107 カオス第七柱シェイディ 前編
ルーファス達がバスティーユ監獄を発つよりも少し前、アテナとシルヴァンは、イゼスとレイーノの匂いを辿って足を踏み入れた古代遺跡内にいた。通路沿いの小部屋で見つけた書物によると、そこはかつて時空神『クロノツァイトス』を祀っていたという神殿だったようで…?
【 第百七話 カオス第七柱シェイディ 前編 】
――ブウンブウン、という生きた古代遺跡特有の、駆動機器がどこかで作動し続ける低音がずっと聞こえている。
エラディウムと白色花崗岩で作られた床は、場所によってカンカンコツコツと、響く靴音が変化していた。
アテナは注意深く周囲を見回し、鍵のかかっていない幾つもある通路沿いの扉を開けては、一つ一つ部屋の中を見て行く。
頭に表示された目的地を示す信号は、ここからずっと奧の方に点滅しているが、偶々覗いた小部屋で、貴重な魔法石や鉱石などが入れられた保存箱を発見したため、最短距離を移動しつつも、通り道にある近くの部屋だけは立ち寄って中を確かめることにした。
今や魔法石はルーファスが取得している魔法に限り量産可能になっているが、消耗品や素材、稀に特殊装身具などが見つかることもあり、今後の旅に必ず役に立つと思われるからだ。
――ルーファス達がバスティーユ監獄から、アインツ博士達を連れて脱出することになった時間より少し遡り、連れ去られたイゼスとレイーノの匂いを辿って、この遺跡に辿り着いたアテナとシルヴァンは、壁に流れる呪文帯の青い光に照らされている、朽ちた装飾品で飾られた、まるで豪奢な貴族館の廊下のような通路を進んでいた。
「遺跡の規模にしてはやけに小さな出入口だと思ったのですが、どうやら私達が開けて入って来たあの扉は裏口だったようですね。」
階段を降りてから一気に幅広くなったそこを歩きながら、アテナは頭の地図の詳細情報を読み取って行く。
主要通路の正面扉前に強敵の存在を示す大きな点滅信号が光り、この階にもあちらこちらに敵対存在を示す複数の赤い信号が蠢いていた。
「――ふむ。この先が正面の入口に通じる主要通路のようだ。…どうやらこの遺跡は、神殿のような作りをしている建造物らしいな。一応どこに出られるのかだけでも確かめておくか?」
同じように探索フィールドで簡易地図が頭に表示されているシルヴァンは、歩きながら全体的な小部屋の並びなどからそう判断し、位置的に正面の出入り口は地下迷宮のどこかに通じているのだろうと思った。
「…いえ、それはやめた方が良さそうです。こちらからだと背後を突くような形にはなり若干は有利ですが、なにか番人のような正体不明の強敵が正面扉を守護しています。カオスが待ち受けているかもしれないこの状況で、無駄に必要以上の体力を消費するべきではありません。」
アテナはシルヴァンの言葉を聞いてすぐに扉の前に居座って動かない、一際大きな点滅信号を注視し、さらに細かく分析してみた結果、『UNKNOWN』と答えが出たためにそう返す。
その間、約一秒。驚異的な速度の分析能力だ。
「む…そうか。――と、また敵だアテナ。」
敵が姿を見せる直前、その野性的な感知能力で気配を感じたシルヴァンは、即座に手元に愛用の武器を出現させる。
「はい、対『魔導機』戦闘フィールド展開。」
シュンッシュンシュンッ
――ここに出現する敵は、アテナとシルヴァンが初めて目にする特殊な相手だった。
まずアテナの詳細地図にその存在を赤い点滅信号で確認出来ても、相手がこちらに気づいて戦闘を仕掛けて来るまで、その姿がまるで見えないのだ。
しかも出現する時は、なんと今のように『転移魔法』ですぐ傍に現れる。
外見も地上や地下迷宮にいた魔物とは異なり、変わった物が命を宿したかのような見て呉れをしていた。
そうして二人の目の前にいるのは、壁掛け時計その物の飛行型物体と、額縁に入った浮遊する絵画に、歩く柄の付いた雑巾だ。
アテナの詳細分析では、この敵は外見こそ日常でよく見る『雑貨』のような姿をしているが、魔物の心臓に似た生体核を持って生きており、神経のような張り巡らされた魔導回路に循環する魔力が流れていて、それは生物の持つ『血管』と同じような機能を持っていた。
ルーファスのデータベースではそのような異存在を、『魔導機』と名付けて呼んでいて、アテナはこの奇妙な敵を、魔物と区別するためにそう呼ぶことにしたのだった。
「ぐぬう…何度見ても気の抜ける姿の敵だ。そもそも騒霊<ポルターガイスト>ではあるまいに、なにゆえこのようなものが動いて襲ってくるのだ。…最早馬鹿にされているとしか思えん…!」
苦虫を噛みつぶしたような顔にジト目をしてシルヴァンはぼやく。
「真面目に戦って下さい、シルヴァン。気を抜くとまた手痛い一撃を食らいますよ?」
「ぐ…わかっている、それは最初で懲りたから言うな!『時計』と『絵画』はそなたに任せたぞ!!」
シルヴァンは斧槍をヒュンッと音を立てて振り回し、先ずは歩く『柄の付いた雑巾』との交戦に入る。この雑巾、どこが弱点でどこが急所なのか、最初に遭遇した時のシルヴァンはまるでわからなかった。
しかもどんな凶悪な敵が出てくるのか警戒していれば、と呆気に取られ、あまりに奇怪な相手に気を抜いた瞬間、目にも止まらぬ速さで強烈な突き攻撃を食らい、派手に吹っ飛ばされてしまったのだった。
これは細く切った布を縒って太めの糸状にし、角形の木材に束ねて付け、それと棒状の柄を接合して、床などの掃除を腰を屈めずに拭くことが出来る『モップ』と呼ばれる道具なのだが、動きが全く読めずに奇抜な攻撃をしてくる奴だった。
柄の部分を棍棒のように振り回し、打撃武器のような攻撃をしてきたかと思えば、いきなり宙に浮いて頭上から、雑巾部分を棘のように変化させ突っ込んで来たり、水平に浮いて広範囲に回転攻撃を仕掛けて来たりと、シルヴァンの斧槍でも間合いに近付くのは苦労する。だがこの『モップ』はまだ良い方だ。
アテナが同時に相手をしている『壁掛け時計』と『浮遊する絵画』は、物理攻撃を仕掛けてくるのと同時に、隙を見て中位魔法を使用してくるのだ。
それもフェリューテラの七属性魔法だけでなく、こちらは下位魔法だが異界属性の攻撃魔法まで使用すると来た。
どちらもヒュンヒュン空中を自在に飛び回り、シルヴァンの攻撃ではいとも簡単に避けられてしまい、中々当たらないのだ。
以前〝八岐大蛇〟と呼ばれていた『ペルグランテ・アングィス』とルーファスが戦った時にもチラリと説明したが、ルーファスの防護障壁『ディフェンド・ウォール』は、フェリューテラに現存する魔物には絶対的な障壁となるのだが、異界属性の攻撃に対してはその限りではない。
相手が元々フェリューテラ外の属性を有する攻撃手段を持ち、そこに想定外の威力が繰り返し加わり続けると、ディフェンド・ウォールは硝子のように砕け散ることがある。
簡単に纏めると火、水、地、風、光、闇、無属性には『絶対障壁』だが、時、天、空、幻、冥、暗黒属性には『耐久型障壁』になると言うことだ。
因みに『物理攻撃』に対しては攻撃手段と相手の持つ主属性による。
そして『ディフェンド・ウォール』には数種類の形状と発動手段、属性耐久と属性魔力吸収、反射作用に簡単な負傷治癒・微量の体力回復など様々な効果がある。
ルーファスが主に使用しているのは、『盾型』(※発動した方の腕に付着、装備した盾のような形になる)と『穹窿型』(※大きさは任意だが、範囲に限界がある)に『設置型』(※起点となる不動物が必要)の三種類の形状と、各耐性に特化した属性を付加したもの、そして物理攻撃特化型と敵の攻撃を弾き返す反射型(※敵の攻撃種類によって返せるものと返せないものがある)だ。
あとフェリューテラ属性の『闇』とカオスの持つ『暗黒』属性は似て非なる物なので、少々紛らわしいが異なる属性であることを付け加えておく。
――で、なにが言いたいのかというと、要するにこの古代遺跡内部に出現する敵は、ルーファスの防護障壁を破壊する手段を持っている、と言うことだ。
もちろん『耐久型障壁』なので、敵の攻撃属性を読み、その属性を付加することでほぼ無敵の状態にまでは持って行ける。
だが雑魚相手にそれをするのは時間の無駄になるし防御効率も下がるので、魔法を使われる前にアテナのチャクラムで妨害し、素早く動き回る敵を魔法と飛び道具で倒してしまう方が手っ取り早い。
と言うわけで、魔法を使うこの二種類の敵は、アテナが相手をしているのだった。
『壁掛け時計』も『浮遊する絵画』も『歩く柄の付いた雑巾』も、元は燃えやすい素材で出来ているせいか火属性魔法に弱く、アテナが使用した中位火魔法『フレイムピラー』で最後は止めを刺す。
五本の火柱を出現させて、一定範囲にいる敵を床から天井近くまで吹き上げる炎が攻撃する魔法だ。
そうして力尽きた魔物の戦利品はアテナが自動回収する。ルーファスが所持しているスキルや魔法の大半はアテナも使うことが出来るのだ。
「――まったく、ふざけた敵だ。こ奴らは元々この遺跡にいたものではないのだろう?」
シルヴァンは斧槍を肩に担いだ恰好のまま歩き出し、不満を口に出す。
「…だと思います。多分、ですがこの特殊な敵を放ったのは、以前王都の軍施設で遭遇したカオスではないかと。」
「例のか…ウェンリ−とルーファスから聞いたが、白とオレンジの二色髪をした子供のカオスだそうだな。千年前にはそのような眷属を見た覚えはないから、新たに一員となったものであろう。」
我らを揶揄っているのやもしれん、とブツブツ言いながらシルヴァンは、これまでと同じように近くの部屋を確認して歩き、なにかを見つけると部屋の中へ足を踏み入れた。
室内の隅に置かれて積まれていた保存箱の中から、二冊の魔法書と二十個ほどの魔石を見つけると、アテナはそれを無限収納にしまう。
どうやらここは小さな書庫のようだ。本がギッシリと詰め込まれた本棚が並んでいる。
「――シルヴァン、話は戻りますが…シルヴァンは『レインフォルス』とはルーファス様に対して、どんな存在だと思いますか?」
並んでいた本棚に手を伸ばし、シルヴァンはふと気になった題名の本を取ってパラパラと開いた。
「ふむ…どんな、とはどういう意味だ?」
シルヴァンが開いた本を横で背伸びをしてアテナが覗き込むと、そこにはこの遺跡に関する内容の文面が記載されていた。
「…ここは『カイロス遺跡』と言うのですね。2500年前までは時空神を祀っていた神殿だったのですか。」
「そのようだな、相当古い。祀られていた神の名は『クロノツァイトス』。…異界では『ダン・ダイラム・オルファラン』と呼ばれ、至上の楽園に住む『永久の民』を守護して統べる『独立神』だと記されている。…この書物、保存魔法をかけられていて中々に貴重だぞ。」
シルヴァンは瞠目した。
「――ではここにある物は全て、無限収納に入れて持ち帰りましょう。目を通している時間はありませんし、異界についてはわからないことが多いです。ルーファス様のお役に立つかもしれません。」
「そうだな。――で?」
アテナは無限収納カードの光を、次々と本棚の本に当てて片っ端から収納して行く。
「…例えば『レインフォルス』について可能性として考えられるのは、弱点である闇に対応すべく生み出された『ルーファス様の別人格』であるか、私のようになんらかの形で存在し、普段はルーファス様の中で眠っている『全く別の存在』のどちらかだと思うのです。」
「ふむ…」
半分の本棚はシルヴァンが担当して、話をしながら二人は素早く無限収納に大量の本を入れて行く。
「私はルーファス様とウェンリーさんからお話を伺っただけで、まだその方に実際にお目にかかったことがありません。ですのでシルヴァンがその方を見てどう思っているのか、参考までに伺いたいのです。」
先程レインフォルスについて気づいたことがある、と仰っていましたよね?、と確かめるようにアテナは聞き返した。
全ての本を収納し終えると、二人は小部屋を出て歩き出す。
「まあそうだな、我の意見として結論から言うと、我はルーファスとレインフォルスは『全く別の存在』だと思っている。そなたが言うように、普段あれは恐らくルーファスの中で眠ってでもいるのだろう。それがなにかの条件を満たすと入れ替わり、表面化する…そんな状態にあるのではないか?」
「…なぜそう思われるのですか?」
通路に戻って暫くするとまた、二人の前に『魔導機』が出現した。今度は大型の『天蓋の付いた寝台』に、両開きの扉をバタつかせた『衣装箱』だ。
シルヴァンは再び〝ふざけるな!家具が動くな〟と怒りながら斧槍を手に突っ込んで行くと、高く飛び上がって衣装箱を真っ二つに叩き割り、天蓋の付いた寝台に〝家財道具は家財道具らしく大人しくしていろ!〟と怒鳴り、『旋風槍』で引っくり返して倒した。
戦闘終了後、再び会話に戻る。
「あくまでも聞いた話に過ぎぬが、確かに稀に精神的な衝撃などが原因で本能的に防御機能が働き、別人格が形成されるような事例もあるという。だが別の人格が生まれたとしても、魂は一つでその元となる命も基本的には同じだ。」
ところがルーファスの場合、守護七聖であるシルヴァンと魂の絆で繋がっているにも関わらず、レインフォルスが表面化していた時にはその繋がりが全く感じられなかった。
それはレインフォルスとルーファスが別々の命を持った存在だからではないか、とシルヴァンは言う。
そう思う根拠の一つとして、ウルル=カンザスの言動があった。
シルヴァンとウルル=カンザスは旧知の仲だが、ウルル=カンザスとルーファスの付き合いはシルヴァンが知るよりも遙かに長い。
そしてウルル=カンザスはルーファスに心の底から心酔しており、ルーファスの為にならないことは命賭けて絶対にしないと言い切れる。
そのウルル=カンザスが、レインフォルスの存在を恐らくは知っていながら〝友人はそなただけではない〟と言って頑なに隠し、一族は決して約束を違えない、と口走った。
そしてもう一つ、ウルル=カンザスはルーファスを敬愛するあまりに〝友人〟とは呼ばない。
必ず〝ルーファス様〟か〝守護七聖主様〟、もしくは〝太陽の希望様〟〝太陽たる御方〟〝ソル様〟など、敬意を込めて言い表す。
それだけでもルーファスとレインフォルスは、別人だと暗に語っているようなものだった。
「そうですか…やはりウルル=カンザス様はなにか御存知なのですね。」
「うむ、おそらくな。だが彼奴は口を割らぬ。約束云々もそうだが、そこにルーファスを思うなんらかの意図も含まれているのだろう。我はそう思う。あれはそういう奴だからな。」
――シルヴァンの話を聞いてアテナは思う。
もしルーファスの中に自分と同じような別の命が存在していたのなら、なぜ感知出来ないのだろう、と。
どんな形にせよ、ルーファスとは異なる〝意思を持った存在〟がいるのであれば、ルーファスと全く同じでない限り、長期間アテナの目を逃れて隠れていられるはずがないのだ。
≪ …どちらにしても今ここで出る答えではありませんよね。≫
アテナは普段ルーファスが、〝どんなに悩んでもすぐに答えは出ないんだ〟と自分を納得させるために言い聞かせる時のように、そう心の中で呟いた。
その後二人は小部屋の並ぶ長い通路から正面入口に続く主要通路に出ると、巨大な石柱が並ぶそこを左に折れて、最奥にある目的地の大広間を目指した。
幅が三十メートル、高さが二十メートル以上はありそうなその通路には、直径が二メートル近くある白色花崗岩の美しい柱が、十五メートルほどの間を空けて等間隔に十本以上も並んでいた。
相変わらず壁に青く光る呪文帯は見えていたが、さすがにこの広さともなると暗く、シルヴァンとアテナはそれぞれ『ルスパーラ・フォロウ』を唱えて一定範囲の視界を確保する。
そうなると当然だがそれが目印のようになって、辺りに散らばっていた魔導機達が二人に気づき、明かりに群がる夜間の虫のように吸い寄せられ次々襲いかかってくるようになった。
最初は移動しつつ相手にしていた二人だったが、アテナの詳細地図に点滅していた、正面扉を守護していると思われる『番人』までもがこちらに気づいて動き出すと、即座に見切りをつけてその場から逃げ出した。
ドスンドスンドスンドスン、と微かな震動を伴う鈍重な足音が背後から迫ってくる。重そうな足音に反して、近付いて来るのがかなり早い。
シルヴァンはこのままでは逃げ切れないと判断し、走りながら銀狼に変化すると、アテナに叫んだ。
『我に飛び乗れアテナ!!』
「は…はい!!」
横を走るシルヴァンの速度に合わせられるよう瞬間詠唱で『クイックネス』を使うと、アテナは全力で走って地面を蹴り、その背を目掛けて飛び上がった。
タタタタタ…タンッ
――が、そこへ背後の暗闇から『シャドウハンド』……ではなく、それにそっくりな腕が伸びてきて、シルヴァンの上に着地する直前のアテナを、ガッシと掴んだ。
「きゃあっ!!…シルヴァンっ!!」
悲鳴を上げたアテナが、咄嗟に助けを求めてシルヴァンに手を伸ばす。
振り向く前に、アテナを掴んだ敵の姿をシルヴァンは視認する。
――一つ目の、巨人…!?
アテナとシルヴァンを追いかけながら手を伸ばしたそれは、明るい灰緑色の肌を持つ、頭に角の生えた一つ目の巨人――『サイクロプス』だった。
「ブゥオオォッ」
サイクロプスはアテナを掴んだ手を天井近くまで掲げると、捕まえたと言わんばかりに牛の鳴き声に似た歓喜の声を上げる。
『目覚めよ、ウォセ・カムイ!!』
ゴッ
シルヴァンは神狼化すると同時に勢い良く反転して、長い尻尾と風圧で周囲に群がる魔導機達を吹き飛ばし、闘気を込めて全身から真っ白な閃光を放つと、サイクロプスの一つしかない目を眩ませた。
怯んだ巨人がアテナから手を放して目を押さえた瞬間に、腹部を目掛けて全力で体当たりをする。
ズドオンッ
均衡を崩したサイクロプスは、轟音を立てて尻餅をつき引っくり返った。
サイクロプスの手を逃れたアテナは、神狼化したシルヴァンの上に着地して跨がると、前屈みになってすぐさまその背にしがみ付き、アテナが乗ると同時にシルヴァンは戦域を離脱して全速力で神殿奧に向かって走り出した。
耳を寝かせて身を低くし猛烈な速さで目的地まで駆け抜けると、特段鍵もかけられていなかった扉の中へ一気に駆け込む。
バンッ
すぐにアテナはシルヴァンから飛び降り、扉を閉めて鍵をかけた。大広間への扉は、巨人が通れるほどに大きかったが強化魔法を施されており、鍵さえかけておけば破られる心配はなさそうだった。
「無事か、アテナ。」
獣化を解いたシルヴァンが扉を閉めたアテナに駆け寄る。
「はい、助かりました。ありがとうございます、シルヴァン。」
「礼など要らぬ、そなたとて我らの仲間だ。まさか巨人が出てくるとはな…あれがシャドウハンドの元主か。」
「でしょうか?魔物化していたようですが、巨人族のなれの果てなのかもしれません。」
ほっと胸を撫で下ろし、一息吐いたところでアテナは室内をぐるりと見回す。
「ところでここは…」
「大広間前の待合室のようだな。」
扉のない正面の壁は、上部が弓形に曲線を描いた入口となっており、左右に複数の高級長椅子が並べられていた。床には朽ちかけた紫色の絨毯が敷かれ、火の灯っていない銀製の壁掛け燭台がくすんで黒ずんでいる。
隅に置かれた木製台の上には、価値の高そうな壺状の花瓶が空のまま置かれていて、変色して染みだらけの絵画風織物は今にも魔導機となって動き出しそうだ。
「あの書物には神殿と記されていたが、ここはどちらかと言えば城主不在の空城に近い。目指していた目的の場所はこの壁向こうだが、これは――」
アテナとシルヴァンは、その異様な状態の眼前を見て、大広間に続いているはずの入口手前で立ち止まる。
「――明らかになんらかの空間異常が発生していますね。」
普通なら先の風景が見えるはずのその場所には、様々な色の混じった絵の具の水桶のように、不気味な靄が漂っていた。
「この感じ…以前ルーファス様と過去に飛ばされた時の、ルク遺跡の状態に似ています。もしかしたら時空の歪みが生じているのかもしれません。」
アテナは、アテナにも見えない大広間の状態を出来る限り探ろうとして詳細探査を試みる。…が、内部にイゼスとレイーノらしき命の存在は確認出来るものの、カオスがいるのかどうかさえ掴めなかった。
〝この靄は…空間透視や探査分析の魔力を阻害する…?〟
そう思ったアテナは、強力な存在が近くにいることだけは確かだと、その可憐であどけない少女のような顔を顰めた。
「なに?…だとすると今ここにいないルーファスから引き離されて、我らだけが過去に飛ばされる恐れもあると言うことか?」
「わかりませんが…もしカオスの中に『時空転移魔法』を攻撃手段として扱えるような者がいれば、可能性として零ではありません。」
「それは少しまずかろう。ルーファスがいなければ時空点があったとしても戻っては来られまい。それになにより、アテナ…そなたの身が心配だ。」
アテナはまだ一存在としての肉体を得られておらず、ルーファスの魔力を生命力に変換し身に取り込んで生きている。
非常時用にとルーファスが作ってくれた、ルーファスの魔力を込めた魔石付きの腕輪はあるが、通常の生命活動を行った状態では二日ほどしか持たない。
「…そうですね、ですがその可能性はかなり低いと思います。」
『時空転移魔法』は、呪文を知っていても誰もが使えるような魔法ではない。ルーファスのデータベースにあるその詳細には文字抜けがあって、肝心なその方法まではわからないようになっていたが、なにか他に『特別な要素』が必要なのだ。
暗黒神ディースであればともかく、眷属であるカオスにその要素を所持している可能性は限りなく低い、とアテナは推測する。
なぜならそんな力があるのなら、最初から千年前へ戻って、ルーファスと守護七聖が暗黒神を倒した過去を変えてしまえば済むからだ。
「そうか、そなたがそう言うのであれば信じよう。どの道ここまで来てイゼス達を救い出さずに引き返すつもりもなかろうしな。」
「もちろんです。」
アテナとシルヴァンは互いに目を合わせて微笑み、その意思を確認すると、気を引き締めて前を向いた。
「では行くぞアテナ。」
「はい、シルヴァン。」
そうして入口の不気味な靄に足を踏み入れた。
――靄を越えてそこをくぐると、意外にも大広間は至って普通の状態だった。但し、空間自体にはなんらかの幻術がかけられているようで、あり得ないほどの広さがある。
アテナとシルヴァンが暗がりの中を慎重に数歩進んだところで、突然円形に並べられた灯火台に火柱を上げて青白い炎が燃え上がった。
ボッボボボボボッボンッ
その明かりに照らし出された、真正面にある祭壇の両脇には、二メートルほどの高さの飾り柱に括り付けられたイゼスとレイーノの姿があった。
「イゼス、レイーノ!!」
彼らは気を失っているらしく、シルヴァンの呼びかけにも反応がない。
ズオオオオオオオォ…
「シルヴァン、あれを!!」
イゼス達二人の間に見える祭壇奧の上壁から、黴びた染みが湧き出るように、それは姿を現した。
純黒の球体に無数の赤い目。空中に浮遊し、その躯体には水中で絡み合う蛇玉のように、数え切れないほどの触手がうぞうぞと蠢いている。その一本一本に、紅玉のような光が転々と並んで輝き、先端は鋭く尖っていた。
「あの触手…イゼス達を捕らえてここに連れて来たのは此奴か!!」
シャアアアアアアッ
触手の生えた純黒の球体は、空震を引き起こし雄叫びを上げる。
シルヴァンはすぐさま手元に斧槍を出現させ、戦闘態勢を取った。
「暗黒界の腐沼に棲むという、『クトゥルフ・エレ・シアエガ』です!触手の先端にある吸盤状の口から魔力と生命力である霊力を奪います、気を付けて下さい!!」
「心得た!!」
「対暗黒界生物戦闘フィールド展開!!フォースフィールド、クイックネス、バスターウェポン、インテリジェンス・ブースト!!」
アテナがすぐさま複数同時に補助魔法を発動し、その手に魔力で作ったチャクラムを出現させる。と同時にシルヴァンは白銀の闘気を身に纏って床を蹴った。
ダンッ
ブンッブウンッ
クトゥルフ・エレ・シアエガは、空気を振動させるようなその耳障りな音を立て、消えるように瞬間移動をすると、一瞬でシルヴァンとの間合いを詰め無数の触手を針のように伸ばしてきた。
「ディフェンド・ウォール・ダークネス!!」
アテナが瞬時に防護魔法で守ると、シルヴァンはそれをわかっていたかのように斧槍を下から上空へと振り上げ、直線上に伸びた触手の一部を叩き切った。
ズザザザザンッ
ボドボドボドッ…しゅるる…ズザザザザッ
「な…!?」
切り落とされた触手は落下すると、そのまま無数の『ヒル』のような環形動物に変化し、床を素早く這ってシルヴァンに飛びかかる。
「燃えよ、『イグニスアルク』!!」
ゴッ
シルヴァンの周囲を、アテナが放つ火魔法が地を舐めるようにして包んだ。触手から変化した小型生物は、キーキーと小さな声を上げて燃え尽きて行く。
「今のは『ヴェノムリーチ』です!食い付かれるとそれだけで毒に侵されるので私が焼き払います!!」
「任せたぞアテナ、我は『毛玉』の攻撃に集中する!!」
「け…?は、はい、わかりました…!!」
クトゥルフ・エレ・シアエガのことを『毛玉』と言われ、一瞬なんのことかと首を傾げたアテナは、すぐに気を取り直して戦闘を継続する。
普段からその戦い方を見ていた通り、シルヴァンは完全な猪突猛進型で、アテナはルーファスが、如何に細かく味方を補助しながら防護と攻撃を熟していたのか、その難しさを感じる。
――ルーファス様は常に一手も二手も先を読んでおられた。味方の癖も完全に把握し、次にどう動くかもわかっているから、それに合わせて攻撃魔法を放てる…でも私はルーファス様の思考を読み取ることで先手を取れていたに過ぎず、まだまだ独り立ちにはほど遠いのですね。
ウェンリーさんは…そんなルーファス様に、決して置いて行かれまいとして、影で訓練を欠かさない。私も見習わなければ。
アテナはキッとその薄紫色の瞳で敵を見据えて、シルヴァンの補助を中心に攻撃は控え、余裕のある時宜にのみチャクラムによる物理攻撃と魔法攻撃を使用するように切り替えた。
そうしないとシルヴァンは、アテナを信頼してか防御をまるで気にしておらず、すぐに負傷してしまいそうだったからだ。ところが――
ブウンッブウンッ
「…!?」
クトゥルフ・エレ・シアエガの体力が半分ほど減ったところで、突然アテナの両脇に二体の『シャドウハンド』が出現する。
「シルヴァン!シャドウハンドです!!」
アテナは右手で、地面を這う『ヴェノムリーチ』に対応してイグニスアルクを使用中で、それを維持したままくるりと身体を捻って、シャドウハンドの初撃を躱した。
「アテナ!!」
そこへ別方向からもう一体のシャドウハンドの攻撃が来る。
アテナは地面を蹴って飛び上がり、空中で宙返りをすると、左手でチャクラムを投げた。
シャシャシャッ
それは高速で回転しながら空を裂き、シャドウハンドの人差し指を切断する。
と同時に火魔法の使用を終えたその右手で、『ソルグランド・スキャッフォルド』を唱えて空中に小さな足場を出現させると、それに着地して挟み撃ちにされないようにその場から逃れた。
「見事だ、アテナ!!」
「はい!!シルヴァン、先に召喚されたシャドウハンドの討伐からお願いします!!」
アテナとシルヴァンは一旦『毛玉』への攻撃を休め、二体のシャドウハンドから倒す方向に作戦を切り替える。そうしないとアテナの魔法が邪魔され続け、結果的に戦闘効率が極端に下がってしまうからだ。
だがこれが予想以上に苦戦する。シャドウハンドは地下迷宮で最初に遭遇した時に、シルヴァンの即死攻撃を耐え抜いただけあって、光属性に耐性を持っていたのだ。
このためシルヴァンの属性攻撃の殆どが威力を半減されてしまい、効率良く損傷を与えられなかった。
おまけに元『巨人族の切り落とされた手』だけあって、体力が非常に高く、アテナの『ベネノカロード』で腐食毒に侵して継続損傷を与えながら、ようやく二体ともを倒し切ったのだった。
そして二人がシャドウハンドに的を絞って動いている間も、一定の間隔で邪魔をし攻撃を行ってきたクトゥルフ・エレ・シアエガに再度対峙すると、シルヴァンとアテナは飛び交う触手攻撃を避けながら作戦を立て直す。
それと言うのも、長引けば長引くほど、どこかに隠れてこちらの様子を覗っていると思しき『カオス』との戦闘が、より厳しいものになるからだ。
アテナとシルヴァンは、笑い声こそ聞こえないものの、自分達を嘲るように見ているその視線を感じ取っていた。
「アテナ、細かい敵の攻撃にまで防護魔法を使わなくて良い、負傷した際は己で治す故、そなたも攻撃を主軸に動いてくれ!致命傷を避けるのが間に合わない時にだけディフェンド・ウォールを頼む!!」
「…わかりました!では本体には状態異常〝凍結〟を狙って水属性氷魔法による攻撃を、ヴェノムリーチには本体を巻き込むようにして広範囲の風属性魔法を使用するように変更します!!」
そう話す傍から、アテナは両手に青い魔法陣を輝かせ、氷魔法を放って行く。
「うむ、それで行こう!我は次に備えて獣化出来るよう魔力をなるべく温存する!!頼むぞ、アテナ!!」
「はい、お任せを!」
召喚されたシャドウハンドが倒されると、クトゥルフ・エレ・シアエガの攻撃が変化する。
触手を硬化させ、球体然とした躯体を棘皮動物のように針だらけにすると、浮遊した状態で宙を滑り、直線的な突進攻撃を繰り返す。
壁から壁までアテナ達目掛けて高速で突っ込むと、激突する前に瞬間移動し、またそこから突進して瞬間移動する…その攻撃をアテナとシルヴァンは左右に動くことで躱すと、次に自分達の目の前に来る瞬間を狙って、アテナは魔法を、シルヴァンは斧槍による横方向へ薙ぎ払いを放った。
それが直撃した敵は氷魔法で凍結して落下すると、少しの間身動きが取れなくなる。
「好機!!畳みかけよ!!」
「はい!!」
シルヴァンはここぞとばかりに、次々と槍技による連撃を喰らわせる。長い攻撃範囲を活かした素早い突き攻撃から、先端の斧部分を使用した高威力の垂直斬りで、カチカチになった本体部分に何度もそれを振り下ろす。
アテナは『グラビティ・フォール』を使って上から押し潰すように圧力をかけ続け、魔法が発動している間にチャクラムで針状の触手を砕いた。
「しぶといわ!!いい加減に倒れよ、毛玉め!!」
シルヴァンはさらに間合いを取って離れると、そこから光属性攻撃『雷撃這貫死槍』を放った。
「喰らえ!!渾身の一撃、駆けよ稲妻『雷撃這貫死槍』!!」
バリバリバリズガガガガンッ
青白い雷撃が何度もクトゥルフ・エレ・シアエガの躯体を貫き、それに合わせて空中へ飛び上がったシルヴァンの全体重を乗せた脳天突きが突き刺さった。
カッ…
次の瞬間、ビキビキと亀裂の入った凍結状態の躯体から、放射状に閃光が瞬く。
「な――」
この光は…!!
〝自爆!?〟
アテナとシルヴァンの頭に、その二文字が同時に浮かんだ。
「反転!!『ディフェンド・ウォール』!!」
シルヴァンは斧槍を抜く間もなく、咄嗟に両腕を顔の前に交差して身を庇うと、敵を蹴って飛び退いた。
アテナは瞬間詠唱で唱えたディフェンド・ウォールを裏返し、シルヴァンではなく敵に向けて発動すると、穹窿形の防護障壁がその直前に包み込んだ。
ドオオオンッ
真っ白い光が大広間を照らし、その轟音だけが鳴り響く。
クトゥルフ・エレ・シアエガは凍結したまま瀕死になると、止めを刺される前に自爆したのだ。
その捨て身攻撃は、半径五メートル以内に存在するものを高熱と衝撃で消し飛ばすほどの威力があったが、その爆発をアテナの機転で、反転させたディフェンド・ウォールの障壁内に閉じ込めることが出来た。
そうして飛び散った敵の本体は、障壁内の床にバラバラになって落下したのだった。
「大丈夫ですか!?」
着地したシルヴァンにアテナが駆け寄る。
「問題ない、命拾いをしたぞアテナ、感謝する。止めを刺す前に自爆するとは凶悪な…暗黒界の生物は油断出来ぬ。」
「良かった…お礼は要りません、私達は〝仲間〟なのでしょう?それよりすぐにイゼスさん達を!」
アテナとシルヴァンが、飾り柱に括り付けられたイゼス達を振り返った瞬間、その凶悪な攻撃が足下から襲いかかった。
「赤黒き闇獣よ、我が命に従いて贄たる者らの血肉を捧げよ、『アルプトラウル・リトゥアール』。」
グオッ…
「シルヴァン!!」
「下だアテナ!!」
ぐにゃりと歪んだ足下と殺気にハッとした二人は、床に輝く漆黒の魔法陣に目を見開く。
「ディ、ディフェンド・ウォ――」
「間に合わん、来い!!」
「きゃあっ」
防護魔法を唱えようとしたアテナの腕を掴んで引き寄せると、その腰の辺りを抱きかかえて、シルヴァンは下に向かい斧槍を突き立てた。
ドンッ…ズオオオオオオッ
地面を蹴って飛び上がり、さらに得物の柄を足場にして、魔法陣からドロドロと湧き出る純黒の液体と、海中から飛び出す鯱の如く、迫り上がる巨大な化け物の開口から逃れようとした。
バグンッ
――が、到底間に合わずに、それに飲み込まれる。直後…
「暗黒を打ち払い、輝け!!『ルストゥエルノ・アステリ』!!」
カカカカッ…ドドドドドンッ
その闇獣の内部からシルヴァンの声が響き、広範囲に広がっていた暗黒魔法を、天から降り注ぐ幾筋もの光線が消し去った。
スタッ…ストン
霧のように消散した闇獣の中から、薄い保護膜のようなものに包まれたシルヴァンと、シルヴァンの腕の中にすっぽりと包み込まれるようにして守られた、アテナが姿を見せ、無傷で地面に着地する。
「――ちえっ、『守護七聖主の加護』か、面白くないなあ。せっかく戦闘終了時の油断した隙を狙ったのに。」
シュンッ…スタンッ
声変わり前の子供の声でそう愚痴り、アテナとシルヴァンの前に転移して来たのは、ルーファスの推測通り、以前王都の軍施設で遭遇したカオスのあの少年だった。
「やあ、招かれざる客人のお二人さん、ごきげんよう。一応〝初めまして〟になるのかな?僕はカオス第七柱<ヘプタゾイレ>、死遊戯のシェイディ。以後お見知りおきを。」
そう言って禍々しい黒い気を纏った少年は、イゼスとレイーノが括り付けられた飾り柱の前に立ち、深々とお辞儀をして邪悪な笑みを浮かべるのだった。
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