114 滅びた水の村バセオラ ②
滅びたはずのバセオラ村に一人残っていた老人から、ウンディーネに纏わる話を聞くことも出来ずに追い出されたルーファスとウェンリーは、村の奥にある目的地に向かう前に、近くの小屋を魔法で修復して話し合います。グリューネレイアに行くことの出来ないウェンリーを、一人この村に置いて行くのが心配になったルーファスは、フェリューテラにウンディーネを喚び出しましたが…?
【 第百十四話 滅びた水の村バセオラ ② 】
クレイマペットだらけの村に、ぼっちで残されたくなくて〝先にあれなんとかしようぜ〜〟と懇願した俺に、ルーファスは冷たかった。
「いや、悪いけどウンディーネに会う方が先だ。マルティルの話では『大樹の根』以外にもなにか問題が起きていて、水精霊は困っているらしいんだ。それがこのクレイマペットのことなのかどうかがわからない。」
「ええ〜?なんでだよ、魔物を放置してたって良いことなんかねえだろ?」
そうぼやいた俺にルーファスはなぜか間を置いて、〝まあ、そうなんだけど…〟と歯切れが悪い。
ルーファスがこういう返事をする時は、なにか起きる前兆だと思った方がいい。どういう経験をしてくればそうなるのかはわからねえけど、ある種の勘が働いていて、今はその段階じゃないと敏感に感じ取っているからだ。
――もしかしてあのクレイマペットが、この村の元住人らしい姿をしてることと関係ある…とか?
ルーファスは最初から、あれを倒すことを第一には考えてないみてえだった。倒しても復活すんのはわかってたみたいだし、逃げるのを優先したのも後回しにする気だったからって考えりゃ合点がいく。
俺の予想なんて精々この程度が限界だ。それもルーファスを良く知ってるから察知出来るだけで、ルーファスの声や表情、ちょっとした考え込む時の仕草から返事までの間とかそんなのが情報源になる。
「……ちえっ、わかったよ。…んで、どうすんの?」
今俺らがいんのは、外れも外れ、バセオラ村のかなり奥にあった建物を、ルーファスの修復魔法で直した、家じゃなくて物置みてえな小屋の中だ。
狭い範囲だから俺が持ってるルーファスの防護魔法石だけで身を守れるし、この小屋だけがなぜか柱や壁に鉄が使われていて、他より頑丈だったことがルーファスの選んだ理由だ。
考えたくねえけど、この近辺にはクレイマペットだけじゃなくて、ルーファスの口から聞いた『サンドワーム』や『アクエ・タランチュラ』の変異体とか、ヤバそうな魔物も多くいるらしい。
ほんと、こんなとこに一人でいたくねえ。
「地図を見ればわかると思うけど、この先に池ぐらいの大きさの水源がある。多分そこが『アクエフルフィウス』との接点だと思うんだ。」
「…アクエフルフィウスって?」
「精霊界グリューネレイアの水精霊の領域だ。フェリューテラで言うところの国名みたいなものだな。」
ルーファスから聞くグリューネレイアの話は面白くて興味が尽きねえ。俺らの世界と違ってグリューネレイアは一つの世界でありながら、各大精霊の治める領域が独立していて、それぞれのフェリューテラとの接点や精霊の泉を使わねえと入れないようになってるらしい。
しかもそこへ行くにはもちろん、精霊の許可が要る。
ルーファスはいろんなところへ行けて、いろんなものを見られて羨ましいぜ、ほんと。俺もいつかルーファスと一緒に精霊界グリューネレイアに行けたらいいのに…。
「――聞いてるか?ウェンリー。」
ルーファスの目がジト目になってる。やべえ、別のことに気をとられて話聞いてなかった。
「へ?あー、うん、ちゃんと聞いてるって。」
嘘吐け、って即答で返ってきた。わかってんなら聞かないで欲しいんですけど。
「とにかくここからは俺が一人でウンディーネに会ってくるよ。上手く行けばグリューネレイアには行かずに済むかもしれないから、おまえは大人しくここで待っていてくれ。」
「え?精霊界に行かなくて済むのか?」
「……やっぱり、俺の話を聞いていないじゃないか。」
あー、どうやらその肝心な部分を聞いてなかったようです。…ごめんなさい。
ルーファスは呆れてもう一度は説明してくんなかった。なんで行かなくて済むかもしれねえんだろ??
考えても俺にわかるはずもねえ。
――どこか上の空のウェンリーに、一人で置いて行って大丈夫だろうか、と心配になる。
本当は大精霊であるウンディーネをこちら側に喚び出すなんて、機嫌を損ねかねないような真似はしたくなかったんだけど、アクエフルフィウスに行っている間に万が一ウェンリーになにかあったらと思うと不安だった。
ウェンリーは話を聞いていなかったようだが、元々精霊信仰のあった村なら、住人の中に識者が存在していた可能性が高く、ウンディーネは時々ここの人間と接触していたかもしれないと思い至った。
もしそうであれば、こちらから祈りを捧げてそれが精霊界のウンディーネに届くような、〝窓口〟が残っているかもしれない。
それを見つければ俺が呼びかけることで、ウンディーネを喚び出すことができるだろう。水精霊の方も俺の力を必要としているのなら、きっと応じてくれるはずだからだ。
…もっともそれも、機嫌を損ねなければ、の話だけど。
大精霊はその性格も様々で、中にはかなり気難しい存在もいる。火の大精霊『イフリート』は好戦的で、戦って実力を示さなければ絶対に協力してくれないし、雷の大精霊『エクレール』は自尊心が高く、少しでも高慢な態度を見せると即、物凄い電圧の雷を落とされる。
マリーウェザーの巫女の件で協力を仰いだ光の大精霊『ブラカーシュ』は、自分の損になることは決してしないし、風の大精霊『シルフィード』に至っては気に入らなければ口も利いてくれない。
水の大精霊ウンディーネはどちらかというと女性的で穏やかな方だけど、怒らせると延々雨を降らせ続けて作物を枯らし、土石流や川の氾濫など水害を招くこともあるくらいだ。
マルティルは世界樹ユグドラシルの大精霊だから、それこそ大地母神のように全てを包み込んでくれるような温かさがあり、安心して頼ることのできる存在だ。
細かな記憶は思い出せていないままだけど、俺が彼女を姉のように慕っていたというのは多分真実で、今後もなにかで傷ついてそれを癒やすのなら、俺はグリューネレイアに行ってマルティルの元で眠りにつくことだろう。
そんなわけで若干の懸念はあるが、とっとと動くことにする。ウンディーネの協力を得て早くリヴグストを解放してやりたい。
俺がいつまで経っても戻らないから、彼はきっと寂しがっているはずだ。
――リヴを解放したら、とりあえず〝予の君〟と呼ばせるのだけは止めよう。…そんなことを思う。
「じゃあ行って来るから、ディフェンド・ウォールは切らさないようにしておくんだぞ。」
「わかってるって。ルーファスこそ気を付けろよ。…んで、なるべく早く戻って来てくれ。じき日が暮れるし、ここはなんか出そうで怖い。」
自分で言って怖がり、ぷるぷる身震いするウェンリーを見て、幽霊お化けの類いは苦手なんだから、思っても口に出さなきゃいいのに、と微苦笑する。
魔法で修復した鉄枠の木戸を開け、俺は一人で小屋を出た。確かに日は傾きかけて、ただでさえ霧で暗かったのに、さらに見えづらくなったように感じる。
「ルスパーラ・フォロウは彷徨いているクレイマペットの気を引きそうだな。〝暗視〟を使うか。」
俺はスキルを発動してから鬱蒼とした木々に遮られた、水源のある奥地へ続く小径に入って行った。
湿気を含んで泥濘んだ地面を歩きながら、俺の背丈ぐらいまで伸びた雑草を掻き分けて進んで行く。
あまり音を立てたくはないが、ガサガサするのはもう仕方がない。霧で周りが見づらいのもあるし、地図で方向を確認しながら進まないとすぐに道を外れてしまいそうだった。
そんな中俺は考える。さっき出会ったリクシル・ガーターという名のご老人についてだ。
彼はなにか、俺達に知られたくないようなことを隠しているように思えて、水精霊に対しての不信と、少し過剰な俺への態度が気になっていた。
――ガーターさんのあの反応…なんだか嫌な感じだ。詳しい話を聞く前に追い出されてしまったから事情を知ることができなかったけど…クレイマペットが住人らしき姿をしていることもそうだし、村を滅ぼした相手を、ガーターさんは〝魔物〟ではなく〝化け物〟と言った。
突然怒りだしたのも、恨むのは精霊じゃなく村を滅ぼした魔物だ、と言った直後からだ。
ウェンリーは気づいていなかったようだけど、ガーターさんの家には子供用の玩具が散らばっていて、壁にはまだ若い夫婦と七、八歳ぐらいの少女の写画が飾られていた。
あれは多分あの家に住んでいた、ガーターさんの息子さん夫婦と孫娘だろう。普通はあの年頃の孫がいたら、目に入れても痛くないほど可愛がっているものだ。
それなのにガーターさんはウンディーネの話をした時、〝なぜ俺の息子を〟とは口にしたが、その娘については一言も言わなかった。
廃墟と化し、大量のクレイマペットが徘徊している村に、一人で住み続ける理由は、もしかしたらそのことと関係があるのかもしれない。…そう思った。
ウェンリーにはまだなにも話していなかったが、本来『クレイマペット』と言う魔物はその種単独で出現する魔物ではない。
〝マペット〟と名前に付くことからも想像出来るかもしれないが、あれを生み出す『創主』がいる。
そして創主によって生み出されたクレイマペットの姿は、その記憶や想像力によって決まる。
そのことからしても徘徊するクレイマペットがここの元住人の姿をしているのなら、その創主は少なくとも、彼らの姿を良く知っている存在と言うことになる。
――それだけでも俺は嫌な気分になった。
クレイマペットは創主を倒さなければ無限に復活し続けるけど、問題はその創主が人間じゃないとは限らないことだ。
もし相手が〝化け物〟と称される〝人間〟だった場合、俺には多分倒すことができない。
俺は人を守る『守護者』で、絶対に人間を殺さないと決めているからだ。
どんな理由があってもその誓いを破れば、俺は俺でいられなくなる。その誓いや決意がいつからのものであるのかは思い出せないが、FT歴1002年の過去でケルベロスにあの不気味な短剣で刺された時、相手をどうしても手にかけられないことに気付いてそう確信した。
そうなったら俺は、どうすればいいのか…
「…考えていても仕方がないからな、だめならだめで他の手を探すしかない。」
前向きに思考を切り替え、両手で一際育った葦に似た草を除けると、霧に包まれた五メートルほどの池のような泉の畔に出た。
「あった…!水精霊を祀る御堂だ。」
細かな砂利の混じった地面の草叢に、破壊されて見るも無残な姿になった社があった。泉の周囲には三つの守り石が置いてあったが、そのどれもが二つに割れて穢れを纏っている。
そのせいか、元は澄んだ霊水を湛えていたと思しき泉は、深緑色に澱んで異臭を放ち、瘴気に近い毒素を発生しかねない状態になっていた。
「…俺が感じていた『嫌なもの』はこれが原因か。社が破壊されたまま放置されていたから、一部の水精霊達が人間に対して怒り始めていたんだな…危なかった。」
長年守護して来たにも関わらず感謝する住人がいなくなり、フェリューテラ側の穢れがアクエフルフィウスにも流れ込み出していたんだろう。…精霊が怒るのも当然だ。
大精霊と違って複雑な思考を持たない下位の精霊や微精霊は、害され人間に対して怒りを溜め込むと魔精霊になってしまう。
そうなるとその地にはもう人間が住めなくなり、最終的に自然環境も壊れて行く。
それでもその場所に霊力は残っているから、新たな魔物が発生しやすくなって益々人はその地に戻れなくなってしまうのだ。
俺は急いで泉の周囲を『ピュリファイ』で徹底的に浄化し、守り石と社を修復魔法で元通りに直すと、魔物や悪しき存在が容易に近付けないよう、大樹の根と同じようにして絶対障壁を張った。
すると暗くじめっとした纏わり付くようだった空気が一変し、今度は逆に日暮れが近いというのに明るくなって、ガラリと周囲の雰囲気が温かくなった。
どうやら霧の中に存在する水の微精霊達も喜んでくれているようだ。
「うん、泉と御堂はこれでいいとして、この近くにも多分『大樹の根』があるはずだけど、どこかな…?」
広域探査でもう一度周囲を調べてみたが、それらしいものは見つからなかったので一旦それは後回しにして、修復した社から水の大精霊ウンディーネを喚び出し浄化した泉に来て貰うことにした。
「青き水を司りし大精霊ウンディーネよ、守護七聖主ルーファスが助力を求める。浄化し悪しきものは近付けぬバセオラの泉にて交渉を望む。願わくばその姿を顕現せよ。」
――大精霊に俺の方から呼びかける時は、謙っても高慢になってもいけない。マルティルのように気心が知れていれば話は別だが、さっきも言ったように気難しい性格の存在が多く、馬鹿にしてもされても上手く関係を築けなくなるからだ。
そしてこの呼びかけに応じてくれるかどうかで、交渉が上手く行くかどうかもすぐわかる。
数秒も経たないうちに泉全体が青銀の光を発し、風もないのにさざ波が立ち始めると、その波紋の中心から噴き上げる水柱と共に大精霊ウンディーネが姿を見せた。
その美しい姿は水中から飛び出した跳ね魚のように、飛沫を上げてキラキラと輝く。
「――やあ、大精霊ウンディーネ、来てくれてありがとう。こちら側に喚び出してすまない。」
青く透き通った全身に硝子玉のような瞳を持ち、両腕から頬にかけて青白い流線型の水流を模した精霊紋(人で言うところの入れ墨のような紋様のこと)が走っている。
瞳の下には雫型の装飾が入り、水そのもののような膨ら脛までの長髪には、宝石の様に鏤められた水滴が宙に漂ってゆらゆらと輝いていた。
全てが透き通っている、ほっそりとした線の衣と両腕にかけた水の羽衣がせせらぎに似た音を立て、人のそれに似た裸足の足が水面から五センチほどの高さに浮いていた。
因みにこの姿はフェリューテラ上の姿で、グリューネレイアではマルティルのように人に近い別の外見をしている。
目の前の彼女とはこれが初対面になるが、過去他の大精霊ウンディーネには会ったことがあり、相変わらず綺麗な精霊だな、と見蕩れてしまう。
「千年前のウンディーネから、貴女は何代目になるのかな?」
『四代目にございますわ、守護七聖主様。グリューネレイアでは様々なお噂が流れておりましたけれど、現在はご健勝のようでなによりでございます。』
精霊族の女王マルティルと違って、他の大精霊には大体なにもなければ二、三百年くらいの周期で世代交代がある。人のそれとは異なり、親から子へと受け継がれるのではなく、同一精霊の中から相応しいものがその位に就くのだ。
もちろんそれぞれに性格があって、思考が異なれば先代の記憶を受け継ぐのも自由で、受け継がれなかった大精霊の記憶や経験は、『記録玉』と呼ばれる秘宝に残されていくのだそうだ。
俺とウンディーネの会話を聞くに、一見良好な印象を受けるかもしれないが、それとは反対に俺は少し緊張していた。
健勝でなにより、と言う割りにはウンディーネから、俺に対する敵意を感じていたからだ。
彼女にも過去のウンディーネにも俺の記憶にある限り、なにか怒りを買うような真似をした覚えはない。
まあ、あくまでも記憶にある限り、なのだが、それでも会話を交わす前から敵意を向けられるのは少し腑に落ちなかった。
――フェリューテラに喚び出したことで機嫌を損ねたのかな…でもそれなら初めから応じるはずがない。
勝手に泉を浄化して社を直したのが気に食わなかった?…それなら微精霊が喜ぶはずもないんだよな。大精霊と微精霊達はほぼ同じ感情で動く。大精霊が俺を敵だと思っているのなら、微精霊も同じように攻撃的になるのが普通だ。
だがここの水精霊は俺の頼みを受け入れて一時的に霧を晴らしてくれたし、今も俺の周囲にいて時々頬に触れて行く。
嫌われているようには感じないし…どう考えても妙だ。
とにかく話をしてみるか。
精霊の心は人間よりも遙かに分かり難い。表情や態度からでは把握しづらく、にこにこしながら殺意を抱いていたり、激怒しているのに実は好かれていたりと、一筋縄ではいかないのが常だ。
俺は不思議に思いながらも警戒は緩めず、ウンディーネに交渉を開始した。
「マルティル様から話は聞いていると思うが、水の神魂の宝珠の封印を解くのに、貴女の力を借りたいんだ。安置場所が海底に沈んだ城の中にあって、普通の方法では辿り着けない。なにか困っていることがあるそうだけど、出来る限り俺も力になるから、協力して貰えないだろうか?」
普段は呼び捨てにしているマルティルを敬称を付けて呼んだのは、彼女にとっても女王陛下であるからだ。
俺への本心が読めない以上、不興を買うような真似は出来るだけ避けるに越したことはない。
だがウンディーネは意外なことに俺の申し出をすんなり受け入れた。
『…ええ、それは構いません。わたくしの方でも守護七聖主様のお力添えを頂きたいことがいくつかありますし、その内の一つは既に今していただきましたから、お断りするわけには行きませんわね。』
「………。」
――うーん、言葉と放たれる〝気〟が一致しないのはなぜなんだろう。既に俺がしたことと言えば、泉の浄化と社の修復だ。つまりこれに関しては敵意の対象ではないんだな。
俺は微苦笑しながら、他になにをして貰いたいのかを先に聞き出すことにした。
『わたくしからのお願いは後三つありますの。一つはこのバセオラ村を復興させられるようにしていただきたいのと、もう一つはクレイマペットと化した元住人達の〝魂の浄化〟ですわ。』
バセオラ村の復興か…それはともかくとして――
「…やっぱり彼らはこの村の住人達だったのか。浄化と言うことは、人形の核には人の魂が使われているんだな?」
『はい。既にお気がつかれていましたか。…さすがですわね。』
「いや…」
住人達の魂の浄化自体はそれほど難しくはない。昇華魔法は光属性に含まれるから、既に神魂の宝珠で解放済みだし、あのクレイマペット達はバセオラ村から出ようとはしないから、一箇所に集めて纏めて鎮めることも可能だろう。だが問題は…
「――それで、三つ目の願いはなんだ?…もしかして貴女から感じる俺への敵意と関係があるのかな、ウンディーネ。」
『……そう、ですわね。』
ゴッ…
そう言った直後、ウンディーネが俺に対して殺気を放った。
「俺が記憶を失っていることは聞いていると思うが、俺はなにか貴女に恨まれるようなことをしたのかな?」
俺は剣を抜かず、冷静にウンディーネと話し合おうとした。理由がわからないままだし、たとえここで襲いかかられたとしても、俺に大精霊を害する気は微塵もないからだ。
『いいえ、守護七聖主様。ですがあなた様にはここで、暫しの間お眠り頂きとう存じます。』
「…!?」
直前まで敵意を感じなかった周囲の微精霊達が、一斉に俺に纏わり付いて精神攻撃を仕掛けて来た。
ザザアッ
「これは…待て、ウンディーネ!!せめて理由を聞かせ――」
俺は精神攻撃に対する耐性が高く、普通なら『精霊の粉』を使われたとしても滅多に喰らうことはないが、大精霊の使用する『聖なる眠り』にだけは無条件で抵抗することができない。
この力は大精霊だけが持つ特殊能力で、精霊を大切に思い、その愛情が深ければ深いほど安らかな眠りに誘われるという、究極の精神系精霊魔法だからだ。
但しこれには矛盾がある。俺に対して本気で敵意を持ち、殺意を抱いているのなら、この精霊魔法を俺に使えるはずがないのだ。
まずい、もう…だめだ…抗え…な…
そして俺はウンディーネの前で力尽き、深い眠りに落ちてしまった。
泉の中に手を浸したまま、仰向けに地面に倒れたルーファスを、水の大精霊ウンディーネは冷ややかに見下ろす。
そうして次に水を操り三つ叉の矛を作り出すと、それを右手に握って意識を失ったルーファス目掛け、突き刺そうとした。
ガキインッ…
――次の瞬間、ルーファスは右手で腰のエラディウムソードを抜き、横たわったままその攻撃を剣で受け止める。
『…!!』
たじろぐウンディーネの前で、ルーファスの銀髪が根元から瞬時にサアーッと漆黒髪に変化して行った。
地面に左手をつき、ゆっくりと起き上がったルーファスはその瞳を開く。
『やはり――!』
漆黒の髪に紫紺の瞳がウンディーネをギロッと睨みつけた。
そこにいたのは今の一瞬でルーファスと入れ替わったレインフォルスだったのだ。
「――どういうつもりだ、大精霊ウンディーネ…」
レインフォルスは全身から、激怒を表す真紅の闘気を放って立ち上がる。
「ルーファスに危害を加えようとするのであれば、精霊族の裏切りと見做し全力でおまえ達を滅ぼすぞ…!!」
敵意と殺気を消失させたウンディーネは慌てて即座に跪く。
『お…お許し下さい、レインフォルス様…!!』
「――へっくしゅんっ!!」
ルーファスが修復魔法で直した小屋では、いつの間にかうたた寝をしていたらしきウェンリーが、その肌寒さに目を覚ましてくしゃみをすると、ぶるるっと身震いした。
「さみ…やべ、うたた寝しちまってたのか。ルーファスは…」
ディフェンド・ウォールの壁面が磨り硝子のように光を発する中、室内を見回したがその姿はない。
「まだ戻ってねえか…遅えな。」
あれからどんぐらい経ったんだろ?三十分…一時間?グリューネレイアには行かねえようなこと言ってたのに、変更したのかな、とウェンリーは心配になる。
――そんならそれで予定が変わったって、言いに来そうなもんだけど…
ウェンリーは無限収納から野営用の簡易器具を取り出すと、それに固形燃料を入れて火打ち石で火をつけた。
外から見るとちらちらと赤い光が漏れ出ているのだが、徘徊するクレイマペットはそれに気づかない様子だ。
そのままウェンリーは飲料水を取り出すと、鍋に入れてお湯を沸かし、魔物に察知されないようにあまり匂いのしないお茶をカップに淹れて、両手に包み込むようにしながら飲んだ。
「はあ…あったまるぅ。…もう日ぃ暮れちまったよな…そろそろ戻ってくるかな。」
ところがそれからさらに三十分ほどが経過しても、ルーファスは戻って来なかった。
――変だ…いくらなんでも遅すぎねえか?大精霊を喚び出して話をするだけだぜ、どんなに長くても一時間もありゃ済むだろうに。すぐ戻るような口振りだったのに、もしかしてルーファスに…なんかあった?
ウェンリーが本格的に不安になり始めた、その時だった。
『ウェンリー。』
どこからか聞こえたルーファスの声に、ウェンリーはハッと顔を上げる。
「…ルーファス?」
ようやく戻って来たのかと扉を見るが、開く様子も人の気配もない。
『――ウェンリー、聞こえるか?思念伝達で声を送っているんだ、悪いけどここまで来られないかな?』
「思念伝達って…どうしたんだよ、なんかあったのか?」
ウェンリーはほんの一瞬、ルーファスってそんなこと出来たっけ?と首を捻る。
シルヴァンやイゼス達獣人族が獣化した際に、当たり前のように自分に対して話しかけて来ることには慣れているものの、ルーファスがそれを使用した記憶がウェンリーにはなかった。
〝ああ、ちょっとな〟といつもの口調で、心配をかけまいとしているその様子が声からは窺える。
「わかった、すぐ行く。」
聞き慣れたルーファスの声に疑いもせず、ウェンリーは〝泉に行けばいいんだよな?〟と確かめるとすぐに立ち上がり、野営器具の火を消してからクレイマペットに注意して静かに小屋を出た。
「――これでいい。赤毛の人間がここに来たら、それとなく洞窟へ来るように誘導してくれ、ウンディーネ。相手におまえの姿は見えないし、声も聞こえないからな。」
そう泉の傍に立ち話すのはルーファスではなく、漆黒の髪を風に靡かせるレインフォルスだ。
レインフォルスにはある目的があってルーファスの口調を真似し、ウェンリーを思念伝達で呼び出したのだった。
『かしこまりました。あの…レインフォルス様――』
なにか言いたげに胸元に手を当てて、ウンディーネは自分を振り返るレインフォルスを見る。
その表情は申し訳なさそうに沈んでいて、人間のように細かくは読み取れないものの、レインフォルスに対して酷く悲し気な瞳を向けているようだ。
こんな時ルーファスなら目が合うと、相手の緊張を解くようにそれを細めて優しげな視線を返すが、レインフォルスの眼差しにはなんの感情も込められておらず、未だウンディーネに対する怒りが治まりきっていないようにさえ見える。
「このことについてルーファスには一切余計なことを言うな。今度約束を違えれば俺は許さない。忘れるな、ウンディーネ。」
冷たい声でそれだけ言うと、レインフォルスは泉からさらに奥へと続く小径に入り、生い茂った草叢の中へと姿を消した。
――暫く経って、ルーファスが通って来た小径を辿り、ウェンリーが泉に辿り着く。
「おーい、ルーファス。来たぜ…って、あれ?」
思念伝達なんて今まで使ったこともねえ方法で呼んでおきながら、その場所にルーファスの姿は見当たらなかった。
「おーい、ルーファス?どこにいんだよ?」
俺はルーファスを呼びながら、きょろきょろ辺りを見回して探したけど、どこにもいねえ。
目が覚めるくらいに澄み切って青く光る泉は、日の暮れた闇の中で幻想的な雰囲気を醸し出していて、いつの間にか周辺の霧が晴れていることに気が付いた。
多分ルーファスがこの一帯を綺麗にして浄化したんだろ、夜になったのに村に到着した時よりも明るく感じるし、なんだか空気が綺麗になっているような気がした。
識者じゃねえ俺に、ウンディーネや精霊の姿は見えねえから、ルーファスがなんでいないのかも、大精霊がそこにいるのかどうかすらわからねえ。
俺は頭をぽりぽり掻きながら、とりあえず少しの間その場でルーファスが戻ってくるのを待ってみた。
「…っかしいな、自分で呼んでおきながらいねえなんて、ルーファスらしくねえ。」
マジで本格的になんか…あった?
ほんの少しの違和感と、アテナを失った時の悲しみや喪失感を思い出して胸にズキン、と痛みが走り、俺は急に不安になった。
もしルーファスになにかあったんだとしても、アテナの時のように、俺はただ見ているだけでなにもできねえ。
シルヴァンはいないし、ここはシェナハーンで、俺達は密入国者で…村の中はクレイマペットだらけ――
ルーファスが俺を置いて離れたことで、探索フィールドは解除され、頭から村の地図は消えてる。
このままじっとしてるよりも、すぐにルーファスを探した方がいいんじゃ…
そう思ったら、どっから出たんだか、俺の目の前をすぅ〜っと水色の小さな光が横切った。
最初は蛍みてえな虫かと思ったのに、飛び跳ねるように上下に動いたり、俺の目の前を何度も行き来したりしてどうにも動きが変だ。
「…なんだ?この光…」
俺がその光に気をとられると、それは地面すれすれのところにピタリと止まって光の明滅を繰り返す。
よく見ると泥濘んだ地面に、ルーファスのものらしき足跡が草叢に向かって点々と続いてた。
足跡に気づいた直後、光はまた動き出すと、それが続く草叢に吸い込まれて行く。
――もしかしてルーファスはもっと奧に行ったのか?…なんで?
なにかの異変に気がついて急遽移動したのかもしれねえ。そう考えた俺は、その光が入って行った草叢に分け入った。
泉までの小径をルーファスが通ったように、雑草を踏みしめた痕跡で道らしき筋ができてる。
俺はルーファスの魔法石でルスパーラ・フォロウを灯すと、索敵を切らさねえようにしながらそれを辿って行き、やがて小山のようになった斜面にぽっかり空いた洞窟に着いた。
「げ…なんかヤバそう。こんなところに洞窟なんかあったのかよ。」
土と岩が絶妙な均衡を保ち入口が崩れないように天井を支えていて、すぐ横の土からは木の根っこがびよんびよん突き出して伸びてるし、白い蜘蛛の巣が隅っこに絡みついてるわ、蜈蚣らしき虫なんかも這いずり回ってやがる。
ぜってえやべえよな、これ。もしかして魔物の巣穴かなんかなんじゃねえの?
バセオラ村からは一キロも離れてねえ位置に、どう考えても〝中になんかいます〟的な窖があって、ルーファスの足跡はそこに続いてた…さて、どうしよ。
俺は入口から中を覗くと、入るかどうかその場で悩んだ。
だってさ、おかしいだろ?俺を呼んだルーファスが姿を見せなくて、足跡だけ残ってるなんて…これでもしカオスとかがいるんだったら、なんかの罠なんじゃねえかって思うじゃん。
魔物がいるかもしれねえ洞窟に向かって、大声を出してルーファスの名前を連呼するわけにも行かねえし、アテナにもなにか行動する前に一旦立ち止まって、慎重に考えてからにしろって再三言われてたかんな。
そのアテナはもういないけど、アテナに教えられたことはちゃんと覚えてる。
『ウェンリーさんになにかあれば、ルーファス様だけでなく、私だって平静ではいられません。だからウェンリーさんはウェンリーさんで、なにをするにも十分気を付けて下さいね。』
ついこの間までアテナはそう言って、優しく微笑みながら諭してくれた。
ふわふわの髪に薄紫の瞳が綺麗で…小さくて可愛くて…俺にとっては特別な女の子だった。
もうあの笑顔には会えないけど、泣いてぐじぐじしてたってアテナは喜ばねえもんな。
「…わかってるって、アテナ。ちゃんと気を付けるからさ。」
俺はアテナに貰ったブレスレットを撫でながら、そんな独り言を呟いた。
――少なくともルーファスはこの中に入って行ったんだよな。…だったら、追いかけて行くしかねえか。
結局俺は悩みはしたものの、少し身を屈めて入口から洞窟の中に足を踏み入れることにした。
なにがあってもいいように、右手にエアスピナーを構えて、左手にディフェンド・ウォールの魔法石を握りしめながら、下り坂になっていたそこを慎重に降りて行く。
表から見えてた入口は、あんなに入りにくそうな感じだったけど、暫く進むと途中からは広くなり、内部はヴァンヌ山にもあったような所々に鍾乳石がある自然洞窟になっていた。
「へえ…中は意外に広いんだ。…で、ルーファスはどこだよ?」
小山全体の大きさから考えても、そんなに深い洞窟じゃなさそうだよな、と思いながらルーファスを探して歩いてると、どこからかボソボソと人の話し声が反響して聞こえて来た。
この声…ルーファスの声と、もう一人…
「女の子の声…!?」
なにを話してるのかまではわからねえが、確かにルーファスの声と子供のような女の子の声に間違いなくって、もう少し奥の方からだ、と思った俺は、歩いていた足を速めて小走りに声のする方を目指した。
ほぼ一本道だったそこを急ぎ足で進むと、急に大きな空洞に出て、奥の方にルスパーラ・フォロウを使用したルーファスの姿が見えた。
「あっ、いたいた。おい、ルーファスなにして…」
――けど俺はそこで、信じられない光景を見る羽目になった。
ルスパーラ・フォロウの光が、まだ距離のあるルーファスの手に握られていたそれに反射して、俺の目をチカッと貫く。
眩しっ…剣…?ルーファスのエラディウムソードの刀身かよ。
一瞬の眩しさに顔を顰めた俺の目に、ルーファスが右肘を高く掲げている姿が映る。それは正にこれからなにかに向かって、剣を突き立てようとしている態勢だった。
暗がりに反射するルスパーラ・フォロウの逆光で遮られよく見えずに、なにに対してそんな態勢を取っているのかと思った。
少しずつ近付き、目を凝らしてよく見ると、ルーファスの左手は目の前にいる小さな〝それ〟の肩を掴んでる。
さっき声が聞こえた時もそうだったけど、なんでこんなところに、あんな女の子がいるんだろ、と不思議に思った。
だけどもっと理解出来なかったのは、ルーファスが今取っている態勢だった。
――そんなことしたら危ねえじゃんか。なんでおまえが、そんな女の子に剣を突き立てようとしてんだ…?
俺はきっとその光景を見ながら、ポカン、と口を開けて、相当間抜けな顔をしてたんじゃねえかと思う。
だって…笑えるだろ?あのルーファスが、小さな女の子に剣を突き立てようとしてるんだぜ?…あり得ねえし。
次の瞬間、その刀身が女の子の身体をズブッと貫いた。
ルーファスが、俺の目の前で、躊躇いもせず一気に、エラディウムソードを小さな身体に突き立てたんだ。
――俺はその信じられない光景に自分の目を疑って、〝なにしてんだ、ルーファスーっ!!〟と、絶叫に似た叫び声を上げて手を伸ばした。
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