4-2『白い世界』
第四章
第二話『白い世界』
中央にある銀色の大樹。
この世界で私が目を覚ました時、最初に見た光。
今となってはファービリアさんの目の色も同じだと感じるはずなのに、その二つは並べて比べるまでもなく、別のものだと思う。
それが何故かと問われると判らない。
人としての心の有る無しって話じゃないとは思う。
だって私は、大樹の核と言われる存在に会った。
私に対してよく判らないことを言ってきた、博士と名乗る人じゃない。
その直前。
まるで大樹から生えたかのような姿であそこに在った、腐敗臭を漂わせる華奢な女性。
きっとあのまともに会話もできなかった彼女こそ、大樹の本質だ。
直感で思うこの感覚は、誰にも言ってないし、自分だけの答えだと思う。
私には、腐敗臭漂う、言葉の受け答えもまともにできないあの存在に、それでも自我がないとは思えなかった。
まあ、つまるところ、大樹に人格がないとは思えないってのが結論だ。
人格がある以上、個性と心がそこにあるって話で。
それなら、中央の大樹にもきっと同じものがあるはずで。
更にそれなら、あの大樹の光にも心があるってことだ。
こうして異界巡りをして、各地の大樹の核に触れることになるなら、いつか中央の大樹の核にも触れることになるだろう。
その時、私はどんなことを思うだろう。
そんなことを、頭の片隅で考えた。
……あれ?
なんで、こんなこと考えてるんだっけ?
確か私は、また異界に行く為に、中央の大樹の幹に現れたドアをくぐって……。
「……ディ!」
ふと、聞き慣れた声が聞こえる。
全部はちゃんと聞き取れなかったけど、これはきっと、私を呼ぶ声だ。
「アディ!」
ほら、やっぱり。
なんて、はっとして目を開ける。
私の目の前に、ヒールの心配そうな顔があった。
ああ、なんでだろう。
こんな顔させるつもりなんて一つもないのに、どうしてかほっとした。
「ヒール……」
ほっとした心は、そのまま声に現れた。
そんな私を、ヒールはぎゅうっと抱き締めてくれる。
「大丈夫よ。私が傍に居るから」
耳元で聞こえる声は落ち着いていて、抱き締めてくれる腕も身体もいつも通り優しくて温かい。
「うん、ありがとう」
そっと抱き返せば、柔らかくて落ち着く匂いがした。
ファービリアさんみたいな華やかな香りとは違うけど、ヒールもやっぱりいい匂いだな、なんて思う。
って、いやいやそれこそこんなこと考えてる場合じゃないよな。
「ヒール、ここって……」
「ああ、そうね」
呼び掛ければ、ヒールはすぐに身体を離した。
改めて周りを見てみれば、そこは見覚えのある真っ白な場所だった。
最初の扉をくぐった先も、上下左右さえよく判らない、ここと同じような場所で、今と同じように一人で突っ立ってたっけ。
「私にもよく判らないんだけど、あのドアの先、みたいね」
ぐるりと周りを見回しながら、ヒールは神妙な顔で呟いた。
普段は明るく笑う快活な様子が多い分、表情を引き締めてるところは強く印象に残る。
「前の時もそうだったよ。入った人たちとはすぐに合流できたけど……」
「お~い!」
前のことを説明してた私の言葉を切るように、後ろから声が聞こえた。
反射的に振り返れば、少し離れたところに二人の獣人の姿が見える。
サンシュとウェルバニーさんだ。
「お二人とも、ご無事で何よりです」
「おう」
「お互いに」
ほっとした笑顔になったヒールに、サンシュは軽く手を挙げて、ウェルバニーさんは静かに頷く。
普段だったらもっと堅苦しい遣り取りになるんだろうけど、今は有事の最中だからね。
しかも相手が堅苦しいことを嫌うサンシュだからね。
貴族だの階級だのっていうのに未だに慣れない私としては、周りも楽にして貰ってるほうが過ごしやすくていいと思う。
「ちらっと聞こえたけどよ、これ、前も同じだったんだって?」
「え? よく聞こえたね」
少し距離があったし、私たちの後ろに居たし、そこまでちゃんと聞こえてるとは思ってなかった。
「俺らは耳と鼻が人間族よりは効くんだよ」
に、と笑ったサンシュは、腕組みをして言う。
成る程、獣人族っていうのは見た目だけじゃないんだなあ。
「じゃあ、カリスも耳がいいのかな?」
「そうね。人間族よりはいいと思うわ」
獣の耳があるカリスを思い浮かべて呟いたら、ヒールが軽く肩を竦めて答えてくれた。
「獣人族の血は他と比べると強えからな」
そう言ったカリスの顔は、何処か少しだけ寂しそうな表情をしてるように見える。
どうしてそう思ったのか、明確な言葉にすることはできない。
顔形自体、他の種族とはまるで違うっていうのもあるかもしれないけど、意外と喜怒哀楽がはっきり判るもんだなって、そう思ってた。
だけど、今のサンシュの表情は、本当に掴めない。
「さて、これからどうするか、だ」
すぐに気持ちを切り替えたように、サンシュは表情を引き締めて周りを見回した。
釣られるように私も辺りを見回したけど、あの時と同じように真っ白な空間は、前後左右の感覚を失わせるだけだった。
「前の時は、こんな白い空間に居たのはほんの少しだけで、すぐに周りの景色が変わったんだけど」
思い出と言うには新しい記憶を辿りながら、私は言葉を続けた。
「ここどこ? って思ってるうちに、どんどん景色が砂漠になって、そこでリクに会って、それからファービリアさんと合流したんだよね」
「陛下への報告でも、そう仰っていましたね」
私の言葉に、ウェルバニーが静かな声で言う。
「あ、はい。そうでしたね」
私はあの緊張しまくった席で、自分が体験したことを全部話した。
あの席にはここに居る全員が揃ってたから、当然、そのことを憶えてるだろう。
「今のとこ、周りの景色が変わる気配はねえな」
サンシュの言う通り、さっきからこの白い空間が揺らぐ様子もない。
「それじゃま、進んでみっか」
さらっとそう言って、サンシュは自分の正面を指差した。
「ここに居座っても、何も起こる気配はねえ。俺の耳も鼻も、特に何も拾わねえ。じゃあ、前に進んでみようぜ?」
自分が前を見てるほうが進む方向だ、なんて、考えなしといえばこれ以上のことはないけど、この状況だとそれ以外に手がないような気になる。
「考えなしのようにも思えますが、そうするしかない状況であることに変わりはないようですね」
「お前はなんか言わねえと気が済まねえのかよ」
静かに溜め息を吐きながら、私が思ってたことをそのまま言ったウェルバニーさんに、サンシュは溜め息を吐いた。
溜め息は吐いても嫌そうな雰囲気じゃないから、いつもの軽口なんだろうな。
「さて、歩けるか?」
「あ、うん。大丈夫」
サンシュに声を掛けられて、私は反射的に頷く。
「よし」
そんな私に、サンシュはに、と笑ってから歩き出した。
いや、歩き出そうとした。
「っ!」
最初の一歩を踏み出そうとしたサンシュが、鋭く息を吐いて、姿勢を低くする。
何が起こったのか全く判らなかったのは私だけなのか、ウェルバニーさんとヒールも険しい顔で辺りを見回していた。
私も辺りを見ようとして、異変に気付く。
白一色だった周りの景色が、じりじりと変わっていた。
ゆっくり、ゆっくりと別の風景が白い景色に重なっていくこの感覚、あの時と同じだ。
どう行動すればいいのか判らずに立ちすくんでた私の手を、ヒールがぎゅっと握ってくれる。
はっとしてヒールを見れば、彼女は私のほうを見てなかった。
油断なく鋭い視線で周りを見回しながら、それでも優しい力で私の手を握ってくれてる。
「大丈夫だと思う。あの時と同じだから」
その手をぎゅっと握り返して、私は意識して静かに伝える。
動揺した声じゃ、みんなを不安にするだけだ。
異界に行った経験は私しかないんだから、と思って告げたこの言葉は、ちゃんとみんなに届いたらしいく、三人の表情が、少しだけ和らいだ。
それでも油断なく辺りに目を配る三人に倣うように、私もどんどん変わり続ける景色を見つめた。
真っ白だった景色は、徐々に暗い色になり、やがて真っ黒に塗り替わる。
前はだだっ広い砂漠に切り替わったのに、今回はやけに暗い。
博士に出会ったあの黒い空間とは違う。
ただ、光源がなくて暗いだけだ。
その違いは実際に体験しないと判らないと思うけど、そもそも光源そのものが有り得ない空間と、灯りが消えて暗い場所っていうのは、肌で感じる何かが違う。
それでも真っ暗で不安を煽ることは変わりなくて……って、ちょっと待って!?
「ウェルバニーさん!!」
「はい」
慌てて名前を呼んだら、すぐ近くで落ち着いた声が聞こえた。
「ウェルバニーさん!?」
思わずその名を呼びながら、手を伸ばす。
握られていたヒールの手が離れるのを感じたけど、空になった私の手はすぐにウェルバニーさんの服に辿り着いた。
辺りを照らす灯りがないせいで、こんなに近付いてもウェルバニーさんの表情がよく判らない。
待って。
待って、待って。
だってウェルバニーさんの『呪い』は、『闇の忌避』だ。
僅かでも灯りがなければ、身体が自壊していく『呪い』。
そんなものを授かってしまったウェルバニーさんにとって、この場所は処刑場みたいなものじゃないか!
どうしたら、どうしたらいい!?
「落ち着いてください、アデリシア殿」
お互いに表情も見えない中、それでも私が動揺と混乱であわあわしてるのに気付いたんだろう、驚くほど穏やかな声で私を呼んだ。
私にしてみれば場違いなくらいに優しい声に、少しだけ冷静な心が戻って来る。
「私は大丈夫。この暗闇でも、私は消えない」
穏やかで、静かで、少しの笑みを含んだ、まるで小さな子供をあやすような声。
十人兄弟の長兄って事実を、こんなところで実感するとは思わなかった。
「貴方はとても優しい方だ」
この暗闇の中でも表情が辛うじて判るくらいに顔を近付けて、ウェルバニーさんは優しく微笑んでくれる。
猛々しい獅子の顔がそうして穏やかな表情を浮かべるのは、ギャップもあって妙に目を奪われた。
「私は常に、灯りの魔石を携帯しています」
ウェルバニーさんはそう言って、懐を探る。
人間族とは違う形の手が何かを取り出そうとすると、灯りの一切なかった場所に仄かな光が生まれた。
ウェルバニーさんが取り出したのは、王宮でもよく見掛けた灯りの魔法石だ。
私が見たそれよりも光は弱いけど、透明な石は確かに淡い光を放っている。
「私は常にこの魔法石を、輝いている状態で携帯しています。魔法石が輝ける状況である限り、私に真の暗闇は訪れないのです」
ああ、そっか。
生まれる前から真っ暗闇が死に繋がるなんて言われてれば、そりゃ対策もしてるよね。
こうして懐から取り出されるまで判らないほどの淡い光でも、携帯してれば完全な闇ではなくなる。
寧ろ、普段は周りに気付かれないくらいの小さな光のほうが、日常生活を送るのが楽だと思う。
四六時中、松明を掲げて生活をしてる人が居たら、そりゃまともに生活はできないだろう。
私だって何事かと思ってじろじろ見ちゃうよ。
「よ、良かった……」
一気に力が抜けて、はあ、と大きく息が零れた。
ウェルバニーさんが真の暗闇に対抗する手段を持ってたことにも、異界というこの場所で魔法石が働いてくれたことにも、深く安堵する。
全身から力が抜けて、膝が崩れそうになった。
僅かに態勢を崩した私を、ウェルバニーさんがそっと支えてくれる。
「アディ」
聞き馴染んだ声に呼ばれて、はっと顔を上げた。
視線の先には苦笑を浮かべたヒールが居て、その頭の斜め上には眩し過ぎない程度の光を放つ光球が浮かんでる。
その灯りにやっぱり小さな苦笑を浮かべたサンシュも照らされていて、それを見たら急に狼狽えてた自分が恥ずかしくなった。
「大丈夫よ、みんなここに、無事に居るわ」
どう反応すればいいのか判らなくなった私に、ヒールは慈母みたいに穏やかな笑みを浮かべて、そう言ってくれた。
ヒール自身に子供が居るって話は聞いたことがないけど、下町で沢山の血の繋がらない弟妹の面倒を見てたせいか、彼女には母親のような部分があると思う。
「よ、良かった……」
もう一度大きく息を吐き出し、私は心の底からの言葉を吐き出した。
続




