112 ロジェン・ガバルと精霊の泉
戻って来たイーヴ達から条件付きで要求が通ったことを知ると、ライは手渡されたロバム王からの伝言を映像記録で見ることにします。アーロンとジェフリーの前で再生したそこには、ライが受け入れられる程度の条件と、ある口上が記録されていて…?
【 第百十二話 ロジェン・ガバルと精霊の泉 】
――昨日と同じように、アーロンとジェフリーに駆動棟の制御室で待機していて貰い、俺は出入り口でイーヴとトゥレンを待った。
アーロン達にはああ言ったが、俺はイーヴ達ならなにがなんでも国王を説き伏せて、良い返事を持って来ると思っていた。
そうでなければ、俺が俺を殺す。
闇の契約を結んだトゥレンには悪いが、たとえ俺が招いたことだと言っても、これ以上あの男の犠牲者を出したくないのだ。
今ならまだ、俺があの男の実子だと言うことは国民に知られていない。だから俺を見殺しにしたとしても、さして問題はないだろう。
その上であの男は俺をどうするだろうか?
そんな懸念は開口一番のイーヴの言葉で払拭された。昨日と同じく近衛服に鮮やかな黄色の外衣を身に着けたイーヴは、条件付きですが、と前置きしてから俺に小さな記録媒体を手渡した。
「緊急伝言用の記録媒体…?」
掌にすっぽりと収まる、僅か五センチほどの極小機器だ。これは主に国王が勅命を出す時などに軍で使用される加工不可能な映像音声記録機器で、エヴァンニュの王国軍関連施設にある制御装置などでしか中を見ることが出来ない。
「これには国王陛下から直接、ライ様宛ての伝言が記録されております。駆動棟の制御装置にて再生し、ライ様がいくつかの条件をお呑みになることが収容者解放の為の唯一の手段です。先ずはそれをご覧下さい。」
「…わかった、中を確認してくるから、おまえ達はここで待っていろ。」
トゥレンにそう言われ、俺はそれを手に一度制御室へ戻ることにした。
――条件だと…今度は俺になにをさせるつもりだ?
かつてマイオス爺さんの高額な薬と治療を引き換えに、エヴァンニュへ来いと言ったあの男は、また俺を言いなりにさせようと言うのだろうか。
トゥレンはそれが唯一の手段だと言った。つまり俺がその条件を呑まなければ、たとえ俺が死んだとしても、取引に応じないと言うことなのだろう。
制御室に戻ると、アーロンとジェフリーが心配そうに俺に尋ねてくる。
「リグ!ど、どうだったんだ?あの二人はなんて――」
「この記録媒体をそこの装置で再生してみてくれ。国王からの伝言が入っているらしい。」
「な…へ、陛下から伝言!?俺達のような民間人宛てにか!?」
無理もないが、アーロンとジェフリーは目の玉が飛び出そうなほど吃驚していた。
「いや、違うよな。俺達と言うより…もしかしてリグ、〝あんたに〟じゃないのか。」
「…そう言えばあんたは俺達に話があると言っていたよな、それとなにか関係が?」
アーロンとジェフリーが緊張した面持ちで俺を見る。
俺は国に対して反乱を起こしたも同然だが、王国軍や憲兵による制圧ではなく、一介の民間人に宛てて王が伝言を寄越すなどあり得ないと、さすがに訝られるのは当然か。
「…そうだな。俺は本当はリグ・マイオスという名前でも、冒険者でもないんだ。守護者の資格を持っているのは真実だが、この見て呉れも変化魔法の魔法石を使って偽っている。」
二人は薄々気づいていたのか、〝やっぱりな〟という顔をした。
「――とにかく先に内容を確認してみよう。」
「…わかった、話はそれからだな。」
俺から記録媒体を受け取ったアーロンは、すぐにそれを制御装置に接続して目の前の画面に映し出す。
パッとなんの前触れもなくいきなり画面に現れたのは、紛れもなくロバム・コンフォボル国王その人だった。
「ほ、本当に国王陛下だぞ、おい…!!」
「わかってる、静かにしろ、ジェフリー。」
その伝言はこんな出だしから始まった。
『――第十六代エヴァンニュ王国国王、ロバム・コンフォボルだ。イーヴとトゥレンの二人から話は聞いた。…まさか己の命を楯に余の意を覆そうと考えるとは…この心がまだわからぬのか、そなたの命と新法対象者達の命とでは比ぶるまでもない。』
「――……。」
その言葉は、明らかに〝息子〟である俺に対して向けられたものだった。
――それでも俺の頼みを、あんたは受け入れなかった。…なにが心だ、そんなもの…あんたにあるはずがない。
「己の命を楯に…?」
「しっ、ジェフリー。」
『偽名を使い、姿を偽っておるそうだが、己が正しいことをしていると真に思うのであれば、こそこそせずに正面から堂々と民を率いてみよ。それだけの権力を与えてあるはずだぞ。だが此度はもう間に合わぬ故、そなたの要求を呑むに辺り余からも条件を出させて貰う。』
堂々と民を率いる?革命でも起こせと言いたいのか、馬鹿げている。そんなことをすれば無駄に人死にが出るだけだ。
俺は貴様をその座から引き摺り下ろしたいわけじゃない。
そう思いながら、俺になにをさせるつもりなのかと警戒していたが、意外にもあの男が提示して来た条件はそれほど難しいことではなかった。
先ずは第一に変化魔法を解き、俺が真実の姿を曝して、その上で収容されている民間人全員を一人の例外もなく従わせること。
第二に、イーヴ達が用意した誓約書に民間人全員が署名し、今後新法の対象となる職種には二度と就かないと誓わせること。
それに関する研究資料や、学術書など全てを破棄し、新たに全く別の仕事に従事させるよう、俺自身の手で責任を持って手配し、国王に対する反乱を起こさせないようにしろという。
そして第三に、近々隣国シェナハーンで行われる前国王夫妻の葬儀に、エヴァンニュ王国の代表者として出席すること、の全部で三つだった。
――なぜ俺が国の代表として隣国の、しかも前国王夫妻の葬儀に出席しなければならない?王宮近衛指揮官の職務範疇を超えているだろう…!
俺の横でアーロンとジェフリーもそのことに疑問を持ったのか、首を捻っている。
『余からの条件はこの三つだ。そなたのことだ、この程度の条件であれば今度こそ大人しく受け入れるものと判断する。最後に監獄内での協力者達に、余から言いたいことがある。』
「…?」
俺は映像に注意しながら、アーロン達とほんの一瞬目を合わせた。この先はどうやら俺の周囲にいる収容者に向ける口上のようだ。
そう呑気に構えていた俺が慌てる羽目になったのは、僅か数秒後のことだ。
『――此度の新法制定に真っ向から異を唱えて余に逆らい、姿を偽ってその場にいる者は、民間で名を良く知られている〝黒髪の鬼神〟こと我が国の王宮近衛指揮官だ。王国軍最高位とは言え、たかが一軍人の要求に国王である余が条件付きでも折れるなど、不思議に思う者もおるであろう。故に警告する。』
ロバム王はその映像の中で、こちらを真っ直ぐに見据えてその言葉を放った。
『余、ロバム・コンフォボルが第一子、ライ・ラムサス・コンフォボルを無傷で帰せ。』
「な…」
「は…!?」
あの男…っ!!
驚愕するアーロンとジェフリーの間に割って入り、俺は慌ててすぐにそれを止めようとした。しかし映像に集中しながらも、俺の腕をガッと掴んだアーロンに遮られる。
「待て!最後まで聞かせろ!!」
「アーロン…!」
『王家の習わしに則って未だ公にはしておらぬが、その者はいずれ余の後を継ぎ、この国の玉座に座す者。万が一掠り傷一つでも負わせてみよ、全王国軍を持って余自らが全力でその方らを処刑する。』
――そこまで言うと映像はプツン、と勝手に切れた。
シン、と静まり返る制御室内に、俺の心臓の音だけが耳に聞こえていた。
「…ちょっと、待て…リグが『黒髪の鬼神ライ・ラムサス』…そこまでは俺達もそうじゃないかと思い至っていたが、ライ・ラムサス・コンフォボル…?」
≪ 黒髪の鬼神が…国王陛下の第一子だって…!?≫
二人は絶句し、信じられないものを見るように俺に視線を降り注ぐ。俺はどう答えていいものかわからずに、気が動転して後退った。
「リグ、今の話は本当か?いや、国王陛下が映像記録を寄越してまで、俺達に嘘を吐く理由はないか。」
「お、おいアーロン、言葉遣い…!!それが真実なら、俺達のような一般市民がタメ口を利いて良い相手じゃないぞ…!!」
「止してくれジェフリー!!名と姿を偽っていたのは本当だが、俺は元々、自分をあの男の実子であると思ったことは一度もないんだ!!」
そう否定した俺にアーロンは、なにか事情がありそうだなと、詳しい話を聞きたがった。
――一般に広く知られている俺…『黒髪の鬼神』としての情報は、他国出身で四年程前に突然現れた、正体不明の実力者となっているようだ。
俺は孤児院で育ったこともあり、王侯貴族の考えには馴染めず、贅沢な暮らしにはある程度慣れてしまったものの、未だに民間人と過ごす方が気は楽だ。
さすがにあの男が俺の母を手にかけたことは話せなかったが、俺は長い間父親が誰なのかを知らず、血の繋がった家族はいないものと思っていたことを話した。
「…なるほどな、そんな事情があったのか。しかしリグが認めようが認めまいが、国王陛下の仰ったことは事実なんだな。それだけは変えようがない。」
「アーロン…!!」
「心配するな、いきなり〝はいそうですか〟と、あんたを王子殿下として扱うのはさすがに無理がある。ましてや収容された他の連中がこの話を聞いたら、あんたがライ・ラムサスであることだけでも大騒ぎになりそうなのに、混乱して収拾が付かなくなるだろう。」
だがこれで数々の疑問の答えが出て、ようやく納得したとアーロンは頭を掻いた。
その後あの男の条件にあった俺の変化魔法を解く話だが、この場で解いてしまうと上階で待つ収容者達に信じて貰えない可能性があるため、イーヴとトゥレンを伴って民間人の前で直接魔法を解くように言われる。
俺もその意見には賛成で、その上で色々としなければならないことの段取りをこの時点で話し合い、決めておくことにした。
そうして一時間ほど後に、俺は再びイーヴとトゥレンの元に戻って、全ての条件を呑むと伝え、憲兵隊を引き入れる前にアーロン達とイーヴ達を連れて収容者達が待つ上階へ戻った。
――俺は彼らの前で変化魔法を解き、元の黒髪と、左右色違いの瞳である『ヴァリアテント・パピール』を初めて公に曝す。
その上で身元を偽っていたことと、王宮近衛指揮官として今回のことを事前に止められなかったと謝罪した。
イーヴとトゥレンは民間人に対して、王国軍最高位の俺が頭を下げるなと止めたが、収容者達は俺の態度を誠実なものとして受け止めてくれ、誰も俺を責めなかった。
それから国王から出された解放のための条件について話し、全員分の署名を集める。
彼らが自宅へ帰ったこの後、今後の仕事の世話や職を失った生活の基盤を、当面の間俺が動いて支えなければならない。
イーヴは既にそのための準備を整えてくれていて、収容者達はトゥレンから詳しい説明を受けていた。
結局俺はいつもこの二人に頼ってばかりだと自己嫌悪に陥る。…特にイーヴには信頼以上のものを返して貰っているように思えた。
――俺は『リグ・マイオス』から『ライ・ラムサス』に戻り、イーヴとトゥレンを従えて、無事にここに捕らわれていた民間人を解放することができた。
本土に戻ると情報誌や新聞の記者達が港で俺を待ち受けており、民間人解放の『功労者』や『英雄』、『国民の真の味方』だとして扱われるようになる。
なにが英雄だ、この事態を招いたのは俺なのに。
後にこの出来事が、俺の運命を思わぬ方向に進ませて行く。
――結局俺はどんなに抵抗を試みてみても、あの男の手の内から逃げることはできないのだ。
♢ ♢ ♢
ルフィルディルの奧から『フェヌア・クレフト』に入り、あの罠が張られていた岩壁から奥地へと足を踏み入れる。
俺の魔法を封じた、アクリュースが仕掛けたと思われるあの魔法陣は跡形もなく消え去り、その奧にはさらに通路が続いていた。
俺とウェンリーはルスパーラ・フォロウを常時発動しながら、時折出現する魔物を倒し、頭の地図を頼りに進んで行く。
考えてみれば不健康なことにこの所俺達は、こんな地下ばかりで活動しているような気がする。
バスティーユ監獄の一件で、ほとぼりが冷めるまではあまり目立つ行動をしないように大人しくしているつもりだが、ウルルさんから聞いた情報によると、リグ…『ライ・ラムサス』は、無事に新法対象者全員を解放することに成功したようだ。
変化魔法で外見を変えていた彼は、結局最終的に自分の正体を明かして民間人を率いることにしたようで、王宮近衛指揮官が国王陛下に逆らったと問題視されている一方、世間には真の意味で国民の味方だと英雄扱いされている。
あの時影でウルルさんは、魔物駆除協会の代表者として国王陛下に脅しをかけ、バスティーユ監獄を今後も監獄として利用するつもりなら、真っ当な管理をしろと面と向かって言ったらしい。
その所為かどうかは不明だが、王都に配られる新聞には、国王陛下による重犯罪者達への待遇改善についても小さく記事が載っていたようだ。
ライ・ラムサスのことと、バスティーユ監獄のことを一応ウェンリーにも話して聞かせたが、ろくすっぽ聞いていなかったし頭に入らなかったと思う。
あの様子ではリグの正体がライ・ラムサスだと言うことも、多分理解していないだろう。(おかげで黙っていたことも追求されなかったから良かった。)
なんにしてもこれで、あの監獄の件は一件落着と言うことだ。
因みにアインツ博士達だが、当分はアティカ・ヌバラ大長老の屋敷で暮らすことになった。
黒鳥族に頼んでメクレンから引き上げてきた大量の荷物を、博士達が入る予定だった空き家に入れたら、生活空間がなくなってしまったからだ。(荷物が多過ぎだろう)
そこで俺は今後の為にも古代期の研究を続けて貰うことを条件に資金を提供し、イシリ・レコアに博士達の自宅兼、考古学研究所を新たに建てて貰うことにした。
もしあのまま博士達が監獄に残っていたら、他の収容者達と一緒にメクレンには帰れただろうが、考古学者としての人生は終わっていただろう。
それというのも新法対象者の監獄に収容されていた民間人達は、監獄から解放される代わりに古代考古学に関わる職を辞する誓約書に署名させられたという話だからだ。
最終的な落とし所としても恐らくはそうなるだろうと予想していたが、これで今後エヴァンニュ王国内の歴史学者に会うことはまずなくなることだろう。
それでも自宅に帰れただけでも喜ぶべきだと思う。…でなければ一部亡くなった人達のように、あの監獄の中で理不尽に殺されていたかもしれないのだ。
トニィさんもクレンさんも身内が国内にいるそうなのだが、生きていることだけは伝えて、身を隠しながら歴史探究を続けていくと手紙を出したそうだ。
もちろん、ルフィルディルのことは外に知られていないため、もうそうそう家族に会うことは叶わない。
まあとにかくそんなわけで、ルフィルディルとイシリ・レコアは今、俺達の拠点やマリーウェザーの巫女殿、シルヴァンとマリーウェザーの自宅にアインツ博士達の研究所など、移住者の自宅建設を含めて建築ラッシュだ。
そんな中俺とウェンリーは、水の大精霊ウンディーネの力を借りるべく、隣国シェナハーンとの国境を目指している。
正規の手続きを踏んで越境するわけではないから密入国となる(ほとぼりが冷めるまで大人しくしていると言ったが、これは別だ)が、俺達が目指す場所は国境検問所を通るよりこちらからの方が近く、最短距離を進むためにフェヌア・クレフトからロジェン・ガバルを通り、再び地上に出てデゾルドル大森林のシェナハーン側に抜けるつもりだ。
ルフィルディルには強力な結界があるため、アクリュースやカオスが手を出してくる確率は低いと思うが、万が一の為にシルヴァンには残って貰うことにした。
あの後リカルドとスカサハ達がどうなったのかを俺に知る術はなく、再度あの遺跡(シルヴァンに聞いたが、カイロス遺跡と言うらしい)を調べに向かうのなら、守護七聖の青『リヴグスト』を解放してからにするべきだと話し合って決めた。
それとウェンリーの守護を任せていたアテナを失った今、俺は早急にウェンリーをさらに鍛えねばならず、暫くは付きっ切りで戦闘訓練を施すことになる。
ウェンリーはあれからアテナのことを口に出さず、手元に残ったアテナの腕輪を貰ってもいいか、とだけ俺に尋ねると、それを大事そうに無限収納にしまっていた。
結局俺はまだ、ウェンリーにアテナは生きている可能性があることを話していない。
必死に自分の中で折り合いを付けようとしているのに、確信のない話で惑わせる気にはなれなかったからだ。
表面上は俺に心配させまいと気丈に振る舞ってはいるが、ウェンリーの悲しみは深く、アテナと過ごしていた時のような笑顔を見せることはなくなった。
人の悲しみはゆっくりと時間が解決してくれるとは言うが、ウェンリーは多分アテナに特別な感情を抱いていたのだと思う。立ち直って前を向けるようになるまでには大分かかりそうだ。
俺もアテナのことは娘のように思っていたが、悲しみに暮れて立ち止まらずに落ち着いていられるのは、レインフォルスからと思われるあの言葉があるからだ。
――せめてアテナの片鱗を感じられれば、レインフォルスの言葉に確信が持ててウェンリーに話すことも出来るけど…今はそっとしておくしかないな。
俺は横を歩くウェンリーの頭を、右手で後ろからくしゃくしゃっと撫でた。
「ルーファス?…なんだよ、急に。」
「…いや、別に。」
慰めているつもりだったのだが、突然頭を撫でた俺にウェンリーは訝る。
「――もうじきロジェン・ガバルに入る。途中に気になる場所があるから、そこに立ち寄っても良いか?」
「いいけど…ロジェン・ガバルって、俺らがウルルさんに召喚して貰ったあの召喚魔法陣がある所だろ?こんなに奧だったなんて、ルフィルディルから結構距離があったんだな。」
「ああ、帰ってきた時は転移魔法石を使ったしな。地図を見ればわかると思うけど、あの場所はもっとシェナハーン寄りだ。」
ウェンリーはあまり興味がなさそうに、ふうん、とだけ返事をする。やっぱり…元気の欠片もないな。
――それでも魔物との戦闘中はきちんと気を引き締めており、物思いに耽ってぼんやりするようなこともなく、俺はウェンリーが本当に一人前の守護者になったんだなと感心する。
悲しみや大切な人を失った喪失感を抑えて戦闘を熟せるようになれば、正真正銘の一人前だ。
ウェンリー自身も自分になにかあれば、アテナがきっと悲しむと理解しているんだろう。
そんなことを思いながら、俺は自分達の速度で焦らずに進んで行った。
フェヌア・クレフトを抜けてロジェン・ガバルに入ると、土壁が減り、その殆どが白っぽい岩壁の通路になる。
ここは自然洞と言うよりも隧道のようで、所々に人の手が入った形跡があり、恐らくだが過去にここを利用していた誰かが手を加えたのではないかと思う。
現在は人が出入りしている様子もないから大丈夫だとは思うが、ここを通ってケルベロスのような連中に再度ルフィルディルへ侵入されても困る。
良い機会なのでこの場で結界石を壁に埋め込み、幾つか侵入者対策の結界障壁を施しておくことにした。
もっとも、あのアクリュースは俺よりも魔力が高い可能性があって、完全とは言えないかもしれないのだが、きっとないよりはましだろう。
「…で、ルーファスが立ち寄りたかった場所ってここ?」
「ああ。」
俺の詳細地図にはこの場所に、目的地を示す黄色の信号が点滅していて、以前ルイン・リベルが出現した時のように、俺にとっての〝なにか〟があることを示していた。
てっきりまた滅亡の書が出現したのかと思ったが、ここは…
遺跡のようにきちんと設えられた部屋に、見覚えのある設置物があった。だがそれは俺の知るものとは違い、ある種の異様な雰囲気を醸し出していて、不気味なことこの上なかった。
「偉い雰囲気が変わってっけど、これって…『精霊の泉』かよ。」
ウェンリーが顔を顰めながら口に出した通り、そこにあったのは精霊界グリューネレイアに続く入口、精霊の泉だった。
正常であれば青緑色に美しく輝いているはずのクリスタルが、真っ黒く影草(黒色病という病にかかった草や樹木のことを言う)のようになった蔓植物に支えられており、なにやら暗黒種の靄のような禍々しい霧状の物に包まれていた。
壁面を埋める緑と橙のクリスタルは黒曜石のように黒く変色して輝き、鍾乳石の水桶はボコボコと泡の沸き立つ、古代紫に色を変えた毒沼のような水を湛えている。
「精霊の泉はその近くに世界樹の根があって、フェリューテラとグリューネレイアを繋ぐ役目を果たしている。…その泉がこんな状態だと言うことは、近くにある『大樹の根』に異変が起きている証拠だろうな。」
マルティルに頼まれていた『大樹の根』の問題に、こんなところで遭遇するとは予想外だった。
「そう言やルーファスは精霊族の女王マルティル様に頼み事をされてるって言ってたよな?もしかしてこいつと関係ある?」
「ああ、大有りだな。これをこのまま放っておくわけには行かない、すぐ傍にあるはずの『大樹の根』を浄化しないと――」
とは言うものの、俺は世界樹の根をこれまでに見た記憶がなく、実際にはどう言った物なのかわかっていないのが現状だった。
「…ここはマルティルに聞くのが一番早いか。」
俺は『精霊の鏡』を取り出して、マルティルにどうしたら良いのかを尋ねた。
『そうですか、すぐ傍に大樹の根は見えないのですね?でしたら先ずはあなたの力で泉の水を浄化し、精霊の泉を元通りに直してから泉の水に触れて下さい。そうすることでグリューネレイアとフェリューテラの間にある、〝次元の狭間〟に辿り着けるでしょう。そこでならフェリューテラに向かって伸びるすぐ傍の〝大樹の根〟を見つけられるはずです。』
「なるほど、良くわかったよ。ところでウェンリーを一緒に連れて行きたいんだけど、次元の狭間には人間が入っても大丈夫だったよな?」
『ええ、それはあなたが一緒なのですから問題ないでしょう。ただグリューネレイアに彼は入れないので注意して下さいね。』
「了解だ、ありがとうマルティル。それじゃ。」
マルティルとの通信を終えると、ウェンリーが早速尋ねて来る。
「俺も一緒に行けるのはいいんだけど、世界樹の根って俺には見えないんじゃなかったっけ?」
「ああ、精霊と同じく識者でないと目視は不可能だな。でも魔物は見えるだろう?大樹の根には魔物が巣喰っているらしいんだ。それをこれから先に倒しに行く。」
「ああ、そっか、そういうことね。そんなら問題ねえか。」
――と言うわけで、ちょっと寄り道をすることになった。
先ず俺は『精霊の泉』の状態を確かめ、澱んだ水と靄を纏ったクリスタルの浄化から入る。
霊水の源はクリスタルにあり、先にこれを綺麗にしないと水桶を浄化しても意味がない。
解析の結果、普通に俺が使用する『ピュリファイ』と言う光属性魔法で元に戻せることがわかり、早速俺はウェンリーが見守る中、クリスタルと泉の浄化を済ませた。
真っ黒く変色していたクリスタルが青緑の光を取り戻し、壁面のクリスタルも緑と橙に戻った。
クリスタルを支えていた蔓草も生き返り、鍾乳石の水桶にも元の澄んだ霊水が満ちて行く。
「よし、これで泉の方は浄化出来たぞ。大樹の根に向かう準備は良いか?」
「おう、いつでも良いぜ、ルーファス。」
――返事の割りには覇気がないな。
そう苦笑しながら先ずは俺が泉に足を踏み入れる。
「え?そのまま入んの?」
「そうだ。精霊の粉は使わない。グリューネレイアに行くわけじゃないからな。」
「や、そうじゃなくて…あー、まあいっか。」
多分ウェンリーには常識的な思考から、泉に入っただけで次元の狭間に移動するという感覚はないのだろう。
もちろん水に入っただけではただ濡れるだけで、突発的な異変でもない限り、普通はなにも起こらない。
だが俺の場合は少々事情が異なる。
俺に促されるままウェンリーも泉に入り横に並ぶと、俺は俺の魔力を足元の霊水に流した。
するとすぐに周囲の景色が変化し、灰色の霧が渦を巻く次元の狭間に移動する。
「なにこれ…どうなってんの??」
「ああ、あんまり深く考えるな、俺にもこの仕組みは良くわかってないから。」
――推測だがこれは、俺自身が霊力そのものだということと関係があると思っている。
霊力に世界の隔たりは関わりが無く、ありとあらゆる全ての世界に存在し、そして時や空間を移動するのにも制限はない。
そうして俺の力は周囲にも影響を与えることが可能で、自分の魔力を媒介に流すことで様々な現象を引き起こすことができる。
その一つが精霊の泉を使用したこの狭間への移動だと言うことだ。
精霊の泉から入った次元の狭間は、360度の周囲全てが灰色の霧のようなものに覆われていて、十五メートル前後しか視界を確保出来ない。
実際にはこの空間になにも存在しておらず、もしなにか見えるとしたら、それは狭間に接触しているフェリューテラかグリューネレイアの存在物だ。
だからこそフェリューテラとグリューネレイアの同時に存在する世界樹の根は、この狭間の方が見つけ易い。
「すぐ近くに大樹の根があるはず…」
俺が周囲を目を凝らして見回していると、横でウェンリーが唐突に叫びエアスピナーを構えた。
「ルーファス、そこになにかいる!!」
ウェンリーが示した視線の先には、目だけが赤々と光る『タランチュラ』という蜘蛛の形をした、黒い影のようなものがいた。
その大きさは大体一メートル前後で、同じ姿をした三体ほどがこちらに殺気を放っている。
「なんだこいつ、暗黒種…!?」
「違う落ち着け、姿は影のように見えるが通常の魔物だ。次元の狭間だと魔物はなぜかみんなこんな風に見えるんだ。」
見た目こそ黒い影のようだが、戦い方は普通の魔物と変わりない。ただ同じような姿で種類の違う魔物だと、区別が付かないのだけは厄介だ。
俺達はすぐに戦闘を開始し、目の前にいた三体の魔物を倒す。影だけしか見えなかったが、回収した戦利品を見るに今の魔物は『フォレスト・タランチュラ』と『アクエ・タランチュラ』という二種類の同系蜘蛛型魔物だったようだ。
それからも次々に現れては襲ってくる、同じ蜘蛛型魔物が出現する方向を辿って行くと、すぐに下から上へと次元の狭間を突き抜けるようにして伸びる、『大樹の根』を見つけられた。
「あった、世界樹の根だ!」
「えっどこどこ?…って、全っ然見えねえ!!あ、けど…もしかして、あれ?」
その大樹の根は、びっちりと表面を蜘蛛の糸で覆われ、あちこちに無数の卵を産み付けられていた。
それがちょうど大樹の根を象るように、ウェンリーの目にもその形が見えるようになっていたのだ。
「うげえ、蜘蛛の糸と巣と卵だらけ…気色悪っっ!!」
ウェンリーは両手で両腕を抱えるようにして身震いすると、思いっきり嫌そうな顔をした。
「あれじゃあ世界樹も弱って当然だ。とにかく火属性魔法を使って全て焼き払ってしまおう。」
さっきも説明したが、この次元の狭間には基本的になにも存在していない。草一本、虫の一匹もいないのが真実だ。
今俺達は精霊の泉を使って、そのなにも存在していない狭間に入り込んだが、俺達が戦って倒した魔物と、大樹の根に巣喰っている蜘蛛の巣や卵は、実際にはフェリューテラ側に存在している物が見えているだけだ。
この次元の狭間という空間は不思議な場所で、あってないような場所でもあり、そこに入り込んだ俺達は、フェリューテラ側にいる魔物にこの次元の狭間から直接攻撃を加えている、というわけだ。
ならどうして魔物はフェリューテラ側に居ながらにして、狭間にいる俺達に攻撃を加えることができるのかというと、俺達の存在と魔物が接点を得ることで、一時的に狭間とフェリューテラが繋がっているような現象が起こるからだ。
そう言った現象は稀に自然に発生することもある。よく行方不明になった人が暫くしてひょっこり戻って来て、見たことのない世界に行っていた、なんて話を聞くのはこれに当てはまる。
俺はグリューネレイア以外にこの狭間と接する他の世界を知らないが、もしかしたら俺が見たことのない別の世界もどこかに存在しているのかもしれない。
ちょっと話が逸れたが、とにかくそんなわけで、フェリューテラ側の魔物と戦うのはさして問題ないわけだ。
因みにグリューネレイアに行くためには、予め泉の霊水に道案内用の精霊の粉を入れなければ適当に歩いても辿り着けない。
逆にフェリューテラに戻るには、魔物との戦闘でフェリューテラと繋がっている今の内に狭間から出てしまえば簡単に戻ることができるし、それがなくてもここに入るのに使用した泉と目には見えないもので繋がっているため、俺達が元の場所に帰るのに迷ったりすることはない。
「全ての不浄なるものを焼き払え、『フレア』。」
俺は目に見える範囲全ての蜘蛛の糸や巣、そして卵を火魔法で焼き払って行く。その間も卵から火の付いた状態で魔物の幼体が飛び出して来たり、周囲に散らばっていたこの巣の蜘蛛達が戻って来て戦闘になったが、幸いにして変異体や特殊変異体のような強力な魔物はいなかった。
「――よし、これで浄化は済んだな。後は結界石を使って俺の絶対障壁を根に施すだけだ。結界石の配置を手伝ってくれ、ウェンリー。」
「了解。」
『大樹の根』に施す絶対障壁に使用するのは、普通の結界石じゃない。効果範囲が狭く、百年単位で魔力を注ぐ必要はあるが、俺の魔力を込めた魔石を使う。
これは規模と大きさは違うが、俺がアテナの腕輪に嵌め込んだものと同じようなもので、次元の狭間から設置することで、フェリューテラやグリューネレイアからでは壊すこともできなくなる。
「でっけえな…こんな結界石、いつの間に用意したんだよ?」
無限収納から取り出した魔石は、大体一つ五十センチぐらいの大きさだ。それを重そうに持ち上げながらウェンリーが不思議そうな顔をする。
「それ、元は手の平大の魔石だったんだ。魔物から手に入る魔石の中には上質なものがあって、限界まで魔力を込めると大きく育つものもあるんだよ。マルティルに大樹の根のことを頼まれてから選別して、少しずつ作り始めたんだ。」
「ルーファスが作ったのか?…ほんと、おまえはなんでもできるよな。俺もせめて自分で魔法が使えたら、アテナにもっとなにかしてやれたかもしれねえのに…」
「ウェンリー…。」
そんな本音を呟いた後で、ウェンリーはハッと顔を上げ、すぐに俺にごめん、と謝った。
結界石を設置し、大樹の根に絶対障壁を張りながらなぜ謝るのかと尋ねたら、アテナを娘のように思っていた俺の方が余程辛いだろうとウェンリーがずっと気使ってくれていたのだとわかる。
そんなウェンリーの気持ちにさえ気づけなかったところを見ると、俺もアテナを失ったことに結構な衝撃を受けていて、自分に余裕がなくなっていたのだと自覚する。
アテナに関して、俺の後悔は尽きない。
あの時あれほど嫌な予感がしていたのに、アテナとシルヴァンを行かせるべきじゃなかった。
そう思う反面、あそこで別れなければ、アインツ博士達も監獄の中庭に倒れていたリグ…ライ・ラムサスも助けることはできなかっただろう。
――物事はなにがどう転ぶかなど、わからないものなのだ。
それでも大切な存在を失った心の痛みは消えない。
俺はその痛みと、自分が下した決断に対する後悔を抱えながら、少しずつ前に進むしかないのだから。
筆者、只今コロナに感染中です。次回、仕上がり次第アップしますが、具合次第で遅くなるかもしれません。いつも読んでいただきありがとうございます!