117 甦る新たな記憶
ようやくリヴグストを解放出来ると、水の神魂の宝珠があるオセアノ海王国オルディス城に向かうルーファス達でしたが、そこに海棲族の敵が立ち開かります。魚人族のウォントと半魚人族の兵士達と戦うことになったルーファスは、海竜に変化したリヴグストと海中へ出ますが…?
【 第百十七話 甦る新たな記憶 】
ウンディーネに俺を包む空気の球体を作って貰い、隧道から出て(ウンディーネが作った通路は突き破ってもすぐに穴が塞がる)海竜に変化したリヴグストに跨がると、その鰭に掴まってオセアノ海王国正門を目指す。
ウェンリーとシルヴァンのいる位置から、距離的にはあと一キロ弱ぐらいというところか。
俺の地図に点滅している赤い信号の集団は、隧道が伸びたその正門の辺りに集中していた。
深い海の底は薄暗く、青く透き通った世界がどこまでも続いている。
生い茂る海藻が潮流によってその動きを変え、長く伸びるそれらがゆらりゆらりと深緑の線を幾筋も描き、その合間から水棲魔物や鮫などの姿もちらほら見えた。
顔を上げると頭上には数多の魚が群れをなし、亀や鱏、海豚や鯨に鯱、海豹や海馬などあらゆる海の生物が悠々と行き交う。
ここは時間の流れさえもゆっくりと進んでいるように思える、神秘的な空間だ。
オセアノ海王国が沈んでいる周囲の海底には、地上の樹木に似た『海棲樹』というフェリューテラ独特の植物が樹海を作っていて、水中であることを意識しなければ、まるで空を飛んでいるような錯覚に陥る。
水が音を遮断し、リヴグストの水を吐いて呼吸するゴポゴポ、という泡の立ち昇る音が時折俺の耳に届くぐらいだ。
――本来ならリヴグストは、海棲族と海竜の国であるオセアノ海王国で、今代の海神『リヴァイアサン』として海に住む種族の誰もが跪く、王たる存在になるはずだったという。
事前にシルヴァンから聞いていた話によると、俺達が出会うよりも前にリヴグストの故郷である『オセアノ海王国』と『アガメム王国』の間で人族と海棲族の戦があり、それから暫くして今度は内戦が起きたことで前海王『アキアーン』が亡くなって海は荒れ、海王国は海底に沈んだらしい。
アガメム王国と言えば、シルヴァン達獣人族を迫害した例の悪名高い愚王が支配していた国だが、マリーウェザーの叔父でもあったボルゴネフと言う男は、余程人族以外の種族が嫌いだったと見える。
その当時は決着が付かず、戦は結局アガメム王国側の撤退に終わったようだが、リヴグストの父親でもある海王アキアーンは、人族に報復をするでもなく、戦を仕掛けた責任や賠償を請求することさえせずに、愚王を徹底的に無視したそうだから大した王の器と胆力の持ち主だったことが窺えると言うものだ。
その海王アキアーンが亡くなって、世襲制の海王国では一人息子のリヴグストがその跡を継ぐはずだったのだが、王位継承に必要な秘宝の一つであり、魚人族ウォントを従えるための『水晶の珊瑚』が内戦の最中に盗まれてしまい、それが原因でリヴグストは海神リヴァイアサンになれず、王位に就くことが出来なくなったようだ。
それがどうして俺と知り合い、守護七聖の青となったのかについては、シルヴァン曰く、神魂の宝珠の封印を解けば思い出せるのだから、あとは記憶を取り戻した方が早いだろうということになった。
今俺はウェンリーとシルヴァンが走る姿を振り返りながら、ウンディーネの隧道を見下ろす形で見ている。
俺達より少し遅れて二人もオセアノ海王国の正門に辿り着くだろう。
「――リヴグスト、敵の真上に近付いてくれ、そこで降りる。俺の警告後、相手が撤退しないようなら攻撃開始だ。」
『御意。』
それを合図にリヴグストが長い尾鰭を動かし、グンッと水を蹴って速度を上げた瞬間、俺を包んでいた球体が圧力を受けて柔軟に歪む。
海中戦は初めての試みで、俺は戦闘で球体が破裂したり壊れたりした万が一のことを考え、首に紐を付けた『呼吸貝』をカラビナバッグから取り出しぶら下げておく。
この『呼吸貝』は海棲生物で巻き貝のような形状に手指二本分ぐらいの太さがあり、長さが約八センチほどの大きさだ。
その特性上、海水から酸素を一瞬で取り込むことが可能な、魔力による変換組織を持っていて、海棲生物なのに陸上並みの酸素が無いと生きて行けない珍種だ。
見た目は小さいが体内に大量の酸素を溜めておける『収納庫』を持っていると言われ、俺達が使っている無限収納のような仕組みが身体の中にあると考えられている。
念のためウェンリーとシルヴァンにも同じものを渡しておいたが、ウンディーネの球体が壊れた時はこれを口に銜えることで呼吸が出来るというわけだ。
速度を上げたリヴグストに掴まって真上から敵集団に近付くと、魚人族と半魚人族は上下左右に広く散っており、球体を描く形で中側に半魚人族の兵士が、それを守るように外側に魚人族のウォントが散開隊形で待ち受けていた。
――なるほど、海中だとそういう戦闘隊形を取るのか。…でもあれなら俺のグラビティ・フォールで簡単に押し潰せそうだけどな。
…と思ったが、頭の中の情報で、水中での重力系魔法は効果が激減されるので推奨しないという文字が流れた。
……アテナ?
その自己管理システムの文面に、一瞬初期の頃のアテナを思い出し、もしかしたら呼びかければ返事があるんじゃないかと思った俺は、心の中で呟いてみた。だが…
――返事は…ない、か。…そうだよな、アテナの気配は未だ戻って来ない。レインフォルスはアテナが消えていないと言っていたが、それなら今アテナは…どこにいるんだろう。
そんなことをふと思う。
「ここでいい、後は頼んだ。」
俺はリヴグストにそう告げると、その背中から降りて球体に包まれたまま、敵陣の後ろに回り込んで上方に制止した。
リヴグストはそのまま下方に移動して行き、すぐ攻勢に出られるよう戦闘態勢を整える。
そうして俺は半魚人族の兵士達に、ウンディーネの力を借りて声を届け、警告した。
「聞け!!半魚人族よ、このオセアノ海王国は正当なる後継者、リヴグスト・オルディスがこの俺、守護七聖主の加護を得て今後統治する。以降俺が認めた〝海王〟に従わぬ者は、領地に足を踏み入れることを許さない!!警告する、死にたくなければ即刻この場より立ち去れ!!」
魚人族と違ってある程度知能を持った半魚人族は、その祖先に魔族がおり、好戦的だが海神リヴァイアサンとなる海王には従うと言う。
そこには色々と条件があって、海王=海神ではないそうなのだが、リヴグストには『海神』となる資質が十分備わっていることだけは間違いないはずだ。
だからこその俺のこの言葉だったのだが――
『げひゃひゃひゃひゃ、守護七聖主だかなんだか知らねえが、陸の人族が海底に降りてまで戯れ言を抜かすな。今さら海竜リヴグストに海神の魂は宿らぬわ。オルディス海王家はアキアーンの代で終わったのよ。よってこの海は半魚人族が支配する。そっちこそ海王の証である海王珠を我ら一族に大人しく寄越せ。』
海棲族の発声器官は特殊だ。地上で俺達は空気の振動により声や音を耳に届けるが、海棲族はそれと同じような働きを水の振動で伝える。
それによって少しくぐもった音に聞こえるが、ウンディーネの力を借りている状態だと空気の球体に包まれていても問題なくここまで届く。
なにを以てそう言うのかは知らないが、半魚人族の隊長らしき兵士は首を絞められた蛙のような声で笑った。
因みに、彼らの言語は海棲族特有のもので、人間が使う言葉とも古代言語とも異なる。
この場でそれが理解出来るのは海竜であるリヴグストと、リヴグストから『言語習得』を行った俺だけだ。
「うわ、なんかすっげえあそこの半魚人に馬鹿にされた気がする!!」
「我もだ。言っている言葉は全く理解出来ぬが、嘲笑されたことだけは感じるぞ…!!」
その手の感情に敏感なウェンリーとシルヴァンは、海王国の正門に到着するなりなにかを察知した様子だ。
「――そうか、その言葉、後悔するなよ。広域戦闘フィールド展開!魚人族ウォントと半魚人族を排除する!!」
俺のこの一言で、真っ先にリヴグストが動いた。
リヴグストは敵陣の上方から急降下して行き、先ずはその長い躯体を使って波打つように魚人族のウォントを体当たりと水流で蹴散らした。
ウォントは各自その手にした三つ叉の槍(素材は強化珊瑚で、金属並みの強度がある)をリヴグストの身体に突き立てようとしたが、堅固な鱗に全て弾かれた。
次にリヴグストは散らばったウォントから距離を取ってある程度まで離れると、今度は身体を錐揉み状に回転させながら二度、三度と敵陣の真ん中を突き抜けて行き、あっという間にその戦闘隊形を総崩れにする。
続いて鋭角状に伸びた顔の前面に、青く光る魔法陣を輝かせると、周囲の海水を凍らせて棘の付いた氷の球体を幾つも出現させ、それを爆破して針状の無数の氷塊を四方八方から放った。
氷塊は海水を切り裂いて白い筋を残しながら、猛烈な速さで敵陣を突き抜けて行くと、避けきれずにウォントと半魚人の兵士何人かはそれに身体を貫かれた。
倒れたウォントと半魚人達の身体から血が流れ、海水に漂う赤紫の滲みを幾つも作る。
上から見た感じだとリヴグストの圧倒的優位に見えるが、実はそうでもない。海棲族は水属性に耐性があるため、大した損傷は与えられずに文字通り蹴散らしただけだ。
ただ今回はそれでいい。一応魚人族の『ウォント』だけは放っておくと危険なためきちんと倒すが、彼らの討伐が目的なのではなく、俺達の目的はあくまでもオルディス城内にある『神魂の宝珠』の安置場所へ行くことだからだ。
オセアノ海王国の正門に辿り着いたウェンリーとシルヴァンは、シルヴァンがウェンリーを守るように前衛を務め、二人協力してリヴグストが蹴散らしたウォントを問題なく倒している。
ウンディーネが作る空気の戦闘領域に半魚人族の兵士達は入れず(半魚人族に足は無く、陸上でも動けるのは魚人族のウォントだけだ)、そちらへの攻撃を諦めた半魚人族の兵士達は、半数がリヴグストに、半数が俺を取り囲むようにして分かれた。
「せっかくの球状戦闘隊形も台無しだな。ウォントは殆どが下に行ったぞ?俺とリヴグストの二手に分かれたりして大丈夫なのか?」
俺を取り囲んでいる半魚人族の兵士達は、ざっと十五体ほどだ。彼らはアーケロンの甲羅で作った鎧や兜を身に着けており、一見重そうに見えるが水中でのその動きは素早く、決して侮れない。
『減ラズ口を叩ク…我ガ名ハ〝ナウアルコス〟。水の大精霊ヲ召喚し、人族でアリナガラ海棲族と水中デ戦イ退ケル…キサマが千年前の内戦にモ介入シタ〝太陽の希望〟ダナ。』
先程俺の警告を嘲笑った半魚人とは異なり、やけに落ち着いた様子で貫禄さえ感じるその兵士は、俺の記憶にない事実をそんな風に語った。
ナウアルコス?半魚人族に呼称はないんじゃなかったか?おまけに俺が千年前の内戦に介入だって?…海王アキアーンが亡くなったオセアノ海王国で起きた内戦のことを言っているみたいだけど、初耳だぞ。
『キサマの存在ハ海棲族二存続の危機ヲ齎ス。得体の知レヌ存在に与シテ従う海竜リヴグストは海神ドコロカ海王の資格サエ最早ナイ。』
頭に被った兜の隙間から、その鯰のような顔を覗かせて、半魚人は青灰色の鱗に覆われている太く筋肉質の腕を突き出した。
「得体の知れぬ存在、か…言ってくれるじゃないか。それについては否定も肯定もしないが、リヴグストを貶めるのだけは許せないな。…覚悟しろよ。」
俺はいつものように全身から闘気を放って、半魚人の兵士達を威嚇する。『ナウアルコス』と名乗った人物以外は、これだけでたじろぎ、後退った。
『怯ムナ!!人族を包ム球体ヲ壊セ!!鰓のナイ人族ハそれダケデ死に至ル!!』
「…!?」
――確かにその通りだけど、そんな大声で指示を出したら、俺にこれから〝球体を壊しますよ〟と教えているようなものじゃないか。
俺の闘気にも怯まず、落ち着いて見えたこの半魚人は、もしかしたらただの兵士じゃなくて、それなりに位の高い人物なのかもしれないと思ったのに、勘違いだったかと首を捻る。
もちろん俺の方は教えて貰わなくても、武器を持たない(半魚人族は強靱な肉体と鋭い爪が武器だ)半魚人族が俺に攻撃を仕掛けるには、先ず球体を破壊しなければならないことを知っている。
半魚人の兵士達が一斉に俺への攻撃を開始し、球体への突進攻撃を繰り出し始める。この分だとすぐに海中へ放り出される羽目になるだろう。
俺は首に提げていた『呼吸貝』を口に銜えると、破壊される前に自分からウンディーネに頼んで球体を消去して貰った。
ついでに地に足を着けていない浮遊状態の戦闘訓練をしてみようと思いついたからだ。
これは以前リカルドがカラミティと空中戦を熟していたのを見て、機会があれば俺も同じような状態で戦えるようになっておいた方がいいと思っていたのが理由だ。
但し空中戦と違って水中では制限が多い。水と相性の悪い火と地属性魔法は十分の一ほどに威力を減らされてしまうし、使える魔法も限られている。
なによりも『水中回避』という技能がなければ、海棲族の攻撃を避けることさえままならない。
≪ 水中回避のスキルを持っているところを見ると、俺は過去に水中戦の経験があるんだな。…と言うことは――≫
目の前のナウアルコスという半魚人が言ったことは本当なのかもしれない。
俺は右手にウンディーネから貰った精霊剣『シュテルクスト』を出現させると、そこに光属性の雷と風属性の『追撃魔法』を付加し、半魚人族の弱点を突けるようにしたのと、接近しなくても剣を振るだけで、魔法による風の刃が敵に向かって飛んで行くように精霊剣に魔法を着けた。
新たに手に入れた俺の剣には、エラディウム・ソードと違って色々なことが出来る。その一つがこの『魔法効果を付加する』ことだ。
簡単に言うと、リグ…あのライ・ラムサスがライトニング・ソードに常に雷を纏っていたような現象を、俺の意思で発生させられると言うことだ。
俺の球体が消えたことで、攻撃が通るようになった半魚人達は、波状攻撃を仕掛けて来て俺に反撃の隙を与えない。
せっかくの魔法効果付加もこれでは意味が無い。――と見せかけて…
「ウンディーネがくれたシュテルクストは、実はこんなことも出来るんだよな。敵を薙ぎ払え、『エレメンタル・ウラガーノ』!!」
シュテルクストに俺の魔力を流すと、刀身に七色の光が輝き、それを掲げると俺を中心としたフェリューテラ七属性の魔力渦が発生する。
そこに俺が予め付加しておいた光属性の雷が迸り、魔力渦に敵を巻き込みながら追撃魔法の『エア・カッター』が四方八方に飛んで切り裂くという仕掛けだ。
即死、とまでは行かなくても、これでほぼ半魚人族の兵士は満身創痍になる。
瀕死状態になればいくらなんでも撤退するだろう。本格的な殺し合いをしてまで半魚人族を根絶やしにするつもりはない。
今は敵対していても、リヴグストが海王として認められれば彼らもオセアノ海王国の一員になるはずだからだ。
再び俺は半魚人族の兵士達に『思念伝達』で警告する。これについては後で説明するが、レインフォルスがウェンリーにしたように、俺も思念伝達が使えるようになったことを言っておく。
『もう一度警告する。〝海王〟リヴグストに従わないのならオセアノ海王国の領地から即刻立ち去れ!!然もなくば、次はない!!』
シュテルクストを兵士達に向け突き付け、そう言い放った直後だ。
ゾワッ
背後に敵の気配を感じて鳥肌が立った。
『――甘イナ。ダガ、ソレでコソ〝太陽の希望〟殿ダ。』
な…――
ガシッ
――いつの間に俺の攻撃範囲から外れ、エレメンタル・ウラガーノから逃れて背後に回り込んでいたのか。それはナウアルコスというあの半魚人だった。
俺の感知能力を超えた速さで移動し、俺をその強靱な腕で後ろからいきなり羽交い締めにした。
『ルーファス!!』
同じように半魚人族の集団を相手にしていたリヴグストは、その全員を倒し切った後、海中を漂う半魚人族の血溜まりを抜けて俺の元に駆け付けようとしていた。
その際に聞こえて来た思念伝達で、今度は『予の君』ではなく、きちんと名前を呼んでくれたみたいだ。…なんて呑気なことを一瞬考える。
いや、それよりも…少し様子がおかしい。
「ご無礼を、ルーファス殿。今暫くは捕らえられた振りをなされよ。――太古の怪物〝メガロドン〟が来る。」
――そう流暢な人語で俺の耳に囁いたのは、俺を羽交い締めにしているナウアルコスだ。
この半魚人…敵にしては行動が妙だ。『メガロドン』というのは聞いたことがある…確か――
そうだ、二十メートル超えの伝説級巨大鮫の名前だ。
――その影は、超巨大な図体に似合わず、全く何の音も立てずに俺達に忍び寄っていた。
説明のしようがないほどの怖気を感じる、捕食者の殺気が俺の真横を通り過ぎて行く。
身動ぎせずに息を呑み横目で見たそれは、青く透き通ったこの世界で、光を発しているようにさえ見える白色の肌をしていた。
じっと気配を殺して、俺を羽交い締めにしたまま動かないナウアルコスは、一見俺を捕らえているように思うが、その実どうやらこの巨大鮫から守ろうとしてくれているようだ。
半魚人族の知り合いがいた覚えはない。また思い出せないだけかもしれないが、それにしては最初に俺を〝太陽の希望〟と呼んだのはおかしい。
海棲族はその寿命も人族とそう変わりないはずだ。なのにこの半魚人は、俺が『太陽の希望』であることと、『ルーファス』という名前であることも知っている。
…何者だ?
俺の横を通り過ぎた『メガロドン』は、負傷して出血していた半魚人族の兵士達に襲いかかり、逃げ惑う彼らを一呑みにする。
水中に流れる血の匂いに惹かれて、次々と漂っていた死体まで喰らって行くと、俺の元へ駆け付けようとしていたリヴグストに襲いかかった。
「リヴ!!」
『呼吸貝』を銜えていた俺の代わりに、シルヴァンが遥か下方の隧道内でこちらを見上げて叫んだ。
リヴグストは大きく身を捩り、メガロドンの身体に巻き付いて締め付けるようにして抵抗したが、俺達の目の前で横から噛み砕かれて粒子化し、霧散するようにして飛び散ると一瞬で消えてしまう。
リヴグスト!!
『ご案じなさるな、予の君!無事にござる!!あれは仮の身体ですぞ!!』
すぐに俺の頭の中にその声が響いた。
そうか、リヴグストはヴァンヌ山で見たシルヴァンと同じく、魔力で作り出した仮の身体で動いていたのか。
その声にホッと安堵する。
ウェンリーとシルヴァンを相手に戦っていた生き残りのウォント達は、メガロドンの出現に慌てて猛烈な速さで戦闘領域を離れ逃げ出す。
するとメガロドンは隧道内のウェンリー達には目もくれず、逃げて行くウォントの後を追ってあっという間に見えなくなった。
そうして残ったのは、俺を羽交い締めにしている半魚人族の『ナウアルコス』だけになった。
俺は思念伝達を使ってその彼に話しかける。
『――さて、どういうことなのか説明して貰えるかな?ナウアルコス殿。なぜ俺をメガロドンから守った?』
俺の問いかけにナウアルコスは、再び流暢な人語で返した。
「その前に『ショック』の魔法を使い、拘束から逃れて我が輩を捕らえて欲しい。クヴィスリング・ルイーバの目を欺くためだ。」
『…クヴィスリング・ルイーバとは、俺達の敵か?』
「左様。」
『ショック』…雷の電撃を身体から放って敵を麻痺させ、拘束から逃れる脱出用の補助魔法だ。
今まで俺自身一度も使ったことがないのに、俺がそんな魔法を所持していることまで知っているのか。
愈々以てこの半魚人の正体がわからなくなるな。…まあいい、敵対するつもりがないのなら、俺にこれ以上戦い続けるつもりはない。
『…少し痛むぞ。』
俺はそう警告してから言われた通りに『ショック』の魔法を放つと、ナウアルコスの拘束を逃れて背後に回り込み、すぐに彼を後ろ手にして捕らえた。
ナウアルコスは全身を駆け巡る電撃の苦痛に顔を歪ませながら、一切の抵抗をすることもなく、無限収納から取り出した手枷を嵌めると以降は黙って俺の指示に従うようになった。
俺はウェンリーとシルヴァンがいる隧道に降りて二人と合流し、リヴグストは無事で本体に戻っているらしいことを伝えると、メガロドンと半魚人達が戻ってくる前に急いでオルディス城へと走った。
「おいルーファス、そいつ連れて来て本当に大丈夫なのかよ!?」
ウェンリーとシルヴァンは俺に拘束されたまま、『エラフロース』という浮遊魔法で宙に浮き、半魚人族でありながら陸上(空気中)の行動までもが可能なこの奇妙な人物ナウアルコスを警戒した。
「なにかあれば俺が対処するから、心配いらない。今はリヴグストの元へ急ごう。」
そう答えた俺に、なにを言っても無駄だと二人は溜息を吐いて諦める。
俺達は石造りの家屋が崩壊して転がるオセアノ海王国の街中を通り、海藻が繁茂した坂を登って高台にあるオルディス城に辿り着くと、結界で閉ざされた城門を開いてようやく正面扉から城内に足を踏み入れた。
ウンディーネは城内部の海水を全て排出し、俺達がいる間だけ普通に中を移動出来るように設えてくれる。
それと言うのも、オルディス城には堅固な守護結界が張られていて、城外との境界がキッチリと分けられていたためだ。
どこもかしこも水が滴り、大理石の床は水溜まりが出来て滑りやすくなってはいたが、家具や調度品には千年経っても保たれている保護魔法がかけられていて、ここが海上にあった頃の雰囲気をそのまま維持していた。
エントランスを抜けて正面ホールに入ると、曲線を描く吹き抜けの階段が左右にあり、天井からは巨大貝の殻を使った豪奢な照明器具が下げられていた。
残念ながらそのどれもに海藻などが引っかかっていて、壁にもびっしりと藻が生えている。
ただ扉を開けた瞬間、その正面ホールに俺は見覚えがあるような気がした。
それはリヴグストをこのどこかにある神魂の宝珠に封印したのは俺なのだから、ここに来たことがあるのは間違いないのだが、それとは別にしてこの光景に見覚えがあるような気がしたのだ。それももう間もなく思い出せることだろう。
「リヴの神魂の宝珠と生命維持装置はどこだ?」
シルヴァンの問いかけに俺が答える。
「城の上階…三階かな?そこの廊下奥にある一室みたいだ。」
「リヴグストの自室だ。守護七聖主の祭壇もそこにある。」
しれっとして俺達も知らない情報を口にしたのは、またもナウアルコスだ。いったいこの人は何者なんだろう。
吹き抜けの階段を上り、俺の地図を頼りにそこを目指しながら、俺はナウアルコスに疑問を投げかける。
「どうしてあなたがそんなことまで知っているんだ?オルディス城には守護結界が張られていて、俺を含めた関係者以外立ち入れないようになっていたのに、半魚人族のあなたではここに入ることも出来なかっただろう。」
「………。」
俺から視線を逸らして黙り込んだナウアルコスに、ウェンリーが腹を立てて詰め寄った。
「おい!黙ってんじゃねえよ、ルーファスは甘いからおまえを生かしておいてっけど、俺とシルヴァンは少しでもこいつに逆らおうとすれば、すぐに殺すぐらいのことはやれるんだからな!!」
乱暴にナウアルコスの肩を掴んだウェンリーを俺はすぐに止める。
「止せウェンリー、敵意を向けていない相手を脅したりするな。半魚人族は今は敵でも、いずれリヴグストが海王として認められれば、オセアノ海王国の一員になって俺達の味方になってくれるかもしれないんだ。」
「はあ!?ルーファス、おまえそんなこと考えてんのかよ…!!」
「――主よ、さすがにそれは少し難しいのではないか?そもそもそう簡単に掌を返す相手を、まともに信用出来るはずはなかろう。」
ウェンリーとシルヴァンは俺に呆れ顔をしたが、俺はそうは思わない。
「海棲族には海棲族の掟や仕来りがある。特に魚人族や半魚人族は海の掟にもうるさかったはずだ。一度自分達の君主だと認めた相手には、余程のことがない限りその君主が亡くなるまで付き従うと聞いた覚えがある。リヴグストを仲間に持つ俺達が原因でその機会を失うわけにはいかない。海王を継ぐリヴグストの今後を思うなら、俺達も慎重になるべきだ。」
俺達が相手を信用するかしないかじゃない、相手が俺達を信用してくれるかどうかの方が後々重要になると俺は考えていた。
「ふ…あっはっはっは!!」
そんな俺達の会話を横で聞いていたナウアルコスが、突然大笑した。
ギョッとしたウェンリーとシルヴァンは即座に身構え、ウェンリーはエアスピナーに、シルヴァンは斧槍を出してなにがあってもいいようにそれぞれ手をかける。
「なにがおかしい!!」
シルヴァンがギロリとナウアルコスを睨みつけた。
「――いや…さすがは予が見込んだ御方だけのことはある。千年前と少しも変わらぬその気概に、死の間際切実な願いを託したのは間違いではなかったと、思わず歓喜してしまった。…リヴグストも貴殿の仲間となり、貴殿の元で海王として足らぬものを学んで海神の力をなんとか目覚めさせてくれれば良いのだが…」
「え…?」
その眼差しや言葉の端々に、どこかリヴグストを思う親愛の情を感じ取る。しかもさっきは〝我が輩〟と古めかしい一人称を使っていたのに、自分を〝予〟などと呼び表すのは、限られた位にいたことのある存在ぐらいなものだ。
「ちょっと待てよ、あんた…なにもんだ?どうもただの半魚人らしくねえよな?…っつっても、俺もそんなあいつらに詳しいわけじゃねえけど――」
その言動にウェンリーやシルヴァンもさすがに疑問を抱いた様子だった。
「…息子にはどうか隠したままにしておいて欲しい、太陽の希望殿。予は――」
かつて『海王アキアーン』であった者。つまりは海神リヴァイアサンとして海を治め、オセアノ海王国を統治していたリヴグストの父親である、前海王その人の〝生まれ変わり〟なのだと、ナウアルコスは明かした。
ナウアルコス(前海王アキアーン)は千年前、内戦により命を落としたことになっているが、実は不治の病に冒されており、いつ死んでもおかしくない状況にあったらしい。
死期が近いことを悟っていたアキアーン王は、ただ一つ跡目を継ぐことになっていた息子のリヴグストが気懸かりで死ぬにも死ねなかったと口にする。
そうして気づけば、なんの因果か半魚人族としてアキアーン王の記憶を残したまま現代に転生していたという。
自分が反乱を起こした『クヴィスリング・ルイーバ』側に生まれ変わったのにはなにか意味があると思い、リヴグストが海王として海棲族に認められないまま、自分の死後オセアノ海王国が海底に沈んだことを知ると、時折『海神の宮』と『オセアノ海王国』を行き来するリヴグストを遠くから見守っていたのだそうだ。
「予はこのような姿をしているが、オルディス城に張られた守護結界は、予を『味方』であると認識し、城内に入るのを認めてくれたのだ。…そうして予は、息子の部屋を訪れ、息子が『神魂の宝珠』なるものに封印されて、生命維持装置の中で本体が眠っていることを知った。」
いったいどうやってそんな情報を海にいながら知ったのかと思えば、ナウアルコスは今見ている通り、陸上でも行動が可能な上に変化魔法まで使えるらしく、人族に姿を変えてこっそり地上で色々と調べて回ったらしい。
それにしてもエヴァンニュ王国付近の調査だけで、『神魂の宝珠』に関する情報を掴めたと言うことが信じられない。
…なんともはやもうこれは、親心の成せる奇跡としか言いようがないだろう。
「色々と気になる話も出て来たし、詳しく事情を聞きたいところだけど、それには俺もリヴグストに関する記憶を取り戻してからにした方が良さそうだ。」
俺は掻い摘まんで神魂の宝珠に記憶が封じられていることと、俺自身なんらかの原因で自分についての過去の記憶がないことをナウアルコスに説明した。
「それは難儀な…だがそれでいて貴殿の気概は変わらぬのか。…益々以て尊敬に値する。どうかこれからも予の息子を頼む。貴殿の元であればあの甘ったれも少しは大人になるであろう。」
――ん?…甘ったれ?……誰が?
どうやら俺は、一刻も早くリヴグストの封印を解いた方が良さそうだ。
この後リヴグストの封印を解くと、アキアーン王の正体を隠したまま半魚人族を連れていたことで一悶着起きるのだが、それは一先ず置いておき、オルディス城の三階奥にあるその他よりもかなり広い部屋へと、俺達は足を踏み入れた。
その部屋は間の壁を取っ払い、海竜として真の姿のまま眠れるように、十メートル以上もの巨大な青緑のクリスタルが、複数の台座に渡って横向きに設置されていた。
シルヴァンの生命維持装置と同じように、中央辺りに嵌め込まれた六角形の聖櫃があって、そこから一定の間隔でクリスタルへと光が吸い込まれて行く。
さすがに本体が大きいと、生命維持装置もかなりの大きさだ。クリスタルへと繋がる無数の配線に、所狭しと配置された機器は長期間水没していたにも関わらず劣化することもなく、千年もの間リヴグストの命を守って正常に動き続けてくれていたようだ。
「――やあ、リヴグスト…本当に長い間お待たせだ。…うん、今おまえの魂は自分の本体にきちんと戻っているな。」
俺は俺と繋がっているリヴグストの魂を目の前の本体から感じ取ると、その絆を通じて微睡むリヴグストの心に呼びかけた。
これから封印を解く。もうすぐおまえのことも思い出せるんだ。…大切な仲間だったはずなのに、なにも覚えていないと悲しませてすまなかった。
『いいえ〝予の君〟…敬愛する主ルーファス様…聖櫃を開く呪を…〝開け我が封印の呪よ〟。』
フオン…
シルヴァンの時と同じように、リヴグストのその声でクリスタルの前に光る画面が現れた。
ここから先はもうわかる。
シルヴァンの注意でウェンリーとナウアルコスが俺から距離を取って後ろに下がると、俺はキー・メダリオンを取り出して封印の解除に取りかかる。
「『――我、汝を従える主なり。我、再び汝の力を欲す。時は満ちたり。我が身より分かたれし水の力よ、今ここに封じられし御魂を解き放ち、我が身へ還れ。アクエ・リーベルタス。』」
カッ…パアアアッ
そこまで唱えたところで、キー・メダリオンと聖櫃が共鳴し、激しく震動し始めると眩い閃光を放った。
すぐに六角形の聖櫃の蓋が開き、その中から青く光り輝く球体が飛び出して来て浮かび上がる。
「あれが神魂の宝珠?…目の覚めるような青…すっげえ綺麗だな。」
「うむ、ルーファスの澄んだ純粋な力の輝きだ。」
聞くつもりはなかったが、ウェンリ−とシルヴァンのそんな会話が耳に届く。
目も開けていられないほどに眩しく輝き出した宝珠は、音もなく俺の手に握られたキー・メダリオンの上に移動すると、以前と同じようにやはり吸い込まれるようにして盤面に溶け込んで行く。…とその直後、俺の身体に巨大な力が一気に流れ込んで来る。
ドオンッ
「ぐ…っ…!!」
背後でウェンリーとシルヴァンが緊張する。多分俺の身を心配してくれているのだろう。
その衝撃に足元がふらつき、身体がカアッと燃えるような熱さに包まれると、シルヴァンの時と同じように、額が物凄く熱くなった。
これは…また額に文字が浮かび上がっているんだろうな。…そう思った。
そのまま続いて俺は足を踏ん張り、呪を唱え続ける。
「『解き放たれし七聖が "水" 、リヴグスト・オルディスに命ず。誓約に従いて長き眠りより目覚め、再び青き守護者となれ…!!』」
全ての呪文を言い終わると同時に、キー・メダリオンに神魂の宝珠が完全に融合し、紋章の一部分が青く光り出す。
そしてリヴグストが眠っていたクリスタルが急速にその輝きを失い、細かい光の粒子となって霧散すると、リヴグストの本体が音を立てて台座に倒れ込んだ。
「リヴ…!」
すぐにリヴグストを心配したシルヴァンが台座に駆け寄ると、ウェンリーは俺の元へ走って来た。
「ルーファス!」
俺は前回とは比べものにならないほど耐え難い身体への負担と、猛烈な勢いで流れ込んでくる記憶の奔流に立っていられず、その場で膝を着いてしまった。
――そうして俺はまた思い出す。
失われていたかつての、『新たな記憶』を。
次回、仕上がり次第アップします。いつも読んでいただき、ありがとうございます!!