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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス
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バスティーユ監獄 零 その二

引き続きライ編です。想像を超える酷い場所に少しずつライの精神が蝕まれて行きます。自分がなんのためにここへきたのかと、その目的をなんども確かめながら、ただひたすら階下を目指します。孤独な戦いを続けるライですが…?

        【 バスティーユ監獄 零 その二 】



 ――ここは重犯罪者収容施設、『バスティーユ監獄』だ。


 わかってはいたが、本来ここに囚われているのは、殺人を伴う盗み、詐欺、喧嘩、暴行などの罪を犯した凶悪な死刑囚ばかりだ。

 そうしてアーロンが気を付けろ、と俺に忠告してくれた通り、十階から下は真実無法地帯であることを知った。


 監視する人間の目が存在しない、犯した罪(ゆえ)に人としての尊厳を奪われた、自業自得とも言える重犯罪者達がいる。


 十一階から上とは異なり、十階に入ると、主要通路から囚人のいる監房が丸見えの状態になっていた。

 上階の監房は細い通路を挟んで六つの監房がくっついて並んでいたが、ここは主要通路に面して監房が横に並んでいるのだ。

 中にいる囚人はガリガリに痩せ細り、生きているのか死んでいるのか、俺が魔物を相手にすぐ傍で戦っていても、一切こちらを見ることはなく、虚ろな目をして天を仰いでいた。


 正気を失っているのか?…ここの囚人はなにか様子がおかしい。


 彼らは確かに犯罪者なのだろう。それも他者の命を奪ったことのある殺人者だ。俺は人の命を奪う者は、己の命を他者に奪われても文句を言う資格は無いと思っている。

 当然戦争で多くの敵国兵を殺した俺にも、同じことは言えるのだが、それでも…この光景はやはり惨いと思ってしまった。


 犯罪者を擁護するつもりはないが、それを裁く側の人間に罪はないのだろうか?…どうしても考えてしまう。


 最早生きているとは言えないような囚人達から目を逸らし、アーロンの忠告通りに俺は十階を駆け抜けた。

 そのまま九階、八階、と下るにつれ、少しずつ出現する魔物にも変化が現れる。ちらほらと竹節虫(ななふし)のような外見の中型魔物が小型の魔物と一緒に襲ってくるようになった。

 そして八階では、一部の人間が狂ったように叫び声を上げている場面に何度か出会す羽目になった。

 その囚人達は、皆一様に俺を見るなり〝(プレジール)をくれ〟と叫ぶのだ。


 そこで俺は初めて、十階からこの八階までに収容されていたのは、薬物中毒の囚人だと言うことに気が付いた。


 彼らが目を血走らせて口々に叫ぶ『プレジール』と言うのは、強い幻覚作用と苦痛緩和、高揚感や主に快感を高める副作用のある中毒性の高い麻酔薬のことだ。

 これは医師の資格を持つ者にしか取り扱うことの出来ない劇薬で、魔法を使えない人間が殆どのエヴァンニュでは、医療行為に用いられていると聞く。

 だが他国では守護者の資格(ハンターライセンス)さえあれば薬屋で買うことが可能で、普通に冒険者が持ち歩くことも許されており、魔物によって致命傷を負った人間をやむを得ず置き去りにする場合などに与えることがあるものだ。

 大半の人間はこの薬の危険性を良く知っていて、まず自ら口にすることは無いのだが、なぜかこの国では必要も無いのに長期間常用して、中毒に陥る者が少なくないそうだ。


 そう言った話を聞いたことはあったのだが、俺が今までそんな薬物中毒者を目にしたことはなく、ここまで人間性を失った者を見るのは初めてだった。


 俺は思わずたじろぎ、監房の鍵が開いていることを思い出すと、牢には近寄らずに逃げ出す。一部の囚人は俺に気づくなり(プレジール)を寄越せ、と叫びながら格子扉を開けて外に飛び出し、一瞬で魔物に食い殺された。


 魔物が人の肉を食み、骨を噛み砕く音が聞こえてくる。それでも囚人は痛みすら感じないのか、なにかを叫びながら尚も薬、薬、と呻き続ける。


 ――地獄だ。ここは戦場よりも酷い。人間の狂気を目の当たりにし、そう思う気分の悪さを必死に堪え、向かってくる魔物を蹴散らしながら前だけを見て駆け抜けて行く。

 飛び散る魔物の体液と風に乗り、後ろから追いかけて来る人間の血の匂い、そしてそこいらに転がる遺体からは肉の腐った臭いが漂っていて、もう俺まで気が狂いそうだ。


 そうして階段への扉にようやく辿り着くと、魔物除けの特殊薬を周囲に撒いて、魔物を追い払ってからパスコードを入力し、中に倒れるようにして転がり込んだ。


 扉を閉じてへたり込むと、また、眩暈を起こす。


 魔物との戦闘による肉体的な疲れよりも、精神的な苦痛から来る疲弊の方が倍辛かった。気が付いたら剣を握る手が震えていて、いくらかでも休まないと到底先には進めそうになかった。

 ぎゅっと瞼を閉じて目にした光景を頭から振り払い、床に座り込んだまま十分ほどじっとしていた。

 十三の頃から人が死ぬところなど数え切れないほど見てきた。それなのに、どうしてこれほどまでに恐ろしいと思うのだろう。…そんなことを考える。


 暫く経って気を取り直した俺は、気力を振り絞って立ち上がると、壁を手で探って隠された収納庫を見つける。ここの階段脇の壁にも物資の箱があり、中には五本の液体傷薬(ポーション)とボトルに入った飲料水に栄養価の高い、乾燥させた果実の菓子が入っていた。

 俺はそれを箱から取り出すと、夢中で水を飲み、菓子を頬張る。ドライフルーツに(まぶ)された砂糖がとても甘く感じて、生き返るような気がした。


 人心地がつくとやっと心の平静を取り戻し、階段の段差に腰かけたまま、薄暗く無機質な金属の天井を見上げる。

 弱音を吐くわけでは無いが、無性にイーヴの無表情な口煩さとトゥレンの暑苦しいまでの鬱陶しさが恋しくなった。

 傍に誰もいないとなると、途端にあの二人を思い出すとは勝手なものだ。


 ――束の間の休憩を取った後、どうしても今日中に五階ぐらいまでは降りておきたかった俺は、再び移動を開始して七階へと入る。

 ここからまたその雰囲気が一変し、今度は階段の扉を開けたら、目の前に三体の中型魔物が寝そべっていた。


 海の青のような鮮やかな鱗のある肌に、黄色の縞模様が入った、(わに)と蜥蜴を足して割ったような姿の魔物だ。

 細長くドッシリとした躯体の側面から、太い折れ曲がった四肢が伸び、短い五本指と棘のような爪が見える。

 床を引き摺るほどに重そうな尻尾の先端には、球体とそれに付いた小さな無数の突起があった。見ただけでわかる、あの筋肉質の尾を振り回して攻撃してくる型の魔物に違いない。


 扉を開けた音ですぐ俺に気づいた魔物は、その図体に似合わない高音のキャー、という女の悲鳴に似た奇声を上げて襲いかかって来た。

 俺の予想に反して三体の中型魔物は、同時に突進攻撃を繰り出す。俺がそれを脇に滑り込むようにして避けると、ドゴーンッという物凄い衝突音を響かせて、魔物達は扉と壁に激突した。

 その攻撃で形を変えない扉の頑丈さも凄いが、頭から突っ込んでいながら、なんの痛手もない様子の魔物はもっと強烈だった。


 あの突進攻撃は不味い!!一度でも受ければ吹っ飛ばされるだけでなく、内臓損傷も免れんぞ…!!


 ゾッとした俺は踵を返し、ダガッダガッと鈍重な足音を立てて追って来る魔物に、背を向けて一目散に逃げ出した。

 一体ならまだしも三体同時に相手をするには、俺の防御面と体力が心許なかったからだ。

 せめて魔物を分断し、一体ずつ相手に出来るよう引き離さないと、初見では倒し切れそうになかった。


 主要通路を走って行くと、すぐに監房のある区画が目に飛び込んでくる。ここ七階の通路にはあちこちに障害物となる壁が迫り出していて、これまでのように真っ直ぐに走って駆け抜ける、と言うことが出来ないようになっていた。

 このまま袋小路にでも追い詰められたら一溜まりもなく、どこか適当な広さのある場所で魔物と戦うか、格子扉が開いている監房を見つけて飛び込むかしか方法がなかった。


 不味い…この先通路がどうなっているのかまるでわからない…!扉の前で戦うべきだったか…!!


 そう思ったが、もう遅かった。


 上階にちらほらいた中型魔物と違い、この青い躯体の魔物は俺の予想を超えてかなり頭が良く、ハッと気づいた時にはどこからか回り込まれて挟み撃ちにされてしまった。

 こうなるともう、どうあっても戦って片方だけでも倒す以外に逃げ道は無い。


 俺は仕方なく剣を抜いて、死に物狂いで魔物を倒すことにした。


 既に知っていると思うが、俺は亡国ラ・カーナの生き残りで、この国に来る前はファーディア王国のツェツハという小さな街に、同じく生き残りのマイオス爺さんと二人で暮らしていた。

 生まれつき魔法が使えないというエヴァンニュの国民と違って、他国であれば得意不得意はあれども、多少の魔法が使えても不思議はない。なのに俺に魔法の才は微塵もなく、簡単な初級魔法さえ使うことが出来なかった。

 だからこそ、このライトニング・ソードには数え切れないほど助けられ、何度も窮地を脱して来られたのだが、ここでもこの(つるぎ)は俺を裏切らなかった。


 背後の敵が俺への突進攻撃を行い、ギリギリまでそれを引き付けてから避け、正面の敵に突っ込ませると、縺れて二体が倒れ込んだ隙に魔石に溜まった剣の魔力を解放する。

 毎度毎度出来るだけ剣の力は温存しておき、ここぞ、と言う時に使用するのが生き延びるための秘訣だった。

 フェリューテラのどこかにいるという『巨雷鳥サンダーバード』のように、雷撃を完全に無効化する敵以外には万能の力を発揮してくれるため、痺れて動けなくなった相手に後は止めを刺せばいい。


 そうして俺は今度も生き延び、何度も窮地に陥りながらも、どうにかこの階を抜けることが出来た。


 当然、この階にも監房に囚人はいたようだが、俺にそちらを見る余裕は全くなく、絶え間なく魔物に追われ逃げ続ける俺を見て、嘲笑うかのような笑い声だけは聞こえていた。

 そのことから、まだここがどんなところなのかを知らない、収監されたばかりの囚人が多かったようだ。


 続いて六階に降り、今度は広さに余裕のある扉の前で第一陣の魔物を倒してから先に進むことにした。

 さっきのような挟み撃ちは出来るだけ避けたい。慎重に行動して一対一になれるよう上手く立ち回りながら、時間をかけて複数体の中型魔物と小型魔物を駆除する。

 ヘトヘトになりながらも食糧になるからと、丸ごと魔物を無限収納にしまって、障害物の壁を回り込みながら歩いて行くと、主要通路を半分ほど進んだ所に寝台の板などで無理矢理築いた防壁があり、それを越えると思わぬ敵が立ち塞がった。


 囚人だ。十人ほどで徒党を組み、手には寝台の支柱やテーブル、椅子の脚などを分解して作ったと思われる、手製の武器を持っている。


 ――アーロンに気を付けろとは言われていたが、勘弁してくれ、と心の中でうんざりとした溜息を吐いた。


 道理が通じないのは魔物だけで沢山だ。


 本土で犯した罪が原因でここに送られているのに、こんな最悪の環境に入れられてもまだ懲りないのか。…いや、こんな最悪の環境だからこそ、なのか?

 …どちらでも良いが、たとえ頭の中身がぶっ飛んだ凶悪な犯罪者達だったとしても、同じ思考を持つ人間が相手であれば俺が負けることはない。魔物を相手にするよりは断然楽だ。


「こいつ、武器を持ってやがるぞ!!」


 囚人の一人がすぐにそんな声を上げる。続いて〝殺せ、殺して剣を奪え〟と複数の男が口々に叫んだ。


 奪えるものなら、奪ってみろ。戦場で『黒髪の鬼神』と呼ばれるようになった、その真実の姿を見せてやる。


 俺はそう思いながら囚人達を見据えて剣を構えた。


 相手の力量を測れず、命の危険さえ感じ取れない囚人達は、わあわあと掛け声を発しながら一斉に攻撃を開始した。対処法に定石の無い魔物に比べて、なんと分かり易い行動だろう。

 対人戦の訓練すらしたことのない民間人の攻撃が、戦場を生き抜いて来た俺に当たるはずもない。


 俺は囚人達の包囲から呆気なく抜け出し、複数の対人相手に特化した即死技、『死鬼神黒円舞(しきじんこくえんぶ)』を使用して瞬時に半数を殺した。

 この技は自分でも凶悪過ぎると思うが、素早く滑らせた刀身で出血量の多い、首や太ももなどの動脈を狙って致命傷を与える剣技で、敵に与える痛みが少なく相手の反撃を防ぐ反面、凄まじい量の返り血を浴びる。

 その異様な姿から相手の恐怖心を煽り、周囲に立つ敵の戦意をも喪失させる最凶剣技だ。


 どうやら俺もあまりに酷い環境の中に居続けて、少し頭がおかしくなりかけているのかもしれない。ここが監獄というの名の、新たな戦場のような気がして感覚が麻痺しつつあるらしい。

 そのせいなのか、無理矢理戦地に放り込まれ、生き残る為に戦わざるを得なかった俺と、同じような境遇にあったのかもしれないゲラルドの兵士達を相手にするより、犯罪を犯してまで人を殺めたことのある連中を斬る方が、心が傷まなかった。


 ――俺は俺を殺そうとして殺意を持ち、襲いかかって来る人間には決して容赦しない。自分が生き残るために、自分に付き従う臣下や兵士達を守るために、なによりも、俺が生きて果たさなければならない目的のために。


 まだ死ねない…こんなところで死んでたまるか!!


 そう思った直後だ。


 ああ…まただ、暫く起きていなかったのに…また右瞳から見える視界が、紅く染まっているように見える。

 普段は瞳の色が緑から赤に変化してもそんな風にはならないが、俺が他人の命を奪うとなぜだか周囲が(くれない)に染まる。


 ――ライトニング・ソードを握る俺の手から、ポタポタと返り血が滴って行く。


 一瞬で倒れた半数の男達を見て、戦意を喪失した囚人達は瞬く間に踵を返し、俺の前から叫び声を上げて逃げて行った。…が、そこへどこからか飛んできた、上階にもいた蚊型の魔物が集団で飛びかかり、ちゃちな防壁を擦り抜けた小型魔物が俺の周囲に倒れて死んでいる囚人の肉に食らいついて行く。


 …奇妙な光景だ。俺が殺した囚人達を、魔物が餌として喰らっている。これではまるで、俺が魔物に食事を与えてやったみたいではないか。


 そう苦笑しながら俺はまた、その光景を尻目に歩き出すと、着ていた衣服から返り血を滴らせながらその場を後にした。


 階下へ降りる階段の途中で壁の収納庫から物資を取り出し、薬や保存食料を無限収納に入れてゆっくりと五階へ向かう。


 疲れた…どうして俺はこんなところにいるのだろう?リーマのところへ行って、なにも考えずに彼女に甘えて眠りたい。

 最後に触れたのはいつだった?…ジャンを連れて部屋を訪ねたのが、もう随分前のように感じる。


 そうだ、ジャン…ジャンに俺はヘイデンセン氏を無事に帰すと約束したんだ。だからここにいる…そうだったな。


 ――しっかりしろ…絶望なら何度も味わった。滅ぶ故郷を目の当たりにして友人と最愛の養父レインを失い、唯一俺に残された家族だったマイオス爺さんのためにと、自らこの国に囚われて戦場に送られ、人を守る守護者を目指していたのに、数多くの兵士を意思に反して殺すことになった。


 ここがどんなに酷い場所でも、どんなに酷い光景を目にしても、まだ正気だけは失うな。俺は自分からここに来たんだ。誰の所為でもない、俺自身が来ると決めて勝手にここへ足を踏み入れたんだぞ、それを忘れるんじゃない。…そう自分に言い聞かせる。


 五階の扉を開けてそこへ出ると、すぐに魔物との戦闘に入る。今日だけでどれぐらいの数の魔物を狩っただろう?戦利品をきちんと回収して魔物駆除協会(ハンターズ・ギルド)に提出すれば、相当な討伐ポイントを稼げるだろう。

 ついでにBランクの依頼を受けて完遂すれば、晴れて俺もAランク級に昇格出来るかもしれんな。


 俺は疲れすぎて気分が高揚し、一人笑いながらそんなことを考えていた。


「――面倒だがこいつらの死骸も、一応無限収納に入れて持って行くか…。」


 これまでと同じように倒した魔物を収納しようとして、首に提げている無限収納カードを取り出した時だ。右の足首に痛みが走った。


 見ると二十センチほどの大きさの、齧歯類(げっしるい)に似た小型魔物が食らい付いていた。


「こいつ…!!」


 カッとした俺は足を大きく振ってそれを振り払い、床に叩き付けて剣を突き立てると瞬殺する。…が、直後に周囲の景色がぐにゃりと歪んで、全身から力が抜けたようになって倒れ込んだ。


 ――即効性の猛毒だった。


「…く、そ…身体が…うご、かない…?」


 ああ、ここで終わりか。ジャンとの約束を守れず、俺を待っている大勢の収容者達も救えず…レインに良く似たルーファスと再会することも叶わないまま…


 リーマ…イーヴ…トゥレン、ヨシュア…ジャ…ン…――


 そうして俺はそのまま意識を失った。




 ――それからどのぐらい時間が経ったのか、目が覚めると俺は、監房の寝台に横たわっていた。


 身体は麻痺したように痺れていて指一本動かせない。目だけは動くが、声も呻き声しか出せず、自分になにが起きたのか状況を掴むことが出来なかった。


 魔物の毒にやられて終わりかと思ったのに、どうしてまだ生きている?…身体が動かないところを見ると、窮地を脱したわけではなさそうだが――


「う…ぐ…」


 喉の奥が痺れているのか、そんな声だけをようやく絞り出す。


「――目え覚めたか。」


 すぐ傍に感じた人の気配とその声に、俺はギクリとして総毛立った。冷や汗が流れ、目だけを動かして必死に相手を見ようとする。


 その声の主は俺が動けないことを知っていて、横から顔を覗き込んだ。


 撫で付けた(びん)髪に伸びた疎髥(そぜん)。落ち葉色の髪に芥子色の瞳を持ち、顔の右半分には爛れた火傷痕のような赤痣があった。


「安心しな、まだ殺しゃあしねえよ。覚えてるか?殺人鼠<キラーラット>に噛まれたんだ。動けねえだろ?俺は解毒剤を持ってる。助けてやってもいいが、条件がある。どうだ、俺と取引しねえか?」


 今の俺は凶悪犯罪者を前に、俎上(そじょう)(うお)も同然だ。手も足も出ない俺に、ここの囚人にしては身綺麗にしているように見えた、中年の囚人男はそんなことを言う。


 ――取引?この状態でか?対等の立場にない俺にどんな取引を持ちかけると言うのか…犯罪者の言いなりになるぐらいなら、このまま死んだ方がましだな。どうせ碌なことではあるまい。


 もちろん死にたいわけではなかったが、俺にも人間として最低限の自尊心がある。俺は己の矜持に従って自分の命を惜しまず、諦めて男から目を背けた。


「チッ…死んだ方がマシだってか?…仕方ねえ!」


 明らかに腹を立てた様子の中年男は、ガシッと右手で俺の顔を掴むと、不気味な色のドロッとした液体を俺の口を開けて喉の奥に流し込んだ。

 同時に鼻を抓まれて息が出来なくなり、吐き出そうにも吐き出せず、俺はそれをそのまま飲み干す羽目になる。


 魔物に噛まれて猛毒に侵された挙げ句、さらに囚人に毒を盛られたのか。無様だな。…そう思った。

 ところがものの数秒もしないうちに、俺は自分の指先が動くことに気づく。それから一分も経つと身体が動かせるようになり、普通にしゃべれるようにもなった。


 つまり男が俺に飲ませたのは毒ではなく解毒剤の方で、この囚人は俺を殺そうとしたのではなく助けたのだ。


 身体が動くようになってすぐ起き上がった俺は、寝台から這い出て男から距離を取った。


「…どういう…つもりだ…、なぜ俺を助けた?」


 中年の囚人男は忌々しそうに俺を見て、再度舌打ちをする。


「察しの悪い野郎だな、命を楯にして取引を持ちかけても、そっちが応じねえからだろうが。てめえ、もしかして王国軍人か?毒に侵されてんのに自尊心(プライド)を優先するなんざ、一般人の持つ思考じゃねえぞ。」


 俺はなにも答えずに男をただ睨み返した。


「…ふん、剣を取り上げてんのに態度のでけえ野郎だ。おい、もう一度言う。俺と取引しろ。今度はてめえの命じゃなく、この(つるぎ)が "取引材料" だ。初めて目にしたが、こいつは三年ほど前に国で開発された、とんでもなく高価な『魔法剣』って奴だろう?」


 男は守護者の資格を持っているようにも見えないのに、俺の剣が魔法剣であることを見抜き、今度は俺の命を救った上でそう持ちかけて来た。


 ――この男…犯罪者にしてはかなり鋭く、頭が良い。それに言葉遣いは破落戸(ごろつき)と変わりないが、こんな環境にいて身綺麗に保とうとするなど、育ちの悪い人間の取る行動ではない。


 奇妙な奴だ、と訝しむ。


「…一つ聞かせろ。あの魔物の解毒剤をどうやって手に入れた?」


 どちらにせよ剣を返して貰わなければ、さすがに先に進むことは出来ない。ヴァレッタの片手剣は無限収納にあるが、彼女の形見で人間を斬る気には到底なれなかった。

 俺はアーロンの忠告を思い出しはしたものの、この問いの返事次第では取引に応じることも視野に入れるか、そう思い始めていた。


「手に入れたんじゃねえ、ここで俺が調合して作ったんだ。この監獄で生き延びるには、際限なくやって来る魔物を上手く利用するしか方法がねえ。だから様々な薬を調合して食える魔物を捕らえて喰らい、猛毒を持つ殺人鼠から入手した毒袋を使って解毒剤を作った。…どうだ?俺は役に立ちそうだろ?」

「――……。」


 ――役に立つ?なにに?…まさかこの男も、一緒に連れて行けと俺に言いたいのか?


 ここに来るまでにも散々、他の収容者達に言われて来たことだ。新法対象者の民間人達は俺が魔物を倒せると知ると、誰もが一緒に行きたいと詰め寄った。

 自分達は戦う術を持っていないのに、俺が戦えるのなら守られるのは当然だと言わんばかりにだ。

 ここが正常な場所で、収容されている民間人が俺一人の手で守れる範囲ならばそれも良いだろう。

 だが俺でさえいつ殺られるかわからないような場所だ。自分で自分の身を守れないのならとても連れて行けるはずがない。


 俺はここに連行された新法対象者達を助けなければ、と思う反面、その身勝手さに辟易し、苛立って腹を立ててもいた。そんな感情を押し殺しながらここまで来たのだ。

 俺は救世主のような聖人ではなく、誰でも守れるような強大な力もない。多分俺のような人間を人は “偽善者” と罵るのだろう。

 実際そうなのではないかと自分でも思う。俺が助けたいのはヘイデンセン氏のみであって、それも結局は自責の念から来るものだ。

 見捨てたら良心が傷むから、自分の所為だと言われたくないからこんなことをしただけで、本当は他の民間人のことなど、どうでも良いとさえ思っているような気がしてくる。


 俺は醜い。結局は自分のことしか考えていないからだ。


 いつまでもこの場所にいると、自分のそう言った負の感情が表面化して来て、自分自身を見失ってしまいそうだった。


「…貴様の望みはここから脱獄することか?」


 俺は男が俺と出口へ向かい、ここから逃走を図りたい…そう望んでいるのかと思った。


「いいや、違う。俺はこの監獄に入るために、わざと殺人を犯したんだ。他人の命を奪った罪は俺自身の命で償うつもりでいるし、ここから逃げ出すつもりはねえ。」

「…なに?では取引とはなんだ。」

「俺はな、ここの下階に収容されているはずの男に、会いに来たんだよ。…復讐するためにな。」

「…!?」


 俺は驚いた。アーロンは下へ行くほど囚人の生存率は下がると言っていた。


 この男がこの監獄についてどこまで知っているのかは知らないが、復讐?ここに収容されている犯罪者に会うために、わざと殺人を犯しただと?…正気か?


 呆れ果てて絶句した俺に、男は続ける。


「どうせ生きては戻れねえバスティーユ監獄に入るならと、近所に住む、子供を虐待するようなクズ親を滅多刺しにして殺し、ざまあみろと笑いながら裁判を受けてやった。目論見通りに中に入れはしたものの、人一人殺したぐらいじゃ五階止まりだったんだよ。奴はもっと下にいる。随分前になるが、憲兵にそう聞いたんだ、間違いねえ。」


 だから男は、その犯罪者がいる階まで自分を連れて行ってくれれば良いと言い放った。


「魔物を捕獲出来るくらいなら、自力で辿り着けるだろう。なにも俺と取引などしなくても――」

「辿り着くだけじゃ意味がねえんだよ!!奴に復讐するんだ!!そのためには五体満足で奴の前に行き、ズタズタに引き裂いて殺せるだけの力が残ってなきゃならねえ!!それに俺は、階を行き来する階段の扉を開くパスコードを知らねえ!!上から来たてめえは知ってんだろうが…!!」

「……。」


 興奮した男の目には狂気の色が浮かんでいた。だがその裏に、計り知れないほどの悲しみを感じて、なにか余程のことがあったのだろうと、その惨苦に僅かな同情心が湧いた。


「…連れて行くだけだ。自分の身は自分で守れ。それが出来るのなら勝手に付いてくればいい。」


 俺にこの男を守ってやらなければならない理由はない。ただそれでも、命を救われた礼の分ぐらいは手助けをしてやっても良いか、そんな気分になった。


「ありがてえ、それで構わねえ…!じゃあ今日はここで休んで、夜が明けたら出発だ。てめえのおかげで手に入った魔物の肉で腹ごしらえしとこうぜ。ははっ、頼んだぜ、若えの!!」


 そう言って男は嬉しそうに破顔した。


 …初対面の俺を素直に信じるのか。復讐の手助けをしてやろうと思う俺も俺だが、この奇妙な男もやはり相当変わっている。俺が調子の良いことを言って騙すとは思わないのだろうか?


 ――これが俺とこの中年の囚人、『フレグ・ランスリット』との出会いだった。


 俺が倒した魔物…中型で青い鱗に黄色い縞模様の奴だが、名前を『コバルトヴィヴル』とか言うらしいが、その肉は鶏肉に似た味わいがあり、意外にも美味かった。

 因みに上階にもいた小型の一つ目の奴は『アールグナトゥス』と言い、蚊型の奴は『ボドゥモスキート』、中型で竹節虫(ななふし)に良く似た奴は『マケルポカ』と言うらしい。

 この監獄島のみに生息する固有種らしいが、男から聞いた俺が良く知っているなと感心したら、ここの憲兵に知り合いがいて、魔物の情報を予め聞き出し、そいつに多額の賄賂を渡すと、生き延びるために薬品を調合するための道具やらなにやらを、隠れて持ち込ませて貰ったようだ。


 どうせ死ぬのに財産なんぞ持ってても仕方がねえだろと、その憲兵になにもかもやる代わりに様々な便宜を図らせたんだと笑った。

 そんな話をしながら飯を食いつつ、〝フレグ〟と名乗ったこの男は、結局俺を疑いもせずにライトニング・ソードを返して寄越した。

 なぜそんな簡単に信用するのかと問いかけたら、俺は多分軍人で、囚人の言いなりになるぐらいなら死んだ方がマシだと考えるような人間なら、たとえ自分が相手でも一度交わした約束を違えることはないだろう、と言い切った。


 自分が軍人だと認めた覚えはないし、俺としては囚人に買われるなんて、と少し複雑な気分だったが、明日からは一人でこの異常な監獄内を移動しなくても良いのかと、どこかホッとしてもいた。


 そうして食事を済ませた後、魔物の体液と人間の返り血で酷い有様だった俺は、ちっとは綺麗にしろと言ってフレグに渡された石鹸で汚れを落とし、簡単に服を洗うと夜は裸で浅い眠りについた。

 翌朝になって生乾きの衣服を平然と身に着け、俺はこのフレグという中年の囚人を連れて、さらに階下へと出発した。


 フレグの武器は、調合による様々な効果を持つ芳香剤だった。約三センチぐらいの小型膠嚢(こうのう)に薬剤を詰め、それを魔物の身体に投げつけると、容器が破損し液体が漏れる。

 それがすぐに気化して臭気となり、吸い込んだ近くにいる魔物ごと眠らせたり、気絶させたりして倒す、そうやって食料などを確保して来たようだ。

 この武器は非常に優秀で、昨日までとは異なり、俺の戦闘は信じられないほど安全にそして楽になった。


 そうして何度も戦闘を繰り返して行く内に俺は、決して俺だけの力に頼らず、あくまでも対等に補助を熟すフレグに対し、こんな優秀な男が、どうして命を懸けてまで復讐に走るのかとその理由に興味が涌いた。


 多分俺は、この劣悪な環境にいて人間の汚い面ばかりを目にして嫌気が差し、この男に奇妙な仲間意識を抱いたのだろうと思う。まともな精神状態であればあり得ないことだ。もしここにイーヴやトゥレンがいたのなら、俺が狂ったと言い出して卒倒しそうになることだろう。


 五階、四階、と扉にパスコードを入力し、収納庫の箱から物資を手に入れて俺とフレグは各階を抜け階段を降りて行く。

 俺達を襲って来たのは魔物だけではなく、そこに収容されていた囚人達人間も多くいたが、俺はなんの躊躇いもなく斬り捨てた。相手が人間だと少しでも迷えばこちらが殺られるからだ。

 我ながら自分が恐ろしくなる。ここまで人間を殺すことに抵抗を感じなくなっているとは、思いもしなかった。


 予想以上に早い速度で順調に降りて来たことに、フレグは上機嫌でふへ、ふへへへ、と一人笑みを浮かべていた。


 もうすぐ仇敵に会えると嬉しくて仕方がないのだろう。その目が少しずつ血走り、濁って行く。(じき)に復讐が叶うと狂喜するその様は、俺の目には哀切極まり、願い叶いそれを果たした後、この男はどうなってしまうのだろう、と憐れにさえ思う。


「――聞いてもいいか?」


 そんなフレグを見て、今なら事情を聞いても構わないだろう、と誰を殺したいのか、なぜ復讐したいのか理由を尋ねてみることにした。


「ん?ああ、なんだ?」

「あんたの復讐したい相手とはどんな奴だ?なぜここまで追って来た?」


 俺の問いかけにフレグは笑うのをやめて、ピタッと押し黙る。


 ――さすがに踏み込み過ぎたか。まあ、話したくないのであれば仕方がない。


 そう思い、それ以上聞くのをやめようとしたが、少し間を空けてフレグは、ぼそりと口を開いた。


「…そうだな、リグ、だったか、おめえになら話しても構わねえか。ただ、俺の話を聞くのなら、もう一つ頼みを聞いちゃくれねえか?」

「…それは内容にもよるな。無理難題は引き受けられん。」

「ヘッ、心配すんな、そう難しいこっちゃねえ。まあ、先ずは俺の話を聞いてからだな。」


 フレグは戦闘の合間合間に、途切れ途切れにその話を俺に語った。


 フレグ・ランスリットという男は、三年程前まで、プロバビリテの下級貴族で、一般向けの香水などを調合して販売する『調香師』と呼ばれる職人だったという。

 二十代半ばで自身の店を持ち、安定した収入を得られるようになって間もなく、同程度の家柄の美しい女性と結婚…数年後に愛娘が生まれ、幸せな生活を送っていた。


 ところがある日、仕事で王都への二日ほどの出張から帰ると、愛する妻と娘が自宅で何者かによって惨殺されていたそうだ。

 妻は穢され壁に磔にされるようにして打ち付けられており、娘は動けないように寝台に括り付けられ、両手足の血管を切られて大量の血を失っての失血死だった。


「――リグ…もしおめえが軍人なら、〝プロバビリテ〟と〝連続殺人〟…この二つの言葉だけで、犯人が誰だかわかるんじゃねえか?」

「…!」


 フレグの言う通り、俺には確かにその二つの言葉だけで、すぐわかる犯人に心当たりがあった。


「軍人でなくともわかるさ。…稀代の猟奇殺人鬼…『マグワイア・ロドリゲス』だな。」


 ――『マグワイア・ロドリゲス』…どこか野性味のある気品すら漂う美丈夫で、優しげな雰囲気とその見た目に反し、途轍もなく邪悪な男だった。

 そいつは夫に愛される幸せな人妻と、その子供ばかりを次々と殺した連続殺人の犯人で、その残虐な殺害方法から稀代の猟奇殺人鬼と呼ばれていた。

 俺がこの国に来てそれほど経っていない頃、国内のあちこちで事件を起こし、王国軍人の殆どを動員して、ようやく捕らえた超が付くほどの極悪人だ。


 当時通わされていた士官学校を半年も経たないうちに出されて、国王の命令で無理やり王国軍に入れられ、まだ単なる一兵に過ぎなかった俺が、なんの因果なのかこの手で捕まえることになった重犯罪者でもある。

 あの殺人鬼のことは忘れたくても忘れられない。俺が人柄を気に入って特に可愛がっていた『ティトレイ・リーグズ』という年下の兵士が、そいつに一生を狂わされた苦い経験があるからだ。


「だが奴は捕まってすぐ、裁判すら行われずに有罪となって極刑に処されたはずだ。王都のすぐ外に臨時の処刑台が設けられ、衆人環視の中で首を切り落とされたと聞いている。」


 俺はその際、実は処刑を見届けていなかった。マグワイア・ロドリゲスによって負傷したティトレイが、まともな日常生活を送れるようになるまで、傍に付きっ切りで支援していたからだ。

 たとえ見届けていなくても、万人観衆の目前で行われた公開処刑だ。手違いなど起こるはずもない。

 当然処刑された犯罪者がこのバスティーユ監獄に送られる訳がなく、フレグはなにか誤情報でも掴まされたのではないかと思った。ところが――


「俺だって信じられなかったさ。ここの管理に携わっていた知り合いの憲兵に、奴が生きて監獄に収容されたと聞いても、人違いだろうと一笑に付したぐらいだ。公開処刑はこの目で見たし、処刑人が掲げた生首は奴にしか見えなかった。俺の妻と娘を殺した奴が生きているはずがねえ、ってな。だがな…」


 フレグはブルブルと拳を震わせながらハー、ハー、と呼吸を荒くし、その顔を怒りで真っ赤にして続けた。


「王国軍人には性根の腐り切った奴がいる。あろうことか処刑される犯罪者が超が付くほどの極悪人だと知っていても、金さえ貰えれば買収されちまうような…そんな人間のクズがいたんだよ。」


 ――処刑だけは免れたいと、ある王国軍人にこっそり話を持ちかけたマグワイア・ロドリゲスは、相当な金額の隠し財産を持っていたという。

 その半分と引き換えに身代わりを立て、せめてもの監獄送りを勝ち取っていた。だがどうやって万人の目を誤魔化せたのか?…答えは実に単純だ。

 俺が髪の色と瞳の色を変えているように、外見を変化させる魔法石を身代わりの犯罪者に使い、本人に見えるような細工を施していたのだ。


 何度も言うが、この国の人間はその殆どが魔法を使うことは出来ない。護印柱で突然消えた『アリスタイオス』が口走ったように、千年の間張られていた守護壁と関わりがあるようだが、魔法を使えない民間人は魔法そのものに興味を持たず、自分達には関係がないものと捉え、どんな効果があるのかさえ知らない者も珍しくない。

 当然魔法石についても詳しくなく、それ自体が高価なために、手に取るものもあまりいないのだ。


 となれば余計、民衆を欺くことなど簡単だっただろう。


 そうしてマグワイア・ロドリゲスはまんまと斬首刑を免れ、このバスティーユ監獄に送られたということらしい。


 後輩を傷付けられた俺でさえこれほど腸が煮えくり返るのだ、妻子を惨殺されたフレグの怒りは到底俺などには計り知れないものだろう。


 それがこの男を、自らが殺人を犯す犯罪者となってでも復讐を遂げるという行為に走らせたのだった。


 俺はかける言葉を失い、そのまま暫くの間はただ黙って先を急ぐことに専念し、フレグと協力して立ち開かる囚人を殺し、襲い来る魔物を駆除して行った。


 そうして最後二階へ向かう階段で、フレグは話の続きを再開した。


「俺の目的はもうわかっただろう?俺も奴と同じ殺人犯に成り下がった以上、下手な同情は要らねえが、もしも俺の…奴に殺された妻と娘を憐れに思ってくれるんなら、おめえに頼みてえことがある。」


 俺はそれがなんであるかを察し、一呼吸置いてから〝言ってみろ〟と短く返す。フレグはそのまま、〝もし、俺が失敗したら――〟そう言って、俺に自分の代わりにマグワイア・ロドリゲスを殺して欲しい、と頼んだ。


 俺は黙って頷き、その願いを引き受けることにした。


 ――なぜ俺が彼の頼みを受け入れたかわかるだろうか?


 フレグはあくまでも全身全霊をかけて、自分の手であの凶悪な殺人者に復讐を遂げるつもりでいる。

 だが王国軍人の殆どを動員してようやく捕らえた、と言った通り、マグワイア・ロドリゲスという男はとんでもない手練れだったのだ。


 真っ当な人間であれば、おそらくはその類い稀な才だけで、軍の上層部に食い込めるほどの対人能力を有していた。

 だからこそ最終的に、剣才では勝る俺が奴を捕らえることになったのだ。


 俺ならば奴を殺せる。フレグ・ランスリットはここまでの道中、襲ってきた囚人達を容赦なく斬り殺す俺を見て、そう判断したのだろう。

 俺としても私怨はともかく、極刑を免れたあの極悪人を生かしておく理由がなかった。


 フレグの言葉が真実であり、本当にあの稀代の猟奇殺人鬼『マグワイア・ロドリゲス』が生きているのなら、もしもの時は俺が――


 そう心に決め、俺は二階の扉を開けた。

同時投稿二話目です。

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