2-18『博士』
第二章
第十八話
『博士』
滅びた種がまだ生きている時代に放り込まれて、その上で『彼らはどうすれば良かったのか』と訊かれて。
その答えが、『それが彼らの矜持であるのなら、そのままで良かった』。
そんなの、受け入れられるかどうか判らない。
だけど私は……私が想像するファービリアさんが言うその言葉は、間違ってないと思う。
少なくとも自分が納得する答えだと、そう思う。
「成る程ねえ」
私の言葉を聞いた彼女は静かにそう言って、口元の笑みを深くした。
「よく判った。それも正解なんだろう」
そう言って、彼女は深く頷く。
「確かにあの種族は、純血に拘らなければ、他に幾つも道があっただろう。それを選ばなかったなら、どんな形にせよ滅びるのは必至。それはそうだろう」
何度か頷いて、彼女は静かに息を吐き出した。
「ありがとう、参考になったよ」
そう言って、彼女はにこりと私に微笑み掛ける。
「え? あ、は、はあ」
なんて返すのが正しいのか判らなくて、私の口は意味不明な言葉を紡いだ。
「あの、今のって、正解なんですか?」
目の前のこの人に対する不審とか怒りとか、そういうものは何処かにすっ飛んだまま、私は首を傾げる。
だって、私が答えたのは、結局蟲人が滅ぶ事実を肯定する言葉だ。
この人が訊きたかったのは、どうすれば蟲人が生き延びられるか、じゃないのか?
「僕の問い掛けに、正解と呼べるものは一つじゃない。君の答え、それも正解なんだろうと言っただろう?」
戸惑う私に、彼女は何処か楽しそうな顔で笑う。
「僕は、『終わりの見えた種がどうすれば生き延びられたか』と訊いた覚えはない」
そ、それは、そうだ。
そんな風に訊かれたように感じたのは、私の思い込み。
彼女は『終わりの見えた種が、どうするのが正しいと思うのか』って訊いただけ。
『滅びるのが正しかった』と私が思ったなら、それを答えても正解なんだろう。
正直言って、滅びが正しいなんて、どうかしてるんじゃないかと思う感情がないわけじゃない。
種なんて大きな括りじゃなく、個人で考えたとして、誰かに『お前は死を選んで正解だ』って言われたら、いやいや人の気も知らずに何言ってんだって返したくなる。
だけど、前提条件に純血であることを掲げるなら、他に道がないとも思えた。
他の種族に非合意でも自分たちの血を混ぜる非道より、食い物とする非道を選んだのなら、それしかない。
強い力に媚び続ける道を選べなかったなら、残されたのはどちらかの非道しかなくて。
本当は、『強い力』がもっと積極的に手を差し伸べれば良かったのかもしれない。
『世界』が蟲人たちを保護しようと動けば、彼らは滅びなかったかもしれない。
でも、それは『彼ら』が選べた手段じゃないと思う。
『世界』は蟲人を選ばなかった。
時の王や西の領主は、蟲人の保護に大きく動くことはなかった。
そのことを責め立てるだけの何も、私は持っていない。
「僕は、世界の意志を訊いた覚えもない」
僅かに生まれた躊躇いに似た感情を、目の前の彼女はただそれだけの言葉で切って捨てた。
まるで私の心を読んだかのような言葉は、なんとも居心地が悪い。
「僕は、君が導き出した答えが知りたい。それだけだよ」
なんで、そんなことが知りたいんだろう。
私が導き出した答えなんて、世界の答えじゃない。
さっき答えたことだって、『ファービリアさんだったらどう答えるか』を想像して言ったことだ。
そりゃあ結局私の想像だから、自分でも納得できるような答えになったけど。
「あの……」
何を言えばいいのか判らないまま、私は一歩、足を踏み出した。
そして今更気付く。
彼女から、あの腐敗臭がしない。
この黒い世界に来る前、大木の幹から生えていた彼女から漂っていた、不快な匂いが一切しなかった。
「どうしたんだい?」
言葉を続けない私に、彼女は小さく微笑んだまま、首を傾げる。
まるで続く言葉を全て見透かしてるかのような目が、なんだか少し、怖かった。
「……貴方は、誰ですか?」
一度深呼吸をしてから、私は言葉を紡ぐ。
彼女の質問に答える前、はぐらかされてしまったことを、今度はちゃんと確認する為に。
「この場所に来る前に会った、あの木から生えていた人とは違いますよね?」
見た目はそっくりそのまま同じだと思うけど、声音も表情もまるで違う。
それに、あの饐えた腐敗臭がまるでない。
ヒュージさんとマダムみたいに、双子だと言われるほうが納得できた。
「そうだなあ……僕のことは博士と呼んでくれればいいよ」
「は?」
全然想像もしてなかったことをあっけらかんと言われて、ぽかんと口が開く。
博士って……なんの博士?
そもそもこの世界に博士って存在はあるのか?
今まで出会った人たちの中に、そんな風に呼ばれてる人は居なかったと思うけど……まあ、それは聖職者もそうか。
「え、えっと……さっき私が会った人とは別人ってことで、合ってます?」
なんて訊けばいいのか判らなくて、問い掛けは随分間の抜けたものになったと思う。
「そうだね。この姿は、君に会うのに丁度いいから借りてるだけだ」
彼女は……博士はやっぱりあっけらかんと、そんなことを言った。
姿を借りてるってことは、博士の本当の姿は、今のものじゃないってことだと思うけど……だ、ダメだ……何がどうなってるのか、全然判らない……!
ここに他の人が居てくれたら……ファービリアさんやヒイラギさん辺りが居てくれたら、もっとちゃんとした会話ができたかもしれない。
だけど私じゃあ博士に何を言われても、ただただ混乱するだけだ。
想像で心に二人を喚び出したところで、流石に会話の全部を予測できるほど、私の頭は優秀じゃない。
っていうか、あの二人が優秀過ぎるんじゃないかって言い訳したい。
「あの……私に『お帰り』と言った理由を教えて貰えますか?」
博士が何ものか、それを突き止めるのは一旦保留することにして、私はずっと気になっていたことを訊くことにした。
博士は私に『お帰り』と言った。
それはこの『黒い世界』か、『博士の元』こそが、私の帰るべき場所だという意味。
「言葉通りだよ」
ふ、と薄い唇に浮かんだ笑みは、なんと表現すればいいのか……何処か無慈悲に微笑う人みたいで、少し怖い。
ああ、そうだ。
酷薄っていう言葉が似合うかもしれない。
そう思い至って、更に背筋が寒くなる。
「……っ!」
ここに居ちゃいけない。
今更そんな気持ちが湧いてきて、知らず、一歩後ずさっていた。
「怖がることはない。僕は何もしないよ」
怯えた私を見て、博士はそんなことを言う。
冷たかった微笑は一瞬で朗らかなものに変わっていて、それはそれで怖い。
この人は、ダメだ。
気を許したり、近付いたりしちゃダメだと、本能が訴える。
自分でさえ何も憶えていない『私』のことを、博士なら教えてくれるのかもしれない。
だけど、博士が教えてくれることの全てが真実だと、間違いのない『私』だと、誰が保証してくれる?
「やれやれ、あまり信じては貰えなさそうだ」
警戒心も露わな私を見て、博士は肩を竦めた。
白黒の姿は相も変わらず、この世のものとも思えない違和感を盛大に放ってる。
でも、この世界は白と黒だけで構成されていて、私の視界にはそれ以外の色がほとんど入ってこない。
唯一色彩豊かな自分こそが異物なんじゃないかと思うと、改めて恐怖を感じた。
恐怖っていうのは、一度自覚するともう取り返しがつかない。
乗り越えようとしても、寄る辺がないとどうにもならない。
見覚えのない場所で目を覚ました時も。
知らない場所に案内された時も。
魔素堕ちと呼ばれる明らかな敵意の塊が目の前に現れた時も。
いつも私の傍には、優しく手を伸ばしてくれる人が居たから、恐怖を抑え込むことができた。
だけど。
今、ここには。
自分以外、誰も居ない。
ここに在るのは。
私に恐怖を与えてくるものだけ。
強く成りたいとどれだけ願っても、深く思っても、それはすぐに叶うものじゃなくて。
自分の心の弱さを、更にありありと感じて、心が折れそうになる。
でも。
それでも。
「……して……」
今すぐに強くは成れない。
それは判ってる。
だけど、どれだけ弱くたって、足掻くことはできる。
「帰して、ください……」
足掻いても無駄なことだって、沢山あるんだろう。
寧ろ、足掻くだけ無駄なことのほうが、世の中には多いのかもしれない。
だけどそれは結果がイコールっていうだけ。
例えば最後には同じ死があったとして、何もせずにそれを受け入れたのと、できる限りの抵抗をしたのでは、確かに違うものがある。
それはきっと、最後に死を迎えた本人にしか判らない。
矜持と呼ばれる、それを満たすもの。
蟲人たちが選んだ、種の存続よりも大切なもの。
「私を、帰してください……! 私は、みんなのところに帰ります!」
精一杯足掻いて足掻いて、最期に信じたものの牙で終わりを迎えた蟲人と。
ただ叫ぶだけの私。
比べること自体、おこがましいと自分でも判ってる。
だけど、今の私にできる精一杯なんて、これくらいなんだ。
踵を返して走り出すことさえできない自分が、酷く無力で哀れで滑稽だと思うけど。
「ああ、大丈夫だよ。ちゃんと戻してあげるから」
無様に震える私に、博士は静かに微笑んだ。
「それに僕らは、また会える」
「え……?」
白い手が持ち上がって、私を指差す。
白黒の姿。
薄い唇が作り出す、形だけの笑み。
体温が急速に冷えていく。
怖い。
怖い……!
「また会おう。そしていつか」
いつか。
そのあとの言葉は、声として耳に届かなかった。
だけど、その唇がはっきりと言葉を紡いでいるのを、私は見た。
『教えておくれ』
音はない。
なのにはっきりと判った。
そしてその言葉は、初めて聞いたものじゃないと。
何故か、そう感じた。
続




