0-7『ほっとひと息、それから』
序章
第七話
『ほっとひと息、それから』
色々と話を聞いたあと、謁見室に行った時と同じように、リークレットさんが部屋まで送ってくれた。
彼は陛下にそのまま私に付いてるようにって言われたから、部屋まで送ってくれたあともここに留まってる。
陛下は他にも何人か騎士を部屋に向かわせるから、少しなんでもない話をするといいって言ってくれた。
なんでもない話と言われると、なんだか凄くありがたい気がする。
昨日、あの大樹の枝で気が付いてから、ずっと色んなことを教えられて、頭がパンクしそうだ。
仕方がないことだと頭の片隅では判ってても、それ以外の大半がぐちゃぐちゃしてる。
そんなこんなで少しして、部屋にやってきた騎士は二人。
一人は長身で大柄の、灰色の髪と赤い目をした青年で、人間族に見えるけど、頭に獣の耳がある。
カリストラフ・クレイフォールと名乗った彼は、何代か前に狼の獣人の血が入ったことがあったらしく、今でもたまに、彼のように半獣人として先祖帰りを起こすらしい。
もう一人は亜麻色の長い髪と、紫色の目が印象的な小柄で華奢な美人さんで、ヒーレンティア・ベルールと名乗った。
二人とも話すのは初めてだけど、昨日のあの場に居たような気がするな。
私とヒーレンティアさん、リークレットさんとカリストラフさんのふた組に分かれて、向かい合わせのソファーに座って、ルーディアさんが用意してくれたお茶とお菓子を囲んでいる。
「俺たちは三人とも、陛下の騎士隊だ」
に、と笑って、カリストラフさんは続けた。
「肩ひじ張らなくていいぜ? 陛下だ閣下だ、えれえ奴らとばっか会って大変だっただろ?」
がはは! と豪快に笑うカリストラフさんは、今まで会った誰と比べても、物凄く親しみやすい。
「俺のことはカリスでいいぜ? 呼びづらいだろ?」
「あ……助かるかも……」
正直、やけに長い名前の人が多くて、呼びにくいなと思ってた。
ヒイラギさんやサイゾウさんは、呼びやすいっていうか、馴染みがある響きなような気がするんだけど。
「だろ? 俺はカリス、こいつはヒール、リクはリクな。敬語も敬称も要らねえし、何も気い張るこたねえよ」
本人の了承もなしに、と思いはしたけど、ヒーレンティアさん……いや、ヒールとリクも頷いてくれたから、異存はないらしい。
ああ、助かる、助かる。
話をするのに緊張しなくていいっていうのは、楽でいい。
陛下やファービリアさん、ヒイラギさんたちの前でも、がちがちに緊張して話もできなかったってわけじゃないけど、やっぱり相手はお貴族様。
自分自身の記憶はないけど、爵位なんて言葉自体に違和感っていうか気後れっていうか、とにかくそういう感情を持つってことは、多分私はそんな身分とは遠い存在だ。
気兼ねなく、普通に喋れる相手ってのは、ほっと肩の力が抜ける。
「助かるよ。ありがとう、カリス」
にこ、と笑い掛けると、カリスは笑顔でひらひらと手を振った。
ああ、なんか気が楽だ。
「あんたも一応貴族でしょうが」
やれやれ、と言わんばかりの調子で言ったのは、ヒールだった。
黙ってれば風にも折れそうな雰囲気のヒールだけど、実はそうでもないらしい。
って、今、カリスも貴族って言った?
「男爵家なんて、平民に毛が生えた程度だろ」
はあ、と息を吐き出して、カリスはなんだかだるそうに手を振る。
……男爵って言った。
ここ……中央の王宮で、陛下に直接仕えてるんだから、そういう地位でもおかしくないけど。
平民だと思ってほっとしてたのに。
「あ、リクも侯爵家だけど、私は平民だから」
あっけらかんと言って、ヒールは私に笑い掛けてくれる。
ええと……貴族階級って、確か公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順だっけ?
この世界でも同じかどうかは判らないけど、少なくともリークレットさんは、かなり高位の貴族じゃないか?
「私は下町の宿屋の娘だからさ、気兼ねなくね?」
にっこり笑うヒールは、見た目を裏切る気さくっぷりだ。
「た、助かるう~」
「でしょ~?」
思わずふらふらと伸ばした手を、ヒールは躊躇いなく取ってくれる。
一瞬、視界が白黒に切り替わった。
ヒールも、『祝福』と『呪い』を授かってる?
「あ、ほんとに消えたっぽい」
不可解な感覚に襲われたはずのヒールは、それでも何も変わらず、握った手を上下に振る。
「凄いね~、面白い面白い!」
きゃっきゃとはしゃぐヒールは、自分の身に起こった不可解なことなんて、なんでもないことだと言わんばかりだ。
今まで私に触れた誰も、私を恐れる様子はなかった。
でも、ヒールほど無邪気に楽しんでる様子を見せた人は居ない。
ああ、なんだか凄く、ほっとする。
「騎士隊に入るには、『祝福』と『呪い』を授かってるのが最低条件なのね。だから私もカリスもリクも、授かってるんだよ」
リクが授かってることは、ヒイラギさんたちに会ったあの時に聞いてることだ。
でも、どんな『祝福』と『呪い』を授かってるかまでは聞いてない。
「私はね、『癒しの御手』っていう『祝福』と、『夢』っていう『呪い』を授かってる」
優しく笑って、ヒールはそっと私の手を離した。
「『癒しの御手』っていうのはね、治癒魔術を強力なものにするっていう『祝福』なの。死んでなきゃ治せるし、傷跡になっちゃってなきゃどんな傷でも治せるから、怪我したら真っ先に私に言うのよ?」
にっこりと満面の笑みを浮かべるヒールからは、確かに下町っていうか庶民の匂いがする。
「うん、ありがとう」
私よりも身長が低くて、華奢で可憐な見た目だけど、それを裏切る快活さは、何故か姉という言葉を連想させた。
「『夢』っていうのはね、言葉通り、夢を見るの。悪夢だったり楽しい夢だったりなんでもない夢だったり色々だけど、うたた寝でも必ず夢を見て、それを憶えてるっていうだけ」
ただそれだけ、と言うヒールは今までと変わらない朗らかな笑顔で、それは確かに、『呪い』という言葉の禍々しさには少し遠いような気がする。
「カリスの『祝福』は『火炎』で、『呪い』は『水忌み』ね」
それ以上自分のことは続けずに、ヒールは白い指をカリスのほうに向けた。
『水忌み』って、陛下の『花忌み』に響きが似てる。
「『火炎』はそのまんま、火の魔術の威力が上がるってもんだ。『水忌み』ってのは……」
「ああ、それは見たほうが早くない?」
カリスの言葉を遮ったのはヒールだ。
白い指先が、小さく宙に円を描く。
「あ? うおわっ!」
カリスが不審そうな声を上げた直後、彼の頭上にバレーボールくらいの水の玉が現れた。
それは驚く間もなく、カリスの頭に落下した。
ばしゃ! っていう派手な水音と、カリスの悲鳴が混じり合う。
「ちょ、ええ……!?」
反射的に腰を浮かせたけど、足を踏み出す前に、カリスの様子がおかしいことに気付いた。
悲鳴を上げた時の姿のまま、カリスはかちん、と固まっている。
まるで急激に麻痺させられたみたいだ。
灰色の髪から、ぽたぽたと水が滴ってるのを、ただ呆然と見つめてしまう。
「カリスは水が苦手なの」
バチン、と音がしそうなくらいの勢いでウインクをして、ヒールは酷く端的にそう言った。
に、苦手って言っても……程がない?
「……苦手のひと言で片付けてやるのは、気の毒ではないか?」
どうしていいのか判らない私の代わり、っていうわけでもないだろうけど、それまで黙って様子を見てたリクが、低い声で突っ込みを入れてくれた。
うん、もう少し早く入れてくれてもいいんだけど……いや、入れるタイミング、なかったか。
「驚かせて済まない。カリスの『水忌み』は、水の精霊に触れると拒絶反応を起こすものだ」
「きょ、拒絶反応って、この、麻痺してるやつ……?」
「そういうことだ」
思わずカリスのほうを指差しながら訊いたら、リクはこっくりと頷く。
な、成る程……って、そういえばまだ固まってるけど、カリスは大丈夫なのか?
思わずじっとカリスを見てしまうんだけど、視線の先で、彼はやっぱりぴくりとも動かない。
「ああ、大丈夫大丈夫。水の精霊が離れれば元に戻るから」
ヒールは笑顔のままそう言って、また指先で小さく円を描いた。
まるでさっきの光景を逆回ししたみたいに、カリスの全身を濡らしてた水が浮き上がり、彼の頭上で玉になる。
「っでっめえ!!」
その途端、カリスは盛大にがなり立てた。
「いきなり何しやがる!?」
「あんたのソレ、見せたほうが判りやすいじゃない」
どん! と両手でテーブルを強く叩いて叫ぶカリスは、大柄っていうこともあって結構な迫力だと思う。
でも、それを真正面から受けてるヒールは涼しい顔だ。
「まずは口で説明しろよ! 手えはええんだよテメエはよ!!」
「先に説明したら、あんた逃げるじゃない!」
「逃げるに決まってんだろ!?」
狼の耳が生えた大男と、華奢で可憐で守ってあげたい系に見える美少女が言い合ってる様子っていうのは、なんともいえない気持ちになる。
一方的に怒鳴られてるわけじゃなくて、本気で叫び合ってるっていうところがまた、こう、ねえ?
いやでも、これってどう止めればいいんだろう?
「この二人は、いつもこのようなものだ」
あわあわしてる私の耳に、溜め息混じりのリクの声が聞こえた。
「気にしなくていい」
そう言って、リクは優雅に紅茶を傾ける。
こうして一緒にお茶を飲むのは初めてだけど、他の二人に比べて、所作が殊更優雅なような……?
「いつも、こんな?」
「そうだな。自分が知っている限りは」
思わず聞き返してしまえば、あっさりと頷かれて二の句が継げない。
この二人、仲悪いのかな?
「この二人は幼馴染でな、昔からこうらしい。愛情の裏返しというやつだ」
「「はあ!?」」
淡々としたリクの言葉を聞いた途端、喧嘩みたいに叫び合ってた二人が同時にリクを睨み付けた。
「てっめえ! いい加減なこと言ってんじゃねえぞコラァ!!」
「何口走ってんのよこのヘタレ!!」
二人してリクに詰め寄ってるところは、確かに仲が良さそうだな。
っていうか、ヒールはリクにヘタレとか言ってるけど、この見るからに武人タイプの大男に向かって、その台詞はどうなんだろう?
「あのな……」
ティーカップを持ったまま、リクはややげんなりした表情で呟く。
陛下の謁見室やその行き帰りはほとんど無言、無表情を貫いてたリクだけど、あれは『陛下の命を受けた騎士』だったり、『陛下を前にした騎士』だったりしたからだろうか。
あの大樹の上で会った時は、少し違ってたと思うんだけど。
周りが同僚の騎士だけだと、素が出るのかな?
「『呪い』が『悲恋』とかヘタレ過ぎ!!」
「いくら『英雄』つったってヘタレはヘタレだからな!!」
ええ、と?
『悲恋』?
『英雄』?
それって、『祝福』と『呪い』の話?
「……自分の『祝福』は『英雄』、『呪い』は『悲恋』だ」
はあ、と溜め息を吐いて、リクは自分の『祝福』と『呪い』のことを明かしてくれた。
「ああ、こいつの『英雄』ってのは、文字通り英雄になれるだけの力を授かってんだよ。魔力はからっきしだけどよ、身体能力っての? そういうのが尋常じゃねえんだ」
「『悲恋』っていうのはね、文字通り愛した人とは結ばれないって『呪い』なの。要はヘタレよ、ヘタレ」
カリスとヒールがそう説明してくれたわけだけど……『英雄』はともかく、『悲恋』はヘタレって評価でいいものなのかな?
戸惑ってる私の正面で、リクが大きく、物凄く大きく、溜め息を吐く。
「自分はリークレット・レヴァン。レヴァン侯爵家の次男で、陛下付きの騎士だ。『祝福』と『呪い』については、今しがたカリスとヒールが言った通り」
そうだったこの人、高位貴族だった!
どうりでいちいち仕草が優雅だと思ったよ!
ええっと公爵? いや、侯爵家か。
どっちにしろこの場の誰より地位が高いじゃないか。
「自分たちは陛下付きの騎士だが、今後、おそらく君付きの騎士となるだろう」
「はえ?」
『自分、大したものじゃないですから』詐欺にぼけっとしてたら、想像もしていなかったことを言われて、気の抜けた声が漏れる。
「私付きの、騎士?」
そんなの、必要かな?
「なんだお前、自分の希少価値を教わってきたんじゃねえのか?」
完全に目が点になってるっていう自覚がある私に、カリスは腕を組んで首を傾げる。
希少価値……希少価値……。
「大樹が弱ってるのを治す役目がある、とかいう話を聞いたけど……」
あれ?
そういえばこの話を聞いたのってファービリアさんからだけで、ヒイラギさんや陛下からは何も聞いてない?
「ヒイラギ様はお話しされなかった。ファービリア閣下が話されなかったことを解説することを優先され、それ以上は情報過多になるだろうと判断されたのだろう」
「ああ、目に浮かぶわ、それ……」
「ヒイラギ様の溜め息まで、そっくり浮かぶわねえ……」
うわあ、リクの言葉に納得する二人の表情、諦め感が凄い。
あの妖精女王様、相当、我が道を行く人なんだなあ。
昨日、色々話してくれた時は、そんな風には感じなかったんだけど。
「まあ追々ゆっくり判って貰うとしても、キミはこの世界の重要人物なわけ。そんな要人に、護衛の一人も付けないとかおかしいの」
判る? と首を傾げながらヒールに言われて、頷くことも首を振ることもできずに目を瞬かせる。
い、いやいや、そりゃ護衛の一人も必要な立場になるのかもしれないけど、元々陛下付きの騎士が三人も必要なものかな?
「自覚なさそうだな、オメエ」
「そ、そりゃまあ……」
頷く私に、カリスは豪快ににかっと笑った。
「ま、コイツも言ってた通り、自覚なんてあとから付いてくるって! 取り敢えずよろしくな!」
元気はつらつにそう言われてしまえば、あ、はいと頷く以外に道がない……気がする。
「よ、よろしく……?」
言葉尻が上がってしまった私の言葉に、それでもカリスはいい笑顔のままだ。
ヒールもにっこり笑ってるし、リクも口元に笑みが浮かんでる。
ああ、この人って普通に笑うんだなって、そんなことを思った。
クレアさんやサイゾウさんみたいに、鉄面皮そのものなわけじゃないみたい。
三人とも話しやすそうだし、これなら生活面には心配ない……かなあ?
続