3-2『改めて』※ヒール視点
第三章
第二話『改めて』※ヒール視点
すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきて、それでも暫く、私とカリスは身動き一つしないでアディを見つめていた。
二人並んで腰掛けて、どのくらい、そのままで居ただろう。
「……寝た、よな?」
ぽつんと、カリスの声が聞こえた。
「うん、多分」
カリスのほうは向かずに、ただ真っすぐ、アディの寝顔を見つめながら、私は頷く。
異界なんて正体不明もいいところなとこに行って、無事に戻ってきたと思ったらお偉いさんたちが勢揃いの前であったことを報告しなくちゃいけないくて。
ただでさえここはアディの生まれ育った世界じゃないのに、それで疲れ果てない人がどのくらい居るんだろう。
騎士の資格を貰ってからそれなりに鍛えた私だって、この行程をこなしたらきついと思う。
「頑張ったね、アディ」
そう呟いて、できるだけ優しくアディの頭を撫でた。
片手が素手で繋がってるままだから、『祝福』も『呪い』も消えたままで、視界の色彩反転は起きない。
眠ってるアディの顔は穏やかで、苦しそうな素振りもなかった。
悪い夢を見てる様子もなくて、ほっとする。
「……なあ」
「何?」
寝てるアディを起こさないようにだろう、小声でカリスに呼ばれて、振り返った。
「お前も、寝てみるか?」
「は?」
唐突に何を言われたのか、一瞬、理解できなかった。
異界に行ったのはアディで、私は何もしてない。
騎士として同行したリクは疲れただろうけど、ただ待っていただけの私は、眠らなきゃいけない理由もなかった。
「だってよ」
私から視線を外しながら、カリスはがりがりと頭を掻く。
「その状態でならお前、夢を見ねえで済むだろ?」
こっちも見ずに、ぶっきらぼうな口調で言われた言葉に、目を瞬かせた。
何を言われたのか、一瞬理解できなくて戸惑う。
でも、すぐに何が言いたいのか判って、口元に自然と笑みが浮かんだ。
「大丈夫よ、ありがと」
「おう……」
お礼を言っても、カリスはまだこっちを見ない。
明後日のほうを見ながら、頭を掻き続けてる。
私の『呪い』、『夢』は、文字通り眠ると必ず夢を見て、それを忘れることがないっていうもの。
別に悪夢ばかり見るわけじゃないし、睡眠時間が極端に減るわけでもない……んだけど、ね。
やっぱり、一度くらい、何にも妨げられない泥のような眠りっていうのを、体験してみたいとは思っちゃう。
「一度はね、試してみたいと思うけど」
呟く言葉は独り言みたいで、何処かぼんやりしてると自分で感じながら、視線をアディのほうに向けた。
私たちの手を握って、すやすやと寝息を立ててる、可愛い子。
私たちを信頼しきって、ただ傍に居て欲しいと願い、縋ってきた、素直な子。
まだ下町に住んでいた頃、『怖い夢を見るから傍に居て欲しい』って涙目でやって来た子たちを思い出す。
「試すなら、アディにちゃんと話して、元気なときに一緒に眠らないとね」
何も話さない今の状態でちょっと一緒に寝てみても、アディはきっと怒ったりはしない。
多分、『よく眠れた?』って、笑顔で訊いてくるだけだと思う。
ちゃんと話したとしても、そう訊いてくれるだけっぽい気もするから、結果的には同じなのかもしれない。
だけど、やっぱりそうじゃないと思うのよね。
「まあ、お前の言うことも判る気がするけどな。お前、こういう奴のこと放っておけねえしな」
「そういう感じ」
流石幼馴染、私が言いたいことも、私の性質もよく判ってらっしゃる。
「放っておけねえってのは、俺も同じだ」
大きな手を伸ばして、カリスもアディの頭を撫でた。
カリスはクレイフォール男爵家っていうれっきとした貴族の身分だけど、よく下町に来ていたから、感覚は庶民に近いのかもしれない。
まあ、下町に来てたときは、身分を隠したお忍びだったわけだけど。
しょっちゅう私の住んでるとこに来てたから、感覚が近いのは庶民じゃなくて、沢山の年下たちの面倒を見ることかもしれないけど。
お陰様で、私がカリスの本当の身分を知ったのは、騎士の登用話が来たときだったんだけど。
何回思い出しても、取り敢えずカリスの頭を殴りたくなる衝動を抑えて、彼を見る。
「戦う力があるわけでもねえのに、よくやってるよ。俺がこいつの立場だったら、こんな素直に言われた通りになんかできやしねえ」
眠るアディを見ながらそう呟くカリスの顔は、見事に『お兄ちゃん』してた。
実際のところ、弟が二人、妹が三人の長男だから、立派に『お兄ちゃん』なんだけど。
「眠ってても働き続けるような、『祝福』だか『呪い』だかも判らないもの抱えて、周りに知ってる人が誰も居ないどころか、自分のことも全然判らないままで」
できるだけ静かにアディの頭を撫でながら、私はぽつぽつと続ける。
「陛下や閣下たちに囲まれて、断りたくても無理な空気にされてさ、それでもこの子、嫌だとも怖いとも言わないのよ」
湯浴みしたばかりの髪はさらさらとして指に心地良いけど、まだちょっとじゃりじゃりしてた。
本人が自覚してるよりずっと疲れてるせいだろう、細かい砂や土埃を、綺麗に洗えなかったみたい。
ひと晩休んだら、ちゃんと洗ってあげなきゃ。
「傍に居て欲しいって、言ってくれないかと思ったわ」
自覚してるよりもずっと疲弊した身体と心は、独りになるのを怖がることが多い。
熱を出した小さな子供が、傍に居て欲しいと願うのと同じ。
「ああ、俺もちょっとばかり驚いた。でもまあ、良かったと思うぜ」
溜め息混じりのカリスの言葉に、振り返る。
絵に描いたような苦笑を浮かべてアディを見てるカリスの目は、あの下町で過ごしたときと似ていた。
何も知らなかった。
私に騎士としてやっていけるだけの力があることも、カリスが貴族だってことも、何も知らなかったあの頃ととてもよく似ていて。
心の何処かが、少しだけ痛い。
「少なくとも、俺たちには多少の我が儘を言ってもいいって、ちゃんと判ってくれてるってことだ」
「……そうね」
カリスの言う通り、私たちには少しくらい甘えてくれることを、今はそれで善しとしないとね。
「私より、アンタは試してみなくていいの?」
「あん?」
ふと思い至って呼び掛ければ、カリスは不思議そうな顔を私に向けた。
「アンタだって、今なら水が怖くないわけでしょ?」
に、と口の端を持ち上げた私に、カリスは嫌そうに目を細める。
「今なら川だって泳げるだろうし、飲み水だってわざわざ精霊抜きしたりしなくていいわけでしょ?」
カリスの『水忌み』は、正確に言うなら『水に触れると麻痺する』わけじゃない。
『水の中に存在する水の精霊の力に触れると麻痺する』というのが正確な表現。
普通の人にはどの水に精霊やその力が宿っているか判らないけど、ファービリア閣下やヒイラギさん曰く、『大抵の水にはその力が欠片ほどでも含まれている』らしい。
だから、精霊魔法はおろか、精霊の気配すら察することのできない私が喚んだ水に触れても、カリスは硬直してしまう。
飲み水でさえ、『精霊抜き』っていう魔法か魔石を使ったものでないと、彼の身体を麻痺させる。
「あのなあ」
やれやれって感じで溜め息を吐いて、カリスは軽く首を振った。
「そりゃまあ、試してみてえ気はするけどよ。ま、俺もお前と同じだ」
そう言われちゃうと、返す言葉もないわねえ。
何も言わずに色々試したって、きっとアディは気にもしないだろうし、怒ったりもしないんだろうけど。
こっちの気持ちの問題なんだけど、ね。
「あとな、多分俺……」
「ん?」
カリスの声はどんどん尻すぼみになって、途中から何も聞こえなくなった。
空いてる片手で口元を覆ってるせいで、唇を読むこともできない。
頭にある獣の耳が、気弱にへたれてる。
「だ、だから、俺は多分……」
やっぱり語尾がもにょもにょ消えて、大事なところが何も判らない。
ちょっとアンタ、いう加減にしなさいよ?
「なんではっきり言わないのよ? アンタらしくもない」
寝てるアディを起こさないように、できるだけ小声で、でも強めに言ってみる。
「だから! 多分俺! 泳げねえっての!!」
カリスはカリスで焦れたらしく、結構な大音量でそう叫んだ。
「ちょっと……!」
「!!」
叫ばれた内容より、その音量にはっとなって、アディを見る。
枕元でこれだけの大声を張り上げられたら、起きちゃうかもしれない。
少なくとも、騎士に属してる私たちなら、問答無用で覚醒する。
私は……騎士になる前は、こんなに鋭敏じゃなかったけど。
騎士になったあの日から、色々と叩き込まれたから。
なんて、私のことなんてどうでもいいんだわ。
「……」
私たちの視線の先で、アディは少しだけ身じろぎしたけど、起き出す様子はない。
たっぷり三呼吸くらいそのままアディを見つめて、漸く私たちは深く溜め息を吐いた。
「アンタねえ……!」
「い、いや、悪い……!」
小声で小競り合いしつつ、ちらちらとアディの様子を確認しておく。
むにゃむにゃと可愛い寝息を立てて、私とカリスの手を握って眠ってる様は、平和そのものって感じ。
もう一度、はあ、と息を吐き出してから、改めてカリスがなんて言ったのかを思い返してみる。
ええっと……え? 泳げない?
「アンタ、泳げないの?」
「うるっせーな」
意外過ぎて思わずそう問い掛けたら、カリスはぷいっとそっぽを向いた。
カリスは獣人族の先祖返りで、筋肉質だし身体能力もかなり高い。
『火炎』の『祝福』があるから魔導士だし、直接攻撃の手段として使ってるのは双剣なんだけど、正直言って斧とかナックルとか使ってるほうが似合うと思う。
まあ、何を使うのが似合うかってのは私も人のことは言えないから置いといて、とにかくカリスは運動神経がいい。
だから、泳げないなんて言葉が、すぐには信じられなかった。
「しょーがねーだろ。今まで泳いだことなんてねえんだから」
こっちを見ないまま、ぼそぼそと告げられた言葉に、ああ、と思う。
ああ、私はまた、失言をしてしまったんだ。
カリスが今まで泳いだことがないのは当たり前だ。
近くに泳げるほどの湖や川がなかったとか、そんなことをする必要もない身分だとか、そういう話じゃなくて。
水滴一つ、その肌に触れただけで、カリスの身体は本人の意思に関わらず麻痺してしまう。
その強制力は例外を許さず、ただ普通に飲み食いするだけでも、精霊抜きをしてない水を使ったものに当たれば、たちまち麻痺してしまう。
精霊の力を拒む『呪い』は割りと一般的だから、飲食を提供する店では精霊抜きをした食材を使うのが普通だけど、それでもカリスは決まったところから提供されたもの以外、口にしない。
「……それもそうだったわね」
それだけ言って、私は敢えてカリスから視線を外した。
泳いだことがないのなら、泳げないのは当たり前。
浮かぶことができるのと、泳ぐことができるのは別物だし。
「……おう」
普段より低い、ぶっきらぼうな声が聞こえる。
顔は見えないから、どんな表情で言ってるのかはわからないけど、きっと『またか』って顔してるんだろうなあ。
昔から、いつもそう。
私は元々おせっかいでひと言多い性格だから、いつも余計なことばっかりずかずか言って、相手を怒らせたり困らせたり、不快にさせることが多かったと思う。
抑えようとしても、これが性分だからか変えようがないのよねえ。
カリスが相手だと、素直に謝るっていうのも、なんか難しくて。
お礼は結構素直に言えるのに、謝罪の言葉はなかなか口から出て行かない。
はあ。
この子みたいに、もう少し素直に生きられればいいのかしらねえ。
続




