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三章その4 写真

 高級住宅街に入る頃、吹雪はまほろの住んでいる家の説明をしてくれた。

 金之助と喜久子が住んでいる屋敷ほどではないにせよ、まほろの家も一般住宅とは比べ物にならない大きさだそうだ。

 二階建てで一室一室が卓球台を四つ置いて問題なくプレイできるぐらいの広さがあり、天井も高い。また地下もあり、部屋数は十を越えるらしい。

 だが住宅は敷地の四分の一程度の面積だという。


 残りの庭部分にはプールが設置されており、休憩のための東屋まであるそうだ。

 値段を聞くと、普通の住宅の十倍以上の額が飛び出してきた。

 金之助は娘を追い出しはしたものの、冷遇はしていないようだ。

 そして吹雪は、そんな大きな家の管理をほぼ一人でしているという。やっぱりこのメイドは超人だ。


 やたら広い車庫に車が停まり、俺は高級車を下りた。

 実物を見ると、吹雪の説明が誇張ではなかったということが分かる。近所に建っている公民館よりこの家の方が三倍はデカい。

 デザインは控えめで周囲の家の雰囲気に溶け込んでいる。


 玄関に入って土間を見るなり、また驚かされた。

「おい吹雪、靴が一足もないそ」

「全て仕舞ってあります。お客様に見苦しいものをお見せするわけにはいかないので」

 自分の家の玄関を思い浮かべて、俺は目を逸らした。

 掃除が隅々まで行き届いており、小物や絵を家の空間に添える程度の気持ちで飾ってある。どこをカメラに収めても家具関係の雑誌やホームページの写真で使えそうなぐらい、この家には隙がない。

 ここの掃除や雑事をほぼ全て吹雪が行っていると道中に聞いたが、実際に家の中を目の当たりにすると彼女がいかに人間離れなことをしているかがよく分かる。


 妙に履き心地のいいスリッパを足につっかけ、広い廊下を歩いていく。

 まず洗面所に連れて行かれ、手洗いうがいをさせられた。こういう細かな所もきっちりしているから家の中がきれいなんだろう。

 それを経て居間に通される。

 ドアが開いた途端、ふんわりと香ばしいバターの香りが漂ってきた。


「おじさん。……いらっしゃい」

 舌っ足らずな声の方を見やると、キッチンからまほろが顔を出していた。

「ああ、お邪魔します。料理でもしてたのか?」

「えっとね、お菓子作ってたの。あの、吹雪……お茶、お願いできる?」

「かしこまりました、お嬢様」

 吹雪はお辞儀を一つして、足早にキッチンの中に入っていった。


 待っている間に改めて部屋を見回すと、壁に写真が貼られたコルクボードを見つけた。

 全ての写真にまほろが映っており、約半数が吹雪とのツーショットだった。景色もきちんと写っており、背景を見れば大体どこにいるか推測できる。彼女達は動物園や遊園地など結構色々な所に出かけているようだ。どの写真も距離感はバラバラだが僅かに右下がりに傾いているものが多かった。

 残りは一人で映っているのと、金之助と喜久子の三人で撮ったものがあった。


 特に誕生日会の写真まほろが、一番素敵な笑顔を浮かべていた。彼等の前には大きなケーキがある。蝋燭は黒いマジックで塗りつぶされている。だが一本一本分けて塗られているため本数は分かる。全部で三本だ、蝋燭の根元に巻かれる銀紙も見えるし間違いない。

 おそらくまほろの三歳の誕生日の写真だろう。

 まほろはもちろん、金之助と喜久子も幸せそうに笑っており、家族仲が良好なのが写真越しにも伝わってくる。

 その一年後に、彼等は火事に巻き込まれることになる。


 俺は何ともやり切れない思いで、写真を眺めた。

 少ししてお盆を持ったまほろが出てきた。お盆の上にはきれいな淡黄色のクッキーが並んだ皿が載っている。ハートや星型、ココアを混ぜ市松模様にしたものなどバリエーションも豊富で眺めていて楽しい。

「へえ。上手くできてるな。お菓子作り好きなのか?」

「うん……。吹雪に教えてもらって、好きになったの」

「最初は大変でした。クッキー生地をぐしゃぐしゃにしてしまったりして……」

「それは言わないで……」

 顔を赤らめるまほろと、微かに笑う吹雪。二人を見ていると、仲のいい姉妹のように思えてくる。


 クッキーの載った皿を机上に置いたまほろは、上目遣いに俺を見て言った。

「あの、食べてみてほしいな……」

「ああ、喜んで」


 端にあったハート型のクッキーを一枚手に取るなり、軽蔑するようなじっととした目を吹雪に向けられた。

「……それを真っ先に取るとは」

「あのな、別に深い意味はないぞ」

「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました」

「そんなことしないって……」

「あの、美味しくなさそう……?」

 なかなか食べないから不安になったのだろう、不安気にまほろが訊いてきた。

「いや、そんなことない。すごい美味しそうだ、いただくよ」


 俺はクッキーを一かじりし、ゆっくり咀嚼した。

 焼き立ての温かな生地が口の中でほろほろ砕けていき、バターと小麦の優しい風味が広がっていく。

「どう、かな……?」

「少し甘すぎる気もするが、美味しいと思うぞ」

「そっか、よかった」

 ほっと胸を撫で下ろすまほろ。


 だが吹雪は不満気に口を尖らせていた。

「……素直に美味しいとだけ言えばいいものを。心が貧しいお方です」

「素直に感想を言っただけなんだが……」

「嘆かわしい。そうやって自己正当化するなど……」


「吹雪、ダメ」

 まほろがぷくっと頬を膨らませて怒った。まったくと言っていいほど迫力はない。しかし熊と遭遇しても涼しい顔をしていそうなあの吹雪がさっと顔を青ざめさせ、まほろに対して勢いよく深く頭を下げた。

「もっ、申し訳ありません。お嬢様をご不快にさせるようなことをしてしまって……」

「謝るのはわたしじゃなくて、おじさんに対してだよ」


 吹雪は俺に対しても同じように頭を下げた。

「この度は失礼なことを申してしまい、誠に申し訳ございません。ジー様におかれましてはさぞご不快な思いをされたと存じますが、そこをどうかあなた様の鷹揚で寛大な心でご容赦いただけないかと懇願申し上げます」

 本人の必死さがひしひしと声音からは伝わるのだが、なぜだろうか、あまりにもかしこまった言い方と謝罪をしているのに俺への蔑称がそのままなせいで、あまり誠意が感じられない。

 しかしまほろの手前、変に渋って狭量な人物だと思われるのは避けたい。


「……分かったよ。俺も悪かったしな」

 俺の行動の何が悪かったのか分からないが、とりあえずそう言っておく。自分にも非があったと嘘でも認めるのは、相手の心に変に罪悪感を残さず今後円滑な関係を築く、あるいは続けていくうえで有効な手段だ。偉そうに「許してやるよ」なんて言うのは、よっぽど仲のいい相手以外だったら絶対に禍根が残る。こと日本社会の人間関係では自分をへりくだらせるのが大事だ。

「……ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」

 三十度まで何度も何度も頭を下げる吹雪。若干目が潤んでいることから、大真面目にやっていることが分かる。今度から吹雪と揉めたらまほろに仲介を頼もうと心に決める。

 当のまほろは俺と吹雪の様子を優しい微笑を浮かべて見ている。普段は年齢より幼い印象を受けるが、こういう面では大人びている。


 いくら経っても吹雪が頭を下げ続けているので、とにかく本題に入ろうと俺は切り出した。

「……あの、今日はどういった用件で、俺を呼んだんだ?」

 吹雪は目元を拭い、表情差分を変えるように真顔に戻って答えた。

「今日診察をお願いしたのは、急ぎお嬢様の精神面を診ていただきたかったからです」

「何か急用でもあるのか?」

「はい。お嬢様はこれから、奥様とお会いになられることになっています」


 俺は吹雪の言葉に息を呑んだ。

 あんなにまほろと妻の喜久子を遠ざけたがっていた金之助が、そんなことを許すとは到底思えない。当然、妻にまほろへの連絡先を教えたりもしないだろう。執事の仁史も主人の命令に逆らうような人間には見えなかった。

 となれば、どういった経緯が考えられるか推測を進めていく。

 おそらく吹雪は昨日、俺と出会った時に喜久子の診察へ行っていたと看破した。その後何らかの手段で本家の様子を探り、喜久子が正気に戻ったという情報を得た。

 それから吹雪が気を利かせたのか、あるいはそれを知ったまほろがせがんだのか。どちらにせよまほろが母と再会できるよう、喜久子にコンタクトを取ったのは間違いない。そして見事再開の約束を取り付けるのに成功したのだ。


「……まほろのお母さんは、どんな様子だったんだ?」

「わたくしは以前の奥様を知りませんので元に戻られたのかどうかは分かりませんが、少しお話をしたところ、すっかりお元気になられたように感じられました。きちんと奥様とお話ししたのは初めてでしたが、大変お優しく、聡明な方だという印象を受けました」

「なるほど。つまりお母さんと再会する前に、まほろが能力を暴発させる危険がないか俺に診てほしいっていうことか」

「おっしゃる通りです。お願いできますか?」


 つい溜息が零れ、頭を掻いた。

「……それは構わないが、人間の心は機械なんかと違って部品を手に取って検めることはできない。だから診断しても、今日は百パーセント大丈夫なんてことは分からない。超能力ならなおさらだ」

「心得ています。ジー様の診察はおまじないみたいなものです」

「それよりはもう少し当てにしてもらいたいが……」

 俺はソファに腰かけ、向かい側をまほろに手で示した。

「座ってくれ。診察を始める」

 まほろは真剣な表情になって頷き、ソファに腰を下ろした。

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