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終章その1 写真

「ちわーっす、宅配便でーす」

 ある昼下がり、ロールメンタルクリニックに若い男の声が響いた。

「あら……。何か頼んでたかしら?」

 昼を食べていたボスことロールは訝し気な顔で休憩室を出て行く。俺も割り箸を置き、彼女の後をついていく。

 玄関には宅配の兄ちゃんが、四角く平べったい箱を持って立っていた。

 彼は安っぽいスマホを取り出し、ロールに渡す。

「こちらにサインをお願いします」

「あの、その荷物は一体……?」

「ああ、分かりました。サインですね」

 俺は横からスマホをひったくり、勝手にロールの名前を書いて突き返した。

「あざーっす。荷物はこちらです、では失礼しますー」

 俺に荷物を押し付け、兄ちゃんは颯爽と立ち去っていった。


「ちょっとジーク。まさかそれ、アナタが頼んだの?」

 目が据わったロールは、鋭い眼差しをこちらに向けてくる。

「あー、その。ほら、この前の患者に、まほろって子がいただろ? その治療の報酬を送ってもらったんだよ」

「報酬? どういうことよ」

「賀集の屋敷に行った時、どうしてもほしいものがあってさ。それを譲ってもらえないかって父親に頼んだら了承してくれて、こうして送ってもらったんだ」

「ちょっと待って。まさか診察料がなかったのは、こっちの治療に不満があったわけじゃなくて……」

「ほら、早く開けてみよう。何が入ってるか気になるだろ?」

「ごまかさないで、ちゃんとアタシの目を見て答えて」

 顔をつかまれて、ロールと視線を合わせることを強制される。カラーコンタクトで青くなった瞳を前に、俺は眼前で手を合わせて言った。

「う、嘘ついてごめんな。もらえるはずだった診察料は俺が払うから……」

 素直に謝罪すると、ロールは溜息を吐いて俺を解放してくれた。


「もういいわよ。アナタもかなり大変な目にあったみたいだし、今回だけは大目に見るわ」

「すまないな、ボス」

「ボスはやめて。それで中には何が入ってるの?」

「待ってろ、今開けるから」

 俺は丁寧に箱を開封し、中のものを取り出した。

「これって……、絵?」

「ああ。『愛しき君とのひととき』っていうんだ」

 本当は胡蝶も描かれていた絵。しかし火事で損壊し、今は俺一人だけが残されている。皮肉な偶然だ。


「こうしてまたあいつの絵に巡り合ったのは、きっと何か意味がある。そう信じたくて俺は金之助に絵を譲ってくれるよう頼んだんだ」

「あいつっていうのは、アナタの元恋人のこと?」

「そうだ。それにこれは、胡蝶の願いだったしな」

 俺は白衣のポケットから封筒を取り出し、そこから一枚の便箋を抜き出した。

「それは?」

「胡蝶の遺書だ。二枚目の、いわゆる追伸みたいなものだな」

 紙質がまだしっかりしている便箋を開き、ロールに見せた。

 そこにはこう書かれている。


『胡蝶の絵を時幾に遺そうかと思ったけど、やめることにしたわ。

 一度世界中にばらまいて、あなたに探してもらおうと思うの。

 きっと時幾なら、全部集められるわ。

 ちっぽけな砂粒を集めるような作業かもしれないけど。

 それと、去年の誕生日にプレゼントしようと思ってたペンダントを入れておいたから、胡蝶だと思って大事にしてね』


「これがそのペンダントだ」

 俺はワイシャツの中から、首から下げていたペンダントを取り出した。

 銀色のそれは表面に彫刻が施され、猫の顔が描かれている。

「マンチカンね」

「マンチカン?」

「この猫の名前よ」

「……猫なんてみんな同じ顔してないか?」

「それ、猫愛好家の前で言ったらキールハウリングの刑に処されるわよ」

 にっこり笑うロール。しかしその目は冷たい光を放っている。

 俺は早口で言った。

「実はこれロケットペンダントになってるんだ、ほら」


 マンチカンが彫刻された蓋を開く。

 中には一枚の楕円形の写真が収められている。

 そこには胡蝶が映っていた。

 十年前のあの日の姿が、今も変わらずそこにある。

 彼女は外出用のゴスロリを着て、無表情で写っている。

「話には聞いてたけど、可愛い子ね」

 怒りを忘れ、ロールは写真に見入っていた。

「だろう」

「でもこの写真、ちょっと変ね」

 ロールの言う通り、このペンダントの写真をずっと見ていると目がチカチカした。写真の画質が荒く、色の境の輪郭がギザギザしているのだ。

「どうせプレゼントしてくれるなら、もうちょっときれいな写真にしてくれればよかったんだけどな」

「……ねえ、さっきの遺書、もう一度見せてくれる?」

「ああ、ほら」


 俺は便箋をロールに渡した。

 彼女は便箋とペンダントの写真を交互に見やった後、やがて確信に満ちた声で言った。

「間違いないわ。このペンダントに、胡蝶って子の残した絵のヒントが隠されてる」

「ま、マジか?」

「ええ。ちょっとこっちに来て」


 ロールは俺を自分の作業室に連れてきて、事務机の中を漁りだした。

「どこにやったかしら……あ、これこれ」

 彼女が引き出しから取り出したのは、倍率の高そうなハンドルーペだった。

「……探偵でも始めるのか?」

「今時、虫メガネを使う探偵なんていないでしょう。それよりほら、もう一度ペンダントを出して」

「はいはい」

 俺はペンダントをワイシャツの中から出し、蓋を開いた。

 ロールはルーペで写真を見て、満足そうに頷いた。

「やっぱりね」

「何がやっぱりなんだよ?」

「アナタもペンダントを外して、自分で見てみなさい」

 俺は言われたようにペンダントを外し、ルーペで写真を見てみた。


「……な、何だこりゃ!?」

 驚愕のあまり、思わず声を上げてしまった。

 ルーペの中にはなんと、いくつもの絵が映っていた。画風の感じからして、それはおそらく全部胡蝶のものだろう。見覚えのあるものもいくつかあった。

「……もしかしてこの写真は、胡蝶の絵でできてるのか?」

「その通りよ。ミューラルモザイクといって、多くの絵を縮小し並べることによって、まったく新しい絵を作り出す技法ね」

「よく分かったな……」

「遺書に『ちっぽけな砂粒を集めるような作業かもしれないけど』ってあったでしょ。最初は自分の絵を過小評価した比喩表現かと思ったけど、それだと違和感を覚えたの。今までアナタがしてくれた話からは、胡蝶っていう子は自分の作品には自信と誇りを持つタイプって感じを受けたのよ。だから何かの謎かけじゃないかって考え直したの。で、ペンダントを見た瞬間閃いたわけ」

「……あの文章にはそんな意味があったのか」

 その写真を構成している作品の中には、もちろん『愛しき君とのひととき』もあった。


「それにしても、胡蝶っていう子はすごいわね。たった二十年足らずでこれだけの作品を描き残したなんて」

 ルーペでざっと見た感じ、写真に使われている絵は軽く百を越えていた。下手したら千以上あるかもしれない。

「……どうかな。ここに印刷されているのは油絵だけだ。胡蝶は水彩画も描いてたし、立体作品も手掛けてたはずだ。この写真に使われているのは、胡蝶の作品のほんの一部に過ぎないと思うぞ」

「嘘でしょ。どれも一枚描くだけでもすごい時間がかかりそうよ」

「それが胡蝶ってヤツだ」


 ロールは肩を竦めて言った。

「アナタ、とんでもない子と付き合ってたのね」

「……まあな」

 俺はペンダントの中で笑う胡蝶を見て頷いた。

「……ところで、まだあの絵をクリニックに送った理由を聞いてないんだけど」

「いや、その……。うち、絵を飾れるスペースとかなくて……」

 肩に腕を回され、吐息がかかるほどの距離で、耳元に低い声が響く。

「ねえジーク、うちはいつから倉庫になったのかしら?」

「あ、あははははは」

 背筋が冷たくなり、頭の中に霜柱が立った。


 この後、必死の懇願と使い走りという交換条件によって、しばらくクリニックに絵を置かせてもらえることになった。

 一般人に絵画収集なんて高尚な趣味は、色んな意味でハードルが高すぎる……。

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