3-17『狂人、目を醒ます』
第三章
第十七話『狂人、目を醒ます』
よ、良かった。
良かった、良かったああああ!
そりゃ確かに私の力は『祝福』も『呪い』も打ち消すものみたいだけど、それがユーリさんにも効くって絶対の保証はなかったからああああ!
「よ、良かった……」
心の底からそう呟いて、もう一度息を吐き出す。
そんな私を戸惑った目で見つめながら、ユーリさんは言葉を探してるみたいだった。
ふと気付いたら、私の近くにはリク以外にも、ヒールとカリスが居てくれてる。
かなり焦ってたから、視界に入ったリクのことしか認識できなかったけど、やっぱり私を護ってくれる騎士様たちはブレないなあ。
「き、君、は……?」
変なところに感心してたら、ユーリさんから声が掛かった。
「あ、えっと……あ!」
なんと答えたものか、とちょっと躊躇った時、ユーリさんが身を引いて、触れてた手が離れそうになって慌てる。
格子からはみ出してる手に勢いで触れてただけだったから、何気ない仕草ですぐに離れてしまうんだ。
思わず強く握り締めた手に、細い指先が引っ掛かってくれて、また深々と息を吐く。
よ、良かった……!
「済みません、嫌かもしれませんけど、私に触れていて貰えませんか?」
はは、と情けない笑みを浮かべて見上げれば、ユーリさんは戸惑うように目を瞬かせた。
「なんか私、人に触れてると、『祝福』と『呪い』を消すみたいで」
情けない笑みが、更に深くなる。
生まれた頃から『狂気』に侵食されていた彼は、まともな教育を受けてないはずだ。
少しでも会話ができるだけ凄いと思うし、『祝福』や『呪い』のことを知らなくても不思議じゃない。
「……そう、か……そうか、それで……」
乾ききった唇が小さく呟き、それから、ぎこちない笑みの形になった。
「ありがとう」
痩せこけた頬は変わらない。
掴んだ指先がぞっとするほど冷たいのも変わらない。
だけど、囁くように言って微笑んだユーリさんは、さっきまでの彼とは別人に見えた。
表情に意思が宿る、ただそれだけで、こんなに人の印象って変わるんだ。
そう、改めて思った。
何も言葉を返せずにいる私の手を、ユーリさんが自分の意思で掴んでくれる。
とにかく私の手を離しちゃいけないことは理解してくれたらしい。
「ユーリ」
彼に何を話せばいいのか迷う前に、陛下の声が聞こえた。
反射的に振り返れば、いつの間に近付いたのか、すぐ近くに陛下が立っている。
さっきまで私を庇ってくれてた騎士三人は、これまたいつの間にか一歩引いて直立不動の姿勢を保ってた。
いや、皆さん切り替えが素早いですね?
「へい、か……?」
陛下を見たユーリさんは何度も目を瞬かせて、小さく呟く。
「あ、その……!」
「いいんだ、そのままで大丈夫だよ」
目の前の人が世界で一人だけの王様ってことに気付いたんだろう、慌てるユーリさんに、陛下は穏やかに首を振った。
私に対しても大らかな陛下だけど、ユーリさんにも同じような感じだ。
「私が何ものであるのか、判るんだね?」
「は、はい」
小首を傾げる陛下に、ユーリさんは頷く。
二人が会話しやすいように、私は手が離れないように注意しながら道を開けた。
「私のことは判るかい?」
「あ……ヒイラギ様、ですよね」
そっと陛下の斜め後ろに立ったヒイラギさんに、ユーリさんは少し考えてから答える。
「うん、そうだよ」
綺麗な顔に穏やかな笑みを浮かべて、ヒイラギさんは頷いた。
「会話はできる、陛下の兄ちゃんやヒイラギのことは判る、か。なかなか面白えな」
そんなヒイラギさんの肩の上で、ゴラちゃんがそう言いながら腕を組む。
結構短い手で、器用だなあ……って、そういう話じゃないか。
「君は……ゴラ、くん?」
「うん?」
自分が認識されると思ってなかったんだろう、名前を呼ばれてゴラちゃんは小さく首を傾げた。
「俺が判るのか?」
「えっと、いつだったか、ヒイラギ様がそう呼んでいたのを聞いた気がするから」
はは、と小さく苦笑を浮かべるユーリさんに、ゴラちゃんはふむ、と口元に手を添える。
「ってことは、今までの記憶ははっきりしてるってことか?」
「はっきりしている、と言えるほどじゃないけど……なんていうか、所々判るっていうか、知識だけある、みたいな感じかなあ……」
ユーリさんは記憶を探るように斜め上を見ながら呟いて、それから苦笑を浮かべてゴラちゃんを見た。
その主張は、なんとも私の現状に似てる。
我ながら意味が判らない状態だと思ってるんだけど、それと似たようなことを主張する人を見ると、『いや本当に怪しいな?』って感想が湧いて来るな。
皆様、よく私を信用してくれてるなあ。
それにしても、ユーリさんは見たとこ、私よりもそこそこ年上のいい大人って感じだけど、言葉遣いは見た目より若いっていうか、幼いかもしれない。
まともな教育を受けてない割りにはまともに会話できるけど、それでも見た目の年齢とはちぐはぐな印象を受ける。
といっても、私の周りの人たちが陛下や領主さんたちに接する言動が完璧だから、それと比べると劣るってだけで……って、いやそれ、私じゃない?
王様や貴族に対する接し方なんて、そもそも知らないし、まだ慣れてもいない私と同じじゃない?
記憶のことといい、話かたといい、親近感が湧くなあ。
「成る程、興味深いな」
ううん、と唸るように呟いて、ゴラちゃんは斜め上を見つめる。
ゴラちゃんの声は基本的に平坦なんだけど、ちゃんと感情が判るから不思議だ。
「アディに似てる」
視線を私に向けたゴラちゃんの言葉に促されるように、全員の視線がこっちに向いてしまって、なんとも居た堪れない気持ちになる。
自分で思ってたことそのままズバリではあるんだけど、注目されることには未だに慣れてなくて巧く反応できない。
なんとなくちらっとユーリさんを見れば、彼は不思議そうな目で私を見つめていた。
*
ユーリさんがまともに受け答えできると判ってからは、流れるように話が進んだ。
ヒイラギさんが簡単に自分たちのことを説明してくれながら、幾つかの質問をして手早く状況をまとめてくれる。
この人、本当にこういう役回りが合ってるなあ。
自分じゃよく『若輩の務め』とか言ってるけど、実際はそういう話じゃないよね。
で、ユーリさんの状態を箇条書きすると、こんな感じ。
一つ、貴族としての礼儀作法は何も判らないけど、会話の受け答えは何も問題がない。
二つ、『狂気』に侵されていた時間のことは、正気に戻っても記録として残っている。
三つ、実際にここを訪れたことのない人は判らないし、貴族としての最低限の教育も受けていなくて、自然と得た教養は下町の子供程度。
四つ、『未来視』で視たはずの全ては、今の状態だと何も憶えていないし、頭の中に記録されているわけでもない。
ごくごく短時間でこれだけ確認してまとめてくれるヒイラギさんって、頭の中どうなってんの?
「もう一つ、大事な確認があるんだけど、いいかい?」
終始穏やかに微笑みながら、ヒイラギさんは首を傾げた。
黙ってるときのヒイラギさんは近寄り難いけど、こういう表情をしてるときの彼女からはなんでも話せる安心感を覚えるから、本当に不思議だ。
「うん、もちろん」
ユーリさんも最初の頃よりは自然な笑みを浮かべて、こくりと頷く。
本当は伯爵家の三男坊が、公爵家の跡取り娘に『うん』なんて言葉遣いしちゃいけないんだろうけど、それはヒイラギさんが幾つか質問してる時にあっさり許可してた。
言葉を選んで受け答えがたどたどしくなるユーリさんに、『自分が使いやすい言葉で構わないよ。貴族のなんだかんだを知ることができなかったのは、君の責任じゃない』って微笑んだヒイラギさん、なんかかっこ良かったな。
肩に座ったゴラちゃんも、何故かドヤ顔してた気がするけど。
「何か改善して欲しいところはないかい?」
続けられた言葉が意外だったんだろう、ユーリさんは何度か目を瞬かせた。
「君が授かってしまったものの特異性を考えると、どうしてもここから出すことはできない。だけど、君の生活が今よりも快適になるように配慮することはできる」
ユーリさんが何か答えるより先に、ヒイラギさんはそう言って、申し訳なさそうな苦笑を浮かべる。
「君の本当の願いは、叶えてはあげられないと思うけどね」
ユーリさんの本当の願い。
それはきっと、この塔から出ること。
いや、『狂気』のない状態で、外で普通に生きること、だろうか。
「……ありがとう、ヒイラギさん」
ヒイラギさんが何を言いたいのかちゃんと判ったらしいユーリさんは、痩せた顔に穏やかな笑みを浮かべて続ける。
「だけど、大丈夫。僕はきっと、このままのほうがいいんだ」
微かに、本当に微かに。
私の手を握るユーリさんの手に、力が籠った。
それはきっと、手を繋いでる状態の私にしか判らないくらい、儚い力。
だけど……いや、だからこそ、私にしか判らない感情が、そこにあったと思う。
本当の望みはあるのに、それを口に出すのはいけないって判ってる、そんな言いようもない感情が。
「……そっか」
ヒイラギさんは、その小さな感情に気付いたんだろうか。
少しだけ間を置いて、小さく頷く。
私は少しだけ違和感を覚えたけど、強く何かを言えるわけでもなく、ただユーリさんの手をちょっとだけ強めに握り返した。
「あ……一つだけ……もし、許してもらえるなら、お願いしたいことがあります」
ちらりと繋がってる私の手を見てから、ユーリさんは視線をヒイラギさんと、その横に立ってる陛下に向ける。
「もう一度だけでもいいんです。また、こうして普通に話せるようにしてほしいんだけど、無理かな?」
それはきっと、ユーリさんの心の底からの願い。
生まれてから今日という日、今という瞬間まで、ずっと『狂気』に支配され続けた彼が、束の間得ることができた『正気』という時間は、私が触れているからこそ有り得たものだ。
繋がっているこの手を離せば、たちまちさっきみたいな意味不明な言葉を撒き散らす狂人に立ち戻る。
今のユーリさんは、記録としてしかその時間を知らないんだとしても……いや、だからこそ、今のユーリさんが自分として生きていられる時間は限られてるんだ。
それは自分の意思で作れるものじゃなく、自然にもたらされるものでもなく、私という人間の手がどうしても必要なもの。
「そうだよね」
ユーリさんの願いに、ヒイラギさんは静かに頷いた。
「陛下」
「うん」
ヒイラギさんに呼び掛けられた陛下も、同じように静かに頷いて、それから私のほうを見る。
「アディ、またここに来て貰っても大丈夫かい?」
「あ、はい。勿論」
陛下に訊かれて、私は何も考えずに反射的に頷いていた。
確かに『狂気』の『呪い』があったユーリさんは、かなりの迫力があったというか……まあ、普通に怖かったけど。
だけど、『狂気』に支配されていない本当のユーリさんは、やっぱりそれから解放されたいと望んでる。
そうしてあげられるのが私だけなら、力になってあげたい。
「陛下からもアディからも了承を得られたからね。またこういう機会を作らせて貰うよ」
「ああ……ありがとう」
静かなヒイラギさんの言葉に一つ溜め息を吐いてから、ユーリさんは私を見て微笑んだ。
続




