113 滅びた水の村バセオラ ①
大樹の根に障壁を施した後、ルーファスとウェンリーはフェリューテラに戻り、ウンディーネの力を借りるべく国境を無事に越えました。シェナハーン王国最南端にある街道に出て、目指す村へ向かいますが…?
【 第百十三話 滅びた水の村バセオラ ① 】
ルフィルディルを発って二日目、『大樹の根』に障壁を張りフェリューテラに戻った俺とウェンリーは、間に野営を挟みつつ無事に国境を越えてシェナハーンに入った。
…と言っても、ここはまだデゾルドル大森林の中で、周囲は見渡す限り背の高い樹木と草花ばかりだ。
通常、国と国の境は明確に仕切られ、壁や柵などで隔てられているように思うかもしれないが、エヴァンニュ王国とシェナハーン王国は古くからの友好国で、現在も非常に良好な関係であることと、デソルドル大森林は幻惑草の群生地であるためか、国による監視もそういった国境壁のようなものもない。
その幻惑草も獣人族の行動範囲からある程度離れたぐらいから、徐々に見かけなくなり、ここはもうただの深い森に変わっている。
反面、当然だが普通に魔物が闊歩し、動物型から昆虫型、鳥型に植物型まで実に様々な魔物が襲ってくるようにもなった。
そうしてここがエヴァンニュではないことを熟々感じるようになったのは、その魔物の強さが格段に上がったからだ。
国によって魔物の危険度を示すランクの基準が異なるのは当たり前なのだが、この地域に生息しているものは、エヴァンニュで言うところのAランクに相当する力を持っていた。
となると、ウェンリーに時折俺がヒヤッとするような危なっかしい面が見えるようになり、こちらの魔物の強さに慣れるまではその守護にも気を配る必要が出てきた。
ところが――
「ルーファス、自分でちゃんと気を付けるから、いちいち俺のこと心配しなくていいって!!」
雑魚敵相手の戦闘中、俺がディフェンド・ウォールを使用したことに、ウェンリーが腹を立てそんなことを言って来る。
「そうは言うけどな、おまえの実力的にはまだこの辺りの魔物に慣れるまで時間がかかるだろう。その間に大きな怪我でもしたらどうするんだ。」
「それでもいいんだよ!!世間一般の守護者達は、そうやって誰にも守られずに自力で実力を磨いてんだ、仲間として庇ってくれんのは助け合いだと思えても、おまえのはただ俺を守ってるだけなんだよ!!」
「!」
――苛立った様子で放たれたその言葉に、俺の手を激しく拒絶されたような気がして衝撃を受けた。
子供扱いをしたつもりはなく、一人前の守護者と認めてもいる。その上で俺はウェンリーが怪我をしないように守りたかっただけだ。
それの、なにがいけなかったんだろう。
こんなウェンリーを見たのは初めてで、俺は一瞬どうしたら良いのかわからなくなった。
「とにかく多少怪我することになっても、余っ程でない限り防護魔法は要らねえから。」
「………。」
それだけ言ってウェンリーはプイッと顔を背ける。
意地を張っている、というわけではなさそうだった。自分の実力が足りないことを理解した上で、俺に腹を立てているという感じだ。
〝余計なことをするな〟とは言われなかったが、もしかしたらそう思われているのかもしれない。
――俺とウェンリーが初めてエヴァンニュ王国を出た直後は、こんな状態から始まった。
その後言われた通りにディフェンド・ウォールを使用しなくなった分、ウェンリーに細かな傷が増えて行くのを俺は見ているだけしかなくなった。
ウェンリーは〝いってえな〟と文句を言いつつ、無駄に液体傷薬を使用したり、俺が治癒魔法をかけるほどでもないと、それをまるで未熟な自分に対する罰だと思っているかのように放置し続けるからだ。
アテナがウェンリーのためにと用意した特殊装身具のブレスレットは身に着けたままだが、効果が強力な分、掠り傷程度の怪我は防御対象に含まれていないらしい。
ならばせめて刻まれている魔法紋の詳細を見せて貰おうと思ったが、アテナがいなくなった今ウェンリーは、それを俺にでさえ触られるのを嫌がり、実際にはどんな効果があるのかを正確に知ることもできない。
ただ気づけば全ての傷が治っているところを見るに、ゆっくりと身体を癒やす継続治癒魔法『リジェネレート』の魔法紋が刻まれているのは確実なようだ。
俺としては過保護だと言われても、ウェンリーが傷を負って血を流すのを見るのは嫌なのだが、アテナを守れなかった俺自身の罪でもあるのだと、甘んじて暫くは耐えるしかなかった。
そんな調子でシェナハーンに入ってから三時間後、ようやく俺達はデゾルドル大森林を抜け、同国最南端の街道に出た。
事前にウルルさんから得た情報によると、この辺り一帯にあった小村はその殆どが既に魔物によって滅ぼされているらしく、廃墟と化している村々へ続くこの道に馬車や人の往来は全くなかった。
「――マジで人っ子一人いねえのな。」
「ああ、魔物狩りのハンターも見えないな。この街道沿いには幾つか小さな農村があったらしいけど、半年ほど前にサンドワームやアクエ・タランチュラの変異体に襲われてなくなったそうだ。」
デゾルドル大森林はずっと晴れていたが、この辺りは昨夜雨が降ったらしく泥濘んだ土の街道を歩きながら、壊れた木の柵が並ぶ畑の残骸を横目に見てウェンリーにそう説明をする。
どんよりとした曇り空に湿った土の匂いがし、長いこと放置されたままの農作物がぼうぼうに伸びた雑草の間に所々顔を出していた。
収穫して浄化すればあの野菜なんかはまだ十分食べられそうなのに、勿体ないなと思う。
「アクエ・タランチュラって次元の狭間で戦った蜘蛛の中にいたあれか?」
「そうだ。この辺りの地域で一年ほど前に現れるようになった新種で、水属性が弱点なのに水に触れることを嫌わない、変わった性質を持つ蜘蛛型魔物なんだ。自分で作った気泡で躯体を包み、川や湖などの水中に潜んで獲物を待ち構えることもある。この先には水精霊の領域があるから、多分その近くで変化した魔物なんだろうな。」
「ふーん…で、俺らが向かってんのは、その水精霊の領域にある村だと。」
ウンディーネが待つ水精霊の領域は、ここからもう少し進んで街道をぐるりと東に回り込んだ地域に接点があるらしい。
一応マルティルから俺達が向かっていることは連絡して貰ったが、大精霊に会うにはそこからさらに、俺が精霊界グリューネレイアにある水精霊の領地『アクエフルフィウス』に行く必要がある。
「なんて名前の村だっけ?」
「『バセオラ』だ。もっとも、そこの村も既に滅んで、もう誰も住んでいないようだけど…」
――リカルドがファーディアやシェナハーンに、ギルドの依頼で変異体調査へ出ていたのは最近のことだ。
その時にこの国ではギルドの体制が整い切れておらず、魔物に滅ぼされる小さな集落が相次いでいると言う話を聞いた。
国境を越えたエヴァンニュでは長年平穏だったのに対し、少し離れただけでこうまで状況が異なると、俺としてもなにか自分にできることはないのかと居た堪れなくなる。
俺はリカルドが俺の左腕に刻んだ『呪印』を右手で摩りながら、碌に話も出来ずに別れたリカルドの笑顔を思い出していた。
アクリュースやカオスによって俺が『アストラルソーマ』に損傷を受けた時、この呪印がリカルドに危機的状況と居場所を伝える役目をしていたらしい。
そうまでして俺のことを気にかけてくれるのなら、どうしてリカルドは俺の前から姿を消してしまったんだろう。
今でもそんな思いは消えない。
呪印を施された部分が痛むわけではないが、リカルドに窮地を救われて以降、この印だけが今俺とリカルドを繋いでいるような気がして、無意識に触れるようになった。
そんな俺の仕草を、横を歩くウェンリーが知らぬ間に見ている。
ウェンリーの視線に気づいた俺は、不自然にならないよう呪印から右手を下ろすと、左手を腰に装備している剣の柄に置いた。
「――薄く霧が出て来たな、見通しが悪くなるかもしれないから、ウェンリーも俺に頼らず自分の索敵を切らすなよ。」
「ああ…うん、わかってる。」
街道を道なりに歩き続けて暫くすると、上空を旋回していた鳥型魔物『チークバード』が突然急降下して襲ってくる。
頭に寝起きのウェンリーのような寝癖のついた、鵯が魔物化した敵だ。
この敵は出現したらさっさと倒さないと、ヒーヨヒーヨと鳴いてすぐに別の魔物を呼び寄せる哨戒性質を持っている。
その癖止めを刺し損ねて瀕死になると逃げ出すし、そのままいなくなるならまだしも、わざわざ同種の仲間を複数引き連れて戻って来る、厄介な相手だ。
「ウェンリー、チークバードが逃げないように『バインド』(の魔法石)を使え。」
「了解。」
ディフェンド・ウォールに関しては文句を言ったウェンリーだったが、それ以外の俺の指示にはきちんと従うし、立ち回りも悪いわけじゃない。ただ――
「あっこの野郎、俺が投げた魔法石を避けやがったな!」
ウェンリーが投げた魔法石の『バインド』は空中で発動したが、チークバードに避けられ、魔法の射程内から逃げられてしまう。
この辺りに出現する魔物は、総じてウェンリーの素早さを上回る敏捷な敵が多く、また魔法石を使用するハンターを相手にするのにも慣れている様子で、道具を使うには少し頭を捻る必要があった。
俺は国境を越えてからなるべく自分で魔法を使用せず、訓練のためウェンリーに魔法石を使わせ続けて来たのだが、エヴァンニュ国内の魔物と違って思うようにそれが当たらずに、ウェンリーはここまでずっと苦戦していた。
「怒っても仕様がないだろう、そんなあからさまにただ魔法石を投げつけたって、軌道を読まれて躱されるだけだ。何度も言うが、敵の動く方向を予測して避けられない場所に向かって魔法が発動するように投げろと――」
「わかってるよ!!ちゃんと考えてるって言ってんだろ!?すぐにできるようになるから、何度も言うな!!」
返ってきた言葉に、ハア、と溜息を吐いた。
――こんな風に俺が戦闘中の行動に対してなにか言うと、ウェンリーは苛ついて反発するようになった。
広範囲効果の攻撃系魔法石なら避けられる心配はないが、たった一体の魔物相手に、戦闘フィールド全域に行き渡る攻撃魔法石を使用するのは、はっきり言って無駄だ。
ウェンリーに渡している魔法石は俺が作っているもので、魔石さえあれば幾らでも用意出来るからいいが、本来魔法石というものは、魔法国カルバラーサが作成して世界各国に販売しているもので、威力の高いものほど値段も希少価値も高く、普通にギルドや魔法石屋であの数を購入したらとんでもない金額になる。
それにエヴァンニュ王国以外では、他のハンター達も普通に魔法や魔法石を使って魔物と戦う。
そんな中でウェンリーのように上手く敵に当てられずに、無駄に魔法石を使用しているのを見られたら、金を持っていると誤解されて悪人に目を付けられかねない懸念もあった。
――この辺りは人がいないからまだ良いが、今後ずっとこの調子なら少し考えた方が良さそうだな。
手当たり次第にポイポイ魔法石を放り投げるウェンリーを見て、やれやれ、と首を振る。
結局この後『チークバード』に新たな魔物を呼ばれてしまい、最終的には俺が逃げられないように魔法で拘束して倒すことになった。
ウェンリーが苛立っている理由や原因については、なんとなくわかっている。アテナを失ったばかりだと言うことに加え、以前なら悩み事があったり、悲しかったり辛かったりしたら俺に打ち明けて吐き出していたところだろうが、守護者として俺と対等になりたいと思っているのなら、それも自尊心が邪魔をして相談し辛くなっているのだろう。
大体にしてこれまでが順調に行き過ぎていた部分もある。それも偏に守護壁の消滅で強化されたとは言え、エヴァンニュ王国内の魔物が弱かった所為もあった。
その上周りにいたのは俺やシルヴァンにアテナだ。今になってウェンリーに焦りが生じるのも当然のことかもしれない。
ウェンリーの葛藤はわかるだけに、俺に拘るあまり大きな怪我だけはしてくれるなと願うばかりだ。
――ルーファスの溜息が聞こえる。
襲ってくる相手は雑魚ばっかなのに、エヴァンニュから出た途端、ルーファスは頻繁にディフェンド・ウォールを使って俺の防御主体で戦うようになった。
なんでだよ。
そりゃあ初めて戦うような敵ばっかなんだから、慣れるまで心配かけるかもしんねえけど…ずっと俺を対等に見て頼りにしてくれてたじゃん。
…そう思ってたけど、違うんじゃねえかって気が付いた。
バスティーユ監獄にいた時はともかく、俺にはずっとアテナがついてた。ルーファスが傍を離れている時も、ルーファスに知られないように影でこっそり訓練していた時も、いつもいつもアテナが一緒だった。
結局俺はまだルーファスにとって、自力では立てねえ『守護対象』のままなんだ。
そう思ったら悔しくて堪らなくなった。
俺にアテナとシルヴァンを任せて、アクリュースとカオスを相手に一人で残ったルーファスが、消滅の危機に瀕したって聞いた時、目の前が真っ暗んなった。
無事に戻って来たからいい、なんて思えるわけがねえ。アテナだけじゃなく、もしかしたら俺はルーファスまで一緒に失ってたかもしれねえんだ。
ルーファスがこの世界からいなくなる?…考えただけで全身の震えが止まらなくなっちまう。
その上ルーファスの危機を呪印で察知して駆け付けたらしいリカルドに、そんな連中の相手を(結果的に)任せてルーファスはルフィルディルに帰ってきた。
スカサハとセルストイが一緒だったとは言え、心配してはいるもののリカルドの野郎なら大丈夫だろうと、ルーファスは明らかにあの野郎を信頼してた。
ひょっとしたらルーファスは、リカルドに戻って来て欲しいと思ってんじゃねえのか?…もしそうなったら、この次ルーファスの傍を追い出されるのは俺の方だ。
だってそうだろ?もしルーファスの傍にいたのが俺じゃなくリカルドなら、きっとアテナは消えなかった。
シルヴァンと二人でカオスを相手にしても、リカルドなら勝ち目があったかもしれねえ。
そうしたらアテナはルーファスとバスティーユ監獄に行っていて、きっと無事だった。
俺がリカルドみてえに戦えねえから…俺はただの人間で、なんの力もねえから…ルーファスの傍にはいらんなくなる。
嫌だ…それだけは、ぜってえ嫌だ…!!
ルーファスは今も多分リカルドのことを考えてる。あれ以来左腕の刻まれた呪印に触れて黙り込むことが増えたからだ。
国境を越えた途端に役立たずだと思われて、エヴァンニュに残れと言われる前に…自力で戦えるようにならねえと、本当に俺は置いて行かれるかもしれねえ。
――そうやって焦れば焦るほど、俺は失敗を繰り返した。
ルーファスの助言も言葉の最後に、そんなんじゃもう連れて行けないと言われるのが怖くて素直に聞けなくなった。
挽回するならルーファスと二人きりのこの期間に頑張るしかねえ。もういないアテナの分も、俺は努力して必死に食らい付いていくしかねえんだもんな。
じゃねえと俺は、アテナに会わせる顔がねえ。
ルーファスは諦めたのか俺に必要以上には言わなくなり、時折眉間に皺を寄せながらも、好きなように戦わせてくれる。
危なっかしいとは思ってるみてえだけど、俺が徐々に慣れて受ける傷が減ってくるとやがて心配そうな表情も殆どしなくなった。
そうしてテクテク街道を歩いて二時間――
ようやく俺達は朽ちかけた門扉と、落下した村名の標識が脇に立て掛けられた『バセオラ』村に到着した。
薄曇りの午後、かなり濃い霧が立ちこめたその村は、聞いてた通り廃墟と化していて人の気配はなく、湿った空気が衣服に染みこんでやけに肌寒いなと思った。
ルーファスは俺の前に出て注意深く周囲の様子を窺うと、この瞬間、多分広域探査をしたんだと思う。頭の中の地図が更新されて、村の中とその奥の方まで見られるようになった。
「…湿気が多いせいかもしれないが、やけに気温が低いな。まだ午後に入ったばかりなのに、デゾルドル大森林よりも暗く感じるなんて…少し妙だ。」
警戒するルーファスに、妙ってなにが?、と疑問に思う。薄曇りだって言ったって、まとまった雨が降る前ならこんなもんだし、濃い霧は光を遮るもんだろ?
…俺はそんな風に考えたけど、いつだってルーファスの目は俺とは違う光景を見てる。
「バセオラ村は水の大精霊ウンディーネを祀っていた、シェナハーンでも数少ない『精霊信仰』の集落だったらしいんだ。その名残で村を包んでいる濃霧に、水の微精霊達を感じるんだけど、精霊族が守護している地域にしては穢れていて酷く澱んでいる。本来ならもっと明るくて空気も清浄なはずなんだ。」
「へえ…そうなのか。」
つまり水精霊がいるのに、こんな環境はおかしいって言いたかったのか…ルーファスにしかわかんねえってそんなの。
『精霊信仰』ってのは、神様の代わりに土地に住む精霊族を祀って、目に見えない精霊を大切にするっつう、フェリューテラでは廃れ気味の他国に多い信仰だ。
そもそも精霊族はルーファスのような『識者』って奴じゃねえと姿も見られねえし、声も聞こえねえ。
神様だって同じようなもんだけど、怒らせると魔精霊になったり、自然災害を引き起こしたりする分人間には身近で、蔑ろにするのは怖い相手でもある。
反面、この村のように大切にし続ければ、数百年経っても土地とその地に住む人間を守ってくれるんだそうだ。
この霧ん中に精霊がいるって?…まっったく!…見えねえな。
俺は目の前に広がる白い霧に目を凝らしてみたけど、どんなに大きく見開いてもやっぱりそれらしいものは見えなかった。
ルーファスは一瞬〝なにしてんだ?〟みてえな顔をしたけど、すぐに村の中に目を向ける。
「――とにかく調べてみるか。村の中に人の気配も魔物の気配もどちらもないが、おまえは絶えず索敵を怠るなよ。流れて来る空気に嫌なものが混じっている気がする。目的地の信号は村のずっと奧だ、気をつけて行こう。」
「……了解。」
なあ、嫌なものってなに?…そう聞き返してえのを我慢して、門扉の隙間を通るルーファスの後に付いて行く。
ルーファスのこの手の台詞は、漠然としてて良く意味がわからねえんだよな。けど本人も明確にどういうものなのかは説明し辛いらしくて、無駄なやり取りになるのが目に見えてっから敢えて俺も聞かねえんだ。
村の中に入ると、ぽつんぽつんと家らしき建物の影が見える。足元は平らな石を埋め込んだだけの石畳で、門を抜けてすぐは広場みてえになっていた。
そこに植えられた一本のバリュスナラの下に、精巧な作りの像を見つけて俺はふらりと近寄る。
有名な偉人かなにかの石像なのかと思えば、石じゃなく土で固められていて頭に作業用の布を巻いた、中年のおばちゃんみたいな像だった。
これがまたやけに細かくて、脇に抱えた草籠とか、どこにでもある前掛けに袖を捲った衣服とか、創った奴は天才だな、と感心する。
「髪の一本一本とか、すっげえ細けえ…なあルーファス見てみろよこの像、まるで生きてるみてえ――」
振り向くとルーファスの姿がねえ。
「あ、あれ?おい、ルーファス!?どこ行ったんだよ…!!」
ルーファスの姿を探してその像に背中を向けた俺は、この瞬間、殺気を感じてぴたっと足を止める。
「ウェンリー、後ろ!!」
どこからかルーファスの声が聞こえて振り返ると、あの土でできたおばちゃんがガアッと両手を伸ばして襲いかかってきた。
「穿て雷!!『トゥオーノ』!!」
ピシャーンッ
その声と同時におばちゃんの頭上に白い魔法陣が出現して、目も眩むような稲妻が貫き、土でできたおばちゃんを粉砕した。
おばちゃんはバラバラの土塊になって足元に散らばる。
「えっ…なん…」
「ボサッとするな、武器を抜け!!『クレイマペット』だ!!」
霧の中からすぐにルーファスが駆け寄ってきて、横から現れた今のおばちゃんと同じような土のおっさんをエラディウムソードで叩き斬った。
「ク、クレイマペット…!?」
――ってなに?『クレイ』は土とか泥って意味だっけ?『マペット』は…
そうだ、〝人形〟だ。
ついさっきまでなんの気配もなかったのに、俺の索敵でも周囲に、もの凄い数敵の気配を感じた。
「凄い数だ、ざっと七、八十人はいる…!!まさか元はこの村の住人か!?」
ルーファスは次々と霧の中から現れる魔物を、見えた瞬間に薙ぎ払って行く。一体一体は脆くて弱く、俺のエアスピナーの攻撃でも一撃で倒せたけど、とにかくひっきりなしに現れて数が多い。
七、八十人って…良くこの霧ん中でわかるな!?…あ、そっか、ルーファスの頭の地図には敵が赤い信号で見えるんだっけ。
――なんて呑気に考えてる場合じゃねえ!!
村の景色を白一色にしている霧は濃く、どこからクレイマペットが現れるのか俺には中々わからなくて、気づくと至近距離に敵が迫ってることが殆どだ。
離れた範囲の視界が確保出来ねえこの状況だと、遠距離攻撃型の俺の得物はすぐに放てず、普段と違って近距離での接近戦になった。
「ウェンリー、前に出過ぎるな!!俺の後ろから攻撃しろ!!」
「…っんなこと言ったって、霧で敵の居場所がわかんねえんだよっ!!」
またルーファスは俺を気にして踏み込むのを躊躇う。アテナがいた時は一人で敵の中に突っ込み、剣と魔法であっという間に片を付けてたのに、自分が離れたら俺が脇から襲われるんじゃないかと心配してるに違いなかった。
「ちっくしょう、この霧が晴れてくれれば、逃げ道も探せんのに…っ!!」
「霧…そうか、霧だな…!!水の微精霊達よ、この村の問題には守護七聖主である俺が手を貸す!!視界を妨げる〝守護の霧〟を晴らしてくれ!!」
――苦し紛れにぼやいた俺の台詞に反応して、ルーファスはなにを言い出すんだと思った。
『守護の霧』って言った?え…じゃあもしかしてこの濃い霧は、精霊の仕業ってことかよ!?
その答えは秒で出た。ルーファスの呼びかけに応えるように、サアーッと霧があっという間に晴れたからだ。
自然発生した霧がこんな晴れ方をするはずがねえ。間違いなくこれはルーファスの言うとおり、水精霊のせいだったってわけだ。
「よっしゃ、これで俺も遠距離攻撃ができるように――ってちょっと待て、倒したクレイマペットが復活してんじゃねえか!!」
ルーファスと俺が一撃で粉砕した魔物が、もこもこと集まってまた土塊になると元の姿に戻って動き出した。
しかも今度は俺のエアスピナーの一撃では倒せなくなる。
『守護の霧』って…そういうことかよ、あの霧がこいつらを弱体化させてすぐに起き上がれなくさせてたってことか!!
普通に考えれば、土の塊は水を多く含むと脆くなる。だから水精霊は水分を多く含んだ霧を発生させて、クレイマペットを弱めてたんだとわかった。
「ウェンリー、逃げ道を探してくれ!できれば崩れていない家屋を見つけて、中に逃げ込めると安心だ。退路を見つけたら、俺が広範囲の水魔法で一気に魔物を押し流す。その隙に逃げるぞ!!」
「わ、わかった…!!」
逃げ道…逃げ道…!!入って来た入口の方はだめだ、完全に塞がれてる…!
魔物の動きを気にしながら、戦闘をルーファスに任せて俺は退路を探した。クレイマペットは俺達を村の外へ逃がさないように、入口を塞ぐ形で集まっていて、街道に戻るのは無理そうだった。
逃げ込めるような崩れていない家屋?あんのかよ…!!
この村は木造家屋が殆どで、長い間湿気を含んだ霧に覆われてたのか、どの建物も木が腐って崩れかけてた。
だめだ、見える範囲にまともな建物はねえ、とりあえず無事な家を探しながら、村の奥に向かって走るしかねえか…!!
「ルーファス、まともな建物は見当たらねえ!奥の方にも家が見えるから、とりあえずそっちに逃げようぜ!!」
「そうか…なら魔法を使うぞ、発動したら奥に向かって走れ!」
「了解!!」
ルーファスは右と正面から来る魔物を剣で押し返しながら、左手に青く輝く魔法陣を出現させて魔力塊を練り上げて行く。
剣での攻撃と魔法の詠唱を同時にやるんだから、いつ見てもすげえよな。
詠唱に時間がかかってるなと思えば、普段ルーファスが良く使っている瞬間詠唱って魔技は、そのままの威力で攻撃する時だけに使うとか言ってたことを思い出した。
今みたく異常な数の魔物を一気に攻撃する場合は、魔力を込めてさらに威力を高める必要があるらしいんだよな。だからほんのちょっとだけど時間がかかる。
俺はルーファスが魔法を発動するまでの僅かな間、自分とルーファスの左側を守りながら時間を稼いだ。
あれ?けどクレイマペットって、復活すんならどうやって倒せばいいんだ?
そんな疑問に首を捻った瞬間、ルーファスの魔法が発動する。
ゴオッ…
その魔法はいつも以上にド派手な奴だった。
ルーファスを中心にして、半径十メートルぐらいの超巨大な魔法陣が地面に青く浮き上がると、そこから轟音を立てて大量の水が溢れ出し、高速の渦を巻いて周囲にいたクレイマペットを一気に押し流した。
「開けた、ルーファス!!」
俺はルーファスに声をかけると同時に、踵を返して村の奥に駆け出す。ルーファスもすぐに後に続いて走り出した。
ほんと、魔法って不思議だよな。敵味方の判別がつくってのもそうだけど、なにもないところから火だの水だの出てくるし、周辺の建物や設置物には一緒に壊そうと意図しない限り被害が及ぶこともねえ。
あれだけ強力なルーファスの魔法を喰らって、ボロボロに崩れて流れて行く魔物には、ちょっと同情しちゃうよな。
そう思ったのに、流されたクレイマペットは、すぐにまた土塊を集めて復活しやがった。
「もう復活しやがった!?切りねえじゃんか!!」
「振り返らずに走れ!逃げ込める家屋を早く探すんだ!!」
って言われたって、そんなのどこにも見当らねえし――
「おい!!こっちだ、早く来い!!」
流れゆく景色の中、廃村になって誰もいねえはずだったのに、脇道に立つ割と大きな家からその声は俺達を呼んだ。
見ると入口の扉を開け放って、六十代前半ぐらいの爺さんが、白髭の生えた口元に左手を当てて右手を大きく振ってる。
俺達は一も二もなく呼び声に従って、バタバタとその家の中に駆け込んだ。
バタンッ…ガチャガチャンッ
俺達が入るとその爺さんは急いで硬木の扉を閉め、内側を補強した閂のような横木を斜めに下ろしてから二つあった鉄製の鍵をかけた。
息を切らしたルーファスは、同じように息切れする俺に大丈夫かと聞いてくる。
…大丈夫に決まってんだろ、過保護なくらいおまえが俺を守るんだから。
――それよりさ、ウルルさんから聞いた情報って間違ってんじゃねえの?クレイマペットの話なんか聞いてたか?…しかも無人じゃなくて、生きた人間がちゃんとここで暮らしてるみてえだし…!!
俺は床に座り込んだまま、目の前に立つ窶れた印象の爺さんを見上げた。
「声をかけて下さって助かりました、ありがとうございます。」
ルーファスはすぐにシャンとして、その爺さんに礼を言うと頭を下げている。
「いや…この村が滅んで以来、ずっと消えることのなかった霧が急に晴れたんでな、驚いて外を見たらあんたらの魔物から逃げる姿が見えたんだ。」
俺も立ち上がって礼を言うと、ルーファスは俺の横でエヴァンニュから来た守護者であることを告げてから名前を名乗った。
……密入国なのに、堂々と名乗って良いのかねえ。
まあ、ばれなきゃいいか。
この爺さんは『リクシル・ガーター』って名で、どうやら元はこのバセオラの住人じゃなかったらしい。
半年ほど前、偶々息子さん夫婦のこの家を訪れていて惨事に出会し、それ以降ずっとここにいるんだそうな。
「エヴァンニュから来たと言ったな、こんな辺鄙な村になんの用があって来た?見ての通り、ここはもう土人形が徘徊しているだけの既に滅んだ村だぞ。」
大分身体が弱ってんのか、爺さんは懈そうにテーブルの椅子に腰かけた。
幾ら精霊信仰があった村だったっつっても、見えない人間に大精霊に会いに来たって話したところでどうせ信じちゃ貰えねえだろう。
馬鹿正直にウンディーネに会いに来たなんて言わねえよな。…と思ったのに、さすがはルーファス、微塵も誤魔化さずにそのまま言った。
「俺はこの地域を守っている、水の大精霊ウンディーネに会いに来たんです。このバセオラ村は水精霊を祀っていた、精霊信仰の村だったんですよね?近くに『精霊の泉』か、水精霊に纏わるなにかが残っていたりしませんか?」
ルーファスの話を聞いた爺さんは、あからさまにその表情が不機嫌になった。
「水の大精霊だと…あんたら正気か?そんなもの、この世に本当に存在しとるわけがないだろう…!」
――あ、やっぱし。そういう反応になるよな、うん。そもそもこの爺さんはここの住人じゃなかったんだから、余計信じやしねえわ。
俺は目に見えなくてもルーファスには見えてるから信じるし、守護七聖の一角は闇の大精霊だって話もシルヴァンから聞いてる。
似たような存在だったアテナだって、識者じゃねえ俺は最初、姿を見ることも声を聞くこともできなかったんだ、見えない=存在しないってのは大きな間違いだぜ。
ルーファスはこの爺さんになんて話すつもりなんだろ…?
「…なぜそう思うんですか?実際、あなたは水精霊に守られていましたよ?クレイマペットが徘徊するこの村で、半年もの間ここで暮らして来られたじゃないですか。この家だって無事なのは、水精霊達がここに危害が及ばないように守ってくれているからなんです。…たとえあなたに、水精霊に対する感謝の気持ちがなかったとしても。」
ルーファスの静かなその声に対して、爺さんはいきなりテーブルをドンッと拳で叩いた。
「ふざけるな!!精霊に感謝なぞするものか、本当に水精霊とやらがいたのなら、なぜ俺の息子を…精霊を祀って来たこの村の住人を見殺しにした!?あの化け物が現れた時、逃げ惑う者達に何一つしてくれやしなかったじゃないか!!」
おいおい爺さん、ルーファスに八つ当たりすんじゃねえよ…!こいつは精霊じゃねえし、この村が滅びたこととはなんの関係もねえんだからな!!
助けて貰っておいてなんだし、ムッとしてそう口を挟みたくなったけど堪える。ルーファスの話の腰を折るわけには行かねえからだ。
「本来の精霊には魔物を倒す力も、退ける力もありませんよ。稀に大精霊が具現化してフェリューテラに天災を引き起こしたり、逆に自然災害から人間を守ったと言う話を聞きますが、それには彼ら自身が死を迎えるという大きな代償を伴います。フェリューテラの自然を守る大精霊が命を落とせば、フェリューテラもただでは済まない。だから彼らは基本的に、本来の役割以外でこちらに関わることをしないんです。」
恨むべきなのは助けてくれなかった精霊じゃなく、直接この村を滅ぼした魔物であって然りだと、ルーファスは至って冷静に爺さんを諭した。
ところが爺さんはルーファスの言葉のなにかが逆鱗に触れたらしく、態度を豹変させて、外にはまだクレイマペットがいんのに、俺達を助けるんじゃなかったと言って、出て行けと怒鳴った。
「待って下さい、せめて水精霊に関わる祭壇かなにか…精霊信仰に関係があるものの場所を教えて下さい!!…ガーターさん!!」
爺さんは俺達の腕を掴んで外に追い出すと、乱暴に扉を閉ざしてそれっきり、声をかけてももう返事をしなくなった。
「あーあ、追い出されちまった。」
外はまた濃い霧が立ちこめてて、ルーファスの言う通りなら水精霊がまたこの村を守る為に『守護の霧』を発生させたってことなんだろう。幸いにしてすぐ傍に魔物の姿は見当たらなかった。
「ごめんウェンリー、おまえまで一緒に…でもどうしても精霊を悪く言われるのは我慢出来なかったんだ。」
そりゃそうだろうな。ルーファスは精霊族の女王マルティル様と親しいんだし、精霊は大切な存在なんだ。
「別に謝んなくたっていいって。それよりどうすんだ?グリューネレイアとの接点を探すんだろ?」
「ああ、なにがあるのかはわからないけど、目的地の信号はもっとずっと奧に光っている。とりあえず気を付けて進みながら手頃な建物を見つけて、修復魔法で直しておくことにしよう。グリューネレイアにウェンリーは行けないからな、どこか安全な場所で待っていて貰わないとならないんだ。」
「…え゛。」
――ああ、そっか…そりゃそうだよな、俺はグリューネレイアには行けねえんだった。…そっか、ぼっちで留守番か…。
………。
だったらせめて村ん中を徘徊してる、あの大量のクレイマペットだけは先にどうにかしようぜ。じゃねえとこんなところで一人なんて、生きた心地がしねえし。
倒しても復活するあいつらを、どうやったら倒せるのかと悩みながら、俺はルーファスにそれだけはお願い、と頼み込んだのだった。
コロナ、ようやく良くなってきました。咳が酷くて辛いです。皆様もどうかお気を付け下さい。次回、また仕上がり次第アップします。