110 教祖アクリュース
レイーノが意識せずに握っていた革袋から、アテナの腕輪とシルヴァンの耳飾りが出て来ました。それがカオスから自分への伝言だと確信したルーファスは、イゼス達とアインツ博士達をルフィルディルに帰します。一緒に行くと言って譲らなかったウェンリーだけを連れて、アテナとシルヴァンを捜しに遺跡に戻りますが…?
【 第百十話 教祖アクリュース 】
イゼス達から事情を聞いた後、アインツ博士達三人とイゼス、レイーノの二人には、手渡した転移魔法石でルフィルディルへと先に帰って貰った。
当然、横にいるウェンリーにも一緒に戻って貰おうかと思ったのだが、ウェンリーは頑として言うことを聞かず、太陽の希望の一員としてアテナとシルヴァンを無事に見つけ出すまで、絶対に俺から離れないと言い張った。
俺はカオスがどんなに危険な相手かわかっていないと腹を立てたが、ウェンリーは今後も守護七聖達と一緒に俺と最後まで行くのなら、連中と対峙することも必要だと正論を唱える。
確かにそれは一理あるが、俺はこの先もずっと俺の危険な旅にウェンリーを連れて行くつもりなのかと、その場で自問自答する羽目になった。
それでも俺自身が一番良くわかっていることがある。…多分俺はもう、俺の目と手が届く範囲からウェンリーを離すことはできない。
俺にとってウェンリーはなくてはならないかけがえのない存在で、一度は思い切れたものの、ウェンリーのいない旅はとても続けられそうになかったからだ。
いつかそのことが原因で後悔することになったとしても、それでも今はまだウェンリーを手放すことは難しいと感じている。
俺にとってウェンリーの笑顔はなによりの救いで励みになり、また精神的な支えでもあるからだ。
結局俺は、俺達がこんなところで揉めている場合じゃないと諦め、くれぐれも気を付けるようにだけ言い含めると、もうそれ以上言うのはやめた。
俺は手元に残ったアテナの腕輪とシルヴァンの耳飾りを見つめ、いつもこれを身に着けていた二人の笑顔を思い浮かべると、大切に布に包んでウェンリーに手渡した。
「え…なんで俺?」
「後でわかる。とにかくこれはウェンリーが預かっておいてくれ。」
ウェンリーは首を傾げながら受け取ると、それを自分の無限収納にしまった。
――考えるまでもなく、これはアテナとシルヴァンを預かっているという、カオスから俺への伝言だ。
当初イゼスは、二人がレイーノに預けた可能性もあるのではないかと言ったが、それならわざわざレイーノに〝持っていることを忘れる〟ような、暗示をかける必要などない。
あれは途中でレイーノが革袋をどこかに落としたり、置き忘れたりしないように、確実に俺の元へ届くよう施された精神系魔法だ。
そもそもイゼス達は魔法の檻に閉じ込められた状態だったのだ、それを放置して装飾品だけを置いて行くなど、それこそあり得ないだろう。
アテナとシルヴァンの目的はイゼス達の救出であり、犯人を捕まえることでもカオスを倒すことでもなかったのだから。
――そうして俺はウェンリーと連れ立って、また遺跡内へと戻った。
さっきと異なり、一々出現する雑魚に構ってはいられないので、『ステルスハイド』を常時展開して先を急ぐ。
これなら余程魔法の気配に敏感な敵でもない限り、戦闘を避けて進むことが可能だ。
探索フィールドで頭に地図が表示されているウェンリーは、走りながら俺に尋ねる。
「アテナ達の居場所がわからねえのに、どこを目指してんだ?」
「しっ!あまり大きな声を出すな、ある程度まで音も遮断されてはいるが、耳の良い敵には気づかれる恐れもある。」
俺は小声でウェンリーにそう注意を促すと、詳細地図の最奥部に、暗転していて表示されてない部分があるだろう、と告げる。
「恐らくだが、そこにはなんらかの結界のようなものがあるんだと思う。アテナ達は多分そこだ。」
「あー、この見えない部分か。…当然カオスのあのガキんちょもいるんだろうけど…俺、まだちょっと信じらんねえんだよな。シルヴァンは過去に、暗黒神が目覚めてた状態のカオスに勝ってるんだろ?その上ルーファスが心配だからってアテナを一緒に行かせたのに、そんな簡単に捕まるかね?」
「わからないけど…実際になにかあったから二人は戻って来ないし、連絡も取れないんだろう。」
そう口にする俺の胸は不安で一杯だった。
ウェンリーには言っていないが、アテナと連絡がつかないと言うことは、二人が隔離された状況にある可能性が高く、おまけに非常時用にと渡しておいたアテナの腕輪が外されていた。これは下手をするとアテナは、俺の魔力を取り込めずに既に意識を失っているかもしれなかった。
アテナはまだ霊体の状態だから、魂を傷付けられるようなことさえなければ消滅する危険はないと思うけど…心配で堪らない。
どうか無事でいてくれ、アテナ…シルヴァン。
「ウェンリー、カオスと対峙したら話している暇はないと思うから先に言っておく。俺達の目的は、アテナとシルヴァンを見つけてルフィルディルへ無事に帰ることだ。」
「あー、うん、わかってるけど…そんで?」
「もし二人が戦えない状態にあって俺達が不利な場合は、俺が全力でカオスを押さえるから、迷わず俺を置いて逃げることだけを最優先に考えると約束してくれ。」
「はあ?なに言ってんだよ、んなこと出来るか!」
反発するウェンリーに俺は現実を突き付ける。少なくともアテナとシルヴァンが捕らえられているのなら、相手はウェンリーがどんなに頑張っても、まともに戦える敵ではないと言うことだ。
だから戦況を冷静に見て、可能ならアテナやシルヴァンと共に結界内から離脱し、先に転移魔法石でルフィルディルに逃げて欲しかったのだ。
「わかるだろう?おまえまで捕らわれるようなことになれば、俺はカオスに対して手も足も出せなくなる。それだけは避けたいんだ。」
ウェンリーは馬鹿じゃない。魔物相手ならともかく、カオスに自分の力が通用しないだろうことは疾うに気付いている。
それでも俺が同行を許し一緒に連れて来たのは、アテナとシルヴァンが動けないほど負傷していた場合に、ウェンリーの助力が必要になるからだ。
ウェンリーは俺に返事をせず、黙ってぷいっと前を向く。それは納得出来ないがそうせざるを得ないと理解している現れだった。
俺達は暫くの間、互いに無言のまま長い通路を進んで行くと、目的の奧へ繋がるだだっ広い場所に出る。
地図で見た構造から、正面の出入り口へ通じる主要路らしかったが、そこを右に折れ、念のため出口からどこに出られるのかを確認しに向かうと、巨大な石の扉から一旦遺跡の外へ出る。
すると表には、古びた石柱が円形に並ぶ魔法陣があるだけで、完全な行き止まりだった。
「これは…どこに通じているんだろう?転送陣だと思うけど、完全に機能を停止しているな。」
「変なの、他はどう見たって行き止まりじゃん。こっちがホントの入口だったのかよ。」
「ああ。…どちらにしてもここからは出られそうにないな、やっぱりアテナ達は逆側の奧にいるんだろう。戻ろうか。」
押し開けた石の扉は非常に重く、完全には開かずに少しだけ出来た隙間を通り抜けて中に戻ると、ウェンリーが唐突に後ろでさっきの話の続きを始める。
「なあ、さっきの…逃げることだけ考えろって奴だけど、俺だけじゃなくおまえも俺と約束しろよルーファス。おまえを置いて俺らが逃げる代わりに、なにがあっても無事に帰ってくるってな。…それなら仕方ねえ、言うこと聞いてやるよ。」
「ウェンリー。」
納得出来ずにずっと考えていたのだろうか、と苦笑する。なぜか上から目線なのはともかくとして、そんなのは言われるまでもないことだった。
「ああ、わかった。」
俺は随分と久しぶりに、ウェンリーの頭を後ろから右手でくしゃりと撫でた。
最近は仲間として頼りにすることの方が多く、以前のように子供扱いすることはすっかりなくなっていたが、今は二人きりなんだし偶にはいいだろう。
俺達は目を合わせて互いに笑顔を向け合うと、並んでまた急ぎ足で駆け出した。
ここの古代遺跡は、アインツ博士達と見ていた外観より、相当広くて巨大な建造物だ。
上階に当たる、俺達が通って来た地下迷宮から入った階層は、至って普通の建造物と同じような作りだったが、下階はまるで巨人の住み処だ。
主要通路の幅は元より、天井までの高さと言い、扉の巨大さと言い、かなり異質な感じがする。
そう言えばあれきり『シャドウハンド』は姿を見せないが、あの大きさの手を持つ巨人族がいれば、この中を歩くには丁度いいくらいかもしれない。
そんなことを考えた俺が悪かったのだろうか。
『ステルスハイド』を使用することで、ここまで徘徊する魔導機達との戦闘は避けられて来たものの、目的地を目の前にした最後の最後で、とんでもない大物が行く手を塞いでいた。
「げげ…なにあれ……でっけえな、おい。」
「ああ、魔物化した巨人…『サイクロプス』だな。」
外見から検索した俺のデータベースにはそう記録があった。
大きな木製扉を前に、三段ほどの階段にどっかりと座り込んだ一つ目の巨人。薄い灰緑色の肌に、ムキムキと盛り上がった筋肉質の身体には、なにか動物の毛皮を縫い合わせたような茶色の腰巻きを着けている。
頭頂に近い前頭部には見事な円錐形の一本角が生えており、髪はなく、人間のように膝の上に置いた右手で退屈そうにして頬杖をついていた。
ステルスハイドでやり過ごすことが出来れば、と思ったがそうはいかない。良く見ると胸元に、背後の扉のものと思われる小さな金属の鍵を、紐でぶら下げていたからだ。
「あの麦粒みたいに見える鍵…もしかして後ろの扉のものか?」
「もしかしなくてもそうなんじゃね。…隠れてこそこそ鍵だけ盗む、ってわけにゃ行かねえよな…やっぱし。」
「…無理だな、カオスに俺達が来ていることをわざわざ教える羽目になるが、戦って倒すしかない。」
「ですよね〜。」
俺はウェンリーと細かい作戦を立てて、俺達が通る予定の扉からサイクロプスを戦いやすい位置まで引き離し、一定の範囲に結界を張って、他の魔導機達が乱入して来ないようにしてから、凍結の状態異常を発生させ安全にかつ手早く倒す方法を考えた。
「サイクロプスはあの大きな一つ目が弱点だが、あれを傷付けて潰すと暴れて手が付けられなくなる。俺が先に結界を用意するから、合図をしたらウェンリーは『アイスブラスト』の魔法石を使って誘導してくれるか?」
「了解。」
俺はステルスハイドを個別に掛け直し、ウェンリーから離れて広範囲に一時的な魔導機避けの結界を張る。
途中で途切れることのないように、きちんと結界石の欠片を用いて施した。簡易的なものだから短時間しか持たないが、サイクロプスを倒すまでにはこれで十分だ。
「よし、良いぞウェンリー!」
「ほい来た、行くぜ!!おらおら、こいつを喰らいな、デカブツ!!」
ブンッ
俺とウェンリーのステルスハイドを同時に切り、サイクロプスの正面に立っていたウェンリーが予定通り『アイスブラスト』の魔法石を放り投げた。
魔法石から青色の魔法陣が輝き、無数の氷塊がサイクロプス目掛けて次々に飛びかかる。
ヒュオオ…ドガガガガガッ
「グモオオオオオオオッ」
不意打ちを食らって身体の正面に氷塊が突き刺さったサイクロプスは、怒りの雄叫びを上げて立ち上がると、すぐさまウェンリーを掴もうとして手を伸ばす。
「へっ、捕まえられるもんなら捕まえてみな!!」
ウェンリーはサイクロプスの動きを見切り、その手を躱しながら俺の方へと走ってくる。
「良いぞウェンリー、後は俺に任せろ!凍結したら一気に倒すぞ!!」
「あいよ!!」
コオオオ…
俺は両手に魔力塊を練り上げ、短時間で決着を付けるために、水属性の合成魔法をサイクロプスに向かって放った。
「悪いがおまえに構っている暇はない、凍りつけ!!『ヴィルジナル・ミスクァネバ』!!」
四方八方の青い魔法陣から流水が押し寄せ、それが瞬時にパリパリパキパキと音を立てて凍り付くと、サイクロプスの巨体を凍結状態にして動けなくする。
「どんなにデカくても、動けなきゃこっちのもんだ!!おらよっ、今度はこいつだ『ソルグランドスピア』!!」
ウェンリーは地属性魔法の攻撃魔法石を使用し、俺はエラディウムソードを抜いて凍ったままのサイクロプスの背後に駆け上がると、後ろから急所の首の付け根に剣技『光刃刺突』を放った。
文字通り突き刺した剣の刀身が光の刃となって長く伸び、極太い首を喉元まで貫く。
それと同時にウェンリーが投げた魔法石は、サイクロプスの足下から複数の岩槍となって腹の辺りを穿った。
――その直後から、ルーファスの地図に表示されない扉の先…大広間にも、その戦闘音が響き渡った。
「ふふ…どうやら守護七聖主殿がいらしたようですね。」
ケルベロスの教祖アクリュースと名乗った『男』は、片足に重心を置き腰の辺りに科を作りながら、どこか女性的な仕草で、口元に紫色の長く伸びた指爪を宛がうと、嬉しそうにほくそ笑んだ。
そのアクリュースの横で、クトゥルフ・エレ・シアエガが空中に触手で形成した座面に胡座をかき、ふよふよと浮いた状態のシェイディが背伸びをする。
「ようやくか、僕もう待ちくたびれたよ。さあて、どうやって痛めつけてやろうかな。この前は守護壁が残っていたおかげで痛い目を見せられちゃったけど、あいつには千年分の恨みと憎しみを引き受けて貰わないとね。」
余程の恨みがあるのか、その金瞳に憎悪の炎を燃え上がらせて呟く。アクリュースはシェイディを横目で見て、冷ややかな視線を送りながら釘を刺した。
「――あなたの個人的な感情はどうでも良いですが、なんのために守護七聖主殿をおびき寄せるのか、目的を忘れないでくださいよ。」
「うるっさいな、わかってるよ。どうせ僕も僕の目的のためには、今すぐ殺すわけにはいかないんだ。ね、シルおじちゃん♪」
触手の座面に胡座をかいたまま、スイッと宙を移動するシェイディは、ニィっと邪悪な笑みを浮かべて膝上に頬杖を付く。
背中を丸めて前屈みになったその目線の先には、魔法で作り出された荊の蔓に括られた、満身創痍のシルヴァンがいた。
「シ…ル、ヴァン……」
シルヴァンに弱々しく手を伸ばすのは、冷たい床に力無く横たわるアテナだ。その身体は床の模様が見えるほど、青白く透けて消えかけていた。
「あ〜あ、可哀相にアテナちゃん、もうすぐ消えちゃうね。果たしてルーファスは間に合うかな?きゃはははは!!」
一声も発しないシルヴァンと、一筋の涙を流して目を閉じるアテナに、シェイディの甲高い笑い声が降り注いでいた。
「――よっしゃ、鍵は手に入れたぜ、ルーファス。」
「…ああ。」
倒れたサイクロプスの胸元からウェンリーが鍵を奪い取ると、いつものように俺のスキルが戦利品を自動回収して死骸は消え失せた。
…今、あの少年の笑い声が聞こえたような――
間違いなくすぐ近くにあのカオスの少年がいて、俺がここにいることを気づかれたな、とそう思った。
相変わらず胸騒ぎは酷くなる一方で、魂の絆からシルヴァンが生きていることは感じられていたが、急がなければと焦りが募る。
「急ごうウェンリー、カオスとアテナ達は間違いなくこの扉の先にいる。」
ウェンリーが手にした鍵で扉を開けて一緒に中に入ると、そこは待合室のような長椅子が並んだ一室だった。
正面の壁には扉のないさらに先へと続く入口らしきものがあったが、そこには様々な色の渦巻く、不気味な靄が漂っていた。
「時空の歪み?…やっぱりなにか特殊な空間で仕切られているな。念のために脱出用の仕込みだけはしておこう。」
「仕込み?…って、なにすんの?」
俺は室内を見回して空の壺を見つけると、その中に特殊な魔法紋を刻んだ魔法石を入れて封印を施した。
「手を出せ、ウェンリー。」
「へ?ああ、うん。」
その後でウェンリーの右手に、たった今魔法石に刻んだものと同じ魔法紋を呪文を唱えて記した。
それはほんの一瞬、壺の中に入れた魔法石と共鳴して金色の光を同時に放つと、そのまま消えて表面からは見えなくなった。
「なにしたんだよ?」
「異空間でおまえが出口を見失わないように、命綱を繋いだんだ。逃げ出す時にはこれが目印になって金糸が導いてくれる。」
「なるほど、そっか…あんがとな、ルーファス。」
「いや…」
礼を言われるようなことではないんだけど、と思いながら俺は首を振る。なにがあってもウェンリーには、アテナとシルヴァンを連れて、無事に脱出して貰わなければならない。
「この先はなにがあるかわからない、場合によっては俺の防護魔法も効かない可能性がある。ウェンリー、約束だぞ。」
「わかってるっての。ルーファスこそ忘れんなよな。」
「…ああ。」
俺達は互いに頷き、意を決して渦巻く靄の中に足を踏み入れた。
僅かな時間暗闇の中を歩くと、すぐに目の前が開けて、異様に広い大広間のような場所に出る。
周囲には炬火台が円形に並んでおり、その全てに青白い炎が灯っていて、ルスパーラ・フォロウがなくても隅々までよく見えた。
だがそこで俺が真っ先に目にしたのは――
「あ…アテナ、シルヴァン!!!」
奧の壁の前にある祭壇の手前の床に、魔法の荊蔓で括られた血だらけのシルヴァンと、その横に消えかけた姿で横たわるアテナの二人だった。
「――主…っ」
シルヴァンは俺の声にすぐさま反応を示すと、顔面左半分を腫れ上がらせ、切れた口元から血を流した状態で顔を上げた。
「シルヴァン、酷え…っアテナ!アテナは…!?」
アテナは意識を失っているのか、俺の声にもウェンリーの呼びかけにもピクリとも動かなかった。
「待ちくたびれたよ、守護七聖主。一ヶ月ぶりくらいかな?」
「おまえは…やっぱりあの時の…!」
純黒の球体に無数の赤い目を持つ、触手の塊に足場を作らせ、そこに立った状態で頭上から姿を見せたのは、あの二色髪の少年だった。
「――『カオス第七柱、死遊戯のシェイディ』。それが僕の名前だ。覚えろよ、守護七聖主ルーファス。」
ゴオッ…
そう名乗るなりカオスの少年シェイディは、初めて会った時とは比べものにならないほどの禍々しい邪気と殺気を全身から噴き出した。
それは『混沌』の名に相応しい、様々な負の感情が渦巻いた暗黒の靄を纏いながら、瞬間移動で俺の前に移動してくると、恐ろしい形相でありふれた双剣を手に襲いかかって来た。
〝殺してやる。〟
僅か五十センチほどの距離にまでその顔が迫り、細く縦に縮んだ金色の瞳が俺の目を見てそう言っていた。
ザンッ
俺はディフェンド・ウォールを発動することも出来ず、全くなんの反応も出来ないまま、その初撃をまともに食らった。
「ルーファスっ!!」
胸元がカッと熱くなり、俺の耳にウェンリーの呼び声が飛び込んでくる。だが俺は、シェイディの攻撃を身に受けた瞬間、どこからか聞こえて来た俺の名を呼ぶ別の声に気を取られた。
〝…ルーファス…、さん…〟
今にも消え入りそうな、微かな男性の声…その声に俺は聞き覚えがあった。
――今の声は…どこから聞こえた?…誰の声だ…!?
胸に受けた傷からは、じわじわと痛みが広がり、すぐに俺のシャツに流れ出た鮮血の大きな染みが出来て行く。
俺は治癒魔法を唱えていつものように傷を塞ごうとした。ところが――
「傷が…塞がらない…!?」
シェイディから受けた傷には治癒魔法が効かず、俺の特異体質から来る驚異的な回復さえもまるで機能していないようだった。
「あっははははは!!凄い…本当に凄いよ、この剣!!不老不死の守護七聖主に僕のこの手で傷を負わせることが出来るなんて…!!ねえ見てよ、アクリュース!!ほら!!」
「アクリュース…?」
狂喜して高笑いするシェイディが、聞き覚えのある名前を口にした。『アクリュース』…バスティーユ監獄の中庭で祠の中にあった、あの像の元となる邪神の名前だ。
「調子に乗ると火傷しますよ。せっかくの初対面だというのに、名乗る前に我が名を叫ばないでください。」
――〝お初にお目にかかります、守護七聖主殿。〟
俺の前にお辞儀をしながら現れたその人物は、あの祠にあった彫像そのものの姿をした、異様なまでに美しく禍々しい『女性』だった。
「『ケルベロス』が教祖、アクリュースと申します。…ああ、どうやら貴方には、私の真実の姿が見えていらっしゃるようですね。」
「ケルベロスの教祖…?――あなたは何者だ、〝人〟でも〝カオス〟でもないな?それにその、膨大な魔力…」
〝ケルベロスの教祖〟に、俺に匹敵するほどの〝強大な魔力〟と、計り知れないほどの〝邪気〟。
この瞬間、俺はこのアクリュースと名乗った人物が『フェヌア・クレフト』に魔法封印の罠を仕掛け、FT歴1002年の過去に俺達を召喚した犯人だと気が付いた。
「――俺を罠に嵌め、過去の世界に召喚したのは…あなたか。」
その女性はさして驚いた風でもなく、「おや、さすがですね。」と婉然とした。
祠にあった彫像は、大理石で作られていたために髪色などはわからなかったが、この女性は夜空をそのまま写し取ったような、濃紺の髪色に雪のような純白の肌とカトレアという花のような赤紫の瞳、紫色の唇をしていた。
その手には大きな水晶玉の付いた長杖を持ち、両手とも紫に染めて長く伸びた爪がトントン、と二度ほど柄を叩く。
シェイディからは凄まじいまでの憎悪の念と殺意を感じていたが、不思議なことにこのアクリュースからはそんな感情を読み取れなかった。
それだけになんの目的があるのかわからず、却って俺には不気味だった。
「まさかあの状態の過去から、無事に現代へ戻るとは思いませんでしたよ。無限に存在する並行世界に辿り着くこともなく、良くこの世界に帰って来られたものです。」
――その言葉を聞いただけでわかる。多分この正体不明の人物は、少なくとも時翔人である俺のような、時空転移魔法を使用可能な存在だ。
こんな存在がカオスと共にいたのなら、アテナやシルヴァンが敵わなかったはずだ、と腑に落ちる。
「ケルベロスの教祖アクリュース、だったな。素直に教えて貰えるとは思わないが、シェイディが持っているあの双剣はなんだ?ありふれた武器に見えるが、俺の傷が塞がらない。それに聞き覚えのある男性の声が聞こえたような気がするんだが。」
「うふふふふ、守護七聖主は声なき声も聞き取れるのですね。そうですね、せっかくですから教えて差し上げましょう。不幸にも貴方に死ぬ定めを変えられたために、もっと残酷な死を迎える羽目になった、可哀相な方々の話を。」
「…なに?」
アクリュースは俺に、『根無し草』という名の守護者達を覚えているか、と尋ねてきた。
それを聞いただけで、あの双剣から聞こえて来たのが誰の声だったのかを、俺は思い出した。
そう、ユーナと共に行方不明になっていると聞いていた、スコットさんの声だ。
――そう言えばスコットさんは双剣使いで、あの武器は彼が使用していたものと同じ得物だ。
だがどうしてあの武器から、スコットさんの声が聞こえたんだ…?
アクリュースは歪んだ笑みを浮かべて語る。『神界の三剣』と呼ばれる守護神剣は、『生体核』を持ち、その力で以て俺のような存在を傷付けることが可能なのだと。
「そこで私は守護神剣に似た武器を作り出せないか、実験をしたのです。その中で唯一成功したのがあの双剣――元は『スコット・ガロス』という名の若者だった人間の魂を封じ込めた武器なのですよ。」
「な――」
俺は絶句した。
スコットさんの魂を武器に封じ込めた?唯一成功した、とはどういう意味だ。
ウルルさんから聞いていた話では、亡くなった女リーダーのヴァレッタ・ハーヴェル以外、『根無し草』の全員が現在行方不明になっているらしかった。
まさか、とは思うが…大剣使いのフォションも、ライラにミハイルと言ったあの二人も、このアクリュースの手で、実験に使われたとでも言うのか…?
「なに呆然としてんのさ?察しが悪いなあ。はっきり言ってやんなよ、アクリュース。おまえが勝手に死ぬはずだった人間を助けたから、そのせいでそいつらは全員実験体にされて死んだんだ、ってさ!きゃはははは!!」
シェイディの笑い声が俺の頭に木霊する。
俺が勝手に死ぬはずだった人間を助けたから…?だから『根無し草』のメンバーは、殺された…そう言ったのか。
「違う!!クソガキの言葉に惑わされんじゃねえぞ、ルーファス!!」
硬直して動けなくなっていた俺に、ウェンリーのその声が届いた。
「いいか、実験だかなんだか知らねえが、それが本当なら、『根無し草』のみんなを殺したのはそこのアクリュースって奴だ!!おまえのせいじゃねえ!!」
「ウェンリー…!」
――そうだ、なにをしたのかはわからないが、少なくとも直接手を下したのは目の前のこの邪悪な存在だ…!!
「…招待した覚えのない、小蠅が紛れ込んでいますね。うるさいですよ、塵が。」
アクリュースの敵意がウェンリーに向いた。
「させるか!!」
その攻撃が繰り出される前に、俺は守護七聖主の力を解放して全力でアクリュースに襲いかかった。
――シルヴァンから聞いた話では、神魂の宝珠には定められた解放順があるのだそうだが、一番最初に解放したのが『光』の神魂の宝珠だったことの意味が、なんとなく理解出来た。
俺は過去、自分自身の力を七つに分けて守護七聖<セプテム・ガーディアン>を封印したという。
言うなれば俺はそれだけ力を失い、今は弱体化していると言うことだ。
それでもこの時点で補助的な能力に特化し、防御や回復と言った魔法が中心の光属性の力だけは完全に取り戻せている。
そのおかげでウェンリーを守り、カオスやこの正体不明の存在にも抵抗することが可能だった。
俺はアテナとシルヴァンに駆け寄るウェンリーの三人から、死遊戯のシェイディとケルベロスの教祖アクリュースを引き離しにかかる。
ありとあらゆる上位魔法を複数連発し、シェイディのスコットさんの双剣による攻撃だけは出来るだけ躱しながら、猛攻を仕掛けてウェンリー達が無事に逃げ果せるだけの時間を稼ぐのだ。
俺に今、満身創痍のシルヴァンを治癒魔法で治してやれる時間はない。だが俺が守護七聖主としての力を解放したことで、その恩恵がシルヴァンにも届き、僅かだがその傷を動けるまでに癒やしてくれるだろう。
元よりシェイディの意識は俺にだけ向いており、なにを考えているのかわからないアクリュースの気が逸れないようにだけ気を付けながら、俺はウェンリー達が自力でここから逃げ出すのを待った。
――約束だ、ウェンリー。アテナとシルヴァンを頼むぞ…!!
「動けるか?シルヴァン、急いでこっから逃げんぞ。」
ルーファスとの魂の絆でほんの少しだけ回復したシルヴァンに、液体傷薬を飲ませたウェンリーは、魔法の荊蔓を『ディスペル』の魔法石でどうにか解くことに成功した。
「――すまぬウェンリー、なんとかな。だがアテナが…」
「わかってる。アテナ…アテナ、俺だよ、今助けるからな。」
アテナの状態はルーファスからの魔力供給が断たれた所為かと判断したウェンリーは、ルーファスに預けられた腕輪を急いで無限収納から取り出すと、アテナの腕に嵌め込んだ。
「…ウェ、ンリー…さ…ん…」
「もう大丈夫だよ、アテナ。ルーファスの腕輪を嵌めたからな。」
弱々しく微笑み青白く透けたアテナの姿は、すぐにも目の前で消えてしまいそうで、ウェンリーはまるで体重を感じないその身体を抱き上げた。
≪ 今にも消えそうなのに、なんでアテナはルーファスの中に戻らねえんだ?…や、なにか理由があって戻れねえのか…!?≫
アテナの様子に、切羽詰まった危機感を持ったウェンリーは、とにかく一刻も早くここから逃げるべきだと気を引き締めた。
「行くぜシルヴァン、ルーファスが時間を稼いでいる間に俺らはルフィルディルへ帰るんだ。」
「ウェンリー、だがそれでは主が…!!」
「現実を見ろって言ってんだよ!!この状態で俺らがここにいたって、ルーファスの足手纏いにしかならねえってもうわかってんだろ!!」
「……すまぬ。」
ウェンリーだとてルーファスを敵前に残したまま、自分達だけ逃げ出すのは本意ではないと、シルヴァンにもわかっていた。
ウェンリーはルーファスと交わした約束通り、アテナを抱きかかえ、足を引き摺るシルヴァンと共に、ルーファスが命綱だと言った金色の糸を辿って闇の中へ急ぎ脱出する。
そうしてウェンリー達は歪んだ空間から出ると、そのまま転移魔法石を使ってルフィルディルへと無事に辿り着いたのだった。
――一人残されたルーファスは、シェイディの双剣による攻撃を受ける度に、その傷から出血し、傷を癒やすことも出来ないまま、戦い続けるしかなかった。
「仲間を逃がすために主たる貴方が犠牲となりますか。…本当に甘っちょろい御方ですね、反吐が出てしまいます。まあそんな守護七聖主だからこそ、カオスにも付け入る隙があるのですが。」
アクリュースは小威力の魔法でのらりくらりと攻撃してくる。俺がウェンリー達を逃がそうとして時間稼ぎをしたように、どこか本気で戦おうとしていないような気がした。
二人を相手にし続け、息の上がる俺に、涼しい顔をしたアクリュースは嘲る。
「おまえの宗教団体ケルベロスは、カオスと手を組んだ…そう言うことなのか?教祖はともかく、信者は人間だろう…!!」
「いいえ、カオスと手を組んだ覚えはありませんよ?」
「ちょっとアクリュース!?」
「な…」
さらりと悪びれもせずそう言ったアクリュースに、俺は目が点になる。
――訳がわからなかった。シェイディの言葉を確かめたわけじゃないが、『根無し草』のメンバーを殺して俺を傷付けることの出来る武器を作り出し、それをカオスに提供しているのに、手を組んだ覚えはないとはどういうことなのか。
「馬鹿にするのもいい加減にしろ…!!」
俺は俺に対して憎悪と殺意を剥き出しにするカオスのシェイディよりも、このケルベロスという宗教団体を率いる、教組アクリュースの方にこそ、無性に腹が立った。
「――貴方の方こそいい加減にしたらどうです?神魂の宝珠に力を分散した状態で、私に勝てるとお思いなのですか?」
「そんなのはやってみなければわからないだろう!!」
「…やれやれ、ですね。良いでしょう、現在の貴方と私の力の差というものを見せて差し上げます。シェイディ、クトゥルフ・エレ・シアエガとミノタウロスを出しなさい。」
「え!?なんでさ、い、嫌だよ!!」
「…逆らうのですか?それならそれで――」
ギラリと光るアクリュースの目に、シェイディの方が怯えて後退った。
――力関係がおかしい。これではまるで…
「わ、わかったよ!!出せばいいんだろ、出せば!!」
クトゥルフ・エレ・シアエガというのは、さっきからシェイディの後ろで宙を漂い、触手をうねうねと動かしているあの黒い球体のことらしい。
シェイディはそれを呼び寄せて前に来させると、それとは別に召喚魔法のようなものを唱えて、半人半牛のミノタウロスを喚び出した。
一気に敵が四体に増えたと思った俺は、距離を取ろうとして身構える。
「まだ逃がしませんよ、そこにいなさい。」
ビシッ…
「…!?」
その言葉を聞いた瞬間に、全身が硬直して俺は身動きが取れなくなった。
しまった…なにかされた!?…動けない…!!
「『ネブラステルラ・エヴァンジル・ムエルコズィーリ・ダクリュオン』死よ、矮小なるものを滅せよ。」
カッ…
――その時、俺はなにもかもが終わった、と思った。その聞いたことのない呪文と、俺の今の魔力とは比べものにならないほど圧倒的な威力に、次元の違う力を感じたからだ。
幸いだったのは、その魔法は俺に向けて放たれたものではなく、なぜかシェイディが召喚したミノタウロスと、クトゥルフ・エレ・シアエガが対象だったことだ。
そうしてそれは跡形もなく消し飛んだ。
「ふ…ふざけんな、アクリュース!!僕のペットのシアちゃんが消えちゃったじゃないかっ!!」
呆然とした俺の前で怒っていたのはシェイディだ。だがその直後に起きた出来事に、俺はもっと驚愕することになった。
「怒らなくてもすぐに元に戻してあげますよ。時の理よ、我が命に従え。『ティム・レヴェルスマン』。」
ギュアアアアアアアッ
「ぐうっ!?」
その不気味な音と共に、俺は身体が捻られるような激しい痛みを感じる。それはなんというか、魂の奥底にある触れることの出来ない領域を、無理に弄られたような説明の付かない感覚だった。
気が付いたら、目の前にたった今消滅したはずのミノタウロスとクトゥルフ・エレ・シアエガが元通りに出現していた。
それは蘇生とか、復活とかではない。時属性の理に触れることのできる俺には理解できた。
アクリュースが使用したのは、一定の範囲と対象を絞った『時間を巻き戻す』時属性魔法だ。
――こんな魔法を戦闘で使用されたら、なにをしても勝つことは不可能だ。どれだけ敵を倒しても、時間を巻き戻されて全て元に戻されてしまう。
「どうですか?これでわかったでしょう。今の貴方では私に勝つことは出来ませんよ。」
「――……」
このアクリュースという存在は、人でもカオスでもない、それだけはなぜかわかるが、それならいったい、何者なんだ?
まさか――
俺は自分の存在がこの世界から消えることになったとしても、今、ここで、アクリュースを倒しておくべきだと本能的に思った。
そう決心して彼女に視線を向けると、アクリュースの顔から笑みが消えた。
「――そうですか、残念です。…少々予定が狂ってしまいますが、仕方がありませんね。」
アクリュースはパチン、とその指を鳴らすと、シェイディとシェイディがペットだと言っていた〝シアちゃん〟…クトゥルフ・エレ・シアエガに、ミノタウロスをどこかへ転送してしまった。
ゴオッ…
そうしてその身から放たれる凄まじい青銀の闘気に、俺は身震いする。
ウェンリー…ごめん、約束は守れそうにない。
――俺は心の中でそう謝ると、勝ち目のない戦いに挑んだ。
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