119 訪れた暫しの平穏
護印柱でヴァレッタを失ったライは、彼女をきちんと埋葬するためにエヴァンニュ王都外にある、『常外死亡者管理局』の総本部でもある『民間墓地』を訪れました。そこでイーヴとトゥレンも一緒にヴァレッタの冥福を祈ります。バスティーユ監獄での一件も終息し、平穏が戻ったようにも見えますが…?
【 第百十九話 訪れた暫しの平穏 】
――その無念さは如何ばかりかと、ログニック・キエスは慮る。
シェナハーン王国を治めるサヴァン王家に生まれながら、我が君主は国内に数多くある遺跡の魅力に取り憑かれ、そこでとんでもないものを発見したばかりに、こんな場所で命を落とすことになった。
知らなくても良いことを知り、最後まで世界の行く末を案じて『太陽の希望』と呼ばれた『守護七聖主』なる存在が、再びフェリューテラに現れることを信じて願い、存在するのかどうかもわからぬ隠された地を目指して――
五人ほどの国内Sランク級守護者と十五人ほどの屈強な採掘師を雇い、失せ物、行方不明者捜しに秀でた著名な占い師『ラーミア・ディオラシス』の力を借り、ログニック・キエスはエヴァンニュ王国との国境にほど近い荒れ地をひたすら掘り返す。
風に舞う細かな砂が頬に当たり、目に入らぬように暫くその瞳を閉じると、自分が長い間守り、仕えていた君主とその伴侶であった方々の生前の笑顔を思い浮かべた。
そうしてすぐ横で背中を丸める老女に話しかける。
「ラーミア殿のおかげで、無事にレイアーナ様を見つけることが出来ました。残念ながらやはり亡くなられていましたが、それでも親切な守護者に看取られて、その方々が手厚く弔ってくださったので、遺品のみを持ち帰った次第です。…残るはガレオン様のみですが…見つかるでしょうか?」
「…すぐに見つかる、ご案じなさるな。」
「――そうですか…あなたがそう仰るのなら、もう間もなくですね。…それにしても、ガレオン様はエヴァンニュへの国境を越えることさえ出来なかったとは…」
身長の高いログニックに対し、薄汚れた外套に身を包んだ老婆は、杖をついて腰を曲げ、見下ろすほど背丈に差がある。
だが彼は、この老婆が実はしゃっきりと背筋を伸ばし、杖などなくてもしっかりした足取りで歩くことが出来ると知っていた。
それだけに、なぜわざわざ粗末な衣服を着て、行き倒れそうな老女の振りをするのかが理解出来ない。
野盗や盗賊を警戒しての旅姿だとしても、もう少しマシな恰好をすればいいのにとさえ思っていた。
そんな考えを見透かされたのか、見た目で人を判断するようでは後々痛い目を見ると、ここに来る前に忠告されてしまう。
それでもログニックは、ラーミアを決して貶んでいるわけではない。寧ろその逆で、ここぞという時にこそ信頼し、どうしようもなくなった時などには積極的に頼っていた。
今回もそうだ。
古代考古学の研究に熱心だったガレオン・ザクハーン・オルバルク・サヴァン国王(他国では長いのでオルバルク・サヴァンの名で通している)夫妻は、もしもの際は王太子に国を託すと遺言を残し、誰にも言わずに『最重要遺物』を手にしてエヴァンニュ王国へと非公式に向かった。
だがそのまま二度と戻らず、連絡もないまま消息を絶ってしまったため、行方を捜すために力を借りたのだ。
結果二人とも既にこの世にはいないと言われ、遺体を捜すことになったのだが、それでも正確に死亡が確認されれば理由はなんとでも付け、きちんと対外的な国葬を行うことが出来る。
「守護騎士様!!見つけました、サンドワームに吐き出された馬車の残骸です!!」
その声にログニックは急いで現場に駆け寄ると、採掘師の男達に交じって手で地面を掘り始めた。
土に埋まった馬車の幌や木枠に混じって、消化されて骨だけになった遺骨が幾つも見つかる。
その中に、見慣れた秘宝の腕輪を嵌めた人骨があった。
「見つけた…我が主君、ガレオン様…!ようやくお会い出来ました。――お辛かったことでしょう、ログニックがご自宅にお連れ致します。…さあ、帰りましょう…!!」
ログニック・キエスは涙を浮かべてその遺骨を全て手作業で丁寧に丁寧に掘り出すと、頭蓋骨を胸に抱きしめて嗚咽を漏らした。
撤収前、ログニックはラーミアに深く頭を下げて礼を言う。
「――ありがとうございました、ラーミア殿。これで無事に国葬を執り行えます。」
「ようございましたな。しかし…魔法闘士殿。一つ知らせておくことがあるでの、ようお聞きなされ。」
「…はい?」
「『ナシュカ王女』を大切にお思いになるのであらば、ロバム王からの打診はお断りなされよ。国交を断絶すると脅されたとしても、決して首を縦に振ってはならぬぞ。これは先見によるわしからの忠告じゃ。」
「…!?」
それだけ言うと最後までフードで顔を隠したまま、ラーミア・ディオラシスはまた行き倒れそうな老女の振りをして杖をつき、止める間もなく去って行った。
――ロバム王からの打診。それは戴冠前の王太子と極近しい守護騎士の一部しかまだ知らない極秘の申し入れで、『両国の同盟関係をさらなる強固なものにするため、友好国シェナハーンの〝ナシュカ・ザクハーン・ペルラ〟王女と我が国の王太子との婚約を望む。』と言うものだ。
確かエヴァンニュ王国の王太子とは、その素行の悪さばかりが目立つというシャール王子殿下のことだったか、と彼は酷く不快に思い眉間に皺を寄せた。
「さすがと言うしかありませんが…あなたに言われるまでもない、幾ら親しい間柄と言えど、国を統治するに相応しくないと悪評のある王太子に、我が国の大切な王女殿下を嫁がせたりするものか。」
――そう心に決めていたログニックであったが、後にラーミアの言葉に従うべきかどうかでかなり悩むことになる。
なぜなら、国葬に列席し、ロバム王からの書簡で極秘に王太子だと伝えられた人物が、予想に反して申し分ないほどの人格者だと判明するからだ。
♦ ♦ ♦
王都の二重門を出て専用のシャトル・バスに乗り北西に暫く行くと、イル・バスティーユ島への軍港よりもう少し手前の辺りに、広大な敷地を持つ『常外死亡者管理局』の総本部がある。
そこは言うなればエヴァンニュ王都の『民間墓地』であり、稀に亡くなった人間が『不死族』となるアンデッド化を防ぐための、最終的な処理を行う場所でもあった。
王都以外の市町村では、古くからの風習で亡くなった人を弔う時、普通に葬儀を行い遺体を土に埋めてその上に墓石等を建て魂を鎮める。
墓地自体も大抵故人を偲ぶ住人達が、墓参りをしやすいように近くにあるものなのだが、王都だけは少し事情が異なっていた。
王族以外は王都内に墓地を持てず、遺体もそのまま土に還されるのではなく、火葬に処されて焼かれた後で、ある程度の粉状になるまで遺骨を完全に粉砕されてしまうのだ。
そして身内を失くした遺族は、故人の骨粉の一部だけを『形見』として小さな保存用の布袋に入れ、それだけを王都の自宅に持ち帰る。
残った骨粉は管理局の敷地内にある土に撒かれ、年度別に建立された御影石の墓碑にその名前が刻まれるという、少し変わった埋葬方法を取っていた。
エヴァンニュ王国の歴史について、百年以上前のことになるとその殆どが隠されているため、なぜ王都だけがこんな葬儀と埋葬方法を取っているのか理由を知る者はいない。
――俺は今日イーヴとトゥレンを伴い、ここに国の許可を得てずっと無限収納にしまったままだった『ヴァレッタ・ハーヴェル』の形見である『オリハルコンソード』を、彼女の遺体の代わりに埋葬に来たのだった。
今年度の墓碑にヴァレッタの名前が刻まれたことを確認し、俺はすぐ近くに青々と伸びる大きな『バリュスナラ』の木の下へ、穴を掘ってそれを埋めた。
彼女の形見はもう一つ、彼女が身に着けていた革の腕輪がある。俺はそちらだけを自分への戒めとして残しておくことにし、守護者として倒れるまで戦い続けたヴァレッタが、死しても尚魔物と戦えるように剣の方を埋めることにしたのだ。
「――ヴァレッタ…」
〝すまなかった。〟そう心の中で彼女に詫び、あの明るくさっぱりとした笑顔を思い出しながら冥福を祈る。
本当は彼女がリーダーを務めていたパーティーのメンバーと一緒にここへ来るつもりでいたのだが、ギルドへ伝言を頼んだもののとうとう彼らからは返事がないまま今日を迎えてしまった。
フォションともあれっきりで、彼らがどうしているのか気にはなっているのだが…
≪近いうちに俺の方からフォションの自宅を訪ねてみるか。…尤も、会って貰えるかどうかはわからんが…≫
俺の後ろではイーヴとトゥレンが、同じように暫くの間黙祷を捧げていた。
――王都に戻り、その足で今度は公共地区へと向かう。そこには臨時に設けた職業斡旋所があり、新法制定で職を失うことになった、バスティーユ監獄から解放された後の民間人が連日通って来ている。
俺のために事前に準備を整えてくれたイーヴ達のおかげで、彼らの再就職は順調に進んでおり、この分ならあと数日で全て終わりそうだった。
勝手な行動を起こし、後先のことも考えずに城を抜け出した俺を、イーヴとトゥレンは最後まで責めず、ヨシュアと三人で協力し俺が望むように手を尽くしてくれる。
彼らは当たり前のことだと言うが、今の俺にしてみればそれは感謝しかない。素直に礼を言うことも出来ず、未だ完全に打ち解けたと言える態度とはほど遠いが、それでも…俺達の間には以前とは異なる信頼関係が築かれているのだと自負している。
午前中の公務を済ませて一度近衛の詰め所に戻ると、留守を任せていたヨシュアが、あの男からの書類を手渡してくる。
「――シェナハーン国王夫妻の国葬は三日後か…気が進まんな。」
俺はそれを机の上に放り投げると、両手を組んで目の上に押し当て、椅子の背もたれに体重をかけるとそれを軋ませながら上を向いた。
「そもそもどうして俺が、『エヴァンニュ王国の代表』として列席しなければならない?俺は一介の軍人に過ぎず、しかも王命に逆らい謹慎処分を受けるような不届き者だぞ。」
「ライ様、それでもこの件は…」
「ハア…わかっている、交換条件として受け入れると言った以上は、公務としてきちんと熟すから心配するな、トゥレン。…今さら文句を言っても仕方がない。」
あの男が新たになにかを企んでいる可能性を視野に入れ、近衛指揮官の公式記録を調べてみたのだが、過去にも似たような前例があり、国王や王太子に変わって近衛指揮官が他国の行事に駆り出されることもあったようだ。
現在あの男と現王妃の息子である第一王子『シャール』は、ミレトスラハでエヴァンニュ王国軍の総指揮を執っている。
あれを戦地から呼び戻すつもりはまだないようだし、今回ばかりは仕方がないのか。
苦虫を噛み潰しうんざりして溜息を吐く俺を、イーヴ、トゥレン、ヨシュアの三人は戸惑い気味に見る。
ヨシュアは未だ俺とあの男の関係については知らぬままだし、トゥレンは俺がまた反発するのではないかと心配して、これが避けようのないことなのだと、バスティーユ監獄での出来事を思い出させようとする。
言われなくてもわかっている、あの男が民間人を解放するのに出した条件はこれが最後だ。それさえ済ませてしまえば、あの件はこれで終わらせられるはずだ。
…そう思うのに、今になって気が進まないのは、あまりにもあっさりとなにもかもが片付き過ぎたからだ。
結局あの新法制定に関わった件は、最終的に俺を含めたイーヴとトゥレン三人の減俸と三日間の自宅謹慎でけりが付いた。
バスティーユ監獄の内情については徹底的に隠され、俺が内部を荒らした責任についてもあの男は、王権で憲兵隊の不満を無理やり捻じ伏せた。
王宮近衛指揮官が王命に逆らい、新法制定に対して監獄に侵入し反乱を起こしたという処刑ものの一大事にも関わらず、大衆伝達を利用して俺を『英雄』に仕立て上げ、処刑すれば国民から反乱が起こるとして、軍上層部の極刑を望む声さえ黙らせてしまった。
おかげで俺は、王国軍内部の軍兵が敵か味方かではっきりと分かれるほどに注目を浴びている。だがそれは俺にとって好都合だ。
王国軍内部に俺への不満が募れば、いずれあの男は俺を近衛指揮官から降ろさなければならなくなるだろう。
その時が来たら俺は軍そのものを辞め、完全にあの男との縁も切るつもりでいる。
今後この国での古代史に関わる全ては、新法によって禁じられることで封印…国内にある発見済みの遺跡には、『魔法国カルバラーサ』から『魔法士』と呼ばれる十人ほどの使節団を招いてまでその入口に結界を施すという。
それによってこれからは魔物の駆除が目的であっても、守護者でさえそれらに立ち入る際は国の許可が要るようになる。
そんな魔物駆除協会の行動までもを制限するような悪法を作って、人命に関わるような緊急時などいったいどうするつもりなのか。…相変わらずあの男が考えることは俺には理解出来ない。
「明日の朝にはシェナハーンの王都『シニスフォーラ』へ向かわれるのですよね?ご準備の方は整われておられるのですか?」
明日隣国へ向けて出発するというのに、早朝から忙しく動く俺達を心配したヨシュアがトゥレンに向けてそんなことを尋ねる。
「準備もなにも、ライ様は無限収納をお持ちだからな、必要なものは全てそこに入れてしまえば済むし、護衛には俺一人が付くだけだ。シグルド王太子との謁見や会食はあるが、今回は弔事への参列が目的で滞在日数も一日だけとなれば、そこまで大掛かりな支度は必要もない。」
「いえ、私が心配しているのはライ様ではなく――」
「そうだな、ヨシュアが聞いているのは貴殿のことだ、トゥレン。」
「……は?」
ヨシュアとイーヴが俺の正面…二人の間に立つトゥレンを見上げた。
「今回私とヨシュアは留守番だ。友好国とは言え他国の侍女や使用人にライ様のお世話をさせるわけにはいかない。貴殿が身の回りのお世話からなにから、その全てを一人で担うのだぞ。…まさか護衛だけしていれば良いと思っているわけではないだろうな?」
イーヴにギロリと睨まれてトゥレンが押し黙った。あの顔はイーヴが口にした通りなのだろう。
「――ライ様、やはり私もお連れください。トゥレンだけでは心配です。」
即座に俺を見てイーヴが真顔で訴える。
身の回りの世話と言うが、俺は自分のことは自分でするし、そこまでなにもかもをして貰わなくとも構わない。(寧ろトゥレンにベッタリとくっつかれる方が迷惑だ。)ただ分刻みの日程や行動予定だけは、あちらの都合に合わせて随時細かく調整して貰わねばならないのは確かだった。
普段からそう言った管理は全てイーヴに任せており、俺に好きなようにさせると俺は公式行事を全て避け、謁見も会食もせずに国葬に列席だけしてトンボ返りをしかねないと読まれているからだ。
「イーヴ、おまえには対魔物訓練プログラムの残り、最終過程の監督を頼んであるだろう。国王陛下の勅命がある以上、そちらも待った無しだ。俺達が戻るまでには訓練を終え、期限までには各市町村に最低でも一小隊ほどの守備兵を派遣可能にしなければならない。」
これは魔物駆除協会から要請のあった王国軍兵士を派遣し、街の守備に当たらせる件の話だ。
これは直接近衛隊の負担軽減にも繋がることで、大分落ち着いては来たものの、それでもギルドからの出撃要請が絶えない今の状況を変えるには、少しでも早く済ませたい事案に違いなかった。
俺がそう言ってもイーヴはトゥレンを横目で見てまだ心配している。
だが俺の側近になりたてのヨシュアに、俺への反感を持つ守備兵や警備兵の訓練監督はまだ無理だ。
その点イーヴならたとえ反乱を起こされたとしても、これまでの功績や知名度、イーヴ自身の手腕や武力で以て、最悪私兵での制圧も可能だろう。
「そこまで心配するのなら、残りの時間を使ってトゥレンに必要なことを叩き込め。俺は俺のことは自分でする、最低限必要なのは普段おまえがしてくれている日程調整だけだ。」
イーヴは諦めて短い溜息を吐き、キッとトゥレンに厳しい視線を投げかけた。
「……かしこまりました、ではそのようにさせて頂きます。ヨシュア、この後も引き続きこちらは貴殿に任せても良いか?」
「お任せ下さい。なにかあればすぐにお知らせ致します。」
「頼んだ。――では貴殿の自室に行くぞ、トゥレン。その様子では着替えの用意さえまだ済んでいないのだろう。」
どうあっても俺と行くことは出来ないと理解したイーヴは、トゥレンに対してなにかのスイッチが入ったように、その表情が一変した。そのイーヴの表情を見るなり、トゥレンは狼狽え始める。
「い、いや、そんなことはないぞ。イーヴ、俺はこの後ライ様と昼食をご一緒に取ることになっているのだ。それは午後に――」
「そんな約束をした覚えはない、さっさと行けトゥレン。明日は朝七時までに部屋へ迎えに来い、わかったな。」
「ラ、ライ様…!!」
首に縄を付けて引き摺られる犬のように、近衛服の腰帯を掴まれ、トゥレンは半ベソをかきながら(本当に泣いているわけではないと、名誉の為に誤解のないように言っておく)イーヴに有無を言わさず引っ張られて行った。
二人が出て行ったのを確認し、俺は俺で休憩を取るために椅子から立ち上がる。
「ヨシュア、俺はこの後士官学校に顔を出し、それから二時間ほど休憩を取る。三時には戻るから、来週分の訓練日程と各地に派遣する守備兵名簿を机の上に用意して置いておいてくれ。」
「かしこまりました。あ、あの…ライ様!」
上着を羽織りながら仕事を頼み、部屋から出ようとした俺をなにか言いたそうな顔でヨシュアが呼び止めた。
「どうした?」
「――…いえ、すみません、なんでもありません。」
「…?」
わざわざ俺を呼び止めておきながら〝なんでもない〟と言ったヨシュアの表情が少し気になったものの、この時の俺は明日からシェナハーンに行くために、今日中に済ませておきたいことが多くあり、深く彼に問い返すことをしなかった。
後にこのことを後悔することになる。
ヨシュアに留守を任せ、城を出た俺はその足で王国軍兵への就職を志願する、十代の若者が通う士官学校へ向かった。
王都の王国軍兵士官学校は、王都のほぼ中心にあり、王族、貴族、平民問わず最低限の学費さえ払えば誰でも通うことが出来る。
選択学科や習得内容によって必要な分だけ学費を上乗せして行き、将来王国軍のどの位を目指すかによって授業を受ける時間や年数にも個人差が出るのだ。
因みに俺は王国軍に入るための最低条件を満たすため、半年ほどここに放り込まれたが、勉強に関してはイーヴとトゥレンが付きっ切りで指導し、学校自体に通ったのはほんの僅かだった。
なので親しい友人がいるわけでもなく、世話になった教官がいるということもない。それなのになんのためにこんなところへ来たのかというと――
「ティトレイ・リーグズ教官、お客様です。」
士官学校の受付で手続きを済ませ、外套のフードだけを脱いで顔を晒し、堂々と校舎内の廊下を通って歩き、若年組の剣の基礎授業を行っている中庭へ出て行く。
そこで授業記録と教官の補助を担う副教官に声をかけ、俺がここへ来た目的の人物を呼んで貰った。
俺はその場で待ち、振り返ったその男に向かって軽く右手を振る。すると訓練用の刃を潰した銅剣を手に、素振りをしていた学生達がこちらに気づいて一斉にざわめいた。
「おい、あれって…王宮近衛指揮官の――」
「黒神の鬼神!?」
「静かに!!剣振(素振り)続行!!残り五十!!」
「「はっ!!」」
日光を和らげ、傷ついた瞳を防護するための色の付いた眼鏡をかけて、足早にこちらへやって来るその男は、イーヴのものより少し濃い茶色の短髪に、顔の左半分に縦に入った痛々しい傷痕を気にもせず俺を見て破顔した。
「ライ先輩!」
「――ティトレイ。」
俺とほぼ同じくらいの体格に、教官服の袖を肘の辺りまで捲った技術指導担当のこの男は、俺の一つ年下で名前を『ティトレイ・リーグズ』と言う。
俺が士官学校を出てすぐに入隊した一般兵の遊撃部隊で知り合い、猟奇殺人事件の犯人捜索に駆り出され、俺がこの手で惨殺した『マグワイア・ロドリゲス』によって顔の左半分に深い傷を負ったと言う経歴を持つ。
その傷が元でティトレイは左目を失明し、近衛隊士を目指していた夢を諦めることになった。(※近衛になるには身体的欠陥がなく、健常者でなければならないという基準があるためだ)
当初は片目だけでも日常生活に問題はないと言われていたのだが、王国軍から退役したくないと無理を重ねたために、直後別の事故に遭って左足の膝から下を切断…その上頭を強く打ったために残された右目の視力が極端に低下し始め、いずれ光を完全に失うと医者に宣告されてしまった。
国を守る王国軍人になり、武勲を立てて上位武官になることを目指していたティトレイは希望を失って自暴自棄になり、暫くの間かなり荒れ果てていた。
知り合ったばかりの頃のティトレイは、明るく常にこの国に対して過剰なほどの夢や希望を抱いていて、あの男を恨み、望みもしないのに軍に放り込まれた俺と違い、鬱陶しいほどに脳天気だった。
それでも弱者を思い、下町に住む貧しい民間人を貶んだりせず、身分の有る無しに関わらず民は等しく守るべきだと熱く語ったその人柄を憎めず、いつの間にか俺の方がなにかと気にかけるようになっていた。
当然俺は、傷ついてボロボロになっていくティトレイを見ていられずに、イーヴとトゥレンが構うなとうるさく言う中、なんとか立ち直らせようと勝手に世話を焼き始めた。
それはたとえ失明しても守りたいものを守れるようになるための、五感に頼らない剣技を教えることから始まった。
力に頼るような攻撃の仕方ではなく、体幹と一定の軸さえしっかり鍛えて保てれば常人と同じか、それ以上に戦うことの出来る技術でもあり、片足が義足で盲目になっても、そこいらの破落戸には負けないぐらいの技量を身につけることが出来るというものだ。
俺は日常生活からその訓練まで、ティトレイに付きっ切りでそれを教え込んだ。
弱音を吐くティトレイを引っ叩き、諦めて死にたいと言えば頭から冷水をぶっかけて目を覚まさせた。
――そうしてその結果が、今目の前にいるティトレイだ。
ティトレイは自力で士官学校の教員試験を受けて突破し、技術指導担当の王国軍兵教員資格を手にしたのだ。
言っておくが、俺はイーヴやトゥレンに頼んで、裏で手を回したりは一切していないことを付け加えておく。
あれから三年が経ち、この笑顔を見られただけでも俺は安心だ。
「…久しぶりだな、会いに来るのが遅くなってすまない。突然の手紙なんかで頼んだにも関わらず、ジャンの基礎指導を引き受けてくれて感謝する。」
「いえ、ライ先輩が人並み外れて忙しいのは知ってますからね、寧ろ迷惑しかかけられなかった俺のことを、覚えていてくれるとは思いませんでした。」
「なにを言う、忘れるわけがないだろう。そう長い付き合いでこそなかったが、俺はあれでも貴殿のことを気に入っていたんだ。」
「えーそれ、本当ですか?」
茶化すように屈託なく笑うティトレイに釣られて、思わず俺も相好を崩す。
俺がティトレイと親しげに話しているのを見て、学生達の訓練の手が止まった。
まるで酷く珍しい物でも見ているかのように、口をポカンと開けて驚いているようだ。
「ところで、ジャンは迷惑をかけていないか?学科を受けるのはどうしても嫌だと言うから、技術指導の授業と訓練にだけ通うように手配したが、気になって様子を見に来たんだ。」
「ふ…先輩って、なんだかんだ言って結構面倒見良いですよね。軍内では激しい気性の方が良く知られてますが、俺やジャン少年にとっては全く印象が違います。あれほど人を斬るのは嫌だと仰っていたのに、ミレトスラハに行って変わってしまうのではないかと心配でしたが、以前と同じ優しい先輩でホッとしましたよ。」
「……そうか。」
――以前と同じ、か…そうでもないと思うんだがな。魔物ではなく人の血で手を汚した俺は、もうあの頃とは違う。
リーマやルーファスに会う前の、ここへ帰って来た直後の俺を見たのだったら、おそらくティトレイから今の言葉は聞けなかったことだろう。
「ジャン・マルセル!!こっちへ来なさい、ライ・ラムサス近衛指揮官閣下がお呼びだ!!」
「は、はい!!」
ジャンの様子を聞ければ良いとだけ思っていた俺は、突然声を張り上げてその名を呼んだティトレイに一驚する。
「おいティトレイ、なにも指導中に呼ばなくても――」
「まあまあ、彼とも会うのは久しぶりなんでしょう?新法逮捕者が解放された時以来なんですよね、ずっと会いたがってましたよ。」
そう言われて顔を上げると、少し情けのない顔をしたジャンが息を切らせて芝生の上を走ってくる。
ヘイデンセン氏と共にバスティーユ監獄から本土へ戻り、軍港で約束を果たせたと迎えに来ていたジャンの元に無事に帰してから、既に半月以上が経った。
港に着くなりジャン達の目の前で拘束され、その後罰を受け処分を言い渡された俺は、それでも手を尽くして謹慎中に城からティトレイへの手紙を書くと、ジャンへの手紙はアルマに頼んで渡して貰い、もう一つの約束…剣を扱えるように教える、と言った自らの言葉を守る為にその準備をしていた。
もちろん初めは俺が基礎から全てを教えるつもりだったのだが、新法制定でさらに謹慎処分を受けた上に、民衆の味方だ、英雄だと持て囃され、騒ぎがある程度落ち着くまでは公務以外で外には出られなくなってしまった。
早朝や深夜に少しだけ抜け出し、どうにかリーマにだけは会いに行っていたのだが、ジャン達がいる公共施設には近付けず、こんな形を取るしかなかった。
ティトレイは初めこそ士官学校で剣技指導を受けていたが、左目の視力を失い、足が不自由になってからはそれが役に立たず、一から俺が別の基礎を叩き込んだため、俺がジャンに教えようとしていた基礎を身につけているティトレイに、ある程度までの指導を頼むことにしたのだ。
そうしてこの士官学校に一時的にだがジャンは通うことになった。ルクサールの避難民は現在国の保護下にあるため学費は免除されており、費用の心配もなく安心して学ぶことが出来るというわけだ。
「ライ…っ!!」
随分情けのない顔をしていると思ったが、予想外にジャンは泣きそうな顔をして俺に抱き付いて来た。
「――と、ジャン…どうした?他の学生達に見られているぞ。」
「いいんだよ!!ライは俺にとって兄ちゃんみてえなもんだし、他の大人と違ってライは俺を放り出したりしねえだろ…!!」
「それはそうだが…」
子供のように甘えてくるジャンに、俺は少し戸惑う。まあ今までヘイデンセン氏しか大人は傍におらず、ネイやマリナ達自分よりも幼い子供の面倒を見て来たのだから、精神的に頼れる存在は誰もいなかったのだろう。もしかしたらずっと一人心細い思いをしていたのかもしれない。
「あれから俺、何度も城に会いに行ったんだ。けど警備兵は俺のような子供にライは用がないって言って、伝言すら伝えてくんなくて…もうライに会えないかと思ったんだ…!」
「ジャン…」
――なるほど、そんなことがあったのか。確かにこのところ俺に面会を申し込んでくる民間人の数が増えていると聞く。
どんな用件があるのか警備兵がいちいち聞くのも大変だろうと、余程でない限り帰って貰うように言ってあったからな、まさかその中にジャンが入っていたとは思わなかった。
今後知り合いの用件だけは、きちんと俺のところまで通す方法をなにか考えた方が良さそうだ。
「それは悪かったな、俺は明日から公務で隣国のシェナハーンに行く用事があるんだが、帰ったらおまえやマリナ達がいつでも俺に連絡が取れるように、なにか方法を考えることにしよう。」
「本当か…?」
「…ああ。」
俺は不安気に顔を上げたジャンの頭を優しくポンポン、と撫でた。こうして見ると十五とは言え、ジャンはやはりまだ子供だ。
士官学校に通う年令でも、できるだけ手の届く限り俺が守ってやりたいと思う。
「へえ…、驚いたな。ライ先輩にそんな顔をさせるなんて…やるじゃないか、ジャン・マルセル。」
「おい、どう言う意味だティトレイ。」
「いえいえ、『黒神の鬼神』の人柄は良く知っていますが、王都広しと言えどそこまで先輩の表情を崩せるのは、多分この子ぐらいだなと思って驚いたんですよ。用は済んだかな?戻りなさい、マルセル。」
「はい、ティトレイ教官。…またね、ライ。」
「ああ。」
ジャンはティトレイの言うことを素直に聞いて俺に手を振り、学生達の元へと戻って行く。そうして合流した同年代の学生達に囲まれると、ジャンは他の少年少女達と変わりなく、それなりに上手くやっている様子だった。
あの分なら暫くはこのまま、士官学校に通わせても大丈夫だろうと俺は少し安心した。
それからティトレイにもう一度ジャンのことを、くれぐれもよろしく頼むと伝えて俺は士官学校を後にする。
この後はいつものようにリーマの部屋に寄って昼食を取り、二時間ほどを過ごしてからまた仕事に戻るつもりだ。
バスティーユ監獄の一件以来、新聞だの雑誌だの大衆伝達によって褒めそやされ、さらに顔を出して王都を歩きにくくなった俺は、着ていた外套の前をきちんと閉め、出来るだけ近衛服が見えないようにしてフードを目深に被り、目立つ黒髪を隠し、人と目を合わせないように俯き加減で足早に下町へと向かう。
――俺はヨシュアに以前忠告されていたことも、今現在自分がどう言う立場におかれているかと言うことも、自分なりに十分理解しているつもりだった。
今はまだ姿を隠し、人目を避け、俺の周囲にも彼女の周囲にも、俺達の関係が露見しないように、細心の注意を払って警戒し続けなければならない。
いつまでも隠し続けていられると、本当に思っていたわけではない。ただそれでも俺は、僅かな時間で構わないからリーマに会いに行きたかった。
彼女の声を聞き彼女の笑顔を見て、彼女の温もりに触れ、彼女の優しさに包まれることで、俺は自分の居場所は彼女の傍なのだと感じ、自分という存在がこの世界にいても良いのだと安心して思うことが出来た。
誰になんと言われようとも、俺はリーマを愛している。未だ彼女にそう言えずにいるが、今日こそは伝えよう。
明日から数日の間は隣国に行き、彼女に会うことが出来なくなるのだ。だからその前に、俺の心に宿るこの温かな思いを…リーマ、おまえに――
次回、仕上がり次第アップします。いつも読んでいただきありがとうございます!!