4-8『一話目との対面』
第四章
第八話『一話目との対面』
石造りの通路の途中にあった、木製のドア。
それを開けたのはサンシュで、最初にそこを通ったのも彼だった。
立場のある人なんだから、本当はそういうことしないほうがいいんだろうけど、そこは『サンシュだから』ってところだろうか。
とにかく、歩いてたのと同じ順番で入ったドアの先は、楽屋らしい小部屋でも、大道具をしまっておくような倉庫でもなかった。
というか、屋内ですらない。
ドアの先は暗かったけど、今までの閉ざされた暗さとは少し違った。
上を見ると満天の星空がある。
ここが何処かは判らないけど、夜の屋外だってことだけは確かだ。
確かなんだけど……なんか、変な違和感があるような気がする。
「ははあ、流石異界ってとこだなあ」
最初にドアをくぐったサンシュが、腕を組んで感心したような声で言う。
「ドア一つでこれだけころころ場所が変わるなんざ、転移の魔術大放出ってとこだな」
「ですが、魔術の気配はしませんでした」
独り言みたいなサンシュの言葉に、ヒールが緩く首を振った。
未だに魔法石だの魔術だのに馴染みの薄い私や、魔術師としての素質がないサンシュには判らなかったけど、あのドアには何の小細工もされてなかったらしい。
冷静に考えて、それはあまりにも不思議なことだけど。
どんな不思議も、ここが異界だからってひと言で片付けられてしまう。
まあ、そうやって片付けないと、脳の処理が追い付かないっていうか、先に進むことなんてできないっていうか。
その気持ちは、他の誰よりも私自身がよく判った。
なんせ私、あの大樹の枝で起きた時から、同じように『意味不明なものは全部異世界だから』で済ませてきたからな。
生まれ育った場所とは違う現象を受け流すことに関してだけは、他の誰より慣れてると思う。
記憶自体はないんだけどさ。
威張れることでもないんだけどさ。
「……サンシュ様」
「うん?」
ウェルバニーさんに呼ばれたサンシュが、喉の奥を鳴らすようにして首を傾げる。
「あちらを」
ウェルバニーさんに促されて、私たちも彼の視線の先を追った。
その先には、大きなお屋敷と、それに比べれば掘っ立て小屋みたいなあばら家が並んで建っている。
その他には建物らしきものの見当たらないこの景色は、あまりにも現実離れし過ぎていた。
だけど、この光景を、私たちはついさっき見たばかりだ。
こんなにもはっきりと現実味を持ったものじゃなく、白と黒だけで構成された、影絵の世界で。
「……ちっ!」
微かに鼻をひくつかせてから、サンシュが鋭く舌打ちをする。
ここがあの影絵劇場の第一話で出て来た場所を連想させるからってだけじゃない、明らかな嫌悪感を孕んだものだった。
「お前ら、あっちに行くぞ」
「え?」
迷わず大きな屋敷を顎でしゃくったサンシュに、私は小さく首を傾げる。
目の前に二つ、探索の対象があったとして、明らかに短い時間で済みそうなほうを避ける理由がよく判らない。
「あっちは誰も……生きてる奴は、誰も居ねえ。終わったあとだ」
嫌そうな声が続けた言葉に、はっとする。
終わったあと。
その言葉が何を意味するのか判って、ぞくりと背筋が震えた。
何が『終わったあと』なのか。
それを想像するのは簡単だったから。
それに、サンシュが言った言葉の意味を考えると、余計にぞっとした。
『生きてる奴は誰も居ない』。
それはつまり、生きていない人はまだそこに居るってこと。
そうじゃなけりゃ、『あそこには誰も居ない』って言うだろう。
他の種族よりも利く鼻で嗅ぎ分けたのは、多分、死臭だ。
「……うん、判った」
余計なことは何も訊かず、私はただ頷いた。
ヒールやウェルバニーさんは、何かを口に出すまでもなく心得てるみたいだ。
自分の不甲斐なさに恥じればいいのか、周りの優秀さに感動すればいいのか、よく判らなくなる。
「おう」
複雑な心境の私に、サンシュはにかっと笑ってくれた。
屈託のないその顔を見ると、いつもほっと息が抜ける。
顔の形が人とは違っても、裏表のない笑顔を向けられると、こっちの心もふわりと解ける気がした。
まあ、ここでふわりと解けたところで、目の前の現実が変わるわけじゃないんだけど。
*
暗い夜、それも少し離れた場所からだと、屋敷も小屋もよく見えてなかった。
ヒールが出してくれてる灯りもあるし、近付けばもっとよく判ると思ってたんだけど、その当たり前の予想は少しだけ裏切られた。
近付けば、屋敷の形や扉に施された細かな装飾を見ることはできたけど、それらに色はほとんどない。
くっきりとした白と黒で塗り潰されたっていうか、白と黒の紙を切り貼りしたような雰囲気だ。
暗くて見えにくいっていうなら、少なくとも濃淡のある黒になると思うんだけど、ここは違う。
さっきまで見てたのは影絵だけど、これはなんていうか、切り絵?
どちらにせよ、現実離れした建物だった。
空を見上げた時に妙な違和感を覚えたのは、星空さえ切り絵みたいな感じで表現されていたからだ。
「入るぞ」
私一人だったら入るのはおろか、近付くのも躊躇しただろう目の前の屋敷に、サンシュはずんずんと入っていく。
慌ててそのあとを追って中に入ってみたけど、そこもやっぱり切り絵みたいな景色だった。
踏み出す足に伝わる感触はタイルみたいに硬く整えられたものだけど、視線を下に落としても広がるのは漆黒と、タイルの継ぎ目の白い線だけ。
辺りを見回せば目に入る幾つかのドアや絵画も、どれも漆黒と純白ばかり。
切り絵の世界に迷い込んだような不思議な感覚は、あまりにも現実離れしていた。
これがもし、こんなに不穏な場所でなければ、もうちょっと感動してたかもしれない。
それにしても、この足元から伝わる感触……なんていうか、王宮の廊下とちょっと違うな気がする。
なんていうか、王宮のほうが滑らか?
いや、靴履いて歩いてるんだから、滑らかとかなんとか感じるのも変な話かもしれないけど。
でも、なんかそんな風に感じる。
これはもしかして、質の差、ってやつなんだろうか。
この世界で唯一、王が住まう場所があの王宮だ。
他のどんな貴族邸と比べても見劣りするわけのない場所だ、大きいとはいえただの屋敷と比較するのもおかしな話か。
「……」
ふと、先頭を歩くサンシュの足が止まった。
あとに続いていた私たちも、当然ながら立ち止まる。
サンシュの向こうに見えるのは、一つのドアだ。
「……居るぞ」
ぼそりと呟かれた、短い言葉。
誰が、なんて、訊くまでもない。
この状況で『ここに居る』と言われて、思い当たるのは一人だけ。
影絵劇場の第一話。
そこに出て来た、『富める夫人』だ。
あの短い物語を、白と黒だけで構成されたはずの場面を、鮮血で染め上げた人。
その人が、あのドアの向こうに居るらしい。
「開けるぞ?」
「う、うん」
重ねて言われて、私は小さく頷いた。
この場でサンシュがこういう確認を取りたい相手なんて、私しか居ないだろう。
ヒールやウェルバニーさんだけだったら、きっと何も言わずに、もう開けてた。
私の反応を見てから改めてドアに手を掛けるサンシュの後ろ姿を見ながら、私は軽く手を握り締める。
静かに開く黒いドアの向こうには、やっぱり切り絵みたいな景色が広がっていた。
部屋の奥には小さなベッド。
辺りには子供用のおもちゃだろうものや、本みたいなものが沢山ある。
並べられた家具も調度品もおもちゃも、壁紙の模様に至るまで、全部黒と白だけで作り上げられた部屋に、一人の女性が立っている。
大きな花の刺繍が施された見事なドレスよりも、細く繊細に伸びる髪の一筋よりも、白い肌にぽっかりと開いた黒い穴みたいな両目が印象的だ。
いや、印象的っていうか……なんか、ぞくっとする。
私自身、目は黒いし、ヒイラギさんやサイゾウさんも黒いんだけど、目の前の女性はそういう黒さじゃない。
普通は白いはずの部分まで全部黒でのっぺりと埋め尽くされたその目は、底のない虚のようでなんとも言えない恐怖を覚える。
顔立ちは整ってると思うのに……いや、整ってるからこそ、余計に怖いのかもしれない。
「よう」
広い部屋に立ち尽くし、入ってきた私たちを真っすぐに見ているその女性に、サンシュは軽く手を挙げてそんな声を掛けた。
その声には恐怖も怒りもなくて、道端で知り合いに会ったときみたいな気軽さだ。
音もなく、ヒールが少しだけ前に出る。
正面から何が来ても、すぐに私を庇えるように。
後ろのウェルバニーさんは動かない。
この状況で、一番安全なのは私だ。
だから、怯える必要はない。
「……ぁあ……」
夫人の口がぽかん、と大きく開き、生気のない声が聞こえても、震える必要はない。
大丈夫だと、自分に強く言い聞かせる。
「あぁ、ああぁ……」
その声は、影絵劇場でナレーションをしてた人とは違っていた。
何処までも硬質で、冷たくて、だけどひたすらに嘆きを感じる、そんな声だ。
胃の底を冷たい手で撫でられたような、表現し難い嫌な気分を誘うものだけど、ぐっと足に力を籠めてその場に留まる。
意識してそうしないと、足が勝手に後ろに下がりそうだ。
「私の……私の子が、死んで、しまったの……」
子供を授からなかった『富める夫人』が、最後に我が子として認識したのは、他人が産んだ子供だった。
それをあまりにも凄惨な方法で手に入れて、だけど一年もしないうちに失った。
望んでも望んでも授からなかったものを他者から奪い、すぐに失った、それが富める夫人の物語。
彼女がその後、どうなったかまでは、影絵物語では語られなかったっけ。
「アホか」
はあ、と一つ息を吐いて、サンシュはさらっとそんなことを言った。
「それはてめえの子じゃねえ」
誰もが思っていたこと、そのものをずばりと言い切って、サンシュは部屋の奥に視線を向けた。
私にはよく見えないけど、あの小さなベッドには、亡くなった子供が寝てるのかもしれない。
「良かったな。その子供が、まともに言葉も環境も理解できねえうちに死んでよ」
一つの命が、自我を持つより前に消えてしまうことなんて、普通に考えたらとても『いいこと』じゃない。
だけど、サンシュはきっと、笑ってその言葉を紡いだ。
後ろ姿しか見えないけど。
付き合いだって長いとは言えないし、共有してる時間も護衛の騎士三人と比べれば短いけど。
だけど、サンシュは今、人を見下すような顔をして笑ってるって、そう判った。
「どんだけの圧力を周りに掛けようが、どんだけ子供を箱の中で育てようが、てめえがやったことは絶対に子供に伝わる。てめえが、実の両親も家族も全部殺したって事実は、どれだけ時間が経っても色褪せやしねえんだよ」
消えない傷。
消えない痕。
例え百人中九十九人が口を閉ざしても、残りの一人が真実を語る。
人が集まる場所なんて、そんなものだろう。
実の両親や兄、姉を憶えていなくても、その事実を知った子は、きっとそれに耐えることはできない。
家族のことはおろか、自分のことさえ記憶にない私だって、『家族を皆殺しにしてお前をここに喚んだんだ』って言われてしまったら。
それが真実だと、私が信じたら。
私を優しく包んでくれるみんなのことを、それまでと同じように受け入れることはできない。
「一番苦しむのはその子供だ。狂ったてめえじゃねえ。狂気を許した旦那でもねえ。狂った主に仕える使用人でもねえ。子供だ」
低い、低いサンシュの声に、心の何処かが安堵した。
こんな声でこんなことを言える人が、私の家族を皆殺しにしてるわけがない。
そんな場合じゃないって判ってるのに、足が震えそうになるくらいの有り得ない想像を、怒りの籠ったサンシュの声が全部否定してくれたみたいで。
「てめえの業は、赦されるもんじゃねえ」
真っすぐに告げられる断罪の言葉を聞きながら、私は強く、手を握り締める。
あの影絵劇場で語られた物語が、現実にあった歴史ではなかったとしても。
目の前の切り絵じみた世界が、この異界が見せる幻だとしても。
彼女に対する怒りは、本物だ。
空想で書かれた物語であっても。
生きた私が抱く感情は、本物だ。
続




