99 新法制定
ルフィルディルに拠点を置くことにしたルーファスは、その打ち合わせに朝から獣人の大工達と話し合いをしていました。そこにまたもや慌てたような足音が聞こえ、イゼスが飛び込んで来ます。それはエヴァンニュ王国に新しい法律が作られたことを知らせるものだったのですが、どうもそれにはなにか問題があったようで…?
【 第九十九話 新法制定 】
その日も朝食を済ませると、俺達の拠点をどこにどう建てるのか、獣人の大工と建築士を交えて話し合いをしていた。
ルフィルディルに大きな建物を建てるには、巨木を切り倒すことなく場所を決めなければならないのだが、里の中心部には良い場所がなく、結局、大長老の屋敷近くの一帯にある住宅を取り壊して場所を空け、そこに新しく建てることになった。
シルヴァンとマリーウェザーの新居と巫女専用の仕事場も、転送陣に近いその隣に建つことになったのだが、元々ここに住んでいた獣人達はどうしたのかというと、イシリ・レコアへの転居を希望し、そちらに移るから構わないと言って、最優先で自宅の建築が進められることになり、大喜びで場所を空けてくれたのだった。
元々ルフィルディルの守りには幻惑草を用いているため、生まれた子供はその毒に身体を慣らす必要があり、そのせいで多くの子供が命を落としてきた。
イゼス達ウースバインや、里の警護に当たる『ミーレス』と呼ばれる兵士と一部の獣人以外が里から外に出ることは許されておらず、同じ一生を過ごすのなら日の光を浴びられて、幻惑草の毒を心配することのないイシリ・レコアに移りたいと言う希望者が殺到した。
そこでアティカ・ヌバラ大長老は条件を設け、家庭内に現在妊娠中の女性獣人がおり、夫が守護者の資格を有していて自力で家族を魔物から守れることや、新婚夫婦であるなどの選別をして移住者を決めることにした。
因みに俺は、獣人族の秘薬『アン・サンムド』に頼らない方法で、幻惑草などの毒を無効化できる手段を考え中だ。
薬や魔法に頼ると結局は使える人間が限られてしまう。俺の仲間にはウェンリーがいて、ウェンリーは魔法が使えない。となると当然魔法石か薬に頼らなければならなくなってしまうのは俺にしてみれば不本意だった。
特にウェンリーは状態異常の耐性が低めで、睡眠異常に至ってはその抵抗値が皆無だ。今後外国を渡り歩くには不安要素の一つでもあったので、このことはウェンリーの為にもなることだった。
話が逸れたが、そんなわけでどんな間取りにするかなど、ある程度拠点の内容が決まったところで、後は必要な設備の配置などはお任せして大長老と俺達だけにして貰い、シェナハーンに向かう段取りを決めようと今度はパーティー『太陽の希望』としての話し合いを始めた直後だった。
バタバタバタ、という既視感のような足音が廊下を走ってくる。
何処にいても慌てた様子の足音というのは、良からぬ知らせを運んで来るもののようだ。
特に今俺達がいるのは大長老の屋敷で、ここの廊下をあんな風に走ってくるのは、大抵イゼス達『ウースバイン』ぐらいなのだ。
案の定部屋に駆け込んできたのは、イゼスだった。
「ルーファス様!!」
余程慌てているのか、イゼスにしては珍しくかなり乱暴に扉を開け、開口一番に俺の名前を叫んだ。
「どうしたんだ?そんなに慌てて…」
この前こんな状態だったのはランカで、あの時はエーラさんの命が懸かっていた。でも今はマリーウェザーが診療所に待機しているので、こんな風に駆け込んでくることはもうないはずだ。
イゼス達『ウースバイン』は全二十名ほどの部隊で、里から外へ出て人族の動向や各地で起きた出来事などの調査を行うのが主な仕事だ。
彼らは俺達がここに来てからの十日ほど情報収集には出ておらず、久しぶりに人族の動向を探りに昨日から王都へ出かけたばかりだった。
その割には随分と戻るのが早い、と懸念を抱く。
青ざめた顔をしたイゼスから先ず初めに聞いたのは、エヴァンニュ王国全土に王命で新しい法律が施行されたという『新法制定』の知らせだった。
「へえ…そうなんだ。そういや俺ら、ずっとここにいるから外がどうなってんのか全然知らなかったな。」
ウェンリーはいつものように両腕を頭の後ろで組み、そんな感想を口にする。
「ああ。でもそれでどうしてイゼスが慌てるんだ?ここはエヴァンニュの法律対象外だ、獣人族にも外の法律はあまり関係がないだろう。」
「関係があるのは私共ではありません!ア、アインツ博士が…っ」
悲痛な面持ちで出されたその名前に俺とウェンリーは顔を見合わせる。
「アインツ博士?」
「なんであの爺ちゃんの名前が出てくんの?」
背後の椅子に座って、俺達の様子を見ていたシルヴァンも立ち上がり、俺達の傍に来て身を乗り出した。
「どうした?」
今後の予定を把握して貰うために残って貰っていた大長老と一緒に、俺達はイゼスからさらに詳しい話を聞く。
――そこで判明したのは、新しい法律のその内容だ。
新法の正式名称は『古代歴史学排斥措置法』。現代史…この国ではその区切りを100年前までとする、それ以前の歴史を対象とした全ての調査、探求を禁じる、というものらしい。そこには当然、遺跡などの探索も入る。
以前から度々耳にすることはあったが、エヴァンニュ王国では子供が通う学校で現代史以前の歴史を学ばせない。
先代の国王陛下の頃からその風潮はあったようだが、今代の国王ロバム・コンフォボル陛下の即位後からはそれが徹底されるようになったそうだ。
一般に知られているその理由は、なんと "国王陛下が考古学嫌い" だからだと言うのだが、そんな理由でこんな法律を作るなどあまりにも馬鹿げ過ぎている。
「え…俺らの国の王様って、そんな愚王だったっけ?」
呆れたようにウェンリーは首を捻った。
「いや、寧ろ逆に賢王だという評判なら俺も聞いたことがあるけどな。」
現在戦地に行っている "第一王子シャール殿下" の良くない評判なら極偶にギルドで聞くこともあるが、国王陛下は諸外国でも一目置かれるほどの人物だと言う。
もしそれが事実なら、一般に流れる噂は放置してあるだけで、その裏に別の理由があるからこんなことをするのだろう。
それに俺達は考古学者じゃないが、国内の遺跡に立ち入るのにいちいち正当な理由と国の許可が必要になると、それはそれでなにかと今後困ることにもなる。リヴグストがいる海神の宮へ続く転送陣などは、ルク遺跡の地下にあるからだ。
「問題なのはその法律に伴う強引な排斥方法です。国王はこの法律の施行に伴い、国の認可を得ている現代史の教育者以外、考古学者や古代言語学者など、ありとあらゆる古代歴史学に携わる人間を片っ端から連行しているのです…!!」
「な…」
「連行だと!?」
これには俺とウェンリー、シルヴァンもさすがに驚いた。
「あ、あり得ねえ!!いくらなんでも横暴過ぎんだろ!?」
ウェンリーの言う通りだ。ただ布告して禁じることにした、と言うだけならまだしも、法の執行と同時にその職にある者を捕らえるとはやり過ぎだ。
「連行、と言うことは、憲兵が各所へ赴いて民間人を捕縛していると言うことですか?」
「ああ、そうだろうな。ちょっと俄には信じられない行動だと思うが…」
アテナに頷き、そう答えながら考える。なぜこんな急にそんなことになったのだろう?なにかその切っ掛けとなる出来事がなければ、いきなりこうはならないはずだ。
「イゼス、君がそんなに慌てていると言うことは、アインツ博士達は既にメクレンから憲兵に連行された後だったんだな?」
「は、はい!!その通りです!!」
アインツ博士達はメクレンでも有名な考古学者の古株だ。積極的に遺跡探索の許可も申請していると聞いていたし、見逃されるはずはないだろう。
現在エヴァンニュ全域に新法の対象者はどのぐらいいるんだ?その全員を収監できるような設備は王都にない。だとしたら、まさか――
「…嫌な予感がするな、もっと詳しい情報を集める必要がある。ちょっとノクス=アステールに行って来るから、みんなはここで待っていてくれ。」
「えっあっ、ちょ…ルーファス!!」
俺はウェンリー達をその場に置き去りにして、黒鳥族の戻り羽根を使い一人でさっさと転移した。
ウルルさんなら『遣い鳥』から今現在の実時間で、広範囲の情報を一気に集められる。こういう時は彼に頼るのが一番だ。
ウルルさんは婚姻の儀の後、人の多い賑やかな宴会は苦手だと言って祝宴には参加せず、すぐにノクス=アステールに帰ってしまった。
あれから殆ど日は経っていないが、俺がウルルさんの元を訪ねると、さして驚いた様子もなく〝もしや新法制定の件ですか〟と待っていたかのように口にした。
「ルーファス様なら、必ずこの件に興味を示されると思っておりました。なので既にある程度の調査を行っております。」
そうしれっとして莞爾する。
俺はああ、なるほど、と思う。ウルルさんは最初から外で起きていたこの事態を知っていて黙っていたのだろう。おそらくそれは、シルヴァンとマリーウェザーの婚姻に水を差さないためだ。
そう理解した俺はウルルさんを追求したりはせずに、早速今わかっている詳しい状況を聞くことにした。
――国王陛下が自らその内容を決めたと言う新法は、イゼスから粗方聞いた通りだった。だがそこに考古学的歴史探究を排斥するための第一過程として、考古学者、及び古代言語学者、古代歴史学教授、などなど諸々の対象者全てを法律に基づいて直ちに勾留する、という文言が間違いなく含まれていた。
俺はウルルさんにこの法律が施行されることになった原因か、その切っ掛けとなるような事件が前後に起きていないかを尋ねる。
「わかりません。取り立ててどこかで大きなことが起きた様子もありませんでしたし、考古学などと直ちに結びつくような問題もあったようには見受けられませんでした。」
俺は俺なりに自分が知っている最近の出来事を思い出す。国が危機感を抱くほどの異変に関することだ。
どの程度まで上に情報が行っているのかはわからないが、表立った動きがあったとすれば、ルクサール炎上時の近衛隊が派遣されていた調査ぐらいか。
「ルクサールの炎上と災厄の封印が解かれた件はどうですか?」
「それについてはなんとも言えませんが、あの街のことは過去に一度手を入れておりますので、要らぬ詮索を受けぬ為にも、再度注視することはないと思いますよ。」
ウルルさんが何か引っかかる言い方をした。
過去に一度手を入れた?
「え?それはどういう意味ですか?」
ウルルさんは俺が知らなかった、この国に来る前に起きたその出来事についても詳しく教えてくれた。
「緊急時従軍徴兵制度?…そんな手段まで用いて、遺跡都市だったルクサールを過去に潰したことがあるのか!?国王は何を考えているんだ…!!」
俺は思わず怒りを覚え、言葉と声を荒げてしまった。
賢王だと聞いていたが、とんでもない専制君主じゃないか。たとえどんな理由があっても、自国の民を…それも兵士でもなんでもない民間人を、無理矢理命令に従わせて戦地に放り出すなど、やっていいことと悪いことがある…!!
この瞬間に俺の中で、国王陛下に対する評価が大幅に下落したのは言うまでもない。
「あ…と、すいません、つい――」
「構いません。ルーファス様の話しやすい口調と言葉遣いでお話しください。」
そう言ってくれたウルルさんの言葉に甘えて、俺は親しみの意味も込め、自分が話しやすいように言葉遣いを変えた。
「だから俺があの街を見た時、違和感を感じたのか…カラミティによって炎上したばかりなのに、既に何年も廃墟だったかのように荒れ果てているのを見て、おかしいなと思ったんだ…!」
「…ルーファス様のお怒りはご尤もですが、今回の件は少なくともそちらが原因とは思えません。仰るように、なにかの切っ掛けがあったのではないかと思うのですが、そこまでは掴むことが出来ませんでした。」
申し訳ありません、とウルルさんが俺に謝る。
「いや、ウルルさんが謝るようなことじゃない。それより、俺が今一番心配なのは連行された人達の収監先だ。少なくとも王都の収容施設は、こんな幅広い対象者を一度に捕らえておけるほど大きいものは存在していないはずなんだ。だとしたら、まさかとは思うんだが…」
「はい、ご推測のとおりです。連行された民間人が運ばれて行く先は――」
♢
「――バスティーユ監獄だって!?」
「重犯罪者収容施設ではありませんか!!」
その場所のことを知らないシルヴァンとアテナを除き、俺がウルルさんから聞いた情報を話すと、ウェンリーとイゼス、大長老とレイーノは顔色を変えた。
エヴァンニュ王国の北西の海上には、本土と左程離れていない位置に小規模の島がある。
その場所は『イル・バスティーユ』と言う名の島で、その周囲は荒れ狂う波に侵蝕された断崖絶壁になっており、この島独自の古くから生息するという凶悪な魔物ばかりが跋扈する、犯罪者の収容施設…所謂『刑務所』が置かれた『監獄島』だった。
この国では、数日間留置所で勾留して反省を促し、すぐに解放されるような軽犯罪者を除き、裁判を必要とするような犯罪者の大半は、問答無用でその監獄島に送られる。
そこは罪の重さや刑期の長さなどにより収容先の地区が別れているらしいのだが、特にその中の重犯罪者のみを収監する通称『バスティーユ監獄』は、凶悪犯罪を犯した者ばかりが入れられ、ほぼ死刑同様の扱いを受けることが決まっているという。
つまりそこに入れられた者は、二度と生きて本土には戻って来られない、ということだ。
「俺もバスティーユ監獄の噂を耳にしたことはあるが、良い話を聞かない。外から見た『遣い鳥』の調査によると他の刑務所と違って、囚人は人としての尊厳や権利を守られておらず、碌な食事も与えられない上に、監獄内では魔物が通路を徘徊していて看守の代わりをしているらしい。」
「そ…そんな場所に、アインツ博士達は連れて行かれたと言うのですか…!?」
「…ああ、そうだ。」
俺は博士達の苛酷な今後を思うと、それだけで自分の顔が険しくなるのを感じる。
この情報はウルルさんがアインツ博士達三人を遣い鳥に追跡させて、イル・バスティーユのどこに収監されるのかを、最後まで確かめてくれたそうだから間違いはなかった。
――どうしてこんなことに?という疑問は湧くが、博士達を助けたいと思ってもそう簡単に行かないことだけはわかる。
現時点で真っ当な手段を取るならば、国王陛下に訴えて考えを変えさせるぐらいしか方法はない。もし強引な手段を取れば、それこそ国家への反逆罪に問われかねないからだ。
それならSランク級守護者である権限を全活用し、国王陛下に直訴できるような人間の協力を得れば良いんじゃないかと思った。
民間人寄りの考え方を持つという噂のある黒髪の鬼神…『ライ・ラムサス』なら、この事態を放置せず、既に動いてくれているんじゃないかという期待もしていた。
だから俺はルフィルディルに戻る前、ウルルさんに彼のことを尋ねてみたのだが――
「黒髪の鬼神…ライ・ラムサスはどうしているんだ?彼が噂通りの人物なら、こんな横暴を放ってはおかないはずだろう。」
王宮近衛指揮官というのは、全王国軍の最高位にある軍人だ。その与えられた権限により、国王陛下への目通りも自由に叶うとラーンさんから聞いたことがある。
さすがに表立って楯突いたりは出来ないだろうが、それでもなんらかの動きはあってもいいんじゃないかと思った。
そう問いかけたウルルさんからは、意外な答えが返ってきた。
「それがどういうわけか『鬼神の双壁』共々、この十日ほど誰にもその姿を見かけられていないそうなのです。」
ウルルさんの方で掴めた遣い鳥の情報によると、最後にその姿が確認されたのは、俺がシルヴァンと一緒に王城へ彼との面会を申し込みに行ったあの日の朝で、それ以降は視察などの公務は全て中止になり、近衛隊の緊急出陣があっても、一切その姿が見えないんだそうだ。
それはおかしいな、と不審に思う。彼になにかあったのだろうか?
「ルーファス様、それとこれは頭の隅に留めておいて頂きたい情報なのですが、ルーファス様はAランク級パーティー『根無し草』を御存知でしたね?」
なぜかウルルさんは深刻な顔をして唐突にその名前を出して来る。
俺が彼らと知り合いだと言うことまで、本当に良く知っているな、と苦笑した。だがそれと黒髪の鬼神になんの関係が?
「ああ、燃えるようなオレンジ色の髪をした女剣士『ヴァレッタ・ハーヴェル』がリーダーのパーティーだ。縁があって知り合ったけど、それがなにか?」
「現在も遣い鳥に命じて捜索中なのですが、実は『根無し草』のメンバー全員が行方不明になっているのです。」
「え――」
メンバー全員?…ということは、スコットさんもか!?
俺がその理由を問う前にウルルさんが『根無し草』と『黒髪の鬼神』がどう繋がっているのか、その説明をしてくれた。
その話の全貌はこうだ。
俺達が王都に到着したその夜、ヴァレッタ・ハーヴェルの名前でBランク級守護者『ライ・ラムサス』から依頼されて、行き先不明の(偶にあるのだが依頼主の都合で未記入という意味だ)護衛依頼を請け負った旨の届けが出された。
それに参加するメンバーは、リーダーのヴァレッタと副リーダーのフォションのみで、他のメンバーは不参加という話だった。
翌日の深夜、副リーダーのフォションから依頼終了の届け出がなされたものの、その時点で同時に『ヴァレッタ・ハーヴェル』の死亡届が出されたという。
その理由は〝依頼遂行中の事故によるもの〟だったそうだが、通常ギルドでは、依頼中に守護者の死亡者が出た時は、生存者に簡単な事情を聞くことになっている。
そうして翌日になって協会員が事情を聞くために、フォション・ボルドーを探したそうなのだが既に見当たらず、下町の酒場で潰れるほど飲んだくれていた姿を最後に目撃された以降、忽然と姿を消してしまったと言うのだ。
それだけならリーダーを失った衝撃で行方を眩ませたのかもしれない、と推測することも可能だが、問題はその依頼に参加していなかった方のメンバー達だ。
残る三人…ライラとミハイル、スコットの方だが、ライラとミハイルは王都を訪れていた両親と会食をする予定だったようだが姿を見せず、スコットに至っては妹のユーナと一緒に、幼年学校の面接に行く途中でそのままいなくなったらしい。
もちろんそれは、リーダーであるヴァレッタが亡くなる前の話だ。
「――どういうことだ?なぜユーナちゃんまで…!」
「わかりません。根無し草の全員が行方知れずになったこともそうですが、少なくとも黒髪の鬼神が公務の護衛としてではなく、彼個人として根無し草を雇ったのだとすると、その辺りに彼が姿を見せなくなったことと、今回の新法制定の原因があるような気がするのです。」
あくまでも推測に過ぎませんが、とウルルさんはそう付け加え、引き続き何かわかり次第俺に連絡をくれると約束してくれた。
そう言えば黒髪の鬼神は、なぜか一人でルク遺跡の地下に倒れていたりして、少し普通の軍人とは異なる行動を取っている節が見られた。
それでなんとなく心配になって、命を大事にするようにとの意味を込め、あの伝言をウェルゼン副指揮官に頼んだのに…護衛役のヴァレッタが死ぬなんて、俺の助言は届かなかったのかな。…そう思った。
――そんなわけで黒髪の鬼神に頼ることは諦め、『根無し草』が全員行方不明になっていることが今回の新法制定と関係しているのかは不明だが、ウルルさんに言われた通り、俺はそのことを頭の隅に置いておくことにしたのだった。
根無し草のことは暫くウェンリーには黙っておこう。知り合いの守護者パーティーがいなくなったと聞いたら、きっと心配するだろうからな。なにより、ユーナちゃんまでスコットさんと一緒にいなくなったなんて、とても聞かせられない。
俺はアテナとシルヴァンに、バスティーユ監獄についての説明をしているウェンリーを見ながらそう決めた。当然、アテナとシルヴァンの二人にも暫くは黙っておく。
…それにしても今回のこれは『賢王』と噂される人間がすることとはとても思えないな。法律で決めたからと言って、なんの罪もない民間人を凶悪犯罪者が入れられるような監獄にいきなり送るなんて…ウルルさんから聞いた『緊急時従軍徴兵制度』の時とほぼ同じじゃないか。
バスティーユ監獄の中がどうなっているのかわからないが、後になってからまともな手段で解放されたとしても、その時アインツ博士達もそれ以外の人達も無事に帰って来られるとは到底思えなかった。
どの程度時間がかかるかにもよるが、無事に救い出したいのなら正攻法では間に合わないだろう。魔物が徘徊しているような施設の中で、碌に食事も与えられずにいて長期間生き残れるはずがない。
アインツ博士…トニィさん、クレンさん…。
彼ら三人の賑やかなやり取りと、アインツ博士のあの元気な笑顔が頭に浮かんで来る。
「お…お願いします、ルーファス様!!お力を貸してください!!」
そう叫んで俺の前にイゼスが突然跪いた。
「イゼス!?」
驚いた俺はイゼスの肩に手をかけて彼の顔を見ると、彼は悲痛な表情を浮かべてさらに続けた。
「アインツ博士は…アインツ博士達は、俺の命の恩人なんです…!!」
詳しく事情を聞くに、アインツ博士達から聞いていた、以前命を助けたという黒豹の獣人とは、ウースバインに入隊したばかりだった頃のイゼスだったことが判明する。
「それだけじゃないんです…俺達はアインツ博士の人の良さに付け込んで、あの人達をずっと利用してきました…!」
イゼス達は、イゼスが命を助けられたことを切っ掛けにして、アインツ博士達を信用し受け入れたのではなく、実は彼らがイシリ・レコアに詳しい考古学者だと知り、それを利用して聖地の場所やそこへの行き方などの情報を得るつもりだったことを明かした。もし彼らが考古学者でなければ、出会った最初の時点で命を奪うつもりだったのだ。
そうしてその罪滅ぼしと、なにより命を救われた恩を返すために、イゼス自ら博士達を助け出したい、とそう言うのだ。
「ひっでえ!!アインツ博士達はあんたらのことを友人だって言って秘密を守り、心から信じてんのに!!」
これにはウェンリーが酷く腹を立てる。俺も同感だが、これでここを訪れた直後の疑問がようやく解けた感じだ。大長老がアインツ博士達を命の恩人だと言って快く受け入れた割りには、人族への敵愾心があからさまなのはおかしいと思っていたからだ。
いくら自分達が外へ出られないからと言って、これはさすがにちょっと酷いかな、と思う。アインツ博士達が知ったら傷付き、心底がっかりして悲しむことだろう。
「ウェンリー殿の言う通りですじゃ…危害を加えるような真似はせなんだとは言え、ほんにわしらは申し訳ないことを致しておりました。実際、彼らのおかげでイゼスが救われただけでなく、シルヴァンティス様がルフィルディルを訪れてくださり、我等獣人族は夜明けを迎えることが出来ました。彼らには感謝してもし切れませぬ。」
深く反省したように大長老も俺に跪いて懇願する。
「ルーファス様、わしからもお願い申し上げまする。何卒、守護七聖主様のお力添えを…!もう二度と彼の博士達を利用しようなどと思いませぬ。今後彼らを心からの友人として誠心誠意絆を紡ぐと約束致しまする。どうか彼らをお助けください…!!」
「アティカ・ヌバラ大長老、イゼス…。」
その後ろに立っていたレイーノまでもが頭を下げて、俺にそう頼んで来た。
――俺だってそうしたいのは山々だけど…どうすればアインツ博士達を助け出せるか、それが問題なんだよな。
正攻法じゃ無理そうだから、後は俺達が直接イル・バスティーユに乗り込むぐらいしか方法はないんだが…
そんなことをすればまず間違いなく、守護者としての信用もなくなり、犯罪者として追われることになるだろう。さすがにそれは避けたい。
どうすれば穏便に博士達を助け出せるだろう?
俺が悩んで答えあぐねていると、シルヴァンが唐突に口を挟んだ。
「――ならばもう、脱獄させるしか方法はないであろうな。」
両腕を組み、いつものように首をコキリ、と鳴らして不穏な発言を平然とする。
「本気で言っているのか?それが明るみに出れば、俺達は犯罪者だぞ。守護者としての信用も失くす上に、いくらウルルさんと懇意にしていても資格剥奪の可能性が高い。身分証がなくなれば、まともに国境を越えることすら出来なくなるんだ。」
「わかっている。だがあなたのことだ、既にどうすれば助け出せるか、と悩んでいるのではないのか?」
「それは…」
その通りだけど…
見透かされている、と苦笑するしかなかった。
確かに俺の中にアインツ博士達を放っておく、という選択肢は既にない。良い方法さえ思い付けば、すぐに動くつもりでもいる。そう、その方法さえ思い付けば、だ。
脱獄させるしかないと言っても、イル・バスティーユ島に渡るには、現行憲兵隊の監視の下、定期的に運行される船を使うしかなかった。
警備上その船に普通の民間人は絶対に乗れないし、監獄島での囚人との面接制度は元々この国に存在すらしていない。
密航するにしても監獄島へ渡る船に侵入・脱走対策をしていないはずはないから、ステルスハイドを駆使したとしても、表から行くのだけはやめた方が良さそうだった。
「せめてイル・バスティーユに渡る方法がなにかあれば、後は現場を見ての判断でどうにでもなりそうなんだよな。」
俺の予想では、たとえ監獄島と言えど魔法対策は殆どしていないと見ている。なぜなら、収監されるエヴァンニュ王国の国民は、皆魔法が使えないからだ。
「海を夜の内に泳いで行くってのは?」
またウェンリーは現実的じゃない提案を…毎回なんで自力で泳ぐ方向に行くんだ?普通は小舟で行くとか考えるだろう。そもそも真っ暗な海をおまえが一番怖がりそうじゃないか。
「却下だ。海には鮫と海獣に水棲魔物がウヨウヨいるんだぞ?それをどうにか出来るぐらいなら、ウンディーネに頼らずもう疾っくにリヴグストの封印を解いているだろう。」
「あ、そっか。」
封印?とイゼスがウェンリーに首を傾げるも、ウェンリーはこっちの話、と誤魔化す。
「その島は王都から離れた北西の海上にあるのだったな。…千年前だと旧アガメム王国の領地か。マリーウェザーならその島について、なにか詳しく知っているかもしれぬ。」
――と言ったシルヴァンの一言で、俺達は急遽マリーウェザーにも来て貰った。
マリーウェザーは結婚後、獣人族の衣装を身に着けて生活している。仕立屋に巫女装束を頼んであるが、普段は今のルフィルディルに馴染むためにも、みんなと同じ服を着たいと彼女自身が希望しているからだ。
そうしてシルヴァンと並ぶと、桜色の髪に碧い民族衣装が本当によく似合っているなと思う。
「北西の海上にある小さな島、ですか?ごめんなさい、現在の地図を見てみないと想像がつかなくて…」
「ウェンリー、エヴァンニュの王国地図を頼む。」
「ほい、了解。」
ウェンリーはすぐに無限収納から王国地図を取り出して机の上に広げた。
俺はイル・バスティーユ島を指差し、この島がそうだ、とマリーウェザーに教える。
「この島は…」
ほんの一瞬、マリーウェザーが息を呑む。
「マリーウェザー?」
そのどこか緊張して強張ったような表情に、なにかあるのかと思った俺が彼女の名を呼ぶと、マリーウェザーはすぐに気を取り直した。
「あ…いえ、失礼しました。この島は確かに旧アガメム王国の領土でしたが、実は『忌み島』として限られた者以外が近付くことを禁じられていた場所だったのです。」
マリーウェザーの話では、この島には千年前『アクリュース』という名の異界神を祀った神殿と小さな街があったという。
その街の住人は、独自の神としてその異界神を崇めて暮らしていたそうなのだが、そのアクリュースとは所謂『邪神』だったのだそうだ。
邪悪な神を崇めていたその街では、本土から離れた島であったにも関わらず、何処からともなく外部の人間を攫って来ては生け贄として殺す、という儀式を繰り返していたことがわかり、マリーウェザーの父ユバーファル王が街ごと断罪して粛清したらしい。
聞いただけで寒気がしそうな話だったが、注視すべきなのはそこじゃない。今マリーウェザーが言った、〝島であったにも関わらず、何処からともなく外部の人間を攫って来て〟の部分だ。つまり――
「マリーウェザー、今の話からするともしかしてこの島には昔、海を渡る以外にも行く方法があったんじゃないのか?」
そう思った。
彼女は俺の言葉に大きく頷き、直接確かめたことはないが、地下に広がる迷宮の一部が島に繋がっていたと、ユバーファル王から聞いた覚えがある、と教えてくれた。
その通路が今も残っていれば、地下迷宮を使ってイル・バスティーユ島に渡れるかもしれない。
「地下迷宮ならルフィルディルのギルドから直接入れる。外部に通じる転送陣は全て封印されているけど、ウルルさんに頼めば一時的に解除して貰えるよな。」
「うむ、早速我がウルルに頼んで来よう。」
意外にもやけにアインツ博士達の救出に乗り気なシルヴァンが、戻り羽根を使ってノクス=アステールに飛んで行った。
「早っ!!」
その行動の早さに、珍しくウェンリーの方が出遅れていたぐらいだ。
「ルーファス…シルヴァンはそのアインツ博士と考古学者の方々に、とても感謝していると私に話していたの。彼と私がこうして今一緒にいられるのも、元を辿ればその方々のおかげだと言っていて…」
「マリーウェザー。」
マリーウェザーがシルヴァンと眷属の誓いを交わし、正式に俺の仲間となった後、俺達の間では敬語をなくして貰った。
彼女とは今後もシルヴァンの妻としてだけでなく、ウェンリーやアテナ、ウルルさんと同じように七聖以外の協力者として、親しく付き合って行きたかったからだ。
「私からもいつかその方達にお礼を言いたいわ。あなたなら彼らを助け出せる?」
「そうだな、そのつもりだ。」
祈るような表情で俺に問いかけるマリーウェザーに、俺は笑顔でそう返した。
――アインツ博士達には、俺が千年以上も生きている不老不死という特殊な存在で、過去に『太陽の希望』や『守護七聖主』と呼ばれていたその本人であることはまだ打ち明けていなかったが、マリーウェザーを会わせることになると、もう隠してはおけなくなるだろう。(と言うか、俺が嘘をつけないからだ。)
だが博士達なら…ルフィルディルと獣人族の秘密を守り通してきた彼らなら、きっと俺のことを知っても変わらずに接し、今まで通りに付き合うこともできるはずだ。
それから変化魔法で外見を変えたウルルさんを連れて戻って来たシルヴァンと俺達は、バスティーユ監獄でなにがあるかわからないことを踏まえ、ありとあらゆる状況に対処できるよう、念入りに準備を済ませた。
どうしても一緒に来たいと言い張ったイゼスとレイーノだけを連れて行くことにし、ランカには博士達を助け出した後の受け入れ先をルフィルディルに用意して貰うことにする。
以前滞在した時と違って、刑務所から脱獄した犯罪者となれば、博士達はもうメクレンの研究所には戻れないからだ。
なので黒鳥族の精鋭陣にも協力して貰い、憲兵の隙を見てメクレンからこっそり、博士達の荷物を全てルフィルディルに運び込むことにする。
かなり大変な作業だと思うが、そこはウルルさんの発明品があるから問題ないそうで、気がついた時には研究所の中が蛻の殻になっていたことを知ったら、国の憲兵達もさぞかし慌てることだろう。
こうして俺達は、突然施行された新しい法律によって監獄に送られたアインツ博士達を救い出し(脱獄させに)に向かうことになったのだが、その先の道は、俺の想像を遙かに超える、とんでもない事態へと繋がって行くことになる。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。いったいいつになったらリヴグストは解放されるの?と思うかもしれませんが、もう暫くお待ちください。次回、また仕上がり次第アップします。