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一章その8 屋敷

 翌朝、早くに出勤した俺は、昨日吹雪達と整理したばかりの資料を引っ張り出し、片端から目を通していた。

 『超能力辞典』、『超能力届け出に関する報告書』、『海外の超能力一覧』……など。

「……ーク、ジーク!」

「うおっ!?」

 いきなり背後から声がして、俺は飛び上がりつつ振り返った。


 背後では不機嫌そうな顔をしたロールが俺のことを睨んでいた。

「お、驚かすなよ、ロール」

「驚かすなって……、わたしはずっと声をかけてたんだけど?」

「そ、そうか。すまなかったな」

 ロールは机の上に放り出してあった資料を見やり、微笑を浮かべた。

「熱心ね」

「何がだ?」

「例の患者……まほろっていう子のために、『真空発火』のことを調べていたんでしょう」

 そう言いつつ、ロールは机に脚を組んで座った。


「はりきるのもいいけど、あまり無理はしないでね」

「分かってる」

「それで、何か有益な情報はあった?」

 俺は首を振って、手近な椅子に身を投げるように座った。

「全然。『真空発火』について調べてみたんだが、架空の能力だってどの資料にも載っている。昔のフィクションの名残だ」

「つまりまほろは、前代未聞の能力を有しているってことね」

「ってなると参考になるケースがないから、能力が暴発した原因も、それを抑える方法も自分で考えるしかないわけか」


 何の道しるべもない、砂漠のど真ん中で彷徨っているような心細さが胸を占めた。

 途方に暮れていると、肩にロールの手が置かれた。

「どんな病だってケースバイケース、最終的には手探りで治療していくものよ。いつも通りに進めていけば大丈夫」

「だけど今回は、患者自身が兵器みたいなものだぞ。下手したら死人が出る」

「アタシが担当してきた患者の中にだって、危険な能力者は何人かいたわよ。でも彼等だって同じ人間。怖がることはないわ」

 気楽な物言いに、かえって俺の胸中にあったプレッシャーは重みを増した。


「……参考までに聞きたいんだが、ロールだったらまずどうする?」

「そうね……」

 彼女は顎に手をやって天井を見やり、しばらく黙考した後言った。

「本当にまほろが炎を出したかどうか確かめるわね」

「まだ疑ってるのか」

 ロールは「当たり前でしょう」と腕を組んだ。


「前例のない能力だから、確証を得られるまでは疑い続けるわ」

「……だけど吹雪は『真空発火』は発動したって言ってるし……」

「たった一人が証言してるだけでしょう。まだまだデータ不足よ」

「証言って、それってまるで警察……」

 俺の呟きをロールは唇の前で指を立てて止め、ずいっと迫ってきて言った。

「とにかく、まずは色んな人から話を聞きなさい。吹雪っていう子はもちろん、まほろのお父様とお母様、できれば幼稚園と小学生の同級生にも」

「……『真空発火』が本当に発動したのかっていうのと、その状況をか?」

「そう。そこから治療に役立つヒントが見つかるかもしれないわ」


「……聞き込みか、本当に警察みたいだな」

 これからの苦労を思うと気が重くなってきた。

「暗い顔しないの。アタシがアドバイスをあげたんだから、頑張りなさい」

 ロールはウィンクを一つ残して部屋を出て行った。

 俺は腕時計を見てまだ時間があるのを確認し、資料調べに戻った。


   ○


 病院の休診日である土曜日、俺はまほろの実家である賀集家に向かった。

 その日はとても暑く、太陽が路面をじりじりと焼き、アスファルトから熱気が立ち上っていた。まるでフライパンの上のウィンナーにでもなったかのように錯覚させられる。おまけにこのだらだらと長い坂。一歩進むたびに体力をゴリゴリ削ってくる。

 俺は額の汗を拭いながら、地図アプリを表示したスマホ片手に目的地に向かっていた。

「……あじぃ。死ぬほどあじぃ……」

 原型を失いかけた独り言が勝手に漏れる。あまりの暑さで言語中枢や諸々の思考回路がおかしくなっているのかもしれない。


 長い坂を上り切ると道路の幅が少し広くなり、今までのごく普通の住宅街からがらっと雰囲気が変わる。

 そこは品のいい外観のメゾン、つまり家が並ぶ高級住宅街だった。

 普通の住宅より一回り大きいメゾン。

 広い庭には美しい花々が咲き誇り、それがルールであるかのように犬小屋と大型犬がセットで玄関前に鎮座している。

 オーニングでお茶をしているご婦人がいた時はさすがに目を疑った。

 カップを片手に、膝の上の猫を撫で、時折テーブルの上の本を繰っている。

 不躾な視線を送っている俺に気付いた彼女は、愛想よく笑みを返してくれた。衣食住そろって礼節を知るというが、まさしく目の前の女性が体現していた。


 婦人に礼を返した後、さらに歩くこと五分。

 いやその前から、目的地は見えていた。

 メゾンの建ち並ぶ高級住宅街、その中でもさらに巨大な家……というより屋敷というべき建物が、屋根越しに見えていた。

 西洋風のそれは外観は白く、屋根は明るい赤色。

 遠目にも絵本にでも出てきそうな空気を感じた。


 屋敷に近づくと、俺の背丈よりも大きな赤茶けた塀が現れた。それは屋敷をぐるっと囲んでおり、敷地内と外界の境界線を強く主張しているようだった。

 塀に沿って進むと、やがてこれまた大きな門が現れた。

 分厚そうな塀と比べて、門は華奢に見えた。灰色がかった緑に染められた細い鉄の棒を組み合わせて作られており、トラックが一台突っ込めば簡単に壊れてしまいそうだ。

 門を支える右の柱にインターホンがついていた。巨大づくめの周囲とは対照的な、指輪を入れるための小箱のようなサイズだ。


 俺は門の向こうに誰もいないのを確かめて、インターホンのスイッチを押した。いくつものベルを鳴らしたような音が響き、すぐに年老いた男の声が聞こえてきた。

『どちら様でしょうか』

 さてどう言おうかと悩んだ末、とりあえず身分を明かすことにした。

「わたし、精神科医の風炉囲時幾という者ですが……」

『精神科医の……。分かりました、少々お待ちください』

 ぷつりと回線を切られる。


 予想外にすんなりと話が進み、少し拍子抜けしてしまった。

 自分の言葉を振り返り、勤め先を言っていなかったことに思い当たる。

 普段は患者としか会わないから、フォーマルな自己紹介に慣れていなかったのだ。


 自省していると、やがて門の先に二人の男性が現れた。

 一人は針金人形のような長身の老夫、もう一人は破裂しそうな風船ぐらい太った中年の男。中年が先を歩き、影のように老夫がその後をついてきている。

 老夫は黒いシングルスーツ、中年は赤いダブルスーツを着ている。どちらも有名ブランドの高級品で、着こなし方も油断ない。おそらく俺が今着ている市販のものとは桁が二つ以上違うだろう。

 老夫の動作は軍人のようにきびきびしており、中年は胸を堂々張ってのしのしと大股に歩いている。

 彼等が近づいてくるにつれて、自然と門が開き始めた。どこかから遠隔操作しているのだろうか。


 中年は門の五メートル前で立ち止まると、両手を膨らんだ腹の前で広げて脂ぎった笑みを浮かべた。

「よぉこそよぉこそ、お待ちしておりましたよ。えぇと、お名前は何と言いましたか?」

 くぐもった無駄にデカい声。豚の鳴き声のようだと失礼ながら心中で思った。

「お初目にかかります、ロールメンタルクリニックで精神科医をしている風炉井時幾です」

「わたしぁ賀集金之助(きんのすけ)と申します。以後お見知りおきを」


 歩み寄ってきて手を差し出されたので、握手に応じる。

 途端にがっちりと手を握られて、上下に激しく振られた。痛みに笑みが引きつりそうになったが何とか堪える。

「なかなか個性的な手袋ですな」

 今日も『証明指向』を封じるため、俺はガンツフェルト生地の黒いグローブをつけていた。

「気に入っているんです」

「ふむ……。まあ、デザインは悪くないですな」

 奥歯に何か挟まったような言い方だったが、それ以上は触れてこなかった。


 ようやく握手が終わり、内心で胸を撫で下ろす。

 金之助は背後に控えていた老夫を手で指し示して言った。

「こちらは松阪仁史(まつさかひとし)。うちで執事をやってもらっているんですよぉ」

 紹介された仁史は軽く頭を下げた。俺も慌てて礼を返す。

「いやぁ、本当ぉにお待ちしておりました。前の医者はまったく役に立たないヤブで参っちゃいました。ですので、先生には期待しているんですよぉ」

「……ええと、まぁ、はい」

 知らぬ間に、勝手に話が通っている。そしてその話がどういうものなのか、俺には伝わっていない。

 もしかしたらロールが事前に手を回してくれていたのかもしれない。

 それならそうと前もって言ってくれればいいのだが、彼女は俺が困惑するのを承知しつつもそういう所で気を遣ってくれない。つまりサディズムなのだ。


 金之助と打ち解けるため、とりあえず無難な話を振ってみる。

「今年の夏は暑いですね」

「そうですな。こうも暑い日が続くと、いっそ南極にでも住みたくなりますな」

 金之助はハンカチを取り出して額の汗を拭いた。そのハンカチにプリントされているのがサタンちゃんだったので、ちょっとビックリした。

 サタンちゃんとは『魔王少女サタンちゃん』という十年以上続いている女児向けアニメの主人公だ。大きなお友達にも人気らしい。

「暑い中で立ち話もなんですな、家に入りましょう。さぁさぁ、こちらです。どうぞ」

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