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一章その9 統合失調症

 金之助の先導で、賀集家の敷地内に入っていく。

 数歩進んだだけで、俺は目の前に広がった光景に息を呑んだ。

 まるでメルヘンな世界に迷い込んでしまったかのようだった。

 道の左右には色鮮やかな花をつけた低木が並び、その奥にたっぷりと葉をしげらせた高木が佇み木陰を落としている。木の根元にはリスやキノコの可愛らしい置物があった。

門と屋敷の中間には円形の広場があり、真っ白な石で作られた花のような形の噴水が一定の高さに水を噴き上げていた。噴水の周囲には蝶や妖精を模した造形物まであった。


 屋敷までは結構な距離があったが、景色を眺めていると退屈を感じることがなく、疲労も忘れてしまいそうになる。

 まほろや吹雪がいないかと思い周囲を軽く見渡してみたが、姿はなかった。

「先生、家内の様態は前任者から聞いておりますかぁ?」

 唐突に話を振られ動揺しかけたが、何とか平常心を装って答えた。

「ええと、いいえ。急な交代だったもので……」

「そぉですか。仁史、説明して差し上げろ」


 俺と話していた時とは打って変わった鋭い声で命じられた仁史は、一昔前の機械のように淡々とした声で話し始めた。

「ご主人様の奥様……賀集喜久子(かしゅうきくこ)様は、現在感情を失っておられます」

「感情を失っているというと、具体的には?」

「話しかけても反応がなく、何があっても表情が変わらない状態です」

「……統合失調症の陰性症状か。何か原因などに心当たりは?」

 仁史は無言で金之助を見やった。金之助が二度頷くと、仁史は話を再開した。

「お嬢様が能力に目覚めたことが原因だと思われます」


 まほろの話が出てきたことで、一気に心中の緊張が高まった。

「……詳しくお聞かせ願えますか?」

「それが治療に役立つのですか?」

 仁史の眼光が鋭利なものに変じる。俺は唇を舐め、言葉を紡ぐ。

「もちろん。精神病の治療は薬物投与などの手段もありますが、わたしは一番の薬は患者自身が自然に元気を取り戻すことだと思っております。そのために心の栄養の循環を妨げている問題を取り除くことは何よりも大事なのです」


「……ご主人様」

 ちょうど円形広場に出た所で、金之助は噴水を背に振り返った。

「構わん。話せ」

「……かしこまりました」

 仁史が頭を下げるのを見て、金之助は鼻を鳴らし再び屋敷へ歩を進める。


 俺と並んで歩きだした仁史は、さっきまでと変わらぬ調子で話しだした。

「お嬢様の目覚めた能力は『真空発火』というものです。ご存知ですか?」

「……一応、名前だけは。しかしそういった物理系能力者の届け出は、今まで一件たりともないはずですが?」

「届け出ていません」

「それは法律違反では……」

 今まで黙していた金之助が、咳払いして割って入ってくる。

「もしもまほろの能力が公になれば、賀集家の名は地に落ちます。そのようなことはあってはならないのです」


 賀集家は大手銀行を経営している一家だ。

 金之助の言う通り賀集の一家に悪評が立ち倒産でもすれば、日本の経済や社会に大きな影響が出るだろう。

「……今、そのまほろちゃんはどちらに?」

「うちにはいませんよ」

 何でもなさそうに言った金之助の言葉に、俺は耳を疑った。

「娘さんと一緒に暮らしていないのですか?」

「ええ、別居しております」

 俺は言葉を失い、思わずその場に立ち尽くした。

 まだ小学生の女の子が、両親が健在であるにもかかわらず、彼等と別居しているなんて。


「どうされました?」

「なぜ、まほろちゃんと別居されているんですか?」

「お分かりになりませんか?」

 金之助はにこやかな笑みを浮かべつつも、爬虫類のような感情を欠いた目を向けてくる。

 猛暑の中であるにもかかわらず、冷たい汗が背中を伝った。


「……奥さんに悪い影響を及ぼさないようにするためじゃないでしょうか」

 俺の言葉に金之助は満足気に頷いた。

「その通りです。それに、まほろだってあんな状態の家内を目にするのは辛いでしょう。お互いのためでもあるんです」


 気が付けば俺達は玄関の前まで来ており、門の時と同じく、金之助が近づくと自動で扉が開き始めた。

「つかぬことをお伺いしますが、最後にまほろちゃんとお会いしたのはいつ頃でしょうか?」

 金之助は首を捻り顎を撫で、しばらく唸った後に言った。

「そうですねぇ……去年……いや、一昨年……」

 いつまで経っても答えない金之助に代わり、仁史が答えた。

「三年前の元旦でございます。お嬢様が八歳の頃です」

「おお、そうだそうだ! いやぁ、もう三年になるのか。道理で思い出せないわけだ」

 豪快に腹を揺すり、金之助は大笑いした。


 だんだん胃がむかむかして、頭が痛くなってきた。

「……金之助さん。もしかしてあなたは、能力者が嫌いなんじゃないですか?」

「いいえぇ。わたしぁ、そんなことちっとも思っていません。むしろ社会的弱者である彼等に同情すら覚えていますよぉ、ええ」

 小バカにしたような笑みで粘っこく言う金之助。

 これ以上ヤツと同じ空気を吸うのすら嫌だったが、まだまほろのために訊かなければいけないことがある。

 固く目を瞑り、頭の中を空っぽにするよう努める。


「風炉井様、どうされましたか?」

「……いや、何でもありません。ただ、ちょっと寝不足でして」

 愛想笑いを浮かべる俺に、金之助がわざとらしく心配そうな調子で訊いてきた。

「もしよろしければ、診察の前に仮眠されますか? お休みになるんでしたら、仁史に客室を用意させますがねぇ」

「いえ、大丈夫です。それより、奥さんの診察をさせてください」

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