一章その13 消防士
パトカーのサイレンが外から聞こえる。
いつもなら仕事やプライベートタイムを邪魔されたような気になって少し苛ついたりするものだが、この場所ではさすがにそんなことは思わない。
なぜならそのパトカーが集まる本拠地、警察署の中だからだ。
俺はロビーの堅い椅子に腰かけ、文庫本を斜め読みしていた。
ふいに影が落ちてきたので見上げると、馴染みの巨漢警部、先輩が目の前に立っていた。
「待たせたな」
「いえ、こちらこそ急にすみません。面倒な頼み事をしてしまって……」
「構わん」
先輩は首を巡らしついてこいと合図して、歩き出した。俺も文庫本をバッグに仕舞って後を追う。
警察署の中は土曜であっても多くの人が働いている。
「懐かしく思ったりはしないのか?」
ふいに先輩はそう訊いてきた。
「懐かしいって、何がですか?」
少しの沈黙の後、先輩は言った。
「自分の昔の職場をだ」
「……いえ、特には」
「そうか」
それきり黙り込んだが、先輩が「つまらないことを訊いてすまなかった」と言いたいのだろうなということは、なんとなく分かった。
そういう予感はよく当たったものだ――少し昔の話だが。
警察署の地下にある資料室。
ここにはデータ化されていない機密情報も含まれた、過去の事件に関する資料が厳重に保管されている。
入室が許されているのは階級とは別にある資料保護官という役職に就いている者、そして彼等が認めた者のみだ。
かくいう俺も実際に入ったのは今日が初めてだ。
部屋には整然と本棚が並び、通路が碁盤の目のようになっている。
先輩は歩きながらこちらも見ずに言った。
「この部屋は牢屋と同等かそれ以上のセキュリティ対策がされている。つまり犯罪者以上に外に出したらヤバい情報が保管されている。おれ達は資料を持ち出されることそれすなわち死と肝に銘じて管理しているわけだ」
「へえ……。そんな所の出入りを許可されているなんて、先輩はずいぶん上層部に気に入られてるんですね」
「さあな」
先輩は本棚の群れの中を迷いなく進み、『D地区十一の棚』の前で立ち止まった。
彼はポケットの中から鍵を取り出し、慣れた手つきで錠を開いた。
その中から一冊のファイルを取り出し、すぐに鍵を閉める。
先輩はしっかり閉まったことを確認してから、部屋の奥に向かって歩きだした。
部屋の奥の角には、室内唯一の閲覧用の机がある。
椅子は一応二つあるが机の天板の広さが足りず、一人しか資料を見ることができない。利便性の欠片もないが、警察署というのはそういうものだ。
先輩は机を陣取り、ファイルを開いて手早くページを繰って資料を見ていく。
その手がとあるページで止まり、収められていた紙を次々抜き取って俺に差し出してきた。
「これだ」
「ありがとうございます。助かります」
「礼はいい。資料は原則持ち出し禁止、撮影、印刷、メモを取るのも禁じられている」
「分かっています」
「ならいい」
先輩から渡された十数枚の資料を受け取り、目を通していく。
資料はまほろが巻き込まれた火事に関するものだ。
しかしその事件は、題の時点で予想を裏切ってきた。
「……賀集家放火事件!?」
「フロイが来る前にオレもざっと目を通したが、どうも金銭目的の強盗にやられたらしいな」
「金之助が言っていた強盗って、これのことだったのか……」
「その事件で金之助はかなり頭が来たらしいな。これはただの噂だが、それ以来、彼は消防庁や警察庁のお偉いさんと個人的なコネを持って、万が一の時に最大限の人員で優先して対応してもらえるようお伺いを立てているようだ」
俺はどうにか気を落ち着け、続く文字を追った。
七年前、賀集家に複数人の強盗が侵入した。
ヤツ等が金目のものを漁っていると、運悪く通りがかった使用人に発見される。
使用人は強盗達を捕らえようとしたが返り討ちにされる。
強盗達は逃走、その際に屋外から住居へ火を放った。
その日は風が強く、火はたちどころに燃え広がっていった。
そして焔は屋敷内にいた人々を襲い、多数の死者と重傷者が出た。
「……死者、か」
無意識の内に、奥歯をかみしめていた。
頭が熱く、吐き気がするぐらい胸の奥が苦しくなる。
「……相変わらず、人の死は苦手なんだな」
「得意なヤツなんかいませんよ」
概要はそこで終わり、詳細な情報が二枚目から記載されていた。
最初に強盗グループについて書かれていた。
実行犯は全部で九人。内五人が何らかの容疑で指名手配されており、三人が脱獄犯だったらしい。
途中までは真剣に読んでいたが、まほろに関する記述が一切無いので後半はざっと目を通すだけにした。
次のページからは被害者に関する情報がまとめられていた。
火事の起きた日に屋敷にいた人物の名前が並んでおり、そこにはまほろと喜久子、そして金之助の名前も載っていた。
名前の横には個人情報と、その人物が事件で受けた被害の詳細が載っている。
まほろは書類上では異常なしとなっている。
喜久子も異常なしとなっているが、これは放心状態になったのが事件からかなり経ってのことだからだろうか。
その下にある金之助の項目を見たが……。
「重度の火傷で半年の入院……あのおっさん、そんなこと一言も言ってなかったのに」
「当時はかなりの騒ぎになったぞ。まだ先代が社長を務めていたから事業に支障は出なかったようだが、後継ぎが変更されるんじゃないかって噂が流れてたな」
「金之助からしたら、思い出したくないことなんでしょうか」
「そういうのはオマエの専売特許だろう」
「……そうですね」
おそらく他人にあまり話したくないことなのだろう。どこか毛嫌いしていたまほろ以上に。
後はどうせ大した情報なんてないだろうと斜め読みしていたが、ふとある人物の項目で目が留まった。
名前は日野陽二、職業は消防士。
事件で受けた被害の欄に、『精神面に異常アリ』と書かれている。
「先輩。この日野陽二って人のことなんですけど」
「……ああ、その人か」
先輩は後頭部をガリガリ掻き、溜息を吐いた。
「もしかして、お知り合いですか?」
「……オレの大学時代の先輩だ」
「それはその、何というか……」
何か言おうとしたが、その前に先輩が口を開いた。
「悪い人じゃないんだが……、一風変わった人だ」
「日野さんの被害項目に『精神面に異常アリ』って書かれているんですが、これは一体?」
「詳しくは聞いていない。その後も日野先輩は普通に消防士として仕事している。大方、風変わりなせいで変人として見られたんだろ」
やや苦笑気味に先輩は言った。苦笑とはいえ、先輩が笑うのは珍しい。陽二っていう人とは仲がいいのだろう。
その後も被害者の情報をざっと見たが、精神面の異常について記載されていたのは陽二という人ただ一人だった。
先輩のことを疑うわけではないが、どうもそのことが気にかかった。
「あの先輩、この日野さんっていう人と会わせてもらうことはできますか?」
「構わないが……。会ってどうする?」
「ちょっと気になることがあるんで、話を伺いたいんです」
先輩は少しの間資料をじっと睨んでいたが、やがて一度頷いて言った。
「明日予定はあるか?」
「ありませんけど……。そんな急にいいんですか?」
「構わん。あの人は日曜は非番だし、どうせ休日はパチンコに行くだけだ」
「じゃあ、お願いします」
「分かった」
先輩は胸ポケットからスマホを取り出して素早い手つきで操作しだした。
俺はもう一度資料に目を落とした。
日野陽二は精神面以外に、火傷を負い、痣などの軽傷もできたらしい。
強盗達に捕まり酷い扱いを受けたのではと想像してしまい、背筋が冷え込んだ。




