115 滅びた水の村バセオラ ③
ウェンリーはルーファスを探して入った洞窟の中で、ルーファスが幼い少女に剣を突き立てる姿を目撃してしまいました。その信じられない光景に叫んで近付こうとすると、そこにいたのは…
【 第百十五話 滅びた水の村バセオラ ③ 】
「なにしてんだ、ルーファスーっ!!」
その叫び声は、自分でもびっくりするぐらいにデケえ声だったと思う。
それなのに肝心のルーファスは俺を振り返ろうともしねえで、剣を突き立てた女の子が完全に消滅するのをじっと見てた感じだった。
――信じらんねえ…ルーファスが…あのルーファスが、子供を手にかけた…!?
≪嘘だろ…!?≫
気が動転して恐慌状態になりかけた俺は、急いでその場に駆け寄ると、俺に背中を向けて立っていたルーファスを見て足を止め、伸ばした手を引っ込めた。
違う…ルーファス、じゃねえ!!
「――て、めえ…!」
ルスパーラ・フォロウのせいで銀髪に見えてたルーファスの髪は、近付くと漆黒に染まってて、ゆっくりこっちを振り返った無表情な瞳は、ケルベロスの連中を動けなくした時に見た、あの紫紺に変わってた。
レインフォルス…!!!
「おい!!ルーファスの身体で、てめえはなにしてくれやがんだよっ!!」
俺は頭にカアッと血が上って、たった今見た残酷な光景に、理由も聞かず食ってかかった。
こいつ…平然とした顔して子供を殺しやがった…!!しかもルーファスの剣で、ルーファスの手で――!!!
ケルベロスの連中は過去のフェリューテラで、俺らを殺そうとして襲って来たから仕方ねえとしても、今のは違うだろ!?
しかも女の子は無抵抗だったじゃねえか…!!
許せねえ、と思った。ルーファスがこんなことを知ったら、いったいどうなっちまうかわからねえ。
あいつは自分が『守護者』であることに対しての矜持が半端ねえんだ。どんなに悪人でも人間は守るべき対象だっつって、なにがあっても殺そうとしねえ。
そのルーファスが、レインフォルスと入れ替わってる間に小さな女の子を殺してたなんて知ったら…どんだけ精神的衝撃を受けると思ってんだ…!!
腹を立てる俺に対して、レインフォルスは無表情のままルーファスと同じ声で口を利いた。
「――直情的で短絡思考な面は相変わらずか。ルーファスはおまえの存在を不安要素だと感じていながらも手放すつもりはないようだが、俺はおまえが今後もずっと傍にいるのは反対だ。…おまえはルーファスを傷付ける。」
「あ!?…んだと、てめえ…!!」
ルーファスと同じ顔、同じ声でそう言われた瞬間、こいつはルーファスじゃねえとわかっててもグサッと来た。
けど一つだけはっきりした、レインフォルスは間違いなく俺のことが嫌いだ。…っつうか、憎まれてる感じがする?表情は変わらねえのに、俺がルーファスを傷付ける、って言った時だけは、あの紫紺の目からそんな感情を向けられた気がしたからだ。
「…自覚がないのだとしたら、相当だな。己のことしか考えられないのであれば、なおさら傍にいる資格などない。方向性は間違っているが、命を削ってまでルーファスを守ろうとするあの〝リカルド・トライツィ〟の方が余程マシだ。」
「…っ…ンの野郎…!!」
リカルドを引き合いに出されて我慢出来なくなった俺は、レインフォルスはルーファスと入れ替わってるだけで、あの身体はルーファスだとわかってるのに殴りかかろうとしちまった。
けどこいつはアッサリ俺の拳を躱すと、いきなり右手でガシッと正面から俺の顔を掴んだ。
あれ!?こいつ、握ってたルーファスのエラディウムソードはどこやったんだよ!?
「なにすんだ、放せ!!」
「――腹の立つ奴だ。ルーファスがいつおまえに自分の役に立てと言った?無力さを嘆くのは勝手だが、あいつに甘えるのもいい加減にしろ。」
は?…なんでそんなこと知って――
両目を手と指で塞がれて、そう言ったレインフォルスの表情は俺には見えなかった。けど俺のことを腹の立つ奴だ、と言った通りに、右手に込められた力から怒ってるってのは伝わって来た。
まさか見られてた?俺とルーファスのやり取りを、ずっと…!?
「う、うるせえ!!なんでんなことてめえに言われなきゃならねえんだよ!!」
「わからなければそれでもいい、話はここまでだ。ウンディーネが作ってくれた貴重な時間だ、せっかくここまで上手く呼び出したのに、無駄なことに使うつもりはない。――少しおまえの魂に触れさせて貰うぞ、確かめたいことがある。」
「…はあ!?」
え…なん…なんつった!?ウンディーネが…作ってくれた貴重な時間?上手く呼び出した…!?
ってことは、あのルーファスの思念伝達は、てめえの声真似かよ!!
「おい!!てめえはいったいルーファスのなんなんだよ!!」
ジタバタ暴れる俺がそう聞いても、レインフォルスは無視してなにかに集中し始めた。
そういや心に触れさせて貰うとかなんとか言ったような――
なんかやべえ!!こいつ俺になにする気だ!?
なんだか物凄く嫌な予感がした俺は、レインフォルスの腕を掴んで顔からその手を外そうともがいた。なのに、こいつの腕はまるで石みてえに固くてビクともしねえ。
――直後、選りにも選ってレインフォルスは、俺に向かってあの恐ろしい力を使った。その台詞、忘れもしねえ…ケルベロスの連中を狂わせて同士討ちに追い込んだ、あの一言だ。
「開け『邪眼』。」
う…嘘だろ、こいつ俺にあの力を――!!
闇の中から現れたあの巨大な目。それと目が合ったような気がして全身にゾオッと寒気が襲う。
――俺が覚えてたのはここまでだ。
次に目を開けた時には、仰向けで大の字を描いて地面に寝てたし、まん前には心配そうな顔で俺を覗き込むルーファスがいた。
「気が付いた、ウェンリー!!大丈夫か!?いったいなにがあったんだ!?」
「え…あ、れ…?ルーファス…?」
気絶してたらしい俺がむくっと起き上がると、ルーファスはレインフォルスと入れ替わってた自覚がねえのか、すぐ傍で少し混乱してる様子だった。
そりゃあそうだよな…レインフォルスから聞いた言葉からしても、ルーファスは多分ウンディーネになにかされて意識を失ったに違いねえ。
んで、気が付いたら俺は気絶して倒れてるし、泉にいたはずなのに見知らぬ洞窟ん中、と来りゃ…俺がルーファスの立場でも混乱するわ。
――ってか、おい!!俺はなんで無事なんだよ!?
冷たい土と石の地面に足を投げ出して座ったまま、俺は俺の両手を見ておかしなところがねえかをまず確かめた。
…なんともねえ。俺がルーファスの傍にいるのは反対だって言ってたから、てっきり殺されるんだと思った。…どうなってんだ??
レインフォルスは俺に、たしか…『邪眼』、とかいう力を使ったはずだ。あれは頭をおかしくして、同士討ちをさせるだけの力じゃなかったのかよ…?
……わからねえ。
あいつは俺になにをしやがった?…あの力を使って、俺のなにを確かめたかったんだ。
――ルーファスには口が裂けても言えねえが、不気味すぎる。
レインフォルスはルーファスのなんなんだ、と聞いても答えず、てっきり普段はルーファスの中で眠ってんだと思ってたけど…違う。
あいつはルーファスの中から、いつもは俺達を見てんだ。ルーファスがなにを思い、なにを考えてるかも知ってる。…ちょっとこれってヤバいんじゃねえの?
敵か味方かもわからねえのに、ルーファスと俺らの全てがレインフォルスには筒抜けってことじゃねえか。
しかもルーファスには入れ替わってる間のことも、レインフォルスの正体についてもわからねえんだし、あいつがもし暗黒神側の存在だったらどうすんだ…!
――そこまで考えたところで、俺の頭にレインフォルスの無表情な顔と、さっき言われたばかりの言葉が浮かんだ。
『直情的で短絡思考な面は相変わらずか。』
ぐっ…!――どうせ俺は直情的で短絡思考だよ!!
…とにかく今は先にルーファス、だよな。嘘はすぐに見抜かれるから、この状況をどう説明すっか…。
「あー…ええと、俺は大丈夫そうだけど…ルーファスこそ平気か?おまえ、ウンディーネになにかされたんだろ?」
俺は立ち上がって服についた泥を払いながら、下を見る振りをしてルーファスの顔を見ずにそう聞いた。
ルーファスは勘が鋭いから、こう言っただけでも気づいちまいそうだけど…ケルベロスの時だってああだったのに、さすがに今はレインフォルスと入れ替わって子供を殺した、なんて俺の口からは言えねえわ。
そう思いながらレインフォルスと女の子が立っていた場所に目を向けると、なんかおかしいことに気が付いた。…そうだ、血痕がねえんだ。それに――
「ウンディーネにって…どうしてウェンリーがそのことを知っているんだ?なにかされたと言うか、単に俺が抗うことの出来ない『精霊魔法』で、深く眠らされただけなんだけど…気が付いたらここにいて、おまえが倒れてるのを見つけたから驚いているんだ。…わけがわからない。」
困惑顔で周囲に目を向けながらルーファスは首を捻った。
「あー、まあ、そうだろーな。」
「…え?」
俺は言葉を濁しながら、誤魔化すように頭を掻くと、今度はルーファスの腰にぶら下がってる〝あるもの〟を指差した。
「それよかさ、おまえエラディウムソードはどうしたよ?…腰には空の鞘だけぶら下げてっけど。」
「え?…ええっっ!?」
ルーファスは仰天してきょろきょろと地面を見回すと、すぐに歩き回ってどこかにエラディウムソードが落ちてないか探してるみてえだった。
――やっぱりそうかよ…レインフォルスが子供を殺した剣をあのまま持ってったんだ。
なんでそんなこと…
ルーファスを丸腰にするため、とか?…違うよな。多分ルーファスなら無限収納に予備の剣ぐらい入れて持ってるはずだから、そんなことしても意味がねえ。
そういや『ケルベロスの剣』とか言ったあの禍々しい短剣も、あん時レインフォルスが持ってったままなんじゃねえか?どこに隠してんのかわからねえけど、あいつ…なに考えてんだよ。
「…おかしいな、俺の剣…どこに行ったんだろう??泉でウンディーネと話していた時は確かに持っていたはずなんだけど、いつの間に…?」
左手で右肘を支えながら口元に手を当ててルーファスは、うーん、うーん、と考え込んだ。必死に思い出そうとしてんだろうな、あれ。
「剣はあれ一本きりなのか?」
「いや、予備のシルバーソードなら無限収納に入れてあるけど…昔ならともかく、今は俺の魔力に耐えられるかが心配で、ずっと使うのを避けていたんだよ。…エラディウムソード、結構したのに…。」
そうぼやきながらルーファスは、ハア、と大きな溜息を吐いた。
――考えてみりゃ妙だ。今まであいつが現れたのは、ルーファスが敵と戦ってて気を失ったような場面でばっかだ。
今回はどうだったのかまだわからねえが、精霊族の女王マルティル様に愛されてるルーファスを、なんでウンディーネが眠らせたりすんだ?…なんか変だよな。
それにルーファスは最初からマルティル様を通して、ウンディーネにこっちの用件を伝えてあったはずだろ?それに対して困ってることがあるらしいから、直接交渉してくれって話になってたんだ。
それがなんでレインフォルスと入れ替わるような羽目になってんだ…?
「ルーファス、ウンディーネとの交渉はどうなったんだよ?」
「ん?ああ、一応断るわけにはいかないって、協力の方は承諾してくれたよ。それに当たって三つ頼みが残っていると言われたんだ。一つ目はバセオラを復興させられるようにすることで、もう一つはクレイマペットの核となっている、村の住人達の魂を浄化することだった。」
「はあ、なるほど。」
ルーファスは指を折々教えてくれたけど、特におかしな頼みじゃねえよな。
あのクレイマペットって、やっぱここの住人達だったんだ…魂が核?道理でやけに現実的な人間の姿をしてると思ったぜ。
「んで、残りの一つは?」
「――それが…」
ルーファスは眉間に皺を寄せてその続きを話す。
聞くにどうもウンディーネは、ルーファスが喚び出した最初からルーファスに向けて、敵意を放ってたらしい。
その理由がわからずに、慎重な態度で機嫌を損ねないよう気を付けて話してたらしいんだけど、三つ目の頼みを聞こうとしたところでその精霊魔法って奴を使われたってことだ。
「俺がそれになにか関係があるのかと尋ねたら、暫く眠って欲しいって言われて有無を言わさず精霊魔法を放たれた。その時には一緒に殺気まで放ってたんだけど、俺を本気で敵だと思って殺意を抱いていたのなら、『聖なる眠り』を使えるはずがないんだ。」
ルーファスがウンディーネに仕掛けられた魔法は、大精霊からの相手に対する深い信頼と親愛の情がなければ発動しない、絶大な癒やし効果を持つ回復系魔法なんだそうだ。
つまりルーファスに対する敵意と殺気は見せかけだけで、なにか理由があってわざとそう思わせてたんじゃないか、ってルーファスは言う。
「そんなことをされる理由に心当たりがあんのかよ?」
「………わからない。」
わからない、って返事があるまでにちょっと間があった。…こりゃやっぱ薄々なにか感じ取ってんな。
まあ…レインフォルスと入れ替わるのは今日が初めてじゃねえんだし、ウンディーネの行動が関係あんのかどうかはわからねえけど、勘の鋭いルーファスがなにも気づかねえわけがねえか。
「――んじゃあ、ウンディーネのところに戻ろうぜ。なんでンなことしたのか問い質して聞きゃあ済む話だろ?もちろん俺には無理だから、おまえがやることにはなるけどな。」
「ウェンリー。ちょっと待て、その前に…小屋で待機してるはずのおまえが、どうしてこんなところで気を失っていたんだ?」
「あー、それはあとあと。ほら行こうぜ!」
俺はルーファスの背後に回り込んでその背中をぐいぐい押した。
ちょっと卑怯かな…けどさ、俺の口からレインフォルスの話をするのは気が引けたんだよ。余計なこと(俺が邪眼とか言う力を使われたこととかな)も言っちまいそうだったし、なによりもあいつが子供を殺した理由がまだわからねえ。
――ただあれが普通の人間の子供だったんなら、遺体が消滅したってのも変だし、剣で貫かれたんだから血痕が残るはずだよな…。
俺は最後に、レインフォルスに殺された子供を見た場所をちらっとだけ振り返ると、ルーファスと一緒に洞窟から出た。
「ウンディーネに会った泉って、ここで良かったんだよな?」
そう言ったウェンリーの態度がぎこちない。
俺がなぜあの場所にいたのか知っている様子なのに言おうとはしないし、剣のことも…どうしたのかと聞いたくせに、俺が探している間もただ見ていただけで手伝おうとはしなかった。
嘘を吐けばわかってしまうから隠すつもりはなさそうだけど、どう言おうか悩んでいる、というような気持ちが見え隠れしている。
――こんな感覚には覚えがある。
あそこで目が覚めた時にまさかとは思ったけど…〝闇〟に触れたわけでもないのに、レインフォルスがまた現れたのか?…どうして?
俺が精霊魔法で深い眠りに落ちたから?…でも眠っている間にも出てくると言うのなら、毎日の睡眠時はどうなんだ。マーシレスとの一件後でさえそんな覚えは一度もないぞ。
アテナを失った日に気を失っていた間は?…シルヴァンが俺を離れに運んでくれたらしいが、夢の中で〝ようやく魂に触れられた〟と言った声を聞いたけど、あれは俺を気遣う思いやりを含んだ優しい声だった。
俺はレインフォルスのことをまだ良く知らないが、レインフォルスの方はきっと相当俺のことを良く知っているに違いない。
過去二回…これはあくまでも推測に過ぎないが、多分レインフォルスは…俺がどうしようもないような危機的状況に陥って意識を失ったような時、俺を守るために現れているんじゃないかと思う。
だとしたら…三度目の今日は?なんのために俺と入れ替わったんだ?
――…まさか…
俺はその理由に、たった一つだけ心当たりがある。もし俺の勘と予想が当たっているのなら、ウェンリーのあのぎこちない態度にも納得が行くような気がした。
ウェンリーに聞いても、誤魔化してそう簡単には話してくれないだろうな。ならば、やっぱりウンディーネに聞くしかないか。
そんな俺の意図を察してか、ウェンリーは「じゃあさ、俺は後ろに下がって座って待ってるから。」とばつが悪そうにそそくさと離れる。
…でもわからないな、もしレインフォルスと入れ替わったんだとしても、なぜすぐ傍にウェンリーが倒れていたんだろう?怪我をしている様子はないし、戦った形跡もないから、なにかあったとは思わないけれど、ウェンリーはもしかしてレインフォルスとなにか話したのか?それも、俺には言えないような内容の話を…
気になって一瞥した俺の視線から、ウェンリーがあからさまにサッと目を逸らした。
レインフォルスのことは俺にとって繊細な問題なのかもしれないが、あの態度はどうかと思う。
どう話したらいいのかわからないならわからないで、正直にそう言ってくれればいいのに、あんな風に避けられるとなんだか傷付くじゃないか。
ウェンリーは…レインフォルスと入れ替わった俺のなにを見て、なにを話したんだろう…。
――とにかくもう一度ウンディーネを喚び出そう。協力すると言う返事は貰ったが、交渉はまだ途中なんだ。
俺は一旦気持ちを切り替えて前に進み出ると、まだグリューネレイアと繋がっていると思しき泉に呼びかけた。
「…いるんだろう?大精霊ウンディーネ。なぜ俺にあんなことをしたのか、話を聞かせてくれ。」
シン…
ところが今度はすぐに応じてくれず、待てど暮らせど泉は静まり返ったままだった。
…出て来ない?…聞こえてはいるんだろうが、自分のしたことから俺に気後れして出るのを躊躇っているのか。…仕方がないな。
「――そうか、水精霊は守護七聖主である俺を蔑ろにして裏切ったんだな。…良くわかった、かつて俺が交わした〝精霊族との盟約〟と先程の取引は破棄する。もう二度とおまえ達の手は借りない。そして『アクエフルフィウス』が今後どうなろうと、俺の助けは微塵もないものと思え。」
ゴッ…
俺は怒りの波動とその言葉を言い放ち、ポカンと口を開けて呆気に取られるウェンリーに、「もういい、ルフィルディルに帰るぞ。」と告げると踵を返して泉に背を向けた。
すると――
ザバアアアッ
静まり返っていた水面が突如として波立ち、水柱が上がった。
『お…お待ちください、ルーファス様!!水精霊に守護七聖主様を裏切るつもりなど毛頭ございません、全ては大精霊たるわたくしの過ちにございます…!!』
元々青く透き通った肌をしているから分かり難いが、人間で言えば相当青ざめて顔色を変え、ウンディーネは水飛沫の中から姿を見せた。
『理由があってのこととは言え、敵意と殺気を向けた上に、〝聖なる眠り〟にて御身の自由を奪ったのは私情からにございます。ですからお怒りは何卒わたくしのみにお向け下さい…!!』
水面の五センチほど上に浮き、器用に両手を着いて平伏すウンディーネの前に、俺は近付いてスッとしゃがみ込むと、「じゃあ、これでお相子だな。」と言って、膝の上に置いた手で頬杖をついた。
『ルーファス様…?』
「貴女が姿を見せないから、俺も貴女の真似をして偽の怒りの波動を放った。…欺されただろう?」
『も…申し訳、ございません…!!』
ウンディーネは戸惑ったように顔を上げたが、俺の言葉を聞くと肩を震わせて再度頭を下げる。
「――頭は下げなくていいんだ、怒っているわけじゃない。だがその〝理由〟というのを聞かせて欲しい。…もしかしたら俺にはなにも話すなと口止めされているのかもしれないが、もう粗方の予想はついているんだ。…レインフォルスは俺のことを心配してくれていたんだろう?」
俺の後ろでウェンリーが吃驚している。俺がなにも気づいていないと思っていたわけじゃないだろうに、どうして今さら驚くんだか。
『ルーファス様は、レインフォルス様の存在にお気づきだったのですか…?』
「ああ。俺の中にいることだけは知っているよ。意思の疎通は図れないし、俺はまだ…彼のことをあまり良く知らないんだけどな。」
――どうやら大精霊ウンディーネは、俺の中にレインフォルスがいることを俺が知らないのだと思っていたようだ。
俺はウンディーネに頭を上げて貰って、元通り話しやすいように立って向かい合った。
「そもそも貴女は俺の中にレインフォルスがいることを、いつ、どうやって知ったんだ?」
何処からともなく水精霊達が集まってきて、俺に水球の座布団を作ってくれ、それを浮かせて空中に座るよう促した。
見えない膜に包まれたそれは、俺の衣服が濡れないようにも考えて用意してくれたようだ。
俺は微精霊に礼を言うと遠慮なくそれに腰を下ろした。
『それは…エヴァンニュ王国で〝災厄〟が目覚めた際に、ルーファス様がレインフォルス様と入れ替わられた瞬間を目撃した、地精霊ペディオンから聞いたからですわ。』
――マーシレスを手にしたあの時か。…地精霊ペディオン…平地などに棲む大地の小精霊だ。あの混乱の中、精霊の視線にまではさすがに気づかなかったな。
ウンディーネの話を聞くに、数代前の火の大精霊イフリートが魔精霊化して、使役精霊と共に『アリファーン・ドラグニス』となり、その行く末を案じていた各地の大精霊達は俺がどう対処するのかを固唾を呑んで見守っていたらしい。
「俺はあの時、炎竜が魔精霊となった火の大精霊イフリートの具現化した姿だとは知っていたが、対処もなにも俺自身はなにかした覚えはないし、ただ倒しただけだったはずだけど。」
『…やはりルーファス様は記憶を失われて、なにもかもをお忘れなのですね。わたくしたち精霊族がなぜ貴方様を大切に思い、愛するのか…それはわたくしたちが狂って魔精霊と化しても、貴方様の手によって倒された者は、再び浄化され精霊として生まれ変わることが出来るからなのです。』
「え…?」
それは俺が遠い昔に、精霊族と交わした盟約に関わっているようだが、詳しいことはマルティルしか知らないという。
『それだけではありません。ルーファス様は精霊族に深く愛された魂を、死を持って精霊に生まれ変わらせるという特異な力をもお持ちなのです。』
「死を持って精霊に生まれ変わらせる…」
それにはかなり複雑で厳格な条件があるようなのだが、ウンディーネの話ではたとえ〝魔〟に魅入られたような人間でも、俺の手で命を奪えばその魂を奪われずに済み、精霊化させることで救い出せる可能性があるという。
「…まさか貴女の三つ目の願いというのは、〝魔〟に魅入られた〝人間〟を俺の手で殺し、精霊化させることだったのか…?」
『…仰る通りでございます。ですが守護七聖主様は――』
――俺はたとえどんな理由があろうとも、〝人〟は殺せない。〝魔〟に魅入られて正気を失いかけていても、それが人としての意識を保ち、姿と自我を保っているのなら、死にたいから殺してくれと懇願されても、その命を奪うのは絶対に無理だ。
この村を守ってきた水精霊が愛し、大精霊ウンディーネが救いたいと望んだ人間…それが俺の推測通りなら、多分…
「――ずっと気になってはいたんだ。クレイマペットはそれ単種では存在しない。必ず近くにあれを生み出す『創主』がいる。…最初はこの村に一人残っていたガーターさんがそうなのかと思ったけど、すぐに違うと気づいた。」
徘徊するクレイマペットはその全てが大人ばかりで、中に『子供』の姿は一人もなかった。だけどガーターさんの家に入ると、壁に家族の写画が飾られていて、そこには少女の姿があった。
村に子供が一人しかいないわけはない。それなら、その子達はどこに行ったんだ?…俺はそんな疑問を抱いていた。
そしてガーターさんのあの反応だ。
「魔に魅入られたのは、この村の子供だったんだな。その中の誰かが『創主』となって、クレイマペットを生み出した。」
ウンディーネは静かに、はい、と頷いた。
――半年ほど前、近隣の村々が魔物の変異体に次々と滅ぼされる中、このバセオラ村だけは周辺の魔物が〝水〟を苦手としていたため、襲撃を逃れていた。文字通り、水精霊が村を魔物から守護していたのだ。
ところがある日、外から『識者』を名乗る旅人がやって来て、水精霊と交流したいからと言って暫くの間滞在することになった。
バセオラ村の住人は、村長である『セオドア・ガーター』という人物を除いて、誰も精霊を見たことがなく、ウンディーネの姿についても話を聞いたことがあるだけで、実際には会ったこともなかったようだ。
それでもここが無事なのは、姿無き水精霊が守ってくれているおかげだと村人達は心から信じており、日々社に祈りを捧げ、供物を供えて感謝していた。だがその旅人が来て以降、少しずつ村の様子がおかしくなって行ったと言う。
まず最初に異変が現れたのは、心が純粋で識者に憧れを持ち、精霊に会いたいと願っている子供達だった。
日がな一日識者を名乗るその旅人に纏わり付き、なぜか見えないはずの水精霊が見えると言い出して、教えもしないのに初歩的な水属性魔法を使用し始めた。
子供達は魔法が使えるようになると、水精霊に与えられた〝霊水〟だと言って魔法で出した水を好んで飲むようになり、数日で大人の言うことを聞かなくなった上に、勝手に村の外へ出て魔物を狩るようになったと言う。
大人達はそんな子供達の変化を、魔物が狩れるようになったのなら、それもきっと水精霊の加護に違いないと深く考えず、寧ろ初めは喜んでいたぐらいだったらしい。
転機が訪れたのは、それから何日か経って子供達が魔法で出した〝霊水〟以外、他の食べ物を一切口にしなくなってからだ。
徐々に痩せ衰え、頬はこけて目は落ち窪んで行くのに、瞳だけがギラギラと輝いて、まるでなにかに取り憑かれているようだったと言う。
異常に気づいた大人達は、シェナハーン国内の大きな街に出向いて、『魔法封印』の魔法石を大量に買い込むと、子供達が魔法を使えないように封じてしまう。
すると子供達は狂ったようになって呪いの言葉を吐くようになり、今度は大人達に血走った目を向けて酷く暴れるようになった。
そんな子供達の中で、唯一正気を保っていたのは、村長の娘である『リアラ・ガーター』という七歳の女の子だ。
識者だと名乗った旅人を最初は他の子と同じように信じて慕っていたのだが、その内に〝あの人、嘘吐き〟と言い出して避けるようになった。
彼女が望んでいたのは魔法が使えるようになることではなく、昔から父親のセオドアだけが会うことの出来る『大精霊ウンディーネ』に会って、話をすることだったからだ。
ウンディーネは村長のセオドアにいつもくっついて来て、たとえ姿が見えなくても話しかけて社に手を合わせる、幼い少女『リアラ』を特に気に入って見守っていた。
リアラの願いは、青く透けるとても美しい姿をしていると言う、ウンディーネに会うこと。
でもそれは後天的な努力で叶うような願いではなく、識者は生まれた時から識者なのだということを父親から知ると、それならもし自分が死んだら、次の生ではウンディーネの元で水精霊に生まれ変わりたいと望むようになった。
僅か七歳の子供が〝死んだ〟時のことを話すのは不思議に思うが、リアラは精霊に生まれていてもおかしくないほどに〝強い魔力〟と〝澄んだ魂〟の持ち主で、ウンディーネはこっそりと水精霊の『祝福』を与えた上で、天寿を全うした暁には自分の元に生まれ変われるように願いをかけていた。
だがその日、事件が起こる。
子供達がおかしくなったのは、識者を名乗る旅人の所為だとようやく危機感を持った大人達が、その人物を村から追い出したことが切っ掛けだった。
その旅人は村から追い払われると本性を現し、『ピエド・ピッパー』という名の悪魔に変化して笛を合図に子供達を狂わせた。
正気を失っていた子供達は、リアラを除いて全員が『ボルボロス』と言う使い魔に変化し、次々と村の大人達を喰らってしまう。
その時偶々リアラの祖父である、リクシル・ガーターさんはここを訪れていて、目の前で息子のセオドアとその妻を失うことになった。
悪魔『ピエド・ピッパー』は、村で唯一残っていた子供のリアラに、村とは関係のない祖父を殺されたくなければ言うことを聞けと言い放ち、祖父が大好きだった少女はその脅しに屈して外へ出てしまった。
そしてピエド・ピッパーに魅了魔法をかけられ、強い魔力を持っていたことからクレイマペットの創主にされてしまったのだ。
魔に魅入られたリアラは正気を失い、祖父の目の前で化け物染みた魔力を放つと、次々に村人の姿をしたクレイマペットを生み出した。
だがリアラ本人の抵抗意思が強く、ピエド・ピッパーの思い通りにはならなかったために、諦めた悪魔が使い魔となった子供達だけを連れて村を去ると、暫く経って彼女は自我を取り戻すことになった。
その後は自分がおかしくなって祖父に危害を加えることを恐れ、俺達がさっきまでいたあの洞窟に閉じ籠もると、少しずつ〝魔〟に侵蝕されながら隠れて生きていたようだ。
『――これが半年ほど前にバセオラ村が滅びた経緯です。…リアラはもう衰弱していてそう長くは生きられませんでした。ですがあのまま息絶えてしまえば、悪魔ピエド・ピッパーにあの子の魂は奪われてしまいます。』
「…リアラは悪魔と契約を結んでいたのか?」
『はい。魅入られていたバセオラ村の子供達全員が、死した後に魂を渡すという契約を結んでいました。リアラも例外ではなく、識者にしてやる、と言われて欺されてしまいました。』
…なるほどな。
そしてウンディーネは、悪魔と契約したリアラを俺の手にかけさせて、なんとか魂だけでも守りたかったのか。
俺は守護七聖主で、魔物は元より『悪魔』をも滅ぼすことが可能だから契約を断ち切ることも出来る。
気持ちはわかるし、事情もわかった。だがそれでも…
「…俺には、無理だったな。魔に魅入られていても、その子は意識を保ち、人間のままだったんだろう。…俺にその子は殺せない。どんな理由があっても、その子を救うためだとわかっていても…どうしても出来ないんだ。…なぜなら俺は『守護者』だからだ。」
『存じております。ですからわたくしは…貴方様に敵意を向け、殺気を放ち、〝聖なる眠り〟で意識を失われた直後に、水槍で危害を加えようとしました。…そうすれば貴方様を守ろうとして、必ずレインフォルス様がお目覚めになると思ったからです。』
――そこまで聞けばもうわかる。
「俺には無理でもレインフォルスになら殺せるかもしれない。…そう思ったから、わざわざ俺の中にいる彼を呼び出して、リアラを殺してくれと頼んだのか?」
『はい…。』
精霊は自然の守り手で元々大切なものを守ろうとする意識が強く、純粋な思い故に時々身勝手になるのは知っていたが…そんな理由で俺に危害を加える真似をしてまでレインフォルスを呼び出したのか。
レインフォルスは多分、クレイマペットを見て嫌な予感がすると俺が悩んでいたことも知っていたんだろう。
アテナを失って悲しむ俺に、慰めるような言葉をかけたことからも、俺の思考や感情はある程度彼に伝わっていると見た方がいい。
彼はウンディーネから話を聞いて、俺には人間である少女をどうあっても殺すことは出来ないと思い、自分の手を汚すことにしたんだ。
そうしてレインフォルスは…俺の代わりにあの洞窟でその少女を殺した。
なぜあの場にいたのかはわからないが、ウェンリーはその光景を見てしまったのかもしれない。
『――ルーファス様、涙が…泣いておられるのですか…?』
…気が付いたら、俺は泣いていた。胸が痛み、どうしようもなく涙が溢れて来て止まらなくなった。
――なぜなら、レインフォルスの心を思うと、堪らなかったからだ。
どんな気持ちで…俺の代わりに七歳の女の子を殺したんだろう。
「俺が直接手にかけなくて、その子は精霊に生まれ変われたのか?」
…辛くないはずがない。きっと胸を痛めたはずだ。だけどそれ以上に、俺のことを思ってくれたんだ。そんな気がする。――だから、手を汚せた。そうとしか思えない。…そうなんだろう?レインフォルス。
俺は返事がないのを承知で、俺の中のレインフォルスにそう話しかけた。
『…ルーファス様が愛用なさっていたエラディウムソードに、ルーファス様の魔力が宿っていて、それを用いて心の臓を貫けば問題はない、とレインフォルス様は仰いました。今暫くの時間が必要ですが、リアラは間違いなくわたくしの元に転生してくれるはずです。』
「俺の剣で…それで、そのエラディウムソードはどうしたんだ。」
『――子供を殺した剣を、知らずにルーファス様に使わせるわけにはいかないと、レインフォルス様がお持ちになったはずです。』
だから俺の手元から剣がなくなっていたのか。そんなことにまで気を使わせたなんて…
俺は右腕の服の袖で涙を拭うと、顔を上げてウンディーネに懇願した。
「事情は全部わかった。だけど…お願いだ、もう二度とレインフォルスにそんなことを頼まないでくれ。確かに俺は人の命を奪うことは出来ないが、相談してくれれば出来る限りの手を尽くし、別の方法で力になれるよう努力するから。…頼む、ウンディーネ。」
『…かしこまりました、ルーファス様。』
――俺の中のレインフォルスが今、なにを思い、なにを見ているのか知る由もないが、俺のこの胸の痛みと悲しみ、そしてなによりも心からの謝罪が伝わっているといい。…そう思った。
次回、仕上がり次第アップします。