一章その6 真空発火(パイロキネシス)
休憩室に山ほどあった資料は僅か十分程度できれいになくなった。
そのほとんどを吹雪一人で運んだのだから、もう驚きを通り越してこういう超人なんだと納得してしまっていた。
作業を終えた俺達は、ようやく診察室に入った。
「できれば、入り口は開けたままでお願いします」
部屋に入るなり、奇妙なお願いを吹雪にされた。
「はあ、分かりました」
俺は深く考えることなく、その言葉に従いドアを開けっぱなしにする。むしろその方が別の患者さんが来た時にすぐ分かり、好都合でもあった。
二人に診察室で待っててもらい、俺は手早くもてなしの支度をして部屋に向かった。
「お茶を淹れましたので、よろしかったらどうぞ。お菓子もありますので」
紅茶とクッキーの乗ったお盆をキャスター付きの折り畳み机に乗せ、彼女達に差し出した。
吹雪はそれを見やった後、俺の顔を窺いながら遠慮がちに言った。
「せっかくですが、いただくわけには……」
「お手伝いいただいたので、そのお礼です。遠慮なくお召し上がりください」
「ですが……」
そう口にしかけて、吹雪はまほろを見やる。彼女は物欲しそうな目でクッキーを眺め、時折俺と吹雪の様子をちらちらと窺っていた。
吹雪は僅かに表情を和ませ、軽く頭を下げた。
「……いえ。いただきます」
途端にまほろはぱっと笑みを咲かせ、吹雪に尋ねる。
「食べて……いいの?」
「ええ。お召し上がりください、お嬢様」
「……ありがとう、吹雪」
随分年下の女の子に呼び捨てにされたが、吹雪は特に気にしていないようだった。
「お礼は、ジー……、お医者様におっしゃってください」
まほろは俺の方を向き、俯きを繰り返しつつ言った。
「……ありがとう、おじさん」
「うん、遠慮なく食べてね」
まほろはおずおずとクッキーに手を伸ばし、両手の人差し指と親指で持って、リスのように小さく一口かじった。
「どうかな?」
ふっとまほろの肩から力が抜ける。
「……美味しい」
お菓子のおかげか、緊張も解けたようだ。
ほんのお礼のつもりだったが、予期せぬ副次効果。幸先がよさそうだと、内心で小さく握り拳を作る。
まほろは食べるスピードこそ遅かったが食欲は旺盛なようで、皿に盛られていた半分以上のクッキーが彼女のお腹に収まった。
頃合いを計り、俺は口火を切った。
「さて、早速ですが、まほろちゃんの症状をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
吹雪はまほろの様子を窺い、頷くのを確認してから問いかけてきた。
「最初にお尋ねしますが、ジー様は超能力者をどう思われますか?」
いきなりの質問に、俺はいささか面食いながらもさらに尋ね返す。
「どう思われるとは、具体的にどういう意味合いですか?」
「単純にどのように思われているかお訊きしたいだけです」
質問の意図を明かす気はないらしい。
となれば、素直に答えるのが最善だろう。
「どう思われるかと尋ねられましても、俺自身がその超能力者ですので。ただそういう存在がいるんだよな、としか」
吹雪とまほろはそろって目を見開いた。
実際は吹雪の方は何とか表情を取り繕おうとしていたが、完全には隠しきれていなかった。
「……失礼ですが、どのような能力なのかお尋ねしてもよろしいですか?」
「『証明指向』です。ご存知ですか?」
吹雪はかぶりを振り、まほろは首を傾げる。
「簡単に言ってしまえば、超能力者に触れることでその人物の能力が分かるというものです。かなり珍しい能力ですから、ご存知ないのも無理ありません」
「……なるほど」
二人は俺の手に視線を向ける。
屋内で、しかも夏であるにもかかわらずはめている黒のグローブ。それに関して思考を巡らせているのだろう。
「それで、超能力とまほろちゃんの症状には何か関連があるのでしょうか?」
「はい……。お嬢様、お話しても?」
吹雪に尋ねられ、まほろは硬い表情で紅茶の水面を見つめていたが、やがて意を決したように一度頷いた。
「お嬢様の能力は『真空発火』というものです」
「ぱ、『真空発火』!?」
出てきた声は裏返っていた。
一般的な超能力の名称は心理学、超心理学、哲学の三つの分野の用語を引用してつけられることが多い。その法則に則れば『真空発火』は超心理学の用語に当てはまる。
だが今まで超能力に関するいくつもの資料や論文に目を通してきたが、そのどれにも『真空発火』は架空の能力だと記されていた。
「……本当にまほろちゃんの超能力は『真空発火』なんですか?」
吹雪は無表情で頷く。
「はい。間違いなく」
まほろに目を向けると、彼女も小さく首を縦に振った。
「……時々、手からぼって火が出るの。あっつくて、おっきな炎が」
「つまりコントロールできないと……」
俺は事務机に片肘をついて頭を押さえた。
「……基本的に現在確認されている超能力は、人の精神に働きかけるものが多いんです。だから超能力を研究しようとする人間の多くは心理学、神経科学、生物学、基礎医学のどれかを専門にしています。もしも『真空発火』なんていう物理的な能力が公になれば、今の常識がひっくり返る。そうなれば、まほろちゃんにとってよくない事態になるでしょう」
吹雪は心持ち固い声で訊いてきた。
「もしもお嬢様が『真空発火』を使えると世間に知られたら、どうなりますか?」
その状況を頭の中で幾度かシミュレーションし、得られた結果を述べた。
「まずマスコミが騒ぎ立てます。『真空発火』のことはもちろん、まほろちゃんの経歴から家族のことまで包み隠さず報道するでしょう。情報で商売している人には人権なんてクソ食らえって連中が多いですからね」
本当ならもっと丁寧な言い方をするべきなのだろうが、事態を正確に理解してもらうためにあえて砕けた言葉で説明した。その効果があったのか、吹雪とまほろの顔に不安が浮かぶ。
「次にいくつかの研究機関がまほろちゃんを捕まえに来るでしょう。人体実験のために、あるいは兵器として利用するために。どこの機関が来るかは読めませんが、その刺客はもしかしたら日本国内に限らないかもしれない」
「つまり色んな組織がひっきりなしに、次々と?」
「竹取物語の姫のような状況です」
オチまで含めて最適な例えだと我ながら思った。もっとも、そうなった場合連れていかれるのは故郷ではないが。
「それを凌ぎきったとしてもマスコミに焚きつけられた一般市民が連日大勢押しかけてくるでしょうし、研究機関は諦めずに荒事のプロを雇うでしょう。そもそも軍が研究機関を持っているんですから、最初からプロがやってくる可能性が高いです。まほろちゃんのためにも、『真空発火』のことは周囲には秘密にしてください」
「……ですが」
吹雪は唇をかみ、膝に視線を落とす。見れば手が強く握られ、小刻みに震えていた。
「どうかしたんですか?」
「……あのね」
ふいにまほろが口を開いた。
彼女は何かを言おうと唇を動かしては閉じてしまう。
俺は静かに次の言葉を待つ。
やがてまほろはぽつりと言った。
「もうね、知ってる人がいるの」
「……何だって?」
出てきた声は意図せず裏返っていた。
吹雪を見やると、彼女は重々しく頷いた。
「はい、事実です」
「……どれだけの人がご存知で?」
「お父様とお母様、それにピアノの教師に、幼稚園と小学一年生の時のご学友が数名。そこから他に何人かに伝わっている可能性もあります」
胸の奥が圧迫されたように、息苦しくなった。
ゆっくりと呼吸し、俺は何とか声を絞り出した。
「……でも幼稚園の時にすでに『真空発火』に目覚めていたのに、今まで騒ぎにはならなかったのは幸いでしたね」
「ご主人様達が口止めしていたんです。お金で」
メイドを雇えるぐらいだ、まほろの家は間違いなく資産家だろう。きっと目が飛び出るぐらいの大金を握らせたに違いない。
「最初にまほろちゃんの能力が発現したのはいつのことですか?」
「お嬢様が幼稚園生の時、ご学友の方と遊んでいた際に能力が発現したと伺っています」
「……伺った、というのは?」
「わたくしがお嬢様にお仕えするようになったのは能力が発現してから三年経った、今から二年前のことなのです。これまでのお話は、お嬢様と前任者から伺ったものです」
「なるほど……。その際の状況などを詳しく教えていただきたいのですが……」
まほろを見やると、彼女はびくりと肩を震わせ、目を逸らした。
「それは次回以降にしましょうか」
俺の言葉に彼女はほっと息を吐き、胸を撫で下ろした。




