4-4『富める夫人』
第四章
第四話『富める夫人』
私が椅子に座ってすぐに、ヒールとウェルバニーさんも腰を下ろした。
ヒールは私の隣、ウェルバニーさんはサンシュの隣。
普段は私がお願いしないと座ってくれることはないんだけど、今は非常時だから誰も身分だのなんだってのを気にしてない。
こんな時までそんなことを言ってくる人のほうがどうかしてると思うけど、世の中にはどうかしてる人って結構居るもんだ。
幸いと、私は会ったことないと思うけど。
全員が椅子に座った、すぐあとのこと。
ジリリリリリリリリリ!
「お?」
「え!?」
薄暗い場所に突如響き渡ったベルの音に、サンシュと私は声を上げた。
ヒールとウェルバニーさんは座った直後の椅子から素早く立ち上がり、鋭い視線で辺りを見回す。
私と同じように声を上げたサンシュだけど、彼はどっかりと腰を落ち着けたまま、何処か楽し気な感じだ。
狼狽えてるのは私だけなわけだけど、そんなことを気にしてる余裕もない。
「始まるらしいぜ」
笑みを含んだサンシュの声に、私たちは反射的に正面の舞台に目を向けた。
ゆっくりと、幕が持ち上がっていってる。
私は何もできないまま、開けていく舞台を見つめた。
「……?」
やがて幕が完全に上がった先を見て、私は首を傾げる。
そこには演劇をやるようなセットも、演説台もなかった。
かなり広い舞台はがらんどうで、沢山並んだ空の椅子も相まって、なんか寒々しい。
「……何も、起こらない?」
ヒールの小さな声が聞こえて改めて気付いたけど、確かに幕が上がっただけで何か起こる気配もなかった。
さっきのベルが開演の合図だったとして、幕も完全に上がったのに何も起こらないのは不思議だ。
「取り敢えず二人とも、座ってみねえか? 最前列で立ち見ってのもねえだろ」
どっかりと腰を落ち着けたままのサンシュに言われて、ヒールとウェルバニーさんは軽く視線を交わす。
そりゃまあ、ここが普通の劇場だとしたら、幕の上がった中、最前列で立ってる二人はかなり非常識ってことになるだろうけど。
視線を交わし合った護衛二人は小さく頷いて、それぞれ私とサンシュの隣に腰を下ろした。
それでも二人は、私が見ても判るくらい、すぐに立ち上がって動き出せるように身構えてる。
隣のサンシュは、どっかりと深く腰を落ち着けたまま、長い足を組んだ。
不意に、ヒールが作ってくれた光球が掻き消える。
「座ってろ」
反射的に立ち上がろうとした護衛二人を、サンシュがたった一声で止めた。
二人は動きをぴたりと止めて、もう一度椅子に座り直す。
ファービリアさんもそうだったけど、人を従わせ慣れた人の声って、本当に力が宿ってるよな。
……あれ?
ヒールの魔法が消えたのに、みんなの動きが見えてる?
はっとして正面を見れば、舞台の奥が白く光っていた。
なんていうか、舞台の奥の壁一面がスクリーンになって、その裏から強い光が当てられてるみたいだ。
その明かりのお陰で、さっきまでより少し暗いかな、程度の視界が確保されてる。
それにしても、この状態、舞台と言うより映画に近いかもしれない。
『むかし、むかし』
「!?」
唐突に響き渡った女性の声に、びくりと肩が跳ねる。
そんな私の背中を、大きくて温かな手が包んでくれた。
「心配すんな。敵意はねえ」
サンシュの声に目を向ければ、に、と笑ってぽんぽんと背中を撫でてくれる。
人間とは大きく違う作りの口元からは、笑えば鋭い牙が見える。
背中に伝わる温度も感触も、人間のそれとは違う。
だけど、サンシュの優しさと気遣いは、充分に伝わってきた。
「うん」
一つ頷いて、私は正面を見た。
背中に回されていた手が、ぽん、と一度叩いてから離れていく。
『昔、昔のお話です』
静かな女性の声に抑揚はなくて、感情を伺うことはできない。
誰のものとも判らないその声は、舞台のほうから聞こえてくるような気がする。
だけど、何処を見回しても人影はなかった。
『とある場所のとある村に、ふた組の夫婦がおりました』
女性の声がそう言うと、正面のスクリーンに四人の人影が映し出された。
いや、それは人影と表現するには、ちょっとばかり無機質過ぎる……っていうか、動きがない?
なんていうか、切り絵? 影絵?
映画みたいにスクリーンに映像が映し出されるんじゃなくて、白い幕の向こうで人型に切り抜かれた厚紙みたいなものが舞台の下から差し上げられているような。
そんな、違和感と芸術の境目みたいな光景が、目の目に広がる。
『ひと組の夫婦は裕福で、もうひと組の夫婦は貧しい暮らしをしていました』
その言葉のあと、ふた組の夫婦の横に家の影が出てくる。
言葉通り、片方の家はお屋敷のような形で、もう片方は粗末な家みたいだった。
『富める夫婦には子供がなく、貧しい夫婦には五人の子供がおりました』
貧しい夫婦の横に、五人の子供の影が現れた。
それは何処にでもある、普通の風景だと、私には思える。
貧富の差があることも、子宝の差があることも、世界中を見回せば普通のことだろう。
『貧しい夫婦は富める夫婦の財を羨み、富める夫婦は貧しい夫婦の子宝を羨みました』
それも多分、普通のことなんじゃないだろうか。
誰だって、隣の芝生は青く見えるものだし。
『ある日、貧しい夫婦に、もう一人、命が宿りました』
その言葉のあと、夫と子供たちに囲まれた夫人のほうの腹が、大きく膨らんだ。
六人目かあ。
貧しいっていうのがどのくらいなのか判らないけど、六人も子供が居たら生活していくのも大変なんじゃないだろうか。
子供のうちから働きに出るって言っても、限度があるだろうし。
ぼんやりとそんなことを考えてると、スクリーンに映っていた夫婦や子供たちなんかが全部下がっていく。
入れ違いに上がってきたのは、女性の横顔。
ただ、その横顔は大きく口を開け、目も見開かれていてぎょっとする。
その目から、白い涙が頬を伝って流れ落ちてた。
白と黒だけで構成された、凹凸もない影なのに、鬼気迫るものを感じる。
『富める夫人は妬み、妬み、深く妬み、子を成せない自分への呪いをも貧しい夫人へ向けました』
相変わらず淡々と語られる女性の言葉が、更に不気味さを助長するような気がした。
『どうして』
続いた声は、さっきまでの女性と同じものだと思うんだけど、感情が露わになると別人のように感じる。
『どうして、どうして』
繰り返される言葉には、ただただ深い恨みが滲んでいた。
『どうして、私にはできないのに』
影絵みたいな横顔と、何処から聞こえてくるかも判らない声。
ただそれだけなのに、脳裏に見たこともない夫人の、般若みたいな顔が浮かぶ。
表現の幅って、私が想像してるよりも広いものなのかもしれないなんて、こんな状況で考えるてる場合でもないのかもしれないけど。
『どうして、どうして、どうして』
頭の片隅でそんなことをぼんやりと考えてる間にも、女性の声は怨嗟のような言葉を吐き続ける。
『どうして、あの女だけ』
それは違う。
この世で子宝に恵まれているのは貧しい夫人だけじゃないし、恵まれないのは富める夫人だけじゃない。
だけどきっとそう言えるのは、私が部外者だからだ。
それに。
私自身が、子供をどうやって授かるのか、よく判ってないせいもあるんだろう。
そりゃ、作り方っていうか、その過程は知ってるんだけどさ……その、私は作る側なのか、産む側なのかっていうか……いや、うん、ぶっちゃけ、自分に精巣があるのか子宮があるのかも判ってないから。
だから、子供を強く望む人の気持ちが、よく判らない。
『ああ……そう、そうなのね』
意識が完全に変なほうに向かった私を、それまでとは違う言葉が現実に引き戻した。
『そう、そうよ。きっとあの女が、私の分まで、全て授かってるに違いないわ』
一瞬、彼女の言う意味が判らなかった。
何度も瞬きをしてる先で、富める夫人の絵が変わる。
目は見開いたまま、涙も頬を伝うまま。
ただ、何かを叫ぶように大きく開かれていた口が、にんまりとした笑みに変わった。
ただそれだけの変化で、その影絵は一気に異様さを増す。
『あの腹に居る子は、私の子になるはずだったのよ』
笑みを含んだその声には、確かに呪詛の音も宿っていて、背筋がぞっと粟立った。
ぐ、と喉の奥が鳴った正にその瞬間に、私の手を誰かが握ってくれる。
左手に伝わった温かな感触は、ヒールの手だった。
その手を辿るようにして、ヒールの横顔を見る。
普段なら私のほうを見て優しく微笑んでくれるところなんだろうけど、今は正面を向いたままだ。
真っすぐにスクリーンを見てるヒールの横顔は、きりっと引き締まってかっこいい。
普段のころころとよく変わる親しみやすい表情とは違うけど、だからって驚くようなことはないくらいには、自分は彼女を知ってるんだと、そう感じた。
『そう、あれは私の子だった』
更に続いた富める夫人の言葉に、はっとして舞台のほうに目を向けた。
そこに映し出される影絵はさっきまでと変わらず、涙を零しながら狂気の笑みを浮かべる女性の横顔が映し出されてる。
『私の子だったのよ』
どうしてだろう。
白と黒の影絵なのに、その目に間違いなく、怨嗟と狂気の色が宿っているのが判った。
白く繰り抜かれただけのその目に、どす黒く濁った光が、確かにあると思ったんだ。
ざわわ、と、全身に鳥肌が立つ。
その直後、スクリーンから富める夫人の横顔が消えた。
『そうして富める夫人は、行動を起こしました』
また抑揚のない語り部の声に戻った女性の声が、場面転換を告げる。
急激な温度差に驚くべきところなんだろうけど、これだけ見事な切り替わりだと別人の声に聞こえるから不思議だ。
『貧しい夫人が子を産んだという報せを受けた、その日の深夜』
静かで淡々とした声が響き、正面のスクリーンには貧しい夫妻の家と、それに近付いていく富める夫人の姿が浮かぶ。
わざとらしいほど上下に揺れるその影が、吸い込まれるように貧しい家に消えていった。
そこで何が起こるのか、予測してなかったと言えば嘘になる。
頭の片隅で、確かに予測していた。
だけど、その予測が外れて欲しいと、やっぱり頭の片隅で思ってた。
でも。
その予測を裏付けるように。
白いスクリーンが、一部分だけ、赤く染まる。
まるで赤い水滴を上から垂らしたように、どす黒い色で汚される様子は、ぞわぞわと背筋が波だった。
スクリーンが白と黒ばかりで構成されているせいで、その色は余計に目と心に刺さる。
たった一つの染みでも心を揺らしたのに、瞬きする間にそれは幾つも、幾つも増えていった。
二滴、三滴、四滴、五滴。
次々と増えるその染みは白と黒のスクリーンをあっという間に覆い、赤く染め上げた。
その赤は鈍い錆のような色が混ざっていて、お世辞にも鮮やかとは言えない色だった。
『富める夫人は、貧しい夫妻から生まれたばかりの赤ん坊を奪いました』
ただただ淡々と告げられた、真実であろう言葉。
どうやって生まれたばかりの赤ん坊を奪ったのか。
それは、言葉にされなくてもこの真っ赤なスクリーンを見れば判る。
『けれどその子は一歳の誕生日を迎える前に、病で死んでしまいました』
何もかもが、無駄だった。
そう思わせるに充分な言葉に、眩暈がする。
無意識に、私は左手を握ってくれるヒールの手を、握り返していた。
続




