バスティーユ監獄 零 その一
三話同時投稿します。ヴァレッタ・ハーヴェルの死後、謹慎処分を受けることになったライの元を、ジャンが助けを求めて訪れました。自責の念に駆られたライは、なぜか詳細な情報を得ることが出来ないバスティーユ監獄へ侵入することにしました。ところがそこは予想以上に酷い場所で…?
【 バスティーユ監獄 零 その一 】
――俺の浅はかな行いで、根無し草のリーダーだったAランク級守護者の『ヴァレッタ・ハーヴェル』が命を落とした。
自責の念に駆られ、彼女の仲間にどう詫びれば良いのかと悩みながら、罰として下された謹慎処分を大人しく受け、自室で過ごす俺の元を、ヨシュアに連れられたジャンが泣きながら訪ねてきた。
「爺ちゃんを助けて、ライ!!」
部屋に入るなり、そう叫んで俺に縋って来たジャンから事情を聞けば、ジャンの祖父で考古学者のヘイデンセン・マルセル氏は、あの男…国王が突然制定した新法『古代歴史学排斥措置法』とやらによって、ジャンとマリナ達幼子の目の前で憲兵に拘束され、わけもわからないままどこかに連れて行かれてしまったらしい。
それを聞いた俺は泣きじゃくるジャンに、必ずヘイデンセン氏を無事にジャンとマリナ達の元へ帰すと約束し、その足で謹慎を破って謁見の間に飛び込み、あの男へ直訴した。
「正気か国王!!なんの罪もない民間人をいきなり拘束して連れ去るなど、一国の王が行う沙汰とは思えん!!なぜこんなことをする!?」
そう食ってかかった俺に、あの男は未だ曾て見たことのない、感情的になった怒りをぶつけてきた。
「――誰のせいだと思うておる。それもこれも代々の王が隠し、秘匿していた護印柱へとそなたが辿り着いたからであろう…!!」
怒り心頭で顔を歪ませ、国王の証である錫杖で謁見の間全体に響き渡るほどの音を立てながら床を突き、その先を俺に向けてあの男は怒鳴った。
「そなたはこの王都やエヴァンニュ王国だけでなく、フェリューテラという世界そのものを、滅びの危機に晒したと言うことがまだわからぬのか!!」
国王は俺に、護印柱のあの施設には、人間を魔物に変える種『テリビリスザート』と呼ばれるものと、それから生まれた異形の魔物『レスルタード』が封印されていたことを知っており、それが万に一つも地上へ解き放たれることがないように、ひたすら隠し続けてきたことを告げた。
たとえ守護壁が消えてなくなっても、護印柱のある施設には何人も足を踏み入れてはならない。そう伝わる代々の国王への警告から、間違っても考古学者によってそれが民間に漏れないよう、先手先手を打ってきたのだと言うことも聞かせられた。
だがだからと言って、この新たな法律は横暴以外の何物でもない。
――ならばその責は俺一人が負えば済む話だろう。考古学者達にはなんの罪もない。罰するというのなら追放でも免職でも処刑でもなんでも好きなだけ俺に下せば良い、悪いのは俺だ。触れてはならぬものに触れ、世界を危機に晒したのは俺だ。…そう訴えたが、国王は俺の言葉に耳を貸さなかった。
国王を警護する親衛隊に謁見の間から叩き出され、共に自宅謹慎を言い渡されていたイーヴとトゥレンは元より、以降はヨシュアでさえ俺との面会を禁じられることになった。
だが俺は諦めず世話係の侍女アルマに頼み、自由に動けるヨシュアとの連絡を取り持って貰い、その手を借りて、連行された新法対象者達がどうなったのかを調べて貰った。
すると既に彼らはバスティーユ監獄に送られた言う。
この国で殺人などの凶悪犯罪を犯し、有罪となった者が送られるエヴァンニュ最大の重犯罪者収容施設。噂ではそこに送られて生きて戻った者は一人もいないということだった。
ヨシュアに手を尽くして貰い、そのバスティーユ監獄について詳しく調べようとしたが、王宮近衛指揮官の名前を出してもその情報を得ることが出来ず、一体そこがどんな場所なのかさえ俺にはわからなかった。
ヨシュアからも、そこに収容された囚人は人権を無視した扱いしか受けられないようだとか、碌に食事を与えられないだとか良くない情報しか聞けず、遂に痺れを切らした俺は、髪を切り、以前ヨシュアに貰った魔法石で髪と瞳の色をアッシュブラウンに変え、自室の窓から紅翼の宮殿を抜け出した。
俺の自室は三階にあり、窓の外には足場となるものがなにもないため、誰も俺が窓から抜け出すことが可能だとは思ってもいなかった。
俺は昔から身軽で、多少短くても縄の一本もあれば、三階程度の高さぐらい飛び降りることも平気だ。
問題はすぐ真下がイーヴの部屋になっており、その隣がトゥレンの部屋だと言うことだったが、幸い二人にも見つかることはなく、俺は素早く身を隠して、庭から逃走を図った。
城下へ出るとそのまま先ずは下町へ行き、一般的な民間人の着る衣服を購入して着替えると、万が一の為の仕込みをして王都から出る。
グズグズしていると俺が部屋にいないことがばれて追っ手がかかるかもしれないため、準備もそこそこに急いでバスティーユ監獄行きの船が出る、唯一の港へ潜り込んだ。
そこにいた憲兵に、自分は考古学者の手伝いをしていたと嘘を吐いて、知人を返せと叫び暴れる演技をしてわざと捕らえさせ、他の新法対象者達と一緒に船に乗り込んだ。
自己申告した憲兵には、自分から捕まりに来るとは変わった奴だ、と言われたが、それ以上特に怪しまれることはなく、運搬船の倉庫のような船底にギッシリと動けないほど詰め込まれた状態で、新法対象者達とイル・バスティーユ島に渡った。
ヨシュアに調べて貰った情報では、監獄島には四箇所に刑務所があると言う。その内三つの施設には比較的軽い犯罪を犯した者が収容されるそうで、裁判で決められた刑期を終えれば放免され、本土に帰ることが出来ると言う。
だが重犯罪者と今回の新法対象者達が送られることになったのは、さっきも言った通り悪名ばかりが聞こえるバスティーユ監獄だ。
そのバスティーユ監獄にはイル・バスティーユ島の港から、箱型のシャトルバスに似た護送車両で行くらしい。
ここイル・バスティーユ島は360度周囲全てが、荒波に削られた断崖絶壁となっており、港はその荒波を受けにくい、唯一窪みのような形状になった、入り江に作られている。
憲兵達の監視の中、全員が運搬船から降ろされると、まず最初に断崖絶壁に設置された細く長い階段をひたすら上らされて行く。
そこで俺はこんな傾斜のきつい危険な階段を、ヘイデンセン氏のような高齢者に登らせたのか、と腹が立った。
体力のない年配の男女や老人は、元気のある人間に支えられ、助けられながらなんとか上まで辿り着いていた。
階段を登り切り、監獄と港の管理施設と、憲兵の詰め所がある港の上部に着くと、そこには複数台の大型車両が待機していた。
真の意味で犯罪を犯した死刑囚などの重犯罪者と、新法対象者達は別々の車両に乗せられ、この乗り物で移動させられるようだ。その数は合計五台もの大型車両に分けられ、一台に付き軽く五十人は乗れるそうだから、ざっと計算しても二百五十人がバスティーユ監獄に移送されることになる。
港を出発し、まるで太古の森のような状態にある島内の一本道を、五台の車両が一列になって移動して行く。
だがここで俺は恐ろしい光景に早くも遭遇することになった。
俺は前から二番目の車両に乗っていたのだが、先頭を行く車両が超大型の魔物にいきなり横から襲われたのだ。
その魔物は優に十メートルはある二足歩行の竜のようで、他にも角の生えた大型魔物などが一斉に群がってきた。
側面から襲われて横転し、破壊されて行く先頭車両の脇を、二台目以降の護送車は猛烈な速度で駆け抜けて行く。
この車両に同乗していた憲兵に、どうして助けないのか、と食ってかかると、先頭車両には死刑囚しか乗せていないからあれでいいんだ、と一笑に付された。
たとえ重犯罪者と言えど、目の前で魔物に喰われる人間の姿を見ていながら、そう言って笑った憲兵に、俺は寒気を覚えた。
とどのつまり、あの光景はこの監獄島で当たり前のように見られる茶飯事だと言うことだ。
道理でエヴァンニュは、監獄島に収容された軽犯罪者の再犯率が低いわけだ。皆口を揃えて二度と犯罪は犯さないと誓い、生まれ変わったように真面目になると言うが、あんな光景を目にしたらそれも納得出来るというものだ。誰だって魔物の餌にはなりたくない。
――この島がこんなに恐ろしい場所だったとは、と愕然とする。俺はヘイデンセン氏を連れて可能なら脱獄しようと思っていたが、あれでは到底無理だろう。…まあそれでも、全くなにも考えていないわけではなかったのだが。
バスティーユ監獄に到着すると、その施設の巨大さを見て呆気に取られた。
高さが二十メートル、厚さが一メートル以上もある、これでもかと言うほど頑強な外壁にぐるりと囲まれ、あの巨大な魔物にも破壊されないような正面の鋼鉄製の門から施設内に入ると、同じような壁に仕切られた広大な前庭に車両は停車し、そこに俺達は下ろされた。
眼前に聳え立つ、高さ六、七十メートルもの重犯罪者収容施設は、保存魔法で保護された剥き出しの金属と鉱物で建てられた、無骨な円柱状の建造物だった。
外観から窓のようなものは一つも見えず、内部が一体どうなっているのか片鱗さえ窺えない。
しかもエラディウム製と思われる自動開閉式の門扉が、五メートルほどの間隔で三箇所もあり、その全てにバスティーユ監獄の形を模したという〝大小三つの輪〟が三角形に並ぶ印が刻まれていた。
ここからでは良くわからないが、そのことからこの監獄は、三つの円柱型の建物が三角形に並ぶような全体像をしているのだと思われた。
その中で最も大きい目の前の建物が、どうやら監獄の本棟らしい。
同じ車両に乗ってきた複数の憲兵は、何度も移動と扉の開閉を繰り返し、迷路のような通路を通って俺達を誘導して行く。
最終的にいくつかの監房に十人程度の人数で振り分けられ、格子状の扉に鍵をかけて収容されると、憲兵達は去って行き、そのまま一時間ほど放置された。
俺達が入れられた監房には、奧に貯槽式の便所と洗面所があり、壁際に三段の一人用寝台が四列並んでいた。過去にここに収容されていた囚人の匂いなのか、饐えた獣の臭いと、奧から糞尿の吐き気を催すようなそれが漂い、すぐに気分が悪くなった。
ここは最大で十二人収容可能な監房らしい。一応目の前にテーブルと四脚の椅子はあるが、かなり狭く、当たり前だが窮屈だ。
おまけに男女の区別なく適当に押し込まれた感が否めず、刑務所に良くある囚人服が配られることもなかった。
暫くしてまた俺はこの監獄の仕組みに驚かされることになる。
どういう仕掛けになっているのか想像もつかないが、俺達が収容された監房自体が、その区画ごと突然激しい震動と轟音を立てて動いたのだ。
驚いた収容者達は一斉に悲鳴を上げて床に座り込んだ。ただ一つの窓もなく、外の景色を見ることは出来ず、小さな明光石の灯りしかないために暗く、その時間は俺にとってもかなり長く感じた。
やがてそれが収まると、監房と監房の間にあった通路入口の扉がガガガーッと音を立て勝手に壁の中へと滑り込みながら開いて行く。
さらにその先には窓か照明があるのか、監房よりも遙かに明るく、日の光が差し込んでいるようにも見えた。
すると今度は鉄格子の扉の鍵がガチャン、ガチャンと音を立てて勝手に開いた。それはまるで、監房から出るのは自由だ、と言わんばかりに。
ここに来るまであれほど厳重な扉や施設内の複雑な通路を見せて置いて、なぜ監房の鍵を開くのか、と俺は真っ先に疑念を抱いた。本能的になんだか嫌な予感がしたからだ。
その上に監房が移動してからは、憲兵の姿を全く見かけなくなった。
房内で一緒になった民間人達は皆一様に怯え、絶望的な顔をしていたが、傍にいた小柄のチョビ髭に眼鏡をかけた元気な爺さんが、親しい間柄らしきまだ若い二人の男に元気を出せ、と言って慰めていた。
「これから僕らはどうなるんでしょうかねえ…博士。」
「うーむ、さすがにこんなことになるとは予想外じゃったわい。国王陛下の考古学嫌いは筋金入りじゃと聞いておったが、まさか新しく法律を作ってまでわしらを排除しようとなさるとは思わんかったわ。」
「まさか犯罪者にされるなんて…もう両親に顔向け出来ませんよ。とほほ…」
――そんな会話が聞こえて来た。
誰も彼もが意気消沈し、立ち上がる気力さえない。当然だ、これまで人に顔向けの出来ないことなど何一つせず、真っ当に生きて来た人生を、自分達の国を統べる国王に突然前触れもなく否定されたのだからな。
俺はとにかく高齢のヘイデンセン氏が心配で、どうにかして先ずは彼を見つけ出そうと、立ち上がって鉄格子に近付き、通路の先の様子を覗おうとした。
その直後にカシャン、という金属の扉が開く音がし、同じ通路沿いにあった別の監房から、何人か三十代くらいの男女が外へ出た。
「おい、無闇に外へ出るな。ここは様子がおかしい、なにがあるかわからないぞ!」
俺はすぐに彼らにそう忠告し、周囲の様子を確かめてから動くように諭した。
「そうは言うが、牢に鍵はかけられていないんだ、自由に外へ出て構わないと言う意味じゃないのか?」
ここは監獄だが、自分達は犯罪などなにも犯していない、だからこそある程度優遇されているのではないか、その男はそう思い込んで、あからさまに指図をするな、と言いたげな顔をした挙げ句、俺の忠告に耳を貸さなかった。
――そんなわけがあるか。それならこの島には他にも軽犯罪者用の刑務所があるのに、初めから重犯罪者収容施設などに送られたりはしないだろう。
寧ろ牢の鍵が開けられたのは、なにか意図があってのものだと思った方が良いくらいだ。…そう思った。
そうして彼らは俺が止せ、行くな、と再度止めたのも聞かずに、監房前の通路から光射す向こう側へと出て行き、真っ先に命を落とす羽目になった。
その姿が見えなくなった直後、悲惨な断末魔の悲鳴が辺りに響き渡る。それと同時に、どこか遠くの方からも、同じような誰かの悲鳴が響いていた。
俺はほらみろ、と舌打ちをして、すぐさま鉄格子の扉を開けると、助けに向かおうとしたのだが、傍にいたあの元気な眼鏡の爺さんが俺の腕をガシッと掴んで引き止める。思いも寄らない強い力だった。
「行くんじゃない!おまえさんまで魔物の餌食になるぞい!!」
「…魔物!?」
魔物と聞いて驚いた俺に、その爺さんはここの話を過去に聞いたことがあるのだと、恐ろしい事実を俺に告げた。
「このバスティーユ監獄は人間の看守を置かず、代わりに内部に魔物を放って囚人を監視させているという話じゃ。昔ここの管理をしていた退役軍人の知り合いが、酒に酔ってそう漏らしたことがある。その残虐さにたとえ重犯罪者といえども惨すぎるのではないかと訴えておった。現国王ロバム陛下は恐ろしい御方だ、ともな。」
「…!」
「おまえさんもここに捕らわれて来たのなら、魔物と闘う術なぞ持っておらんじゃろう。悪いことは言わん、監房から外へは出るでない。」
爺さんはそう言うと真剣な表情で釘を刺した。
そこへ片腕を失った状態で、命からがら通路へ戻って来た女性が血まみれの手を伸ばし、助けを求めてきた。
各監房内は瞬く間に騒然となり、そこかしこから叫声と悲鳴が上がる。もはや皆恐慌状態だった。
ところがその爺さんと仲間らしき二人の男は、監房内へその女性を引き込むと、すぐに慣れた手付きで応急手当を始める。
俺は後を追って来る魔物がいないか通路を見たが、なにか仕掛けか結界でも張られているのか、光の射している通路からこちら側へは魔物が来ないようになっているようだった。
つまり監房と監房前の通路は安全地帯だと言うことだ。
「しっかりせい!!」
眼鏡をかけたチョビ髭の小柄な爺さんは、自分達の着ていた衣服を引き裂き、女性の食い千切られた腕の傷を布で覆って止血する。…だがその女性はすぐに出血性の痙攣を起こして、間もなく息を引き取った。
手当てをしていた三人は顔を青ざめさせてはいたものの、その実かなり冷静で、相当な修羅場を経験していると俺は思った。
考古学者の中には護衛として守護者を雇い、未踏の古代遺跡に探索へ出向いたり、かなり危険な場所へ平然と入り込む人種もいるという。
彼らはもしかしたらその類いなのかも知れない、と感心したほどだった。
――この爺さんの情報通り、監房前の通路から先には本当に魔物がいるようだ。俺の索敵スキルは感知範囲が狭く、魔物の大きさと近くにいる数ぐらいしかわからないが、尚更ヘイデンセン氏が心配になった。
≪一刻も早く見つけ出さないと…もし万が一のことがあれば、俺はもうジャンに二度と顔向けが出来ない…!!≫
俺は意を決して首に提げていた無限収納から、愛用の『ライトニング・ソード』を取り出し、いつものように装備する。憲兵ではなく魔物がいるのだとわかれば、それはそれで対処のしようがある。
それを見た同じ監房内の民間人や爺さん達は、驚いて目を丸くした。
「おまえさん、その剣は…!!」
あんぐりと口を開けた爺さんに、俺は自分が守護者の資格を持っていて、理不尽に捕らわれた知人の考古学者を助け出すために、自らの意思でここに潜り込んだことを打ち明けた。
その爺さんは然も愉快そうにほっほっと笑い声を上げると、自分達の知り合いにもそういう無謀なことを仕出かしそうな守護者がいる、と言って俺の肩をポンポン、と叩いた。
「――確約は出来ないが、知人を見つけ出したら、少なくとも今回の新法対象者達民間人を、どうにか助け出せないか方法を考えてみる。出来るだけ早く戻るつもりだが、あまり期待せずに監房から出ないで待っていろ。」
「ふむふむ、わかったわい、期待はせんと待っとるぞい。…おまえさんが何者かは知らんが、気い付けての。」
…肝の据わった明るい爺さんだ。
苦笑しながら俺は格子扉を開けて通路へ出た。他の監房にいた民間人にも外へ出るなと念を押し、俺は光が射しているその先へ慎重に足を踏み入れた。
――俺がなぜ無限収納を持ったままここへ来られたかというと、憲兵による所持品検査がかなりいい加減だったからだ。
一度に拘束された人数もさることながら、その対象者の職が限られていることもあり、まさか俺のような守護者の資格を持つものが紛れ込むなど、憲兵達は思ってもみなかったのだろう。
それとも武器の一本や二本持ち込んだところで、厳重に閉ざされたこの監獄島からはどうせ逃げられないと思っているか…実際、潜り込んでみて痛感した。
この島は完全に閉ざされた環境にあり、たとえ監獄から外に出られても、本土へ渡る方法が存在しない。
今のところはどうあっても脱獄することなど不可能だった。
――それならそれで俺にしか出来ない、奥の手を使えばいい。たとえそれで目論見が外れて死ぬことになったとしても、俺が自分の行いで招いた結果だ、諦めも付くだろう。
唯一心残りがあるとすれば、リーマのことだけだが…
それも今は考えるまい。
そう決心して俺は監房前の安全地帯からそこへ出た。
光が射していたそこへ出ると、周囲を確認する間もなく一瞬で見たことのない魔物に取り囲まれた。
先ず物凄い速さで飛びかかって来たのは、体高が五十センチ、二足歩行で尻尾の先には丸みを帯びた三角形の鰭のようなものがあり、背中には無数の棘と、耳は蝙蝠のような形で目が一つしかなく、口が鋭く尖っていて細かなギザギザの歯が並んだ口と、腕に皮膜を持つ不気味な奴だ。
その手には三本の鋭い爪の付いた指があり、掴むと言うよりも引き裂くのに適した感じに見えた。
とにかくその小型の魔物が、集団で餌に群がるように、凄まじい速度で襲いかかって来たのだ。
あるものは三本爪を振り回し、あるものは鳥の嘴のようにすぼめた口で激しく突き、あるものは俺の背後に回って背中に這い上がろうとした。
俺はそれを殺気と気配だけで叩き切り、夢中で振り払いながら全て斬り殺した。見ればすぐ傍に、既に肉を食われ剥ぎ取られて、白く骨が露出した先程の男達が無残な遺体となって横たわっていた。
襲いかかって来た魔物の第一波を倒した後、俺はすぐに周囲を見回した。監房前の通路は幅が五メートルもあるこの円形通路に繋がっていて、内側の壁上方に割れ防止用の鉄線が入った、明かり取りの窓が並んでいた。
パッと見た印象だとここの構造は、内側に幅の広い通路があり、そこから外方向へと放射状に伸びる細い通路と複数の監房があって、中心がどうなっているのかは見えず良くわからないが、恐らく吹き抜けのような空洞となっているのだろうと思えた。
それでいてあの入口から、一体どうやって監房が通路ごとここまで移動してきたのか、その仕組みは俺には全くわからなかった。
とにかく第二波が来る前に左右を急いで確認すると、そのどちらもに各監房への通路があるらしく、ヘイデンセン氏を探すには、片っ端から一つ一つの監房を見て歩くしか方法がなかった。
どちらへ進むか悩む暇もなく、すぐにまた血の匂いを嗅ぎつけた魔物が襲ってくる。
さっきの小型魔物に、今度は三十センチ大の細く薄い四枚翅を背に生やした、蚊のような魔物だ。耳障りな低い羽音を立て、俺の周りを飛び回ると、六本もある長い先の尖った口吻を、細かく震動させながら突き刺そうとしてくる。
どれも動きが素早く、飛びかかって来てはすぐに離れて行くため、倒すのにもかなり苦労した。
魔物の群れがやって来る左方向から追い立てられるようにして、俺は自分が元いた監房の右隣から順に他の監房を見て回ることにした。
つるつるとした剥き出しの金属床を、カンカンと靴音を立てながら走り出すと、俺が立てる靴音に反応して、また魔物の群れが後を追いかけてきた。
追いつかれない内は出来るだけ逃げ、逃げ切れない場合のみ戦って倒す。でないと体力の消耗が激しくなるだけで、切りがないからだ。
魔物から走って逃げるその間も通路の所々に、亡くなったばかりだと思われる、民間人らしき人達の遺体が幾つも横たわっていた。そのどれもが酷く食い散らされていて、俺は思わず目を背ける。
惨い…どうしてこんな…
――あの男にこの光景を見せてやりたい。…俺は歯噛みながらそう思った。新法制定の原因を作ったのは俺かもしれないが、この惨劇は俺だけが招いたものではない。最終的に手を下したのは、やはりあの男に違いなかった。
各監房前の通路へ入る度にヘイデンセン氏の名を呼んで探しながら、騒然とする収容者達に、〝死にたくなければ絶対に監房から出るな〟と言い聞かせて回り、武器があるのなら一緒に連れて行けとせがむ連中を振り切って、ひたすら彼を探し続けた。
そうして端まで行くと、そこの突き当たった壁には、駆動式の鍵がかかった扉があった。どうやら刻まれた表示からその先は上への階段になっているようで、解錠するには五桁もの数字を解錠装置に入力しなければならないようだった。
もしこの階にヘイデンセン氏がいなければ、扉を開けて他の階へ移動する必要がある。だが俺にはそのパスコードを知る術がなかった。
ここまで来た通路を、追いついてきた魔物を倒しながらぐるりと戻り、今度は魔物がやって来る方向へと向かって行く。
倒しても倒しても何処からともなく現れる魔物は、時折聞こえる昇降機らしき駆動機器の音がガコーン、ガコーンと聞こえてくることから、数が減ると勝手に補充されるような仕組みになっているようだった。
これでは幾ら倒し続けても、魔物を完全に駆逐することなど不可能だ。
ジャンと約束をし、自責の念から無謀にも、事前になんの情報も得られないまま、ここまで乗り込んでは来たものの、俺は本当に愚かだな、と自嘲する。
何一つ当てなどないのに、監獄の中に入りさえすれば、後はどうにかなると本気で思っていたのだろうか?…こんなだから護印柱で、ヴァレッタを失うようなことになるんだ。
俺の無限収納の中には、ヴァレッタが大切に使い込んでいたオリハルコン製の片手剣と、彼女が二の腕に着けていた革の腕輪が入っている。
ヴァレッタが骨の欠片も残さずに消された後、その場に落ちていた装身具の一部を、形見分けとして貰ってきた物だ。
フォションはヴァレッタの翡翠のイヤリングと、揃いのペンダントを持って行った。あの日以降会うことが出来ないままだが、今頃どうしているのだろう。また襲って来た魔物との戦闘中にも拘わらず、そんなことを考える。
――ヴァレッタの笑顔を思い出す度に、罪の意識に苛まれて胸が痛んだ。俺が彼女を巻き込み、あんな姿にして死に追いやったも同然だからだ。
どう償えば良いのかわからない。そんな思いがあったからこそ、ジャンから話を聞いて居ても立ってもいられなかった。
俺はもうどうなってもいい。だがジャンとの約束だけは守りたい。どんなことをしてでも、ヘイデンセン氏を見つけて助けたいんだ。
…その願いも虚しく、全ての監房を見て回ったのに、この階に彼はいなかった。そうなるともう、他の階にある監房に入れられているとしか考えられないのだが、階段のある扉を開ける方法がない。
右端にある監房の通路に俺はへたり込み、暫くの間動けなくなる。…と言うのも、もうこの後どうしたら良いのかわからなくなって、途方に暮れてしまったのだ。
右の突き当たりの壁にも駆動式の鍵がかかった扉があり、そこは表示から下への階段に続いているようだったが、こちらもやはり五桁の数字を入力する必要があって、なにか適当に試そうとしてもひっきりなしに魔物が襲ってくるため、番号がわからなければどうやっても階を移動することは出来そうになかった。
後は魔物が運ばれてくる昇降機があるが、その扉はこちらからでは開くことが出来ず、運ばれてくる魔物と入れ違いに潜り込もうとしても、なにか見えない壁のようなものがあって、どうしても籠に乗り込むことができなかった。
完全な手詰まりとなってガックリと項垂れた俺に、目の前の独房にいた男が怪我をしているのかと心配して声をかけて来る。
「おい、あんた…大丈夫か?」
明るめの茶髪にアーモンド色の瞳の生真面目そうな、俺より少し年上ぐらいの男だった。
壁を背に膝を立てて座り、右手に剣を握ったまま下を向いて顔も上げず、俺は男を左目で一瞥した。
…そう言えば、なぜここだけ独房になっていて、この男だけが一人、他の民間人から離されるように収容されているのだろう。…ふとそんな疑問を抱く。
不思議なことにこの一番右端にあった監房だけは八つの独房となっており、その内のたった一つにこの男だけが入れられていた。
返事もしない俺に男は一方的に話し続ける。
「武器を持っていることにも驚いたが、あの数の魔物を倒しながら主要通路を移動して歩く強者がいるとは…ただの民間人じゃないよな?守護者か?」
男は格子扉を開けると、俺の近くまで来て目の前にしゃがみ込んだ。
「たしか等級があるんだったな、ランクは?」
ほんの少し男に興味を持った俺は、話をしてみることにした。
「…大したことはない、Bだ。しかも本職じゃない。」
「ああ、まあそうだろうな…でなければここにいるはずがないもんな。」
――そういう意味ではなかったのだが、男は俺が考古学関連の職にあるものだと思い込み、ははは、と苦笑した。
「聞きたいのだが、なぜ一人で独房に入れられている?端まで全ての監房を見て回ったが、この階に収容されているのは全員、新法対象者の民間人だった。そんな中でここだけが独房になっていて、他に誰も収容されていないのは奇妙だ。なにか理由があるのか?」
ふと感じた疑問をなんとはなしに尋ねただけだったのだが、俺は男から返ってきた思いがけない答えに、この世界にはまだ、俺の味方をしてくれる神がいたのだと、天を仰いで感謝の祈りを捧げたくなった。
「ああ、俺はつい先日まで王国軍人で、このバスティーユ監獄の管理をしていた憲兵だったんだよ。だから他の囚人と接触しないよう別に入れられたのさ。」
苦笑いを浮かべながらそう言ったこの男は、自分を王国軍イル・バスティーユ島駐屯所所属の元憲兵『アーロン・ジック』だと俺に名乗った。
わけを聞けば親しい友人に古代遺物の発掘作業に携わる職にあった者がいて、今回の新法制定と対象者の拘束に真っ向から異を唱え、横暴だと反対したために監獄送りとされてしまったらしい。
「――と言うことは、あんたの友人も既にこの監獄のどこかに収容されているのか?」
驚いたな…俺の運はまだ尽きていないらしい。まさかこんな絶望的な状況で、この監獄に詳しい人間と出会えるとは…だがまだ安心は出来ん。可能性はかなり低いが、この男が憲兵側の監視役でないとは言い切れんからな。
「ああ、そうなんだ。どこに入れられているのかさえわからないが、探しに行きたくても俺にあんたのような真似は無理だ。この通路から一歩でも出ようものなら、たちまち散々聞こえて来た悲鳴の主同様に魔物の腹の中だろうよ。」
――その後も詳しく話を聞くと、どうやら親しい友人が新法対象者というのは真実のようで、その友人は彼の妹と結婚が決まっていた婚約者でもあったらしい。
俺はアーロンの話を聞いて彼を信用することに決め、自分は『リグ・マイオス』だとマイオス爺さんの名前を騙って偽名を名乗り、同じように連行された知人を探していると伝えた。
「そうか、やっぱりあんたも知り合いを探しているんだな。なあ、それならここの魔物を倒すことの出来るあんたに頼みたいんだが…短時間だがこの島特有の魔物避けに使える特殊薬も一緒に渡して、扉の鍵を開くパスコードを教えるから、どこかにいるはずの俺の親友を探してくれないか?」
教えられた彼の親友の名は『ジェフリー・パルド』と言い、メソタニホブ在住の古代遺物研究者で、新法制定直後の早い段階で憲兵に連行されたそうだ。
アーロンの申し出は、完全に手詰まりだった俺にとって救いとも言える取引で、俺は一も二もなく承諾し、このバスティーユ監獄について、彼が知る限りの詳しい情報全てを教えて貰った。
「――つまり今俺達がいるのは十四階で、下に行くほど強い魔物の出現率が上がり、比較的弱い魔物の多い十一階から上に、新法対象者は収容されているんだな?」
「ああそうだ、間違いない。十階から下に行くにつれ囚人の生存率が下がるから、凶悪な犯罪者ほど下層にいる。…と言っても、ここに入れられた重犯罪者はほぼ全員が死刑囚だから、重いも軽いもあまり関係がないんだけどな。」
「…そうか。」
俺の剣の一撃で倒せるのだから、確かにこの階の魔物は弱い部類に入るのかも知れないが…あの敏捷さと出現数は油断出来ない。
その上、下に行くほど強力な魔物の出現率が上がる?…俺の今の実力で倒せるのだろうか。
実際に戦ってみないことにはなんとも言えないが、それでも階段の扉を開けるパスコードと、ここの詳細な情報は手に入った。
アーロンの説明によると、円形に建てられた監獄の二階から上各階の階段は、魔物の昇降機前を過ぎた真東を壁に隔てられて、端と端に分けられて設置されており、各階を通り抜けて移動しないと上下階への行き来が出来ないようになっているという。
つまり一階層分下ったら、さらに下の階へ降りるには魔物だらけのその階を抜け、壁で仕切られた反対側の突き当たりに行かないと下へは行けないと言うことだ。
それから二階から一階に降りる階段は二階のどこかの壁に隠されており、脱走防止用に、四重の輪を重ねた通路がある複雑構造の一階には、この監房棟の制御室があって、そこでなら魔物を外部から呼び込む二つの搬入口を閉じることが出来るかもしれないと言うことと、屋上には他の棟へ渡る橋があり、そこを通れば魔物がいない別棟に行けることも聞いた。だが――
「外側の通路から内周の通路に入るには、上階と同じように一定の距離を移動する羽目になる。そして制御室に向かうには一度中庭を通らなければならないんだが、そこには古代からここにいると言われる、ヘレティック・ギガントスがいるんだ。」
「ヘレティック・ギガントス?…魔物か?」
「違う、そんな生半可なものじゃない。もっと恐ろしいものだ。」
その真剣な表情に、俺は眉を顰めた。
それは地面に埋められた六つの『結界石』によって守られている、正体不明の怪物なのだそうだが、非常に素早く、その姿を目の前で見た者は誰も生き残れないとさえ言われているらしい。
しかもそいつは人間を餌としており、月に二、三人の割合で囚人が喰われるという。
それを倒すには時間経過で傷を完全に治すという結界を消すために、先に全ての結界石を壊さなければならないのだそうだが、守護者の資格を持つ俺になら倒せるかもしれない、とアーロンは言った。
所詮Bランク級程度の腕しかないのに、いくらなんでもそんな恐ろしい怪物とは出来るだけ戦いたくはないものだ。
戦闘を避けられるのであればなるべく避け、見つからないように身を隠しながら中庭を駆け抜ける方法も取れなくはないだろう。
後にこの考えが甘かったことを思い知る羽目になるのだが、この時の俺はどちらにせよそれはその時になってから決めるしかない、そう思った。
アーロンの説明を聞いて俺は、ヘイデンセン氏とその友人を見つけたら、先ずは魔物の搬入を止めることを第一に考えるべきだと思った。
新たな魔物さえ入って来なくなれば、昇降機を止めて、十一階から上の魔物だけでも駆除し、少なくとも民間人の安全は確保することが出来るはずだ。その後でゆっくり監獄から出る方法を考えれば良い。
「しかしまあ、このバスティーユ監獄のことは厳重に秘匿されているから、施設内の構造など一切外部に知られていないとは言え、良くあんたはなにも知らずにこの中で人を探そうなんて思ったな?」
呆れたようにそう言われ、俺は目頭に手を当てると、床を見てぼやくように返した。
「――言うな。頭に血が上っていてなにも考えずに行動したことを、俺自身愚かだったと自嘲してはいるんだ。」
「ぷははっ、それでいてここに詳しい俺と出会い、なんとかなりそうなんだから、大した強運の持ち主だよ。呆れると同時に感心するね。」
「それはどうも。褒め言葉だと受け取っておく。」
そう言って俺とアーロンは、互いの顔を見て苦笑いを浮かべた。
――アーロンの言う通りだ。もっとも、憲兵が監獄の守護に付いていたらいたで、強引に通る方法をなにも考えていなかったわけではない。
俺は自分に可能な有りと有らゆる手を使い、是が非でも我を通すつもりだった。
そのための仕込みはもう既に済ませてある。たとえどんな結果になろうとも、俺は俺自身の命をも賭けているのだ。
「それと最後にこれだけは言っておく。十階から下は魔物だけでなく、人間も敵だと思え。そこから先はもう誰の手にも負えない無法地帯だ。まともな頭の持ち主は一人もいないと思った方がいい。出来るだけ誰とも関わらず、背後を取られないように注意し、話しかけられても相手にせず、一気に通路を駆け抜けるように気を付けるんだ。」
アーロンのその目は真剣そのもので、その忠告は戦場を知る者のそれと同様だった。
「――わかった、情報をありがとうアーロン、十分気を付けるようにする。魔物の数が数だけに時間はかかるだろうが、これで先に進める。後は俺が無事に探し人を見つけられるよう祈っていてくれ。」
「ああ。一緒に行けなくてすまない、俺では足手纏いになるだろうからな、あんたが戻るのをひたすらじっと待つことにするよ。どうか俺の親友を見つけてくれ。」
俺は黙って頷き、アーロンに手渡された魔物除けの特殊薬を、幾つか服の物入れに仕舞い込む。アーロンはもしも非常用の物資が必要になった時は、各階の階段脇の壁にある箱に、なにかあるかもしれないから中を覗いてみると良い、そう付け加えた。
そうして俺は彼にまた会おう、と告げて安全地帯から主要通路へと飛び出して行った。
俺の後を追いかけて来た魔物の集団は、俺がこの通路から外に出てくるのをしつこく待ち伏せており、すぐに襲いかかって来たため、途端に戦闘へと突入する。
またあの小型の奇妙な魔物と飛び回る蚊のような奴だ。俺はそれをどうにか倒し、急いで下階への階段がある扉前に行くと、ここから見えている昇降機の扉が開く前にアーロンから聞いた扉のパスコードを入力した。
聞いて驚くな、呆れたことにその五桁の番号は『50459』<ゴー地獄>だ。語呂合わせにしてもふざけている。
すぐにピッと言う反応音がして鍵が開いた。全ての階層の扉はこの番号で開くという。今回の俺にとっては幸いだったが、監獄を管理する軍側としてみれば実におざなりな警備だ。
扉から中に入ると、非常灯のような明光石の灯りがポツンと一つ灯っているだけの薄暗い下り階段だったが、そこを数段下って踊り場を通り、折れてまた数段下るとなるべく音を立てないように扉を開けて十三階に出た。
そうして上と同じように魔物を倒しつつ各監房を見て回ったが、結局この階にもヘイデンセン氏はおらず、アーロンの友人『ジェフリー』も見つからなかった。
降りて来た階段から一周するように突き当たりまで行き、再びパスコードを入力して十二階に降り、同じことを繰り返す。
魔物と闘い、通路へ入り、端から監房を見て回る…もう何時間経ったことだろう。窓の外が暗くなり始め、さらに下階へ降りて行き、今日はもうこの十一階のどこかで休むしかないと思いながら、疲れ切って重くなる身体を引き摺り、階半ばくらいの監房へ入った時だ。
通路にふらつきながら駆け込んだ俺を見て、騒然となった民間人に呼びかける。
「俺は人を探している…!ヘイデンセン・マルセル氏!!それとジェフリー・パルド!!いたら返事をしてくれ…!!」
ざわめく人の声だけですぐに返事は聞こえて来ず、またここにもいないのか、と思い、連れて行けだのなんだのと騒がれる前に踵を返して移動しようとした時だ。
「ジェフリー・パルドは俺だ!!」
そうハッキリと告げる声が返って来た。
――頼まれていたアーロンの友人が見つかったのか?…だが俺が探しているヘイデンセン氏はどこに…
ふらふらとその声が聞こえた監房に向かうと、アーロンと同年代の手を上げている、よく日に焼けた顔をした栗毛の男に近付いた。
「返事をしたのはあんたか?」
「そうだ。」
額から流れる汗を、左腕の服の袖で拭いながら尋ねた俺に、男は緊張した面持ちで頷く。
「本人に間違いないか、確認したい。住所と職業は?」
「メソタニホブ在住で古代遺物の発掘と研究をしている、考古学者だ。」
「ああ…」
――アーロンの友人に間違いなさそうだな。
「あんた誰だ?どうして俺を…」
「アーロン・ジックに頼まれて探しに来た。」
「アーロンに!?え…どういうことだ?」
俺はこれほどの汗を掻いていながら、魔物と戦ったり逃げるのに必死で、殆ど水分を取っておらず、脱水症状を起こしかけて眩暈がした。
「――すまない、中に入れて貰えるか?少し…休ませてくれ。」
「あ、ああ、もちろんだ。」
俺は手を借りて監房内に入れて貰い、無限収納の中からボトルに入れた予備の水を取り出して一気に飲み干すと、不安気に集まった収容者達の顔を見た。
…人数が少ないな。ここも十二人用の監房なのに、半分の六人ほどしかいない…?
監房内にいたのは、ジェフリーを含めた二十から四十代の男が四人と同年代の女が二人だ。
ふと暗がりに視線を向けると、一番下の寝台に横たわる、高齢の老人らしき人の頭が見えた。その白髪交じりの髪色に俺は見覚えがあり、殆ど直感のようなものだったが慌てて立ち上がると、目の前の男を押し退けて急いで寝台に近付いた。
「ヘイデンセン…マルセル氏?」
その顔を覗き込むと、苦しそうにはあはあと息を吐き、額に濡れタオルを乗せ、意識朦朧としたその人がいた。
「ヘイデンセン氏!!どうした…具合が悪いのか!?」
酷い熱だ…!!
その身体に触れると、まるで火で炙ったかのように、焼け付きそうなほどの熱を持っていた。
ジェフリー・パルドという名のアーロンの友人は、少し驚いたように、俺に知り合いか?と尋ねる。
すぐにそうだと頷き、俺が探していたのはこの老人であることを告げると、彼になにが起きたのかを聞き出した。
するとジェフリーの話では、ヘイデンセン氏がここ連行される際、憲兵に警棒で激しく胸を突かれ、どうやら肋骨が折れるかしたらしく、その負傷が原因で昨日から熱を出してしまったらしい。
「薬はないのか?病人がいると憲兵に知らせる方法は!?」
「…そんなものあるはずがないだろう。薬どころか俺達は、もう丸三日間食事すら与えられていない。水だけは辛うじてそこの水栓から得られているが、空腹に耐えられず監房から逃げ出した人達は、みんなそこの通路を出た直後になにかに襲われて死んだらしい。誰一人として戻って来た奴はいないんだ。」
「…!」
ああ…それで人数が少ないのか、と俺はまた歯噛むしかなかった。
――普段なら外出前に必ず薬の類いを用意して無限収納に入れておくのだが、今回はここに来る前の期間に自宅謹慎を受けており、碌に準備をすることが出来ぬままだった。
食事は最悪、魔物の肉を焼いて食べればなんとかなるが、薬だけはどうにもならない。せめて解熱剤か鎮痛剤が手に入れば――
そうだ、アーロンが階段脇の箱に非常用の物資がどうとか言っていたな、そこを見てみればなにかあるかもしれん…!!
俺はヘイデンセン氏がようやく見つかったことで気力を取り戻し、疲れた身体に鞭を打って立ち上がった。
「俺の名はリグ・マイオスだ。ジェフリーと呼ばせて貰うが、少しの間ヘイデンセン氏を頼めるか?どこかに薬がないか探しに行って来る。」
ジェフリーは一瞬ギョッとして目を見開いた。
「な…いや、そうか、あんたは他から来たんだったな、その前に教えてくれ、ここを飛び出した連中はやっぱり死んだのか?そこから先はどうなっている?ここからじゃ見えないからどうなっているのかさっぱりわからないんだ。」
その赤茶色の瞳になにを聞いても覚悟は出来ている、そう言うような意思を込め、ジェフリーは尋ねた。
俺は短く息を吐き、落ち着いて真実を告げた。
「各監房と監房前の通路は安全だが、すぐそこの主要通路には多数の魔物が徘徊していて、一歩でも出ればたちまちに襲いかかってくる。ここを飛び出したと言う人間かどうかはわからないが、通路上には魔物に喰われた無数の遺体が横たわっていた。」
俺の説明を聞いた途端に彼らはやっぱりか、と顔色を変えた。
「俺は守護者の資格を持っており、無限収納の中に隠して武器を持ち込むことができ、十四階から魔物を倒したり戦闘を避けたりしながらこの十一階まで降りて来た。あんたを探してくれと言ったアーロンは今、十四階の独房にいる。」
「独房!?どうしてアーロンが!?あいつはここの憲兵なのに…!!」
「わかるだろう。親友が連行されて新法に異を唱えたんだ。それで捕まり、ここへ送られた。彼の妹と結婚の約束をしているんだそうだな。…アーロンはあんたのことを心配していたぞ。」
「――アーロン…!」
ジェフリーは始め顔を歪ませて辛そうな表情を浮かべたが、直後に今度は嬉しそうに微笑んだ。
「あいつ…俺のことをそんなに大切に思ってくれていたんだな。国に逆らって、捕らわれてまで…あんたも、そうか。この爺さんを探して来たんだものな。」
「……。」
――探していたのは確かだが、俺の場合は…
「…とにかく彼を頼む。すぐ戻る。」
俺はジェフリーから目を逸らし、そのまままた来た道を戻った。
違う…俺は自分の罪の意識から贖罪のために動いているだけだ。純粋に人助けがしたいわけでもない。どこまでも自分勝手で――
それでも、立ち止まるわけには行かなかった。
再びパスコードを入力して開いた扉から戻り、アーロンが俺に教えてくれた通り階段脇の壁を調べると、その中には非常用の物資が入れられた箱があった。
そこにはある程度の薬と着火剤、野外用の調理器具や毛布などが入っていた。
俺はその全てを無限収納に入れて持ち、途中で倒したあの小型魔物を捌くと、簡易検査用の器具一式を使って、人体に有害な成分が魔物の肉に含まれていないかを確認し、その場でとりあえず焼いて食べてみた。
調味料もなにもないのだから仕方がないが、食えないことはない。水気が少なく筋張っているが、腹の足しにはなるだろう。
ヘイデンセン氏とジェフリーがいる監房に戻りながら、道中魔物を狩ってその全てを丸ごと無限収納にしまって持ち帰ると、そこの区画にいる収容者にだけだったが、肉を焼いて食べるように差し出した。
最初は誰もが嫌がったが、店で普通によく食べるあのボア肉も、結局は魔物に違いないんだと言ったジェフリーの言葉に、生きるためだと全員が納得してそれを食べた。
三日間なにも口にしていなかった彼らは、味がしないと言いながらも俺に礼を言って均等に分け合い、残さずにしっかり食べて腹を満たした。
ここの監房の収容者が三日も食べていないと言うことは、この階のほぼ全員が同じ状況にいることだろう。
今日ここに入れられたばかりの十四階の収容者はまだ運が良い方だったのだ。
勝手に連行して監禁し、人の…命の生きる権利を無視して食事を与えず、空腹に耐えきれず監房から飛び出した人間は魔物に喰わせる…これが国のすることか?
あの男は…本当にこんなことをしてなにも感じないのだろうか。
俺はもう、あの男が俺の父親だとか、血が繋がっているとか、そんなことはどうでもいいと思うぐらいに失望し、憎いという気持ちすら湧いて来なくなっていた。
――幸いにして薬が手に入り、ヘイデンセン氏に解熱剤と鎮痛薬は飲ませることが出来た。彼の意識が戻ったら、話をして一度食糧の確保に走り、この階の収容者の命を繋ぐ必要がありそうだ。
俺は頭を切り替えてそう考え、万が一にも盗まれたりしないようにライトニング・ソードを無限収納にしまうと、この日はここの監房の空いている一番上の寝台で眠りについた。
翌朝、ヘイデンセン氏の意識が戻ったと、ジェフリーに身体を揺さぶられて目を覚ますと、寝台から飛び降りて俺はすぐさま彼に声をかけた。
「ヘイデンセン氏…具合はどうだ?薬で熱は下がったようだが…魔物の肉しかないが、少しでもなにか食べた方が良い。」
そう言った俺を見て、ヘイデンセン氏は酷く顔を顰めた。
「――あんた…誰だ?……いや、その声…その呼び方…まさか…!」
俺は慌てて口元に指を立て、首を横に振った。
「〝リグ〟だ。ジャンに頼まれて、あなたを助けるために俺はここへ来た。」
「な…」
ヘイデンセン氏は目を丸くして絶句する。
「…馬鹿かあんたは…わしなどのために、こんな危険を冒すなど…」
「馬鹿で結構、俺が来たくて勝手に来たんだ。それより、胸は痛むか?憲兵に警棒で酷く突かれたと聞いたが…」
「ああ、息をするだけでかなり痛む。昔同じような経験をしたことがあるが、どうやら肋骨が折れてしまったようじゃな、年は取りたくないわ。」
そう言って目を細めた彼に、薬が効いている今暫くは大丈夫そうだと思い、ホッと安堵する。
だがようやくヘイデンセン氏を見つけただけで、まだ無事に助け出せたわけではない。俺にはやらなければならないことが多く残っていた。
俺はこの区画一帯にいる収容者達に、先ずは魔物を狩って他の監房にいる人間の分も出来る限りの食糧を用意すると伝え、その後で一階に降り、魔物の搬入口を閉ざす計画でいることを話した。
搬入口を閉ざした後で再び戻り、魔物を完全に駆除して、屋上から安全な別棟に移動してからまた、その後のことは話すと告げ、中に俺と同じように守護者の資格を持つ者はいないか、一応尋ねてみた。…が、残念ながらやはりいないようだ。
この階だけでも相当な数の収容者がいると思われ、一人で全員分の食糧を用意するのはかなり大変だ。
だが俺がやらなければ、やがてはみんな動けなくなってしまうだろう。
俺は考えるよりも身体を動かし、ひたすら魔物を狩り続けた。初見では手子摺っていたが、相手をするのにも大分慣れ、効率良く狩れるようにもなって来た。
だがブンブン飛んでうるさい蚊のような魔物の方は、食べられる部位が殆どない上に体内に毒があり、鬱陶しいことこの上なかったが、薬剤に詳しい学者の一人から、解毒剤の材料になると言われ、一応解体して毒袋は回収することにした。
そうして半日以上をかけ、ようやくある程度の人数分は食糧を確保し、各監房にそれを配ると、諦めたり、自暴自棄にならずに、俺が戻るまで食べ物を分け合って辛抱強く監房で待つように言い聞かせて回った。
本当なら上階の収容者達にも同じようにしてやりたかったが、俺一人の力ではこれが限界だ。
この階の人々はここに収容された時期が最も早く、食事を取れていない日数も長かったため、倒れる前に優先する必要があったのだ。
そしてこの日の午後に俺は、本格的に階下への移動を開始する。
ジェフリーにヘイデンセン氏のことを頼み、必ず戻ってくるからと監房の収容者達に約束をして、俺は再び補充された魔物と戦いながら主要通路を駆け抜けた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。筆者、虚血性腸炎になりました。痛いです。絶食中です。自宅療養です。コロナ患者が多くなければ入院でしたが、良かったのか悪かったのか、どうにか投稿出来ました。皆様、お身体に気を付けてくださいね~!