4-11『瞋恚(しんに)の鶏』
第四章
第十一話『瞋恚の鶏』
ただ一人の男の我が儘で、妻に迎えられては捨てられた、五人の女性。
中にはあの男を想った人が居たのかもしれないけど、結局は一方的に放り出される形になった彼女たち。
あの影絵物語では語られなかった彼女たちの『その後』が、少しでも倖せなものであればいいと、そう思っていた。
彼女たちが本来はどんな立場で、離婚を経験した先がどんなものなのか、想像もできなかったけど。
それでも、あの男の妻として生きるよりは良かったと、死に際に思えるような生活をして欲しいと、そう思っていた。
その願いは、そんな御大層なものじゃない。
少なくとも、前の世界の常識を持った私は、些細なものだと感じる。
だけど、この世界では違っていた。
あの時、ヒールが無意識に強く私の手を握り締めて怒りを堪えていたのは、一方的に離縁された女性たちに、まともな未来がないと知っていたからだ。
離縁された女性たちが縛り首になるってところまでは予想してなかったかもしれないけど、笑って過ごせるような人生を歩むことはできないって、そう知っていたからだ。
今は優しく私を庇ってくれる手は、震えてすらいなかったけど。
「……今一度、申し上げます」
よく通る低い声で言って、ウェルバニーさんは右手を懐に入れたようだった。
真後ろから見てるからよく判らないんだけど、そこから何か取り出したのが見える。
獅子の手に握られてやけに小さく見える、黄金色の魔法石、かな?
現物は幾つか見せて貰ったことがあるけど、そもそも魔術とか魔素とかに馴染みのない私には、宝石と魔法石の差がよく判らない。
「貴方は……貴方のように地位のある方は、いつ如何なる時も、思考を放棄してはならない」
腹の底に響くような低い声には、明らかな怒りが籠められていた。
普段のウェルバニーさんは、獅子っていう雄々しい外見にしては落ち着いた静かな印象を受ける人だ。
いつも近くに居るサンシュが感情豊かで前のめりなせいもあるかもしれないけど、そうじゃなくても物静かで感情表現の振れ幅もあまりない印象だった。
だけど、今のウェルバニーさんは普段とはまるで違う。
低い声から響いてくる、あからさまな怒りと嫌悪感。
考えることをやめるなと強く責める音はこっちに向けられてるわけでもないのに、胃が縮まるような気がした。
「貴様は、我が主を侮辱しているに等しい」
低く、低く唸るように言って、ウェルバニーさんは取り出した魔法石みたいなものを握り締める。
バキ! と乾いた音をたてて、強く握られた石が砕けた。
その途端、彼の右手に大きな斧が現れる。
大柄なウェルバニーさんの身長に近いくらいの、巨大な片刃の戦斧だ。
装飾がほとんどない武骨なそれは、何よりも実用性を優先してるようにも思える。
「わぁ、たしにぃ……!」
切り絵の男の声が、ぐにゃりと歪んだ。
「はく、しゃくたるぅ、この、わたぁ、しにい……!」
声が歪んだ原因は、身体そのものが歪み出したから。
黒と白だけで構成された男の輪郭がぐにゃぐにゃと歪み、別の形に変化していく。
顔も胴も足も境目のない、ぞろぞろと長い姿。
蛇、だ。
見上げるほどに大きなそれは、大蛇なんて言葉でも表現しきれないくらいのサイズ感だけど、前の異界で見た巨大カイゼルよりはずっと小さい。
もっとも、私一人だったら戦って勝つどころか、逃げることも簡単にはできないだろうけど。
「シャアアアアアッ!!」
大きく鎌首をもたげた蛇が開けた虚ろな口から、鳴き声みたいな高い音が響き渡る。
「貴様が伯爵であったのは! その血に跡継ぎとして生まれたからだけだろうがっ!」
腹の底に響く声で言い放って、ウェルバニーさんは大きく戦斧をぐるりと回した。
重いものが空気を裂く音が、やけに耳に付く。
「真に長足り得る者ならばっ! どのように常識から外れた枷があろうともっ! 周囲を制するだけの力と覚悟を持っているっ!!」
戦斧を構えた状態で、ウェルバニーさんが大きく足を踏み出した。
「貴様にはそれがないっ!!」
腹の奥底から放たれた、それは咆哮。
同時に繰り出された巨大な戦斧が、鋭い弧を描く。
切り絵の世界で、その銀色の閃光は目に焼き付くほどの強さがあった。
その光に見惚れる暇もなく、ざんっ! と小気味のいい音がして、蛇の首が刎ね飛ばされる。
それが地面に向けて落下するより先に、巨大な戦斧が下から上へと繰り出された。
跳ね上げられた先で、蛇の頭が二つに割れる。
切り絵みたいな蛇からは、やっぱり血の一滴も流れる様子はない。
よくできた切り絵を千切ったようなその光景は、豚になった夫人をサンシュが倒したときと同じように、現実味が一つもなかった。
「長子以外が爵位を継げぬ世であったのなら、それを覆すほどの何も持ち得なかったのであれば、誰を不幸にするより前に、貴様が死ねば良かっただけではないか」
散り散りに消えていく蛇を真っすぐに見据えながら、ウェルバニーさんは低い声でそう告げる。
それは、乱暴な理論かもしれない。
だけど、今でもまだ窓の向こうに見える五人の女性を目の前に、ウェルバニーさんを責める気にはなれなかった。
巨大な戦斧を持ったウェルバニーさんが、くるりとこっちに向き直る。
その眼光は普段よりもずっと強く鋭くて、未だに収まらない怒りをありありと感じ取れた。
「よくやった」
そんなウェルバニーさんに気軽く近付いて、サンシュはぽん、と肩を叩く。
ウェルバニーさんは一度ゆっくりと目を閉じ、しっかりと開けた。
「恐悦至極」
ふ、と微笑んだウェルバニーさんは、私が知ってるいつも通りの彼だった。
静かで穏やかで、だけど自分の主であるサンシュを平気でからかうような茶目っ気もある、いつものウェルバニーさんだ。
知らず入っていた肩の力が抜けるのを感じる。
今までずっと肩を抱いてくれていたヒールの手が、静かに離れていった。
「あ、あの……」
なんて声を掛ければいいのか判らなくて、でも何か言わなきゃいけない気がして。
喉の奥に声が張り付いたような私に、ウェルバニーさんは小さな苦笑を浮かべる。
「怖がらせてしまいましたか?」
困ったような声に、私は反射でぶんぶんと首を振った。
巨大な戦斧のひと振りで、見上げるほど大きな蛇の首を落としたことも。
乱暴と言えばこれ以上ないくらいの暴論で、『人を殺す前にお前が死ぬべきだった』と言い放ったことも。
怖くはない。
怖いとは思わない。
だって、あの男と同じように子供を作ることができないサンシュの、一番近くに居る人が導き出した言葉だ。
サンシュの葛藤さえ正しくは理解できていない私だって、『お前よりも立場が重いはずのサンシュに比べて、この結論はおかしい』って思ったんだから、それを否定する気は全然ない。
「えっと、そうじゃなくて……その……」
ああ、ダメだ。
サンシュが背負う苦悩も、それをすぐ傍で支え続ける人の想いも、ちゃんと理解できてない私が何を言えるんだって、そう思う。
そう思うのに、掛けてしまった言葉をなかったことにすることはできない。
「あ~、えっと、あの、その斧ってどうやって出したんですか?」
何か言わないと、と悩んだ挙句、出てきた言葉はそんなものだった。
あ~あ~あ~、ウェルバニーさんもきょとんとしてるよ~。
そりゃそうだ、この状況で斧の出し方とか訊いてる場合かって話だよ。
「ふふ……成る程、気になりますよね」
小さく微笑ってウェルバニーさんは何度か頷いた。
だけどすぐに、その穏やかな微笑が苦笑に変わる。
「お話は、ここを離れてからにしましょうか」
そう言って、ウェルバニーさんはちらりと後ろを振り返った。
その視線を追って、う、と喉の奥に息が詰まる。
あの男はもう居ないけど、大きな窓の向こうには、まだ五人の女性が見えてるんだった。
「こうだったか?」
両手を合わせて、サンシュは私に微笑う。
今回は私の遣り方に合わせてくれてるのは、きっと彼なりの優しさというか気遣いなんだろう。
言葉に詰まって変なこと言い出した私をフォローしてくれてるんだと思う。
「うん」
彼の笑顔にいつもの快活さはなかったけど、心配はしなくても良さそうだ。
私は一つ頷いてから、五人の人影に向かって手を合わせる。
なんていうか、首を吊った状態でぶら下がったままの人たちに合掌するっていうのも、変な感じだな。
せめて身体を下ろしてあげたいけど、何処から吊られているかも判らない。
この奇妙な切り絵の世界で背景みたいになってる彼女たちに触れることができるのかも、外に出て彼女たちのところに辿り着けるのかも怪しいものだ。
少しの間手を合わせて、私は顔を上げる。
意識しないうちに、軽く目を閉じてたんだな。
ふと周りに視線を向けてみたら、みんな真っすぐに窓の外を見ていた。
みんなそれぞれ、悲しんでるのと憐れんでるの中間みたいな、複雑な目をしてる。
でも、すぐに私が見てることに気付いたのか、みんながこっちに振り返った。
いや、視線を感じる神経、えぐくない?
「出ようか?」
「あ、うん」
一番近くに居たヒールに促されて、私はすぐに頷いた。
これ以上ここでできることがないなら、すぐにでも離れたいと思うくらい、この部屋の居心地は最悪だ。
富める夫人の部屋だって居心地は悪かったけど。
あの影絵物語を見終わったときと同じような後味の悪さが、べったりと喉の奥に貼り付いてるみたいだ。
ヒールに促されて大きな扉から出た先は、舞台裏の通路だった。
さっきまで切り絵の世界に居たから、薄暗い石造りの通路とはいえ色があることに少しだけ目が驚く。
「ったく、相変わらずなんでもありだな」
呆れたように小さく笑って、サンシュが肩を竦めた。
富める夫人の部屋から出たときもそうだったけど、色々ショートカットしてるよねえ。
「さて、こちらの武器ですが」
ふと頭上が陰って、静かなウェルバニーさんの声が聞こえた。
見上げればすぐ傍にウェルバニーさんが立っていて、その右手には巨大な戦斧が握られている。
改めて近くで見ると、本当に大きいな。
ウェルバニーさん自身がかなり大柄だから、彼が持ってるとサイズ感が狂うんだけど、隣に並ぶとその大きさと重厚感にかなりの圧力を感じる。
「魔法石の一種で、中に物を納めておくものがありまして」
ああ、成る程。
あの時砕いてたのは、やっぱり魔法石だったんだ。
私にしてみれば、魔法石や魔術も、かなり『なんでもあり』なんだよねえ。
「そうだったんですね。でも、使い捨てだとちょっと大変そうですね」
この大きな斧が手の平サイズまで小さくなるのは凄く便利だと思うけど、取り出す度に砕かなきゃいけないとなると結構数が必要になってこない?
魔法石は基本的に高価なものだって聞いてるから、使い捨てだとかなりお金がかかりそうだ。
そう思って首を傾げたら、ウェルバニーさんはつい、と私から視線を外した。
私にしてみたらかなり高い位置にある横顔は、なんだか居心地が悪そうというか、ばつが悪そうというか。
「いえ、本来はそういうものではない、と申しますか……」
「?」
珍しく歯切れの悪い言い方のウェルバニーさんに、私は目を瞬かせる。
「だははっ!! 収納の魔石は、普通割らねえよ!」
変な空気を豪快な笑い声でぶち壊したのはサンシュだ。
え? 普通は、割らない?
「その……私も修業が足りないもので」
きょとんとした私の視線の先で、ウェルバニーさんは斜め下を見ながらもにょもにょとそう言った。
心なしか、顔が赤くなっているような気もする。
普段がきりっとしてかっこいい分、このギャップはびっくりだけど、なんか可愛い気もする。
「だははははは!」
そんなウェルバニーさんを見ながら、サンシュは大口を開けて笑ってる。
ヒールはちょっと困ったような顔をしてるけど、サンシュを止める様子はなかった。
え、ええっと、ウェルバニーさんが収納の魔石を割ってしまったのは、自分の主と似た状況のあの伯爵が、あまりにも愚かな主張を押し通してるのを目の前にしたからだ。
思考を放棄し、原因を突き止めることも認めることも諦め、罪もない女性の生活どころか命まで奪いながら、それでも貴族として正しいことをしていると主張する男を、許せなかったからだ。
普段は冷静で穏やかな彼が、硬い魔石を握り潰すくらいの怒りを湧きたたせるくらいに、あの男は愚かだった。
「修業が足りてる人なんて、居ないんじゃないですか?」
「はい?」
よっぽど私の言葉が意外だったんだろう、ウェルバニーさんは目を丸くして私を見た。
馬鹿笑いをしてたサンシュも、困り顔だったヒールも、きょとんとした目で私を見てる。
「いや、あの、なんの修業もしてない私が言うのもなんなんですけど」
みんなの視線にたじろぎそうになりながら、私は頬を掻いた。
「修業らしい修業をしてない人は、そりゃそれ自体が足りないでしょうし。どんなことでも、高みに行けば行っただけ、上には上が居ることを知って、修業が足りないって思うんじゃないですかね?」
ああもう、私って語彙力ないなあ!
もう少し巧い言い方もあるだろうに、こんな風にしか言えないとか、ちょっと情けない。
でも、そういうもんじゃないかなって思うんだよ。
武道でもスポーツでも知識でも、どんな分野でも突き詰めていくと更に上の人が居るものでさ。
例え『当代一』と呼ばれる立場になっても、過去や未来には自分を越える人が居るわけでさ。
そういうことを知ってる人たちは、名声を得ても謙虚で思慮深い。
「ぶはっ!」
私の言葉を聞いて、サンシュが思い切り吹き出した。
「あははははっ! そりゃそうだ!! 俺だっていつまで経っても親父にゃ敵わねえだろうしな!」
サンシュのお父さんって、どういう人なんだろう?
順当に行けば元老院を勤めてらっしゃるんだと思うんだけど、会える機会があるならちょっと見てみたい気もする。
その機会があれば他の方々の親御さんにも会えると思うんだけど……ヒイラギさんだけはおじいさんになるのかもだけど……うん、なんかちょっと怖いけど、見てみたい。
「貴方はなかなか面白い考え方をなさる」
「え? そうですかね?」
ウェルバニーさんに言われて、私は首を傾げた。
自分ではそんなに面白いこと考えてるとは思ったことないんだけど。
「うちの子はいい子なんです!」
「え、えええ!?」
どや、って感じで胸を張るヒールに、なんて言えばいいのか判らない。
いい子だ、とヒールやマダムは言ってくれるけど。
そういえばファービリアさんにも言われたっけか?
「そうですね」
ウェルバニーさんはヒールの言葉に頷いて、ぽん、と私の頭に手を置いた。
視界が一瞬、白黒に染まる。
「きっと、良い環境で過ごされたのでしょう」
頭を撫でてくれる肉球の感触が、なんかもにもにして気持ちいい。
思わず目を細めて見上げたウェルバニーさんの顔は、なんていうか、弟妹を可愛がる長男の顔だった。
続




