、隣国への『入国税』と『通行税』(シェナハーン王国に用がある場合は入国税のみ)を支払わなければならないのだが、犯罪履歴さえなければ越境する審査基準もかなり緩く優遇されている。
因みに国境を挟んでエヴァンニュ王国側の街名は『レカン』だが、国境を越えたシェナハーン側は『リーニエ』と言う。
王都を出発して約五時間。ちょうど昼時に差し掛かったところでここに到着した俺とトゥレンは、一旦短時間の休憩と昼食を取ることにした。
それと言うのも今回の移動手段は馬車やシャトル・バスなどの公共交通機関ではなく、王国軍専用の軍用車両で国境を越えて、そのまま目的地まで行くからだ。
イーヴとヨシュアを残し、トゥレンだけを同行者に連れて来た俺には、駆動車両の運転知識がない。
普段なら軍用車両で移動するとしても、それ専用の技術者に運転を任せ、トゥレンものんびりと座席に座っていることが大半なのだが、今日はその運転すらもトゥレンが一人でするために、ここまでの長距離をずっと気を張って移動してきた。
そしてこの後もまだ七時間ほどの道程を、トゥレンに運転して貰わなければならないのだ。
「はあ…さすがに長時間座りっぱなしだと、腰に来ますね。」
軍用車両を『王国軍国境守備隊詰め所』の整備場に停め、車両から降りたトゥレンはその大きな身体で思いっきり伸びをした。
瞬間、パキパキ、ポキ、とあちこちの関節が音を鳴らす。
「昨夜大分遅くまでイーヴに扱かれていたようだが、体調は大丈夫か?まだ先は長い、先方の都合もあるからあまり遅くなるわけにはいかないが、少しぐらいなら仮眠を取っても構わんぞ。」
薄らと目の下に隈を作って今朝俺を迎えに来たトゥレンは、もうすっかり何事もなかったかのように従事しているが、俺を魔物の変異体から庇って死にかけたことを俺は忘れていない。
『闇の主従契約』と言うものが、どの程度まで従者に恩恵を齎すのか正確にはわからないが、病や肉体的疲労までもを回復させてくれるとまでは思えなかった。
「ありがとうございます、俺の身体を心配して下さるんですね。事故を起こすわけには行きませんから、本当に辛くなったら言いますので大丈夫です。」
「……そうか。」
トゥレンの身体を心配したのは確かだが、嬉しそうに破顔して素直に礼を言われた俺は、すぐに落ち着かなくなって目を逸らした。
「ああ、そうだライ様、ここからは魔法石『クルール』をご使用下さい。」
「『クルール』?」
思い出したように突然そう言ったトゥレンは、腰帯に提げていた小型鞄をゴソゴソ漁ると、見覚えのある『魔法紋』が刻まれた白っぽく光る無色透明の魔法石を俺に差し出した。
「これは…俺が髪と瞳の色を変えるのに使ったものと同じ魔法石か。」
「はい。以前は前髪で隠しておられたので問題ありませんでしたが、御髪の色はそのままで結構です、右瞳のお色だけ左瞳と同じ紫紺に変えて下さい。」
なんの前触れも無しに、ここへ来ていきなり瞳の色を変えろとはどういうことか。そう訝しんだ俺は酷く嫌な気分になり、トゥレンに理由を問い返した。
「怒らずにお聞き頂きたいのですが、ライ様の『ヴァリアテント・パピール』はミレトスラハ王家の直系男児である血統を表します。ライ様はまだ我が国の王族であることを公式には発表されておられませんので、我が国に対する良からぬ邪推を他国の貴賓に抱かれぬ為の防衛手段だとお考え下さい。」
「良からぬ邪推…?…待てトゥレン、それだけでは理解できん。俺がミレトスラハ王家の直系だと他国に知られるとなにがまずいんだ?きちんと説明しろ。」
――怒らずに聞けと言われても、そんな説明だけで納得出来るはずがない。イーヴとトゥレンは、まだ俺になにか隠しているのか。…そう思うと、ようやく二人に対して抱けるようになった信頼も一気に吹っ飛びかねなかった。
そんな俺の感情を察したのか、トゥレンはその苦衷を顔に表し、俺が王族の一員であることを認めない限り、全てを話すことは出来ないのだと頭を下げた。
俺は久しぶりにそんなトゥレンに対して、本気でカッとなった。
帰国してから築いていた絆を押し退け、すっかり忘れていた不信と疑心が再び首を擡げる。
俺に自らの命を捧げ、死しても尚従者で居続けると誓っておきながら、こいつは俺の問いにきちんと答えを寄越さないのか。
なにか事情があるのだろう。そう思おうとしても一度湧き上がったその疑念は、俺の中でそう簡単には静まらなかった。
「もういい、気が削がれた、俺は一人で飯を食ってくる。ついて来るなよ、おまえの顔を見ながらでは飯が不味くなる…!」
トゥレンに裏切られたような気がして酷く傷ついた俺は、その場で魔法石を使い右瞳の色を左瞳と同じ紫紺に変えると、魔力を使い切った魔法石をトゥレンに投げつけてその場から歩き出した。
「お、お待ちくださいライ様…!」
――それでもトゥレンは俺の後を追いかけて来る。普段以上に飼い主に叱られた犬のようにその耳を垂れ下がらせ、後ろ足の間に尻尾を挟んで、鼻をキュンキュン鳴らしながらトボトボと。
そんな顔をして落ち込むぐらいなら、なぜ俺を失望させる?…結局おまえ達はやはりあの男の飼い犬でしかないのか。…腹の立つ。
俺の数歩後ろを黙ってついて来るトゥレンにイライラしながら、俺は街の案内板に従って食事処を探しに、人通りの多い繁華街へと足を踏み入れた。
国境街レカンの街並みは、王都とはまた違った石造りの建物が並び、その所々に古き趣を残している。
シェナハーン王国に跨がる砂地の多い『フラーウム荒野』の中心にあるため、風に細かな砂が舞い、樹木や草花が少なく、全体的に空気さえも黄色っぽく見える印象だ。
ここの歴史は王都よりも古いと言われ、エヴァンニュ建国時よりも前だとさえ聞くが、例によってそんな成り立ちですら普通に知ることは出来ない。
俺は適当な店を探して看板を見て回り、街道を渡り歩き、そこを通る守護者や冒険者に薬や魔法石を売る『行商人』らしき荷を背負った人々や、他国へ向かう民間人に守護者の護衛を伴った旅行者、この街の住人らしき労働者など、様々な人種と擦れ違いながら黙々とそこを歩いて行った。
ここから王都『シニスフォーラ』までは大分距離があるというのに、食欲さえも減退するこんな気分で、狭い車両内にトゥレンと二人、まだまだ長時間を過ごさなければならないのかと、うんざりした時だ。
ゾワッ…
――その後頭部から眉間を真っ直ぐに貫く鋭い殺気に総毛立ち、俺は後ろを振り返ってすぐさま身構えた。
「ライ様!!」
バッ
俺がライトニング・ソードの柄に手をかける前に、後ろを歩いていたトゥレンが飛びかかるようにして俺をしゃがませ覆い被さる。
「トゥレン…!」
どの方向からなんの攻撃が来ても良いように、トゥレンは全身で俺を包み込むような形で盾になる。
その表情は戦場にいた時と同じく、酷く強張って冷や汗を掻き緊張していた。
――トゥレンも今の強い殺気を感じ取ったのか。
道行く民間人達は、軍服を着た俺達が道端にしゃがみ込んで、いったいなにをしているのかと、不思議そうな顔をしながら通り過ぎて行く。
…いきなり背中に冷水を浴びせられたような強い殺意だった。だが…
飛矢か魔法が飛んで来るのかと周囲を見回したが、道行く人にこれと言った変化はなく、どこからも俺に攻撃が仕掛けられる様子はなかった。
「――大丈夫だ手を放せ。どうやら今のは挨拶だったようだな。」
一瞬で消えたその気配に、俺の肩を掴むトゥレンの手を押し退ける。そのまま顔を上げてふと見ると、まだ殺気の主を探すようにして周囲を窺っていたトゥレンの瞳が、普段のあの優しい黄緑色ではなく、時折見たような気がしていた『紫』色に完全に変化していた。
今日は見間違いなどではない。光の加減だとか、気のせいでもない。これは…
「トゥレン、前から思っていたが、おまえ…その瞳の色はなんだ?」
「…っ!!」
俺の問いにトゥレンはハッとしてすぐに右手で両目を覆うと、俺から離れて立ち上がり、逃げるようにして顔を背けた。
「おい!!」
その肩に手をかけ、無理やり俺の方を向かせると、既にその瞳の色はいつもの黄緑色に戻っていた。
だが俺を見たトゥレンの顔は憂愁に満ちていて、なぜか困惑している。
「――ライ様…」
また瞳の色が変わっている。…どういうことだ?
「なぜ逃げる?おまえ、俺になにを隠しているんだ?…答えろ。」
厳しく追及しようとした俺に、トゥレンは押し黙り、尚も目を逸らそうとする。
「…ちっ…来い!!」
俺は苛立って舌打ちをしトゥレンの背後に回ると、その大きな背中を右腕を使って突き飛ばすように強く押しやり(引っ張りたくてもこいつの力の方が強いからだ)、傍に見えた建物と建物の間にある裏手へと移動した。
――繁華街の通りを外れて建物の影に消えたライとトゥレンを、五百メートルも離れた建物の屋上から見ていた複数の人影があった。
その人数は八人。男が五人と女が三人で、その全員が動きやすそうな見慣れない素材の軽鎧に身を包み、手首から肘までを覆う手甲を着けている。
一見すると何処にでもいそうな冒険者集団の風貌に見えるが、半袖でフードの付いた短丈の外衣に特徴的な組紐の腰帯を着け、全員が高価なオリハルコン製の片手剣や双剣、中剣などの武器を装備していた。
その上に左手の甲には羽根を広げた蛇のような入れ墨があり、話す言葉も他者には理解出来ない、特徴的な言語を使っていた。
『ハハハ、すげえな、この距離から俺が向けた殺気に反応しやがった。見たか?お前ら。』
そんな笑い声を発したまだ年若い男は、被っていたフードを外して顔を出すとニヤリと口の端を上げる。
――その男は、風に靡く春霞のような白色の髪を、漆黒の細紐で後頭部の高い位置に結び、銀色の瞳と首に巻いた『緑』、『紅』、『紫紺』の三色の組紐に変わった菱形の宝石が付いたチョーカー(首飾り)をしていた。
『頭…本当に殺るんですかい?この仕事、調べれば調べるほど依頼人が嘘くせえんですが。』
フードを被ったままの栗毛の無精髭を生やした男が、その鋭い眼光を放ちながらなにかの書簡を服の中から取り出した。
それを広げて〝頭〟と呼んだ男に向け差し出す。
『この一ヶ月、エヴァンニュ国内を探らせていた〝燕〟によると、標的の評判は意外にも悪くねえんすけど。』
頭と呼ばれた白髪銀瞳の男は、受け取ったその書簡を見ることなく、その場でビリビリと破り捨てる。
『ちょっ…お頭ぁ!!せっかくの報告書が…』
慌てた無精髭の男を、その恐ろしい瞳がギロリと睨んだ。
『――エヴァンニュの高位軍人に、事前調査なんぞ要らねえっつったろうが。てめえは俺に逆らうのか?』
その凄味のある声に、男はひっ、と怯えて短く喉を鳴らすとすぐに頭を下げた。
『す…すいやせん、けど依頼人が信用のならねえ奴だったもんで、つい――』
『…ふん、王太子シャールか。心配すんな、そっちも報酬を貰ったらすぐに殺すからな。』
『へ…?』
ゴッ…
そう言い放った直後に銀瞳の男は漆黒の闘気を放った。
『何度も言うが、てめえらも良く覚えておけ。俺は俺から、最も大切にしていたものを奪ったエヴァンニュとゲラルドを死んでも許さねえ。特に上の軍人と王族は、いつか必ず一人残らず全員ぶっ殺してやる。』
ゾッ…
その凄まじい憎悪と怨恨の負の闘気に、周囲にいた男女七人が寒気を覚えて尻込みする。
『ミレトスラハで散々戦中の両国兵をぶっ殺して来たが、下っ端ばっかコソコソ殺ってたってつまらねえからな。せっかく金も稼げる依頼を〝高貴な御方〟から頂いたことだ、復讐も兼ねてキッチリ血祭りに上げてやんよ。ハハハッ!!』
その狂気染みた笑い声を放つと、銀瞳の男は『おら、行くぞ。』と仲間に命令して転移魔法を使い、その場から消えて行った。
「――俺の敵が一目見てわかる?」
「…はい。」
建物の裏手にある、庭とさえ呼べないような狭い空間にトゥレンを押し込み、そこで怒声を浴びせ、俺を裏切るのかと問い詰めた上で、俺に瞳の色を変えさせた理由だけでなく、トゥレン自身の変化についてまで隠すのなら、俺はもうおまえを信用しない。
そこまで言ってようやくこいつは重い口を開き、あの紫色に瞳が変化する理由を話した。
「正確には周囲の人間が、ライ様に対しどんな感情を抱いているのか、それを『闇の眼』という特殊能力を使って放たれる光の色で見分けることが出来る、と言うものです。」
その力は俺との『闇の主従契約』によって齎された、従者のみに与えられた能力なのだそうで、その力の訓練のためにずっと使い続けている内に、他にもそれに派生した様々な能力が覚醒しているという。
例えばどれほど年月の経った古い痕跡でも、『ある種』の魔力を伴った残滓であれば見えるとか、識者ではないトゥレンにも『闇の精霊』だけは視認可能なのだとか、とにかくその『闇の眼』を使用すると瞳の色が紫に変化するらしい。
「他にも…俺には身体的な変化が色々と起きています。まだ試したことはありませんが、恐らく俺は生粋のエヴァンニュ国民であっても、闇属性の魔法であれば現在呪文を習得することで使用可能なのではないかと思います。体内に魔力の存在とその流れを感じるようになりましたから。」
トゥレンは伏せ目がちに、自分の両の掌を胸の辺りで上を向けて見やると、俺の目の前でその特殊能力を使って見せているのか、またその瞳が紫色に輝いた。
視線を俺に移し、真っ直ぐに目を合わせると、その紫がさらに鮮やかな日暮れ時の夕空のような色に変化する。
それは正にフェリューテラの属性色と言われる『闇』色に近い輝きだった。
「――なぜ…黙っていた?他者はともかくとして、俺には隠すようなことでもないだろう。その変化は俺との主従契約が原因だ。闇の大精霊であるあの『ネビュラ・ルターシュ』が、おまえに害を与えたとは思わないが、それでもおまえは…」
トゥレンは俺にその言葉を言わせたくなかったのか、普段は絶対にそんなことをしないのに、俺の言葉を途中で遮った。
「そうですね、俺はもう普通の人間ではなくなりました。でも俺は微塵も後悔していません。元々最初に説明を聞いた時点でわかっていたことです。あのフェザーフォルク・ラルウァ戦でも、ライ様の盾となった時に痛みを全く感じずに、一瞬で怪我が治ったことで自分の身体についてはしっかりと把握しました。ですが…」
〝このことをイーヴにだけは知られたくない。〟
――誰よりも信頼し、真っ先にその変化についても打ち明けるだろうと思っていた相手に、意外にもトゥレンは闇の主従契約についても、今後も打ち明ける気はないと言い切った。
「ライ様に『闇の眼』についてお話ししなかったのも、なにかの拍子にイーヴに知られることを恐れていたからです。ですから…ライ様、お願いです、どうかイーヴにはこれからもなにも話さないと約束して頂きたいのです。俺の勝手な言い分ですが、これだけは…!」
そのあまりにも必死な様子から、余程トゥレンは自分の変化を幼馴染で親友でもあるイーヴには知られたくないのだろうと思った。
だが既にトゥレンが俺を庇って傷を受けたのに、それが瞬時に治る場面をイーヴは目撃しているはずだ。
それでもなにも尋ねず、俺達に対してこれと言った態度の変化は見られないことから、トゥレンにどんな変化が起きていたとしても、生きていてくれるだけで良いと思っているのではないのだろうか。
トゥレンの気持ちはわからんでもないが、あれほどトゥレンを大切に思っているイーヴをトゥレンが信じてやらなくてどうするのか、とも考えた。
考えたが…そこまでは俺が口を出すことではないだろう。イーヴとトゥレンには俺の知らない深い絆がある。その絆があれば俺が気を回さなくても、自然になるようになっていくはずだ。
「…わかった、俺の口からは闇の主従契約とおまえの変化について、一切口外しないと誓おう。幸いにして俺はまだイーヴになにも話していないことだしな。」
「あ…ありがとうございます、ライ様。」
心の底から安堵した表情を浮かべるトゥレンに、俺は複雑な思いを抱く。『鬼神の双壁』と呼ばれるほど、絶対的な信頼関係で結ばれていた二人の間に秘密が生じることで、今後亀裂が入るような事態にならなければいいがと、ふと心配になったからだ。
「ふう…礼を言われる筋合いはない。おまえとイーヴの仲でなにを恐れることがあるのか知らんが、気の済むようにするといい。だが今後おまえ自身のそう言った変化を俺には隠すな。俺はおまえを信頼し、闇の主従契約で縛る責を負い、なにがあっても主としておまえの命とおまえの忠誠を受け入れると決めたんだ。それを決して裏切るな。」
俺はトゥレンの裏切りを決して許さない。もしそんなことがあれば、その時は…
……その時は?――どうするだろう。
「もちろんです。俺はこの命に懸けて、ライ様を裏切ることはありません。お疑いになった時はいつでも『死ね』と御命じください。その際はライ様の前で己の首を刎ねて見せます。」
――それを想像すら出来ないのは、こいつが俺を裏切ったりしないと、既に信じているからなのだろう。
臣下が忠誠を誓うように自らの胸に手を当て、どこか嬉しそうにしながらも、真顔で馬鹿を言ったトゥレンを俺は睨んだ。
「馬鹿なことを言うな、おまえには生きていて貰わねば困る。…俺が死ぬまではな。」
「はい…!」
――なにかどこかで腹を立てていた気分を有耶無耶にされたような気もするが、トゥレンには暗く悄気た顔をされるよりも、にこにこと笑っていられる方がいい。
なんだかんだ言っても、結局俺はこいつの人好きのするこの笑顔が気に入ってもいるのだ。
それにこの機運で『闇の眼』という特殊能力があることを知れたのは幸いだったかもしれない。
心当たりがあり過ぎて、逆にどこの誰かはわからないが、俺に強い殺気を放つ存在が近くにいる。
王都で一人出歩いていたことはいくらでもあったのに、国境を越える直前のこの場所で『挨拶』を寄越したと言うことは、シェナハーン国内で俺を狙う…もしくは殺す、という通告なのだろう。
だがもしそれが成功すれば、エヴァンニュとシェナハーンは戦争にもなりかねない。
≪これは…シニスフォーラまでの道中、魔物以外の存在にも気を付ける必要がありそうだな。≫
俺は心の中でそう呟いた。
それから俺とトゥレンは繁華街の適当な店で昼食を取り、国境検問所で身分証を提示して軍用車両で『リーニエ』側に入ると、そちらには寄らずに真っ直ぐ車両門から『パスラ街道』へと抜け出た。
シェナハーン王国の『パスラ街道』とは、三千メートル級の鋭角山『パスラ山』の麓を山越えすることなく迂回して通る、平坦な交通路の呼び名だ。
実は徒歩だとパスラ山の中腹を通る自然洞が直線的に伸びているため、パスラ街道を通るよりも断然早くシニスフォーラ方面へ抜けることが出来る。
だがその自然洞に、伝説級の巨大な化け物が棲み着いているとかで、余程先を急いでいる場合でもない限り、その『旧道』を通る人間は殆どいないのだとか。
無論俺達はそんな危険を冒す必要もなく、比較的安全な街道を通って行くつもりだ。
食事を取って腹を満たしたことで少し眠気に襲われたのか、トゥレンは何度か欠伸をするも、街道のすぐ脇でハンター達が魔物と戦っている姿を目撃すると、気を引き締めて車両速度を上げる。
ここからは予め渡されている『街道地図』を頼りに進んで行くのだが、パスラ街道はシェナハーン王国の南部地域や西部地域にも繋がっており、さらに途中から枝分かれしてパスラ山へと入って行く旧道と東部地域等へも通じる複数経路が存在している。
基本的には、人通りや荷馬車などの往来が多い道を選んで進んで行けばいいのだが、変異体などの強力な魔物も街道傍によく出現するため、事前の交通情報では問題がないとされていても、突然通行止めになって迂回を余儀なくされることもあるようだ。
それらを踏まえ、レカンを発って一時間ほど進んで来た頃、進行方向の道ど真ん中に、いきなり『駆動車両通行止め』の臨時交通標識がドン、と置かれていた。
俺とトゥレンはそこで一旦車両から降り、付近を通る人になにがあったのか事情を聞いてみることにした。だが…
「さあ?あちこちで魔物と戦闘中のハンターは見かけたけど、道を馬車とかが通れないほどではなかったと思うがなあ…まあ、僅か数分で状況が変わることは良くあるから、標識には従っといた方がいいんじゃないかね。」
「アクエ・タランチュラの変異体が出たとか聞いたような気もするけど、そんなのは日常茶飯事だし、気にも止めていなかったからわからないわ、ごめんなさい。」
――など、通行人は自分達が通って来た道にも関わらず、そこがどうなったかなど全く気にも止めていない様子だった。
「…弱りましたね、駆動車両が通行可能な道は二十分ほど戻って分岐を右に進めばいいのですが、大幅な時間の遅延になります。どうなさいますか?」
「そうだな…。」
カッカッカッカッカッ…
駆動車両は通行止めとなっている割りに、正面からは普通に荷馬車がやって来て、馬が地面を蹴る蹄の音を響かせながら俺達の横を通り過ぎて行く。
ある程度馬車の方は小回りが利くのかも知れないが、それにしても荷馬車が通れるのに駆動車両だけ通行止めとは少し妙だ。
シェナハーン王国の街道事情は良く知らないが、レカンでの殺気の件もある。ここは予定を変更せずに、決めておいた経路を辿ってシニスフォーラへ向かうべきだろう。
「いや、予定通りパスラ街道を通って行こう。駆動車両は通れないと言うのなら、俺達も様子を見ながら車両に乗り込めるところまで歩いて行けばいい。」
「……は?お待ちください、ですが軍用車両はどうなさるのですか?まさかここに置いて行くというわけでは――」
「国の財産を乗り捨てて行くはずがないだろう。そこは俺に任せろ。」
「え?いえ、任せろと仰っても…ライ様!?」
俺はスタスタと車両に近付くと、普段通り首に紐でぶら下げていた無限収納カードを取り出して起動させ、軍用車両を収納した。
「――…はあ!?」
俺の後ろでトゥレンがまた、顎が外れそうなほどに吃驚して大口を開ける。
「大声を出すな、大の男がみっともない。」
呆れて溜息を吐く俺にトゥレンは尋ねる。
「む、無限収納というのは軍用車両のような物まで入ってしまうのですか…!?初めて知りました…!!」
「当たり前だろう。大型魔物はあれよりも遙かに大きいんだぞ?中には十メートルを超えるものだって存在するんだ、それらを収納可能なのだから、このぐらいは入って当然だ。」
「いえ、ですが…!」
「うるさい、もういいから行くぞ。」
――まあ無限収納に駆動車両を収納するという、俺のような使い方をする人間の方が多分珍しいとは思うが、その辺りはわざわざ言わなくてもいいだろう。
駆動車両を無限収納に仕舞い込み、トゥレンと共に平然とパスラ街道をスタスタ歩き出したライの姿を、近くの崖上から気配を殺しつつも呆然として見ていた男女がいる。
レカンでライ達に向け、殺気を放った男を頭に持つあの集団だ。
『あっはっはっはっは!!!』
白髪銀瞳の男はヒーヒー言って目に涙を浮かべながら抱腹絶倒する。
『……お頭、なにがそんなに可笑しいんで?』
先程と同じくフードを被ったままの、また栗毛に無精髭の男がジト目をして銀瞳の男に突っ込みを入れる。
『バーカ、てめえがあんまりにも間抜けだからだよ。見ろ、軍用車両で迂回するどころか、あっさり躱されてンじゃねえか。』
『そっそれは頭がさっき、きちんと目を通してねえのに燕の報告書を破っちまうから…!!』
口答えをし、言い訳しようとした無精髭の男に正面から顔を近付け、銀瞳の男は胸ぐらを掴む。
『おお?あんだ、ボッツ。なんか文句あんのか?』
『い、いえ…ないでやす。』
銀瞳の男と無精髭の男のやり取りを、白けた視線で見ていた別の男がぼやく。
『標的は資格持ちか。どの程度の等級か知らねえが、っつうこたあ魔物を嗾けても返り討ちにされんな、こりゃあ。』
『つまり、〝魔物呼びの笛〟を使っても殺せないってことだね。』
同じようにフードを目深に被った女らしき仲間が考え込む。
どうやらライが一筋縄では行かない相手であることを悟ったこの集団は、この後どうするかを真剣に悩み始めた。
『ヘッ、面白え野郎だ。エヴァンニュの軍人共は対魔物戦闘にゃ慣れてねえって話だったが、あれは毛色が違うらしい。』
『まあ確かに。あの国にゃあ珍しい黒髪ですしね。』
ボガッ
『だっ!!』
『その毛色じゃねえ!!』
ボッツ、と呼ばれた無精髭男の間の抜けた同意に、銀瞳の男は後頭部を拳で後ろから殴った。
『よし、てめえら、作戦変更だ。標的が守護者の資格を持ってるっつうんなら、そいつを使うぞ。ビアとエクネ、サリは旅行者を装って衣服を着替えろ。バンバ、タロ、ファガは例の場所で待機。ボッツは俺と来い。』
『『『ヤー。』』』
白髪銀瞳の男は仲間達にそう指示を出すと、再び遠くに小さくなって行くライとトゥレンを見て、楽しそうに笑いながら漆黒の闘気を放つのだった。
次回、仕上がり次第アップします。いつも読んでいただきありがとうございます!!気に入っていただけたら、ブックマークなどしていただけると励みになります。白髪銀瞳の暗殺者、お楽しみに。