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創り人の箱庭  作者: サボ
第四章
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4-9『愚痴の豚』

第四章

第九話『愚痴の豚』



 細く、細く吐き出される息の音がする。

 それは切り絵みたいな夫人が、ぽっかりとうろのように開けた口から零れる音だ。

「……な、にが」

 冷たく硬質な女性の声が、歪な音を紡ぐ。

「なぁ、に、が、わかる、と、いう、の……!?」

 不自然な場所で、ぶつりぶつりと途切れる言葉。

 白と黒の線で形作られた夫人の身体が、ぶるぶると震える。

「お前にっ!!」

 色の少ない空間を切り裂くような絶叫が響いた。

「お前にっ! 何がっ!! 判ると言うの!!??」

 空間そのものを引き裂くようなヒステリックな声で叫びながら、夫人は髪を掻き毟る。

 白と黒だけで構成された、温度そのものを感じさせない姿なのに、その様子はこっちが怖気付きそうになるほど鬼気迫るものを感じた。

 それでも真っすぐに立っていられるのは、真正面で夫人の狂気を受け止めてくれるサンシュが居て。

 更に庇うような位置にヒールが居て、背中はウェルバニーさんが護ってくれてるから。

 みんなが居てくれるから真っすぐに保てた視線の先で、夫人の身体が急激に膨らんでいく。

「判ってたまるかっつの」

 異常なその光景を前に、サンシュは吐き捨てる。

 持ち上げた右手から、ばきりと不穏な音がして、鋭い爪が伸びた。

 私を撫でてくれる優しい温度も、ふにふにして心地好い肉球の感触も、もふもふの毛皮も、その手からは想像もできない。

 誰かを包み込む為のものでも、慈しむ為のものでもない。

 明らかに誰かを……敵と見做したものを害する為の武器だ。

 いつもは優しくて温かい、理想的な『兄』を連想させるばかりの手なのに、今は確かな武器にしか見えない。

 リクと試合してたときもそうだったけど、サンシュは剣や槍みたいな鉄の武器を使わない。

 彼が戦う手段として使うのは、自分の身体だけだ。

 リクみたいな大剣、クレアさんみたいな細剣、ファービリアさんみたいな魔法。

 そのどれも使わず、鍛え抜かれた身体だけで前線に立つ。

 それが、『那由多の剛』を授かった、サンシュの戦い方だ。

「てめえの気持ちが判っちまったら、俺だって同じことやる羽目になるだろうが」

 不機嫌に吐き捨てたサンシュの言葉に、胸の奥がずきりと痛んだ。

 この異界に来て見た影絵劇場は、三話ともに共通してる部分がある。

 事情はそれぞれ違っても、自分の血を後世に残せないっていう点。

 最後の一話だけは少し状況が違うけど、貧しい村から買い上げられた赤ん坊が、真っ当な人生を送れたとは思えない。

 血を残せないのは、『種の根絶』なんて『呪い』を授かってしまったサンシュも同じだ。

「俺は、てめえとは違う。残せねえなら奪うなんてことも、残せねえことを呪うなんてこともしねえ」

 例え事情は同じでも、導き出した答えは違う。

 判っていたことだけど、違うと断言して貰えて、ほっとした。

 私はサンシュクリットという人のほんの一面しか知らないんだろうけど、それでもあの夫人と同じ答えを出すなんて思えない。

 その想像が間違ってなくて、安堵したっていうか、嬉しかった。

「ああ、あああ、あああああ!!」

 サンシュの言葉を聞いてるのか、聞こえてないのか。

 富める夫人は喉を引き裂くような絶叫を上げる。

 その身体は縦にも横にも膨らんで、大柄なサンシュと比べても二倍くらいになった。

 纏っていたドレスは跡形もなく弾け飛んで、顔の形もごつごつとした豚みたいなものに変わる。 

 い、いやこれ、何!?

 前の異界でも魔素堕ちに遭ったけど、それとは明らかに違う。

 切り絵みたいな状態だったとはいえ、富める夫人は確かに人だった。

 少なくとも、会話ができる知性を持った、人型の種族だった。

 それがこんな風に形を変えるなんて、幾らなんでも異常事態に過ぎる。

 だけど。

「さっすが異界、なんでもアリだな」

 そう呟いたサンシュの声には、笑みが滲んでいた。

 それはいつも通り快活で、場違いといえばこれ以上のものはないと思うのに、何故かほっとする。

 こういうところ、やっぱりファービリアさんと同じだな。

 種族は違っても、上に立つべくして立ってる人って、きっとみんな同じなんだろう。

 ……ヒイラギさんは予想できるけど、クイニークさんは微妙に想像できないってところは、今はちょっと目を瞑る。

「ま、俺も大概、なんでもアリだけどな」

 そう呟いたかと思った直後、サンシュの姿が掻き消えた。

 え、と視線を彷徨わせれば、ごっつい豚みたいな形に変化した富める夫人の頭上に、サンシュの背中がある。

 瞬き一つの時間でこの距離を移動するのも、自分の身長の倍くらい上まで跳躍するのも、私の常識じゃ有り得ない動きだ。

 前の異界でリクやクレアさんが見せた動きより、もっと速い。

「っらあ!!」

 大きく叫んで、サンシュが拳を大豚夫人の脳天に叩き込んだ。

「ひ、ぎ……!」

 大豚夫人の悲鳴は、途中で止まる。

 サンシュの拳が入った脳天から真下に裂け目が走って、口や喉も割ったから。

 前の異界で見た大ムカデと比べれば小さいけど、それでも自分より倍以上大きい相手を、拳の一撃だけで割り裂くなんて、凄いを通り越して意味が判らない。

 唖然として見守る先で、大豚夫人が真っ二つに裂けた。

 拳の一撃だけで、だ。

 真ん中から裂けた身体からは、血の一滴も零れない。

 まるで、本当に切り絵を裂いたみたいな、現実味のない光景だった。

「ここに来たのが俺だったのが、てめえの運の尽きだ」

 身軽く着地したサンシュは、に、と大きく笑みを浮かべる。

「俺たち獣人族は寿命がみじけえからな。聞くだけムダなてめえの戯言なんざ、全部聞いちゃいられねえんだよ」

 ぐ、と握り締めた拳には、もうあの鋭い爪は見当たらない。

 頭のてっぺんから裂けた大豚夫人は、末期の声さえ上げることなく、千々に千切れて消えていく。

「獣人族の全てをそのように言われるのは、少々心外ですね」

「空気読めよお前は!」

 はあ、と溜め息を吐いたウェルバニーさんに叫ぶサンシュの声は、この異常な状況を全く感じさせない、実にいつも通りのものだった。

「いつも通りねえ」

「う、うん……」

 くすくす微笑わらうヒールの言葉に頷いてから、改めて辺りを見回す。

 大豚に変わった夫人の姿は、もう何処にも見えない。

 空っぽの子供部屋に、私たち以外に動くものの気配もなかった。

 ぐるっと見回した視線が、最後に小さなベッドに辿り着く。

 ここからじゃ何が見えるわけでもないけど。

 生まれた瞬間から理不尽に翻弄されて、ただ歳を取るっていう当たり前のことさえできなかった小さな命の名残が、そこにあるのかもしれない。

 自分で自分の身を護ることさえ覚束ない私は、みんなから離れてあの小さなベッドを覗きに行くなんてしちゃいけないことだって、判ってる。

 だから私は、ベッドのほうに両手を合わせて軽く目を閉じた。

 ここは現実じゃなくて、私が手を合わせてる先はただの虚空かもしれないけど。

 そもそもこうして手を合わせる行為は、亡くなった人の為というより祈るほうの為だと思うから、これでもいいんじゃないかな。

「……それ、お前の世界の弔いか?」

「え?」

 不意に背後からサンシュの声が聞こえて、目を開ける。

 振り返るまでもなく、サンシュは静かに私の隣に並んだ。

「えっと、そうだね」

 自然と出て来たこの行動を、元の世界で何度もやっていたのかは判らない。

 だけど、これが人を弔うときにする行動だってことは判る。

 相変わらず、我ながら不思議というか、奇妙というか。

「地域によって色々あるみたいだけど、私が住んでたところで一般的だったのはこういう形、なんだと思う」

 曖昧な言い方になってしまうのが申し訳ないような気になって、苦笑が浮かぶ。

「そうか」

 小さく笑って、サンシュは正面を向いた。

 彼は背筋を伸ばして真っすぐに立ち、軽く握った右の拳をとん、と胸に当てる。

 左手は、同じく軽く握って、腰に当てていた。

 気付けば、ウェルバニーさんやヒールも、同じ姿勢でベッドのほうを見てる。

 その姿勢は、今までにも見たことがあるものだ。

 私に付いてくれてる騎士たちが、偉い御仁の前でする……ルーディアさん曰く、敬意を表するもの、だったかな。

 基本的には『戦うことを主とする人』が取る礼だから、私がすることはないだろうって言ってたっけ。

 ということは、この世界には人を弔う為だけの礼がないってことだろうか?

「……さてと」

 少しの間その礼を続けていたサンシュが、静かに呟く。

「次、行くか」

「あ、うん」

 小さく微笑わらうサンシュの言葉に、はっとして頷いた。

 普通なら部屋の隅々まで検分していくもんじゃないかと思うんだけど、サンシュが『次に行こう』って言うなら、きっと此処には、もう何もない。

 調べたことがいいことがあるならウェルバニーさんが止めると思うんだけど、それもないし。

「あ、そういえば一つ訊いてもいい?」

「うん?」

 部屋を出ようと踵を返しながらサンシュを見上げる。

「この世界だと、人を弔うときにどんなことを祈ってるの?」

「あ?」

 首を傾げたら、サンシュにも同じように首を傾げられてしまった。

 い、いや、何か物凄く気になって訊いたわけじゃないんだけどさ。

 私の中にある記録だと、国……っていうか支持してる宗教によって、亡くなった人を送り出すときの気持ちも違うものだ。

 生まれ変わりがあるとかないとか、そういうとこでも違うと思うし。

「祈るっつーか、『俺はお前を憶えてる』だろ?」

「はい?」

 だろ? って言われても……まあ、そう考える人も居るとは思うけど、それ一択っていうことはなくない?

「憶えてる奴が誰も居なくなったら、本当に消えちまうからな」

 続けられた言葉に、少しだけ違和感を覚える。

 確かに『貴方は私の心の中で生きてるから』とかいう言葉はあるけど、それとも少し違うような……?

 あ、そういえば、ちょっと気になったけど確認してなかったことがあったっけ。

「あのさ、この世界の神様って、どんな感じ?」

「はあ? かみ、さま?」

 この世界に来てから、神官さんとか巫女さんに会ったことがなかったんだって思い出して訊いてみたら、サンシュは目を丸くした。

「なんだその、カミサマってのは?」

「え、ええ……!?」

 神様とはどういうものか、って改めて訊かれると、解説が難しい。

「え、ええっと……この世界を作った人っていうか、人知を超えた存在っていうか、全知全能っていうか……」

 うわあ、我ながらなんとも言えない説明だなあ。

 もう少し語彙力ってものがあれば、概念でしかない『神様』って存在をちゃんと伝えられただろうに。

 たどたどしい私の説明を聞いたサンシュは、首を傾げてからちらりとウェルバニーさんを見た。

 ウェルバニーさんも、隣に並んでるヒールも、静かに首を振る。

 私の説明が悪かったことを差し引いても、この反応は本当に『神様』っていう概念も存在も、この世界にはないってこと?

 そんなこと、有り得る、かな?

 いや、魔法とか精霊とかが当たり前に存在してるのがこの世界だ、そういうことも有り得るのかもしれない。

 ファービリアさんやヒイラギさんみたいに頭が良かったら、もっと色々考察できたんだろうけど。

 私には、ただ『そういうこともあるのかもしれない』ってくらいにしか、想像することができなかった。



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