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創り人の箱庭  作者: サボ
第三章
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3-8『背を押す覚悟』※三人称

第三章

第八話『背を押す覚悟』※三人称



 朝の空気。

 陽が昇り、一日が始まる凛とした時間。

 王宮に用意されている離宮の一つも、例に漏れず静かな中に鋭さを宿す独特な空気に満たされていた。

 この離宮の今の主である、東の領主代理、ヒイラギ。

 彼女は離宮のリビングで、積み上げられた書籍の一冊を手に、ただ黙々とそれを読み進めていた。

 彼女の斜め後ろには、黒い影。

 影のような護衛、サイゾウ。

 ヒイラギがページを繰る音だけが、静かな静かなリビングに響く。

 他の何も動かない。

 他の何も音をたてない。

 ただ静寂の間。

 それが心地好いと、その場の二人が纏う空気が告げる。

 互いを信頼しきった心地好い空気が、広い部屋を満たしていた。

「……」

 そんな中で、ふとサイゾウが顔を上げる。

 ヒイラギはそれに気付いていないのか、ページを繰る手を止めない。

 サイゾウはそんなヒイラギをちらりと見遣ってから、音もなく足を進める。

 公式の護衛としてのお仕着せである為、硬い革の靴を履いているにも関わらず、微かにも足音のしない奇妙な足取りで、サイゾウは出入り口のドアまで辿り着いた。

 そしてほとんど音をさせることもなく、ドアを開ける。

 ドアの向こうには、誰の姿もない……ように見えた。

「よ」

 だが、ドアの向こうからは確かに声が聞こえる。

 サイゾウの足元から聞こえた声は、ゴラのもの。

「戻ったか」

「おう」

 短い遣り取りをしながら、サイゾウは軽く屈み、足元に手を差し伸べた。

 ゴラは慣れた様子でその手に飛び乗り、背の高いサイゾウの肩へと運ばれる。

「あ、お帰り、ゴラちゃん」

 その遣り取りに気付いたらしい、ヒイラギはやっとページを捲る手を止め、顔を上げた。

 にこりと嬉しそうに微笑むヒイラギに、ゴラはサイゾウの肩の上でひらひらと手を振って見せる。

「おう、ただいま」

 そう答えたゴラの口の端も、僅かに笑みの形に持ち上がっていた。

 線を引いただけのような実にシンプルな顔の造作をしているゴラだが、それ故に微かな表情の変化が如実に心境を伝えるのかもしれない。

 相変わらず足音もなくヒイラギの傍に戻ったサイゾウの肩から、ゴラは身軽く飛び降りた。

 ヒイラギの手の中にすぽんと落ちたゴラは、優しい温度に身を摺り寄せる。

「お帰り~」

 その言葉を繰り返して、ヒイラギは小さな身体に頬を寄せた。

 白い頬とオレンジ色の身体が実に仲睦まじく摺り合っているのを、サイゾウは無表情に見つめる。

 生まれた頃からの幼馴染であるヒイラギに言わせれば、それは『微笑ましそう』な表情らしいが、一見してそれだと判る者はほとんど居ない。

「散歩は楽しかった?」

 ひとしきり頬擦りしたあと、ヒイラギは小首を傾げた。

「おう。ここの土はいつもいいな」

 ヒイラギの手から机の上に移動したゴラは、積まれた本の一冊に腰を下ろし、平坦な声で言う。

 感情の起伏をあまり感じさせない音程ではあったが、付き合いの長い東の二人には弾んだ声に聞こえているだろう。

「ま、一番いいのはうちのだけどな」

「ふふ、そっか」

 我が家が一番いい、と言うゴラに、ヒイラギは優しく微笑む。

 白い手を伸ばして頭を撫でようとすれば、す、とゴラは身体を微妙に前に倒す。

 撫でやすい形に自ら持っていくゴラの姿と、それを嬉しそうに撫でるヒイラギの姿を、サイゾウは矢張り無表情に見つめていた。

「ああそうだ、陛下の兄ちゃんに会ったぞ」

 何気ない口調で言われた言葉に、ヒイラギの手が止まる。

「お前が言ってた通り、アディの姉ちゃんとリクの兄ちゃんも一緒だったぞ」

「そっか」

 僅かに苦笑を浮かべて、ヒイラギはそっとゴラから手を離した。

「ヒイラギ」

 サイゾウが低く、表情のない声で、ヒイラギを呼ぶ。

 同じく感情の籠らない声のゴラと比べても、低い温度で固定された硬質な声だ。

「大丈夫」

 それでもヒイラギは穏やかに微笑んで、サイゾウを見上げる。

 他の誰もが氷のように冷たく、人形のように無機質と表現しようと、サイゾウのことは誰よりもヒイラギが判っていると、そう言っているような表情だ。

「頼んだことは?」

「ちゃんと言ったぞ」

 ゴラに視線を移し、首を傾げたヒイラギに、ゴラは何でもないことのように軽く頷く。

「お前が言ってくれって俺に頼んだこと全部、ちゃんと伝えた」

 ゴラが彼らに伝えたこと。

 『狂気』を持つ人に会ったほうがいいと、そう伝えた。

「そっか。じゃあ多分、リクは話をしてくれるだろう」

 はあ、と息を吐き出して、ヒイラギは天井を仰ぐように上を向いた。

 黒曜石を閉じ込めたような目は伏せられ、何も映してはいない。

「ずっと言いたかっただろうことを後押しするにしちゃ、随分無粋な真似をしたもんだと思うけどね」

 目を閉じたまま、ヒイラギはそう言って小さく溜め息を吐いた。

 リークレット・レヴァン。

 代々『英雄』の『祝福』を授かることが多いレヴァン家の次男で、今も命を繋ぎ続ける『英雄』の、次代。

「無粋だろうがなんだろうが、それでも多分、思ったようにはなっただろうさ」

 深々と息を吐いて、ヒイラギはゆっくりとゴラのほうに視線を向ける。

 深い悲しみのようなものを宿した瞳と、色を持たない線を引いただけのような目が混じり合う。

「別に、こんなことまでお前が心を割いてやる必要なかったんじゃないか?」

 そう言って首を傾げたゴラに、ヒイラギは微笑んだ。

「これも若輩の務めってやつでしょ」

 事ある毎にヒイラギはその言葉を使うが、実際に彼女をただの若輩者と思っている者はあまり居ない。

 特にこの王宮で各領主代表として集う面々の中には、誰もそんなことを思う者は居ないだろう。

 ヒイラギ自身、本気でそう思っているわけでもなかった。

 この言葉は、自分の行動への言い訳のようなもの。

「もしも私じゃなく、父さんが此処に居たとしたら、多分、同じことをしたと思う」

 だから、これはその代理である自分の役目なのだ。

「まあ、もう少しスマートにやると思うけど」

 そう言って儚く微笑むヒイラギを、ゴラはじっと見上げる。

「無理すんなよ?」

 低めの声は相変わらず感情のあまり籠らないものだったけれど、確かに相手を思い遣る心のあるものだ。

「大丈夫だよ」

 それに微笑んで応え、ヒイラギはゴラの頭を優しく撫でる。

 見た目は畑で採れた人型根菜に似たゴラだったが、身体に触れるとほんのりと温かい。

 自ら動いて話して飛び回ること以外にも、ただの植物と違うことが多くある。

 この世界で他に類を見ない……自身の他に同族の居ない、マンドラゴラの亜種。

「ヒイラギ」

「うん?」

 サイゾウに呼ばれ、ヒイラギは顔を上げた。

 視線の先には、整ってはいるが血の気がなく、表情の欠片すら浮かんでいない顔があった。

「お前は、あの稀人に人が殺せると思っているのか?」

 淡々と紡がれる冷たい言葉に、ヒイラギは目を細める。

 ゴラは何も言わず、ただヒイラギを見上げていた。

「……誰も殺せとは言ってないって、他の人になら言えたんだけどさあ」

 はあ、と深く息を吐き出し、ヒイラギはくしゃりと髪を掻き上げる。

「サイゾウにそう訊かれちゃ、本心で話すしかないよなあ」

 僅かに語尾を伸ばして言うヒイラギの顔には、哀し気な苦笑が浮かんでいた。

 見ているほうが痛みを感じるほど、その微笑には悲痛が滲んでいる。

「あの子はいい子だと思うし、聞いてる限り、人の生き死にが当たり前の生き方はしてこなかったんだろうから、できればそういうのには関わらせたくないけど」

 細く息を吐き、ヒイラギは髪を掻き上げていた手を静かに降ろした。

「それでもきっと、あの子は先代の『英雄』を殺すだろう」

 光の満ちる穏やかなリビングに、酷く不釣り合いな冷たい言葉。

 それを告げるヒイラギの表情は、削ぎ落されたようになんの色もなくなっていた。

 黙って立っているときよりも、更に近寄り難さの増した、作り物のような美貌が際立つ。

「リクが先代の話をすれば、多分あの子は、頭から全部を拒絶はしないと思う。あの子はきっと、『頼まれたこと』よりも、『頼まれた相手』を優先する子だ」

 淡々と続けるヒイラギの声に、感情はほとんど含まれていなかった。

 それは常日頃から感情を表に出すことのないサイゾウや、常に飄々としているゴラとは違い、敢えてそういう口調を選んだが故のもの。

「例えそれが自分の常識から大きく外れたことであっても、一度は飲み込もうとするだろう。だからきっと、『一度会わせて欲しい』って言うと思う」

 そう言って、ヒイラギは視線を伏せた。

「そうなれば、あの子は必ず、先代の『英雄』の声を聞く。あれを聞いて、できることを放り出す子だとは思えない」

 淡々と、淡々と。

 下手な語り部が読み上げる物語のように、耳を滑るだけのようなそれは、ただの音。

 敢えてそうした声音を選んだヒイラギに表情はなく、見る者に冷たい印象を植え付けるだろう。

 だが。

「……私は」

 常通り、感情の籠らない声で言いながら、サイゾウは静かに手を伸ばす。

「私は、お前がそれを促す役目を担わなくても良かったと思っている」

 血色の悪い手が、ヒイラギの頭に載り、静かに撫でた。

 見た目を裏切ることのない冷たい手が、それでもヒイラギには優しい温度を伝える。

 それは長く同じ時間を共有し合った者同士という以上に、深い結び付きのある者たちにしか伝わらない温度。

 伝わることのない、想い。

「言っただろ? 私じゃなく、父さんが此処に来てたら、同じことやったって」

 飼い主に撫でられる猫のように目を細めて、ヒイラギは微笑む。

 途端に、先程までの作り物めいた空気が掻き消えた。

「リクは真面目過ぎるから、誰かが後押ししないと一族の悲願だって口にしやしないんだ。だから誰かがきっかけを作らなきゃあの一族は何も変われなくて、それができる人はそう多くないんだよ」

 そう言ったヒイラギに、サイゾウは静かに目を細める。

 『それがお前である必要があったのか』と、そう告げてくる温度のない目を、ヒイラギは穏やかに見返した。

「いいんだよ、これで」

 誰が背を押したとて、同じように後味の悪い思いをするのなら、それが自分であることが一番マシだ。

 そう告げる静かな声に、サイゾウは反論をしない。

 そもそも主である彼女に、反論ができるほどの立場ではないサイゾウではあったが、どうしても譲れない場合には言葉を掛ける存在でもあった。

 だがそれでも、サイゾウはヒイラギの言葉を否定しない。

 人の命を奪った記憶もない者に、恐らくは結果的に人の命を奪おうと思わせる、その決断のきっかけとなる者になること。

 それはつまり、ヒイラギの意図で、純粋無垢を汚す事実の裏を引くということ。

「……判った」

 静かに息を吐いて、サイゾウは続ける。

「お前がその道を選んだなら、私もその責を負う」

 彼女が選んだ道を。

 その咎を。

 その全てを。

 共に負うと告げて、サイゾウは小さく、本当に小さく、微笑んだ。

 彼を見慣れない者は、きっと気付くこともないであろう、僅かな変化。

「うん、ありがと」

 そんなことを負う必要はないと、そう言いたげな顔を隠しもせずに、それでもヒイラギは頷いた。

「俺が言ってきたんだ、俺にも責任があるぞ」

 そう言って、ゴラはとてとてとヒイラギの胸元に近付く。

「うん……うん、ありがとね」

 人肌の温もりを持つ魔道植物を抱き寄せ、ヒイラギは痛みの滲む微笑みを浮かべた。

 幾星霜をも生き続ける可能性を秘めた『英雄』の魂を眠らせたいと、そう願う人の背を押すその役目は。

 斯くも重い。



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