3-7『個の言葉』
第三章
第七話『個の言葉』
この妙な力があるから、『祝福』や『呪い』を消して欲しいと誰かに望まれることは、そう珍しいことじゃないと思う。
ついさっきだって、陛下が嬉しそうに花に触れていた。
それは判っていたけど、流石に『家族を殺して欲しい』って言われるなんて、想像もしてなかった。
そのことは、ただ純粋に心に痛い。
だけど、そう切実に望む人が居るっていうことには、別の意味で心が痛んだ。
「君のことは飽く迄この王宮内でのみの話になっている。自分の一族が君の力を知っているわけではないから、過激な勧誘があるわけではない」
安心して欲しい、って続きそうなことを言って、リクは微笑んだ。
ああ、いつものリクだ。
凄いことを言われたって思ったけど、リクはいつも通りに優しい。
「大丈夫だよ、リクを信じてる」
大丈夫。
大丈夫。
私は、この人を信じてる。
「そんなこと、心配してないよ。例えご家族に私の力のことが知れて、過激派の方々が動いたとしても、リクが護ってくれるって、勝手に思ってるよ」
異界と呼ばれるあの場所で、確かに護ってくれたように。
『稀人』である私を護ることこそ、騎士としての務めだと真っすぐに告げてくれるリクを、信じている。
「だから、大丈夫。そんなこと、心配してない」
正直、そんなことを心配しなきゃいけないなんて、リクに言われるまで思い至りもしなかった。
それに、同じように強くなりたいとか思っていながら、心の底では『護られるのが当然』って思ってる自分にも、あんまり気付きたくはなかった。
「……そうか」
リクはほっとしたような笑みを浮かべてから、右手でとん、と自分の胸を叩く。
「陛下の騎士と、『英雄』の名に懸けて、必ず護る」
真っすぐに私を見る強い視線に、鼓動が一つ跳ねた。
そもそも整った顔立ちで、侯爵家の血筋で、陛下付きの騎士なんていう好条件が揃いに揃った人だけど、それに加えてこの真っすぐな視線は、ちょっと反則技なんじゃないだろうか。
か、顔が赤くなる……!
「は、はい……じゃなくて、ありがとう……?」
なんて答えればいいのか判らなくて、言葉が迷子になる。
それでもリクは穏やかに微笑んで、静かに頷いてくれた。
ああもう、この人って本当にかっこいいな!?
『護られて当然と思ってるなんて、本当に何様だ自分』って自己嫌悪が、どっかにすっ飛んでいく気分だ。
「あの、さ……」
確実に赤くなってる顔を隠すのを諦めて、そのままリクを見る。
「一度、その方に会わせて貰うことって、できるかな?」
「な、に……?」
私の言葉がよっぽど意外だったのか、胸に手を置いたまま、リクは何度か瞬きを繰り返した。
「いや、すぐ『呪い』を消したりとかなんとかじゃなくて、一度、大お爺様にお会いしてみたいんだけど……できる?」
誤解されると困るんだけど、今この瞬間に、人の命を奪う覚悟があるわけじゃないんだ。
ただ、『不死』という『呪い』に侵された人の姿を、一度見たいと思う。
その場で『呪い』を消して、静寂の眠りを届けることは、きっとできない。
そんなただの野次馬みたいなお願い、家族なら断るのが当然かもしれないけど。
「……判った」
それでも、リクは静かに頷いてくれた。
「だが、そうなると一つ……いや、二つ、懸念材料がある」
「二つ?」
なんの話か想像もつかなくて、私はただ首を傾げるだけ。
「一つは、君の力のことを、家族に話さなくてはならないということ」
リクは胸に置いていた右手を静かに私に向けて、人差し指を立てた。
「大祖父との面会は、一族以外には許可されていない。一族であっても、会う理由のない者は、部屋がある区画に立ち入ることも遠慮して貰っている」
つまり、正当な理由もなしに、その人が居る場所にすら行けないってことか。
「君のこと、君の力の話をすること自体、陛下の許可がなくてはいけない。例え関係者の家族であっても、特別な理由があってもだ」
静かな声でそう告げられて、想像以上に重大なことに踏み込もうとしてるって思い知る。
人の命が懸かってるんだからそりゃそうだって話なんだけど、実際にその人を見ていない私には、まだ実感が薄い。
「この話は、自分から陛下に通す。許可が下りれば、自分が家に案内しよう」
だからこの一つは、何も心配することはないって言いたげなリクに、私は反射的に頷いていた。
「もう一つは……」
かなり言いづらそうに目を伏せて、リクは一度、大きく深呼吸をする。
これはきっと、さっき言いにくいことを言ってくれた先にある、もっと深い部分のことだって、嫌でもそんな予感がした。
『家族を殺して欲しい』なんて業の塊みたいな言葉より、もっと言いにくいことって、なんだろう。
知らず、ごくりと喉が鳴った。
「……もし君が、ほんの少しでも自分の話を受け入れてくれるなら、これを頼まなくてはならないと思っていたことだ」
私に頼みたいこと。
それを懸念材料と言われてしまうってことは、私の覚悟を遥かに超えてくることを言われるんだろうって、直感で感じる。
「……大丈夫、教えて?」
何を言われても動じないなんて、そんなことは言えないけど。
だけど、リクが望むことを聞きたい。
それがどんなことであったとしても。
「ああ……ありがとう……」
気負ってたものを全部降ろしたようなすっきりした顔で、リクは微笑んだ。
ああ、そうだよ、そうなんだよ。
どうしてかな、リクには何も気負わずにいて欲しいって、自然体で居て欲しいって、そう思うんだ。
「……悪いが、心して聞いて欲しい」
静かな声が告げるのは、断罪にも似た鋭利な音。
今までリクからは、聞いたことがない類の音だ。
「アディ、君に、我が大祖父の心の声を、聞いて欲しいと思う」
その言葉が意味することを、瞬時に汲み取ることはできなかった。
「心に思う言葉を他の人に届ける『伝心』の『祝福』というものがある。大祖父は意識を保っているときも、眠っているときも、同じ言葉を繰り返している。君に、それを聞いて欲しい」
私の力があれば、触れた人の『祝福』も『呪い』も消してしまえる。
それでも『伝心』という『祝福』を使うことができる、その算段があるからこその言葉なんだろう。
「起きていても眠っていても同じ言葉を心に刻み続ける者など、そう居ないと『伝心』の『祝福』を持つ者は言う。だから君に聞いて欲しい。自分の大祖父の、心からの言葉を」
『不死』の『呪い』を授かってしまった人の声を。
『不死』の『呪い』を授かってしまった人が、人間の寿命を遥かに超えた先に得てしまった言葉を、聞いてくれと。
リクは、そう言った。
「……判った」
少しだけ考えてから、私は静かに頷く。
「正直に言うが、大祖父の声は、かなり重い」
そんな私に、リクは眉根を寄せてそう言った。
リクはきっと、本当はあんまり、大お爺様の声を、私に聞かせたくないんだろう。
『重い』と表現された大お爺様の声が何を告げるのか、はっきりと想像することはできないけど。
「だがそれでも、あの声を聞かずに、我が一族の願いを君に押し付けるわけにはいかないと、そう思う」
眉根を寄せたままの苦しそうな顔でそう告げるリクの言葉は、心の奥のほうに確かな重さを伴って落ちていく。
私が今、どんな覚悟をしたとしても、きっと大お爺様の言葉はこっちの精神を抉ってくるものなんだろうって、そう判る。
判るけど、それでも。
「……大丈夫とは、言えないけど。きっと今の私の覚悟じゃ足りないんだろうって、そうも思うけど。でも、聞くよ。聞く手段があるなら、聞かせて欲しい」
会わせて欲しいって言ったのは私だ。
ただベッドに横たわる大お爺様を見るだけじゃなく、その心からの言葉を聞くことができるなら、それに越したことなんて何もない。
その言葉で、人を殺すことに尻込みする私の心が決まるかどうか、それは判らないけど。
正直言って、自分がどんな言葉を聞けば人を殺せるかなんて、想像もつかない。
誰かを護る為に誰かの命を奪うことが当たり前の騎士さんたちや護衛さんたちとは、根本的に覚悟が違うんだと思う。
記憶はないけど、私はきっと、平和な世を生きてきたんだ。
だけど、それでも。
それでも、今は。
「『稀人』だからじゃなくて、リクが『私』に望むことなら、自分にできる限り応えたいって思うよ」
ああ、そうだ。
そうなんだ。
『祝福』や『呪い』を掻き消すこの力が、稀人特有のものだったとしても。
この世界が稀人に望むのは、飽く迄『世界の安定』。
朽ちゆく大樹を留めて、いつも通りの日常を取り戻すこと。
その中に、個人の生き死にはきっと関係ない。
陛下や各領地の領主さんたちみたいな立場のある人たちの生死ならともかく、起き上がることさえできない先代の『英雄』は、きっと世界の意志の範疇外だ。
私はきっと、少し嬉しいんだと思う。
『稀人』としてじゃなく、『私個人』に向けられた視線と願いが。
「アディ……」
ずっと眉根を寄せていたリクが、やっと自然な笑みを浮かべてくれた。
うん、やっぱりリクはそういう顔をしてるのがいいと思う。
「ご期待に沿えなかったら申し訳ないんだけど……」
「いや、いいんだ、構わない」
この期に及んで尻込みする私に、リクは微笑んだまま首を振った。
「君に無理を強いることはない。他の誰が何を言おうとも、それだけは、絶対だ」
真っすぐに私を見て微笑むリクは、なんていうか、爽やかの権化だ。
眩し過ぎて目を閉じたくなるけど、いつまでも見ていたくなる、不思議な感覚。
「うん……信じてるね」
私に言えることなんてそれくらいで。
でも。
それがこの場での最適解なような、そんな気がした。
続




