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二章その6 告白

 午後七時二十七分。

 期待と興奮はすでに冷め、代わりに不安が心中を占めていた。

 遅い。帰りが遅すぎる。


 夕食の時間はいつも六時から七時ぐらいで、すでに三十分近く過ぎている。

 置き手紙には夕飯までには帰ると書いてあったのだから、もう帰ってきていい時間のはずなのに。

 もしかしたら胡蝶は誕生日プレゼントを買いに行ったのではなく別件で出かけて、その用事が長引いているのかもしれないとも思った。それでもそこの電話を借りて連絡をくれたっていいはずだと、その考えを打ち消す。


 胡蝶はスマホを持っておらず、こちらから連絡する手段はない。

 八時になって、俺は立ち上がった。

 もう待っていられなかったのだ。


 スマホを手に取り、胡蝶から貰ったスペアキーで戸締りをして、雑居ビルを出る。

 この辺りは人がいないせいか、現役稼働中のビル街に近いにもかかわらず、夜になると鈴虫などの秋の虫達によるささやかなコンサートが開かれる。

 ただ、今は演奏に聴き入っている余裕は無い。


 スマホの地図アプリを起動して、現在地周辺の店の情報を調べる。胡蝶の用事の見当がつかないから、誕生日プレゼントの線で探すことにしたのだ。

 該当する店の大半はビル街にあった。

 ここからビル街に至るルートはそう多くはない。胡蝶が家に向かっている途中なら、適当に走っているだけでも見つかる可能性は十分にある。


 俺はスマホをポケットに突っ込むのももどかしく、駆けだした。

 一番近くの角を曲がってすぐに人影を見つけた。

 その人物はかがんで地面を忙しく見回している。


 後ろ姿だったが、一目で誰か分かった。

 背丈は小学生並みに小さく、服装は淡い紫色のゴシックロリータ。

 髪をツインの三つ編みシニヨンでまとめている。

 そんな女の子を、俺は一人しか知らない。


「……こんな所で何やってるんだ」

「時幾……」

 胡蝶は今にも泣きそうな顔をしていた。滅多に表情を変えない彼女がそんな風になっているのだ、その心中を察すると俺まで辛くなった。

「……ないの。せっかく、買ったのに……」

「何を買ったんだ?」

「えっと、それは……」

 胡蝶は目を逸らすように俯き、ぎゅっと唇をかんだ。


「……もしかして、俺へのプレゼントか?」

「なっ、何で知ってるの!?」

 彼女は弾かれたように顔を上げた。

 俺は頭を掻いて、ポケットから自分の学生証を出して見せた。


「……お前の机から見つけたんだ。……その、勝手に部屋に入って悪かったな」

「……胡蝶こそ、ごめん」

 暗い面持ちで胡蝶は項垂れ、地面についた手の甲に視線を落としたまま語った。

「それね……アトリエに落ちていたのを見つけたの。本当はすぐに返そうと思ったんだけど、できなかった」

「……できなかった?」

「うん……。もし時幾が急にいなくなっちゃっても、学生証を胡蝶が持っていれば、それを探しにまた会いに来てくれるんじゃないかって……」


 俺ははっと息を呑んだ。

「それって……もしかして」

 胡蝶はたちまち顔を赤らめ、目を逸らし。

 鈴虫達のさざめきに掻き消されてしまいそうな、小さな声で言った。

「……ずっと、胡蝶と一緒にいてほしいの」

 その一言を聞いた途端、周囲の景色や音をひっくるめた世界の全てを喪失し、胡蝶のことだけしか認識できなくなった。


 俺は彼女の傍にゆっくりと歩み寄り、膝をついた。

 あまりにも小さく弱々しい胡蝶。

 その存在を何があっても守りたいと思った。

 気が付いたら俺は胡蝶のことを強く抱きしめていた。本当に強く、決して離したくないという思いで。

急なことで驚いたのか、胡蝶の体が腕の中で強張る。


 俺は抱擁とは裏腹に、彼女の耳元で優しく語り掛けた。

「大丈夫だ。俺はずっと、お前の傍にいるから」

「……本当? 本当に、胡蝶の傍にいてくれる?」

「ああ、約束する。傍にいて、お前のことを守ってやるからな」

 胡蝶は「嬉しい」と言って、自分の熱いほっぺを俺の頬に軽くこすりつけてきた。彼女の体からゆっくりと力が抜けていく。


「……あのね、もう一つ時幾に謝らなきゃいけないことがあるの」

「何だ?」

「学生証のお詫びと、誕生日のお祝いにプレゼントを買ったんだけど……落としちゃったの。……ごめんなさい」

 ふっ、と笑みが漏れてしまった。

「……今、笑ったでしょ?」

「いや、笑ってない」

「嘘。白状しなさい」

「いっ、いだっ、やめっ!」

 背中に回された胡蝶の手がぎゅっと肉をつねってきた。


「本当のこと言ったら、やめてあげる」

「わっ、笑っちゃいました、すみませんでした!」

「……もう、時幾ったら」

 彼女は笑いながら背中を離してくれた。

「っつー……。謝るって言ったのに、これかよ」

「ちゃんと謝ったわ」

「まあ、そうだが……」

「……本当に、ごめんね」


 胡蝶が体を離そうとしている感触があったので、腕を緩めた。しかし彼女は鼻の触れ合いそうな距離で視線を合わせてきて。

「……大好き」

 彼女が目を閉じたと思ったら。

 唇が、重なっていた。

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