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創り人の箱庭  作者: サボ
第四章
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4-14『どんな気持ち?』

第四章

第十四話『どんな気持ち?』



 ヒールが開けてくれたドアの先には、予想外に物が沢山あった。

 この家の作りも貧相だし、ここに来るまでの景色を考えれば、余計な物なんて何もない……寧ろ、必要最低限のものさえ揃ってないんじゃないかと思ってた。

 確かに、貴族のお屋敷や王宮にあるような、通る人の目を楽しませる為だけの絵画や調度品の類はない。

 見回す限り部屋数が多いわけでもなさそうだし、家自体も広くはない。

 だけど、ここでの生活が人としての最低限であるとは感じなかった。

 比べるのは申し訳ないと思うけど、蟲人の村のほうがよっぽど生活に困ってたように思える。

 私はあの村の個人宅を覗いたわけじゃないけど、あのがらんどうの倉庫を見る限り、余剰なんて一つもないと思う。

 まあ、どっちが貧しく見えるかなんて、そんなことはどうでもいいんだけど。

 私は改めて部屋の中央に立つ、ひと組の夫婦を見る。

 痩せてはいるけど、折れそうなほど枯れてるわけじゃない。

 切り絵みたいな状態だから着てる服の良し悪しはちゃんと判らないけど、裾や袖がほつれてる様子もない。

 この家と同じように、貧しいのは貧しいと思うんだけど、生きるのに困窮するほどじゃないように見えるっていうか。

「……ねえ」

 静かな声が、黒と白の世界に響き渡る。

 ぞっとするほど冷たい声が誰のものか、理解するのに少しだけ時間がかかった。

「自分たちの生活の為に子供を売るって、どういう気持ち?」

 静かで冷たくて、胃を裏側から掴んでくるような怒りを秘めた、ヒールの声。

 私は今まで、彼女のこんな声を聞いたことがない。

 その怒りがこっちに向けられてないって判っていながら、それでも後ずさりたくなるような声を出せる人だなんて、思ったことがなかった。

 私が知ってるヒールはいつも朗らかで、優しくて、元気があって。

 いつだって明るくて、後ろ向きになりそうな気持ちを前へ前へと導いてくれるような、そんな人だ。

 だけど、それが彼女の全てじゃない。

 周りの空気が冷えて感じるくらい、びりびりとした怒りが伝わってくる。

 ……いや、ちょっと待って?

 本当になんか、肌寒くない?

「……売りたくなんて、なかったわ」

 少しだけ掠れた女性の細い声が耳に届いて、肌寒いとかなんとか気にしてる余裕がなくなった。

「育ててあげたかった。一緒にいてあげたかった。だけど、私たちにはそれだけの余裕がなかった」

 か細く震える声が、夫人の口から零れる。

 隣に立つ旦那さんが、彼女を労わるように肩を抱いた。

 その光景だけを見れば、致し方ない決断をした人を一方的に責め立ててるような、そんな気になる。

 だけど。

「そうね。最初の一人は、確かにただそう思ってたでしょうね」

 むせび泣く夫人の言葉を、ヒールは冷たく切って捨てた。

 そう。

 最初の一度は、きっと血を吐くような思いだっただろう。

 育てきれる余裕がないことを知っていながら、それでも授かった子を産む前に殺すという道を選べなったこの夫妻が、その子を手放すのは苦渋の決断だっただと思う。

「だけど、二人目以降はどう?」

 そう、二人は知ってしまった。

 子供を売ることで得られた金銭が、自分たちの生活を潤すことを。

 この寒村で日々を細々と過ごすことしかできなかった彼らにとって、何もしなくても一年を無事に生活できる程度の金銭は、あまりにも魅力的だったんだろう。

 生活水準っていうのは、一度上げてしまうと、下げるのは凄く難しい。

 ただ元に戻すだけだって理屈じゃ判ってるんだけど、何もかも理屈で片付くならこの世の犯罪の半分はないだろう。

「……」

 むせび泣くだけだった夫人が、ゆっくりと顔を上げる。

 彼女を支える旦那さんも、同じようにこっちを見た。

 真っ黒に塗り潰された、黒目も白目も瞳孔もない虚ろが、真っすぐにこっちを見てる。

 その違和感が、ぞくぞくと背筋を撫でた。

「もう一回訊くけど」

 はあ、と深い溜め息を吐いて、ヒールは言葉を続ける。

「ただ楽に生きたいから子供を産んでは売るのって、どんな気持ち?」

 ただただ低い、冷たい温度しか感じない、ヒールの声。

 声に含まれた怒気で背筋が寒く感じるっていうだけじゃなくて……これ、やっぱり周りの温度が下がってる?

「そうする以外に! どんな手があった!?」

 それまで無言を貫いていた旦那さんが、不意に叫んだ。

「この村は貧しい! ただ生活するだけで精一杯だ!!」

「売った先の子供の未来を考えたら! そんなこと言ってられるわけないでしょう!?」

 ヒールの一喝は、旦那さんの叫びを凌駕する想いが滲んでいた。

「生まれたばかりの赤ん坊を買うような奴が、その子をどう使うか! 想像しなかったわけじゃないでしょう!?」

 ヒールの叫びに、心臓がどくんと音をたてる。

 買われていった赤ん坊に、どんな未来が待ってるか。

 それは私も気掛かりで……だけど、心の何処かで知りたくないと思っていたこと。

 だって、もしも買われていった赤ん坊たちに、少しでも明るい未来があるのなら。

 その可能性が、ほんの僅かでもあるのなら。

 ヒールはこんなに怒らない。

「子供ができなかった裕福な家庭が、養子を望むことはあるわ。でも、そんな人たちが利用するのは、不法な人買いじゃなく正規の斡旋施設。ただ労働力が欲しいだけみたいな人は、育てる必要がある赤ん坊なんて買わない」

 大きな声を出してるわけじゃない。

 恫喝でも叫びでもないヒールの声は、それでも身を竦ませる何かを感じる。

 私には……私たちには、一度だって向けたことのない、ただひたすらに怒りだけを籠めた声だから。

「この寒村に、噂の一つも流れてないわけないでしょう? アイツらは、こういうところからしか仕入れをしないから」

 『仕入れ』という言葉が、あまりにも残酷に耳を刺す。

 買われた赤ん坊は商品なんだろうって、そう判ってたはずなのに。

「赤ん坊を買う奴らは、それを餌にするって」

 え、さ?

 えさって、餌?

 家畜とかペットとか、そういう存在にあげる食事のこと?

 いや、でも、人間の赤ん坊、でしょ?

 ヒールの言葉が受け入れきれなくて、私の視線はあちこちに惑う。

 揺れ動く視界に映る人たちは、誰一人、私みたいに困惑してはいなかった。

 真正面に見える、痩せた夫婦でさえも。

 彼らは身を強張らせてるように見えたけど、私みたいにヒールの言葉が理解しきれなくて困ってるっていう感じじゃなかった。

 表情がよく判らないから、正確じゃないかもしれないけど。

 私には、『悪いと知っていながら続けていた事を暴かれて、委縮している人たち』に見える。

「……こんなこと、アディに知って欲しくはなかったけど」

 ちらりと私を振り返ったヒールの顔は、怒りと申し訳なさが入り混じった、凄く複雑なものだった。

 ほんの一瞬、私と目を合わせたヒールは、すぐに正面に向き直る。

「だけど、こういうこともあるのがこの世界だから」

 私の知らない残酷な現実を、きっと沢山知ってるんだろう細い後ろ姿は、微かにさえ震えていない。

 それは陛下の近衛騎士として鍛えた強さなのか。

 それとも、下町っていう王様の統治が行き届いていない場所で育ったが故の強さなのか。

 どっちなのか、私には判らないけど。

 だけど、前の世界の醜さを体験としては憶えていない上に、こっちの世界では高貴な人たちに護られてぬくぬくと日々を過ごしてる私には、到底持ち得ない『強さ』がそこにあるって、肌で感じる。

「だから、言うね」

 何も言えない私に、ヒールは背を向けたまま、静かに続けた。

「この世界には、人を喰う魔物や魔素堕ちを、生きたままコレクションするのを楽しむような奴らが居るの」

 ただそれだけの言葉で、貧しい夫妻が産んでは売った赤ん坊たちの末路が、簡単に想像できた。

 できて、しまった。

「……そんな、ところには、売らないって……」

 か細い女性の声が、弱々しくヒールの言葉を否定しようとする。

「本気でそんな言葉を信じたわけじゃないんでしょう?」

 だけど、ヒールは容赦なくその言葉を否定した。

 夫人から、否定の言葉は返ってこない。

 そう、だろうね。

 判っていたんだ。

 自分が産んだ小さな命を買い取った人が、それをどう扱うのか。

 この世の何も知らない。

 ただ生まれただけの、無垢な命は。

 好事家の手に渡って。

 散らされるんだってことを。

「我が子の末路を知りながら、それでも売り続けて、挙句の果てに売るものができなくなったら自殺とか、本当に救えない」

 ぐ、と握り締めたヒールの手が、震えてる。

「子は宝だ! 親の宝だ!」

 旦那さんが叫ぶ言葉は、彼らの行動と随分矛盾していた。

「宝を売るも育てるも、所有者の自由だ!!」

 前言撤回、全然矛盾してなかった。

 最低の持論だ。

「あんたたちが救えないのは、自分たちが生きる為に子供を売ってしまったことじゃなくて、売る為に子供を作り続けたからよ」

 最初の一人は、売る為に子供を作ったんじゃなかったとしても。

 二人目以降は、間違いなく自分たちの生活を改善する為の道具として子供を作り、売っていた。

 そして、生きることの全てを、その行為そのものに依存した。

 それは……どうしたって、救えない。

 擁護の言葉は、一つだって浮かばない。

「王都の下町にはねえ! 子供の為に死んだ親が遺した子たちが数え切れないほど居るのよ!」

 抑えていた感情が弾けたみたいに、ヒールは鋭い声で叫んだ。

「みんな裕福なんて言えない生活してるけど! 少なくとも親の為に餌にされた子たちより倖せに生きてる!!」

「煩い煩い煩い!!」

 ヒールの叫びを切り裂くような、夫人の金切り声。

「お前たちに何が判る!?」

 耳の奥を不快に掻き毟る、歪な旦那さんの叫び。

 ああ、やっぱり話にならないんだな。

 影絵劇場の登場人物たちは、こっちの話を聞いてくれはしないんだろう。

 あの話の登場人物たちは、物語の中で全てが完結されてる。

 私たちの話を聞いて、改心したり反省したりはしない。

 成長も、変化もないんだ。

「私たちが! 親の私たちが!! ほんの少し倖せであろうとすることが!!」

 喉を掻き毟り、髪を振り乱しながら叫ぶ夫人の言葉が、多分、途中で途切れた。

 ここに来る前に立ち寄った二つの切り絵の世界でそうだったように、目の前の夫妻もぐにゃぐにゃと形を変え始めたから。

 人の形を失くしていく彼らの喉からは、掠れた唸りのようなものが聞こえてくるだけ。

 あの言葉の続きは、『それの何がいけないの!?』ってところだろうか。

 人が幸福を求めること、それそのもが悪いなんて誰も言わない。

 だけど、影絵物語の主役たちは、みんな『自分たちの倖せ』の為に誰かの命を踏みにじった。

「人を殺して得られるものを『些細な倖せ』なんて、滑稽ね」

 怒りを噛み締めているような声で言って、ヒールは静かに右手を水平に持ち上げる。

「その姿も、随分滑稽だけど」

 そう言ったヒールの声には、冷たい笑みが含まれてるような気がした。



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