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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス
12/272

11 黒髪の鬼神ライ・ラムサス

天翔るエヴァンニュ王国籍の戦闘輸送艦『アンドゥヴァリ』には、黒神の鬼神と呼ばれる人物が乗っていました。彼は戦地ミレトスラハから、一時帰国と言うことで国に呼び戻されたようですが…?


 ――轟音と共に青く澄み渡る雲上を、巨大な青黒い金属の塊が進んで行く。


 その全長は四十メートルほどだろうか。甲板に艦橋、側面にはいくつかの砲台のような筒状の付属物が見え、先端には船舶によく見られる船首像のような飾りが付けられている。

 そこから左右に流れゆく風が白く見えることから、それが相当な速度で飛行しているのが良くわかる。


 ここは地上から約六千メートル離れた、シェナハーン王国上空である。そしてこの天駆ける巨艦はエヴァンニュ王国籍の戦闘輸送艦『アンドゥヴァリ』だ。


 フェリューテラには基本、一度に百人以上もの人間や大量の物資を運べるような大型の乗り物は存在しない。

 一般的にどこの国でも見かけられるのは、馬などが引く馬車と、駆動機器によって動く金属の『駆動車両』というとても高価な車輪が付いた乗り物だ。


 そんな中で唯一、エヴァンニュ王国だけがこの空を飛ぶ巨艦を一隻のみ所有している。

 なぜこれ一隻だけなのかと言うことについては、いずれ説明することにしよう。


 この戦闘輸送艦『アンドゥヴァリ』は、乗艦部位が海上を行く船を模しているが、全体的には翼を畳んで滑空する飛竜に良く似ている。

 この巨艦について一般に詳しいことは殆ど知られておらず、誰がどうやっていつ造ったのか等の情報は公開されていない。



 〖ここでこの世界について話しておこう。


 フェリューテラこと正式名称『ラ・フェリューテラ』(祝福されし大地の意)は、大小数多の国々からなる、周囲を海に囲まれた巨大な大陸だ。

 その中で "三大大国" と呼ばれているのが、ルーファス達の住む大陸南部を占める『エヴァンニュ王国』と、国境を接するお隣り『シェナハーン王国』、そして遙か北方に位置する『ゲラルド王国』である。


 国土的に最も大きいのはフェリューテラの北東部を占めるゲラルド王国だが、厳しい自然環境と古代戦争期に焦土と化した影響で、現在も資源が乏しく、稀に聞こえてくる情報によると、その国民はかなり貧しい生活を強いられているようだ。


 次にシェナハーン王国だが、その国土自体はエヴァンニュ王国の三分の二ほどの大きさだ。この国は隣接する小国が多く、最も安全で最も豊かなエヴァンニュ王国へ向かう陸路では、必ずシェナハーン王国を通らなければならないため、その中継国として栄えていた。

 またここのオルバルク・サヴァン国王は、現在のエヴァンニュ国王ロバムと非常に友好な関係を築いており、建国当時から何代にも渡ってほぼ途切れることなく同盟関係にある。その影響もあり両王国間では国民同士の交流も盛んで、有事以外では国境の警備もそれほど厳しくはなかった。


 この三大王国だが、現在エヴァンニュ王国とゲラルド王国は戦争状態にある。…と言っても、これまでの話でもわかる通り、エヴァンニュ王国は表向き平穏そのものだ。なぜなら実際に熾烈な戦いの場である戦地は、遠く離れた国外にあるからであった。

 その場所はゲラルド王国に隣接する、亡国『ミレトスラハ王国』の跡地であり、約十八年間に渡って決着の付かない争いを続けている。

 なぜ戦場がその地なのか、なぜゲラルド王国と戦争をしているのかについては、今後物語上で少しずつ明らかにしていくつもりだ。〗



 ――その『アンドゥヴァリ』艦内の艦橋では、灰色と白、瑠璃紺の三配色の軍服に身を包んだ軍人達が駆動機器の前に座り、各々の仕事を熟している。

 耳に聞こえてくるのは、カタカタと機器操作用の鍵盤を叩く音と、時折なにかを通知するピッピッ、とかチキチキチキ、とかいう聞き慣れない変わった音だけだ。


 そこにポーン、という鐘とも鈴とも似通ったような電子音が響き、女性の声で現在地とエヴァンニュ王都への到着予定時刻を知らせる艦内放送が流れた。


 物と物が擦れる時のようなシュッという音と共に、艦橋の扉が横に滑り開くと、そこから二人のまだ若い男性が通路へと出て来る。


 金属製の床を底の硬い靴で歩く、カツン、カツン、という足音を響かせながら、先を行くあまり背の高くないその男性は、少し癖のかかった長めの漆黒髪をしており、右頬までの前髪で右目を完全に隠し、他の軍人達とは異なる灰青色(かいせいしょく)の肩から下げられたマントを身につけている。

 その左胸にある金刺繍の王国紋章と軍の階級章から、指揮官級の人物であることはすぐにわかるだろう。


 だが彼は、精巧に作られた人形のように無表情で、唯一見える紫紺の左瞳には酷く冷たい光を宿していた。


 ――彼の名は、『ライ・ラムサス』。二十三才にしてこのアンドゥヴァリの指揮官に就く、エヴァンニュ王国の高位軍人だ。


「イーヴ、そろそろ乗員に下船の準備をさせておけ。」


 両手の白い手袋を外すとそれを右手に握って、ライは自分の斜め後ろを付き従って歩く男性に顔を向けもせず、左の手の平を上に差し出した。

 ライに名を呼ばれ手を出された男性は、同じく無表情でそれが然も当然のように、小脇に抱えていた何冊かの書類挟みを手渡す。


 彼の名は、『イーヴ・ウェルゼン』。ライより五才年上の二十八才で、数百年続く名家、貴族出身の王国軍人であり、非常に優秀なライ直属の部下である。

 ライに負けず劣らず淡々としているイーヴは、明るい薄茶色の短めボブ髪に同色の瞳を持つ、見るからに有能で真面目そうな(と言うよりも堅物に見える)かっちりとした印象の男性だ。


「俺は執務室にいる。医療報告書を到着前にまとめて持って来い。」


 ぶっきら棒にそう言い放ったライに、イーヴは「かしこまりました。」と返事をしてその後ろ姿を見送ると、通路を右に折れて階段を降りて行く。

 一階分を降り、再び通路に入って途中の広報室と表示された部屋に立ち寄ると、艦内放送を指示したその足で、また通路を歩いて行き、今度は大勢の人の気配と賑やかな声が聞こえてくる区画へと向かった。

 その先は医療区画となっており、医務室の前に設けられた待合所まで来ると、診察の順番を待つ兵士達の姿が見られ、明るい笑い声がそこかしこから響いていた。


 彼らは負傷しながらも、遠い戦地から無事に国へ帰れることを喜んでいて、誰もが皆もうすぐ家族や恋人に会えると楽しみにしているのだ。


 表に連絡事項の書かれた告知板のある自動扉を抜けると、イーヴは医務室の中の区切られた一室に向かった。

 その中からは治療の痛みに騒ぐ、まだ年若そうな新米負傷兵の声がする。


「ううっ痛っ痛たたたっ!パ、パスカム准将閣下、痛いっすよ!!ひいい、もっと優しくっっ!!」

「ええい、やかましい!下級兵とは言え仮にも軍人が、この程度で情けのない声を上げるな、馬鹿者!!」


 治療を受けた足の痛みに悶える下級兵と、白衣に身を包んだあまり医師らしく見えない男性のやり取りを、若い看護婦達はクスクスと横で笑っている。


 この濃い栗毛の長身で大柄な医師は、イーヴと同じ二十八才で、名を『トゥレン・パスカム』と言う。

 彼は文武両道に秀でた、イーヴの実家同様に数百年続く名家の貴族出身で、一軍人としても医師としても群を抜いて優秀な人物だ。

 加えて気さくで優しい上に正義感が強く、真面目で実直なその性格から、広く誰にでも慕われる好人物でもあった。


「ほら、これでよし、と。やっと良くなってきたのだ、国に帰ってもあまり無理して動かすなよ。看護婦、包帯を巻いてやってくれ。」


 トゥレンが看護婦に指示を出した時、見計らったようにイーヴは室内に足を踏み入れた。それに気づいた看護婦は入室を止めようとするが、イーヴはすぐに出る、と言わんばかりに手で制止した。


「――トゥレン。」


 引かれていた白いカーテンを少しだけ開いて、そこからイーヴは顔を出す。


「おっ、イーヴ!手伝いに来てくれたのか?」


 その声に気づいたトゥレンは冗談めかしてそう言うと、親しい間柄らしく顔を上げて屈託のない笑顔を見せた。


「私の当番は昨日だ。…その分ではまだ大分かかりそうだな。」


 イーヴの方もさっきまでとは打って変わって、気を許した優しげな口調で返事をし、笑顔こそないもののその表情と態度からトゥレンを深く信頼していることが見て取れる。

 この二人は同じ人物――つまりはライに付き従う同僚であり、実家が隣同士で幼い頃からの親しい友人でもあった。


「ああ、まあ診られるだけ診て、後は本国の医者に任せるさ。」


 トゥレンの声に被るように、再びポーン、と電子音がして、天井の音響器から全員に降艦準備を促す旨と、三十分後にはエヴァンニュ王国の領空に入ることを知らせる放送が流れた。


「医療報告書か?」

「ああ、どこだ?」

「すまん、俺の部屋だ。机の上に置いてある。最終確認と記入は済んでいるから、持って行ってくれるか?」


 イーヴがここに来た目的を察したトゥレンは、頷いてそれの在処を問い返したイーヴに手刀を立てると、白衣の物入れから薄い板状の鍵(カードキー)を出して手渡した。

 それを受け取ったイーヴは〝わかった〟と短く返事をし、すぐにこの場を離れようとする。


「待てイーヴ、ライ様のご様子はどうだ?その、少しは…――」


 去ろうとしたイーヴを引き止め、余程そのことが気懸かりだったのか、憂えた顔でそう尋ねたトゥレンは、それを(たしな)めるかのような物言わぬイーヴの視線に、瞬時に言葉を飲み込んだ。

 そうして、今ここでする話ではなかったな、とイーヴに謝るのだった。



 ――その少し前…艦橋裏にある執務室に入ったライは、壁の操作盤に触れて外からの光を遮断していた窓の防護壁を開いて行く。

 駆動機器の動くウイイイーンという音が響き、結構な速さでそれが順々に壁の中に収納されて行った。

 太陽の光が差し込んだ室内には、左壁際に簡易的な扉の付いた収納棚が二つと、豪奢な机に革張りの椅子が置かれていて、右奥に応接セットのテーブルとソファがあり、後は床に動かないよう貼り付けられた、金糸で模様の編み込まれた赤い絨毯が敷かれている。


 やがて防護壁が完全に開ききったのを確認すると、ライは手に持っていた書類挟みを机の上に放り投げ、室内側に三十センチほど迫り出した窓枠にドカッと腰を下ろした。


 そして誰もいない一人きりの部屋に、憂鬱から来るうんざりした気を含んだ、ライの大きく、深い深い溜息の声だけが響き渡るのだ。


 ライは疲れた表情で分厚い窓硝子にゴン、という音がするほど強く、その頭を押しつける。

 そのまま上半身を寄りかからせて目を閉じると、ずるずると身体の重みで下半身は滑り、不自然な格好で窓枠に乗る形になってしまった。だがそれでもライは酷く(だる)そうにしていて、すぐに体勢を直そうとはしない。


 目を開け紫紺の左瞳で窓の外を見ると、そこには見渡す限りに広がる青い空と、薄くなって来た雲の隙間から、見覚えのある形の山の頂が顔を覗かせていた。


「――シェナハーンのパスラ山か…エヴァンニュとの国境が近いな。…憐れ〝黒髪の鬼神〟はまたも監獄に舞い戻る、か。」


 皮肉を込めて自嘲しながらそう独り言を呟くと、暫くの間ライは視点を定めずにどこか遠くをぼんやりと眺めた。



 ――こうしていると俺の頭を過るのは…この手で命を奪った敵兵の死に様ばかりだ。


 戦場にいる間はまだ()()だった。一人でも多くの部下達を生き残らせるために、必死で考え、敵兵をただ殲滅して行く…それは毎日のことで、繰り返す内にいつしか()()()()()薄らぎ、やがてすっかり麻痺してしまった。


 だがこうして一度死地を離れると、忘れた()()をしていた罪悪感が襲ってくる。


 …殺したくて殺したわけではない。死ねないから殺しただけだ。自分が生き残るためには殺さなければならなかったんだ。


 今の俺は望んでいた未来を歩むことが出来ず、命じられたまま人形のように、ただ向かってくる敵を斬り殺すだけの存在だ。


 どうして俺は…こんな思いをしなければならないんだろう。俺には人を殺さなければならない理由など何一つない。

 俺が子供の頃から剣を握っていたのは、自分の身を守るためだ。少しぐらい人より剣技に長けているからと言って、戦地に放り込まれなければならない理由にはならないはずだ。…違うか?


 国が襲われているのならまだしも、国民を守る大義名分もなく、なぜ戦争をしているのかその理由さえも知らないまま…どうして俺は命の危険に晒され、他人の命を奪わなければならないんだ。


 …逃げ出せるものなら逃げ出したい、こんな血に染まった人生はもう嫌だ…!


 ――だがそんなことをすれば、〝あの約束〟を違えることになる。…それだけはだめだ、絶対にだめなんだ。



 襲い来る罪の意識は容赦なくライを責め立て、それは苦痛となって心を嘖む。


 ――『黒髪の鬼神』ライ・ラムサス…


 いつしかそう呼ばれるようになったライが、望む望まざるとに関わらず、これまでの間、戦場で率いてきた主な部隊の作戦は、成功率、生存率共に非常に高く、どんなに窮地に追い込まれても、単独で戦況をひっくり返して来たと言う。

 ライはそんな恐るべき才能の持ち主でもあり、エヴァンニュ王国の国内でその綽名と共に知らぬ国民はいないほどの有名人だった。


 だが彼は元々エヴァンニュ王国の人間ではない。


 少なくとも四年ほど前までは、シェナハーン王国からさらに北東にある、『ファーディア』という名の小国で、大国同士の戦争などとはまったく縁のない生活をしていた。


 そのライを、ある条件と引き換えに、エヴァンニュ王国へと来ざるを得ない状況に追い込んだ人物がいる。

 ライはその人物を酷く恨み、憎んでさえもいた。


 ――束の間の、一人きりの時間。


 ライは軍服の内側にある物入れから、常に肌身離さず持ち歩いている、あるものを取り出した。それに付けられた細かな鎖がシャラリと微かな音を立てる。

 開かれたその右手に握られているのは、細部に渡って繊細な装飾が施された、『ラカルティナン細工』のオルゴール・ペンダントだった。


 『ラカルティナン細工』とは、エヴァンニュ王国とゲラルド王国の戦争に巻き込まれ、十年ほど前に滅亡した北東の大国『ラ・カーナ王国』の特産細工品のことだ。

 数百年にわたって代々親から子へとその技法、細工道具などが受け継がれ、王国独自の文化として他国へは門外不出と定められていたために、この国の滅亡と共に現存する細工品のみを残して完全に滅んでしまった伝統文化の一つだ。


 そのラカルティナン細工のペンダントの、表面にある小さな釦に触れると、優しい、でもどこか悲しげなオルゴールの曲が流れ出す。

 その曲に目を閉じて耳を傾けると、ライは心の奥底に仕舞い込んだ懐かしい人々に思いを馳せる。


 まだ子供だった彼の頭を、いつも優しく撫でてくれた大きな手。その手の持ち主の傍にいて、幸せだった頃の自分をライは思い出していた。


「――レイン…。」


 ライはその思い出の人物の名前を小さく呟いた。



「――失礼致します、ライ様。」


 その束の間の時間は、すぐに壊された。入口の自動扉がシュンッという音を立てて唐突に開き、イーヴが入って来たからだ。


 〝ライ様〟と呼ばれた途端に、ライはムッとして顔を顰める。


「その呼び方は止めろ、イーヴ。何度言えばわかる?」


 ライは持っていたペンダントを、すぐさまイーヴから隠すように元の物入れに素早くしまうと、窓枠から降りて机に移動し椅子に腰を下ろした。


「医療報告書を持って来たのか?」

「…はい、お目通し願います。」


 愛想の "あ" の字もない、冷ややかな声で言い放ったライに、イーヴはその場で書類挟みを開き、確認が必要な頁を出してから手渡すと、目を通し始めたライの前で後ろ手を組み、姿勢を正して直立した。


 一切会話のないシンと静まりかえった室内に、暫くの間、アンドゥヴァリの飛行音と、ライが時折頁を捲るパラッという紙の音だけが聞こえていた。


 イーヴは無言で目の前のライをじっと見ている。


 須臾後、先に口を開いたのはライだった。


「――そう言えばトゥレンはどうした。まだ医務室なのか?」


 普段ならイーヴと共に傍に立つ、トゥレンの姿が見えないことに対しての、ふと口を吐いて出た深い意味のない言葉だった。


「はい、先程様子を見て参りましたが、到着ギリギリまでかかりそうです。」


イーヴの答えに一瞬頁を捲る手を止めると、なにかを考えた後で再びライは続ける。


「そうか、手が足りんようなら遠慮なく言えと伝えておけ。」

「…はい。」


 終始顔を上げることはなく、イーヴを見ようともしないライに、イーヴの方も無表情のままだ。

 だがこの直後、イーヴはライの様子を窺うように、ほんの少しだけ顔を右に傾けると、普段はしない雑談のような話題をライに振った。


「…一年半ぶりの帰国ですね。」


 引き出しからペンを取り出し、ライが書面に検印代わりの名前を記入して行く。


「なんだ突然。だからなんだと言うんだ?」


 平然としているが、ライは次に来るであろうイーヴの言葉を鋭く察して、既にザワリと感情を逆撫でされ始めていた。

 こいつが自分から話しかけて来る時は、碌なことを口にしない。…そう思いながら。


「――()()()お喜びになります。」


 予想通りの言葉に、紙の上を走らせていたライのペンを握る手が、ピクリと反応して動きを止めた。

 それに気づいた上で、イーヴはさらに続ける。


「ミレトスラハでの通信の際も、随分とこの日を待ち侘びておられるご様子でした。我々にあなた様のご活躍を尋ねられ、直に戦果のご報告を受けられると、とても楽しみにされておられます。一時的な帰国とは言え、こうして無事な姿をご覧になれば、きっと陛下も――」


 我慢の限界に達したライは、イーヴの言葉を遮り、大きな音を立てて椅子から立ち上がった。

 さっきまでイーヴを見ようともしていなかったライが、今度は顔を上げてはいるものの、その目には逆鱗に触れたかのような怒りの念が込もっていた。


「なんの話をしている。」


 右頬にかかる漆黒の前髪から右目は見えず、左目のみでこちらを見ているにも関わらず、殺気を含んだその視線はイーヴでなければ身構え、たじろいだことだろう。

 ライはイーヴに向かって乱暴に書類挟みを放り投げると、苛立ちを隠そうともしない声で言い放つ。


「――報告書はこれでいい。到着し次第俺のこの艦での仕事は()()()()()()。その後の報告の義務は元々の命令にはない。戦果報告はイーヴ、おまえとトゥレンがしろ。」


 ライのこういう反応が返って来ることを予想した上で、イーヴはわざとその神経を逆撫でするような話題を振ったのだった。


 ライがエヴァンニュ王国に在籍してから四年にもなる。


 これは戦地ミレトスラハでは表面に見えなかったライの心を、強引に知るためのイーヴらしい悪手だった。


「…()()()()()それをお許しになるとは思えませんが?」

「は!俺の知ったことか!!」


 怒りに任せて椅子を蹴り倒し、ライは机の上の書類を手で払い落とした。


 バサバサッとそれは飛び散り、紙の束が床に散乱する。酷く興奮したライは、ハア、ハアと激しく肩で息をしていた。


 沸き上がる憎悪と怒りを抑えられずに、その激しい感情を持て余し、イーヴに背を向けて尚ライは、なにもかもを壊してしまいたい衝動に駆られる。

 今目の前にいない憎しみの対象にぶつけることの出来ない怒りは、自分を常に監視し、その命令で付き従っているイーヴとトゥレンに向けられるのは常だった。


 ライにとってエヴァンニュ王国に帰国すると言うことは、一切の自由を奪われ、監獄に囚われるのと同意だ。いや、たとえ戦場にいたとしても自由などないことに変わりはないのだが、その最たる元凶の話をイーヴが口にしたのだ。逆鱗に触れたも同然だった。

 そのライが、ふとなにかを思い出したのか、突然くっくっく、と嘲笑を浮かべる。


「そう言えばイーヴ、おまえは俺の仕出かした不始末に関する、弁解の天才でもあったな。」


 ピタリと笑うのを止め、剥き出しの敵意を向け、ライはイーヴを睨みつけた。


「毎度毎度あの男をどう言いくるめているのかは知らんが、なにを聞かれても一切嘘の言い訳なぞする必要はない。体裁がどうのと言うぐらいなら、さっさと俺をエヴァンニュから永久に追放すれば済むのだからな。」


 そう言ったライの瞳は、言葉とは裏腹にそれが叶わぬ願いだと理解している、諦めの感情を映し出しているのだった。




 一時間ほどの後、エヴァンニュ王国の空に轟音が響く。


 ――立ち止まってその音に、都民達は皆一斉に王都の上空を見上げた。年端のいかない子供達は巨大な艦影が近付いてくるにつれ、はしゃいで飛び跳ね、大人の中にも拳を掲げたり、手を振って歓声の声を上げる者がいる。

 予告なく突然帰還したアンドゥヴァリの雄姿に、国際商業市(ワールド・バザール)の準備に追われていたメインストリートでは、一時的なお祝い情調が漂い始めていた。


 その都民達の間で、人々が口にしているのは、ライの綽名とライ・ラムサスというその名前だった。


 瞬く間に王都全域に広がるアンドゥヴァリ帰還の知らせは、低所得者が多く暮らしている下町の繁華街にもすぐに届いた。


「ちょっとちょっとみんな、ニュースよニュース!!アンドゥヴァリがミレトスラハから帰って来たわよ!!」


 興奮した様子で、どこかの舞台の練習をしていた踊り子達に、その若い女性は黄色い声を出してたった今見てきたものの話を聞かせる。

 それを聞くなり酒場と思しき準備中の店内は、一斉に踊り子達の歓声に湧いた。


 キャーキャーとはしゃいで大騒ぎする彼女達には、一般兵の中に恋人や思い人がいることも珍しくはない。もちろん、王都を守る守備兵や、憲兵、王宮の近衛兵など、常駐している王国軍人の中にも憧れの対象は沢山いるのだが、なんと言ってもアンドゥヴァリには将来性のある超有望株が揃っていたのだ。


 彼女達はその有望株の中でも、特に抜きん出たある三名を『美形トリオ』と呼んで、高値で売りに出されている肖像写真を少ない給金をつぎ込んでまで購入し、各々大切に持っていた。


「聞いた!?リーマ、きっと黒髪の鬼神も無事に帰って来たわよ!アンドゥヴァリの指揮官なんだもの、当然よね!!」


 赤毛の女性が〝リーマ〟と呼んだ、三色の斑髪を結んで上げた若い女性の手を、彼女は掴んで嬉しそうに振り回している。

 その女性は期待を込めた目で、彼、また下町に来てくれることがあるかしら、と口に出す。

 リーマという女性は、〝そうだと良いわね〟と微笑んだ。


「ほらほら、いつまでもはしゃいでいるんじゃないよ!!」


 酒場の女主人らしき恰幅の良い中年女性が、手を叩いて踊り子達を促すと、はーい、と返事をしてまた彼女達はすぐに舞台練習へと戻って行くのだった。




 王都の軍事施設区域内にある、戦艦の船渠に停泊したアンドゥヴァリの前で、整列して待機していた整備班らしき兵士達と、帰還した乗員兵を迎える二十名ほどの隊列が一斉に敬礼をした。

 今、正にアンドゥヴァリの扉が開き、そこからこの艦を任されていた高位軍人が降りて来るからだ。


「――アンドゥヴァリ輸送艦隊総指揮官、ライ・ラムサス将軍閣下殿、無事のご帰還おめでとうございます。」


 隊長らしき兵士が、アンドゥヴァリから降りて来たライに祝辞を述べる。


「出迎えご苦労。」


 にこりともせずに、淡々とその一言だけを告げるライの背後には、イーヴとトゥレンの二人が控えていた。

 そのまま艦は点検と整備作業に入ることを告げられ、引き渡し書に署名を求められると、ライはそれに応じて手早く済まし、イーヴとトゥレンを伴って軍事施設内部に向かって歩き出した。

 船渠から整備場内の建物を通る、軍事棟への入口に入ると、白地に薄いグレーと金の刺繍に濃紺の軍服を着た近衛兵が二人、ライ達の出迎えに現れた。


「――お帰りなさいませ、ライ・ラムサス将軍閣下。国王陛下より戦地ミレトスラハでの戦果報告等、直に拝謁なされるようご命令が出ております。長旅でお疲れのところ恐縮ではございますが、このまま謁見の間へお越しください。」


 そう言って彼らは身分の高い人間にするように、頭を垂れる。


 その彼らに対し、ライは無表情のまま背後のイーヴ達を一瞥した。


「――イーヴ。」

「…は。」

「俺は生憎気分が優れず、酷く頭痛がする。()()()()()()()()()()()()()だが、丁重に辞退させて頂こう。後はおまえとトゥレンで処理しろ。」


 素気なくそれだけ言うと、近衛兵達の間を堂々と通り抜けて行くライに、トゥレンは引き止めようと声を上げる。


「閣下!!」

「無駄だ、トゥレン。」


 トゥレンの肩に手をかけて首を横に振るイーヴと、この事態を予め予想していたらしき近衛兵達は、ただ黙ってライの後ろ姿を見送るのだった。




 軍事施設内部にある、居住棟の入口へと歩いて来たライは、一年半ぶりの自室へ帰ろうとして検問所<セキュリティゲート>を通るためのIDカードを端末に読み込ませようとした。

 ところがビーッという警告音が鳴ってしまう。


 自分の部屋に帰ろうとしているだけなのに、許可されないことを不思議に思い、もう一度カードを端末に翳してみるが、やはり警告音が鳴り響く。

 二度発生した音に、常駐している警備兵が詰め所の窓から顔を出した。


「どうかなさいましたか?」


 その警備兵はライの顔を見るなり、すぐさま態度を変えた。


「あっ、これはライ・ラムサス閣下、お疲れ様です、お帰りなさいませ!!」


 慌てた様子ですぐにビシッと敬礼をした後、既に話が通してあったのか、彼はライのIDカードが読み込まれないことについて説明を始めた。


「申し訳ございません、閣下の御自室は三日ほど前に軍施設内部の居住棟から、王宮内の特別区域に移されました。それに伴い、現在そちらのカードでの通行は停止させて頂いております。」

「なに?…どういうことだ。」


 自分の知らないうちに勝手に自室を移動されたと聞き、ライは瞬時に苛立つ。


 それを察した警備兵は、サーッと血の気が引いて青ざめ、必死に説明を続けた。


「しょ、詳細につきましては極秘扱いとなっておりまして、こちらではこれ以上のことはわかりません。大変恐れ入りますが、王宮入り口の受付にて再度お尋ねください…!」


 警備兵の説明に、ライは仕方なくわかった、と返事をしてそのまま王宮の入口へ向かうことにした。


 ≪――大した私物などなかったが、留守中に断りもなく部屋を移動されるとは…俺をなんだと思っている?しかも王宮内の特別区域、だと…ふざけるな…!!≫


 まだなにも確かめてはいなかったが、既にライは腹の奥底から言いようのない怒りが湧いて来るのを感じていた。



 一方、その頃謁見の間では、イーヴとトゥレンが国王ロバムの前に跪いていた。


 広大な広間に置かれた豪奢な玉座に座るロバム王と、その横に一歩下がって並び立つ王付きの側近、テラントは、ライがこの場にいないことをさして不思議にも感じていない様子だ。

 ロバム王は普段、イーヴとトゥレンを呼び出しライに関する報告を聞いたり、この二人に話をしたりする時は、完全にテラント以外の人間を下がらせ、人払いをしていた。よって今も、この場にはいるのはこの四人だけであった。


「――ライ様を王宮近衛指揮官に…ですか!?」


 驚いた表情で顔を上げ、思わずそう口に出しトゥレンはロバム王を見上げた。


 『王宮近衛指揮官』とは、王城に居を構えて常駐し、王族の私兵と奥宮の親衛隊を除いた王宮近衛隊と、国内にいる全王国軍の総指揮権を持つ、事実上の軍属最高位に当たる重要職だ。

 王宮近衛隊には、『王宮』という冠が付いているが、これは普段王城に詰め所を持ち、有事以外では城から出ることも殆どないため、他の軍兵職と明確に区別するための呼び名だ。

 その職務は、王族が住む奥宮と一部の建物を除いた全ての王城地区と王都、エヴァンニュ王国の全市町村の広範囲に渡り、主に主要都市と国民の安全を担う、国王、王族に次いで国を守る責任がある。


「うむ。本当ならば直にこの場にて任命するつもりであったのだがな。」


 イーヴとトゥレンは、互いになにか思うところがあるような表情で顔を見合わせると、相槌を打ち、イーヴが思い切ったように進言をした。


「国王陛下、恐れながら申し上げます。その辞令に関しましては、ライ様のご意思を一度お聞きになった方がよろしいかと存じます。通常であれば異例の昇進、王国軍人としても大変名誉ある御拝命なれど、ライ様におかれましては、益々陛下に頑なになられてしまわれることが懸念されます。何卒、ご一考頂ければと。」


 イーヴとトゥレンは揃って深く頭を下げ、右手を床に着いた。


「イーヴ・ウェルゼン中将。いや、本日からは王宮近衛軍副指揮官であるな、もう良い、出過ぎたことは申すな。」


 テラントがイーヴを窘める。


「しかしテラント卿…!」

「――この際()()の意向など考えずとも良い。」

「陛下…!」


 食い下がろうとするイーヴとトゥレンの進言は聞き入れられず、国王から返ってきたのは、ライの意思を無視するようにと言った意味の言葉だった。


「追って正式に辞令を下す。イーヴ、トゥレン、引き続きライのことは頼んだぞ。」


 それだけ言うと、ロバム王は話は済んだと言わんばかりに立ち上がる。


「…は、かしこまりました。」


 そう答えるしかない二人を置いて、ロバム王はテラントと共に後方の奥宮に続く扉から出て行ってしまった。


 謁見の間を後にしたイーヴとトゥレンの前を、手に書簡を持った女従が二人に対して会釈をして通り過ぎて行く。

 暫くの間、各々考え込んでいた二人は、無言のまま王宮の廊下を歩いて行くと、数分後、先にトゥレンがその沈黙を破った。


「――王宮近衛指揮官、とはな…五年前、ジルアイデン将軍が不慮の事故で亡くなられて以降は久しく空位のままだったが、一時帰国とはライ様を呼び戻すための口実に過ぎなかったのか。」

「………」


 イーヴは無言のまま話に耳を傾けている。


「ライ様が軍部に籍を置いて今年で三年目…その思惑とは裏腹に、挙げた功績は数知れず、恐れ敬われながらも下級兵にまで慕われて、いつの間にか付いた呼び名が『黒髪の鬼神』…あの年で昇進に次ぐ昇進を遂げ、アンドゥヴァリの指揮官を経てとなれば実績に申し分はないわけだが…肝心要の本人があのご様子ではな。…どうなることやら。」


 黙りこくったままどこか違う方向を見ているイーヴに気づくと、トゥレンは〝おい、聞いているのか?〟と小さく腹を立てた。


「またそうやって一人、何事かを考え込んでいるな?思うことがあれば俺にも話せと、いつも言っているだろう。」


 腰に両手を当てて説教をするように、トゥレンはイーヴの顔を前屈みになって覗き込む。他者にはわからないイーヴの微妙な表情の変化も、長年傍にいるトゥレンにだけはわかるのだ。

 それを知っているからこそ、イーヴもトゥレンに顔を覗き込まれることには慣れていた。


「別に考え込んでなど…先程の国王陛下の御言葉を思い返していただけだ。」


 そのトゥレンの顔を〝近い!〟と手で押し退けて、イーヴはふいっとそっぽを向く。慣れてはいても見透かされたいわけではないらしい。


「ああ、〝この際〟…の後の()()か?…陛下も相変わらず強引なことをなされる。あれではライ様のお心は益々遠ざかるばかりだ。事あるごとに徹底して拒絶なさるあの方もあの方だが、こういうやり方にも問題があるのではないかと思わざるを得ない。まあだからこそおまえもああ申し上げたのだろうが…」


 やはり無駄だったな、とトゥレンは続けて短く溜息を吐いた。


「――ライ様の猛反発は避けられないだろうが、まあ…そう悪いことばかりでもない。」

「うん?」

「あの方のご昇進に伴い、我々も自動的に近衛に昇格だ。…幼い頃からの憧れであっただろう?トゥレン、おまえの――」


 イーヴは目を細めてほんの少し顔を右に傾けると、普段は全くの無表情なのに、この上なく優しい顔をトゥレンに向ける。


「な、なんだ突然…!」


 あまり見ないそんなイーヴの表情に、トゥレンは少し照れながら平静を装った。


「ウェルゼン家と違ってパスカム家は、代々エヴァンニュ王家に仕える軍人を多く輩出して来た名家だ。中でも近衛を勤めるほどの先祖は、数えるほどしかいないと言っていたな。少しは喜んだらどうなのだ?」

「おまえな…これが素直に喜べる状況だと思うのか?意地の悪い奴め。」


 トゥレンの拗ねたような顔を見て、ふっと笑うイーヴの顔は、本当に親しい相手にしか見せることのない、貴重な表情だった。


「明日からは暫くの間久しぶりの休暇だが、俺達は近衛の寮には入らん。割り当てられた自室はライ様のお部屋がある階下の二部屋だったか。大した荷物はないとは言え、初日から引っ越し作業に追われるな。やれやれ…」


 ぼやくトゥレンと再び無表情に戻ったイーヴは、居室移転のための手続きに王宮入り口にある管理局まで来た所で、慌てた様子の警備兵に声を掛けられた。


「ああっ、ウェ、ウェルゼン中将閣下、パスカム准将閣下!!お捜ししました、急ぎ『紅翼(こうよく)の宮殿』へお向かいください!!ラムサス将軍閣下が――!!」

「…!?」


 二人はすぐに踵を返し、『紅翼(こうよく)の宮殿』と呼ばれる王宮内の、特別区域を目指して走り出すのだった。

    

差し替え投稿中です。※2023/03/13現在。

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