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四章その4 無情

 俺は観察室で内線電話の受話器を取り、保留状態を解除するなり開口一番に言った。

「どういうことですか!?」

『どうか落ち着いてください、風炉井さん』

 男の無感情な声が聞こえてくる。

 受話器越しに漂う平常時でも滅多に感じない平静な空気に、俺は苛立ちを覚えた。

「落ち着けるわけないでしょ! 自分がいる建物が燃えてるってのに!」

 相手はあくまでも冷静に事態の説明を始めた。

『すでにご存知でしょうが、実験棟にはあらゆる災害を再現するための各種実験用大型機械が設置されています。その内の火災を再現する装置がこの度暴走してしまい、実際に実験棟で火災が起こる事態になってしまったようです』

「ようですって、そんな悠長な……!」

 こちらが何を言おうが、通話先の相手の調子は変わらない。


『現在、消防隊は到着していますが、火の勢いが強すぎてまだ消火活動を行えていません』

「お、俺達はどうすれば……」

『実験室、観察室の中にいれば被害が及ぶことはありません。そこで待機していてください』

 実験室と観察室は内側からなら兵器の攻撃にも耐えうるぐらい頑丈だ。おそらく外側からの衝撃もある程度は防いでくれるだろう。

 それなら少しは安心できるかと思ったが、ふと隣にいたまほろが言った。

「廊下はどうなのかな……」

 どうやら興奮していて気付かなかったが、電話はスピーカーボタンが押されていたらしい。

 だがそんなことより、まほろの言葉が気にかかった。

「……廊下がどうしたんだ?」

「ここが大丈夫でも、廊下が崩れちゃったらお外に行けないよ」

 俺とこころの顔からさっと血の気が引いていく。


『……どうかしましたか?』

「廊下が崩れた場合、救助はどうなりますか?」

 通話先の相手は少し沈黙した後に言った。

『上階の全てが焼け崩れた場合、その重量で地下空間にも少なからず影響が出ることが予想されます。正確なことは申し上げられませんが、救助までにはかなり時間がかかるかと』

「大体でいいから、あなたの予想を教えていただけませんか?」

『装置の安全を確認してから作業に取り掛かることになりますから、早くて一週間後ぐらいになりますね』

「そっ、そんなに!?」

『はい。もしも実験用の装置が誤作動したら、救助員どころかこの地域一帯に大きな被害が出る可能性がありますので』

 実験棟に関して立っていた悪い噂が誇張なんかじゃなかったと、今更ながら俺は理解した。


「手抜き工事でこの建物は造られたのか……」

 通話先の相手は答えない。

 代わりにこころが訊いてきた。

「どういうことですの?」

「実験を行う上で頑丈さが必要だったからこの実験室はシェルターのように造った。だけど上階はそこまで耐久性は求められていなかったから、経費を削減するため安全性を考慮しないで普通の建築方法を採用したんだ」

「え、じゃあ、わたし達は……」

 まほろは皆まで言わず、口を押さえた。

「とにかく、今は安全確保を優先すべきですわ」

「……ああ、そうだな」


 俺は受話器を握り直し、通話先の相手に訊いた。

「ここに非常用の食料や水は?」

『ありません』

 情の欠片も無い、冷淡な返答だった。

「……冗談、ですよね?」

『いいえ、事実です』

「て、テメェ一体誰なんだよ!? 上司に代われ!」

『わたしはあなたと同じ一介の心療内科医です。それ以上でもそれ以下でもありません。また院長は診察中にて電話に出ることができません』

「……嘘だろ?」

『お気の毒です』

 そこで電話の切れる、ツー……ツーという音が響いた。


「おいおい、マジかよ……」

 リダイヤルボタンがあったので押してみたが、電話は一向にかからない。

 吊るされていたラミネート加工された紙にダイヤル先の番号が書かれていたので全部試してみたが、どこにも繋がらない。

「クソッ、回線を切られたか!?」

「スマホなら外に繋がるんじゃありませんの?」

 こころの言葉に俺達はスマホを取り出した。

 スリープ状態を解除すると、画面には四時五十八分と表示される。

 病院の相談窓口に電話してみたが、繋がる気配がない。

「……圏外になってる」

「じゃ、じゃあ……わたし達は、どうなるの?」

 まほろの問いに、俺は答えることができなかった。


「……ひとまず、部屋の中を散策してみましょう。ひょっとしたら少しでも食料や水があるかもしれませんわ」

「ああ、そうだな……」

 通話先の相手が言ったことが本当なら、今部屋を出るのは危険すぎる。

 なら部屋の中でできる限り生きる努力をするべきだ。


 俺は実験室を調べ、まほろとこころには観察室を探してもらうことにした。

 だが実験室は元々ものが少なく、観察室も機材以外にはほぼ何もない。

 実験室を探していた俺は、すぐに望みを失った。

「食べ物あった……?」

 観察室からまほろ達が出てきた。彼女達の手には何もなく、一目で収穫がなかったことが分かった。

「いや、今の所は……うん?」

 事務机を漁っていた俺は、最後の引き出しの奥に何かを見つけた。

 食べ物かと思った俺は期待しながら取りだした。

「……何だ、ガムか」

 それは球状のガムが三つ入っていてその内一つだけ酸っぱいという、子供が好きそうな駄菓子だった。おそらくこの机を使っていたヤツが入れっぱなしにして忘れて、そのままになっていたんだろう。


 腹の足しにはなりそうにないなとがっかりしたが、まほろ達は目を輝かせて俺の持つガムを見ていた。

「……何それ」

「こんなお菓子、初めて見ましたわ」

「ああ、そういえばお前等、いいとこのお嬢様だったな……」

 きっとこういう遊び心に溢れた安いお菓子とは、今まであまり縁がなかったのだろう。吹雪は一応庶民だろうが、まほろにはいいものばかり買い与えていそうだ。

「これはまあ、安いガムだ。食べるか?」

 と訊くと、

「うん」

「ぜひ!」

 ほぼ同時に答えが返ってきた。

 期限を見た所まだ切れてはいなかった。


 包装袋を開けると、透明な容器に入った三個のガムが現れる。

「先に選んでいいぞ」

「じゃあ、あたくしは右のガムをいただきますわ」

「わたしは、左の」

 二人は何も知らず、無邪気にガムを取っていく。

「なあ、どうせならタイミングを合わせて同時に食べないか?」


 口にガムを入れようとしていた二人は、きょとんとした表情になる。

「それは構いませんけど……」

「どうせなら、って?」

「まあ、いいからいいから」

 俺は顔がにやけそうになるのを我慢して、真ん中のガムを取る。

「じゃあ、せーの、せーでで、食べるぞ」

 まほろ達は不思議そうな顔をしながらも頷く。

「せーの、せーで!」

 三人そろって、ガムを口に放り込む。

 滑らかな表面の球形に歯を立てた途端、

「すっぱッ!」

 強烈な酸味が口の中いっぱいを刺激した。


 二人は首を傾げて顔を見合わせる。

「……甘いよね」

「甘くて美味しいですわ」

 口中を苛むサワーに身悶える俺を横目に、二人は空になった包装袋を手に取った。

「……『三個に一個が超絶に酸っぱい!!』」

「ジークさん、これ知ってたんですの?」

 舌が痺れてしゃべれないので、頷いて肯定する。

「黙ってたから罰が当たったんだよ」

「当然の報いですわ」

 二人はおかしそうに、お腹を抱えて笑い出す。

 心の底から楽しいって伝わる笑い声が、室内に響き渡る。

 こんなことしていていいのかって思ったが、すぐにその考えは消える。

 まほろの笑顔が今まで見た中で、一番の輝きを放っていたからだ。

 こんな素敵な笑顔を浮かべて、これからも生きていってほしい。

 その手助けをしていこうと、俺は心に誓った。

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