100 待ち受けていたもの
100話目です。アインツ博士達がエヴァンニュ国王の発した新法により、理不尽に監獄島へ送られたことを知り、ルーファスは犯罪だと理解していながら助け出そうと決心します。そうしてマリーウェザーから得た情報を元に、地下迷宮を通って極秘にイル・バスティーユ島へ向かいますが…?
【 第百話 待ち受けていたもの 】
ルフィルディルの魔物駆除協会から地下迷宮に入り、ウルルさんと見送りに来たランカを連れて俺達とイゼス、レイーノの二人は、封印された外部への転送陣にやって来た。
この後俺達はここからイル・バスティーユ島に向かってしまうので、ウルルさんにはまたこの転送陣を封印して貰うことになる。
「ルーファス様、監獄島内で転移系の魔法石や道具の使用はお避け下さい。恐らく何重もの魔法封印がなされた、別の場所に誘導される仕組みになっていると思われます。」
「ああ、わかった。まあ当然だろうな。」
民間人との面接は禁じられているとは言え、どこからか転移魔法石を手に入れようものなら簡単に脱獄できてしまう。そんな穴のある監獄など普通はないものな。
公にされておらず俺は知らなかったのだが、ウルルさんから聞いた話によると、バスティーユ監獄の警備機構は、その一部の魔法対策や結界などを『魔法国カルバラーサ』の協力を得て構築したらしい。
となると、当初の予想とは違って、監獄内にもある程度までの魔法封印が施されている可能性があった。
そこで俺が急遽用意したのは、その魔法封印を含めた状態異常を防いでくれる『レジストアミュレット』だ。
これはウェンリーの状態異常対策に薬でも魔法でもないものをと考え、幾つか試作品を作っていた装身具で、外部からの状態変化に抵抗する力を道具に持たせた所謂『特殊装身具』だ。
僅か一時間ほどで今あるミスリル製の装身具をかき集め、取り急ぎ人数分を揃えたために外見はバラバラだが、俺は試しにこれを試験的に使ってみることにした。
世に出回っている特殊装身具の多くは、身に着けると個人能力を幾分高めたり、特定の攻撃に対して強くなったりと能力上昇の効果を持つものが殆どだが、俺の作る装身具は少し違う。
それは身に着けることでそれ自体に持ち主の魔力を通し、そこに刻まれた呪文字や魔法紋が特殊効果を発揮する仕掛けになっているものだからだ。
これは誰もが体内に持っている魔力を利用するもので、魔法を使えるかどうかは関係がないことを付け加えておく。
因みにこの『レジストアミュレット<抵抗のお守り>』は、所持者の身体状況を維持して、外部からの干渉を阻害する様な呪文字を刻み込んでいる。
但しまだ改良中で欠点があって、強力な敵が放つ状態異常攻撃の強さや、一定以上の段階を越えるような異常値が加わると簡単に壊れてしまう。
おまけにフォースフィールドなどの補助魔法効果も受け付けなくなってしまうので、ウェンリーに渡すにはまだ早いと思っていた。
「それじゃウルルさん、なにか緊急の連絡や進展があった時は、精霊の鏡に連絡を頼む。」
「かしこまりました、どうかお気を付けて。」
「ランカ、留守の間呉々もマリーウェザーを頼むぞ。」
「はい、お任せを。」
俺は彼女が心配なら残っていても良いと言ったのだが、新婚早々に早速妻の元を離れることになったシルヴァンは、アインツ博士達に恩があるから一緒に行くと言って譲らなかった。
まあマリーウェザーはもう、自分で身を守れるくらいに魔法を使い熟せるし、ランカと獣兵部隊ミーレスの面々が護衛に付いているので、なにかあっても対処できると思う。
そうして俺達は転送陣に入り、イル・バスティーユ島に続いている側の地下迷宮へと転移した。
――エヴァンニュ王国のほぼ全域に渡って、網のように広がるこの地下迷宮は不思議な場所だ。
以前にも簡単に説明したことはあるが、最上層部の地下一階部分は地上から十五乃至二十メートルほどの地下にあり、ある程度の範囲で区切られていて、そのあちらこちらに転送陣がある。
生息している魔物は主に地中で暮らすものが多いが、自然洞窟などに見られる蝙蝠や蜥蜴なども出現する。
地図があっても未だ全ては把握し切れていないのだが、各所にある転送陣を上手く使えば、実は地上を普通に移動するより簡単に各地へ赴くことが可能だ。
それからルフィルディルで商業用ダンジョンとしても利用されているように、地下へも縦方向に迷宮が伸びていることはわかっていて、俺の地図から見た限り、階下へ降りて行くごとに段々と少しずつその範囲は狭まって行き、最終的な最下層はかなり狭くなっているんじゃないかと思う。その全体的な形状はさながら漏斗か擂り鉢のような感じだ。
果たして最下層のその場所になにがあるのかは想像もつかないが、いったいどうやってこんな迷宮が出来上がったのだろう?俺はそれが疑問だ。
そんなわけで初見で歩き回るには迷子になりそうな地下迷宮なのだが、俺にはいつものように地図があり、目的地までの行き方を示してくれる黄色い信号が点滅していて、使用するべき転送陣のことも教えてくれるので、例によってすんなりとイル・バスティーユ島へと続いている地域までは来られたのだった。
足元に白に近い金色の光を放つ転送陣から出ると、その地域の地下迷宮は少し様子が違っていた。
土壁や岩壁に天然の光源『蛍岩』が埋め込まれていたのだ。
蛍岩とは名前の通り、蛍という名の発光する昆虫のように、自らがぼんやりとした光を放つ天然石だ。この石は蛍が蛍同士で意思伝達や、求愛行動を取ると互いに光を放つように、ある程度の範囲に同種の石を並べると連続して強めに光り続ける特徴がある。
但し非常に割れやすく、保護魔法をかけていても破損しやすいことから、市場に光源として出回ることは殆どない。扱いが難しすぎるからだ。
なので小さな欠片を加工し装飾品として宝石の様に、台座に嵌め込まれている以外でこんな風に見るのは稀なことだった。
俺達は周囲の魔物に警戒しながら、目指すイル・バスティーユ島へ向かって歩いて行く。ここはまだ本土の地下に位置する場所で、監獄島までは距離があった。
途中手頃な場所が見つかれば、そこに魔物除けの結界を張って休息を取り、明日の午前中には到着する予定だ。
監獄島に着いたら周辺の状況を調査してから、どう動くのかを改めて計画するつもりだ。なにせバスティーユ監獄の情報は殆ど一般に流れて来ることはなく、恐ろしい場所だとか、生きては戻れないとかそんな話しか聞いたことがない。
この地下迷宮の出口が、イル・バスティーユ島のどこに出るのかさえもわかっていないのが現状だ。
「――この辺りには人の手が入った形跡が残っているな。例の邪神アクリュースを崇めていたという粛清された街の住人が整備したのかな?」
所々の壁に変わった形の紋章が彫り込まれた、青磁製の板のようなものが点々と埋められている。割れたり、欠けたりもしているが、矢印のようなものが彫られていることから、どうやらこれはイル・バスティーユ島への道標のようだった。
「で、あろうな。…しかし旧アガメム王国にそのような邪教を信ずる民がいたとは、我も少し驚いた。あのケルベロスと言い、人族というのは宗教が絡むと、恐るべき所業を平然と遣って退けるのだな。」
「そう悪いものばかりじゃないんだけどな。例えばエヴァンニュで最も多く教会に祀られているのは『守護女神パーラ』だし、プリーストリ村のような農業で生計を立てている地域は『豊穣神アナン』を祀っている。ロックレイクやプロバビリテの領民は漁業の職にある者が多く『豊漁神イヴィス』への信仰が盛んだ。偏に宗教と言っても色々あるんだ、一緒には出来ないよ。」
「ふむ…千年で随分と人族の世も様変わりしたものだ。昔は生命と慈愛を司る『光神レクシュティエル』を信仰する宗教ぐらいしかなかったものだがな。」
「…そうなのか。」
光神レクシュティエル…FT歴245年の過去で俺が実際に会った、あのラファイエに懸想して嫉妬心剥き出しだった神か。
あの後彼女とどうなったのかはわからないが、出来ればもう二度と会いたくはないな。また勘違いで焼き餅を焼かれては堪ったものじゃない。
そんなことを思い出して俺は苦笑する。
それからも俺達は時折出会した魔物を倒しながら、順調に地下迷宮を進んで行った。そうして時間的にも夜九時を回った辺りで、休むのに丁度いい小部屋状の窪みを見つけ、そこに俺が魔物除けの結界障壁を張ると、今夜はここで休息を取ることにした。
地面の中央に地属性魔法で穴を掘り、そこに炉を作って簡単な調理をアテナとイゼスが行う。ああ見えてアテナは家庭料理が得意だ。俺やウェンリーが喜ぶと知っていて、一生懸命に新しい料理を覚えようと健気にも努力している。
地下空間で火を使うと換気の問題はあるが、そこはもちろん、浄化魔法を使って空気中に発生する毒素を無害化するのは忘れていないから安心して良い。
無限収納に入れて持ってきた食材で煮込み料理を作って貰うと、俺とシルヴァンは少しだけアルコールを取る。
実は酒には霊力と魔力が豊富に含まれていて、俺達のように頻繁に魔法を使う(シルヴァンは獣化に魔力を大量に使う)者には効率の良い補給手段だったりする。
多分リカルドが酒飲みだったのは、彼も属性術で相当魔力を消費するからだったのだろう。反対にウェンリーが下戸なのは、魔力をあまり使えないからかもしれないな。(これは俺の勝手な持論だ。)
もちろんそれはアテナやイゼス、レイーノ達にも同様なのだが、アテナはウェンリーが下戸なのを知っていて遠慮し、イゼスとレイーノは夜番が出来なくなると言って飲まなかった。
そうして深夜俺は、異様な気配を感じて目を覚ました。魔物に似た、なにか大きな生物が近くで動いたような気配だ。
四メートル四方のこの窪みでは、火を焚いたままだと浄化魔法を切ることが出来なくなるため、灯りには明光石の携帯灯を用いていた。
地下通路には変わらず蛍岩の光がぼんやりと輝いていて、明るいと言うほどではないものの、俺が照明魔法を使うほど暗くはない。
身体を起こして地面に布を敷いただけの床から出ると、すぐにアテナが目を覚まして起き上がった。
俺はアテナに声を出さないよう口元に人差し指を立てると、入口で見張り番をしていたはずのイゼスとレイーノの姿を探す。…が、二人の姿はどこにも見当たらなかった。
――おかしいな、なにか異変を感じたら、すぐ俺を起こすように言っておいたはずなのに。
そう不審に思いながら地図を確かめると、少し離れた場所に二人のものと思われる黄緑色の点滅信号が光っていた。
俺はアテナにウェンリーを起こすよう合図をする。同じように寝ていたシルヴァンは、俺が動いた気配ですぐに目を覚ましたからだ。
ウェンリーが起きるとイゼスとレイーノの姿が見えないことを告げ、アテナとウェンリーにはこの場で待機していて貰う。
そして俺はシルヴァンと一緒に、二人を探しに暗がりへと足を踏み入れた。
二人の存在を示す信号は、俺達が歩いてきた蛍岩のある通路から外れ、灯りのない真っ暗闇の道を進んだ辺りに光っていた。
俺達は昼間、余程でない限り暗がりには行かないよう話し合っていた。なぜなら地下迷宮は謎の部分が多く、上階は見知った魔物が多いものの、下階はどうなっているのかまるで予想が付かないからだ。
こう言った場所では、上層の魔物が左程強くないからと言って安心は出来ない。基本的にダンジョンというものは、深層へ行くほど危険度が上がり、下層から魔物が獲物を求めて移動してくることも珍しくはない。
俺達は探索に来たのではなく、イル・バスティーユ島へ行くにはここを通るしか方法がなかっただけで、ご丁寧に道標があるのだから、わざわざ道を外れる理由もなかった。
それなのにあの二人が、俺とシルヴァンの言いつけを無視するのはおかしい。
俺は地図を頼りに、ルスパーラ・フォロウを使用して信号に近付いて行く。するとずっとその場に留まっていた信号が、急に動き出した。しかも俺達から離れるようにだ。
嫌な予感がした俺は、一度照明魔法を切り、明光石の携帯灯を取り出して照度を下げてからそれに近付くことにした。僅かな灯りがあれば、あとはスキル『暗視』の効果で周囲を見ることは可能だからだ。
そうして俺とシルヴァンが気配を殺してそこに辿り着くと、二メートルほどの距離に入った途端に、俺の地図に赤い点滅信号が現れたのだ。
俺はすぐさまルスパーラ・フォロウを唱え、不意打ちで相手に光を浴びせる。
目の前にはイゼスとレイーノを握りしめた、二つの真っ黒い巨大な手の形をした〝なにか〟がいた。
「シルヴァン、光属性攻撃を使え!!」
俺はすぐさま『ディフェンド・ウォール』をイゼスとレイーノにかけ、同時にシルヴァンに先制攻撃を仕掛けて貰う。
「心得た!!食らえ、『雷撃這貫死槍』!!」
眩い閃光を放ち、雷撃が地を這ってその化け物にバリバリバリッと音を立て襲いかかると、シルヴァンの攻撃が直撃したそれらは、聞いたことのない声を発してイゼスとレイーノをその場に放り出し逃げて行った。
「イゼス、レイーノ!!」
俺は二人に駆け寄って無事を確かめると、シルヴァンはレイーノを、俺はイゼスを背負って、敵が戻って来ないうちに、すぐさま暗がりから蛍岩の通路まで退却した。
それからウェンリーとアテナを呼んで、二人を窪みまで連れて行くと、魔物除けの結界ではなく、今度は防護障壁を張って安全を確保した。
幸いなことにイゼスとレイーノに怪我はなく、程なくして意識を取り戻したが、二人は奇妙な物音を聞いて暗がりを覗き込んだ途端に、黒いなにかに襲われ、いきなり引き摺り込まれたのだと話した。
俺はシルヴァンと、さっき見たあの『真っ黒い巨大な手の形をしたもの』がなんなのかについてその正体を話し合う。
照明魔法の光に照らされた姿を見たが、形と言い動きと言い、あれは正に手首から先の『巨大な手』としか表しようのない姿をしていた。
そう話していると、アテナが俺のデータベースを検索して、それらしきものを探し出した。
「『シャドウハンド』?…創世期時代に実在したと言われる、『巨人族』の切り落とされた手が、魔物化して動くようになった、だって?…嘘だろう。」
手が魔物化したと言うことは、その部位だけで増殖もしていると言うことなのか?
もう一度自分のデータベースを確かめながら、俺は信じられない思いで一杯だった。記録にはそんな情報があるのだから、記憶のない過去に俺がどこかで、それと対峙しているのは確かなのだろう。だが思い出している記憶の中にも、さすがに『巨人族』には出会った覚えはなかった。
「手があんなら、足もあったりして。はは…」
「嫌なことを言うなよ。」
顔を引き攣らせながら、ウェンリーが笑えない冗談を言う。
「千年前でもあのような魔物は見たことがない。光に弱いようだったが、我の即死攻撃に耐えて逃げて行ったことを考えるに、あれらは相当厄介だぞ。」
「ああ、とにかく暗がりには絶対に近付くな。種類にもよるが、魔物は一度獲物と定めたものに執着を示すことが多い。今後も執拗に追って来るかもしれない、一度捉まったイゼスとレイーノは特に気を付けるんだ。」
「はい。」
「気を付けます。」
二人にもこの後は休むように言って、俺とシルヴァンが見張りを交代する。地下迷宮は日が射さないので分かり難いが、あと二時間もすれば夜が明けるので、もう殆ど寝られる時間はなかった。
イル・バスティーユ島は島独自の魔物がいるという話だけど…あのシャドウハンドも、もしかしたら監獄島から来たのかもしれないな。いったいどんな場所なんだか…
――アインツ博士達は無事でいるんだろうか?
そんな懸念を抱きながら、シルヴァンと二人、夜明けを待った。
翌朝俺達は、朝食を取る間もなく、かなり早い時間から移動を開始することになった。
それと言うのも、引っ切り無しに魔物が襲って来るようになったからだ。そのどれもはCランク程度の雑魚に過ぎなかったが、とにかく数が多く、初めて見る魔物の姿もちらほら混じって来たため、動かざるを得なくなったのだ。
先行は俺が担い、すぐ後ろにアテナとウェンリーが続く。そしてイゼスとレイーノがその後ろに、殿はいつものようにシルヴァンだ。
この隊列なら、前後を魔物に挟まれる形になっても即座に対応できる。後ろの敵にはシルヴァンが主軸となってイゼスとレイーノが補助に付き、前からの敵には俺が対応してウェンリーが援護する。
中央にいるアテナは前後左右どちらの敵にも対応可能で、援護にも回れる、と言う感じだ。
この地域の地下迷宮の通路は意外にもそんなに狭くはなく、人工で作られる地下道と同じように、三メートルから広いと四メートル近い道幅がある。
高さも同程度で、さすがに地上で戦うようには行かないが、反面大型の魔物はほぼいないと言う利点もあり、死角の多い分岐路や交差地点に注意すれば、俺達なら左程問題ないはずだった。
ところが、休息を取った窪みを出てから二時間ほど進んで来た辺りで、ドドドドド、という地響きを伴う異様な音が聞こえてくる。
周囲の気温が明らかに下がり、前方からは湿気を含んだ冷たい風が流れて来るのを感じた。
「急に寒くなったな。それに…微かに潮の匂いが混じっていないか?」
冬場でもない限り、普段から身軽な服装を好み、薄手のシャツに半袖の上着を羽織るくらいの俺は、前から流れて来る冷たい空気に右手で左の二の腕をさすった。
「うむ。…位置的にはそろそろ海の下に差し掛かる頃か。」
シルヴァンが天井を見上げて呟くと、時々上から水滴が落ちて来ることに気づいた。
「はい、本土から離れて現在は海底の地下、七、八メートルぐらいのところを進んでいます。」
「ひえ…ってことは、真上は海かよ…!ぞっとしねえな。」
そう口にした後でウェンリーは、ここで戦っていて魔法を使うと、天井をぶち抜いて海水が流れ込む…なんてことはねえよな、とまた不吉なことを言う。
もちろんそんなことにならないように、魔法の威力は考えて使っているのだが、心の中で思っていても誰も言わないのに、ウェンリーの口は馬鹿正直だ。
「ウェンリーさんって、いつも余計な一言が多いですよね。」
空気を読まずに口に出すから、アテナに白い眼を向けられたウェンリーは、慌てて冗談だと言い訳をする。とても夜の海を泳いで渡る、なんて案を口に出した本人とは思えない言葉だ。
それはさておき、段々と大きくなるその轟音に、俺は嫌な予感がしてくる。
緩やかな曲線を描いた通路をさらに進んで行くと、床や壁が飛び散った細かい霧のような水飛沫で湿っているのが見える。
その轟音は俺達の声を遮り、会話さえままならないほどに辺りに反響していた。
そこに辿り着いた俺達は、物凄い量の海水が壁と天井の割れ目から流れ込み、岩壁にぶち当たって水煙を上げ続けているその光景に足を止めた。
地震かなにかで地割れが起き、裂けた岩壁から海水が地下迷宮へと流れ込んでいたのだ。
普通なら地下空間の全てが水没しそうなものだが、どうなっているのだろう?
とにかくそれは強力な水の壁となって、俺達が進む予定だった蛍岩の通路をそこでぷっつりと分断していた。
海水が流れ込んでいるその幅は十メートル近くある。
床も壁の一部も既に流され、奈落のように真っ暗な深い深い穴の中に向かって、ただひたすら轟音と共に流れ込んでいる。これはなにをしても、真っ直ぐ向こう側に見える通路へ渡るのは不可能だった。
俺はその場に周囲の音を遮断する遮蔽結界を張ると、その中にしゃがんでみんなと進路について話し合うことにした。
「参ったな…水越しに通路が辛うじて見えてはいるが、さすがにここを進むのは無理だ。少し戻って迂回路を通るしかないか。」
頭の地図を確かめると、少し戻ったところに二叉の分岐点があり、灯りがなければ進めずかなり遠回りになるが、ずっと先の方でこの道に通じている迂回路があるにはあった。だが――
「こちらからだと左折することになるが、例の暗がりに入る道か。…シャドウハンドが手ぐすね引いて待っているやもしれぬぞ。」
そう、問題はそれだ。あのシャドウハンドは光に弱いようだが、元が巨人族の手だったせいなのか、俺のデータベース上ではAランクかそれ以上の強さを持つ、単体でも中ボスクラスの魔物だった。
そんな強力な魔物が確認できただけで二体もいたのだ、俺とアテナ、シルヴァンにとってはなんとかなっても、ウェンリーやイゼス達には荷が重く、暗がりに入るのは危険だと言うのも良くわかっていた。
「だとしても他に道がない。そこの裂け目を表面の壁だけなら俺の魔法で修復も出来るが、あれだけの水圧には耐えられずまたすぐに崩壊するだろう。懸念はあるが迂回路を通って、できるだけ最短距離を駆け抜けるしかない。」
「…わかった、ならば我等は獣化した方が早かろうな。アテナとウェンリーは我の背に乗り、ルーファスはレイーノの背に乗れば良い。」
シルヴァン達に獣化して貰い、その足で駆け抜ける案には賛成だった。だがアテナがその分担に異を唱える。
「お待ちください、でしたら体重の軽い私がレイーノさんの背に乗せて頂きます。シルヴァンティス殿の上にはルーファス様とウェンリーさんを乗せてください。」
「アテナ?」
アテナの意見としては、狙われる可能性が高いイゼスとレイーノには出来るだけ身軽でいて貰い、なにかあっても自力で対処できる俺がウェンリーを守り、もしもの際には、シルヴァンと俺が二手に分かれて対応する形にしたいと提案してきた。
確かにそれなら咄嗟の場合でも、アテナにシルヴァンの補助に付いて貰い、俺はウェンリーと動くことが可能だ。
「わかった、アテナの提案に乗ろう。俺とアテナはルスパーラ・フォロウを切らさずに行く。ウェンリーは俺の前に座り、前方の敵に注意して、見つけ次第エアスピナーで攻撃する。イゼスは単独で左右と後方を警戒、レイーノはアテナを乗せ、俺達から離れないようにしながら殿のイゼスとの距離にも気を付けるんだ。」
「承知しました。」
「はい。」
「よし、それじゃ今来た道を戻って――」
話が纏まり、立ち上がって遮蔽結界を解こうとした時だ。
『ルーファス様!!』
と、慌てた様子でウルルさんの声が耳元に響いた。
「ウルルさん?」
俺はすぐに無限収納から精霊の鏡を取り出した。そこには青ざめた顔色のウルルさんが映っており、いつもなら挨拶から入る彼が、やけに急いで俺に問いかけた。
『ルーファス様、監獄島には辿り着かれましたか!?』
「いや、まだだ。今はちょうど海の真下にいる。通路に裂け目があって海水が流れ込み、真っ直ぐ通っているはずの道が塞がれていたんだ。かなり遠回りになるけど、これから迂回して進もうと思っていたところだ。…なにかあったのか?」
ただならぬ様子のウルルさんを見て、またなにか問題が起きたのかと俺は顔を顰めた。
『たった今、また王都でエヴァンニュ国王による新たな布告がなされました。その内容なのですが…既に新法対象者全員の収容が完了し、本日の夕方から排斥法に則ってバスティーユ監獄での処理を行うと言うのです!!』
「処理?処理とはなんだ!?」
生きては戻れないと噂されるような監獄島に送っておいて、そんな言葉を使うとしたら、きっと碌なことじゃない。
『表向きは簡易裁判で刑を確定し、罪状によって刑を執行すると言葉を濁していますが、私はこれを事実上の処刑を行うと見做しております…!!』
「な…」
〝処刑!?〟
「ちょっと待てって!!マジでそれ、俺らの国王陛下が言った言葉なのか!?」
ウェンリーがそう疑いたくなるのも無理はない。少なくとも俺達が今まで暮らして来たこの国は、専制君主の横暴で民間人が苦しめられるようなことはなかった(知らなかっただけのようだが)からだ。
上には国王の間違いを指摘して、傍で諫める人間は誰もいないのか?あり得ない…!!それとも、それを正当化出来るだけの、余程の理由があるのか…だとしても!!
「――認められない…どんな理由があろうとも、これは一方的な虐殺と同じだ…!!」
今日の夕方…あと十時間もないじゃないか…!!
どうして、とか、なぜ、とか、理由なんかどうでもいい。そんなものは後で考えれば良いことだ。
とにかく急がないとアインツ博士達や、罪のない民間人が殺されてしまうかもしれない。
どうやってそれを実現するのかはわからないが、己で定めた徴兵制度を使ってルクサールを潰したことのある国王だ、ウルルさんの推測が正しい可能性は高い!!
「知らせてくれてありがとう、ウルルさん。出来る限り急いで監獄島に向かう。またなにかわかったら教えてくれ。」
『かしこまりました、それと黒髪の鬼神と双壁ですが、彼らは現在、どうやら謹慎処分を受け軟禁されているようです。理由まではわかりませんでしたが、そこまでは掴めました。』
軟禁…とりあえず根無し草と違って、三人とも無事ではいるんだな。そう思い、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「わかった、それじゃ。」
黒髪の鬼神が謹慎処分を受けていると言うことは、この新法に表から異を唱えて処罰されたのか…どちらにしてもあの三人には頼れそうにないことがはっきりした。
アインツ博士達を救い出せるのは、俺達しかいない。急がないと…!!
「みんな、今のウルルさんとの会話は聞こえていたな?もう夕方まで十時間もない。出来る限り魔物との戦闘は避け、全速力で地下迷宮を抜ける…!!急ぐぞ!!」
「「「了解!!」」」
時間が惜しいため、シルヴァンとイゼスとレイーノにはすぐに獣化して貰い、話していた通り、それぞれに分担して背に乗せて貰うと先を急ぐ。
こうして俺達は来た道を少し戻り、あの暗がりに足を踏み入れることになった。
蛍岩の通路から左程離れていないのに、あのぼんやりとした光がなくなっただけで、その暗がりは想像以上に混沌としていた。
光が苦手な魔物は、俺とアテナの『ルスパーラ・フォロウ』で、ある程度逃げ出してくれたが、恐ろしいことに、この地域はまるで魔物の吹き溜まりのようになっていたのだ。
長い間暗がりに生息していたせいなのか、目が退化して無くなった顔を持ち、生成り色をした皮膚を持つ様々な姿の魔物が、俺達を見るなり(感知するなり?)群がるように襲いかかって来た。
俺はそのあまりの数に剣を持つのを諦め、左手で常にディフェンド・ウォールを発動しながら、右手で広範囲の攻撃魔法を放ち続ける。
絶え間なく次々に魔法を使い続けていないと、すぐに進路を魔物に塞がれてしまうからだ。
ウェンリーも必死に魔法石を使って正面の敵を吹き飛ばしていたが、やがてイゼスとレイーノに俺達との体力の差が見え始める。
アテナは俺と同じようにディフェンド・ウォールを主軸にして攻撃魔法を放っていたが、二人に疲れが見えると、攻撃の手を休めて体力の回復に魔法を使わなければならなくなった。
そのまま小一時間ほど迂回路を進み、後もう少しでこの暗がりを抜ける、がんばれ、とイゼス達を励ました時だ。
薄闇の中に見えた灰色の脇道から、シャドウハンドが飛び出して来た。
「シルヴァン避けろ!!シャドウハンドだ!!」
その真っ黒い巨大な手は、真正面から俺達を掴もうとして大きく広がりグワッと迫ってくる。
俺はウェンリーに後ろから伸し掛かって身体を屈ませ、シルヴァンがそれを左に躱す動きに合わせて腰の剣を逆手に引き抜いた。
ザンッ…
勢いの乗った斬撃は、一体目のシャドウハンドを切り裂くことに成功したが、その後ろには、さらに二体のシャドウハンドがいたのだ。
「アテナ、伏せろっっ!!」
俺の頭を掠めて過ぎ去ったシャドウハンドは、そのまま後ろを走っていたレイーノの上のアテナに襲いかかった。
アテナは避けるのが間に合わずに、シャドウハンドの手に囚われてしまう。
〝アテナ!!〟
俺は頭の中で叫んだ。
『大丈夫ですルーファス様!!』
すぐにアテナの声が頭に響き、俺の中に温かいものが流れ込んでくる。
「構わず走れ、イゼス、レイーノ!!」
俺はすぐにそう指示を飛ばす。
アテナは逃げられないと悟り、咄嗟に俺の中に戻って難を逃れたのだ。また身体を消すことになってしまったが、この場合は仕方ないだろう。
だがアテナが俺の中に戻ったことで、イゼスとレイーノにかけられていたディフェンド・ウォールが途切れてしまう。
目の前に蛍岩の通路が見え、シルヴァンと一緒に俺とウェンリーはその通路へ駆け込むと、すぐさま飛び降りて戦闘態勢に入った。
続いてイゼスとレイーノも前半身が通路に飛び込んで来る。そうして上手く逃げられた、と思った瞬間に暗がりの中から、シャドウハンドではない、俺の予想外のものがブワッと飛び出し、しゅるるるっと二人の身体に巻き付くと、あっという間にイゼスとレイーノを闇の中へ引き摺り込んでしまった。
「イゼス、レイーノっ!!」
無意識に伸ばした俺の手は、虚しく空を掴み、目の前の暗がりから続いて飛び出して来たのは、雑魚に等しい大量の魔物だった。
『悔しかったら、取り返しに来てごらん。』
その思念伝達のような声が、小さく俺の耳に届いた。
「くっ…」
連れ去られたイゼス達を追うことも出来ずに、そのまま戦闘に入る。
「神霊具現化!!アテナ!!」
「はいっ!」
俺がアテナを再び召喚すると同時に、シルヴァンとウェンリーはイゼスとレイーノの名前を呼びながら魔物への攻撃を開始する。
アテナが戦闘フィールドを展開し、俺は全力で次々に現れる魔物を魔法で薙ぎ倒して行った。
二十分ほどが過ぎ、ようやく魔物の出現が止まり、俺は肩で激しく息をしながら、足元に転がる魔物の死骸を、苛立って思いっきり蹴飛ばした。
「くそっ!!」
その直後に俺のスキルが発動し、全ての死骸が消え失せる。普段通りの戦利品自動回収だ。
――自分で言うのもなんだが、俺がこんな風に死骸に八つ当たりをすることなど滅多にない。
だけど今は連れ去られたイゼスとレイーノが心配で、すぐにも助けに行きたいのに、アインツ博士達にも残された時間が少ないのだとわかっていて、進退両難に陥り腹を立ててしまったのだ。
しかも耳に届いたあの声と、最後に彼らを連れ去った見覚えのある黒い触手は――
「イゼス、レイーノ…!」
ウェンリーが肩で、ぜえ、はあと息をしながら、エアスピナーを握った手で額の汗を拭い、悔しげに歯噛む。
「案ずるな、我が二人を助けに行く。ルーファスはアテナとウェンリーを連れ、このまま監獄島に…」
「待て、シルヴァン。イゼス達を助けに向かうとしても、おまえ一人ではだめだ。」
「なぜだ?我ならあなたの加護がある。それに我一人ならどうとでもなるであろう。」
「違う、そうじゃない!…そうじゃないんだ。」
ウェンリーもシルヴァンもアテナでさえも、気づいていなかった。
だが俺にはわかる。この件にどんな繋がりがあるのか、どこでどう俺達の行動を掴んだのか、そのどれもを今、俺が知る由もない。
ある程度の距離を置いても、あの触手から放たれたその残滓が肌にヒリついている。ピリピリと全身の毛を逆撫でし、あまつさえ嫌悪感で俺の心を苛つかせていた。
このどうしようもないほど強く感じる、昏き闇の気配は…間違いない、奴らだ。
「――『カオス』がいる。」
「な…っ――」
三人が一斉に驚愕の表情を浮かべて俺を見た。
次回、仕上がり次第アップします。もう今年も終わりですね。寒いです。