10 記憶の片鱗
ルーファスが読み上げた文章のその声に反応するかのように、キー・メダリオンが光り輝くと、失っていた記憶の片鱗がルーファスの中に甦ります。突然押し寄せる感情の波に押し潰されそうになったルーファスの頭には、『思い出すな』と、誰かの声が響いたようですが…?
――今の声は…なんだ?頭の中に、直接響いて来た…?
俺はなにが起きたのかすぐには理解できず、呆然とその場に立ち尽くしていた。目の前のウェンリーとリカルドが腕で庇うようにして俺を後ろに下がらせ、なにか言っている。
それが俺の名前を呼んでいるのだと気づくまでに、暫しの時間が必要だったほどだ。
テーブルの上のキー・メダリオンを見ると、目を開けていられないほどの強い光はすぐに弱まったが、未だ薄らとした七色の輝きを放っていた。
中央に嵌め込まれた青緑の宝石を中心に、その周囲の模様と古代文字を浮き上がらせて光っているような感じだった。
それはこれ自体がなにかの駆動機器であるように、突然機能が回復したことを表していた。
「ルーファス大丈夫か!?なにが起きたんだよ…!!」
当然だが、俺の腕を掴んでいるウェンリーも驚いて混乱している様子だ。
その横でリカルドも同じように驚愕の表情を浮かべて、慌てるアインツ博士とトニィさん、クレンさんと一緒にキー・メダリオンから少し距離を開けて注意しながらそれを見ていた。
「キー・メダリオンが光を…ルーファス、なにをしたのですか…?」
リカルドが困惑したように俺を見て尋ねる。
なにを…?そう聞かれても、俺はなにもしていない。
「いえ、リカルドさん、ルーファスさんはこれに触れてもいませんでしたよ?ただ僕が見せたキー・メダリオンの図面に書かれた、解読済みの文章をそのまま読み上げただけなんです…!」
そう説明してくれたのは傍で見ていたトニィさんだった。
そう…確かにそうだ、俺はキー・メダリオンに彫られている、古代文字を解読したという文章を読み上げただけ――
「どうやらその文章が起動、若しくは作動開始の効果呪文だったんじゃろう。じゃがだとしてもそれが実際に効果を発揮するなど…信じられん。」
アインツ博士はチョビ髭を撫でながら続ける。
「そもそもルーファス君が読み上げたのは、古代語ではなく現代の言語じゃ。『効果呪文は、古代言語を正しく発音できなければその効果を発揮しない』とされる考古学界の仮説通りであったならば、個人を識別する声紋指定であるならともかく、言語の異なる文言で作動するなどあり得ないんじゃ。」
どういうことなのかさっぱりわからない、と博士は首を捻った。
やがて博士達があれこれ話している内に、その効果が切れたのか、キー・メダリオンの光がふっ…と目の前で消え失せる。
それを確認すると、彼らは実験と称して、効果呪文と思われる俺が読み上げた文章を、同じように読んで再現してみた。
だがキー・メダリオンが輝くことはなく、さっきのような現象は起きない。
それなら、と今度は俺にもう一度試して欲しいと言って来た。
俺は迷った。もしまた同じ現象が起きれば、それはもう〝偶然〟ではなく〝必然〟だからだ。そうなったとしても俺にはなにも説明できない。理由を聞かれたところで、知らないものは答えることなど出来ないのだから。
しかしこれは俺の杞憂に終わる。同じように文章を読み上げても、今度はキー・メダリオンはなんの反応も示さなかったからだ。
その結果先程の現象は、偶然なにかに反応して、効果呪文が誤作動を起こしたのだろうという結論に落ち着いたのだった。…真実はともかくとして。
「――アインツ博士、これは正確に、いったいなんの用途に用いられるものなのですか?今でもしっかり機能するところから見ても、そんなに古いもののようには感じないのですが…」
腕を組み、キー・メダリオンに視線を落としながらリカルドが尋ねる。
「わしらの研究によるとだな、キー・メダリオンは『聖櫃の封印を解く鍵』だと言われておる。その聖櫃の中にはなにが入っておるのかまではわからんのじゃが、『マスタリオンの祭壇』という言葉が度々古代文献に記されておることから、なにか重要なものが中に入れられていることだけは間違いない。」
『聖櫃』とは、なんらかの重要な遺物が収められた箱のことで、大抵は中に人が容易に触れてはならないような歴史的宝物などが入っていたりする。それ故に『聖なる櫃』と呼ばれるのだ。
アインツ博士の説明はさらに続く。
――これはどこか一箇所に使用されるものではなく、その表面に彫り込まれた紋章と同じ紋様が刻まれた扉や遺跡が世界中のあちこちに見つかっていることから、そう言った場所でも扉を開く鍵として機能する可能性があるらしい。
考古学的にも歴史的価値の高いそう言った場所は、調査目的で鍵がなくても扉はこじ開けられ、盗掘にあったり、勝手に中のものを持ち出されたりするものなのだが、それらの記された扉や遺跡に限っては、途轍もなく造りが頑丈で、破壊して内部に入ろうとしてもどうやっても壊せず、考古学者の間では『開かずの歴史』として有名らしい。
それだけに考古学者は皆アインツ博士達のように、この『キー・メダリオン』を血眼になって探しているのだそうだ。
「リカルド君が言うように、このキー・メダリオンは今もその機能を失ってはおらぬようじゃが、年代的には少なくとも一千年は前に作られた物だと判明しておる。」
「一千年も前ですか…!確かその頃時代は古代戦争末期ですよね?フェリューテラの三分の一が焦土と化したという――」
「その通りじゃ、さすがリカルド君は博識じゃの。エヴァンニュでは古代期の歴史を幼年学校で学ばせることを禁じておるからの、一般には殆ど知られておらんのじゃが。」
「私はこの国の出身ではありませんからね、ウェンリー辺りは聞いたこともないのではありませんか?」
リカルドが博士の話を確かめるようにウェンリーに話を振った。俺はキー・メダリオンをじっと見ながら、ただ黙って彼らの話を聞いている。
その会話を耳に入れてはいるものの、別のことに気を取られて集中できてはいなかった。だがそれでもこれに関する詳細は、聞き逃すまいとして努力はしている。
「ああ、ねえな。…てかさ、幼年学校で学ばせねえってことすら初めて知ったぜ?俺は勉強嫌いだから構やしねえけど、なんでなんだ?」
「嫌だなあ、現国王陛下の考古学嫌いは有名ですよ?ウェンリーさん。二十年ほど前は観光地として賑わっていた遺跡街ルクサールが、あんな風に廃れて過疎化したのは、元はと言えばロバム・コンフォボル国王陛下が――」
「クレン、その話はまずいよ。」
ウェンリーに説明しようとしたクレンさんを、トニィさんが唐突に止めた。なにがまずいのか俺達にはわからなかったが、クレンさんは慌てた様子で今の話は聞かなかったことにして下さい、と言ってそのまま説明を打ち切った。
この時開いていた応接室の入口から、失礼します、と言って、アインツ博士達の手伝いに来たのだと思われる、学生らしい若い男女が顔を出した。
指示された内容の手伝い分が終わったと報告に来たらしいのだが、気づけば俺達がここを訪れてから既に四時間が経過していた。
もうこんな時間か、と慌ててトニィさんは学生達とどこかへ出ていく。
「――ルーファス?先程から極端に口数が減っているようですが、大丈夫ですか…?」
「そう言や簡単な返事をする以外、ずっと黙りこくってるよな…どうした?」
ウェンリーとリカルドが俺を気にし始めた。…さすがにいい加減、気がつくか。
「ああ…いや…」
なんでもない、と言おうとして言葉に詰まる。そう否定するには今の俺はかなり動揺していて、実は話を聞いているのが精一杯だったからだ。
――それを悟られまいとして、俺は二人から目を逸らした。
「アインツ博士、イシリ・レコアに続いているという、その遺跡の場所を教えて貰えませんか?」
俺は二人の視線から逃げるように、当初の目的である本題に戻そうとしてアインツ博士にそう尋ねた。
今はこちらが優先だ、俺のことは…後でいい。
「むう…それならルーファス君、リカルド君、真面目な話…遺跡探索の護衛の件、なんとかならんかのう?」
アインツ博士がモジモジと両手の人差し指を捏ねくりながら、懇願するような目で下から俺とリカルドを見つめる。
「私達に正式な仕事の依頼をしたいということですか?」
今度は真剣な表情でリカルドが聞き返す。なぜわざわざ聞き返すのかと言うと、仕事の話となれば冗談を言ったりふざけたりせず、詳細に様々な条件や約束を取り交わし、契約を結ぶ必要があるからだ。
「じゃから真面目な話と言っとるじゃろう。ギルドに依頼を出したところで、引き受けてくれる守護者が見つからんのは毎度のことじゃ。じゃが今度ばかりはここで諦めるわけにいかん。わしらは必ずイシリ・レコアに辿り着ける。なんと言ってもその鍵である、『キー・メダリオン』が今ここにあるんじゃからな。」
そう言った博士の小さな瞳は真剣そのもので、決意も固そうだった。
「何度危ない目に遭っても諦めないその探究心には、本当に頭が下がりますよ。」
ふう、とリカルドが溜息を吐き、覚悟を決めて続ける。
「…いつもと同じようにもう一度確認しますが、命がけになることは理解していらっしゃるんですね?後ほどギルドの規約に従って、契約書と誓約書を書いて頂きますよ?」
「もちろんじゃ。」
念を押すリカルドに大きく頷き、アインツ博士はそう答えた。
そしてここからは俺とリカルドの間での話し合いに移る。今までアインツ博士のこう言った護衛依頼は、リカルドが個人的に引き受けていたようだが、今回は俺にも深く関係があるからだ。
だからこそリカルドはすぐにこの場で俺に向き直り、パーティーとしてどうするかを尋ねて来た。
「最終的に私一人でも受けるつもりですが、パーティーとして受けられれば博士達の危険度が大きく下がります。私としてもあなたが一緒に来てくれるのであれば、安全性を重視した計画を綿密に立てられますから万全なのですが――」
リカルドが話し終わらないうちに、傍で聞いていたウェンリーが大声でいきなり口を挟んだ。
「冗談じゃねえ、俺は反対だ!!リカルド一人でも受けるってんなら、そいつに任せりゃ良いだろルーファス…!俺だって亡くなったあの女の人の願いは叶えてやりたいと思うけど、そのせいでおまえに危険が及ぶってんなら話は別だ、認めねえからな…!!」
ウェンリーはあからさまな敵意を向けてリカルドを睨んだ。
リカルドはその態度に酷く顔を歪ませて、呆れたように侮蔑の視線をウェンリーに向けると、そのまま俺を見ずに問いかけた。
「――今まで聞いたことはありませんでしたが、あなたが仕事を引き受けるのに、彼の許可が必要だったのですか?」
…冷たい声だ。多分ウェンリーに対して相当激怒しているんだろう。これは俺が悪い。ウェンリーに予めこういう時のことを教えておかなかったからだ。
「いや…そう言うわけじゃないんだ。ただウェンリーは俺を心配しているだけで――」
リカルドの怒りを少しでも治めようとして、ウェンリーを庇おうとしたのだが、その言葉は途中でピシャリと遮られてしまった。
「ではなんの問題もありませんね。」
彼が俺にこういう態度を取るのは、これが初めてのことだ。それだけ酷く怒っていると言うことの表れなんだろう。
まずいな、リカルドを本気で怒らせてしまった。俺のせいだ…!
その怒りで一気に部屋の温度が下がり、険悪な空気が流れる。
「ウェンリー、あなたは常識を知らないようなので教えてあげましょう。私とルーファスは仕事上のパーティーを組んでいて、今はアインツ博士から私達に正式な仕事の依頼をされたところなのです。そしてこれは、私とルーファス、依頼主の間で話し合われる重要な契約前の商談であり、部外者のあなたに口を挟む権利は一切ありません。もしこう説明しても黙っていられないのであれば、今すぐここから出て行きなさい。」
至極当然の言葉だった。
だがウェンリーは納得するどころか、カッとなってリカルドに掴みかかろうとした。これには俺も黙って見ているわけにはいかなかった。
「んだとてめえ…!!」
「ウェンリー!!」
俺はウェンリーが伸ばしたその手を掴んで止める。
「リカルドの言う通りだ。後は俺とリカルドで決めるから、おまえは外に出て待っていろ。」
俺の言葉にウェンリーは酷く傷付いた顔をする。それでもここで甘い顔をすることは出来ない。反対する理由がなんであっても、正式に仕事を依頼されている以上、ここから先は俺達守護者の領域だからだ。
ウェンリーは俺の手を振り払い、部屋から飛び出して行った。
「すまないリカルド、俺が言うべきだった言葉をおまえに言わせてしまった。」
俺は確かにウェンリーに甘い。あいつがあんな風に口を出すのは、いつだって俺のことを心配してくれているからだとわかっているからだ。それだけについなにもかもを受け入れがちになってしまう。これは直さなければならない俺の問題でもあった。
謝罪した俺に対して、リカルドは笑って気にしないようにと言う。〝彼に嫌われても痛くも痒くもありませんから〟と付け加えて。
それから話を元に戻した俺達は、詳しい内容を博士達に確認した上で、最終的に依頼を受けることに決めた。
突発的に発生する護衛や魔物討伐以外の殆どの依頼は、当事者間の直接契約であっても、後のいざこざを防止する対策として、ギルドに届け出だけはしておく必要がある。
そうすることでもし仕事に失敗しても、他の守護者が同じ仕事を新たに引き受けられる上に、一定以上の責任を負わなくて済み、契約上で交わした最低限の報酬がギルドから支払われることになっている。
これは依頼者の損害防止と、生活のかかった守護者のただ働きを防ぐ、保護の仕組みだ。
他にも守護者によって異なる手法で手続きを取るのだが、俺達の場合はその依頼難易度によって書面で約束を残しておくようにしていた。
これはリカルドの方針で、全世界最高位守護者としての経験上、無理難題をふっかけられることが間々あったとかで、その牽制の意味合いもあるのだそうだ。
当然のことだが博士達の方にも準備期間が必要なので、遺跡調査に入るのは早くても再来週の頭ぐらいになる。
まだ二週間くらい時間があるが、それまでには俺達も全ての準備を整えておかなければならないのだ。…で、肝心の遺跡の場所だが――
「――ヴァンヌ山の中腹…ですか、そんなところに遺跡が…?」
俺もリカルドも思いも寄らぬその場所に驚いた。なんでも入口は完全に隠されており、表からでは知らなければ到底見つけられないようになっているのだそうだ。
一応リカルドがある程度の下調べをするために、地図でその場所を確認しておく。そこは俺とウェンリーがあの女性を埋葬したお墓がある近くのようだった。
あの女性はこの遺跡の入口を探して、あの辺りを彷徨いていたのかもしれないなとようやく合点が行く。
「これで場所がわかりましたから、事前調査が可能ですね。私の方で先にある程度調べて見ておきましょう。」
リカルドは事も無げに言う。
「おまえのことだから心配は要らないと思うけれど、周辺を調べるくらいにして一人で無茶はしないでくれよ?」
ふと嫌な予感がした俺は、釘を刺すことにした。だが当の本人はけろっとして、大丈夫ですよ、といつものように微笑んで返すばかりだ。
その後、キー・メダリオンをどうしても詳しく調べたいというアインツ博士達に食い下がられ、一時的にでも手放すことに抵抗を感じながらも、俺は仕方なくそれを預けることに承諾した。
「すっかり遅くなってしまいましたね。」
俺とリカルドが研究所の建物から外に出ると、昼食も取らずに時間は午後の三時を過ぎていた。
この時間からヴァハに帰るにはもう遅く、今日ももう一泊することになるだろう。
そう話しながら歩いて行くと、門の外で壁を背に、俯いて座り込んでいるウェンリーを見つけた。
その様子からまだ落ち込んだままであることが見て取れる。
俺はリカルドに目で合図を送り、席を外して欲しいと暗に伝えた。
「――では私はこれからギルドに行って来ます。他にも少々用事があるので、今日はここで別れましょう。なにかあれば夜にでも私の部屋を訪ねて下さい。」
「ああ、そうするよ。」
俺の意図を察してくれたリカルドは、そう言って頷くとウェンリーを一瞥してこの場を去って行った。
残った俺は足元のウェンリーを前に溜息を吐く。
さて、どうやって宥めたものかな。…本当に俺はウェンリーに弱い。
「…ウェンリー。」
声を掛けてからしゃがんで、顔をよく見ようと覗き込んだ俺はギョッとした。なぜならウェンリーは、散々泣きまくったような、ぐしゃぐしゃな顔をしていたからだ。
「な…なんで…なに泣いているんだよ、ウェンリー。」
確かに傷ついた顔をしてはいたが、まさか泣くとは思わなかった。
「…っせーな、目にゴミが入って痛えんだよ。」
全く説得力のない言い訳をして、ウェンリーはずびっと鼻を啜る。
「結局、引き受けたんだろ?アインツ博士達の護衛依頼。…ただ情報だけ貰って、ハイさよなら、ってわけにはいかねえもんな。…わかってたけどよ。」
腫れかかった目を擦ってウェンリーは立ち上がる。俺も一緒に立ち上がると、大きな子供のようなウェンリーに微苦笑しながら続けた。
「…まあな、そういうことだ。…今日は遅くなったから、もう一日泊まって明日の朝帰ろうと思う。どこかで昼飯を食べてから宿に戻るか?腹も減っただろう。」
俺がそう尋ねると〝そんな気分じゃねえ〟とウェンリーが言うので、俺達は適当な店に寄って食べ物を買ってから、そのまま宿の部屋に戻ることにしたのだった。
その帰り道、ようやく少し自分の頭の中で整理がついた俺は、ウェンリーにだけはすぐに話しておこうと思った。…そう、あのことについてだ。
「――ウェンリー。」
「んー?」
調子が戻って来たのか、ウェンリーは部屋に戻ってから食べようと思っていた、買ったばかりの惣菜パンを頬張りながら振り向く。
「俺の記憶が…少しだけ戻った。」
――宿の部屋に戻ると言葉少なに食事を済ませ、俺達は話の続きをすることにした。
俺は椅子に腰かけ、ウェンリーは俺の顔を見上げるように、床に胡座をかいて座っている。
「記憶が少しだけ戻ったって…もしかしてあの時か?研究所で、キー・メダリオンが光った…」
「ああ。」
そう話を切り出したウェンリーに俺が頷くと、ウェンリーは〝やっぱりな〟と呟いて続ける。
「様子がおかしかったから、どうしたのかと思ってたけど…なんで突然?」
「多分…あのキー・メダリオンが切っ掛けだと思う。黙っていたけど、最初にあれを見た時…どこかで見た覚えがあるような気がして仕方がなかったんだ。それもそのはずだ、あれは…あのキー・メダリオンは、元々俺のものだったんだからな。」
「え…――」
これにはさすがのウェンリーも、暫くの間驚いて固まっていた。
「あれが…おまえのもの?けどあれって…一千年は前に作られた物だって博士達が言ってなかったっけ…?」
――そう思うよな…やっぱり。…俺だって動揺したんだ、ウェンリーは特に頭の回転が早いから気がつかないわけがない。
「ああ、そうだ。俺が当時の仲間の一人と協力して、なにかに使うために『アルティマイト』という稀少鉱石を特殊加工して作った。…そのなにかはまだ思い出せないんだけど――」
「おまえが作ったのかよ!?ちょ…ちょっと待て、え?いや、だけど…それじゃあ、おまえの年…って…」
俺とウェンリーの間に、ほんの寸刻、張り詰めた空気が流れた。
「……少なくとも一千年以上、だな。思い出した記憶の片鱗を考えてみると、実際はもっと永く生きているような気がする。」
「…マジか…」
それきり黙り込んだウェンリーの、理解が追いつくのを俺は待った。
なにもかもを思い出せたわけじゃなく、本当にほんの少しだった。だがそれは自分のことながら最も俺に動揺を与え、事実として受け入れるのにはかなりの覚悟が要った。
「それだけじゃないんだ、ウェンリー…俺は多分、『不老不死』だ。理由はわからないけど、老いることも死ぬこともない。永遠にこのままだ。」
「ええ?けどおまえ、あんな大怪我して死にかけたのに――」
「でも実際、生きているだろう?」
ウェンリーの言葉を遮って俺は首を横に振る。
頭の中で響いたあの『声』が思い出すな、と止めた時、俺に襲いかかっていた感情は、死にたいのに、死ねないことによる〝苦痛〟と〝絶望〟だった。
こんなことをウェンリーには話せない。
「…怪我をすれば一応痛みは感じるし、血も流れる。それでもすぐに傷は治るし、死ぬことはないみたいなんだ。十年前は意識不明だったことから考えると、怪我の程度によっては仮死状態になるのか、傷が癒えるまで眠りにつくのか…そんなところかもしれない。」
きちんと思い出せているわけではないので推測に過ぎないが、それでも俺の中に残っていたあの感覚が、俺が不老不死であることを確かに告げていたのだ。
俺のこの説明に、ウェンリーはさらに絶句した。
それはそうだろう、こんな話を聞かされて…どう返せば良いのかなんて、俺にだってわからない。ただ…このことを思い出したことによって、俺はある意味覚悟が決まった。
俺の話を聞いた後で、たとえウェンリーがどう変わろうとも…俺は受け入れるしかないのだ、と。
だがウェンリーの反応は俺が思っていたのとは違っていた。
「思い出したのって、それだけか?」
長い時間考え込んでいたウェンリーが、その顔を上げて聞いてくる。
「え…?」
「キー・メダリオンと、身体のことだけかって聞いてんの。おまえが記憶を失った原因とか、なんであんな大怪我してたのかは思い出せたのかよ?」
その表情は真剣そのもので、そこに俺に対する感情の変化は一切見られなかった。おまけに――
「――俺、ずっと不思議だったんだよな。不老不死とか以前に、おまえは強い。大型だろうが変異体だろうが、少なくともここいらの魔物なんかに、あんな大怪我をさせられるとは思えねえんだ。だとしたら、あの怪我はおまえ以上の存在にやられたってことなんじゃねえのかな。」
俺は心底驚いた。今までそのことを疑問に思ったことすらなかったからだ。
俺が記憶を失った原因…十年前の俺の怪我――単に魔物にやられたんだろうと、疑いもしなかった。
考えてみれば確かにそうだ、俺はヴァハに来た当初から異常なほど戦い慣れていた。記憶にはなくても怪我をした状態でさえ子供だったウェンリーを守ることが可能だったのなら、ヴァンヌ山の魔物では元から俺の相手にはならなかったことになる。
実際俺は、あれ以降この十年間、ただの一度も掠り傷程度の怪我以外に傷を負ったことがなかった。
なぜ今までそのことに気づかなかったのか…ならば俺のあの大怪我は、なにが原因で負ったものだったんだ…?
「――――」
得体の知れないなにかに、背筋が寒くなるような気がした。
「…わからない。怪我をした時のことはまだ思い出せていないんだ。…今おまえに言われるまで考えたこともなかった。確かに俺は魔物の集団に襲われても、そう簡単にあれほどの怪我を負わせられることはないかもしれない。」
「やっぱそうか…」
ウェンリーが再び考え込んで眉間に皺を寄せている。
「俺が思い出したのは、それだけだ。いつ、どこで生まれたのか、家族がいるのか…故郷はどこなのかとか自分の出自についてもまだわからないままだ。キー・メダリオンが輝いたあの時、他にもなにか思い出せそうだったんだけど――」
そこまで言って言葉に詰まる。
「…だけど?」
途切れた言葉の続きを促して、ウェンリーが言葉尻を繰り返した。
俺はあの頭の中に響いた声のことを話そうかと思ったのだが、どう説明したらいいのかわからなかった。
『だめだまだ早い、思い出すな!!』
あの声に意識を向けた途端に、流れ込んできた感情の波も、思い出せそうだった記憶も一瞬で消えてしまった。…それなのに、どこかほっとしている自分がいる。
実は俺は…記憶を取り戻すことが少し怖くなっていたのだ。
急激に押し寄せた様々な思いの中に、普段俺が感じたことのない感情が混じっていたからだ。それも考えただけで身体がすぐに反応してしまいそうなほど、強く凄まじい激しさを伴ったものだ。
あれが自分の感情だとは…とても信じられない。
それが思い出せない記憶のどんな出来事から来るのか…想像するのも恐ろしかった。
「だけど、なんだよ?」
訝しんだウェンリーが首を傾げて聞いてくる。
「いや、なんでもない。」
上手く話せそうにないので、このことは打ち明けるのをやめることにした。
――こんな話を聞いた後でも、ウェンリーはいつもと変わりなく俺に接し、俺を心配している。
俺が少しでも失った記憶を思い出せたのに、あまり嬉しそうじゃない、と言ってなにか勘繰った様子だ。
俺がウェンリーに対して今までの関係を疑うように、もし気味悪がられるようになっても仕方がないと、一瞬諦めたことを見抜かれてしまったみたいだ。
ウェンリーはすぐさま、余計な心配をするんじゃねえ、と言って俺の懸念を吹き飛ばす。
俺は良い機会だと思い、普段俺がウェンリーに対して思っていることや感じていることを、きちんと言葉に出して伝えようと思った。
「――俺は…記憶が戻らなくても、十分幸せだった。長やゼルタ叔母さんは俺を実の息子のように思ってくれているし、なによりも…俺には、おまえがいる。」
…知っているか?ウェンリー…人は、たとえどんなに辛いことがあっても、自分を信じて、いつ、どんな時でも味方になってくれる存在が、ただの一人でもいてくれれば、それだけで強くなれるんだ。
俺にとってのおまえは、そういう存在なんだと…ウェンリーにそう伝えた。
「俺はおまえが大切だ。多分、自分が思っている以上にだ。親友と言うより、家族に近いと思っている。…まあさすがに一千年以上とは、年が離れすぎているとは思うけど。」
そう言って笑いかけた俺に、ウェンリーはここで茶化すのかよ!と口を尖らせる。
それから俺は話を切り替え、今度はこれからのことを話すことにした。
「イシリ・レコアのことだけど…キー・メダリオンが俺のものだと思い出した以上、そこに行けばなにかしら俺に関わる手がかりも、一緒に見つかる可能性が高いと思っている。」
聖櫃や封印、それからあの女性が最後に残した言葉の意味も、その全ては結局行ってみなければわからないことだ。
そこに考古学に詳しいアインツ博士達が一緒に行くのなら、きっと詳しいことも調べてくれるだろう。…まあ、まずは無事に辿り着くことが先決だが。
「だったら俺も行く。」
ウェンリーが突然言い出した。
「おまえに関係がありそうなら、俺も一緒について行く。連れてってくれよ、ルーファス。」
いつもとは違って、我が儘を言うのではなく、落ち着いた表情で俺を見てウェンリーはそう口にする。
「――できるならそうしてやりたい。でも今度ばかりは無理だ。理由はおまえもわかっているよな?」
「…俺は守護者じゃねえし、仕事として博士達を守らなきゃならねえからだろ?わかってるよ、でもそれでも…!」
「だめなものはだめだ。未知の遺跡探索で護衛の仕事が大変なことは、リカルドの言葉を聞いてわかっただろう。それに今のおまえは、まだ自分で自分の身をきちんと守れない。それで万が一のことがあったら、俺が仕事にならないんだ。いくらリカルドがいても、全滅だってしかねない。アインツ博士達をそんな危険にさらせると思うのか?」
「……っ」
ウェンリーはそれ以上もうなにも言わなかった。
ウェンリーだってわかっているのだ。強情で頑固で、一度言い出したらどんなことをしても実行しようとする面を持っていても、今度ばかりはどうにもならないんだと言うことを――
翌日、ギルドで正式に手続きを済ませたことと、ヴァンヌ山にいた『ダークネス』は討伐済みで、もう心配は要らないと言うリカルドと挨拶を交わした後、また正確に仕事の日程が決まってから会う約束をして、俺とウェンリーはヴァハへと帰った。
それから暫くの間は、これと言って何事もなく平穏に過ぎて行った。
ただメクレンから戻って以降、イシリ・レコアのことを一切口にしなくなったウェンリーは、取り憑かれたようにひたすら魔物との戦闘訓練に明け暮れていた。
その進歩は目覚ましかったが、当然ターラ叔母さんがいい顔をするはずもなく、家に帰っても喧嘩ばかりするようになって、遂には俺の部屋に入り浸るようになってしまった。
一応毎日着替えには戻っているものの、ターラ叔母さんとは顔を合わせていないらしく、食事も俺と一緒にしていることから、さすがに長とゼルタ叔母さんが心配して家に帰るように言ったのだが聞かないのだ。
ウェンリーは一人息子で、父親のラーンさんは現在、この国の王都で軍人として働いている。つまりは雑貨屋を営んでいるウェンリーの家には今、ターラ叔母さんが一人きりだ。
俺にしてみれば無条件で自分を思い、心配してくれる母親がいると言うだけでも羨ましいのに、その母親を一人にしておくウェンリーの気持ちだけは理解できなかった。
そして今日も、ヴァンヌ山での日課にしている魔物討伐を俺と一緒に終えた後、着替えだけしに一旦家に帰ったウェンリーが、少し機嫌の良さそうな顔をして俺の部屋に戻って来た。
俺の部屋は言うまでもないがそんなには広くない。一人用の寝台と、机に衣装箪笥と五段引き出しの付いた物入れが置いてあって、まあウェンリー一人ぐらいなら床に寝具を敷けば寝られることは寝られるが、俺自身はごちゃごちゃして汚い部屋を嫌うため、ウェンリーがその辺に散らかす私物には困っていた。
「ウェンリー、その辺に読みかけの本だの、エアスピナーの留め金だの転がしておくなよ。足の踏み場がないじゃないか。」
文句を言いながら仕方なく俺が、それらを脇に寄せて片付けて歩く。
「隙間ならあんじゃん、気にすんなよ。なあなあ、それよかさ、アインツ博士の護衛の仕事まで、まだ日にちがあったよな?」
唐突にウェンリーが目を輝かせてそんなことを言い出し、俺の返事を待っている。見るとその手には手紙らしき封筒を持っていた。
「?…ああ、まだリカルドから連絡も来ないしな。一応明日辺りまたギルドに行こうかなとは思っていたけど…それがどうした?」
期待通りの返事に、なにやらウキウキと顔を明るくして話し始める。
「久しぶりにさ、親父から手紙が来たんだよ。んでな、王都の国際商業市に合わせて休暇が取れたから、おまえと二人で遊びに来ねえかって、シャトル・バスの乗車券を送ってくれたんだ!」
国際商業市…それは、数年に一度の割合で盛大に開かれる、商人達の祭典だ。
外国からも沢山の商人が品物を持って来て露店を出し、エヴァンニュ中から人が集まって三日間に渡り王都のメインストリートで催される。
過去に一度行ったことがあったが、その時はあまりの人出に目を回したほどだった。
そう言えば誰かさんが俺から逸れて迷子になり、探すのにかなり苦労した覚えがある。
「だからさ、一緒に行こうぜ王都!!」
満面の笑みを浮かべてウェンリーは俺にそう言ったのだった。
差し替え投稿中です。※2023/03/13現在。