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三章その5 花火

 診察したところ、まほろの精神状態は特に異常はなく、安定しているという結果が出た。

 とはいっても形式的な質問への返答から得た情報で判断したに過ぎないので、やっていることは心理テストとあまり変わりない。それよりはもう少し医学的な根拠はあると思うが。

 異常なしという診断を聞いたまほろは安堵したようで、彼女にしては少しテンションが高くなっている。


 楽しそうに笑いながらまほろは言った。

「あのね、お母さんに会ったらこれを上げるの」

 まほろが白い手に載せて見せてきたのは、クッキーが入ったラッピング袋だった。袋の表面には桃色の水玉模様が描かれていて可愛い。彼女の手作りクッキーがますます魅力的に見えるナイスなチョイスだ。

 だが袋の口を閉じている白いリボンを見て、少し気分が悪くなり軽い眩暈を感じた。

 胡蝶の首吊りを思い出すのだ、白く長いものとかを見ていると。

「……どうしたの、おじさん」

「いや、何でもない。ちょっと寝不足なんだ」


 俺はまほろの視線から逃れるように他所を向き、その拍子におもちゃ屋で買ってきた手土産が目に入った。

 話を逸らすため、それを彼女に差し出す。

「そうだ、まほろにプレゼントを買ってきたんだ」

「え、本当に?」

「ああ。もらってくれ」

 袋を手にしたまほろの頬がほんのり赤みを帯びる。

 彼女は吹雪の方を見て訊いた。

「……開けてもいい?」

「はい。ただ、危ないと思ったらすぐにジー様へ投げつけてください」

「……そんな物騒なものは買ってないぞ」


 まほろは俺の言葉を聞かず、嬉々として袋を開けて中身を取り出した。

 だが花火セットを目にした途端、彼女の顔がさっと青ざめた。

「……どうした? 花火は嫌いか」

「あ、あ……」

 まほろの唇は痙攣したように震え、言葉を発せられる状態ではなさそうだった。彼女の手から花火セットが滑り抜け、間抜けな音を立てて床に落ちた。その手から、ゆらりと何かが出てきた。赤く揺らめくそれは、徐々に大きくなっていく。

「まほろ、それ……」

 間違いない……焔だ。彼女の手で焔が発生したのだ。


 俺は信じられない思いで、その小さな焔を見つめていた。

「……悪魔ですか、あなた様は」

 眉間に皴を寄せた吹雪から、冷たい眼差しで睨みつけられる。

「どういうことだ……?」

「『真空発火』で悩んでおられるお嬢様に花火セットを渡すなんて……、一体どういう神経をしていらっしゃるんです?」


 言われて今更気付いた。

 そうだ、まほろはずっと火に苦しめられてきたのだ。それなのに俺は、無神経に花火なんてプレゼントしてしまった。

「俺は……最低だ」

 体から力が抜け、床に膝をついた。

 精神科医なんて笑わせる。俺は患者を救うどころか、傷つけてしまった。

 目の前が暗くなり、体中の感覚が失せていく。血液を全て抜かれてしまったかのようだ。

「……きだもん」

 まほろの声が聞こえ、途絶えかけた意識が戻る。

「お嬢様……?」

「好き、だもん。……花火」

 まほろは花火セットを見下ろしていた。彼女の頬を伝う雫が一つ、それにぽとりと落ちる。


 気が付けば彼女の手から焔は消えていた。

「昔、お父さんとお母さんと一緒にやったの。いつも仕事が忙しかったお父さんが、その日はたくさん遊んでくれたの。お母さんもいっぱい笑ってくれた……」

 まほろはそっと腰を下ろし、震える手を花火セットに伸ばす。

 包装袋に手を振れた途端、一瞬電流が走ったようにまほろの体が強張った。だが彼女は唇をかみしめてそのまま拾い上げて、袋に皺が寄るぐらい強く胸に抱いた。

「やりたいよ……またみんなで一緒に、花火したいよ……」

 まほろは体を揺らし、声を漏らして泣きだす。

 彼女の心の中で今までせき止められていたものが溢れ出したかのように、涙は止め処なく流れ続ける。

 俺達はどうすることもできず、ただ彼女が泣いている姿を見ているしかなかった。




 泣き止むと同時にまほろは眠ってしまった。

 吹雪は眠ってしまったまほろに膝を貸し、彼女の頭を優しく撫でていた。

 まほろの寝顔は穏やかで、悩みや苦しみの片鱗さえ感じられない。

「……わたくしの方が、間違っていたのかもしれません」

 まほろの顔を眺めていた吹雪がぽつりと漏らした。

「わたくしは今まで心の傷を刺激するようなものから、できるだけお嬢様を遠ざけるようにしていました。でもそれはお嬢様の望んだことではなかったのかもしれません」

「吹雪は間違ってない。誰が聞いたって、俺の方が悪いって言うさ」

「でもジー様のおかげで、お嬢様の本音を聞くことができました。ずっとこの子を縛り続けていた鎖を一本、引きちぎることができた……」


 吹雪の手がまほろの前髪をかき上げた。

「お嬢様には苦手なものがあります。閉め切った狭い部屋、フレデリック・ショパンの『幻想即興曲』、そして火……」

「……閉め切った狭い部屋と『幻想即興曲』っていうのは?」

 吹雪は難しい顔でじっとまほろを見下ろし、しばらく口を閉ざしていたが、やがて意を決したように顔を上げ、俺を見て話しだした。

「お嬢様が能力を暴走させる際には、必ずその三つのどれかがありました。火は火事、『幻想即興曲』は火事が起きた際に流れていた音楽。締め切った部屋は、火事の日に忍び込んできた強盗から身を隠した場所がクローゼットの中だったからか、あるいは始めて能力を発動した場所が屋根裏部屋だったからか……」


 俺は引っかかりを感じ、吹雪の言葉を遮った。

「ちょっと待ってくれ。まほろが能力を発動したのを最初に目撃したのは、この子の友人なんだよな?」

「はい、そうです」

「それ、まほろから訊いたのか?」

 吹雪はじっと俺を見やり、ややあって頷いた。

「ええ、その通りですが……」

「……気を悪くしないでほしいんだが、嘘をついているような様子はなかったか?」

「わたくしには、本当のことをおっしゃっているように見えました」

 そう言った吹雪も嘘をついているようには見えなかった。

 だが日野陽二も正直に話していたように思う。

 一体これはどういうことなのか……。


 考えても分からないので、ひとまず保留にして吹雪の話の続きを聞くことにする。

「吹雪はその三つの条件のどれかが満たされた状況下でしか、『真空発火』が発動するのを見ていないんだな?」

「はい。『幻想即興曲』はピアノの教師の方が弾いてしまい、それが引き金となってお嬢様が能力を発動させてしまいました。閉め切った部屋に関しては外出先のお手洗いの個室で、ドアを閉められてしまった際にお嬢様が動揺して、能力が暴走してしまいました。火に関しましては先程の通りです」

「実際は火じゃなくて花火だったんだが、同じようなものか」

 俺は手に顎を載せて、しばらく思考に意識を集中した。

「つまりまほろは恐怖を感じると動揺して能力を暴走させてしまうわけか」

「おっしゃる通りかと。しかしお嬢様ご自身に悪気はなく、あくまで無意識に能力が発動してしまうだけです」

「別にまほろを責めているわけじゃない。ただそれが解決するための手掛かりになるかもしれないと思っただけだ」


 ふいにポケットに入れていたスマホがアラーム音を発した。事前にタイマーアプリにセットしていた時間になったのだ。

「……すまない、そろそろ次の人との待ち合わせに行かなきゃいけない」

「他にも診察をご希望する方が?」

「いや、所用さ」

 立ち上がりかけたところで、吹雪の脇に置かれた花火が目に入る。

「……花火、持っていった方がいいか?」

 吹雪はゆっくりと首を横に振り、そっとまほろの手を取った。

「いえ……。お嬢様が欲しがっていらっしゃったので、いただいておきます」

「そうか……。もしも何かあったら、連絡してくれ。すぐに駆けつける」

「昔のようにですか?」

 言われた言葉の意味を考えたがよく分からなかったので、吹雪には申し訳ないが聞き流すことにした。

「……まあとにかく、十分に気を付けてくれ」

「承知いたしました」

 慇懃に頭を下げるの彼女に背を向け、俺は次の目的地へ向かった。

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