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創り人の箱庭  作者: サボ
第四章
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4-22『温度のない微笑』

第四章

第二十二話『温度のない微笑』



 私の答えに反論はおろか相槌一つ打たずに全部を聞き終えてから、博士は静かに頷いた。

「うん、成る程ね」

 それは前の異界でも聞いた言葉。

「成る程成る程、やっぱり面白いねえ」

 続いた言葉にも聞き覚えがある。

 何が面白いってんだ、と思ったこの感情にも覚えがあった。

「実に興味深い」

 私が何かを言う前に、博士はそう言ってにこりと笑う。

 その笑みは実に純粋で、こっちを馬鹿にしてるような気配は一つもない。

 面白いと言ったその声にも、それはないんだけど。

 この人の言動は、一から十までこっちの毒気を抜いてくる感じだ。

「ありがとう、参考になったよ」

 あの時と同じことを言われて、無意識に眉が寄った。

 お礼を言われてるのに、なんともいえない不快感が滲んだ。

 こっちに敵意なんて何も感じさせないような言動で、だけど何故か心の何処かがこの人を『危険だ』と感じる。

 だけど。

「なんの参考にしてるんですか?」

 この人と長く話していてはいけないと、本能に近い何かが訴えてくる。

 だけど、この人とは少しでも話をしておかなくちゃと、そうも思う。

 私自身でさえ知らない『私』を知っているのは、きっとこの人だけだ。

 あの世界にとっては異物でしかないはずの『私』をよく知ってるなら、崩れかけた世界の救い方だって知ってるかもしれない。

「残念だけど、それはまだ言えない」

 ふふ、と唇を静かな笑みの形で固定して、博士は首を振る。

 表情からも、声音からも、『残念』なんて感情は読み取れない。

 どちらかと言うまでもなく、『楽しそう』に感じる。

 この人と話してると、イラっとくるのと毒気を抜かれるのが交互にくるな。

 長く話してると、かなり疲れそう。

「なら、貴方の目的を、言える範囲で教えてください」

 私は意識して手を強く握り締めて、じっと博士を見つめた。

 博士はそんな私を見ながら、小さく首を傾げる。

「僕の目的は、君なら知っているはずだよ」

「は?」

 何言ってんの、この人?

 そんなの知ってたら、こんな質問するわけないだろ。

「君は知っている。僕のことも、この場所も」

 小首を傾げたままの博士の唇が、にい、と深い笑みを刻む。

 背筋を、冷たい何かが駆け抜けた。

 胸の中心で、どくん、と心臓が高鳴る。

「忘れているだけだよ」

 私には、あの世界で目を覚ます前の記憶がない。

 名前も生い立ちも、何一つ憶えていない。

 だから、『忘れているだけだ』と言われれば、確かにそうなのかもしれないと思うしかないんだけど……。

「君はまだ、思い出したくないだけだ」

「は……?」

 喉の奥から、乾いた声が少しだけ零れ落ちた。

 何を言われてるのか、理解できない。

 理解できないのに、心臓がどくどくと早鐘を打つ。

 私は、確かにこの意味不明な場所を知ってると思う。

 博士の声を。

 博士の言葉を。

 私は今ではないいつか、何処かで、聞いたことがあると思う。

 それを思い出せなくて歯痒い気持ちより、思い出せない現実に。

 確かに、安心、して、いる、よう、な。

「呼吸を忘れているよ」

「っ!」

 笑みを含んだ声で言われて、私の喉は反射的に息を吐き出した。

 無意識に息を止めてたらしくて、頭がくらくらする。

 呼吸をしようと努力してみるけど、なんだか巧くいかなくて咳き込んでしまった。

 え、ええと、息って、どうやって吸うんだっけ……?

「ああ、無理はしないことだ」

 博士の優し気な声が聞こえる。

「一度ゆっくりと息を吐いて、それから吸ってごらん。大丈夫だ、僕は君に危害を加えたりはしない」

 優し気なのに、心がそこにないみたいな、不思議な温度の声だ。

 そう思いながら、大人しく息を細く、長く吐き出す。

「前もそうだっただろう? 僕はこれ以上、君に近付きはしない」

 今度はゆっくりと息を吸いながら、そういえば、と前のことを思い出した。

 初対面の時は本当にわけも判らず、ただ博士の言葉と独特の空気に圧倒されて、私が勝手に怯えて、逃げ出したようなものだ。

 博士はあの時も、そして今も、私に近付いてこようとはしない。

 大きく深呼吸を繰り返して、普通の呼吸を取り戻そうとしてる私を見ても、ただ声を掛けてくれるだけ。

 一定の距離を保ったまま、的確なアドバイスはくれるけど、触れようとはしない。

 そんな博士からは確かに敵意を感じないけど、だからといって友好的な空気も感じなかった。

 じゃあ中立なのかと訊かれると、それも違うような気がする。

 この感覚を巧く表現できる言葉が見当たらないまま、私は息を整えた。

 とりとめもないことでも、何か考えようと頭を働かせると、地に足が付くような気がする。

「……私が忘れてることを、貴方は全部知ってるんですよね?」

 もう一度博士と自分の間に横たわるものに目を向ける覚悟を決めて、白黒の目を見つめた。

 第二の異界で、白と黒の世界を幾つも体験してきたけど、博士の姿はやっぱりそのどれとも違う。

 色の濃淡があるかないかだけで、世界は全然変わるんだ。

 何処までも透明なガラス玉みたいな目を見ながら、私はそんなことを改めて思う。

「そうだね」

 私の問い掛けに、博士は微笑わらって頷いた。

「恐らく、僕ほど君を知っている存在は、どの世界にも居ないだろう」

 博士はきっと、私が知りたいことを全部知っている。

 私が何ものであるのかも。

 この世界で、私がどうして大樹の核に触れる必要があるのかも。

 どうしてその役目が……『稀人』が、私でなくてはならなかったのかも。

「だけど、それを私に教えてくれる気はない?」

「そうだね」

 重ねた問い掛けに、博士は微笑んだままもう一度頷いた。

 さっきと何も変わってないはずなのに、その笑みにはなんともいえない、ねっとりとした何かを感じる。

 全部知っていて、何も告げる気がない。

 湧き上がってくる苛立ちを、大きく深呼吸することでなんとかやり過ごした。

 ここで感情のままに怒鳴ったって、泣き喚いたって、きっと博士からは何も得られない。

 敵でも、味方でも、中立でもなく感じる博士を、ひと言で表せる言葉を思い付いた。

 『神様』だ。

 それも、とんでもなく性格が悪いやつ。

 何もかもを知っていながら、それを明確に伝えることはなく、だけど片鱗だけちらつかせる、たちの悪い神様だ。

 あの世界には『神』っていう概念がないから、これはきっと、私にしか理解できない感覚だと思うけど。

「なら、私以外のことで、訊きたいことがあります」

「うん?」

 気持ちを切り替えて口を開けば、博士は静かな笑みを浮かべたまま、小さく首を傾げた。

「あの世界は、正しい姿に戻ってるんですか?」

 稀人という存在が、異界の奥に在る大樹の核に触れれば、崩れた世界のバランスが元に戻る。

 そう言われて実際に大樹の核に触れてみたけど、私には世界が元に戻ってるっていう実感がなかった。

 そもそも私が生活してる場所は安全で豊かで、不自由に感じることが何もない。

 気候ですら、万年雪に覆われてるっていう北の領地と比べるまでもなく、過ごしやすいと思う。

 だから、世界が崩壊に向かってるなんて話そのものに対する実感もなかった。

「そうだね。少なくとも、西の大樹の腐敗は、今はこれ以上進まないだろう」

 ないないだらけの私に、博士は小さく頷く。

 この質問もはぐらかされるかも、と思ってたから、素直に答えて貰えてちょっとだけ拍子抜けした。

「北の大樹も、この場所から君が無事に帰還すれば、腐敗は止まる」

 真っすぐに私を見る博士の目は、相変わらず透明なガラス玉みたいで、見つめられるとなんだか落ち着かない。

「……止まる、だけ?」

「そう」

 思わず口から零れた言葉に、博士は静かに頷いた。

 ただ頷くだけで、それ以上何も続けてはくれない。

 でも、『止まるだけ』っていう理由は、私にも少しだけ想像できた。

 多分、私が……稀人が全部の核に触れてないから。

 陛下が私に望んだのは、『六層に渡る異界に行って、大樹の核に触れて欲しい』だ。

 黎明の石板が告げたらしい、稀人が成し遂げなきゃいけないことを、私はまだ途中までしか終わらせてない。

 六層ある異界の全てを回って、そこに在る大樹の核の全てに触れなきゃ、世界は正しいバランスに戻らないんじゃないだろうか。

「少しは安心したかい?」

 博士にそう呼び掛けられて、はっとする。

 優し気な言葉を掛けてくれてるのに、その声には温かな何も籠められていなくて、心の裏側がざわついた。

「……はい」

 無意識に胸の前で手を握り締めながら頷いてみたけど、とても安心してるようには見えなかっただろう。

 表情も声も硬いし、なんなら少し震えてる気もする。

 でも、私がやってることが間違ってないって言われたことに対しては、間違いなくほっとしてた。

 博士が嘘を言ってるかもしれないけど……もしこれが嘘なら、私のことを知ってるっていうこと自体も嘘な気がする。

 どうしてそう思うのかって訊かれると、巧く言葉にはできないけど。

 肌で感じるっていうか、直感が囁くっていうか、そういう感じ。

 多分、ファービリアさんやサンシュが、巨木の幹に生えたあの存在をひと目で『大樹の核だ』と断言したのと同じようなものじゃないだろうか。

 多分この人は、嘘は言わない。

 『知ってるけど今は言わない』っていうのは、嘘とは表現しないだろう。

「僕に対する警戒心は、相変わらずのようだけどね」

 ふふ、と微笑みながらそう言われても、返す言葉がなかった。

 否定なんてとてもできないし、だからといって堂々と肯定する度胸もない。

 私の知ってるあの人たちなら、みんな胸張って言い返すんだろうな。

「まあ、今はそれでいい。そのうち、君にも判るはずだ」

 そう言って、博士は唇の端を笑みの形に吊り上げた。

 満面の笑みと言ってもいいはずなのに、白黒の表情から感じられるのは底冷えのする恐怖だけ。

 ああ、やっぱりダメだ。

 この人は、ダメだ。

 ごめんなさい、ヒイラギさん。

 代行の身であの個性てんこ盛りな人たちの頭脳っていう立場の貴方の為にも、聞き出せることはできるだけ多く引き出したい気持ちはあるんです。

 私には理解できないことでも、貴方なら紐解いてくれるだろうって思ってるから。

 だけど、ダメなんです。

 この人と、長く会話を続けられない。

 ひと言でも多く、少しでも長く会話を続けたほうが、貴方みたいな人たちのヒントになるって判ってても、そうできないって感じるんです。

「僕のことが怖いかい?」

 そう言った博士は微笑んでるんだけど、その表情には感情というものが何も載ってないように思えた。

 怖い。

 確かに博士の言う通り、私はこの人のことが怖いんだろう。

 浮かべる笑みに感情が載ってないことも怖いと思うけど、こんなに胡散臭いのにその言葉を信じるしかないって、そんな現状が怖いとも思う。

 大樹の衰退が止まってるとか、私の行動が正しいものだとか、そういう大切な情報は全部、博士の言葉を頼るしかない。

「……怖い、です」

 色んな意味を込めて、私は小さく頷いた。

 博士はそんな私を見て、ますます笑みを深くする。

 その表情はさっきまでとは違って、確かに感情が汲み取れるようなものだった。

 喜んでる?

 少なくとも、今、この瞬間の博士の笑みからは、喜怒哀楽の喜の感情が伝わってきた。

「ああ、それでいい。それでいいんだ」

 今度は明らかに喜んでると判る顔でそう言って、博士は何度も頷いた。

 怖いと言えば、寧ろ今のほうが怖いような気がする。

 知らず、足が一歩、後ろに下がった。

「ああ、大丈夫。ちゃんと戻してあげるよ。君が『帰りたい』と願う場所にね」

 私が帰りたいと願う場所に『帰す』とは言わずに、博士は笑みを深くした。

 そして、白い指が私を指さす。

「また会おう」

 あの時と同じ言葉。

 あの時と同じ形だけの笑み。

「そしていつか」

 あの時と同じように続いた声が、同じように音を失くす。


『教えておくれ』


 形のいい唇が、やけにはっきりとそう囁くのを見た。

 全部、あの時と同じ。

 今じゃない。

 前でもない。

 いつか、何処かで。

 同じ言葉を聞いたと、そう感じることさえ、同じだった。



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