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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス
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00 プロローグ

FT歴1986年、エヴァンニュ王国のヴァンヌ山で主人公ルーファスは、大怪我をして倒れているところを赤毛の少年、ウェンリーに助けられます。物語はそこから始まり、十年の月日が流れた現在、そのことが原因だったのか、記憶を失ったルーファスは、ヴァハの村を『守護者』として魔物から守りながら生活していました。ある日、恐ろしい死の病ネメス病にかかった村の少女を助けるために、今では成長して親友となったウェンリーと共に、ヴァンヌ山へ神の花と呼ばれる『ヴァンヌ草』を集めに来ていましたが…?

※ 差し替え投稿します。


 ――激しく降り出した雨に、時折足を滑らせそうになりながら、まだあどけなさの残る年頃の、赤毛の少年が走って行く。

 ついさっきまで見上げていた空は気持ちよく晴れていたのに、急に雲行きが怪しくなったと思ったら、あっという間にずぶ濡れになった。

 今さら頭を覆ったところで、ここまで濡れるともうあまり意味はないのだが、それでも少しでも濡れるのを防ごうとして、少年は小さな手を傘の代わりにした。


 赤毛の少年が家路を急ぐここは、子供の足でも簡単に入って来られるくらいの、緩やかな傾斜が続く山道(やまみち)だ。傍に見えるのは葉の青々とした背の高い木々と、ごんごろとした大岩に、少し奥まった所にある上へと伸びる切り立った崖だ。

 人の通る箇所を除いてすぐ脇のぼうぼうに茂る草叢(くさむら)からは、今にも小動物が飛び出して来そうな気すらする。


「あー、もうびしょびしょだよ…ぜってえ母ちゃんに怒られる〜!」


 そうぼやく少年のくりくりっとした濃い琥珀色の瞳に、はた、とおよそこの場所には似つかわしくない物がチラリと見えた。少年はパシャリと水溜まりを踏んだ足を止め、小首を傾げると、不思議そうな顔をしてそれに近付いて行く。


 ――剣だ。本物?…そう思い、無造作に落ちていたそれに手を伸ばし、力を込めて持ち上げてみた。大人は軽々と持ち上げているのに、少年の予想に反してかなり重い。

 薄く鋭い刀身の、見た目に反してずっしりと来た両刃の片手剣。棄てられていたにしては刃毀れもなく、きちんと手入れがされていて、まるでついさっきまで人の手にあったかのようだった。


 どうしてこんな所に落ちているんだろう?、と訝しんだ少年は、ぐるりと辺りを見回してみる。するとほんの一瞬、背の高い草葉の隙間から、『赤い色のなにか』を見たような気がして、持ち上げた剣で草を掻き分けながらその場所を覗き込んでみた。


 そうしてそこで見つけた物にあまりにも驚いた少年は、一瞬で青ざめ、息をひゅっと吸い込むと、悲鳴を上げそうになる。


 少しだけ弱まって来た雨が、砂を流すようなサアァーっという音を立てて降り注ぐ、ほんの少しだけぽっかりと開いた目の前の空き地。倒れた古木が大岩に寄りかかり、周囲を草木に囲まれたその場所に、血だらけの若者が倒れていた。


 血の気のない青白い顔に、衣服はズタズタに裂けて真っ赤に染まっており、全身には酷い傷を負っている。そして左肩から垂らすように束ねられた、この国では見かけることのない見事な銀色の長い髪――


 ――その若者は、今はまだその目を閉じたまま…ピクリとも動かない。


 彼の名は『ルーファス』。そして赤毛の少年の名は『ウェンリー』。


 フェリューテラ歴1986年、そぼ降る雨の、エヴァンニュ王国南部地方『ヴァンヌ山』。


           ここから、物語は始まる。




              * * *


 重厚な石造りの家々が立ち並ぶ巨大な街がある。その街は端から端まで人の足で歩くと、二、三日は軽くかかりそうなほどの広大な敷地を、十メートル以上もの高さがある堅固な石壁に囲まれていた。

 遠くから見るとわかり難いが、その外壁は『魔物』対策のために二重になっており、それ自体が建物で内部が細かく仕切られた、国に関わるなんらかの重要な施設になっている。

 そのため、時折外壁の上を警備のために歩いて行く、武器を手にした兵士の姿がちらほらと見受けられた。


 いつ、どこから現れたのか、古くは何千年以上も前の古代文献において、既に存在していたとされる異形の生物『魔物』。

 この世界『フェリューテラ』では、人が暮らしを営む村や町のすぐ外に、その『魔物』が多数生息しており、人々が命の危険を感じることなく安心して生きて行くためには、頑強な壁と有事の際に閉ざすことが可能な『門』が必要不可欠だった。


 特にここは人の出入りをも監視、制限可能になっており、左右開閉式で金属製の大扉が今日も大きく開かれている。


 ――その巨大な街の地下に、隅々まで張り巡らされた水路があった。


 薄暗く、水滴が固い石地(いしじ)を打つ音と、流水音が響くその場所を、手に光の点ったランタンを持って杖をつき、顔をフードで隠した一人の老婆が歩いて行く。

 入り組んだ通路を迷うことなく進む老婆は、やがて突き当たりにある金属製の小さな扉の前に辿り着いた。

 するとランタンとは異なる光が顔に向かって放たれ、眩しげに目を細めた老婆を、執事のような格好のきちんとした身形で初老の男性が出迎えた。


「お久しぶりでございます、ラーミア様。道中迷われませんでしたか?」


 老婆を気遣う、優しげな声での男性の問いに老婆は無言でこくりと頷く。


「ではどうぞこちらへ。」


 そう続けた男性が側の壁にある鍵付きの棒を操作すると、扉が音を立てゆっくりと開いて行った。

 その先に現れた細い階段を上り切った所で壁に突き当たり、初老の男性が脇の壁の一部に体重をかけて押し込むと、ゴトン、と正面の壁が動いて急に目の前が明るくなり、立派な作りの豪華な部屋の中に出る。


 おかけになってお待ちくださいと、見るからに高級な調度品が並ぶその部屋の、これも豪華な肘掛け飾りが付いたふかふかのソファへと案内された老婆は、薄汚れた粗末な外套を着たままキシリと腰を下ろした。


「テラントか?」

「…は。」


 ドア越しに響く、威厳のある低い男の声に、『テラント』と呼ばれた初老の男性が短く返事をした。

 するとすぐに隣室で人が椅子から立ち上がるような気配がして、こちらに近付いて来る足音がする。

 テラントは慣れた様子でささっと金色の取っ手を掴むと、扉を開け、頭を軽く下げて声の主が部屋に入るのを待った。


「ラーミア様をお連れ致しました。」


 そこに立つ声の主は、生まれ持った気品と威厳の漂う、見るからに身分の高そうな五十代前半くらいの顎髭を生やした男性だった。

 男性はテラントにふむ、と頷くと『ラーミア』と呼ばれた老婆に向かい、親しげに話しかけた。


「――遠路はるばるよくいらっしゃった。」

「…久方ぶりじゃの、ロバム王よ。」


 その老婆ラーミアは掠れた声で威厳のある男性をそう呼ぶと、ここでようやく頭に被っていたフードをパサリ、と脱いで顔を上げた。


 白髪交じりの濃い紫色をした、緩い波形の癖付いた長髪に、額部分には紫水晶を吊り下げた『サークレット』という装身具を嵌めている。

 目尻に刻まれた皺は、神秘的な輝きを放つ薄紫色の瞳を際立たせ、若き日はさぞ美しかったであろうと思われる顔立ちをしていた。

 また、外套の粗末さに反してその中に纏っていた衣服は、眼前の人物と会うに相応しい装いであり、顔を隠すフードと併せ、長い旅路を移動する中で悪意ある輩に狙われないための偽装であったことを窺わせた。


「ラ・カーナでの園遊会以来か。…ご健勝でなによりじゃ。」


 ラーミアの言葉を聞きながら、威厳のある男性はその対面に腰を下ろした。


 なにを隠そうこの男性こそは、ここ『エヴァンニュ王国』の最上位たる国王陛下その人であった。


 国王ロバムが座るとテラントは、会釈をして扉を閉め部屋を出て行く。


「そなたもな。」


 木製の高級テーブルを挟み、国王とラーミアはさらに続ける。この二人、旧知の間柄ではあるようだが、再会を懐かしむ様子は微塵も見られない。

 ラーミアが隠し通路を使い密かにこの部屋を訪れたことと言い、この状況はまるで密談でもしているかのようだった。


 事実、その通りなのだが――


「――先においては前王妃…ベルティナ殿の行く末を()、その哀れな運命(さだめ)の前になんの役にも立てはせなんだ。故にさぞ恨まれておるじゃろうと思っておったが…」


 苦笑混じりに溜息を吐き、一呼吸置いてからその神秘的な瞳が国王を見る。その輝きはなにもかもを見通しているかのようで一切の曇りがなかった。


「それでも尚、こうしてここに招かれるとは…またもこの(ばば)の力が必要になったかえ?」

「…そなたならば、敢えて口に出さずとも解しておられよう。」


 ラーミアが口にした通り、ある懸念から国王が彼女の類い稀な力を必要とし、ここへ呼んだのだった。何故ならこの老婆は高名な『占い師』であり、その右に出る者はいないほど的中率の高い『予言』を行うと知っていたからだった。


 国王が悩むそれは余程気懸かりな内容なのか、柳葉色(ウィローカラー)の髪は艶を失い、ダークブルーの瞳は翳りを見せている。

 たった今指摘された通りラーミアは、既に見当が付いていたのか、それも無理はない、とでも言うような顔をして頷き、答えを述べる。


「ふむ、『護印柱(ごいんちゅう)』――じゃな。古くは一千年もの昔、初代国王エルリディンの代より、悪しき『魔』を払い続けて来たと言う…」


 コンコン、と扉を叩く音がして返事のなしに構わず、テラントが湯気の立つ温かい飲み物を運んできた。


「――この所毎晩、その護印柱が粉々に砕け散る夢を見るのだ。」


 国王はテーブルに置かれた飲み物も喉を通らないのか、俯き加減で器の中の仄かに香る液体に視線を落とす。


「それでなくとも日々『守護壁』の効力は薄れ、魔物による被害が増え続けている。なにか良からぬことの前兆ではないかと思うてな。」


 通常、国の最上位である国王の恐れや不安は、その下に傅く多くの人間に伝わると要らぬ混乱を招きかねない。だからこそ、ただの悪夢であればこんな姿を他者に見せることは決してないのだが、国王にはこの夢を気のせいだと無視できない理由があった。


「前兆、か…」


 国王は息を呑み、ラーミアの続く言葉を待つ。


「――王よ、心してお聞きなされ。それは予知夢じゃ。」


 懸念通りの言葉に、国王は一驚して目を見開くと、すぐにやはりそうなのか、と言う愕然とした表情に変わってしまう。

 追い打ちをかけるようにラーミアは、(おもむろ)に持っていた袋の中から『虹色に輝く水晶玉』を取り出して、短くなにかの呪文を唱えた。


「見なされ。」

「…これは…!!」


 それに呼応して輝きを増した水晶玉を覗き込み、国王は思わず声を上げる。


 その中には自分が毎夜夢に見る、砕け散った光の柱がはっきりと映し出されていた。


「―― "終わりの地、イシリ・レコアはまた、始まりの地"。エヴァンニュ王家に古くから受け継がれる、あの伝承を覚えておられるな?」


 ラーミアは確かめるようにその目を見て、国王にとっては呪いのようなその言葉を紡ぐ。


〖終わりの地、イシリ・レコアはまた、始まりの地〗

〖不可知なる深淵の闇より生まれ出でしもの、地に満つる時、天帝の御子たる守護七聖主(マスタリオン)、その力解放せんがため舞い戻らん〗

〖其は万物を司りし者にして破壊者なり〗

〖其は世の理に逆らいし者にして不滅なり〗

〖宝玉に封じられし七つの御魂(みたま)、其に呼応せし時、砕かれし護印と共に災厄の(とき)始まれり〗


           " 災厄の刻始まれり―― "


 最後の一文が国王の頭の中に木霊する。ああ、遂に始まるのだ、と…。


「ごく近い将来…それもあと僅かひと月ほどの間に、護印柱は砕け散り、永らくこの国を守ってきた守護壁は消滅するじゃろう。フェリューテラの世界全体に、抗えぬほどの強大な闇が迫っておる。」


 それも、過去とは比べものにならぬほど、濃く、深く、より邪悪な『真の闇』が――




               ♢ ♢ ♢


 それは時折ふと、なんの前触れもなくやって来る。


 常に一定の方向にしか流れないはずの時間の中で、自分が既にそれを経験し、同じことを考え、同じ行動を取ったことがあるように感じる。

 それは大抵その瞬間が訪れるか、既に過ぎ去った後に気付くもので、それがなにを意味するのか…それがどこから来るのか、ほとんどの人は、誰も、なにも知らない。


 『人の記憶は時間の記憶。それは人の住む世界の記憶でもある。』


 いつ、何処で、誰に聞いたのかは思い出せないが、その言葉は…その言葉だけは俺の中に深く刻み込まれて残っていた。



 ――その俺の、思い出せる限り最も最初の記憶は…見知らぬ部屋の天井だった。


 自分の身体ではないような酷い違和感に、初めて味わうような、全身から感じる激しい痛み。

 続けて間を空けずに襲って来たのは『なにかがない』『なにかが足りない』という、胸に大きな穴が開いたかのような喪失感…


 …それは言いようのない寂しさと悲しみを伴い、目から溢れる水の塊となってぽとりと掌に零れた。


 それが十年前、俺がここ…ヴァハの村で目を覚ました時のことだ。


 ――俺の名前はルーファス。だがこの名前が本当に自分のものなのか、正直に言って今でも完全にそうだと言える自信はない。

 怪我をして意識を失っていて、目が覚めた時には何一つとして自分のことが思い出せなくなっていたからだ。

 こういう症状のことを俗に "記憶喪失" と言うらしい。


 ただその記憶喪失という中でも唯一救いだったのは、ヴァンヌ山で俺を一番最初に発見したという村長夫人の甥っ子で、当時はまだ十三才になったばかりだった赤毛の少年――『ウェンリー』が、〝名前を聞いたら『ルーファス』だって名乗った〟そう教えてくれたことだった。


 そのウェンリーから聞いた話では、俺はヴァハから登山道に入って、二合目まで行く途中の岩陰に、凭れるようにして倒れていたらしい。

 少し離れた近くに落ちていたのは、使い古した片手剣のミレトスソードで、他に目に付く所持品は一切なく、気絶していた俺はと言えば、全身をなにかで切り刻まれたかのように多数の深手を負っていて、衣服は出血で真っ赤に染まり、髪の毛から血が滴るほどだったと言う。

 だがその傷も、僅か二週間ほどの治療で跡形もなく消え去り、一月ほど経った頃には完治し、問題なく動けるようになっていた。


 〝深手の割には治りが早すぎる〟と村で唯一の医師兼薬師(くすし)である村長(むらおさ)は、治癒魔法による治療を施したわけでもないのに、と当時かなり驚いたらしい。

 まあその理由も程なくして判明し、以降は()()()()として少しずつ周囲に知られ始め、やがてそのことも気味悪がられるようになる要因の一つになった。


 どこにも行く当てがないのなら、なにか思い出せるまで、好きなだけいるといい。…親切にそう言ってくれた村長夫妻の言葉に甘えて、俺はそれ以来ずっとお世話になって来たのだが…――


 いったいそれ以前はどうやって生きて来たのか、見た目の年齢の割に、まともな家事の一つすら熟せず、俺には剣を振るぐらいしか能がなかった。

 ヴァハでは当たり前の農家の手伝いなどは、一切まるで役に立たず、そのことから推測するに、少なくとも農業で生計を立ててはいなかったらしい。


 それでもヴァハには魔物を相手に出来るような村人はおらず、二年ほど前に、あることがきっかけで『守護者』となってからは、主として村の守護に専念し、定期的にヴァンヌ山の魔物を狩ることで村の安全を確保する仕事に就いている。


 ――そして現在…今の俺は、村長の名字を借りて、『ルーファス・ラムザウアー』と名乗っている。




 FT〈フェリューテラ〉歴1996年、エヴァンニュ王国南南東に位置するヴァンヌ連峰の小山(しょうざん)、ヴァンヌ山…この山は遙か昔から様々な伝承が残る山だった。

 獣人族(ハーフビースト)に天空への架け橋、異世界への入口があるだの、精霊が住むだの、兎角不可思議な話がたくさんある。

 だがそのどれもは御伽噺に過ぎず、麓にあるヴァハでも信じている人間はほとんどいない。


 ただそんな御伽噺の中に、数少ない真実もあった。それは消えかけた命に生きる力を与える、と言われる神の花『ヴァンヌ草』の存在と、ヴァンヌ地方特有の風土病である、『ネメス病』がそれだ。

 ネメス病は夜、眠っている間に突然発症して悪夢を見ることからその名が名付けられた。悪夢を連れてくる、と言う悪い精霊が頭巾(ネメス)を被った姿をしているという言い伝えから取られたのだ。


 この病は発症すると高熱と全身の皮膚に緑色の斑紋が現れ、やがてそれが皮膚から筋肉を蝕み、果ては内臓にまで達すると最後は死に至る恐ろしい死病だ。

 ただ人から人に感染することはなく、病にかかる年令もバラバラで、詳しい感染経路も発症原因もわかっていない。

 さらに悪いことに、一般の薬では治療不可能で、唯一、その神の花と呼ばれるヴァンヌ山にしか存在しない、薬効効果の高いヴァンヌ草の花を煎じて飲むことでのみ回復可能なのだった。


 ――そのネメス病を、俺が住む村のまだ幼い少女が発症した。


 ヴァンヌ山には最低クラスとはいえ、複数種の魔物が数多く生息している。それらは近年数を増し、それと共に清浄だった山の空気を少しずつ瘴気で汚染するようになった。

 それは麓にある村に影響を及ぼすほどのものではなかったが、この山にしか育たない、ヴァンヌ草の生育には大きな悪影響を及ぼした。

 結果、神の花は絶滅寸前なほどに激減している。十年前であれば、そこかしこに自生していた可愛らしい真珠色の小さな花が、今では一日中探し回っても薬一本分すら集められないのだ。

 だがネメス病を治すには、どうしてもある程度の数を集めなければならない。


 俺は親友のウェンリーと共にその花を、今朝からずっと山に入って探し回っていた。


「日が暮れて来た、もうすぐ暗くなって魔物が活発になる。そろそろ戻らないと…ウェンリー、集めたヴァンヌ草の量は足りそうか?」


 暗くなり始め、空が徐々に紫色に変わって行く。顔を上げた俺の目に、一等星の光が遙か遠く彼方に瞬いて見えた。


「うーん、ギリかな。もうちょっと欲しいとこだけど…これ以上はさすがに無理かも。」


 ウェンリーの手にある小袋の中に、必死に集めたヴァンヌ草の可憐な花が詰まっていた。だがこれだけあっても煮出して煎じたら、少量にしかならない。

 俺は辺りを見回し、周囲にはもうヴァンヌ草が見当たらないことを確かめると、これ以上この場に留まるのは危険だと判断した。


「――もう戻ろうウェンリー。俺達が無事に帰ってヴァンヌ草を届けられなければ、エリサを助けられない。一気に山を駆け下りるから、薬草袋を落とさないようにしっかり抱えておけよ。」

「ん、わかった。」


 ウェンリーは俺の目の前で、薬草袋の紐を上着の飾りベルトに括り付け、なにがあっても落とすまい、と決意を込めて腕に抱えた。


「途中で魔物に出会したら…わかっているよな?…よし、行くぞ!!」


 最後にもう一度確認すると、俺達はこのかけ声と共に走り出した。


 日の暮れるギリギリまでヴァンヌ草を探し、帰る時は村側の登山口までの間、なにもなければ俺が先行して駆け下りる。

 だがもし魔物と出会(でくわ)した場合は、ウェンリーを先に行かせ、俺がウェンリーを守りながら村まで戻る。…それはここへ来る前に話し合って決めていた、俺達の約束だった。


 ――至極当然のことだが、日没後の山道に灯りなどない。だが俺達はこの山にとても慣れている。

 今でこそ俺と一緒でなければ来られないが、ウェンリーは子供の時から(昔はもっと魔物が少なかった)庭遊びの感覚で入り、俺は六合目辺りまでの魔物討伐を現在の日課にしていた。

 だから目を瞑っていても…とまではさすがに言わないが、初級技能(スキル)の『暗視』があれば真の暗闇(一筋の光すらない闇のことだ)でもない限り、道に迷うこともなく、どこになにがあるかもわかっているため、一気に駆け下りることも可能なのだった。


 因みに今俺達が走っているのは、二合目付近だ。登山道も緩やかになり、木々も減り、道幅もそれなりに広くなってくる。

 この辺りまで来ればそれなりに戦いやすい場所があり、Fランク級の見習い守護者でも油断しなければ良い訓練場所になる。

 尤も、この先には宿すらない俺達の村しかなく、観光地でもないこんな所に好き好んで訓練に来る見習い守護者などいやしないのだが。


 ただそうは言っても日暮れ後や、出会した魔物の種類によっては、Bランク級守護者でも命取りになる。基本的な常識として、暗くなると大半の魔物は行動が活発になり、夜行性の類いには危険度ランクの高い物が多い。

 ヴァンヌ山で最も危険なのは、『ウェアウルフ』と呼ばれる狼型の敏捷な魔物だ。ウェアウルフは普段獲物を探す時だけ単独行動で、狩り行動に移行すると遠吠えで仲間を呼び、五、六体での集団に変化する。

 とは言え魔物であるが故に、犬科動物や普通の狼と違って率いる(かしら)がいるわけではなく、統率されているわけでもない烏合の衆に過ぎないのだが、各々の少数集団である程度の縄張りを持っており、同種の魔物同士では争うこともあまりない。

 血の匂いに非常に敏感で素早く、一度狙った獲物は中々諦めずにしつこく追い続けるという厄介な性質を持っていた。



 俺のすぐ後ろを走るウェンリーの、はあはあ、 という少し苦しそうな息遣いが聞こえて来る。守護者でもない民間人のウェンリーのために、走る速度を緩めてやりたいのは山々だが、油断は出来ないので、なんとか村まで頑張って貰おう。…そんなことを思っていたその時だ。


 俺は俺達と並行して動く風の流れと気配を感じた。続いて間を空けずに遠吠えが聞こえる。


 ――見つかった。ウェアウルフだ。


 周囲をスキルで索敵すると、既にその数は増え、最低でも二集団のウェアウルフが合流していた。


「ウェアウルフの遠吠え…!?」


 息を切らしながらウェンリーが呟く。


「交代だウェンリー!!足元に注意しながらも速度は緩めるなよ!!」

「わ、わかった…っ!!」


 走りながら俺は素早く腰に装備していた鉄剣(アイアンソード)を抜き、ウェンリーとの位置を変えるとわざと少し遅れたふりをした。これでウェンリーとの間に三メートルほどの間隔が空く。

 するとすぐに脇の草叢から、赤く目をギラつかせ鋭い牙を剥き出しにした、一体のウェアウルフが飛びかかって来た。


 そのタイミングを見計らい、弱点である腹側を狙って一気に切り裂く。瞬時ギャンッという鳴き声を上げ、それは後方に転がると俺の視界からすぐに消えた。

 ただ追って来るものは追い払えば良いが、飛びかかって来るものは出来るだけ一撃で仕留めるために、至近距離に入ったところで腹部を狙うのが確実だ。

 厄介なのはその分、返り血を浴びてしまうことだが、ウェアウルフの血中に毒物は含有されておらず、それを知っている俺は、汚れるのには構わず、ウェンリーの後を追って走り続ける。


 左右からの波状攻撃を剣と腕の防御でやり過ごし、上手く引き付けて体当たりで木に激突させたり、転がっていく躯体に後方の連中を巻き込ませたりしながら、できる限りその数を減らそうとした。だけど…――


 …不味いな、もう登山口まで下りて来てしまった。減らしてもすぐに呼ばれて増えるから、追って来るその数がほとんど減ってない。今は…十体残っているか。

 上手く門の中に逃げ込めれば、諦めて引き返すとは思うけど――


 間に合わなければ手前で戦うしかない。一応その心積もりだけはしておこう。



 尚もウェアウルフに追われながら、ようやくヴァハの門へと続く一本道に差し掛かる。ここまで来れば道は平坦になり、村の見張り台や魔物除けに焚かれた門前の篝火が見えてくるはずだ。


 ヴァハの村の防護柵や門と門扉は、重硬木(じゅうこうぼく)である "バリュスナラ" の木で作られており、最低でも力のある三、四人の男達で動かさなければ簡単には開かないようになっている。

 その門扉が、遠くに見えて来た見張り台上の人影が慌ただしく動き出すと共に、ゆっくりと開いて行くのが見えた。

 それに気付くとすぐにウェンリーが、苦しそうにしながら俺の名前を呼び、村の門が見えた、と叫んだ。…が――


「おわあッ!!」


 入口まであと少し、という所で、ウェンリーはなにかに蹴躓(けつまず)き、両手が薬草袋を抱えていて塞がっていたため、豪快に頭から前のめりになると、無残にも地面をゴロゴロと転がった。


「ウェンリー!!!」


 その隙を逃さず、転んだウェンリーに襲いかかろうとしたウェアウルフを、俺は全力を込めて横から体当たりし、吹っ飛ばす。


 ズガッ… ギャウンッ


 腹を上にして地面に叩き付けられ、引っくり返ったそれに、心臓を狙って剣を突き刺し息の根を止めると、さらに続いて飛びかかってくる他の個体も薙ぎ払いながら牽制して押し返し、急いでウェンリーに声を掛ける。


「ウェンリー立て!!早く行けッ、村の中へ!!!」


 ウェンリーが立ち上がる前にまたも襲って来たウェアウルフの口に、剣の刀身を横にして噛ませると、俺はその頭部を押さえつけ、刃を横に滑らせて引き抜く。

 すぐにそれはギャン、と言う叫び声を上げ俺の横に転げ落ちた。


 後ろで、もつれ転がるようにウェンリーが村の中へと駆け込む。それを横目で確認してから正面を見据え、ウェアウルフの数をもう一度索敵すると、門の中へ逃げ込めるか考える。

 ウェアウルフは次々と倒された仲間の死骸に少したじろぎ、警戒してこちらの様子を窺っていた。


≪残りはまだ八体いるが、無理して倒さなくても牽制すればなんとかなりそうだな。≫


 …そう判断した直後、背後の村の中からウェンリーの俺を呼ぶ声が、二度ほど聞こえた。

 ウェアウルフに対峙したままチラリと後ろを見ると、あの重い門扉が軋む音を立てて閉じられて行く。


 ――ああ、そうか。中にウェアウルフを入れないため、扉を閉じる判断を村の誰かが下したんだな。

 ウェンリーが叫んでいるのは、おそらく俺を心配しているからなのだろう。


 ならば俺がしなければならないのは、このウェアウルフを『守護者』として全て倒すことだ。


 戦うと決めたら、戦闘態勢に切り替える。丹田に気合いを込め、全身の神経を研ぎ澄ませて内側から湧き上がる闘気を身に纏った。

 自分で自分には見えないのであまりわからないが、ある人物に聞いたところによると、俺の闘気はとても珍しい、白銀を伴う黄金色をしているらしい。

 内側から外に向けて変化するその闘気は、覇者の気とかいうものなのだそうだ。ああでも、その人物はやたらと俺を褒めそやし、光栄だが過大評価し過ぎな嫌いがあるので、話半分に受け取ってくれると有り難い。(そもそも覇者の気とか、大袈裟だろう)


 目の前の集団がこちらの闘気を敏感に感じ取り、牙を剥いて熱り立つ。この辺りが普通の動物と大きく異なるところだ。

 まともな生物はなによりも先ず生存本能を優先させる。だからこそ興奮状態で自分を見失ってでもいない限りは、常に敵対する相手の能力を把握することに努め、勝てないと察したらすぐに逃げ出す。

 だが魔物は違う。その多くが人間を襲い、引き裂いては残忍なまでに徹底的に殺そうとする。それもまあ種類によるが、大半はその血肉を喰らうことしか頭になく、それそのものが本能なのだ。


 猛り狂い、唸り声の後に咆哮を上げ、その中の一体が動き出す。それを皮切りに次々と向かってくるウェアウルフを、一体ずつ、確実に処理して行く。

 その機動力を奪うために刃を薙いで複数体の脚力を奪い、蹴り上げてから最初の一体を叩き斬る。振り下ろした剣を真横に滑らせ、脇から顔を出した一体の喉笛を真一文字に裂くと、瞬時に持ち替えて背後の一体の胸を貫く。

 突き刺さった剣を引き抜くために躯体を蹴り飛ばし、そのまま逆手で下から上へと目の前の一体を腹側から切り払った。


 ここまでで四体を仕留めた。


 再び剣の柄を持ち替え、残る四体との交戦に入る。二体が同時に左右から飛びかかって来たため、左腕を噛ませ、その間に右側の一体を剣で貫く。

 肉に牙が食い込む痛みが走り、ほんの一瞬気を取られるも正面から飛びかかって来た別の一体に、食い付いたままの奴を勢いよく振り回して叩きつけた。

 拍子に噛みついていた奴は悲鳴を上げて、俺の腕から口を離すと地面に落ち、目の前に引っくり返る。時間差でもう一体が向かって来たが、それは膝蹴りで腹から打ち上げ、先に引っくり返った奴に剣を真上から突き刺すと、すぐにそれを引き抜き、落下した一体を背中から一突きにした。


 これで残りは一体になった。…さすがに少しだけ息が上がる。噛みつかれた左腕から、血が滴るとその匂いに最後の個体が鼻をヒクつかせた。

 その一瞬の隙を突き、地を這う剣撃を飛ばして吹っ飛ばす。ウェアウルフは傍の木に頭から打ち付けられ、短く絶叫して息絶えた。


 俺は魔物の血で汚れた袖で流れてくる額の汗を拭うと、周囲に散らばる死骸の中に、生き残っているものがいないか確認し、完全に全て倒し切ったことを確かめるとようやく安堵した。


 …なんとかこれ以上増える前に倒し切れたか。…良かった。


 ――ここまで走りっぱなしで山から駆け下りてきて、そのままの戦闘だったため、ホッとして気が抜けると、その場に膝をついてしまう。喉が渇いてほんの少し、ヒリついた。


 背後から聞こえるざわめきの中に、門の内側で〝早く開けろ〟と怒鳴っているウェンリーの声があった。

 また心配して村の人達に食ってかかっているんだろうな。俺のせいであいつはいつも怒ってばかりだ。

 ことあるごとに庇ってくれるのは嬉しいが、その事が原因でウェンリーにまで迷惑を掛けることにならないか、俺はそれだけが普段から気がかりだった。


 あの様子なら、無事にヴァンヌ草はエリサの元へ届けられたんだろうし、今日の仕事はこれで終わりかな。…あとは早くゼルタ叔母さんのところへ帰るだけだ。


 門の扉が開き切る前に、人一人通れる程度の隙間が出来ると、すぐさまそこからウェンリーが飛び出して来る。その顔は憂いを含み、一目見てどれだけ俺の身を案じていてくれたのかが見て取れた。

 俺の名を呼んで手を伸ばしたウェンリーに、俺は立ち上がると顔を向けた。


 ――その直後だ。


 強烈な耳鳴りと身体がどこかへ引っ張られるような凄まじい眩暈が襲ってくる。遠ざかる意識に、吐き気を催すような視界の歪みと、足元の揺らぎを感じ始める。


≪こ…れは……ッ―――…まずい!!≫


 その現象に抗う間もなく、上下左右360度周囲の景色がグルグル回転し出すと、俺は自分の身体が眩い光に包まれるのを感じた。


「来るな、ウェンリー!!」


 それだけ叫んで、ウェンリーに向かって手を伸ばした次の瞬間、辺りが真っ白になり…俺は、なにも見えなくなった。 

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