四章その6 星空
外へ通ずる隙間ができた途端、怒号が部屋に飛び込んできた。
「ここを開けろッ!」
「おれ達を外に出しやがれエッ!」
「こんな所で死ぬなんて嫌ァッ!」
一気にドアを開き、外部の様子を目の当たりにする。
廊下には大勢の人間の怒りが集まり、爆発的な騒ぎになっていた。
老若男女、実験に参加していた人々が地上へ通ずる入り口の前に押しかけている。
中にはまほろ達より小さな子供もいた。彼等は言葉を発さず、泣き叫んでいた。まだ怒り方すら知らないのだ。
誰しもが突然のしかかってきた異常事態に怯え、混乱し、我を忘れている。
冷静な者は一人もいない。状況が状況だからというのもあるのだろうが、ここに集まってきた人々によって生まれた空気が集団心理を作り出しているのが大きい。彼等の感情は集団心理によって統制され、無意識の内に似通ったものになっているのだ。それが怒り。
このままではマズイ、そう思った矢先に恐れていたことが起きた。
「テメェ、今俺の足踏みやがっただろ!」
「ああん? そういうオメェだってさっきから肘当ててきやがって!」
「るっせえ、謝りやがれ!」
「オメェこそ謝れやゴラァッ!!」
言い合いが起きたと思ったら、あっという間に取っ組み合いが始まってしまった。
それを止めようとした人々も次第に剣呑な空気に呑まれ、やがてそれはあちこちに伝染して乱闘やパニックを引き起こす。
「やめろっ、落ち着け、落ち着くんだ!」
俺がいくら声を張り上げても、状況は一向に変わらない。それどころか、何人かがこちらに獰猛な眼を向けてきた。
「あぁん? テメェなんだ、何様のつもりだァ?」
「指図すんじゃねえよ、ぶっ殺すぞこの野郎ォ!」
火に油を注いだだけかと俺は自分の無力さに絶望する。
ヤツ等はこちらにじりじり迫ってくる。だが逃げるわけにはいかない、俺の後ろには守らなきゃいけない人がいる。
しかしこいつ等にだって罪はない。異常な状況下に置かれて、気が立っているだけだ。
「あ、あはは、すみません。別に悪気があったわけじゃ……」
数人の男が俺を取り囲み、その中の一人が大股で近づいてきた。
「へらへらしてんじゃねえぞクズがッ!」
「ぐっ……」
腹に一発入ったと思ったら、酸っぱいものが喉元にせり上がってくる。
頭の中がかっと熱くなり怒りに囚われそうになるが、何とか堪える。
息苦しくて跪き、何度か咳き込む。
「どぉした、やり返し来ねえのか?」
「……喧嘩を、やめてください」
「何言ってんのか聞こえねえよカスゥッ!」
顔面が床に叩きつけられ、頭ん中が揺さぶられ気持ち悪くなる。
後頭部をぶちのめされたのだ。
「ハハハハハッ、オメェ弱っちーなァ!」
うっせえ声が頭ん中でガンガン響く。
油の切れた機械みたいに体が重く鼻の奥が鉄臭かったが、まだ俺は動くことができる。手で地面をつかみ、腕に力を入れて上体を持ち上げる。
全ては無意識の行動。
俺はただ、まほろとこころを守ることだけを考えていた。
「……今すぐ、喧嘩をやめてください」
「なっ、なんだテメェ……」
さっきまで俺を取り囲んでいた一人が、顔を引きつらせ後ずさる。
だが別の男が血相を変えて、俺目掛けて突っ込んできた。
「いい加減黙れやオラァ!」
頬に一発重いのを食らう。しかしもう感覚神経が麻痺してるのだろう。痛みは感じず、立ったまま踏ん張ることができた。
「テメェさっきからウゼェんだよ! 部外者が口出してんじゃねえよボケがァッ!!」
拳の動きが見え、これならかわせると思った瞬間、視界が霞みだした。
もしかしたら出血して血圧が一気に低下したのか、あるいは別の原因か。もう思考回路は無茶苦茶でどうも考えが上手くまとまらない。
拳らしき影が迫ってくる中、まほろ達はちゃんと鍵をかけて大人しく部屋の中にいるかってことだけ考えていた。
視界が真っ暗になった瞬間、ああ、意識が跳んだなと思った。
しかしいくら経っても殴られた時の衝撃が来ない。
おかしいなと考えていると、ふと男の一人が言った。
「……星だ」
星?
何言ってんだこいつ、頭おかしくなったか……。
そう思いつつも、俺は何となしに頭上を見上げた。
そこには、無数の白い星が瞬いていた。
「……星、空?」
今まで見たことのない、真っ暗な空とくっきりとした白い星々。
おそらく田舎とか空気の綺麗な場所でのみ広がる、天然の星空がそこにはあった。
ぼんやり眺めていると、白い線が一筋空を走った。
「あっ、流れ星だ!」
どこからか子供の嬉しそうな声が上がる。
その声に応えるように、流れ星がいくつも現れ空を駆け抜ける。流星群だ。
人々は突如現れた星空の美しさに心奪われ、子供達は絶えることなく流れ続ける流れ星に見入っている。
もう怒声は聞こえず、誰も争っていない。
静まり返った空間には、この星空へ抱いた感動を共有する親密な空気が流れていた。
「大丈夫? おじさん」
いつの間にか俺の隣にはまほろがいた。
「……これ、お前がやったのか?」
「うん。こころちゃんが、きれいな星空を見たらみんな仲直りしてくれるって……」
まほろの後ろにいたこころは、目を逸らして髪をいじりだす。
「確証があったわけじゃありませんの。ただ、きれいなものって、人の心を落ち着けてくださいますでしょう?」
「……ありがとうな、二人とも。結局、俺一人じゃ何もできなかった」
「どういたしましてですわ」
「……えへへ。おじさんに褒められちゃった」
くすぐったそうに笑うまほろとこころ。
俺は少し勘違いしていたのかもしれない。
二人はまだ幼い子供だが、力ない存在なんかじゃない。小さな身の内に未知の可能性を秘めている。それを信じて彼女達を頼るっていうのも、悪いことじゃないのかもしれない。
まほろとこころの創った満天の星々を眺めて、そう思った。
ふいにそんな幻想的な世界に、異音が響いた。
金属を乱暴に打ち付けているような、荒々しい音。
それによって、夢から覚めるように星空は消えていく。やがて元の天井が頭上に現れた。
人々は不安そうにお互いに顔を見合わせる。
俺は神経を集中して、音の出所を探る。
すぐにそれが地上へつながる入り口から聞こえていることが分かった。
俺は人々を掻き分け、階段を駆け上った。
金属の轟音に怯え、人々はドアから離れていた。
その人がいない空間に出るなり、俺はドアを叩き怒鳴った。
「おい、誰かいるのか? おい!」
「……ジーク様ですか?」
その声には聞き覚えがあった。
「確かお前、賀集の屋敷にいた……」
「執事の松坂です。ドアから離れてください、今開けます」
俺は言われたように、ドアから離れた。俺の背後にいた人々も後ろに下がっていく。
すぐにまた耳をつんざく金属音が響き、やがてドアがへこんだかと思うと、紙切れのように呆気なく倒れた。
その向こうから、黒い防火服に身を包んだ仁史が現れる。さっきまでの金属音は担ぐように持っている、銀色の光を放つ長尺バールによるものだろう。
「お前、消防士だったのか?」
「いいえ。この服は借りただけです」
「ははっ、素人のくせに本職差し置いて突っ込んできたのか?」
「火事場ならともかく、生死の鉄火場ならわたしめの方が場数を踏んでおりますので」
ドアの向こうから、もう一人防火服の男が現れる。
全体のシルエットが丸っこいその男はよたよたとした足取りで地下に入ってきた。
金之助だ。彼は顔を真っ赤にして汗をだらだらとかいていた。
荒く息を吐きながらも、金之助は大声で叫んだ。
「まほろっ、まほろぉーっ!」
「お父さん……お父さーんッ!」
まほろが走り出すと、人々は道を空けて彼女を通した。
また金之助も頼りない足取りながらも、階段を下りていく。
やがて階段の下で、まほろは金之助に飛びつくように抱き着いた。
「お父さん、お父さん……怖かったよ」
金之助は娘を抱き返し、彼女の頭を優しく撫でた。
「まほろ……。今まですまなかった」
「ううん、いいよ。だって、こうして助けに来てくれたもん」
まほろはさらにきつく父を抱きしめ、その胸に顔を埋めた。
ふと俺の隣からすすり泣くような声が聞こえた。
見ると、こころが顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「……よかったね、まほろちゃん」
俺は彼女の頭にそっと手をやり、そのまましばらくまほろ達親子を眺めていた。




