1-1『夢でも幻でも思い違いでもなくて』
第一章
第一話
『夢でも幻でも思い違いでもなくて』
リクたち三人は、確かになんでもない話をしにきてくれたんだと思う。
それでもやっぱり、そもそも世界が違うっていう前提だと、何を聞いても物珍しい気がした。
自分に関する記憶はゼロだけど、前に居た世界の常識は判る。
その知識と比べると、この世界は『剣と魔法のファンタジー』って感じだってことは、昨日から今日にかけてでなんとなく感じてた。
王様だ貴族だ騎士だって人たちがぼろぼろ居るとか、髪や目の色がやけに鮮やかなのに会話が普通に日本語で通じるとか、そもそも種族が多いとか。
その他諸々、全体的にゲームの中に入ったみたいな感じがする。
「あのさ、ヒール」
「ん? どしたの?」
雑談の中で呼び掛けると、ヒールはにこっと笑って首を傾げた。
「さっき水を出したのって、魔法? 魔術? なんだよね?」
「そりゃ勿論……って、ひょっとしてアディの世界って、魔術もない?」
きょとんと目を瞬かせるヒールに、私はあはは、と苦笑しながら頷く。
雑談の中で貴族や騎士なんて馴染みがない、っていうことも話したから、魔術にも縁遠いってすぐに察して貰えたみたいだ。
皆様実に物分かりがよくて、本当に助かる。
もしも自分が彼らみたいに受け入れる側だったとして、こういうふうになれるかどうか、自信がない。
取り敢えず、今はヒールの解説を聞いてみよう。
「大気中には、魔素っていうものがあってね」
初手から馴染みの一切ない単語が出てきた。
「まそ?」
「そう。魔力を帯びた力っていうか、粒子っていうか、まあ、そういう感じ」
ええっと……酸素とか窒素とか水素とかと同じ感じで、『魔素』っていうものがあるのかな?
「魔術師は、その魔素を一度身体に取り込んで、体内で自分の魔力と合わせて魔術を織って、その人に合った力として発動するの」
言いながら、ヒールは右手の人差し指を立てた。
その指先に、小さな水の玉が生まれる。
何もなかったところから水が生まれたような、大気中の水分が凝固したような、不思議な感覚だ。
「『その人に合った』っていうことは、使える属性が限られてるってこと?」
「そうそう。例えば私は水属性専門だし、カリスは炎専門」
そう言って、ヒールはカリスのほうを見る。
釣られてカリスのほうを見れば、彼はにっと笑って右手を握り締めた。
その拳が、揺らめく炎で包まれる。
どうでもいいことだけど、正直、カリスの見た目は魔術師というより、ごりっごりの戦士タイプだ。
ナックルとかアクスとか、そういうのを使ってるのが似合うと思う。
「カリスって、魔術師なんだ?」
「似合わねえっつうんだろ? 初対面の奴、十人中十人が言うわ、それ」
似合うとか似合わないとか、そういうつもりじゃなかったんだけど、カリスは拳の炎を消して深々と溜め息を吐いた。
「その見た目だもんねえ」
「うるせえよ」
楽しそうに笑うヒールは、指先で水の玉を弄ぶようにしてる。
カリスは心底嫌そうな顔で、がりがりと頭を掻いた。
「ちなみにリクは雷属性ね」
「自分にはほぼ魔術の才はないがな」
ヒールの言葉に、リクは小さく息を吐く。
「贅沢言ってんじゃねえよ」
リクよりも大きな溜め息を吐いて、カリスは肩を竦めた。
「リクの『英雄』ってね、とにかく強いオールマイティな『祝福』なの。強い魔術は使えないけど、身体能力とか戦闘センスとか、そういうのが凄いのね」
苦笑を浮かべながら、ヒールはそんなことを言う。
「魔力量で言えば私やカリスのほうが上だけど、それでも私たちはリクに勝つことは出来ないわ」
「ヒールは補助系特化だけどな、攻撃系特化の俺でも、リクに勝てる気はしねえよ」
ううん、つまりリクは勇者タイプっていうか、主人公タイプ? なのかな?
それは多分、『英雄』っていう言葉から連想されるそのままなんだろう。
リクはなんだか居心地悪そうに、視線を少し外した。
「その魔術って、誰でも使えるもの?」
ふと、自分でも魔術ってものが使えるんじゃないかと思って、ヒールに訊いてみる。
「魔術にしろ精霊魔術にしろ、まともに使えるかどうかは素質の問題があるわね~」
なんか、また新しい単語が出てきた。
「精霊魔術?」
「魔素じゃなく、精霊の力を借りて使う魔術のことよ。私たちは使えないけどね」
指先で弄んでいた水滴を消して、ヒールは軽く肩を竦める。
「魔術師と比べると、精霊魔術師は希少だ。君が会ったことがある中なら、ファービリア閣下とヒイラギ様が使える」
静かに教えてくれるリクの言葉で、二人の美女が脳裏に浮かんだ。
妖精族っていうファービリアさんは、なんとなく判る。
妖精と精霊って、なんか親戚みたいなもんって気がするから。
だけど、ヒイラギさんはちょっと意外だ。
「私って何か使えるのかな?」
「うーん、アディは魔力がちょっと足りない気がするな~」
自分を指さして首を傾げたら、ヒールはううん、と唸って天井を仰ぐ。
「魔術使ってみてえのか? 鑑定士に一回見て貰うか?」
なんとなく、使えるなら使ってみたい、と思ってた私の心を読んだかのように、カリスが首を傾げる。
ははあ、鑑定士とかいう存在がいるわけですね?
「いや……それは難しいかもしれん」
「あ?」
低い声で呟いたリクに、カリスは眉根を寄せる。
リクはカリスには答えずに、私のほうに視線を向けた。
「鑑定士は、『鑑定』の『祝福』を授かった者のことを言う。鑑定士は対象者に触れることで、秘めた力を読み取ることができる」
成る程成る程、ひょっとしたら『祝福』や『呪い』も読み取ったりすることができるのかも……って、触れるって言った?
「それ、触らないとダメ?」
「陛下のお力と同じだ。ごく一部で構わないが接触が大前提だ」
あー、なーるほどなー。
そりゃ私、鑑定不可能だわ。
あちゃー、っていう気分で、思わず顔を覆う。
「あ! そっか!」
「あ? なんだよ?」
実際に体験したヒールはすぐに判ったみたいだけど、カリスはいまいち実感がないらしい。
例え話に聞いていたとしても、体験に勝る実感はないもんねえ。
私は顔を覆っていた手を離して、カリスに差し伸べる。
「お? おう……」
握手を求める形で差し出した手を、カリスは反射みたいな感じで握ってくれた。
途端に、視界が一瞬、白黒になる。
「っ……! あ、おう……成る程な……」
『祝福』だか『呪い』だかどっちか判らないけど、私の力をカリスも肌で感じてくれたらしい。
私には『祝福』だとか『呪い』だとかの自覚がないから判らないけど、それを持っていて日常的に感じてる人たちは、やっぱりいざ消えるとすぐに判るんだな。
まあ、私だっていきなり右手が消えたらすぐに判るから、生まれ持ったものを失うっていうのはそういう感覚なのかもしれない。
「これじゃあ鑑定は無理だな」
そう言ってから、カリスは静かに私から手を離した。
多分、すぐに『祝福』も『呪い』も戻ってきたんだろう、カリスは自分の手を握ったり開いたりしながら、なんともいえない顔をしてる。
鑑定士さんが『鑑定』の『祝福』を発動する為に対象に触れる必要があるなら、触れた瞬間に私の力がそれを消してしまう。
陛下の時もそうだったし……あっちは『鑑定』じゃなくて『王』の『祝福』の一部としての力みたいだったけど。
「『鑑定』が使えないから確かなことは言えないけど、やっぱりアディは魔力がちょっと足りないと思うのよね~」
ちょっとのんびりした調子で、ヒールはその言葉をもう一度言った。
ええっと、魔素を体内に取り込んで、自分の中の魔力と織り合わせるとか言ってたよね。
ってことは、自分が持ってる魔力が弱いと、織り合わせることができないってこと、かな?
縦糸はあっても横糸が足りなきゃ、織物ってできないもんな。
「使えるなら使ってみたかったなあ、魔術」
魔術師なんて空想上の存在っていうのが、私の頭の中にある常識だ。
その空想上の力が使えるかもしれないって世界なら、自分でも使ってみたいと思っちゃうもんだよねえ。
「せめて、『祝福』と『呪い』がなんであるか判ればいいんだがな」
鍛え上げた太い腕を組んで、リクが低い声で呟いた。
「『祝福』と『呪い』を消す力、どっちだろうな?」
「うーん、『祝福』なような気もするし、『呪い』なような気もするよね~」
人に触れることで、『祝福』と『呪い』を消す力。
確かに、それは『祝福』なのか『呪い』なのか、判断がつかない。
みんなの話を聞いてると、言葉通り、『祝福』はメリット、『呪い』はデメリットっていうイメージがある。
私のこれが『祝福』だとしたら、他にどんなデメリットを背負ってるのか。
逆に『呪い』だとしたら、他にどんなメリットを授かってるのか判別がつかないっていうのは、なかなかに歯がゆいものがある。
しかも普通はそれを判別してくれる人が居るんだから、余計にそう思ってしまうわけだ。
「ま、判んねえもんはしょうがねえよな」
あっけらかんと言い放ったカリスの言う通り、判らないものは判らないんだから仕方ない。
私がどうして自分のことについての記憶を失くしてるのかも、どうやってここに来たのかを憶えてないのも、思い出す方法が判らないんだから仕方ない。
仕方がないことだらけで、ちょっと笑えてくる。
「どっちもカリスみたいに判りやすかったら、嫌でもそのうち判ると思うよ?」
にひ、って感じで笑うヒールと、それを見てちょっと嫌そうな顔をするカリス。
確かにカリスは、『祝福』も『呪い』も判別しやすいと思う。
でも、例えばリクの『呪い』は、陛下や鑑定士さんが居なかったら、本人も他人もその本質を理解することは難しい。
だって、『好きな人とは結ばれない』なんて、抽象的過ぎだ。
ヒールの『絶対に夢を見てそれを憶えてる』っていうものも、本人が異常だと訴えなきゃそういうこともあるかもねくらいで終わる気がする。
ああ、陛下の『花忌み』は、流石に誰でも判るか。
「こういうのは判りやすいほうが楽だろが」
「弱点丸判りじゃん」
「なんだとこら!」
ううん、この二人って、ほんとに仲いいなあ。
「あのさ、リク」
「ん?」
仲良く口喧嘩してる二人を横目に、私はそっとリクに呼び掛ける。
そいえば愛称……っていうか、名前そのものを呼んだのは初めてな気がするけど、リクは特に気にした様子もなく、鍛えに鍛え抜かれた身体を寄せてきてくれた。
「あの二人って、凄く仲いいね」
やんやん言い合ってる二人は、こっちの話なんて聞いちゃいないだろうけど、なんとなく小声になりつつ正直な感想を言ってみた。
「あの二人は幼馴染でな」
そういえばさっきちらっと聞いたけど、確かヒールは平民で、カリスは男爵家っていう身分差があっても、そういう関係はままあることなだろうか。
まあ、男爵家って貴族の中じゃ下位に属するはずだし、カリス本人も『平民に毛が生えた程度』とか言ってたから、あることなのかな?
「見ての通り仲はいいんだが、今は取り敢えず、それだけだ」
は?
ええっと、はあ、成る程。
「幼馴染を拗らせた感じかあ」
「ああっ!?」
「ちょっと!?」
ぽつんと呟いた私の言葉に、言い合ってた二人が勢いよく振り返る。
こ、こわっ!
そもそも強面というか迫力があるカリスは勿論、見た目はか弱き乙女のヒールも、やけに堂に入った睨み方だ!
「何を拗らせてなんだって!?」
「私らは普通に幼馴染の腐れ縁だからね!?」
「あ、は、はい」
勢いに押されて、こっちは頷く以外に選択肢がない。
リクはこの二人の剣幕に慣れてるのか、やれやれって感じで溜め息を吐くだけだ。
あーあー、この二人って、結構めんどくさいのかも。
って言葉を口にしないで済んだ自分を誉めたい。
ヒールに胸倉掴まれて揺さぶられながら、私はそんなことを思った。
続