一章その12 虚言
その後俺は報酬を押し付けられ、屋敷から丁重に追い出された。
何か胸の奥に拭い難い不快感が残ったが、とりあえず当初の目的は達成された。
よしとすべきなのだろうが、生憎なことに俺はそんな単純な思考回路はしていない。
まほろについて分かったことをスマホのメモアプリに記録し、上手くことが運んだ旨をロールにSNSで報告する。
そしてとある人に電話をかけ、頼みごとをして切った。
すべきことを終えてスマホをポケットに突っ込み、俺は次の目的地へ歩き出した。
「にしても……暑い」
歩き始めてすぐ、俺はへばりだした。
普段、冷房の効いた部屋でじっと座っているだけなので、日中の情け容赦ない日光には慣れていない。
向こうから外国製の高級車が一台走ってくる。
免許取って、あんな高いやつじゃなくてもいいから、車を一台買うかな……なんて思いつつ突っ立ったまま、やってくる車を眺めていた。
通り過ぎるものと思っていた高級車は、だが予想に反して俺の方へ近づいてきて停車した。
マジックミラーの窓が開くと、意外な顔が現れた。
「……ふらふら歩くのは危ないですよ、ジー様」
仏頂面の本職メイドといえば、一人しかいない。
「ふ、吹雪! ……あ、吹雪さん」
「無理に敬語使わなくていいですよ。ジー様の敬語、少しウザいと思っていましたので」
微妙にショックだったが、敬語を使わなくていいのは正直助かるので、言われた通りにすることにした。
「これ、お前の車か?」
「いえ。職場のものです」
「職場、ってことは……」
運転席から後部座席を覗こうとすると、吹雪に額を押さえられた。
「他人の車を勝手に覗くのは、あまり褒められた行為ではありませんよ」
「まほろはいるかなって、思っただけなんだけど……」
「お嬢様はいらっしゃいますが、あなたに顔を見せる義務はないはずです」
きっぱりと告げられ、軽く突き飛ばされる。
「冷たいなあ……。患者の顔を見るのだって、医者の仕事なんだぞ」
「ここは診察室ではありません」
「まあ、そりゃそうだが……」
こうまでつっぱねられると面白くない。
なおも抗議しようとした時、後部座席の窓がするすると開いた。
見やると、俺からやや目を逸らしたまほろが後部座席に座っていた。
恥ずかしいのか顔が赤く、もじもじとしている。
「おお、まほろ。……いや、まほろちゃん?」
「あの、ちゃん付けはいらないよ」
「……ウザいから?」
こんな小さな子に言われたら立ち直れないぞと内心冷や汗をかきつつ返事を待ったが、幸いまほろは首を横に振ってくれた。
「ううん。おじさん、無理してるような気がしたから」
「無理なんてしてないんだけどな」
「でも話しにくそう」
他人に合わせて話し方を変えるのは、確かに苦手だと思う。しかしこんな小さな子に見抜かれるほど下手だったとは。少しショックだった。
「大丈夫?」
「いや、平気だ」
「たくさん汗をかいてるけど」
「ああ、そっちね……」
まほろはポケットからハンカチを取り出して、俺の額の汗を拭いてくれた。そのハンカチにはサタンちゃんがプリントされていた。
「ありがとうな。でもまほろのハンカチ、汚くなっちゃわないか?」
「ううん。……気にしないで」
まほろがハンカチを持った手を車内に戻すと、すかさず吹雪がそれを回収した。そしてすぐ新しいハンカチを手渡す。どうやらまほろの衛生管理も吹雪の仕事らしい。
「今日はどこかに出かけてたのか?」
「うん。……本当はあまりお外出ちゃいけないんだけど」
「お外に出ちゃいけない? どうして」
「お父さんに言われてるの。お前は危険だから、外に出るんじゃないって……」
まほろの声は段々としぼんでいき、ついには眉尻を下げて俯いた。
金之助の娘に対する発言の数々を思い出し、目の前のまほろに対して胸を締め付けられるような切なさを覚えた。
「……でも、こうして出かけられてよかったな」
まほろは嬉しそうに笑って頷いた。その顔を見た途端、胸の内が温かなものに満たされた。
「どこに行ってきたんだ?」
「えっとね、映画館。サタンちゃんを見てきたの」
「そうか。面白かったか?」
「うん。あのね、吹雪がみんなからコスプレだって、写真撮られそうになってたの」
「そ、そうか……」
見れば吹雪は今日もメイド服を着ている。デザインはこの前見たものとまるっきり同じだ。着こなし方が実に完璧で、胸のリボンの結び方さえ一ミリもずれてないように思う。
「……なあ。外に出る時ぐらい、仕事着は脱いだらどうだ?」
「仕事中ですので。そういうあなたも、スーツを着てどこに行ってらしたんですか?」
「それは……」
正直に答えるか迷ったが、母親が正気に戻ったことは人づてに聞くよりまほろ自身の目で見て確かめた方がいいだろうと思い、ごまかすことにする。
「実はクラシックコンサートに行ってたんだ」
僅かな間を置き、吹雪は「……へえ?」と淡白に声を漏らした。
「……本当だぞ」
「念を押されずとも、信じております」
無表情で淡々と述べられた。その返答は俺にまったく安堵感を与えてくれなかった。
僅かな間を置き、吹雪が訊いてきた。
「『G線上のアリア』の編曲者がどなたかご存知ですか?」
「え? ……えっと、バッハ?」
「……そうですか」
吹雪は俺が歩いてきた方向を見やり、何気なさそうに言った。
「そういえばこの先には、賀集家の本家があるんですよ」
「……そ、そうなのか」
「はい。そこに住んでいらっしゃるお嬢様のお母様が長い間放心状態で、時折お医者様が訪れていらっしゃるとか……」
「あーっと俺、ちょっと用事があるんだった! じゃあ、そろそろ行くな!」
しゅっと手を上げ、俺は急ぎ足でその場を離れた。
少し歩いてから、肩越しに背後を見やった。
車は相変わらずそこにあり、動く気配はない。
運転席から顔を出した風吹は、瞬きもせずにこちらへじっと視線を向けてきていた。




