4-18『二度目の漆黒』
第四章
第十八話『二度目の漆黒』
二つ目の異界、最後のドア。
通路の奥にぽつんと佇むそれは、今までに見てきた脇道へのドアとほとんど変わらず、何か特別なものを感じることもなかった。
他と違うところはただ一つ。
通路がこれ以上先に延びてないってことだけだ。
「さあて、これで最後だ」
これまでと同じように先頭を歩いてくれてたサンシュが、そう言いながらドアノブに手を伸ばす。
「おっと、一応言っとくけどな」
ドアを開けようとする態勢のまま顔だけ振り返って、サンシュは小さな苦笑を浮かべた。
「バラけても慌てんなよ?」
「は? あ、ああ、そっか」
端的な言葉の意味を掴みかねて、私は一瞬、きょとんとしてしまう。
だけど、前の異界で大樹の核に会うことになったあの場所のことを、すぐに思い出せた。
最後の最後は私が一人で博士に会うことになったけど、大樹の核と会ったとき、ファービリアさんと二人だけだった。
「できればアディと離れたくはないですけど、ここじゃ常識がまともに働いてくれないですからね」
小さく溜め息を吐きながら、ヒールは首を振る。
「私はサンシュクリット様がお一人になられるほうがどうかと思いますが」
「あ? 俺なら一人でもどうにかするだろうがよ」
同じく溜め息混じりのウェルバニーさんの言葉に、サンシュは顔を顰めた。
「辺り一帯を破壊して、『どうにかした』と胸を張られることの御座いませんように」
「するか!」
わざとらしく心配そうな顔をするウェルバニーさんに、サンシュは叫ぶ。
あはは、ここまで来てもお二人はいつも通りだなあ。
その余裕が、私の心を和ませてくれる。
ひょっとしたらウェルバニーさんは、そういう効果も狙っていつも通りにしてくれてるのかもしれない。
「とにかく、進むぞ」
やれやれ、と一度溜め息を吐いてから、サンシュは行き止まりにあるドアを開けた。
その先からは光の一つも感じられない。
ただ真っ黒な虚が、ぽっかりと口を開けているだけに見えた。
「アディ」
ヒールが小さく私を呼んで、手を取ってくれる。
大丈夫、行ける。
私はヒールに頷いて、手を繋いだまま、虚のほうへと足を踏み出した。
*
サンシュが最初にくぐったドアを、ヒールに手を引かれて私もくぐったはずなのに。
いつの間にかヒールの手の感触はなくなっていて、上下左右も覚束ない漆黒の世界に立っていた。
こういうふうになるんじゃないかって覚悟は確かにしていたけど、実際に一人でこの黒さの中に立つとやっぱり心細い。
きょろきょろと辺りを見回しながら瞬きを繰り返していたら、あの時と同じように、不意に視界の先に色が浮かび上がった。
赤銅色の大柄な後ろ姿は、この異界でずっと私の前を歩き続けてくれたものだ。
「サンシュ!」
思わず名前を叫んで駆け出した。
「アディ!!」
ぴくりと耳を震わせて、サンシュは俊敏な動きでこっちを振り返る。
そのままの勢いで走って来てくれて、ひょいっと私を抱き上げた。
「よっしゃ! 最悪の事態は回避だな!」
「う、うん……!」
子供を高い高いってあやすみたいなコレも、初めてじゃなきゃ驚きもちょっとだけ少ない。
飽く迄、ちょっとだけ。
「ウェルバニーさん、大丈夫かな?」
大人しく高い高いされながら、私は気になっていたことを口にする。
ここには光がない。
それなのにお互いの姿が見えるっていう不思議空間だけど、光源がないってことは間違ってないと思う。
「大丈夫だろ。ここは魔法石が使える」
に、と笑って、サンシュは私を地面に下ろした。
まあ、何処までも黒いから、足が着いたここが地面かどうか、いまいちよく判らないんだけど。
「判るの?」
「おう!」
何かの魔法石を使ってるように見えなくて、それでも判るものかと首を傾げれば、サンシュは笑ったまま懐を探った。
「俺ら北の民はな、大抵コレを持ち歩いてんだ」
そう言って彼が懐から取り出したのは、親指の爪くらいの大きさの、赤い宝石みたいなものだった。
この状況で出してくれてるってことは魔法石だと思うんだけど、私には丸くカットされたルビーみたいに見える。
「熱の魔法石だ。精度にもよるが、このサイズでひと晩凍死しねえ程度の熱が出せるし、温度調整もできる」
サンシュはそう言いながら、私に『触ってみろ』って感じで魔法石を差し出してきた。
促されるままにそっと触れてみれば、サンシュの体温とは違う温もりが、確かにその小さな石から感じられる。
魔法石に馴染みがない私が例えるなら、宝石型のカイロってところだろうか。
いや、それもどうかと思うけどさ。
「中央じゃコレをそんな熱くするこたねえけどな。俺らにとっちゃ、色んな意味で命綱だ」
今は私の手の平で隠されてる魔法石を、何処か寂しそうに見つめながら、サンシュはそう言った。
北はとても寒いところで、万年雪に覆われた場所も多いって聞いてる。
そんな場所で強力なカイロは確かに命綱だろうけど、今のこれはきっと、魔法石が使える場所かどうかをサンシュが判断する為のものでもあるんだろう。
彼の大切な筆頭近衛は、光がなくては生きていけない『呪い』に侵されているから。
万が一、魔法石が使えない場所に行き当ってしまったら。
そこに、光がひと筋もなければ。
ウェルバニーさんは、死んでしまう。
「こんな場所でもコレが使えてんだ、大丈夫だろ」
「……うん、きっと、大丈夫だね」
私たちと合流できていない二人が、例えこの場と同じ、光のない場所に居るんだとしても。
ウェルバニーさんが常に携帯している光の魔法石が、彼の命を繋いでくれてるはずだ。
前の異界のときは、リクとクレアさんは確か真っ白な空間に飛ばされたって言ってたっけ。
そこも、同じように魔法石が使える空間だと信じるしかない。
「ほんとはな、アイツ、置いてくるつもりだったんだ」
「え?」
苦い苦い笑みを浮かべるサンシュの言葉に、私はきょとんとしてしまう。
いや、それは当たり前の判断かもしれない。
ウェルバニーさんはその『呪い』の特質さから、何が起こるか判らない異界の探索に向いてるとは言えないから。
「ただまあ、アイツも頑固だからよ」
ふ、と穏やかな笑みを浮かべて、サンシュは魔法石ごと、私の手を握った。
「ウェルが『どうしても』っつったら、もうどうしようもねえんだわ」
温かい手と、温かい魔法石が、じんわりと私の手を包み込む。
普段はウェルバニーさんが『やれやれ』って感じで肩を竦めることが多いのに、今この時はサンシュがそういう顔をしていた。
この世界に来て日が浅い私は勿論、中央に揃った人たちも知らない時間が、サンシュとウェルバニーさんにはあって。
それがとても強い絆になってるんだろうって、そう感じる。
「じゃあ、早く会いに戻ろう」
柔らかな獣毛で包まれた手を握り返して、私は微笑んだ。
「やらなきゃいけないこと終わらせて、早くみんなに会いに戻ろう?」
ウェルバニーさんやヒールにも、それから、私たちを送り出してくれた他のみんなにも、早く会いたいと思う。
危なげなく難をいなしてくれる人たちに囲まれてるとはいえ、此処はやっぱり異界で、普段の場所とは違うから。
いつもの場所に早く戻りたいと、どうしても思ってしまう。
「おう!」
大きく頷いて、サンシュは私の手を握ったまま辺りを見回した。
「確か前んときも、ここは適当に進んだっつってたな?」
「あ、うん」
あの時、ファービリアさんが私の手を引いて歩いてくれた先に出口はあったけど、最初からそこを明確に目指してたわけじゃない。
「なら、俺も勘で行くか」
に、と大きく笑って、サンシュは歩き出した。
手を繋いだ状態の私も勿論それに続くんだけど、その状況にちょっとだけ違和感を覚える。
ここではぐれるのはまずいから、手を繋いだまま進むのはファービリアさんもそうだったから判るんだけど、私よりもずっと背の高いサンシュと普通に並んで歩けてるのが、ちょっとした違和感の正体。
そういえば、この変な空間に来る前も、先頭を歩いてくれたサンシュは私やヒールが早足にならなきゃ追い付けないようなペースでは歩かなかった。
大雑把に見えて、ちゃんと細かいことまで一緒に居る人のことを考えてくれてるんだ。
これは、モテるだろうなあ……。
「? どした?」
「え!?」
なんとなくぼんやりと横顔を見つめてたら、急に振り返られて素っ頓狂な声が出た。
狼の獣人であるカリスは、耳や鼻以外にも、人の視線を感じる力も優れてるのかもしれない。
「怖いか?」
ふ、と穏やかな笑みを浮かべながら、それでも足を止めずに訊いてくる声は低く優しくて、静かに心を包んでくれるみたいだ。
「大丈夫、二回目だし」
今の自分にできる精一杯の強がりで、そんなことを言ってみた。
正直言って、二回目だろうが三回目だろうが、この真の闇に慣れることはないと思う。
「はは! 上等上等!」
からからと軽快に笑って、サンシュは繋いでる手に力を籠めた。
「この状況でそれだけ強がり言えりゃ上等だ!」
あ、あはは~。
そう真っすぐに強がりだって断言されると、なんともいえない気持ちになるな。
まあ、私の下手な強がりなんて、誰のことも騙せるわけはないんだろうけど。
「何かあっても、サンシュが辺り一面焼け野原にしてくれるらしいから、心配してないよ」
辺り一面焼け野原にしていいような状況なんて、そう滅多にあるもんじゃないだろうけどさ。
「いや、流石の俺も一瞬で辺り一面焼け野原にゃできねえぞ? クイニークじゃあるまいし」
「は?」
サンシュができないって言ったことより、想像もしてなかった人の名前が出てきて、ぽかんと口が開いた。
例えばここでファービリアさんの名前が出てきたら、高笑いしながら精霊に辺りを薙ぎ払わせてる絵が即座に浮かんでくるけど、まさかのクイニークさん?
あのぼのんぼのんした人が、辺り一面を一瞬で焼け野原にできる?
「一瞬じゃなくていいってんなら、辺り一面薙ぎ倒すくらいはできるけどよ」
「いや、それもどうかと思うよ!?」
困ったように言うサンシュの言葉は、『一瞬で辺り一面焼け野原』と比べても遜色ない感じだ。
いや、『遜色ない』ってなんだよ。
自分で思ってびっくりだよ。
私も結構、この世界の異常な常識に染まってきたような気がする。
もしも私がこの世界の庶民層からスタートだったら、この人たちの異常性に慣れるまでもっと時間がかかってたんじゃないだろうか。
「ま、お前が知ってる奴らなら、大体みんな辺り一面薙ぎ倒せるけどな!」
「そんな明るく言う台詞かな!?」
滅茶苦茶いい笑顔で断言して、空いてる手の親指をぐっと立ててくれるのはなんとも頼もしいけど、言ってる内容、おかしくない?
「だからまあ、心配すんな」
不意に少しだけ低い声で言って、サンシュは視線を正面に向けた。
釣られて見た先に、ぼんやりと滲む光みたいなものが見える。
「何があっても、俺が絶対に護ってやる。俺は絶対に負けねえ」
この暗闇の出口を見据えて、サンシュはそう言った。
ああ、サンシュもファービリアさんと同じだ。
『命に代えてもお前を護る』とは言わない。
『お前を護って、自分も無事に帰る』と言ってくれる。
そう言って貰えることが、力を持たない私にはとても嬉しい。
「うん、信じてる」
繋がった手を強く握って、私は言った。
信じる以外に、私にできることはない。
できることなら、もっとマシなことを言いたいんだけど。
「おう、信じてろ」
それでもサンシュはにい、と頼もしい笑みを浮かべてくれるから。
だからただ、信じていればいいと、今は自分に言い聞かせた。
続




