バスティーユ監獄 零 その三
フレグ・ランスリットと出会い、命を救われたことから、彼の復讐に手を貸そうと思い立ったライですが、二階は完全な要塞と化していました。一度階段に戻り、準備をして再度攻略を開始します。防壁を突破し、その先に待っていたものとは…?
【 バスティーユ監獄 零 その三 】
――バスティーユ監獄の中でも、形容し難いほどの凶悪犯罪者が収容されているという二階は、扉を開けた瞬間から異様な場所へと変化していた。
この限られた監獄内にある、有りと有らゆる物を用いて築かれた対魔物防壁に、階層をやって来る人間を探知する原始的な鳴子仕掛けや、通路に所狭しと設置された食糧確保が目当ての罠など、完全な要塞と化していたからだ。
良く愚か者と天才は紙一重、と言うが、狂った思考の持ち主ほど悪知恵に長け、悪人ほど舌を巻くほどの知恵者であったりすることがある。
どうやらこの階に収容されている者達は、少しの油断もならないほどのそれに該当する紙一重達らしい。
さっきも言ったが、マグワイア・ロドリゲスという凶悪犯罪者は、真っ当な人間であれば軍の上層部に食い込めるほどの才を持っている。
それは戦闘能力だけでなく、他者を纏めて巧みに操り、思う通りに支配下に置く、そんな上に立つ者の資質さえ兼ね備えていたからだ。
そんな奴がこの階を牛耳り、似たような凶悪犯罪者達と徒党を組んでいたならば、戦場を生き抜いた俺でさえ相手にするのは骨が折れることだろう。
俺達が扉を開けた瞬間に、仕掛けられていた鳴子が激しく音を立てた。
その音に反応した魔物がすぐに集まって来る。その数はざっとコバルトヴィヴルが十体ほどだ。
ここまで問題なく降りて来た俺達は、それをものの数分とかからずに全て倒した。だがすぐに昇降機の扉が開き、同じような数の魔物が次々と出現する。
――なるほど、この二階は移動時間が短く頻繁に昇降機が止まるから、一階の搬入口から入った魔物が最も素早く補充されるんだな。上階のように倒してからある程度の余裕が生まれる時間さえないわけだ。
下階へ行くほど囚人の生存率が下がり、凶悪な犯罪者ほど下の階に収容される、と言うその理由も納得だった。
だが俺の目的はこの階ではなく、一階にある制御室へ向かうことだ。ならばなんとしてもこの階を通り抜けて下へ行かなければならない。
俺はフレグを守りながら魔物を倒しつつ、周囲の状況を少しずつ見て読み取っていった。
対魔物用に作られた防壁は、元からある壁と壁の間を埋めるように立てられており、ボドゥモスキート対策なのか、天井までしっかりと塞がっている。
厚さがどの程度あるのかはわからないが、端の方に人が出入り可能な大きさの扉のような物と、そのすぐ手前に複数の罠が設置されていた。
そしてなにより腹が立ったのは、俺達が魔物を相手に連戦している間中、この階の囚人と思しき者共の視線を感じ、防壁の向こうからせせら笑う男女の声がずっと聞こえていたことだった。
そのことから連中は、俺達が魔物に殺されるのを見世物でも見るように見物しているのだろうと思った。
思い通りになる前に、一度階段に戻り、あの防壁を破壊する手段を考えた方がいいかもしれん。そう考える。
「フレグ、さすがにあの防壁を破壊する手段はないよな?」
連戦が続き、苦しそうに息を吐くフレグに確かめる。
「調合すれば爆薬を作れなくもないが、あれを破壊出来るほどの威力にまで上げるには、可燃材が足りねえ。」
「――だが威力は多少足りなくても、爆薬のようなものは作れるんだな?」
「ああ、作れるには作れる。」
「…そうか、なら出直しだ、一旦階段に戻るぞ。」
俺はこの階を攻略するには事前に準備が必要だと考え、魔物除けの特殊剤を撒き、再びパスコードを入力して階段に戻った。
そこで俺はフレグと話し合い、細かな作戦を立てる。あの壁の向こうにどれほどの数の囚人がいるのかはわからないが、端にあった入り口から入れたとしても、待ち受ける人間を一度に倒すのはさすがに難しい。
ならば威力が足りないという爆薬を複数調合して貰い、後はあの『コバルトヴィヴル』の突進攻撃を上手く誘導して、爆破と同時に防壁への衝撃を加える作戦を立てたのだ。
壁が壊れて魔物が雪崩れ込めば、大勢の囚人がいたとしても全てを相手にする必要が無くなる。
中には魔物を倒せるような人間もいるかも知れないが、それでも大半は逃げ惑うしかなくなるだろう。
その騒ぎが治まった後でフレグはマグワイア・ロドリゲスを狙い、俺は下階への階段を探す。…と言うのも、二階から一階へ向かう階段はこれまでと違い、その場所が隠されていることを事前にアーロンから聞いていたからだ。実はこれが難関だったのだ。
そうして一時間ほどをかけ、フレグに作成可能なだけの数の爆薬を用意して貰うと、計画を実行に移した。
まず最初に、俺はアーロンから貰った魔物除けの特殊剤を使って、元からこの階に存在していた壁にそれを降りかけた。
こうすることでコバルトヴィヴルを含めた魔物は、この付近に近付かなくなる。
その上で今度は、上階での対人戦で人間の返り血を浴びていた俺が囮となり、監房にある素材で後から作られた防壁の部位に爆薬を仕掛けると、コバルトヴィヴルとの戦闘を開始した。
血の匂いに興奮した魔物は、鼻息を荒くしてひたすら突進攻撃を繰り返してくる。引き付けて壁へと誘導するにはギリギリでそれを躱す必要があり、俺としても命懸けの囮だった。それでもどうにか上手く行き、威力の足りない爆発音と、ドゴーンッ、ドゴーンッという衝突音が辺りに響き渡る。
俺達の狙いにようやく気づいた中の囚人達は、慌てた様子で騒ぎ出した。
「おい、てめえらなにしてやがる!!」
壁の端にあった扉から何人かの囚人が飛び出して来る。その拍子に壁全体の均衡が崩れ、ぐらりと防壁が歪んだ。
「今だフレグ、走れ!!」
「おう!!」
魔物の突進攻撃とフレグの爆薬、扉が開いたことによる均衡の歪み、その三つが合わさり、魔物除けの防壁は呆気なくガラガラと轟音を立てて崩壊した。
そうして開けた視界の先は、上階とは異なり、監房と監房の間に主要通路がある、広場のような場所になっていた。
俺とフレグは崩れた壁を越えて魔物と共に雪崩れ込み、恐慌状態になった囚人達を無視して、手近の開いている格子扉から真っ先に監房の中へと逃げ込んだ。
扉が開かないように傍に落ちていた鉄管を噛ませて、魔物による殺戮がある程度終わるまでその場で待つ。
するとどこからか武器を持った十人ほどの囚人がやって来て、魔物を片っ端から倒して行くと、逃げ惑う人間には目もくれずに、壁を塞ぎにかかった。
「壁を塞げ!!早くしろ!!」
半分の男囚人達は魔物を無視して崩れた防壁に駆け寄り、手慣れた様子であっという間に再建した。
それを見ただけでも、如何にここの囚人達の統率が取れているか、窺えるというものだ。
俺は目に見える範囲の人数を目算でざっと数える。男女合わせて百人近くはいるだろうか…これは予想以上に多い。
おまけに想定外だったのは、魔物を倒しに出て来た男達が手にしていた武器だ。
憲兵に支給されるものと同じ、銀製の剣<シルバーソード>や、鉄製の手斧<アイアンアックス>、盗賊などが好んで使う曲刀に短剣など、あり得ないものを持っている。
これは明らかになんらかの形で買収された憲兵が、この階の囚人達に与えたものに違いなかった。
――魔物に囚人の監視をさせるのも非人道的すぎると思ったが、極刑に処される側の凶悪犯罪者に武器を持たせるなど、それ以上にあり得ん…もうこの監獄の異常性は良くわかったが、この島の憲兵隊は芯から腐り切っているな。
防壁を直し、侵入した魔物を全て倒すと、武器を持った囚人達は俺とフレグが逃げ込んだ監房の前に集まり、俺達を睨んだ。
「やってくれるじゃねえか…おかげで手下が二十人は減りやがった。どっちが考えた案だ?」
手にしたアイアンアックスを肩に担ぎ、若白髪の混じった焦色のボサボサ頭で男が言う。
手下…こいつが頭?…マグワイア・ロドリゲスはいないのか?
「勝手に通路を塞ぐからだろう。通り道に邪魔な障害物があれば、取り除くのは当然だ。」
実力的に見て、ここにいる十人ほどの囚人を先に倒してしまえば、かなりここの戦力を減らせそうだった。
俺は試しに男を軽く挑発してみる。これに乗ってくるようなら正真正銘の馬鹿だ。ここを纏めている人間が他にいる証拠にもなるだろう。
「それに…残念だったな、俺達が魔物に食い殺されるのを楽しみに見物していたんだろう?賭けでもしていたか?ここは娯楽が少なそうだしな。」
「――そうか、てめえか。檻から出て来いや、魔物に殺された方がマシだったって吠え面かかせてやる。」
…違うな、やはりこの男は頭が悪そうだ。
「その程度の人数で俺を殺せると思うのか?…一応忠告はするぞ。貴様らでは俺に勝てん。死にたくなければ飼い主のところへ戻れ。」
俺はそう話す影で後ろにいたフレグに、俺が監房から出たらすぐに鉄管を格子扉に挟んで、絶対にここから出るな、と目配せをした。
囚人達は俺を嘲笑い、牢の中からなにをほざいてやがる、と耳を貸さなかった。
相手は十人…上階のように武器とは言えないようなもので襲いかかってきた連中とは違い、少し本気で相手をする必要があった。
「心配するな、今そっちへ行く。」
俺は監房から出る前に身体から闘気を放ち、囚人達を威嚇する。まともな奴ならこれを見た瞬間に尻込み、踵を返して逃げ出すのだが、さすがは監獄だ…そんな神経も麻痺しているらしい。
開かないように止めていた鉄管を外し、キ…、と金属の軋む音を立て、俺は鉄格子の外へ出た。…と同時に縮地を使って瞬時に囚人達との間合いを詰めると、上階で使ったのとは対照的な、致命傷を与えつつすぐには死へと至らせない凶悪技を放った。
「地獄へ落ちろ、『落葉突破死断−悶絶躄地−』。」
この剣技は舞い落ちる枯れ葉を剣先で突き、細切れにするように、軽い力で敵の肉体表面を切り裂き、急所には致命傷となる突き攻撃を加えて激痛を伴わせ、痛みに苦しんで転げ回りながら死に至らしめる。
これも『死鬼神黒円舞』同様に、見る者に恐怖心を与えて戦意を削ぐ効果があった。…何度も言うが、相手がまともなら、だな。
攻撃範囲が若干狭い分、今ので倒せたのは三人ほどだが、初撃としての効果は十分だった。
床に倒れ、痛みに悲鳴を上げて転がり回る仲間を見て、焦色髪の男は「野郎!!」と悪態を吐きながらアイアンアックスを振り上げる。
俺はそれを難なく躱して背後に回ると、この男以外の囚人から先に倒して行った。少なくともこの中では、この男が一番上の立場にいると判断したからだ。
――そうして俺とこの囚人の周りには、あっという間に血塗れの死体が転がった。
俺は剣先を男に突き付けて最後にもう一度だけ忠告した。
「立っているのはもうおまえだけだな。まだやるのか?逆らわなければ見逃してやってもいいぞ?」
男は再三の忠告にも関わらず、また動こうとした。
「動くな。動けば殺す。」
「…へっ、どうせてめえを殺れなかった時点で俺はお払い箱だ。頭に殺される。命乞いなんぞ誰がするか。」
「――頭の悪い男だ。」
命乞いをし、悪かったと一言言えば、情報を得るために生かしておいてやったのに。そう思いながら俺は剣を振り上げた。
ヒュヒュヒュッ
「!」
その時、どこか背後から殺気を感じて、鋭く空を斬るその音と共に銃弓の矢が飛んで来た。
俺は自分に向けて放たれたその矢の内二つを剣で叩き落とし、残りの少し外れていた最後の矢は身体をずらして躱した。
「ぐあっ!!」
――その矢は焦色髪の男の心臓を居抜いて絶命させる。短い声を発し、男は俺の背後に倒れ伏した。
直後に、パン、パン、パン、パン、と四度拍手が鳴り響く。
「お見事。飛矢でさえ難なく避けるとは、百戦錬磨の相当な手練れとお見受けする。」
明らかに格の違う三人の凶悪そうな囚人を侍らせ、情婦らしき妖艶な女に撓垂られながら、その男は俺達の前に現れた。
どこから手に入れたのか、貴族が身に着けるような高級服に身を包み、手には宝石が付いたいくつもの指環をはめ、こんなところで着飾ってなんの意味があるのかと言いたくなるほど、装飾品でゴテゴテの悪趣味な恰好をしている。
鮮やかな葡萄色に染め、額の真ん中で二つに分けた前髪を、肩までの長さに揃えた直毛に、白茶色の瞳が油断の出来ない光を放っていた。
――『マグワイア・ロドリゲス』…フレグの言葉は真実で、処刑されたはずの男は生きていた。
忘れもしない、俺がこの手で捕らえ、死刑台に送ってやった殺人鬼だ。
「――お誉めに与り光栄だ。マグワイア・ロドリゲス…まさかあんたが生きていたとはな。驚きだ。」
腸が煮えくり返る思いだが、俺は務めて冷静にそう言った。フレグの頼みは引き受けたが、俺の目的はこの殺人鬼ではない。
「さっすがお頭、こんな新人っぽい囚人にまで名を知られてるとは、稀代の猟奇殺人鬼と呼ばれた二つ名は伊達じゃあありませんね。」
「見てくだせえ、後ろの囚人なんざボスの名を聞いて青ざめてやすよ。」
誰が新人っぽい囚人だ。腰巾着に情婦か…邪魔だな。
「どうでも良いが、俺の目的は一階へ降りることだ。あんたらの縄張りを抜けさせて貰うぞ。これ以上俺にちょっかいをかけて来なければ、見逃してやる。」
「ほう…」
ロドリゲスは俺の言葉を鼻で笑った。
「口のでかい若造だな、その細っこい首、へし折ってやろうか?」
「やれるものならな。」
監房が小さく見えるほどの大男が、鎖で繋がれた鉄球の付いた打撃武器を手に、ずいっと俺の前に進み出る。…が、それをロドリゲスは止めた。
「止せ、こいつは俺と同等ぐらいの戦闘能力を持っている。おまえらじゃ敵わねえよ。」
「ボス!?」
――大した奴だ。一瞬で俺の実力も見抜いたか。
こうなるとかなり手強い。すんなり通してはくれないだろう。
「だが、俺の手下が三人がかりなら…どうかな?おう、殺していいぞおまえら。嬲り殺してやれ。」
マグワイア・ロドリゲスの目がギラリと光った。
「…!?」
――なにを考えている!?今おまえらじゃ敵わねえ、とそう言っただろうが。三人がかりになろうが、所詮は囚人に過ぎない。
他者を殺すための手段でしか武器を持ったことがない者と、生き残る為に戦場で戦って来た俺とでは、くぐり抜けて来た修羅場の数が違う。
どれほど強力な武器を手にしても、俺に勝てるはずがないだろう!!
「――と思ったが、俺が手下を出すんだ、そっちも後ろの奴を出せ。」
「…なに?」
ロドリゲスの視線は俺ではなく、俺の後ろにいたフレグを見ていた。
「ふふ、俺様はな、この手にかけた女子供の家族の顔は、覚えておく主義なんだよ。おまえ…プロバビリテの調香師『フレグ・ランスリット』だろう?妻子を殺した俺に復讐でもしに来たのか?笑えるね。」
「な…」
こいつ…!!
フレグは怒りに震えながら、般若の如く物凄い形相で俺の前に出ようとした。だが俺は腕を伸ばしてそれを止める。挑発に乗って今ここで飛び出せば、フレグにはもうロドリゲスを殺す機会がなくなるからだ。
「落ち着け…!挑発に乗るな。」
「うるせえ、俺に指図するな…!!」
「フレグ…!!」
マグワイア・ロドリゲスは、その顔を醜く歪ませて笑いながらフレグの妻子をどうやって殺したか、細部に渡って語り始めた。
フレグの妻の名はリーシャ、娘の名はロミナと言った。以前から目を付けていた、絵に描いたように幸福な家庭。それをめちゃめちゃに壊してやりたかったんだと嘲笑った。
フレグの留守を狙って家に入り込み、先ず娘を寝台に括り付け、その命を楯にリーシャを脅す。娘を助けて、と懇願する母親に助けて欲しかったら自らを差し出せ、と言って陵辱した。
そして事が済むと母親の目の前で娘を先に殺し、夫が家に入ると真っ先に見える場所に首を絞めて殺した妻を磔にする。
壁には『貞淑な妻を装った売女』という娘の血液で書いた血文字を残して。
――この国の医療検死では、僅差の死亡時刻までは詳細にわからない。だから現場の状況を見てその可能性が高いかも知れない、と思っても、事件を捜査した担当者は、決して母親よりも先に子供が殺されたであろうことは口外しなかった。
ロドリゲスはブルブルと全身を震わせるフレグを笑う。楽しそうに愉悦に浸り、おまえの幸せを壊してやった、悔しいか?と声も高々に。
――俺にはもう、フレグを止めることは出来なかった。
足元に落ちていた短剣を拾うと、声にならない叫び声を上げて、フレグは猛烈な勢いでロドリゲスに突っ込んで行った。怒りと憎悪で我を失った彼の目には、仇敵の姿しか入っていなかったことだろう。
すぐに手下の囚人達に取り囲まれ、彼は俺の目の前で瞬く間に嬲り殺されて行った。
血が飛び散り、骨の折れる音が響き、怒声と叫声を上げながらフレグはそれでも、ロドリゲスに手を伸ばした。
俺はその姿をただ見ていた。フレグは最後まで、ただの一言も俺に助けてくれとは言わなかったからだ。
他人の命を奪った罪は、自分の命で償うとフレグは言った。妻子を殺した殺人者に復讐するためだけに人を殺し、その機会をじっと待っていたのだろうに、仇に指一本触れることも叶わずに襤褸切れのようになってフレグは死んだ。
――その愚かであまりにも憐れな姿を見届けた俺の中で、なにかが目覚めた。
「…おい、もういいだろう。既に死んでいる。」
それは自分でもどこから出ているのかわからないほど、冷たい声だった。直前まで共に生き残る為に、魔物と囚人を退け、命懸けで戦い抜いて来た男が死んだ。
一日にも満たない時間の連れ合いだったが、命を助けられた恩もある。…それなのに、なんの感情も湧いて来なかった。
――フレグを殺した囚人達は、その姿をなにもせずに見ていた俺に振り返ると、なにかに怯えたように、ほんの一瞬だけたじろぐ。
「大した玉だな、仲間が殺されたってのに、助けるどころかなにもせずに見殺しにするとは思わなかったぜ。」
マグワイア・ロドリゲスは愉快そうに声を上げて笑った。
「その男は勝手に付いて来ただけだ。仲間になった覚えはない。」
「ほう…そうかい。ふ…気に入ったぜ、あんた、俺の仲間にならねえか?二人でこのバスティーユ監獄を仕切ろうぜ。同じ囚人には違いねえが、中々にいい女も揃ってるぞ?」
この後に及んで俺を勧誘するとはな。俺は苦笑した。
「――聞こえなかったのか?言ったはずだがな。俺の目的は一階に降りることだ。邪魔をするなら、今度は問答無用で斬り殺すぞ。」
そう返した俺を見て、ロドリゲスは一驚すると、すぐにニヤリと不敵な笑みを口の端に浮かべた。
「そうか、残念だ。…殺れ、おまえら。」
そう指示した奴の声を最後まで聞く前に、俺は動き、情婦の女と手下の三人を『死鬼神黒円舞』で瞬殺した。
俺の視界が一瞬で紅に染まる。
ドサドサドサッドサンッ
――そんな音を立て、一声も発さずに女と手下達は、身体中から大量の血を吹き出して死んだ。
「ひっ…!?」
俺はなんだかやけに愉快だった。今の今まで余裕綽々で、俺を殺せと命じていたロドリゲスが、俺に怯えていたからだ。
心の底から笑いが込み上げて来て、思わずクスリと失笑する。
返り血を滴らせた俺を見て怯えるとは、この殺人鬼にも人間らしい部分があったのか。…そう思った。
スッ…と一歩前に足を踏み出した途端に、ロドリゲスは腰を抜かして俺に叫んだ。
「ま…待て!!俺が悪かった、そうだ、取引しないか!?い、一階に行きたいのだろう!?ならば隠された階段の位置を教え、中庭の扉を開くための鍵をやる!!」「…鍵?」
ロドリゲスは俺の目的が制御室にあると見抜いていた。そして中庭に出るのなら、扉を開ける為の鍵が必要になる、と言うのだ。
――おかしい。アーロンはそんなことを一言も言っていなかった。第一、それが真実だったとして、なぜこいつがその鍵を持っている?
俺はふと、こいつを騙して下に連れて行き、中庭にいるというヘレティック・ギガントスとの戦闘を回避するための囮にしてやろう、と思い付いた。
ただ一思いにあっさりと殺したのでは生温い。本来の運命である、他の囚人達の多くが辿る『魔物による処刑』にこの殺人鬼も処されるべきだ。そう考えた。
「この監獄から外へ出たくはないか?マグワイア・ロドリゲス。」
「…な…?」
「魔物の搬入口から監獄の外へ出られるかもしれん。俺に協力する気があるのなら、連れて行ってやってもいいぞ?」
「ほ、本当か…!?」
〝ああ、本当だ。〟――俺がそう嘘を吐き、上手く騙してこの殺人者を連れて行こうとしていたその裏で、マグワイア・ロドリゲスもまた、俺を利用して騙し、殺して俺のこの高価な魔法剣、『ライトニング・ソード』を奪ってやろうと画策していた。
話が纏まり、マグワイア・ロドリゲスは自分の塒へと俺を案内する。俺は最後に一度だけフレグの亡骸を一瞥すると、ロドリゲスの後に付いて行った。
配下十人以上を、あっという間に殺した俺の凶行を、遠巻きに見物していた囚人達は、恐れをなしてすぐさま逃げ出して行く。
そうだ、死にたくなければ大人しく下がっていろ。向かってさえ来なければ、幾ら凶悪な重犯罪者でも殺しはしない。
ロドリゲスは自分がここを牛耳った三年前でも、あそこまで怯えた囚人はいなかった、とおべっかを使う。俺はそれを聞き流し、外に出るのなら金目のものは持って行った方がいいぞ、と促す。
本当はこいつが脱獄など考えていないことには気が付いていた。ここでならいくらでも、ロドリゲスの欲求を満たす殺人を好きなだけ思う通りに犯せるからだ。
絵に描いたように幸福な家庭を壊す。フレグにそう笑ったあの言葉の中に、どれほどの本心が含まれていたのかはわからないが、こいつは根っからの快楽殺人者だと俺は思っている。
そんな奴がこの状況を楽しんでいないはずがない。
「金目のものを持って行くと言っても、荷物になる。どうすれば全て運べるかな?」
「――ならば俺の無限収納に入れて行け。後で中から取り出せば良いだろう。」
「無限収納!!あんた、守護者の資格を持っているのか…!道理で魔物にも怯まねえわけだ。はは、そんならあの中庭の怪物も倒せるかもしれねえな。へっ、本当に大した玉だ。」
「…いいから早くしろ。」
守護者の資格を手にすると同時に、無料で支給される『無限収納カード』。全ての守護者と冒険者が必ず持っているこれの存在は、一般にも広く知られてはいるが、その中身は登録者でなければ『絶対に取り出せない』ことは意外に知られていない。
魔物と戦うハンター達はその実力に個人差はあれど、資格を得たばかりの新人ハンターだとしても、剣を握ったこともない一般人が喧嘩を売って勝てるほど弱くはない。
だからこそ無限収納がどれほど便利な物だと知っていても、盗もうとする愚か者はまずいないのだが、果たしてこのロドリゲスはどうだろうか?
自分に酔いしれ、人を虐げるのを当然だと思っているような奴ほど、案外間抜けなことをする。
ライトニング・ソードを奪おうとしているその思考も見え見えだったが、ついでに無限収納も奪ってやろう、そんな考えが透けて見える。
あれで俺にばれていないと思っているのだろうか?それとも俺が、『思考看破』のような新しい技能を、いつの間にか入手したのだろうか。
まあそのどちらでもいいが、とにかくロドリゲスは俺の前に所持品を並べて、無限収納に入れてくれ、と嬉しそうに言って来た。…馬鹿な奴。
それを全てしまうと、次に俺は奴の衣服を着替えさせる。渋るロドリゲスに、そんな目立つ服で監獄の外に出れば、たちまちに魔物と憲兵の目を引いてしまう、と適当な理由を付けて服を剥ぎ取る。
本当は俺が、こんな上等な服を着せたままこの殺人鬼を、死出の旅路につかせるのは許せなかったからだ。
さっきはなんの感情も湧いて来ないと思っていたが、どうやら俺は俺なりにフレグが殺されたことに本気で怒っているようだ。
こいつも襤褸切れのようになって死ねば良いとさえ思う。俺は実の父親であるあの男をずっと憎んで来たが、他人にここまでの憎悪を抱いたのは初めてだった。
――全ての準備が整うと、俺はマグワイア・ロドリゲスに一階への隠された階段に案内させる。
すると呆れたことに、こいつが塒と称して監房外に設けていたこの部屋の壁に、その扉はあったのだ。
ロドリゲスはあまり力のなさそうな他の手下達に、なにか耳打ちをしてから別れを告げる。どうせ俺を殺して後で戻る、とでも言っているのだろう。
奴は申し訳程度の武器、古びてボロボロの短剣を手に、俺の後を付いて来た。なぜそんな武器を?と訝しんだが、俺を油断させるためと、俺を殺す時は俺の剣を奪えば良いとでも考えているのではないだろうか?
それに対して特に追求することもなく、俺は扉にパスコードを入力した。すると扉が開いたのと同時に、監房内に警報音響が鳴り響く。
広場のように開けていた二階の主要通路に、突然幾つもの壁が床から出現し、そこを分断するように天井まで一気に伸びて行く。
嫌な予感がした俺は、ロドリゲスを急かして扉の中に駆け込んだ。
「おい、早く来い!!」
――腐っても監獄か、脱走防止の警備機構が作動したな…!!一階の通路も遮断される恐れがある…急いだ方が良さそうだ!!
ここでこいつに背中を向けるのは馬鹿のすることだ。俺はロドリゲスを先に行かせて一気に階段を駈け降り、扉を開けさせて一階に出る。
ようやくここまで辿り着いた。そう思ったのも束の間、扉を開けた瞬間に、通路一杯の大型魔物がその大口を開けて襲いかかって来た。
俺は咄嗟にロドリゲスを突き飛ばし、魔物の腹の下に滑り込む。初撃を躱すにはそこしか逃げ場がなかったからだ。
ガコーン、ガコーン、ガコーン、と三度ほどその作動音が響き、進行方向の通路が迫り上がった壁によって塞がれる。
そうして俺とロドリゲスは、この大型魔物と仕切られた壁によって閉じ込められることになった。
「くそっ、こんな魔物がいるなんざ、聞いてねえぞ…!!」
悪態を吐くロドリゲスに俺は叫んだ。
「死に物狂いで戦え!!まだ食われたくはないだろう!!」
――その大型魔物は、この監獄に来る途中、囚人護送車を襲ったあの超巨大な魔物を小さくしたような姿をしていた。おそらくだが、あれの子供なんだろう。
同じような二足歩行で橙色の竜に似た姿をしている。鋭い鉤爪の付いた二本指の腕は短く、多分倒した獲物を押さえつけるぐらいしか役立ちそうにない。
だがその反面、太く筋骨隆々の二本脚と太い尾は強烈で、こちらにとって有利なのは、唯一ここが狭い場所だということだけだった。
「うわあああっ!!」
そんな大声を出し、ロドリゲスが短剣を振り回しながら魔物に突進して行く。覚悟を決めて攻撃を開始したのかと思えば、あわよくば背後に回って自分だけ魔物の視界から消えようとでも思ったのだろうか、そのまま脇を擦り抜けようとした。
そこへ魔物のあの太い尾が鞭のように飛んで来る。
直撃したか、と思えば奴はそれを躱して魔物の前に蹲った。
「馬鹿か…!!」
咄嗟にまた助けようと足を踏み出したが、俺は考え直す。元々こいつは中庭にいるという化け物の囮にするために連れて来たのだ。
助けるのではなく、魔物が気を取られている隙に俺は攻撃してさっさと倒してしまえば良い。そう頭を切り替えた。
図体がでかくても、大半の動物は急所にも共通がある。
俺はここまで温存していたライトニング・ソードの魔力を放ち、敵の動きを封じると、魔物の懐に潜り込んで、顎の下から脳天目掛けて剣を突き刺した。
予想以上にその皮膚が硬く、二度力を込めないと貫通させられなかったが、脳を損傷した魔物は壁に寄りかかるようにして動きを止め、そのまま絶命した。
「すげえ…あんた、やっぱりやるな…!」
「うるさい。仕掛けを解除する釦を探せ。すぐ傍の壁にあるはずだ。」
俺は魔物の真下でライトニング・ソードを引き抜くと、すぐに壁の釦を探した。
「あったぞ、これだ。」
「よし、それを押せば壁が元通り床に収納されるはずだが、下がったと同時に向こうには多分魔物がいる。まともに相手が出来ないのなら、今のようにせめて囮になれ。」
「…ちっ、わかったよ。ちゃんと俺を守って魔物を倒せよな。」
知るか。…そう毒づきたいのを堪えた。
ロドリゲスが釦を押したと同時に、壁がガガガガ、と音を立てながら床に収納されて行く。
後残り五十センチほどとなったところで、早くも魔物が飛び込んで来た。
助かった、今度はこれまで散々倒して来たアールグナトゥスとボドゥモスキートだ。
数は多いが、剣を振り回すだけの空間がある。
拍子抜けしたらしいロドリゲスも、こいつらなら楽勝だ、そう言って今度はまともに攻撃に参加する。
そうしてここの魔物も全て倒すと、次の壁も仕掛けを解除してまた現れた魔物を倒して行った。
壁の仕掛けが動いた時の動作音は三つ。恐らく次の壁が最後だ。念のためにと、俺はロドリゲスには言わずにスキルで魔物の気配を索敵してみた。
まずい、感知した範囲だけでも物凄い数だ。小型と中型ばかりだが、相当数の魔物が壁の向こうには待ち受けているようだった。
俺はそこで一旦この場で様子を見ることにした。構造的に考えて、恐らくこの向こうは二箇所あると言う魔物の搬入口と、昇降機に繋がっている通路なのだと思われたからだ。
ある程度待てば上下する昇降機に魔物が乗り込み、その数が減る可能性があったからだ。
アーロンは脱走防止用に、一階は四重の輪を重ねた通路の複雑な構造になっていると言っていた。
左側の壁に内周通路に入るための扉があるはずだが…
もしそこもパスコードを入力する必要があったら、さすがに厳しいな、と思う。魔物を遠ざける特殊剤はもうない。二階の防壁を破壊するために、残りは全て使い切ってしまった。
マグワイア・ロドリゲスに背中を預けることは絶対に無理だ。ならば――
「おい、念のためにパスコードを教えておく。もう暫くしたら仕掛けを解除して動くから、内周への扉を左の壁に探して解錠し、中に滑り込め。」
ロドリゲスに扉の鍵を開けさせて、ある程度の魔物を倒して隙を作り、俺も扉の中に入り込むしかない。
「俺を先に行かせてくれるのか…それはいいが、あんたはどうするんだ?」
「勘違いするな、おまえを守るためにこんなことを言っているんじゃない。中に魔物がいる可能性もある、だからあんたは扉の鍵が再度閉まらないように、俺が入るまで見張っていろ。」
――そうは言ったものの、既に索敵ですぐ内側の通路には、魔物がいないことをわかっていた。
裏切られたら裏切られたで構わない。初めから信用してなどいないのだ。一応切り札として、フレグに渡された芳香剤と薬品がある。
片方はこれまでフレグが使ってきた、魔物の動きを制限するもの。もう一つは…
俺はフレグに万が一の際にはと、これを渡された時のことを思い出していた。
『俺のこの顔…どうして焼け爛れていると思う?』そんな言葉から始まった会話だった。
フレグは何度も妻子の後を追おうとして自殺を図り、その度に失敗して死に切れず、呷った毒が原因で顔にそんな痣が残ったのだそうだ。
『だからな、俺は奴のあの小綺麗な顔を、こいつで醜く潰してやりてえのよ。』
もちろん、魔物への攻撃にも使えるからと、非常時用に俺にもこの二つの膠嚢をくれたのだった。
なぜだろう…なにも感じていなかったはずなのに、フレグへの憐れみが胸を突く。その手を罪に染めた時点で、おそらく死しても妻子の元へは行けないだろうに。そう思いながら、ならばせめて俺がフレグの死を悼み、次の世では幸せになれるよう祈ってやろう。…そんなことを思っていた。
――十分ほどが経ち、俺の索敵で明らかに壁向こうの魔物の数が減ったのを確認した。
「そろそろいいか。よし、行くぞ。」
俺は再びライトニング・ソードを構え、ロドリゲスに壁の釦を押させた。
上部が少し開いただけで、その隙間からボドゥモスキートが滑り込んでくる。俺はそれを真っ先に倒すと、壁が下がり切るのを待った。
そうして少し先の左の壁に、案の定パスコードを入力するための解錠装置と扉が見えた。
ダガッダガッと駆けて来るコバルトヴィヴルの突進を避け、足元に群がるアールグナトゥスから先に倒す。
俺が魔物の攻撃を一手に引き受け、相手をしている間にロドリゲスは扉へと走って行った。
――そこからは、笑えるぐらいに予想通りだった。
パスコードを入力して扉を開け、その中に駆け込んだマグワイア・ロドリゲスは、魔物に恐れをなして躊躇いもせずにガッチリと扉を閉じた。
俺が魔物に殺された後で剣と無限収納を回収し、また上階に戻ろうとでも言うのだろうか。
最後の慈悲だったつもりはない。…が、奴にとって、俺に殺されるのと、一瞬で中庭の怪物に食われるのと、果たしてどちらが幸せだっただろう?
どちらにせよ、死ぬことに変わりはないが。
「…使わせて貰うぞ、フレグ。」
そのまま襲い来る魔物をある程度まで倒し、隙を見て俺はそう一人呟くと、フレグに渡された芳香剤を魔物に向かって投げつける。
容器から漏れ出た液体が気化して臭気を放ち、次々と魔物が気絶して行く。俺はそれに完全に止めを刺すと、安全を確保した上でゆっくりパスコードを入力し、扉を開けた。
ガキインッ
――扉が開くやいなや、ロドリゲスは俺に襲いかかってくる。
当然それを読んでいた俺は、ライトニング・ソードでそれを防ぐと、左手でフレグの薬品をロドリゲスの顔を目掛けて投げつけてやった。
「ぎゃああああっ!!!」
人の肉の焼ける匂いと、鼻を突く異様な臭気が辺りに充満する。叫び声を上げて俺から後退ったマグワイア・ロドリゲスは、顔を押さえながらあのボロボロの短剣を構えた。
「一騎打ちか?いいぞ、かかって来い。」
「くそお!!」
――こんなはずじゃなかった。そんな感情を焼け爛れた顔に表しながら、マグワイア・ロドリゲスは短剣を振り回す。
なんだ、こいつ…昔に比べて明らかに腕が鈍っているな。俺は笑った。
そうか、あの当時の俺はまだ、戦場を経験する前だったんだ。だからこの殺人鬼にしてやられた。
笑えるな、今のこいつは俺の足元にも及ばないじゃないか。
一対一で剣を交えることになって、なにをそんなに警戒していたのだろうと失笑した。
そうして俺の中で目覚めた、残虐性が首を擡げた。
――完膚なきまでに叩きのめし、平伏し、このフェリューテラに生まれて来たことを泣いて後悔させながら、徹底的に切り刻んで殺してやりたい。
滅多刺し?生温い。こいつが殺して来た罪なき女子供や、手下に殺させたフレグ・ランスリットの分まで、苦しんで苦しんで絶望の果てに死ねばいい。
そう思いながら、この時の俺は多分笑っていた。
気が付いたら、俺が望んでいたように、襤褸切れのようになってマグワイア・ロドリゲスは死んでいた。
微かに命乞いをされたような気がする。
だが俺はそれを無視して、もう戦う力の残っていなかった奴を、笑いながら心臓を一突きにして…殺した。
俺は自分がおかしくなったんだと思った。そうとしか思えない…いくらこいつが殺人鬼で救いようのない極悪人だったとしても、俺が、この手で、こんな残虐な人間の殺し方をするなど、信じられなかった。
俺は自分自身に恐怖心を抱き、一目散にこの場を離れた。
ライトニング・ソードを片手に、返り血でベトベトになった衣服のまま、魔物のいない通路を駆け抜けて、なにも考えずに中庭に出た。
――そこでふと立ち止まる。…なんだ、鍵などかかっていないじゃないか。
俺はまたマグワイア・ロドリゲスに欺されたと知って自嘲した。いや、初めから信用してなどいなかっただろう。そう思い、笑いが込み上げてくる。
そこに、上空からなにかが俺を目掛けて急降下してきた。
辺りに挿していた日の光が翳り、なにかと思って顔を上げた瞬間、その一撃を食らった。
見れば俺の胴体ほどもある三本指の鳥のような脚が、俺を地面に押さえつけていた。
不思議なことに痛みを感じなかった。これで死ぬのか、とも思わなかった。
逆光で敵がどんな奴なのかさえもわからなかったんだ。
ドゴオオオオンッ…
――直後に響いたその音は、どこか地中深くから聞こえて来たように思う。
そうしてそれはその音にピクッと反応すると、警戒して俺に止めを刺さずに飛び去って行った。
胸の辺りが熱い。そんなことを感じながら、遠ざかる意識の中、フレグの姿を見たような気がする。
『ありがとうよ、リグ。』
――そう言ってフレグ・ランスリットは俺に笑っていた。
バスティーユ監獄 零、最終話です。次回からバスティーユ監獄編続きに戻ります。仕上がり次第、アップします。