09 キー・メダリオン
差し替え投稿します。急用が出来たというリカルドと一旦別れたルーファスは、ウェンリーと教えられたアインツ・ブランメル考古学研究所へと辿り着きましたが、そこにいたやけに元気なアインツ博士本人と思われるご老人は、手にした本に夢中でルーファス達を見ようともしなくて…?
リカルドと一旦別れた俺達は、メクレンの学術地区に入り、通称 "学生通り" と呼ばれる大学に通う生徒達が多く行き交う通りを歩いて行く。
ここには様々な店舗が存在していて、本屋、文具屋、洗濯屋、食材屋、雑貨屋、薬屋に楽器屋…などなど、中々珍しい店が多い。今の自分たちには用途の薄い品が殆どなので、今日の所は素通りする。
この通り沿いには家賃の安い単身者用集合住宅も多くあり、住人は学生寮代わりに利用している一人暮らしの若者が殆どだ。そのため低価格で良質な食事を提供する食堂が数軒あり、どこも遅い朝食を取りながら勉学に勤しむ学生達で一杯のようだった。
その学生通りからさらに教えられた道順を辿って行くと、街外れの公園近くにある鬱蒼としたファブルブナの木立が見えてくる。その影に、ブリックストーンの二階建ての建物が生い茂る枝葉に隠れてチラリと顔を覗かせた。
俺とウェンリーはその近くまで進むと、鉄製の少し錆びかけた門扉の前で立ち止まった。
「アインツ・ブランメル考古学研究所…ここで間違いないみたいだな。」
俺は門脇の石柱に彫られた表札を声に出して読み上げる。
「……マジ?」
眼前の光景を見てウェンリーは、その顔を引き攣らせていた。なぜなら目の前の建物が、まるでお化け屋敷の如き様相を呈していたからだ。
周囲にぼうぼうと生い茂った草木と隣接する木立のせいか、全体的に薄暗い上に、庭は全く手入れがされておらず荒れ放題で、今にも蛇や蛙など湿った場所を好む生き物が飛び出して来そうだ。
おまけにブリックストーンの赤色が多分湿気からだと思うが、良い感じに黒ずんでいて、建物自体もなんとも言えない不気味な雰囲気を醸し出している。
「凄い庭だな…結構広いのに荒れ放題だ。」
開いていた門から敷地内に入り、土に埋もれかけている石畳を辿って正面玄関へと歩いて行く。
「横からスライムとか飛び出して来たりしねえだろうな?」
草の間からちらっと見えた澱んだ水溜まりのような池に、確かにスライムが好みそうな環境ではあるが、さすがにそれはないだろう、と俺は微苦笑する。
薄暗い建物の玄関前に立つと、扉の硝子窓から少しだけ内部が覗けた。だが中は真っ暗で人気がなく、本当に誰かいるんだろうかと少し不安になった。
「とりあえず呼び鈴があるから鳴らしてみっか。」
ウェンリーがすぐ横の壁にあった呼び鈴の釦を押すと、扉の中から独特な音が響いてきた。
キンコンキンコンコン…キンコンキンコンコン…
建物の雰囲気とは違って、明るい調子の鐘のような音だ。
「…………」
暫し反応を待つが誰の返事もない。
「あれ?おっかしいな、聞こえねえのかな。」
ウェンリーは再び呼び鈴の釦を押すと、今度は連打したために繰り返し繰り返し音が鳴り続けていた。
「鳴らしすぎだウェンリー。」
「でも返事ねえじゃん。留守なんじゃねえの?」
「連絡してあるんだからそれはないだろう。」
そんな会話をしていた時だ。
「やかましい!!そんな何度も鳴らさんでも聞こえとるわっっ!!!」
…と言う嗄れた怒鳴り声がどこからか返って来た。
「やべえ、怒られた!」
「何度も押すからだ。…今の返事はどこから聞こえたんだろう?」
俺は玄関から少し距離を取って辺りを見回し、その声の主を探すも見つからないので、仕方なく大声を出して呼びかけてみることにした。
「――あの、すみません!俺達アインツ・ブランメル博士に用があって来たんですけど…!!」
すると今度はすぐに返事があった。
「扉なら開いとる!今忙しくて手が離せないんじゃ、勝手に入って来い!!」
そのぶっきら棒で不機嫌な声に、思わず俺達は顔を見合わせる。
「なんか口調が偉そう…偏屈じいさんか?」
眉を顰めてウェンリーが言う。
…そうでないことを祈りたい。
とにかく言われた通りに建物の中へ入ろうと、開いているという扉をぐっと力を込めて押してみる。だが障害物があるのか、ちょうど人一人横向きに通れるくらいだけ動いたところで、すぐにゴツン、となにかに閊えた。
「…うわっ!?」
中を覗き込んだ俺は、思わずびっくりして声を上げる。そこには山と積まれた本やら紙やら巻物やらが、入口を塞いで所狭しと置いてあったからだ。
恐る恐るそれらを崩さないように、そおっと静かに隙間を通ってなんとか身体を滑り込ませると、後に続いたウェンリーには気をつけろと注意を促した。
「げげっ、汚ねえ!なんだこりゃ…!?」
正面にはカーテンのない窓があったのだが、そこの前に本棚があり、ギッシリと本が詰まっていたため、どうやら光が遮られて暗かったようだ。
廊下も階段もどこもかしこも本の山で、紐で束ねられた書類や、なにかが入った紙の箱、箱、箱の壁があり、一部の扉はそれらに埋もれていて見えもしない。こんな中をどう進んで、どこへ行けばいいのやら、だ。
途方に暮れて困っていると、再び先程の声がした。
「なにをしとる!?一階一番右奥の部屋じゃ!廊下の本は崩さんように来るんじゃぞ!!」
「一階の…」
「右奥…!?」
その方向を見た俺達は前途多難を悟る。まるでその先は本の隧道だったからだ。
廊下の左右に天井まで積み上げられた、グラグラする本と紙と箱の壁に、身体が触れないよう横向きになって少しずつ進むと、俺とウェンリーはようやく最奥の部屋に辿り着く。
扉が開いたままの部屋の中を覗くと、白髪交じりの濃い焦げ茶色をした薄い毛に、眼鏡をかけた小柄のチョビ髭を生やしたご老人が、手にした本を見ながら忙しなく右へ左へと歩き回っていた。
ホッ…部屋の中は人がいられる隙間がちゃんとあるのか。
そう安堵した俺は、ここに辿り着いただけでドッと疲れが湧いて来た。
「――あの…」
気を取り直して声を掛けようとした俺を遮り、そのご老人はこちらを見ようともせずに、いきなり一方通行の言葉を発する。
「ああ、挨拶はいい時間がない、早速じゃがそこの廊下にある本の山から『文明力学論』と『古代文明におけるアルティマイト』という題名の奴を探し出してくれ。」
「…はあ?」
初対面の人間にいきなり命令される覚えはねえ、と言わんばかりに、ウェンリーがすぐさまムッとした声を出す。
「なにをしとる、早くせい!!」
ところがそのご老人は、小柄な身体に似合わず嗄れていながらも野太いドスの利いた声で、相変わらずこちらを見ないまま怒鳴りつけた。
――偶にいるよな、身体が小さくても声にやたらと迫力のある御仁って。
「わわっ、はいいいっっ!!」
正にこのご老人はそんな感じの人で、飛び上がって驚いたウェンリーは、思わず返事をしてしまいすぐに本を探し始めた。
「え…おい、ウェンリー?」
ムッとしていたくせに、言われた通りに動くのか??と俺は面食らう。
「ああ、もう一人はそこの古文書を種類別に分けて、隣の部屋の保管棚へ移動するんじゃ。とんでもなく古いもんじゃから、傷をつけんよう気をつけるんじゃぞい。」
「…ああ、はい…。」
古文書?……この巻物のことかな…。
ウェンリーはせっせと働き始めてしまったし、戸惑いながらもなぜかその妙な迫力に逆らえず、結局俺まで手伝い始めると、わたわたと次々に指示されるまま本やら書類やらを右往左往しながら運んで行く。
隣室に入ると保管棚と思われるその木製棚には、変な仮面や置物、怪しげな人形に血の付いた十字架、錆びた儀式用ナイフに染みだらけのタペストリーなど、わけのわからないものが沢山並べてある。
中には見るからに価値の高そうな『キャッツアイ』という宝石に良く似た、巨大な赤い石まで置いてあった。
ヒーヒー言いながら俺の横に、大量の本を抱えて運んできたウェンリーが、なんで俺がこんなことを、と言う顔をしてぼやく。
「――なあ、俺ら誰かと間違われてんじゃねえ?さっきからあの爺さん、一度も人の顔見やしねえし。」
それは俺も思っていた。
「うーん…弱ったな。」
しかし…長より年上だと言っていなかったか?とてもそうは見えない。しゃっきりと伸びた背筋に、あの声…60代でも十分通用しそうだ。本当にそんなご高齢なのか…?
そう疑いたくなるくらい、ご老人は元気で若々しく見えた。
暫く後、もう少しで手伝いを終えるという頃になって、リカルドが二人の男性と一緒にやって来た。
袖を捲って埃だらけになりながら、本の整理をしていた俺達を見て、リカルドは目を丸くし呆然とした声を出す。
「な…なにをしているのですか?ルーファス…」
「あ…リカルド。」
俺が額から流れて来た汗を腕で拭うとその瞬間、リカルドの横に立っていた初対面の男性が、青くなって叫んだ。
「ア、アインツ博士ええっっ!!リカルドさんのお客人に、なにをやらせているんですかああっっ!!!」
「…ぬ?」
ここでご老人はようやくその顔を上げたのだった。
「――いやあ、すまんすまん、てっきり今日手伝いに来る予定の学生じゃとばかり思っとったもんでの。」
研究所内の応接室に場所を移し、テーブルを挟んで置かれていた埃だらけの長椅子にどうぞと案内され、頭を豪快に掻きながら笑うご老人と、向かい合わせに俺達三人は腰を下ろした。
「迎えに出た僕らが戻らないのに、学生だけが先に着くはずがないでしょう!」
呆れて文句を言う眼鏡をかけた研究者らしき男性は、白衣を羽織った真面目そうな雰囲気で、時折ズレる眼鏡を気にしては指先で直していた。
「博士が大変失礼をしました。」
「いえ…」
謝りながら俺達に飲み物を出してくれたもう一人の男性は、鼻の上にそばかすがあり、少し長めの前髪を七三分けにした、こちらも研究者らしいとても真面目そうな人だ。
苦笑いを浮かべながら差し出された飲み物に口を付ける俺を見て、右横に座っていたリカルドが、顳顬に青筋を立てながらあのご老人に冷ややかな目を向ける。
「お久しぶりですね…アインツ博士。相変わらず研究に没頭すると、一切周りが見えなくなるようで。まさか私の大切なパートナーを、助手代わりに使われるとは思いませんでしたよ。後でこの分の料金を請求してもよろしいんでしょうね?」
にっこりと微笑みながらリカルドは、酷く刺々しい口調で言葉尻を強調しながら嫌味を言う。
「リカルド君も…その毒舌ぶりが相も変わらず顔に似合わんのう。」
それでもこのご老人はリカルドに負けず、ヒクヒクと引き攣った笑いを浮かべながらそんな風に切り返す。
そのやり取りを見るに、昨夜リカルドが知らない仲ではなく、融通が利く、と言っていたのは確かなようだ。
「ルーファス、こちらがアインツ・ブランメル博士です。博士、彼がルーファス…私が信頼する唯一のパートナーです。」
気を取り直したリカルドは、そう言って俺を紹介してくれた。
俺は初めまして、と挨拶をすると、手を差し出してくれたアインツ博士と握手を交わす。
それから、眼鏡をかけた白衣の男性がクレン・ウィドウさん。アインツ博士の助手で三十二才の古代遺物の研究を専門とした学者さんだそうだ。
そしてそばかすの男性がトニィ・キッドマンさん。こちらもクレンさんと同年代で、同じくアインツ博士の助手をしている古代言語学に詳しい方だそうだ。
俺は二人とも握手を交わし、俺の友人としてウェンリーを紹介する。ウェンリーも真面目に挨拶をしてぺこりと頭を下げると、俺と同じように横で握手を交わしていた。
「ふむふむふむ…」
自己紹介を終えた後、アインツ博士はなぜかテーブルに両手をついて身を乗り出すと、俺の全身を物珍しそうに上から下まで具に眺めて来る。
「…なんですか?ルーファスが減ってしまいますから、あんまり見ないで下さい。」
シッシッと動物でも追い払うように、リカルドは博士をその手で払った。
「いやいや、大の人間嫌いなおまえさんが、いったいどんな相手となら二年以上も付き合えるのかと思っての。」
「…人間嫌い?」
ウェンリーが〝えっ〟と言う顔をして目を丸くする。
「博士…ルーファスの前で余計なことを仰ると、今後護衛依頼を出されても私は一切協力致しませんよ?」
そう言ったリカルドは、にこにこと笑顔を浮かべているのに、まだ顳顬に青筋が立っていた。
それに気づいたクレンさんは、慌てて博士に呼びかける。
「は、博士!!」
「それは困る。…やれやれ、リカルド君はほんにおっかないのう。」
そう言いながらも博士には余裕があり、やはりあまり応えてはいないようだ。
――なるほど、リカルドが振り回されている、と言っていたのがなんとなくわかるような気がするな。アインツ博士は中々に打たれ強そうな御仁だ。
「まあいいでしょう、今日はお願いがあって来たのですから、あまり虐めないで差し上げます。ではルーファス、後はあなたからお話をお願いします。」
「ああ。」
リカルドに促され、俺はまずここに来ることになった最初の経緯…つまりは亡くなった女性の話から始めた。但し、リカルドにも言わなかったのだが、最後のあの言葉は除くことにする。悪戯に混乱させたくなかったからだ。
そうしてイシリ・レコアについてヴァハの村長から話を聞いたことと、アインツ博士ならなにかわかるのではないかと教えられたことを説明した。
その上で、俺が最終的に知りたいのは、イシリ・レコアがどこにあるのかその場所と、そこへの行き方についてなのだと言って、息を引き取った女性の最後の願いだったからこそ、それを託された俺が責任を持って叶えてあげたいと思っていることを話した。
俺の話を聞いていたアインツ博士と助手さん達は、なんだか少し驚いたような顔をしている。
「どうです?アインツ博士、イシリ・レコアという場所について、なにか御存知ですか?」
俺の代わりにリカルドがテキパキと問いかけてくれた。それなりに親しいようだし、ここは任せようかな。
「――知っているもなにも…ねえ?博士。その存在を長い間ずっと探しているのは我々の方ですから。」
クレンさんが目を丸くしながらアインツ博士に話を振った。
「ふむ。しかもこの機運にそんなことを尋ねられるとは…不思議な縁もあったもんじゃ。実はの、わしらが今度調査に入る予定の遺跡が近くにあるんじゃが、そこは正に伝説の隠れ里イシリ・レコアへと通じておる可能性が高いんじゃよ。」
「おおっマジか!やったぜ、ルーファス!!」
これには黙って聞いていたウェンリーも、思わず喜んだようだ。
だが俺は喜ぶにはまだ早いと思っていた。長の言葉を思い出すに、そんな簡単に辿り着けるとは思えない。それになにより…
「あの、その遺跡というのはどんな場所なんですか?」
そう、気になるのは博士が口にした、調査に入る予定だと言った遺跡だ。
「ほう、さすがはリカルド君のパートナーじゃのう。正確な情報を逃さずにしっかり把握するのは優秀な守護者の証拠じゃて。」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう。」
俺を褒めてくれたアインツ博士の言葉に、リカルドがドヤ顔をしている。なんだかとっても嬉しそうだ。
「そもそもルーファス君は、イシリ・レコアがなぜ『伝説の隠れ里』と言われているのか、その理由を知っとるかね?」
蘊蓄を語る研究者らしく、人差し指を立てながらアインツ博士は片目を閉じる。
「…その存在が確認されていないからではないんですか?」
それ以外になにがあるんだろう?
「もちろん、それも理由の一つじゃろう。だが本当の理由は別にあり、それはその地が『獣人族』の里だからなんじゃよ。」
「獣人族…?」
そう聞いた俺は、なぜだかその言葉に酷く聞き慣れた感覚があるような気がした。
――獣人族と言えば、半獣の人族…獣に変化する能力を持ち、人間よりも屈強な力と優れた戦闘能力を備えた伝説の種族だ。
一般的にはその姿形も様々な動物の部位を持ち、現在のフェリューテラでは狼男だとか、半牛の『ミノタウロス』や馬の首から上が人の上半身に置き換わった『ケンタウロス』と言った話が残っていて有名だ。
「えー?それって単なる御伽噺とか、作り話だと思ってた。だって実際獣に変化する人種なんて見たこともねえし。」
ウェンリーは〝信じらんねえ〟と言うような顔をして、少し失礼なくらいの作り笑いを浮かべている。
「――いいえ、御伽噺でも作り話でもありませんよ。千年ほど前までは当たり前に実在していた種族です。なぜだかエヴァンニュ王国の歴史では、決して表に語られることはありませんが、古国の人間と獣人族の古代戦争は、考古学界で良く知られています。」
「そうなのか…。」
古代戦争、と聞いてなんだか俺は胸の辺りがモヤモヤっとして来る。どうしてか、とても嫌な気分になった。
「…でもそうですか…イシリ・レコアとは、獣人族の隠れ里のことだったのですね…。」
リカルドはボソリとそんなことを呟くと、ほんの少しの間なにかを考え込んでいる様子だった。
俺はふと思ったことを口に出して尋ねてみる。
「アインツ博士、その獣人族ですが…もしかして迫害されていた、というような過去はありますか?」
「ほう、正にその通りなのだが、なぜそう思うのかね?」
アインツ博士は興味深そうに身を乗り出した。
「いえ…伝説の隠れ里、に古国との古代戦争、と聞いてなんとなく――」
実はそれ以外にも思った理由があった。
「それと、今現在このフェリューテラに、一種族として存在していないことになっているから、かな。」
アインツ博士達は俺が言った言葉に、一瞬ギョッとしたような顔をして驚いた。
「…?」
――なにか変なことを言ったかな?
俺が不思議に思っていると、三人はなにやら互いに目配せをしたり、目線を逸らしたりして少しの間様子がおかしくなる。
だが唐突にオホン、と博士が咳払いをするとすぐに元に戻った。
「ああ、いやすまん、なんだかルーファス君がまるで彼らに会ったことがあるような言い方をするもんじゃからの、ちょっと驚いただけじゃ。」
「え…?」
俺、そんな言い方をしてたか?とリカルドに尋ねると、リカルドはこくりと頷き、無意識だったのですか?と問いかけた。
もちろん会ったことなどあるはずがない。
その後も話を続けると、アインツ博士達の研究では、ヴァンヌ山の南側…つまりは俺達が住むヴァハの村がある所からさらに南なのだが、とにかくそこに広がる広大な『ラビリンス・フォレスト』の中に、隠れ里があるのではないかということだった。
『ラビリンス・フォレスト』とは、一度足を踏み入れると二度と出て来られないと言われる、迷宮のような深い樹海のことだ。
ヴァハの南には年中霧深いヴァンヌミストの森があり、そのずっと奥はそのままラビリンス・フォレストに繋がっていると言われている。
もちろん誰も確かめたことなどないので、その先がどうなっているのかはわからないのだが、そのどこかに迫害されていた獣人族が隠れ棲むイシリ・レコアがあるのだと言われれば、至極納得がいくような気がした。
ただそう聞いてもラビリンス・フォレストを正攻法で進むのは絶対に不可能だ。あの森は人の五感を狂わせ、まともな思考さえできなくなると聞く。
実際に入り込んだ人間の噂を聞いたことはあるが、誰一人として帰ってきた者はいないのだ。
だからこそアインツ博士達は、研究を重ね、どこか別に隠れ里へと続く道があるはずだと探し続けてきたらしい。
「…なるほど、そう繋がるのですね。…で、肝心のその遺跡の場所はどこなのですか?アインツ博士。」
またリカルドがなにやら有無を言わせぬような気を纏って、にっこりとアインツ博士に微笑みかけている。
「あれこれ遠回しに説明している素振りを見せて、情報の価値を高めようとしても、私にはお見通しですよ?」
――え?どういうことだ?
わけがわからず俺とウェンリーは顔を見合わせた。
「ちっ、リカルド君は食えんのう、もう少し引っ張れば少なくともルーファス君が釣れそうじゃったのに。偶には九十を過ぎた老人を労ろうという気持ちはないのかね?」
「きゅ、九十!?」
「うっそだろ!?」
ジトッとした目つきでリカルドを見た、アインツ博士が口にした年令に、俺とウェンリーは驚愕した。
まさかそれほどお年を召したご老体だとはとても信じられない。
「食えないのはどちらですか。確かに博士は1904年生まれでしたね。ですが私にはあなたを甚振ろうと言う気持ちはあっても、労るつもりはありません。そんなことをしなくても十分小狡くて、ふてぶてしいほどにお元気ではありませんか。私達の足下を見て、体良く約束に漕ぎ着けようという魂胆なのでしょうが、そうは問屋が卸しませんよ。」
「うわ〜…なんかキッツ…」
ドン引きしたウェンリーが白い眼を向ける。
リカルドにしては確かに、かなり厳しい言葉を口にしているような気がする。…ただそれでも、アインツ博士は全く気にしていないように見えるんだが。
「…リカルド?」
「はあ…アインツ博士は『今度調査に入る予定の遺跡』と言っていますでしょう?要するに、情報と引き換えにして私達にその遺跡探索の護衛を依頼するつもりなのですよ。」
「えっ…」
それは考えてもいないことだった。
「遺跡探索の護衛?それってすっげえ危険なんじゃね?」
すぐさま怪訝な顔をしてウェンリーが眉を顰める。
「危険も危険、アインツ博士が探索を行うような遺跡は、その殆どが未知の遺跡です。盗掘防止の罠はもちろんのこと、内部がどうなっているかは入ってみなければわかりませんし、百年単位で長期間閉ざされていることが多いため、私ですら見たこともないような魔物が徘徊していることも珍しくありません。その中で民間人の博士達を守り抜くのですから、当然依頼の難易度はアンノウンクラスですよ。」
アンノウンクラス…つまりは最高難易度、と言うことだ。
俺達守護者には仕事を割り振るための、等級による個人的なクラス分けが定められていると説明したが、当然受注する依頼にもその基準となる難易度を示す等級がある。
それはFランクからSランクまでの七段階に加え、何の詳細もわからない、と言う意味のアンノウンという全八段階中最高の難易度が存在している。そのアンノウンクラスの依頼は、失敗すればほぼ生きては戻れないというのが常識だ。
況してや博士達が望む遺跡探索の護衛ともなれば、依頼主自身も命がけになるのだ、そう簡単に引き受けるわけにはいかない。
ただまともにギルドへ依頼を出しても、まず引き受けてくれる守護者は見つからないだろう。なぜならいくら破格の報酬を得られるとしても、成功させることの方が遙かに難しいからだ。
「こいつがこんなに渋るんだから、相当危ない上に難しいんだろ?…まさか、引き受けたりしねえよな?ルーファス。」
ウェンリーが不安そうに俺を見る。…が、俺はなにも答えなかった。
「まあ、依頼を引き受けなくても、遺跡の場所を知る方法はありますからね。多少時間がかかっても、私達の足で探せば済むことですから。」
「むぎぎぎぎ…」
リカルドが意地の悪い笑みを向けてアインツ博士を挑発すると、博士は悔しそうに歯ぎしりをした。
「それはそうとルーファスさん、お願いがあるのですが、その…亡くなった女性から預かったという物を我々にも見せて頂けませんか?恐らく遺物だと思うので…今、持ってらっしゃるんですよね?」
よほど興味があるのか、そわそわしながらクレンさんが下手に出て腰を低くしている。
そう言えばクレンさんは、古代遺物の研究を専門にしているんだと言ってたものな。
「おお、それはわしからもお願いしたい!!」
歯ぎしりをしていたアインツ博士の調子が一瞬で元に戻った。
「お願いします、是非!!」
三人に一斉に頭を下げられた俺は、一瞬どうしようか迷ったものの、それほど問題にはならないだろうと思い、頷いた。
「いいですよ、ちょっと待って下さい。」
俺はすぐに無限収納カードを出して、貴重品の一覧表からあの包みを探して手元に取り出す。
「おお、良いなあ…無限収納。守護者になれば貰えるんですよね。それがあればここもすっかり片付くのに。」
トニィさんが羨ましそうにこちらを見る。
「そうだね。だけどそう言ったって、僕らに魔物を狩るのは無理だよ。守護者は名前を登録すれば良いってわけじゃあないんだから、貰ってもすぐに没収されるのが落ちだ。」
そう残念そうに言ったクレンさんはさらに続けた。
「確か守護者って、定期的に一定数以上の魔物を狩らなければ、登録を抹消されてしまうんですよね?しかも場合によっては、莫大な違約金を取られるとか聞きましたけど。」
「へえ…そうなのか?」
「ああ、まあな。」
これにはリカルドが答えた。
「その通りですね。実際昔は、無限収納などの無料特典目当てで、名前の登録だけしてなにもしないでおこうなんて考える民間人もいましたから。そう言う人間は一生かかっても返し切れないほどの違約金を背負わされたそうですよ。しかもギルドの "監視" 付きで。」
トニィさんとクレンさんはリカルドの説明に「ですよね…」と言いたげな顔をしていた。
そんな彼らの会話を他所に、俺はテーブルに置いた包みを開いて行く。
それ…血ですか?とクレンさんがゴクリと息を呑んだ。
そしてあのメダルが中から現れた瞬間、突如としてアインツ博士が立ち上がると絶叫に近い叫び声を発した。
「んなあああああーっっ!!!そそ、それは…キ、キ、キー・メダリオン―――っっ!!!」
興奮した博士が目の色を変えてメダルを手に取ろうとしたため、俺は危機感を感じて透かさずサッと隠した。
「ル、ルーファス君っっ!!た、頼むう〜それをわしに見せてくれええ!!」
懇願する博士に俺は思わず長椅子から立って後退る。
「え…あの、嫌です。渡したらもう返してくれませんよね?」
なんとなくそんな気がして、触らせるのですら拒みたくなった。
「…アインツ博士?」
リカルドがまた青筋を立ててずずい、っと顔を覗き込むようにして博士に迫った。
――結局少し間を置いた後で渡し、落ち着きを取り戻した博士とトニィさん、クレンさんが『キー・メダリオン』と博士が呼んだそのメダルを、拡大鏡を使ってじっくりと覗き込んで調べることになった。
「――信じられません、間違いなく本物ですよ…アインツ博士。本物の、キー・メダリオンです。」
そう言うとトニィさんが、古びた本と巻物を広げて並べ、図面と実物を細部に渡って見比べた。
「えーと…キー・メダリオンは、触れると音叉の如く振動音を発し、その音は共鳴してなんらかの鍵となるらしい…ですか。いったいこの虹色に光る素材はなんなのでしょうね?」
「うーむ…」
クレンさんが表面に触れてみると、やはりグラスに水を入れてその縁をなぞった時のような音がする。
「少し表面を削って顕微鏡で分析すれば、なんの素材で出来ているのかわかるかもしれませんが――」
なっ…!!
驚いた俺がその言葉に反応する前に、リカルドが冷たくピシャリと窘めた。
「絶対にだめです。どれほど研究材料として価値のある物でも、それに傷を付けることは許可できません。そうですね?ルーファス。」
「あ、ああ…」
良かった、リカルドが先に止めてくれたか。
「まあ当然かな。元々俺らのもんじゃないんだし、それを預けた女の人は、命がけでそいつを守ってたんだぜ?んなことして恨まれても知らねえからな。」
ヒヒヒ、とクレンさんを笑いながら、ウェンリーは手首から先の両手をだらんと下げて幽霊の真似をし脅かした。
――ほんの一瞬焦ったけど、心配しなくても多分あの素材は…削るどころか傷付けることさえできないような気がする。それで傷が付くくらいなら、あんなに表面が綺麗であるはずがないものな。
大した根拠もなく俺はそう思った。
「これからイシリ・レコアがようやく見つかるかもしれない、という時によもやキー・メダリオンまでもが見つかるとはのう…これを探し続けて四十年…この目で本物を見て、触れるとは…運命じゃ、これは運命に違いない…っ!!」
自分の世界に入ってしまったアインツ博士の意識が、どこか遠くに飛んで行った。
「そんなに長いことこれを探してたのかよ…考古学者って、おっそろしく執念深え…違った、根気強えな。」
ウェンリーが感心したようにそう呟いた。確かにそうだ。その情熱には頭が下がる。でなければ俺達は、きっとイシリ・レコアの情報を知ることさえできなかっただろう。
「当たり前じゃ!考古学とは、忍耐に次ぐ忍耐、ひたすら地道に調査して調査して調査する、その繰り返しじゃ!埋もれた歴史を掘り返す…これがわしの生きる意味、畢生の職よ!!」
尊敬はするが、ただ…九十過ぎのおじいさんが、精神的に高揚しすぎて妙な動きをしているんだけど…大丈夫だろうか?
リカルドはもう、アインツ博士のことを無視して、相手はしないことに決めたようだった。
「この縁には文字のようなものが彫り込まれていますが、これはなんですか?」
リカルドは真剣な表情でキー・メダリオンの表面に刻まれた、細かな模様を指差している。
意外にもこう言ったものに興味を示すことがあったんだな、と俺もその横でクレンさんの説明を聞くことにした。
「ああ、これはですね、古代文字です。ですがただの古代文字ではなく、『効果呪文』という暗号化された符号のようなものですね。」
それはいろんな遺跡の扉や、宝箱、隠し扉の仕掛けなどに使われている難解な鍵のようなもので、限られた声紋、正しい発音など特定の条件で感知する音により効果を発揮すると言われているようだ。
要するにこのキー・メダリオンは基本的に『声音』が重要なのだろう。
「まあそういう仮説があっても、実際には効果呪文が力を発揮したところを見たことのある考古学者は、どこにもいないんですけどね。」
ならば効果呪文で閉ざされた遺跡などの扉はどうやって開くのだろうか、と思えば、壊せるものは無理やりにこじ開けてしまうのだと、あははは、と笑いながらクレンさんはそう言った。
いや、それはちょっと駄目だろう。
「なんて書いてあんのか意味はわからねえのか?ひょっとしたら、大事なことが刻まれてんのかも…」
「ウェンリー…気になるのか?」
「おまえだってそうだろ?だってほら…さ。」
――ああ、そうか…あの女性が残した最後の言葉…ウェンリーはそのことに関わるなにかが文字として刻まれている可能性を言っているのか。
「全部は無理ですが、一部分だけならわかりますよ。実は暗号化されておらず、意味のわかりやすい文字も刻まれているんです。ええと…あったあった、これだ。」
トニィさんは古代言語に詳しいだけあって、既に解読済みの部分を抜き出した文章が書かれた、キー・メダリオンの図面を広げて見せてくれた。
「なんて書いてあんだ?ルーファス。」
「待ってくれ、読み上げるから。ええと…?」
――それを俺は、なんの意識もせずに指でなぞりながら口にする。この直後に起きる異変のことなど全く、予想もできずに。
「――我、汝らの真なる主なり。誓約に名を連ねし者よ、我が命に従いて目覚めよ。」
それは突然だった。
その文章を俺が読み上げた直後に、すぐ目の前にあったキー・メダリオンが、甲高いキーンという音を立てて、目映い虹色の光を放ち始めたのだ。
「な…っ」
俺は驚いてその光から顔を腕で庇った。だが次の瞬間、俺の頭の中で…なにかが壊れて弾けるようなパシャーンという音がして、それとほぼ同時に、失っていた記憶の一部がなんの前触れもなく甦ったのだ。
それは猛烈な勢いで俺の中に流れ込み襲ってくる、様々な映像と情報、そして恐ろしいまでの激しい感情の波だった。
多分過去に経験したのであろう思いが、一気に強大な見えないなにかの力となって押し寄せて来る。
その中のある一つの感情に、俺は胸が押し潰されそうになり、それに耐えきれなくなりそうになったその瞬間、今度は俺の中のどこかで誰かの叫ぶ声が聞こえた。
『――だめだまだ早い、思い出すな!!』
その声は、確かに俺にそう言ったのだった。
00~08話までと同様、大幅修正して追記したりしたものを差し替え投稿しています。読みにくかったり、説明不足だったりした部分を加えてあります。